~第62章 恋人の呼び名~
車を降り、道路を渡る。
少し古さを感じる街並み。
いくつもの小さな脇道。
そのうちのひとつに彼は入って行く。
先程伸ばされた手は、未だ繋いだまま。
このまま部長と手を繋いでいては、私はいつまでもこのドキドキからは解放されない。
「あ、あの・・・」
そう伝えようとした私の言葉は、彼の言葉に重なり遮られる。
「さあ、着いたよ」
そう言ってにっこりと微笑む彼に、私は辺りを見回した。
「わぁ・・・」
私の目の前には、先程の古さとはまた違った、白壁に瓦屋根のお店が建ち並ぶ、まさに城下町というような街並みが広がっていた。
時を越えたような感覚にさせてくれるその場所は、私の心をなぜだかとても落ち着かせてくれる。
「ふふ、気に入ってくれたかな?」
部長の言葉に私は、一気に現実へと戻った。
あ、そうだった。私、手・・・。
「はい。何だか気持ちの落ち着く、凄く素敵な所ですね」
「良かった。僕はね、こんな顔してるけど、意外とこういう日本的なところが好きなんだ。母の影響かな」
そう言って彼は、少し寂しそうに笑った。
「こんな顔って・・・これだけ綺麗なんですし、部長のお母さんも美人なんでしょうねぇ。羨ましいな」
でも、どうして寂しそうなんだろう・・・。
気にはなるが、他人には話したくないことかもしれない。そう思うと、深く聞くことはできなかった。
「ところで、葉月さん」
「は、はい!すみません!」
ふいに彼に呼び掛けられた私は、あまりの驚きに咄嗟に謝った。
「ふふ、何謝ってるの?」
そう言って優しく微笑んだ彼は、繋いでいる私の手を唇へと運び、軽く指先にキスをする。
それは、部長と手を繋いでいることを再び私に思い出させた。
「あ、あの・・・あのですね、部長・・・」
「あ、また言ったね、葉月さん」
「え?」
いざ伝えようとするとなかなか言いにくいもので、言い渋っていると、部長は、私が何か言ったという。
「あの・・・私、何かいけないこと言いました?」
「ふふ、なんだと思う?」
私は、上司にどんな失礼なことを言ってしまったのかと、焦り始めた。
そんな私に対し、微かに微笑む余裕のある彼。
「えっと・・・すみません・・・わかりません」
いくら考えても全くわからない。
私は、頭を下げて謝った。
「ああ、そんなに謝ることじゃないから大丈夫。ごめんね、意地悪言って。ただ、君が部長と呼ぶのが気になってね」
部長に部長と言って、何か間違っているのだろうか。私は益々理解できずに、ぐるぐると頭の中で色々なことを考え出す。すると、彼はにっこりと微笑み、私にこう提案した。
「今日は、恋人同士だからね。僕のことは、京也さんでいいよ。ね?・・・夏緒里」
私は一瞬何を言われたのかわからず、頭が真っ白になる。
「あれ?どうかした?夏緒里・・・。京也さん、って言ってごらん・・・」
そうして、私の顔を覗き込む彼は、その綺麗な顔に変わらず余裕のある笑みを浮かべている。
私は、恥ずかしさで一杯で、まともに彼の顔を直視できない。
「・・・京・・・也さん・・・」
「うん、上手に言えたね。新婚みたいだ」
やっとのことで呼んだ彼の名前。
だが、その返事までもが顔が熱くなるもので、私は手を繋いでいることなんて綺麗に忘れ去っていたのである。




