~第37章 手の温もり~
春。
桜、菜の花、たんぽぽ・・・色とりどりの美しい花々が咲き乱れ、ぽかぽかと暖かい。
聞こえてくるのは、小鳥のさえずり、木々のそよぐ音。
そして・・・愛しい人の優しい声・・・。
「夏緒里さん・・・僕と・・・」
彼との何気ない会話。
でもその言葉の最後を、春風が邪魔をする。
まるで天から舞い降りる雪のように、ひらりとひらりと舞い散る桜の花びら。
その花びらが彼の姿を掻き消しても、繋いだ手の温もりだけは消されることなく、私の手の中に残っていた。
「桐谷・・・くん・・・」
「夏緒里!?」
「あ・・・秋紀・・・」
「夏緒里ぃ!良かったぁ目が覚めて!!」
そう言って、秋紀は、私の体をぎゅっと抱きしめる。
「あの・・・私・・・」
目を覚ましたばかりの私は、状況をうまくのみこめずに辺りを見まわした。
白い天井、白い壁、白いカーテン。それに、微かに鼻につく消毒薬の臭い。
「ここは、学園都市の病院。あんた、オフィスで倒れて、救急車で運ばれたんだから」
「・・・救急車?」
「そう。ほんとびっくりした。貧血と、軽い栄養失調だって。疲れが溜まっているみたいだし2、3日入院したらどうかって」
「入院・・・」
秋紀の説明に、私は未だにすっきりしない頭で、彼女の言葉を反復した。
ふと自分の左手に目をやると、点滴が打ってある。そして、そんな私の手を秋紀は握っていた。
「あ・・・もしかして、秋紀、ずっと手を握ってくれてた?」
「うん。私のせいで、あんたが倒れたのかもって・・・ほんとごめんね・・・」
秋紀は、頭を下げて申し訳なさそうに謝った。
「ううん、秋紀のせいじゃないよ。・・・私、眠っている間に夢を見た。ぽかぽかと暖かいところで、桜が綺麗だった。桐谷くんが、何か私に言ってたけど、最後まで聞こえなくて・・・。でも、桐谷くんが握ってくれてた手のひらはずっと温かくて、心地よかった・・・でも、本当は秋紀が、握ってくれてたんだね。ありがとう」
私は、優しく微笑んだ。
「夏緒里・・・ほんとごめんね。許してくれて、ありがとう。でも・・・桐谷くんじゃなくて残念だったよね、ごめん」
秋紀は、柔らかい微笑みを浮かべた後、そう言っていたずらっぽく笑った。
「もう、そんなことないって。秋紀が居てくれて嬉しい」
「ほんとかなぁ、ふふふ」
なんだか、久しぶりに穏やかな気持ちで秋紀と話す。昔はこれが当たり前だったのに・・・
そんなことをのんびりと考えていた時、私は大変なことに気がついた。
「あ・・・!!」
そう叫び、寝ていたベッドから起き上がろうと右手をつく。
「っっっ!!!」
と、突然、私の右手に鈍い痛みが走った。
「夏緒里!大丈夫!?右手首ね、倒れた時に捻挫したんだろうって。でも軽い怪我だからすぐに良くなるって。言い忘れてた・・・ごめん・・・」
「秋紀!!私、パソコン!!」
私は、秋紀の説明も良く聞かないまま、そう叫んだ。
すると、秋紀は私の背中を優しくさすりながらこう答える。
「大丈夫。ちゃんと閉じておいたから」
「あ・・・良かった・・・」
私は、その言葉にほっと胸をなで下ろした。
その様子を秋紀は、じっと見つめていた。
「そうそう、夏緒里のこと診てくれたのが偶然、桐谷くんのお父さんだったよ。桐谷くんには連絡しとくって言ってたからじきに来ると思う」
「え・・・」
「入院するなら、私、着替えとか持ってこようか?」
「あ・・・うん・・・」
私がそう答えた時、誰かが走ってこちらへ向かってくるような足音が聞こえてきた。
「ほら、噂をすれば、じゃない?」
秋紀は、ニヤニヤと笑いながら丸椅子から立ち上がると、じゃあまたね、とウインクをして病室から出て行った。




