~第35章 嫉妬、恐怖、そして脆弱な心~
「自分が悪いのに大泣きしてごめん。本当は桐谷くんのほうが大泣き・・・だよね」
「そうですよ。大泣きです。」
少し落ち着いた私たちは広場のベンチに腰掛け、いつものように話し出した。
「夏緒里さんって、本当に男泣かせですね。だいたい僕が、嫌い、だなんて言えるわけないじゃないですか」
少し拗ねた口調で話す彼の横顔を見ながら、私はやっぱり桐谷くんが大好きだと確信する。
ベージュのズボンに、Tシャツの上から黒のジャケットをラフに着こなしたおしゃれな彼。
桐谷くん、改めて見てもほんとに綺麗でかっこいいよ・・・優しくて、頑張りやさんで、頭も良くて、その上、可愛らしさもあって、色っぽい面もあって・・・こんな完璧な人が、何でこんなに何のとりえもない私のこと好きでいてくれるんだろう。
久しぶりに見る彼に、愛おしさが止まらないでいると、ふいに彼と目があった。
「っっ!!!」
「何ですか?僕の顔に何かついてます?」
「あ、いや・・・あの・・・好きだなぁ・・・と思って・・・」
私は、恥ずかしくも素直にそう答えた。
「僕もです」
いつもなら、ちょっとからかったりしてくるのに、今日は、あっさり。
当たり前か・・・こんな時、だもんね。私が、どうかしてるんだ。
「とにかく、今回の件は、僕を思うが故の行動だったとみなします。それから、先程、お酒をどうとかと言っていましたね。先日、あれほど危険だと警告したにも関わらず、ですからね」
「う・・・すみません・・・」
桐谷くんの的を射た言葉が、私の胸にグサグサと突き刺さる。
「どうなるか身を持ってわかって良かったですね。・・・本当にあなたって人は、人を疑うことを知らないんですから」
そう言うと彼は、しゅんとして下を向いた私の頭を優しく撫でてくれる。
恐る恐る彼を見ると、その顔は先程までの厳しい表情とは違い、優しく微笑んでいた。
「あ・・・桐谷くん・・・ごめんなさい」
私は、その笑顔に、尻尾を振って懐く愛犬のように彼の胸に顔をうずめた。
温かくて優しい彼の懐に抱かれ、私はその幸せな時刻に身を委ねた。
しかし、その幸せな時間を、彼はすぐに解いた。そして、急に真面目な顔になり、こう尋ねる。
「それより、夏緒里さん。抱きしめた時に、あの人に何かされませんでしたか?」
「え?何かって?」
「どこか触られたりしませんでしたか?」
「触られるとか、そんなことは・・・あ、そういえば・・・」
私は、桐谷くんが現れる直前のことを思い出し、こう答えた。
「唇を・・・触られた」
「くちびる・・・ですか?」
私の答えを聞いた瞬間、急に彼の目つきが鋭くなる。
「は、はい」
そんな彼を見て、たじろぐ私。
「見せてください」
「え?何言って・・・」
桐谷くんの殺気立ったオーラに、私は慌ててベンチから立ち上がった。
そんな私に、じりじりと迫る桐谷くん。
そしてとうとう、私はそのまま壁際に追い込まれてしまった。
「あ・・・あの・・・」
ドンッ!!!!!
と、彼は突然その壁に向かって、ドンと音がする程に、両手をついた。
彼の両腕に私の視界は遮られ、彼だけしか見えないように。
そして、彼はその片方の手で私の顎を捉えると、そのまま私に口付けた。
「んんっ!!!」
この前の優しい口付けとは違う、力強く長い長いキス。
「っん、桐谷・・・く・・・・・・っはぁ」
その口付けに、やっと解放された私は、肩で大きく呼吸をした。
「はぁ・・・桐谷くん・・・急に・・・どうしたの?」
「どうしたも何も、消毒、ですよ」
彼は、息を切らすことなく、にっこりと微笑んだ。
「消毒?」
「はい。あと、魔除けかな・・・もう二度と他の男に触られないように、ね」
そう言うと、彼は再びにっこりと微笑んだ。
そして、私が一番気にかけていたことを話し出した。
「僕がホワイトデーの日、何で一緒に帰らなかったかわかります?」
「え?」
「あのまま一緒に居たら・・・こんな風に力づくで、あなたの体を奪ってしまいそうだったからですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ええっ!!!???」
私は、彼の言ったことをやっと理解し、広場に響き渡る程の驚愕の声を上げた。
「ふふ、そんなに驚くことでもないでしょ?僕達、付き合っているんだし」
驚いて固まる私に、彼は再びにっこりと微笑みかける。
「それは・・・そうだけど・・・」
「それとも・・・僕よりも、あの人がいいですか?」
彼に先程まで浮かべていた微笑みは消え、途端にあの寂しげな瞳で私を見つめる。
「そんなわけない。桐谷くんじゃなきゃ嫌だよ・・・」
私は、そう言うと彼の手のひらをぎゅっと握った。
「それは、本当の気持ち。だけど、まさか桐谷くんが私のことそんな風に思ってて、その上、力づくでだなんて言葉まで出てくるなんて、なんだか・・・その・・・びっくりして・・・」
驚きと羞恥、そして微かな恐怖で私の胸は高鳴り、俯いた。
握った自分の手が、汗ばんでいくのがわかる。
「・・・・・・夏緒里さん・・・。ごめんなさい。僕・・・本当に変になったのかもしれません・・・。怖がらせるつもりは、ないんです・・・」
「うん・・・」
「ただ、素直な気持ち・・・伝えないと、あなたがどんどん僕の知らない所に行ってしまいそうで・・・怖いんです」
そう言う彼の声は、明らかに震えていた。
握った手に力を込め、必死に涙を堪えているかのように。
「桐谷くん・・・ごめんね。あなたの知らない所でこんなことになって、私のこと信じられなくなって当たり前だよね・・・もう、こんなことにはならないから・・・あなたを置いて行ったりなんてしないから・・・本当にごめんなさい」
その瞬間、彼は私をぎゅっと抱きしめ、泣きながらこう言った。
「ごめん・・・こんな弱い僕で・・・ごめん・・・」
必死に声を殺して泣くその姿は、先程までの力強い彼とはまるで別人だった。
出会った頃の様な、寂し気ですぐに脆く崩れ落ちてしまいそうな儚さに満ちていた。
彼の抱える幼い頃の記憶。
それは、状況が変わった今でさえも、忘れることのできない悲しい記憶なのだろう。
それを呼び起こす私は、本当に最低だ!
彼の心に寄り添い、温かく包み込んであげられる、そんな人間になりたいと、私は切に願うのであった。




