~第63章 一之瀬の過去~
ふたりの呼び名に、ドキドキは治まるどころか、さらにひどくなる一方で、彼の手をぎゅっと握りしめた。そして、そのまま現代版で言うところのウィンドウショッピングを楽しんだ。
彼が店に入ると、店内にいる女性はみな彼に釘付けとなる。そんなかっこいい彼の隣に並ぶ私の平凡さに周りは呆れるのかと思いきや、彼女たちは彼にしか興味が無いようで、私のことなど全く気にも止めていなかった。それだけの視線を浴びているにも関わらず、彼は彼女らに一切興味を示さず、私のことしか見ていなかった。
「あ、京也さん、これ綺麗ですね」
とある、アクセサリーショップに入った時のこと。
私は、ひとつの髪飾りに心惹かれ、そう言った。
周りには、かんざしなんかの和風なアクセサリーが並んでいる。その中で私の目を引いたのは、小さな櫛に和紙で作ったピンク色のお花と、キラキラと光る硝子玉が揺れる様に配されたものだった。
「本当だ。君の綺麗な髪によく似合いそうだ」
そう言って、彼は私の髪にそっと触れると、その髪飾りを購入し、私につけてくれた。
「可愛いよ。夏緒里」
「あ、ありがとうございます!」
何だか買わせてしまったみたいで申し訳ない。
私はその気持ちと恥ずかしさが入り交じった。
それを見ていた周りの女性たちは、彼の言動に惚れ惚れとした溜め息を漏らすのだった。
「少しお茶でもしようか?」
「はい」
だいぶ歩き回った私たちは、広い日本庭園を訪れていた。
色とりどりの鯉たちが悠々と泳ぐ池、その上に架かる石橋、築山に、季節感のある草木・・・。
その日本文化の極みともいえる風情ある景色を眺めていると、私の心は次第に静けさを取り戻していった。
そして、その園内に設けられた畳張りの広間にていただく抹茶。ほろ苦い中に感じる、ほのかな甘さ。
まるで大人の恋のようなその味わいに、私はいま部長とこうして過ごしている、この時刻を重ねた。
「こうしていると、本当に気持ちが落ち着くね。現実だと忘れてしまいそうだ」
部長は、のんびりとくつろいだ様子で、私に話しかける。
「本当に。昔の人は、上手な癒やされ方を知っていたんですね」
「ふふ、そうだね。技術は、現代の方が進んでいるというのに、癒やされるどころか疲れが溜まる一方だよ」
そうして、彼は少し遠くを見つめると、ふと、彼自身のことを話し始めた。
「僕の母はね、華道の先生。だから、こういう日本的な場所は思い出深い。僕も幼い頃は、よくお花の手伝いをさせられたよ」
昔を懐かしむかのように、ふっと表情が柔らかくなる彼。
「母は、忙しい中でも、大好きな花と同じくらい僕を愛し、育ててくれた。でも・・・父は、仕事が忙しく、ほとんど家にいなかった・・・外交官という仕事柄、仕方のないことだけど・・・やっぱり寂しかったなあ・・・」
そう、話し終えた彼は、あの寂しそうな表情を浮かべたまま微笑んだ。
部長も桐谷くんも、小さい頃の寂しい思い出がある。だから、ふたりはこんなにも寂しそうに笑うのだろうか。私の過ごしてきた環境とは全く違う、ふたりの幼少期。聞いているだけで、切なくなった。
「お父さんもきっと寂しかったんじゃないでしょうか・・・それでも可愛い息子の幸せを、ずっと遠くから願っていたと思います」
「・・・葉月さん・・・」
私を見つめる部長の瞳には、うっすらと涙が滲んでいるように見えた。私は、またなにか悪いことを言ってしまったのかと謝ろうとした時、すぐに笑顔を作り直した彼は、こう言った。
「自分から言い出したのに、思わず葉月さんと呼んでしまったよ、ふふ。僕は・・・いま君とこうして一緒に居られる。そのことだけでも充分幸せ。父の願いが、届いた証拠だね」
「はい」
私は、その言葉に嬉しくなり、彼と一緒に微笑んだ。彼の寂しさが少しでも軽くなればいい。私は、彼の大好きなこの場所で、心からそう願うのだった。




