~第53章 ふたりの彼に惑わされ~
夕方、仕事を終えた私は、すぐさま私服に着替えると、連絡先を書き写したページをメモ帳から切り離し、そそくさと帰宅した。誰にも邪魔されない場所でメールをしたかった。
そして、無事誰にも悟られずに帰宅した私は、早速、部長宛にメールを作成し始める。
・・・でも、なんて書いたらいいんだろ・・・もし、プライベートじゃなくて会社の携帯だったら?
そんなことを考えながら、やっと打ち終わったメールが、これだ。
(一之瀬部長、お疲れ様です。
今朝は、どうもありがとうございました。
早速ですが、教えていただいたアドレス宛にメールさせていただきました。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
葉月 夏緒里)
それに、自分の電話番号も追記して送信した。
事務的すぎたかな・・・、返事くるかな・・・、まるで初めて彼氏ができた少女のような緊張感で、何をするでもなく返事を待っていた。
すると、私の気持ちが伝わったのか、すぐさま返信がきたのである。恐る恐る、開いてみるとそこには、私の胸の高鳴りがより一層増してしまうような内容が書かれていた。
(葉月さん、早速メール、そして良い返事をありがとう。今朝は、会社のパソコンで、私的なメールをやり取りするのは、好ましくないと思い、僕の携帯電話の連絡先を書きました。
と、言えば格好はつくだろうけど、実際は、ただ君とプライベートで連絡したかっただけ。
だから、こうしてメールができること、とても嬉しく思っているよ。
そして、あの話、きちんと彼に話せたんだね。良かった。これで、邪魔が入らずに君と会うことができる。葉月さん、勇気を出して話してくれてありがとう。それで、デートの日にちだけど、僕が日本を発つ一週間前の、5月8日(土)でも大丈夫かな?
それから、ご覧の通り、このアドレスは僕のプライベートなアドレスだから、身構えなくても平気だよ。気軽にメールしてね。
一之瀬 京也)
本当に、プライベートなアドレスなんだ。
そのことが嬉しくて、私は興奮を抑えようと、しばらく近くにあったクッションに顔をうずめた。
「プライベートで連絡したかっただけ・・・って・・・嬉しくて・・・どうしよう」
まだまだ、気持ちの高ぶりは治まらない私だったが、早く返信しなければと、体を起こす。
(まさかプライベートな連絡先だとは知らずに、事務的なメールをすみません。こんな私に教えていただけるとは、思ってもみなかったもので・・・。だから、凄く嬉しいです。5月8日、大丈夫です。楽しみにしています。
葉月 夏緒里)
(僕がこのアドレスを教えたくなるのは、君だけだよ。嬉しいと思ってもらえて、僕は幸せだ。5月8日、僕も楽しみにしているよ。時間はまた、来月にでも決めようね。じゃあ、大好きな葉月さん、またメールするよ。
一之瀬 京也 )
そのメールに、私もまたメールします。と送った。
かっこよくて、仕事もできて、優しくて、いつも大好きだと言ってくれる部長。
メールをやりとりしただけなのに、まるでそばにいるような感覚をおぼえながら、私はその幸せな余韻に浸っていた。
頭も心も部長のことだけで埋め尽くされていた。
その時、再び携帯電話の着信音が鳴り、私の体はビクッと跳ね返る。
見ると、桐谷くんからの電話だった。
もしかして監視されてるのかも、とさえ思えるこの絶妙なタイミング。私は、またも恐る恐る、電話に出る。
「も、もしもし・・・」
「あ、夏緒里さん、お疲れ様です。今、お時間大丈夫ですか?」
「あ、うん。大丈夫だよ。どうしたの?電話なんて、珍しいね」
いつなんどきでも、きちんと挨拶をするその姿勢は、彼の育ちの良さを改めて感じさせる。
「ええ。あの、一之瀬さんとの日程、決まった頃かなと思いまして」
「えっ?」
本当に監視されているのではと思える質問に、私は慌てて辺りを見回す。
「決まっていたら、僕にも教えていただきたいんですが」
そう言う彼の、表情が見えないだけに、私は戸惑う。
「あ、えっと、5月8日になったよ。時間はまだ決まってない」
嘘を教えても仕方ない、と、私は正直に彼に話した。
「そうですか、ありがとうございます。行ってもいいとは言ったものの、やはり最愛の人が奪われるのではないかと気になってしまって・・・」
少し沈黙する彼の表情は、電話越しでも私に伝わるかのようだった。あの寂しげな瞳で、遠くを見つめているのだろう。そんな彼を思い描いた私は、咄嗟に彼の名前を呼んだ。
「桐谷くん・・・」
と、彼は私の言葉を遮り、微かに笑いながら、こう言った。
「大丈夫。ふたりの邪魔はしませんから。すみません、なんか変なこと言って。5月8日、晴れるといいですね。・・・では、また・・・」
「うん。ありがとう、桐谷くん」
そう言って電話を切ろうとした時、彼の、待って
という声が聞こえた。
「うん?」
「あの・・・明日、会えますか?あ、えっと・・・もちろん、お仕事のあとでですが・・・あの、疲れていたりしたら、断っていただいて構いませんので・・・」
珍しく慌てる彼に、私は、会おうと答えた。
そう言わないと、彼が消えてしまいそうな気がした。
すると、彼の声色はたちまち明るくなり、こう言った。
「良かった・・・ありがとうございます。では、夏緒里さんのお仕事終わる頃に、また伺いますね」
「うん」
「今日は、夏緒里さんの声が聞けて、安心しました。では、また明日」
そうして、彼との電話を終えた私に先程の夢心地は消え去っていた。
あるのは、罪悪感と、桐谷くんへの謝罪の気持ちだけだった。




