~第72章 本当の桐谷くんはどっち?~
やっとお互いの気持ちが伝わった私たちは、暫くその温もりを確かめるように抱き合っていた。
桐谷くんはというと、やはり本気で体を奪うなんて考えていないようで、抱擁を解き、私の乱れた格好を見るや否や、慌てて私に背を向け、こう言った。
「す、すみません。僕、大変な事を・・・あの、早く服を整えてください。・・・僕にも、限界があるので」
「あ・・・はい・・・」
先程の意地悪さとは全く別人のような彼の言動に、私は驚いたが、焦る桐谷くんを見るのは久しぶりで、なんだか嬉しかった。
「ふふ、もういいよ」
服を整えた私は、この状況が可笑しくなり、思わず笑った。私の言葉に、やっとこちらを向いた彼には、私が笑っている理由がわからないようだ。
「夏緒里さん、何が可笑しいんですか?」
きょとんとした、少年のような彼の表情に、私は彼が可愛くて仕方ない。
「ふふ、だって、さっきまでとっても色っぽくて意地悪だったのに、急に服を整えてだなんて言うんだもん。桐谷くんが、ボタン外したんだよ?」
「それは、あなたが誰にでもこんなこと・・・させるのかと思ったから・・・」
冷静なようで明らかに動揺している彼は、顔を赤らめて私から顔を背けた。
「ふふ、私、やっぱり桐谷くんの彼女で良かった」
いつも私を奪うと言いながら、私のこと大切にしてくれる。桐谷くん、やっぱり大好き。
私がそんなことを考えていると、彼は、私にキスをしてからにっこりと微笑んだ。
「あんな風に、あなたを無理矢理奪うようなことはしませんよ、僕の大切な奥さん。こういうことは、きちんと夫婦になってから、ね」
「桐谷くん・・・あ、あの・・・奥さん・・・って・・・」
私は、さらっとその言葉を発する桐谷くんに、またもやリードされ、一気に顔が熱くなる。
「ふふ、まあ・・・それまで僕の我慢が続けば、ですけど」
「えっ!?」
次々とドキドキさせるようなことを言う彼に、私はまともに彼の顔を見ることができない。
そんな私の指にはめてある彼からの指輪。それに彼はそっと触れると、急に真面目な声で私に尋ねた。
「これ・・・一之瀬さんと居る時は・・・外した?」
彼の質問に、私は京也さんと過ごした日のことを思い出し、すぐさま否定した。
「ううん。外してないよ。そしたら、桐谷くんは、本当にプロポーズをしたんだね、って。それで、その後、部長から、僕と一緒についてきてくれないか、って言われた・・・」
私は、一言多く言い過ぎたことに気付き、彼を見る。と、案の定、彼はあの殺気立った笑顔でこちらを見つめていた。
「それで?」
私は、そのやはり恐ろしく感じる笑顔に、彼を直視できず、俯いたまま答える。
「あ、あの、それでって・・・もちろん、ちゃんと断りました」
そう正直に答えた私が、恐る恐る彼を見上げると、彼は先程とは違う優しい笑顔で私の頭を撫でてくれた。
「ふふ、良くできました」
満面の笑みを浮かべ、私の頭を撫で続ける彼に、私は心地よさを感じながらも、ある疑問が湧いてくる。
「あの・・・桐谷くん?」
「はい?」
「あの・・・、桐谷くんは、優しくて真面目で冷静で、でも少年のような純粋さを持ってるよね」
「そうですか?自分ではあまり実感がありませんが」
「でも、時に、さっきみたいに意地悪だったり、こうして仔犬を可愛がるみたいなこと言って頭撫でてくれたり・・・何だか全然正反対で、あの・・・どっちが本当の桐谷くんなのかなって」
私が話し終えると、彼は特に表情を変えるでもなく、冷静にこう答えた。
「特に演技しているわけでもありませんので、どちらも本当の僕でしょうね」
「え?」
「え?って・・・、じゃあ、夏緒里さんはどちらの僕が好きなんですか?真面目で優しい僕?それとも・・・」
笑顔でそう尋ねたかと思うと、彼はゆっくりと私の耳元まで顔を近づけ、あの甘く色気のある声で、そっとこう囁いた。
「少し・・・鬼畜な僕?」
「き・・・き・・・」
「き?」
桐谷くんの声だけでもドキドキするのに、さらに凄いことを聞いてくる彼に、私は言葉にならない。
「き・・・ああ、鬼畜な僕の方が好きですか。では、今からそっちでいきましょう・・・ね?たくさん可愛がってあげますよ」
そう言って、にっこりと微笑む彼に、あの少年のような可愛らしさはまるでなかった。あるのは、私をドキドキさせる色気と、大きな威圧感だけであった。
「あ、あの・・・私、優しい方が、いいです!」
私が、必死でお願いすると、彼は私の言った通り、いつもの優しい桐谷くんに戻る。
「そうですか?それは、残念。もう一人の僕、結構気に入ってるんですけどね。あなたも、意外としっくり来てるみたいですし」
「あの、それって・・・やっぱりちゃんと使い分けできてるんじゃ・・・」
「え?なんの事ですか?ふふ、そんなことより、そんなに潤んだ瞳で見つめられたら、僕の我慢、続かないかもしれません」
「え!?」
にっこりと優しい桐谷くんは、再びダークな桐谷くんに変わる。
「少しだけ、味見してもいいですか?悪いようにはしませんので」
そう囁くと、そのままぺろっと私の耳を舐める。
「ひっ!」
予想通り、変な声が出る私。
「だ・・・だめ・・・」
私の弱々しい声に、くすっ、と微笑する彼の唇が、そのまま私の首筋を吸い上げる。
「・・・はぁっ・・・だ、から・・・」
「くすっ・・・だから?」
「だから・・・味見なんてだめ!!」
私は、思いきり彼の胸を押し返した。
それでも離れようとしない彼。
「夏緒里さん・・・ひどい。僕には抵抗なんてしないって言ったじゃないですか。これ、思いきり抵抗ですよね?」
彼は、私の腕を指差しながら私に問いかける。
「だって、味見、なんて言うから・・・」
「あ!もしかして・・・味見じゃなく、完食、ならいいんですか?それを早く言ってください」
「・・・う・・・ん・・・」
「・・・え?・・・」
意気揚々と私に迫る彼だったが、私が頷いたことにより、急に恥ずかしくなったようで、再び私に背を向ける。
「ああ、すみません!僕、本当にどうかしてしまったみたいです。もう変なことはしませんから、僕の事、嫌いにならないでください」
「ふふ、やっぱり桐谷くんって、可愛い!」
形勢逆転。
やはり、桐谷くんは可愛い。
久しぶりの彼との楽しい時間。
桐谷くんと、こうしてじゃれあうひとときは心地よく、私をゆっくりと京也さんから引き戻してくれるかのようだった。




