~第12章 愛惜~
約1ヶ月ぶりのこの店。
学園都市駅前にある、イタリアンレストラン。
秋紀に初めて連れてきてもらい、桐谷くんとまさかの再開を果たした場所。
そして・・・その桐谷くんと付き合うことになった場所。
「でね、その人がねぇ・・・」
「ふふ、秋紀ったらそれ面白い」
私たちは少しお酒も入り、たわいのない話で盛り上がっていた。
「しかし夏緒里ぃ。吹っ切れたとか言う割には、それまだしてるんだ?」
そう言って、秋紀は私の襟元を指差す。
「あ、うん。この色がすごく好きなんだ。それになんだか、不思議と前向きな気持ちになれる気がして」
私は、彼がくれたネックレスに触れながら話す。
「へぇ。もしかしたら、その石に何か彼からの強いメッセージが込められてたりして」
秋紀は、近づいてまじまじと見つめる。
「いつも想ってるって・・・今でも、想ってくれてるのかな・・・」
私は、ネックレスをつけてくれた時のことを思い出し、少し切なくなった。
その時、店員が私たちに声をかけた。
「あの、お客様すみません。只今満席でして、もしよろしければ、相席をお願いできますでしょうか?」
4人掛けの席にいた私たち。さほど狭いわけでもないので、軽い気持ちで承諾する。
そしてそのまま、白衣を着た2人の男性が、私たちのテーブルに案内された。
案内されるやいなや、秋紀の隣に座った男性がこう口を開く。
「いやぁ、こんな美しいお姉さん方と一緒に食事ができるなんて、ほんと今日はラッキーだな。なぁ?桐谷?」
き・・・りたに?
私の隣に座った男性に向かって桐谷、と声をかける男性。
「桐谷、美味いもん食べて元気出せよな。今日は俺のおごりだぜ」
「春樹。僕は元気なんだから奢る必要なんてないよ」
聞き慣れた甘く優しい声。
そして、桐谷と呼ばれる男性。
私は恐る恐る、隣に座った男性を見た。
「っっっ!!!!!!!・・・・・・・・・・・き、き、き、桐谷くん!!」
綺麗な二重に形の良い唇。そして整った顔立ち。
それは、間違いなく私が思いを寄せる人物。桐谷冬真その人であった。
「え?桐谷くんって・・・桐谷、何?知り合い?」
春樹と呼ばれる彼の友人らしき人物は、私と彼を交互に見比べながらそう問いかけた。
すると、彼は途端に表情を曇らせ、こう答える。
「・・・うん・・・まあ、ね・・・」
その瞬間、私の中に何かモヤモヤしたものが湧き上がった。
それを言葉にしようと焦っていた時、突然秋紀が口を開く。
「まあねって、あなた夏緒里の彼氏でしょ!?夏緒里はずっと悩んでんのよ。どうなのかはっきりさせなさいよ!」
「彼氏・・・?え?桐谷、本当・・・か?」
友人らしき男性は驚き、彼に再び問いかけた。
しかし、彼は珍しく答えることもせずに、黙って俯いたままだ。
そんな彼を目の当たりにした私は、たまらず、こう叫んだ。
「桐谷くん!ちょっと来て!」
勢いでデッキに出た私。
そして、大人しくついてきた彼。
レストランは満席の割に、デッキには誰もいなかった。
私たちは、木でできた手すりの前まで来ると、そのまま海を眺めた。相変わらず、夜景だけがきらきらと輝いている。
「急にこんな所に呼び出してごめんね・・・。あの、単刀直入に聞くけど、私たち、もう付き合ってないんだよ・・・ね?」
私は、先程からずっとモヤモヤしていた気持ちを一気に吐き出した。
すると、彼は重い口を開き、ゆっくりとこう呟いた。
「・・・ええ、そうですよ・・・付き合ってはいません。それに・・・僕はもう、あなたに会いたくはなかった」
―――僕はいつもあなたのことを想っているから―――
初めて私の部屋を訪れた時、そう言ってくれた彼。
それだけで、もしかしたら、と希望がもてた。
でも、それは私の思い違いであったことが、今この場ではっきりとした。
これで本当におしまい。
「桐谷くん・・・。今まで本当にありがとう。短い間だったけど私は、あなたに出会えて、あなたと同じ時間を共有できて、本当に・・・本当に幸せだった。だから私は、今でもこれからも、ずっとあなたの幸せを祈ってるね。本当にいつも自分勝手でごめんなさい」
今までの思いが溢れ出した私は、俯く彼にそう伝えると、一礼した。
彼は、何も語ることなくただ静かに海を眺めている。
真冬のデッキはさすがに冷える。
私は今更ながら、彼に風邪をひかせては大変だと、室内に戻るよう促した。
「桐谷くん、寒い思いさせてごめんね。せっかくだから・・・最後は、みんなで笑って食事しよう?」
すると、彼はやっと返事をした。
「ええ・・・そうですね・・・」
そして、にっこりと笑った。
「じゃあ、行こう」
その笑顔に、いつもの彼に戻った、と安心した私はそう告げると、身を翻し、室内に戻ろうと足を進める。
と、その時。
「夏緒里さん!」
名前を呼ばれたかと思うと私は、突然手を掴まれた。
「っっっえ・・・?」
驚いた私は、彼の呼ぶ方を振り返る。
「夏緒里さん・・・待って・・・・・・行かない・・・で・・・・・・」
彼はそう言うと、私の手を握りしめたまま、目からはポロポロと大粒の涙を流した。
私は、一瞬驚いたが、涙を見せまいと俯いて泣く姿に、子どもを慰める母のような気持ちで彼をそっと抱きしめた。
珍しく冷たい彼の手。
身体も冷え切っていた。
「夏緒・・・里さん・・・僕は・・・本・・・当は・・・」
泣きながら必死に何かを伝えようとする彼。
「うん・・・うん」
彼の言葉に私は相槌を打ちながら、そのまま優しく背中をさする。
いつも凛として、自分を崩さない彼。そんな彼が初めて見せる涙。
何か相当なつらい思いがあったのだ、ということしか私にはわからなかった。
「夏緒里さん・・・ごめんなさい。また格好悪いところ見せてしまいましたね」
少し落ち着いた彼は、ははっと力無く笑い、私に謝る。
「ううん、格好悪くなんかない。悲しい時は涙が出てもおかしくないと思うよ」
私は、素直にそう思った。
「・・・ありがとう・・・こんな僕にも優しくしてくれて・・・」
彼は、少し寂しそうに微笑んだ。
ふと周りを見ると、ベンチの前にパラソル型のストーブが置いてある。よくヨーロッパのカフェなんかにある屋外用のものだ。
「桐谷くん、ベンチ座ろうか。少しあったまろ?」
私は、彼の手を握ったままベンチに向かった。
「ふふ、あったかいね。こんなものがあるなんて全然気づかなかった」
「ええ、本当に暖かいですね」
その優しい温もりに、彼も少し表情が和らぐ。
そして、彼の心も溶かされたかのように、彼は少しずつ自分の思いを語り始めた。
「夏緒里さん・・・僕は、あなたに言わなければならないこと、そして伝えたいことが沢山あるんです」
再び、少し悲しそうな表情をする彼。そんな彼に私は、最後まで話を聞くことを約束した。
「まずは、この服装。何だ、と思われたでしょう?僕は、ここの大学の医学部に通っています。たまに、残って勉強する時は、白衣のままこうして食事にくるんです。一緒に来た春樹は、僕の幼なじみ。同じ学部に通い、唯一僕の心の許せる友人です。」
「そうなんだね。残って勉強だなんて、桐谷くん将来の夢に向かって頑張ってるんだね!すごいよ!」
私は、彼の話に、半ば興奮気味にそう答えた。
すると、彼の表情は途端に曇り始め、少し強い口調でこう話し出した。
「将来の夢や希望なんて僕にはありません。残って勉強することも僕の家では、ごく当たり前のことなんです」
「あ・・・ごめんなさい私・・・」
初めて聞く彼の強い口調に、私は怒らせてしまったのだと、とっさに謝った。
すると、彼は優しく微笑み、こう言った。
「夏緒里さんは何も悪くない。悪いのは僕・・・だから気にしないでください」
そして彼は、続きを語り出した。
「僕の父は、大学に附属する病院の院長。そして、僕の祖父も曾祖父も・・・。そのせいで、僕は医学の道に入れられた。父も母も、僕がどんな気持ちでいるのかなんてどうでもよかった。僕は、ただ勉強して、周りの人とうまくやって跡を継げばそれでいい。そして、クリスマスは、僕にとって一番最悪な日。父に媚びへつらう者ばかりが僕の家に集まり、思ってもないことばかり話す。僕はそれに合わせて、ただ相手の機嫌を取ればいいだけ・・・物心ついた時からそうやって育ってきた僕は、心から笑うことなんてなかった・・・だから、あなたに初めて出会った時、見ず知らずの僕に、誰かに贈るはずのお菓子を渡してくれたのが、本当に嬉しかった。地位や名誉に関係なく、僕を、こんな僕自身を見つめてくれたことが・・・」
彼はそう言うと、握っていた私の手を、さらにぎゅっと握った。
「桐谷くん・・・その環境がつらくて仕方なくてそれで・・・」
彼の中の深い心の闇に触れた私は、情けなくも励ましの言葉すら出てこなかった。
すると彼は、少し震えながらこう続ける。
「違うんです。僕は、こんな環境にはもう十分慣れています。僕が本当につらかったのは、クリスマスの前にあなたに本当の事を伝えられなかったこと。そして・・・あなたをこの世界から遠ざけようと、冷たくしなければならなかったことです」
「冷たく・・・?私のこと、顔を合わせたくも無い程嫌になって、それで・・・もう、付き合ってない。だから冷たくしたんだよね?」
私は、この店に彼らがやって来てから今までのことを思い返した。
「夏緒里さん・・・ネックレス、まだつけてくれてるんですね・・・」
彼はそう言うと、そっと石のある部分に触れる。
私は、彼の指が突然首元に触れたことに、少し戸惑いながらもこう答えた。
「う、うん。この深い青色がすごく好きで、それに何だか少し前向きな気持ちになれる気がして・・・」
すると、彼はふっと微笑み、こう続けた。
「そう、これはブルートパーズ。身につける者の心に寄り添い、その力を最大限に引き出してくれる。そして・・・この石の持つ意味は幸福。僕は、あなたに幸せになってほしかった・・・」
「え・・・?じゃあ・・・桐谷くんは・・・私のこと・・・」
私は、彼の言葉に胸が詰まり、最後まで話すことができない。
「僕は・・・ずっと・・・ずっと・・・夏緒里さんのことが好き。忘れようにも忘れられない。顔を合わせれば、冷たくし続けるなんてできない。だから、会いたくはなかった。でも、本当は・・・本当は・・・心の底から会いたくて、会いたくて仕方なかった・・・わがままなのは、僕の方・・・」
彼は、震える声で思いを伝えると、そのまま私を力強く抱きしめた。
「トパーズは、11月の誕生石。僕と夏緒里さんが初めて出会った記念の石。付き合ってないなんて言って、ごめんなさい」
彼はそう言うと、私の目を真っ直ぐに見つめてこう言った。
「夏緒里さん・・・もう一度、僕と付き合って・・・くれますか?」
彼の想いに、私は張り詰めていたものが切れ、一気に涙が溢れ出した。
そして、もちろん私の答えは、ただひとつ。
「はい・・・喜んで」




