~第59章 あなたの幸せを、一番に願っているよ~
部長との電話が終わり、私は桐谷くんに電話をかけた。
「あ、もしもし、桐谷くん?」
「はい。夏緒里さん、少しお待ちいただけますか?」
「あ・・・うん・・・」
事務的な口調で電話に出た彼の問いかけに、私はただ頷いた。
「すみません、お待たせしました」
「あ、えっと、今大丈夫?」
私は、いまだ口調を変えない彼に、少したじろぎながら尋ねる。
「ええ。通話可能な場所に移動しましたので、大丈夫です。どうなさいましたか?」
「あ、ごめんね。忙しいのに・・・。あのね、実は、さっき部長から電話がかかってきて・・・それをとってしまって・・・」
私が勇気を出して説明すると、彼は冷静に、それで?と聞き返した。
「それで、あの・・・対等じゃなきゃいけないのに、勝手なことしてごめんなさい」
私がそう謝ると、彼は軽く溜め息をつき、こう答える。
「そんなことは、想定の範囲内ですよ」
「え?」
「だから謝る必要なんてありません」
相変わらずの事務的口調で、彼はそう答えた後、急にいつものような優しい桐谷くんに戻り、こう続けた。
「それに・・・今こうして僕と会話している。それで相殺された、と思いますよ」
「・・・桐谷くん・・・」
怒られると思っていた私は、彼の優しさに胸が一杯になる。
「それにしても、あなたって人は本当に素直な人ですね。そんなこと、黙っていればわからないのに・・・ふふ」
「だって・・・」
「黙っていると胸が痛みます?そういうところが、あなたの愛すべきところですけどね、ふふ」
優しく笑う彼の声に私はより一層安心する。
「桐谷くんって、すごいね」
「え?何がですか?」
私の脈絡のない言葉に、彼は不思議そうな声で聞き返した。
「電話なのに、まるで桐谷くんに頭を撫でてもらったみたいに安心する。ありがとう」
私は電話し始めた頃と比べると、格段に穏やかになった気持ちを彼に伝えた。
「年下なのに・・・ですか?」
「え?」
「ふふ、年下だけど、あなたの不安を取り除いてあげることはできますよ。まあ、一之瀬さんみたいな完璧な大人の余裕はありませんけどね」
彼は、そう言って少し寂しそうに笑った。
桐谷くんのその声に、私は彼の表情を思い浮かべると胸が痛んだ。
「私から見れば、桐谷くんだってずっと大人だよ。一之瀬部長のこと完璧だと言うけど、それは桐谷くんも同じ。いつも冷静で、目標に向かって努力して、私のこといつも大切にしてくれる。本当にすごいと思うよ」
私は、桐谷くんへの気持ちを思いきり吐き出した。
彼を勇気付けたいからだけじゃない。
桐谷くんの良いところは沢山あるんだってこと、誰にも負けないすごい人なんだってことを伝えたかった。そして、私の思いを。
「夏緒里さん・・・」
すると、彼は少し沈黙したのち、ぼそっと私の名を呟いた。
「僕・・・早く夏緒里さんに会いたいです。そして、この手であなたを抱きしめたい・・・」
その声は、とても切ない、今にも泣き出しそうな苦しさを押し殺した声だった。
「桐谷くん・・・」
「って、すみません。自分から会わないって言っておきながら・・・やっぱり、僕、夏緒里さんのことになると、冷静さを失ってしまうみたいです」
そう言って、ははっ、と微かに笑う彼を、私は強く抱きしめたいと思った。無理に笑顔を作ろうともがいている桐谷くんの姿が、目に浮かんだ。
「桐谷くん・・・、いつもつらい思いさせてごめん。私、きちんと考えるね。だから、答えが出たら、私の思いを聞いてくれるかな?」
私がもし、彼ではなく一之瀬部長を選んだとしたら、それを聞くのは今以上につらいことだ。でも、桐谷くんにはちゃんと聞いてほしい。私が初めて好きになった人だから。そして、初めて私を心から愛してくれた人だから。
「・・・はい、もちろんです。あなたがどちらを選ぼうと、必ずあなたの気持ち、最後まで聞きますね」
「桐谷くん・・・ありがとう」
私は、そうして電話を終えた。
桐谷くんは、強い。
もし、逆の立場なら私はもう立ち直れないかもしれない。桐谷くんが、他の人を好き。そう、考えただけで胸が苦しくなった。
こんなわがままな私・・・嫌いだ。
「今の・・・夏緒里さん?」
僕が席に戻ると、向かいに座る春樹が聞いた。
週末の図書館。
学校は休みだが、ここは今日も開館している。
ただひとつ、いつもの賑やかな日常とは違い、学内は静けさに満ちていた。
春の昼下がり、暖かく柔らかな光が射し込む室内。
その心地よい温かさの中、いつもなら隣にいるはずの彼女の温もりだけがなかった。
「うん・・・夏緒里さんだった」
僕は、失ったその温もりを思い出しながら、彼女の名前を春樹に告げる。
「えらく事務的だったが・・・大丈夫か?」
相変わらず僕のことを心配してくれる春樹。
「春樹は優しいね・・・。なんかね、冷たく話せば自分も冷静さを保てると思ったんだけど・・・ダメだった」
僕は、先程の彼女との電話を思い返し、無様な自分の姿に失笑する。
「桐谷・・・お前、本当に待ってるつもりなのか?自分の彼女を他の男、しかも彼女のことを好きな男と会わせるなんて、考えただけでキツイだろ」
春樹は、そう言うと苦しそうな顔で僕を見た。
僕は、ただ静かに春樹を見つめた。
「桐谷、ごめん・・・口出しして。だが、俺は・・・これ以上、お前のつらそうな姿見てるの嫌なんだ。お前がつらい時に何もしてやれない自分が、嫌で嫌で仕方ない」
そう言うと春樹は、珍しく俯いた。
まるで僕の為に泣いているかのように、体を震わせながら・・・こんなどうしようもない僕の為に・・・。
「僕はね、春樹。彼女のこと信じてるんだ。それに、一之瀬さんのこともね」
「・・・え?」
僕の言葉に、春樹は驚き、僕を見た。
「だから、僕の信じるふたりが幸せになったとしても、僕は怒ったりなんてしない。彼女が僕の所へ戻ってこないことは、悲しくて、苦しくて、仕方がないだろうけど、僕は彼女との約束を守るよ。彼女が病気になった時に、彼女を治すことのできる医師にね」
そう春樹に話した僕の心は穏やかだった。
なんの波風も立たない広い広い海辺で、ただひとりその静寂を抱きしめるかのように。
「桐谷・・・」
「今はね、そういう時期なんだよ。だから、大丈夫。それに、春樹はこうしていつも僕のそばに居てくれるじゃない。それだけで僕はいつも救われてるよ。・・・心配かけて、ごめんね・・・。さ、勉強の続き、しよう」
そう言って僕は、落ち込んでいる春樹に微笑んだ。
「桐谷・・・お前、本当に強いよ。尊敬する。なんか、俺の方が励まされてるし・・・桐谷、ありがとう」
そうして春樹も微笑んだ。
大丈夫。
僕には、こんなにも僕を大切に思ってくれる親友がいる。人を信じることができなかった僕が、今こうして信じることができている。この気持ちを僕に教えてくれた人たちに出会うことができて、僕は本当に幸せだ。
だから、僕はね、夏緒里さん。
この気持ちを教えてくれたあなたの幸せを、一番に願っているよ。




