七話 殺意とデコピンと白煙と
この話もちょっとだけ残酷な表現を含みます。
苦手な方はおもどり下さいませ。
「なるほど、結構おでこが切れてるけど、出血は止まってるし一応は大丈夫っぽいな」
これはたぶん峰の方で殴られた傷だ。奴は、腕に穴が開くほど噛みつかれたことでよっぽど動揺していたのだろう。俺も危うく尻の穴が増えるとこだったので、その心情は分かる。
「シロ~、よかったぁ。ん~~~~、ありがとう、ありがとう~」
市は傷口を気にかけて頭を撫でず、背中に手を置いて脇腹の辺りにこれでもかと顔を擦りつけていた。ムツ○ロウさんかお前は。
シロはくすぐったそうにしながらも黙って市の好きなようにやらせていた。
「さて、どうすっかなあこいつ」
そう呟きながら大の字になって倒れている大男をバットでつつく。
「放っておけばまた悲しい思いをする者がでるじゃろうな」
市が腫れた頬に手をやりながら歯がみをして睨む。
正直、俺もこいつだけは許し難い。
「今のうちにやっちまう、か?」
冗談半分、半分本気で問いかける。
「なれど、外道であろうとも、これ以上の人死にはもうみとうない……」
殺された町の人たちの事を言っているんだな。市はそれを間近で見ていたに違いない。
そうでなくても市はきっと、人の命を奪う事を嫌うだろうけど。
俺は出会って間もない市に、そんな信頼を漠然と寄せていた。妹に良く似たこの少女に求めた理想だったのかもしれないが。
「んじゃ、取りあえずさっきの縄でふんじばっとくか」
そう言って俺が背を向けた直後だった。
「いやぁああっ」
立ちあがった大男が市の両手首を掴んで、腕一本で引っ張り上げていた。
「てめえら、よくもやってくれたなぁ」
顔中を血走らせながらこちらを睨みつけてくる。
シロが姿勢を低くして唸る。俺も金属バットを構えて、回収しておいたスタンガンに片手を当てた。
「おおっと、それ以上動くなよ。お姫さんの真っ白なお腹が、あかーく染まっちまうぜ。まずはその手に持ってるもんを捨てろぃ」
男は懐から小太刀を取りだすと、引き上げられて露出した市の腹の辺りを白刃でなぞって見せた。
放り投げたバットとスタンガンが背後で水音を立てる。
「くそっ……。てめえ、どこまで腐って―――」
「ううっ!」
突如、市の顔が苦痛に歪む。
「おっと、いけねえ。おめぇがあんまり睨むもんで、ちょいと力が入っちまった」
肌を伝うようにして下っていく鮮血。奴はそれを小太刀ですくい上げると、市の首元で拭った。
市の四肢が恐怖に強張る。
初めて他人に対して明確な殺意を覚えた、その瞬間だった。
体中の血液が沸騰し、自分の理性が濁流に呑み込まれていくような感覚に襲われた。
「なんだ小僧、震えてやがるのか? よくわかってるじゃねえか、おめぇは今から儂に弄り殺されるんだ。その後で化け犬もたっぷり可愛がってやるぜ 」
「…………なせ」
「あーん?」
『 市 を 放 せ 』
「!?……あ、阿呆が、放すわけ―――。な、なんだ、体が……動か……」
『そのこはてめえみたいな外道の命でさえも惜しんだ。それをよくも……』
ゆっくりと、吐息がかかる程の距離まで近づく。
「はぁ、はぁ。く、来るな。……来るなあああ!」
硬直した指の隙間から小太刀を抜きとり、逆手に持つと、その切っ先を男の口の中に差し込む。
「は、はふへへ……」
男は涙を流しながら宙を見つめている。
『お前の殺した人達は命乞いをしなかったか?』
小太刀を持つ手に力を込める。
「せーいち! だめじゃ、お主が手を汚してはならん!」
男の腕からすり抜ける様にして脱出した市が俺の腰元にすがっていた。
「頼む……。そのやさしい手を、汚さんでおくれ……」
小太刀が地面で音を立てた。怯えきった男がその場に崩れ落ちる。
「市……。 冗談だよ、冗談っ! そんな顔するなって、大丈夫だ」
しゃがみこんで市の目の辺りを親指で撫でると、しばらく心配そうにこちらを見つめていたが、やがてホッと息を吐いた。
冗談じゃない、俺はなんつうことをしようとしてたんだ。
市の前で人を殺すなっていったのは俺だっただろうが。
「ひ、ひぃ。へ、蛇の化け物か!」
男は意味不明なことを叫びながら、おぼつかない足取りで走り、大鉈を拾い上げて逃げ出した。
シロが逃すまいとそれを追いかける。
直後、男は何かに派手にぶつかって再び尻もちをついた。
「どこへいく、外道」
男が顔を上げると、そこには凄まじい気迫で見下ろす信長の姿があった。
「信長さん!それに忍者の人達も!」
忍者たちはこちらに会釈をすると、信長に肩を貸しながらも、短刀を取りだして構えた。
「よい、下がっておれ。こやつだけは予がやる」
信長は忍者達をたしなめて下がらせると、腰を落として太刀の柄に手を置いた。
「こうなったら……その首もらうぜぇ!!」
男が叫びながら大鉈を振り上げ、信長に襲いかかった。
「信長さん!」
「ふん、わかっておる」
信長は鞘を捻りながら刀を抜くと、男の胴に一閃を見舞った。
盗賊の頭領は一言も発する事無く、ばったりと地面に沈んでいった。
信長の強烈な峰打ちによって再び気を失った男が、縄でグルグル巻きにされ、二人の忍者に引きずられながらどこかへと連れ去られていった。忍者達の横顔には不気味な笑みが浮かんでいた。
どうなるんだろうあいつ……おっかねぇな。
「あ、兄上、その……」
市が神妙な顔つきで信長の方を向いてもじもじとしていた。
「市よ、こっちへこい」
岩の上に腰をかけた信長が、そのまま両手を伸ばす。
「兄上……。兄上~~!」
駆けだす市。
俺は、感動の対面を目の当たりにし、うんうんと頷いていた。のだが……。
バチコン!バチコン!
信長が差し出した両手の指先に輪をつくり、強烈なデコピンを放った。
市の小さな顔が後ろへと跳ね上がる。
「う、うぐぬぅおおお」
淑女らしからぬ声を上げて、のた打ち回る市。
その光景にはシロでさえも口をぽかんと開けていた。
「市よ、兄はうぬの頬を打つためにここに来た。だがそのように腫れた頬を尚更に打つことは叶うまい」
「ううう、だからと言ってこれほどまでに額を打たずとも……」
額を押さえた市が恨めしそうに片目を開ける。
「ふふふ。しかも二連じゃぞ。すごかろう、痛かろう」
なぜ威力について自慢する……。ん、信長がなんか俺のほうを見てる。
「誠一が市の頬を打った時、予は己自身が打たれたように感じた。情けの無い兄であったことよ」
信長はまだろくに動かない体を無理矢理に起して、尻もちをついている市に手を差し出した。
「半人前の兄だが、これだけは言うておく。兄は市のためであれば城さえもいらぬ」
ボロボロになってしまった兄の手をそっと両手で包みこんで、瞳を閉じた市が呟く。
「御免なさい、兄上。……ありがとう」
その姿を、登りかけた太陽が優しく照らしていた。
山を降りてからは馬に乗って宿場町に戻った。
道中に信長が言うには、山で倒れて俺とはぐれた後、駆け付けた忍者たちに手当てをしてもらったそうだ。山道の入り口に乗り捨てた馬が目印になったらしい。
町に着くと、血のにじむ肩や足を家臣の人たちがこれでもかというほど布でしばって、傷の手当をしてくれた。
シロの額も診てくれたのだが、家臣たちはその大きな体におっかなびっくりだったので、シロは苦い顔をしていた。ようにみえた。
市は安心したせいか、町に着くと同時に倒れこむようにして眠ってしまい、今は俺の背中でスヤスヤと寝息を立てている。
家臣の人たちが俺を気遣って「代わりましょう」と言ってくれたが、丁寧に断った。
背中の温もりがとても誇らしく、もう少し噛みしめていたかった。
捕縛された大量の盗賊達が町の広場に集められ、怯えながらひしめき合っていた。生き残った町人たちがそれを取り囲み、今にも飛びかかろうとしているのを家臣たちがなんとか宥めている。
「さて、これをどうするか」
隣で信長が呟いた。恐らく俺に言っているのだろう。
お前の願い通りに殺さずに捕縛したが、これをどうするつもりか、と訊いているのだ。
「普通ならどうなります?」
この時代の法律なんてぜんぜん知らないので、思わず訊き返してしまった。
「町の者の好きにさせる。惨たらしく引き裂かれることになる」
信長が顔色ひとつ変えずにそう言い放つ。
町人たちが手にしているノコギリや包丁などを見て、背筋が凍る。
「詳しく取り調べはしないんですか?」
「この尾張では、いかなる故があろうとも、小魚一匹でも盗めば死罪となる」
相当、大雑把かつ過激な法律だな。
けど、この時代にはそれ必要だったのだろう。戦争が起これば道徳が希薄になる。恐怖で人の欲望を押さえこまなければ無法地帯となる。そういうことなのだろう。
しかし、よくみれば盗賊の中にはまだあどけなさの残る少年も少なからずいた。
「信長さん、取りあえず清州の城下に彼らを連れていくことはできませんか?」
「それをこの町の者共が良しとするかどうか。ふむ……うぬの頼みだ、やってみるか」
そう言ってため息混じりに微笑むと、信長は群衆の前に進み出た。
大きく息を吸い込む。
「予が織田上総助信長である!」
信長の熱心な自己紹介に、騒いでいた町人たちが静まり返る。耳を塞いで。
市は慣れているのか、おかまいなしに寝息を立てている。
「この賊共は織田が引き受ける!」
町人たちが血相を変えて、ワッっと口を開く。
「殿さま、こいつらは私たちの手で!」
「そうだ!こいつらにうちの人たちは……」
「八つ裂きにせねば気が収まりませぬ!」
かなり殺気立っている。当然のことかもしれないが。
「ならん!こやつらは我が妹、市姫を攫った大罪人ぞ! ……城に連れ帰り、地獄の全てを見せてやろうぞ」
最後の一言に町人たちの顔色が一気に青くなった。最も青ざめていたのは盗賊達であることは言うまでもないが。
ただでさえ残忍な人間として名高い信長が見せる地獄とはどれほどのものなのか、想像もつかない程に恐ろしかったのだろう。
町人たちは、「それなら……」といって、渋々に散っていった。
「これでよいか」
「はい、ありがとうございます。どうするかは城に帰るまでに考えておきます」
よく取り調べた上で、過去に人を殺めていない少年がいたら、そいつらだけでも死刑は勘弁してやって欲しい。そう言うつもりだ。もっとも、それなりの罰は受けることになるだろうが。
町を後にしようとした時のことだった。出口の辺りにちらほらと町人が集まっており、皆うずくまって肩を震わせていた。
傍らには亡くなった人たちの遺体がいくつも横たわっていた。
「おっとう、動かねぇ」
あの時助けた幼い男の子だった。
「おっとうは、もう、動かないのよ」
少年の肩にそっと手を触れ、震える声で母親が答えた。
「そうか。おっとう、もう肩車できねぇのか」
ぼんやりとした視線を父の亡骸に向けながら、少年はぽつんと零した。
母親は、たまらず我が子を引き寄せると、力まかせに抱きしめる。
「おっかぁ……いてえよぅ」
そう呟いた少年の瞳から、やっと涙が溢れた。
俺はその母の姿に、2年前のことを思い出していた。
妹の愛理が助からないと分かった時、お袋は夜の神社で、雨に打たれながら地面に額を擦りつけていた。
悲痛な、いや、悲惨な祈りだった。
信長が「ゆくぞ」と促す。
「残された家族もまた、人生を奪われるんだ」
俺は立ち昇り始めた白煙の行く末をじっと見つめていた。
刑罰については色々と考えさせられました。
当時の刑罰は酷すぎると感じる一方で、今の法律は甘すぎるのかな、とも思ったり。少年法の問題なども絡んできますね。
本作では折衷案的な解決としています。答えは出ませんでした。
いや、正答なんて無い議題なのかもしれませんね。
感想などでご意見お待ちしておりまする。
次は明るい話になると思います。書くのが楽しみです。