~第73章 彼氏を辞退!?~
「ところで、一之瀬さんのこと、見送りにいくでしょう?」
「え?」
京也さんの元から引き戻してくれたと思っていた矢先、桐谷くんは、その彼の名を口にした。
「えっ、て・・・大好きな京也さん、でしょう?」
「・・・え!?」
さらに桐谷くんの口から、京也さん、という単語が出てきたことに驚きを隠せない私は、すっとんきょうな声をあげる。
そんな私を見て、小さな溜め息をもらす彼。
「さっき、そう呼んでいたこと、覚えていないんですか?」
「え・・・?」
「京也さんのことが好き、とか、京也さんには抵抗した、とか・・・」
「き、桐谷くん!」
私は、自分が言ったであろう台詞を、桐谷くんに復唱されること、そして、自分でも気づかないうちに、桐谷くんに京也さん、と言ってしまっていたこと、そのふたつが恥ずかしくなって、桐谷くんの話を中断させた。
すると、彼は、あからさまに面白くないと言わんばかりの表情で、こう続ける。
「彼のことは名前で呼ぶのに、あなたの彼氏であるはずの僕は、未だに違いますもんね。・・・子どものやきもちみたいですけど、気になるものは、気になります」
・・・そうだよね。そうなるよね・・・。
「あ、あの、これには訳があって・・・その・・・」
「わけ・・・ね・・・」
そう呟いた彼は、焦る私をじっと見つめると、そのまま何も言わずに私の瞳を見つめ続ける。
いわゆる、無言の圧力、というものだ。
「あの、京也さ・・・じゃなくって、部長が、今日は僕の彼女なんだから、そう呼んでくれって。僕は、夏緒里って、呼ぶからって・・・」
私が、誤解を解こうと必死に説明すると、それを聞いた彼の表情は途端に曇り出す。
「夏緒里・・・ですか?」
「う・・・うん・・・」
ドンッ!!!!
音がするほど、部屋の壁に両手をついた彼は、にっこりと微笑みながらもやはり恐ろしさが滲み出る顔で、その腕の中に囲った私にこう尋ねた。
「まさか、それで・・・新婚みたい、と?」
「は、はい・・・どうしてそれを・・・」
「・・・一之瀬 京也・・・やはり、似ている・・・」
「え?」
「何でもありません。とにかく、彼の言うことが聞けるなら僕の言うことも、もちろん聞けますよね?」
と、にっこり。
「は・・・はい」
ここで、はい、と言わなければ一体どうなってしまうのか。想像すらしたくない恐ろしさだ。
「では・・・今日から僕のことは、冬真、と呼んでください。・・・と、言っても恐らく簡単に呼んではくれないでしょうから、くんを付けても構いませんよ」
「・・・」
「どうしました?」
「私、前にその話、された気がする・・・」
私が思い出した情景。
それは、ホワイトデーの夜。風が心地よく、キラキラと輝く夜景を見下ろしていた時、彼が私の耳元で囁いた台詞。
「冬真・・・って呼んで・・・」
そして・・・初めての・・・
「キス」
「えっ!?」
私がそこまで思い出していた時、彼が突然、続きの単語を出す。
「初めてあなたにキスした時、の話ですよね?」
先程までの殺気が嘘のように穏やかな雰囲気に変わり、柔らかな微笑みを浮かべる彼。
内容はドキドキすることだけれど、私は彼のその優しい笑顔に少し安心する。
「うん」
私が、彼の問いに頷くと、彼は壁についた手を降ろし、少し寂しそうな笑みを浮かべ、こう言った。
「あの頃のあなたは、まだ僕だけを見ていてくれたのに・・・。やっぱり僕では、あなたの彼氏として役不足なんでしょうね・・・」
「そんなこと・・・」
「一之瀬さんは、きちんと自立して働いて、しかもあなたの上司なら仕事のつらさも分かち合える。それに・・・あなたを今すぐにでも幸せにできる力がある」
そこまで話終えた彼は、私の頬に優しく触れると、今にも泣き出しそうな笑顔でこう言った。
「夏緒里さん・・・僕、あなたの彼氏・・・辞退してもいいですか?」




