~第42章 敵対心が変わるとき~
「桐谷・・・くん・・・」
ドアの前で呆然と立ち尽くす彼。
私は、また彼を傷つけた。そう思っていた時、部長は立ち上がり彼の方を振り返ると、こう言った。
「桐谷くん、あなたって人は、いつも僕の恋路の邪魔をしてくれるね」
その台詞に、カチンときた様子の彼は、すぐさま反論する。
「特に邪魔した覚えはありませんが、一之瀬さん」
お互いに、にっこりと微笑んではいるものの、異様な殺気を放っていて、私が入る隙もない。
「さて、今日は、僕の彼女に何をなさっていたんです?」
「何って、聞いたら立ち直れない、かもしれないよ?」
ふたりの会話。
やはり、部長の方が余裕があるのか、桐谷くんはまた悔しそうに唇を噛んだ。
「一之瀬さん、ここで立ち話もなんですから、ホールにでも行きましょうか」
「ああ、そうだね。君が泣く所、彼女には見せられないだろうからね」
「夏緒里さんは、少し休んでいてください」
「葉月さん、さっきの続きはまた今度。じゃあ、お大事に」
ふたりはそれぞれ笑顔で私にそう言い残して、部屋から出て行った。
「へぇ、ここがホールかあ。入院病棟にまであるなんて本当に綺麗な、いい病院だね」
「ええ。患者さんが少しでもリラックスできるようにと、各フロアにこのようなホールがあります」
一之瀬さんは、先程僕と敵対視していたのが嘘のように、落ち着いた様子で僕に話し掛けた。
この病院は高台にある為、近くの海や、遠くの景色まで見晴らせる。
ホールには、その風景がよく見渡せるように、壁一面を覆う大きな窓、その反対側には腰の高さ程の位置に植栽と植栽の間を縫って流れる小川を配してある。
その水のせせらぎを聞いていると、心なしか冷静さを保たせてくれるようだ。
「ところで、一之瀬さん。先程は、夏緒里さんのお見舞いにきていただいたというのに、失礼な発言をしてしまい申し訳ありません」
「それは、お互い様、だね。君が謝罪するなら僕も謝らないといけなくなる。ひどいこと言ってすまないね」
落ち着いた者同士、まさかの謝罪でのスタート。自分から言い出した割には、僕が一番驚いている。
「先程、彼女の左薬指のリングを見たよ。あれは、右手を負傷しているから左指にはめているんだろうが・・・君は、葉月さんに、プロポーズをしたのかい?」
彼は、窓の外の景色を見下ろしながら、静かに僕に問いかけた。
「いえ、まだですが」
「・・・そうか・・・」
僕の答えに、彼は一言だけ発すると、窓の外を見つめながら暫し沈黙する。
「僕と君は似ている。彼女もそれに気付いている。だから、彼女は僕の言動に抗えない。だが、こんな大きな病院の跡取りともなれば、やはり僕は君には、かなわないのかな」
彼は、そう言うと切なそうな顔でははっと笑った。
「どうして僕に、そんな話をなさるんです?」
「ん?どうしてだろうね・・・僕は、いい大学を出て、特に苦労することもなく本社の部長になったいわばエリートと呼ばれるものだ。だが、所詮しがないサラリーマンだよね。女性を幸せにするには、経済力があるに越したことはないだろう?」
「彼女は、そんなことで良し悪しを決める人間ではありませんよ」
「それは、僕にもわかっているよ。ただ・・・急に、自信を無くしたんだろうね・・・僕自身に」
自信に満ち溢れ、余裕のある完璧な大人の男だと思っていた一之瀬さんは、ライバルであろう僕にこんな弱音を吐いた。これが、僕を彼女から退かせる為の策だとするには、あまりにも切なすぎる瞳をしている。
「僕は、彼女が退院したらプロポーズをするつもりです。ただ・・・おそらく彼女の中には、あなたのことを好きだという気持ちもあると思います」
「・・・僕のことを?」
いつも僕より上をいく一之瀬さんが、自信を無くしている姿が、なぜだか腹立たしくなった僕は、思わず本音を言った。案の定、驚く彼に僕は、さらに本音を重ねる。
「それでも、僕は彼女に伝える決意をしました。一之瀬さんは、夏緒里さんのこと、その程度のことで諦めるんですか?」
僕は、なぜこの人に彼女を諦めないようにと、促しているのだろう。
夏緒里さんを好きだという人間が少ない方が、僕にとって有利なはずなのに。
この気持ちは一体何なんだろう。
今までになかった感情。
「ふふ・・・桐谷くん、君って意外と男気があるんだね。ライバルは減った方が有利だというのに。相手を思いやる心、それに出世欲・・・か。おかげで彼女を諦めずに済みそうだ」
「相手を思いやる心?出世・・・欲・・・」
途端に、笑顔に戻った一之瀬さんの言葉に、僕はそう呟いた。
「僕のこと、心配してるってこと。それに、ライバルが落ち込んでいると張り合いがない、そういうのを本当の出世欲っていうんじゃないのかな。卑怯な手段は使わないタイプだよね」
僕のわからない気持ちを全て説明仕切った彼。
言われてやっと理解できた自分の気持ち。
「僕は・・・あなたに言われてやっと自分の気持ちが理解できるような人間です。あなたが自信を無くすのなら、こんな僕はもう立ち直れない」
僕は、急に自分に自信が無くなり、そんなことを言う。
すると、彼は優しく微笑み、こう言った。
「わかったならいいじゃない。それに、僕たちライバルなのに、お互い誉め合ってたんじゃ仕方ないな」
「・・・ふふ、本当に。僕たち、確かに似ているのかもしれません。夏緒里さんは、こんな僕たちのどちらを選ぶんでしょうね」
「ああ。そうだね」
僕の大切な人を奪う人間は、僕にとって必要ではないと思っていた。
その必要でない人間に、僕は励まされ、新しい感情を理解した。
初めてできたライバル。
でも、自分と似ているライバル。
ライバルは、少なければ少ない程良い。それは正論。
だが、必要でない人間なんて、この世には存在しない。
それが、わかっただけでも僕は成長し、一歩大人の男に近づいた気がする。
ライバルだけれども、いつの間にか、尊敬できる存在になっていた、一之瀬さんに。




