~第30章 幸せなのに~
「3月とはいえ、まだ夜は冷え込みます」
ホテルのエントランスから外に出ると、彼はそう言って私の肩にふわっと温かなものを羽織らせてくれた。
それは、薄いピンク色から薄い藤色に変わるグラデーションのストールだった。
よく見ると先の方に小さな桜の花びらがあしらわれている。
「バレンタインデーのお礼です。今日は、ありがとうございました。おやすみなさい」
そう言うと彼は、にっこりと微笑んだ。
そして、エントランス前に停車しているタクシーに私を乗せると、運転手に行き先を告げ、ドアを閉めた。
「あ・・・」
あっという間の出来事についていけない私に、彼は優しい笑顔で手を振った。
行き先は、私の自宅マンション。支払いをしようと財布を開けると、運転手は、いりませんと言った。どうやら、彼が行き先を告げた時にお代を渡したらしい。
「はぁ~・・・なんか色々あった・・・」
帰宅した私は、溜め息混じりにベッドに横になる。
冬真・・・って呼んで・・・
そんな私に突如、彼に囁かれた台詞が蘇る。
「冬真・・・」
呼んでみたものの、いざ彼を目の前にしたら言えない気がする。だって・・・今日のこと思い出すし・・・今日のことって色々あるけど、やっぱり・・・
「桐谷くんと・・・キス・・・しちゃった・・・・・・しかも唇に!!あぁどうしよう!!そんなことならお酒なんか飲まなきゃよかった!!ていうかそんなに飲めないし沢山飲んでないのに酔っ払うし・・・・・・はぁ・・・桐谷くん・・・格好良すぎ。好き好き、大好き・・・」
私は、キスのことを思い出し、一気にテンションが上がった。
でも・・・
「どうして、一緒に帰らなかったの?桐谷くん・・・」
いつも一緒に帰ってくれる。それなのにどうして今日は・・・。
時間が遅いから?
私が酔っ払いだから?
キスしてみたけど、何か違ったとか?
そんなことを考えていると、今度は一気にテンションが下がった。
時計は、とっくに夜中の0時をまわっている。
「もう・・・寝よう・・・」
そう呟いて、私は目を閉じた。
うっすらと滲んだ涙が、冷たかった。




