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四話 ビンタと城主と未来人と

「直ちに門を開けよ、姫がお通りになるぞ!」


 高台の上でウトウトしていた見張り役に藤吉郎が大声で喝を入れると、転げ落ちるようにして門の内側にその男の姿が消えた。間もなく、両開きの扉が重々しい音を立て始めた。


 城塞都市、というやつだろうか。まず、街に入り口があること自体が驚きなのだが、そこから左右を見渡す限りに土の壁と、濁った水が漂うお堀が続いている。

 

 扉を開けた二人の男はすぐに頭を伏せて地べたに座り込んだ。何やら申し訳ない気持ちになりながらもそれを横目に十数人の男達と一緒に街の中へ入る。


 藤吉郎が目配せをすると、一人が馬にまたがり、城に向かって走り出した。恐らくお市が帰ってきたことをいち早く伝えに行ったのだろう。

 

「たったの四日空けただけじゃのに、何年ぶりかに感じるのぅ」


 穏やかな表情でお市は周囲を見回していた。それとは対照的に俺は驚愕し、困惑していた。

 板葺いたぶき茅葺かやぶきの屋根を被った家々が立ち並び、その屋根の全体から染み出すようにして煙が出ている。表には魚が干してあったり、大きな桶の乗った荷車にぐるまが置いてあったりした。


「市、あの家、火事じゃないのか?」


「ん? あっはは。囲炉裏いろりの煙が上がっているだけじゃ」


 爆笑してる。藤吉郎も横で堪える様にして笑っている。


「そ、そなたも中々物を知らぬのぅ……ククッ」


 言い難い悔しさが込み上げてくる。おかしいのはこの街とお前らのほうだろうと言いたかったが、道行く人々の姿を見るに、どうやらマイノリティーは圧倒的に俺の方の様だ。皆着物と草履わらじに身を包み、こちらに気づくと頭を下げたり拝んだりしている。

 

 何かのテーマパークか?いや、ちょっと無理があるか。こんな巨大なテーマパークが近所にあれば、知らないわけがない。胸の内で押さえこんでいた馬鹿馬鹿しい結論が首をもたげ始める。本当にあいつらの言うとおり戦国時代なのか、と。

 まあ良い。自称信長の城主に会えばはっきりすることだろうと思い直し、早足に歩き始めた。




 ひと際大きなお堀になんとも華々しい橋が架かっていた。水面には赤々とした月だけではなく、小さな星すらも写り込んでいた。


「やっとついたのぅ。今度こそシロを飼うことを兄上に納得させるぞ」


 不安そうにうなだれているシロを市が優しく撫でる。シロにとって、ここはあまりいい思い出のない場所なのだろう。


「こいつは命の恩人だしな。兄貴もきっとわかってくれるさ」


 橋の上で立ち止まってそう話しているうちに、城の門がバンっと大きな音を立てて開けられた。その奥からぞろぞろと数えきれないほどの男達が手に松明を掲げてでてくる。

 

 先頭を荒々しく歩いている男が恐らくここの城主で市の兄貴なのだろうと一目で分かった。ぼさぼさの髪を無理やりに紐で縛りつけ、市と同じく蝶々の柄の入った深い藍色の着物には縄で編んだような帯が幾重にも巻かれていた。その姿は到底、一国一城の主には見えないが、放つ眼光は尋常ではない。

 

 男が市の前で立ち止まると周りの者は皆、ひざまずいた。俺はその迫力に気圧されて棒立ちになっていた。


「ようやく戻ったか……市よ。この兄がどれほどの憂き夜を過ごしたと思うておる」


 ゆっくりとした口調。かすれきった低い声。その表情は安堵とも憤怒とも言えないものだった。


「ふん、元はと言えば馬鹿兄上がシロを追い払ってしまったのが悪いのじゃ!私の方こそどれ程の目にあったことか……」


 市は全く引くことなく兄貴にくってかかった。

 それにしても、ちっと言い方がきつ過ぎないか。


「な、なんだと!」


 それみたことか、ものっそい叱られるぞ。兄貴プルプルしてるじゃないか。


「辛かったのぅ。すまぬ、この兄が悪かった。許せ」


 そっちかい。なんつう甘い兄貴だ。

 その顔からはさっきまでの鋭さがすっかり無くなっていた。


「シロを飼ってくれるなら許してやってもよい」


「い、市。それは叶わぬ。このような犬を誰が見たことがあろうか。恐らくこの世のものではない。物の怪の類であろう」


 指を差されたシロが兄貴の方を睨んで唸る。


「!! 物の怪じゃと……。シロは命の恩人じゃ!ここにおるせーいちもそうじゃ!兄上なんぞよりよっぽど私を助けてくれた!威張っているだけの兄上にそのようにいわれとうないわ!」


 激昂した市がたたみかける様にその怒りをぶつける。兄貴の顔が一瞬ぐっと険しいものに戻るが、すぐに悲しみに満ちたものに変わっていった。


「くっ。…………すまぬ」


 目を閉じてそう呟いた兄貴をかばうようにして藤吉郎が口を開く。


「恐れながら、殿は姫がおられなくなってからずっと……」


「よい、言うな」


 兄貴が藤吉郎の言葉をさえぎる。腹の虫が収まらない市が弱った兄貴にさらに追い打ちをかける。


「兄上が心配しているのはいつも織田家のことだけじゃ、私のことなど他国への貢物みつぎものくらいにしか思っておらぬのだ!」


「それは違うぞ市!兄は……」


 バチン!


 弾ける様な音に今度は兄貴の言葉がさえぎられる。手の平が熱い。頬を押さえた市が困惑して地面を見つめていた。


「市、兄貴に謝るんだ」


「貴様!姫様に何をする!」


 無数の矛先が喉元に向けられる。俺はかまうものかとその白刃を掴んで力任せに押しのけ、へたりこんでしまった市の正面に屈んだ。

 思い出していた。雨の音、むせび泣く声、悲痛な祈り。

 その記憶が体を勝手に動かした。


「見えないのか? あの泥にまみれた服や靴が。声だってすっかり枯れちまってる。シロを探してた時のお前と一緒だ」


「せーいち?なんで……」


 目に一杯の涙を溜めて市がこちらを見上げた。恐らく今の市には俺の言葉は届いていない。味方だと思っていた俺に裏切られたという気持ちのほうが大きいのだろう。

 

 市は驚いた表情のまま後ずさるようにして街の出口の方へ走っていった。シロもそれを追いかける。


「待て、市! く……猿よ!」


 片膝をついてうずくまってしまった兄貴が目で合図をすると、藤吉郎もその後を追った。


「この者は如何様にいたしましょうか」 


 槍を構えた男達がその刃を再び俺の背中に向ける。

 

「よい、手当をして後ほどわれの元に通せ」


 俺は追いかける事ができなかった。市の恐れるような視線が目に焼きついていたからだ。強く握りしめたこぶしの隙間から滴る血の温かさだけが、胸の隙間を埋めていった。




「さて、先ほどは無様な所を見せてしまったな。われが織田上総助信長である!」


 である!とかクワッと意気込まれても、誰がはいそうですかと納得できるもんか。


 あの後、通された天守閣二階の座敷に若い女性たちがわらわらと押しかけて、物珍しそうに俺の格好を見回すと、無理矢理に手の平の切り傷に白い包帯を巻いていった。目を白黒とさせているうちに、今度はこの自称信長が自ら食事を二膳持ってきてその一つを俺の前にドンと置いたのだ。


「誠一と申したな。倒れていた市を助けたと、小姓どもから聞いておる」


「いや、大したことはしてないですよ」


「褒美を取らせたいが、市があの様では落ち着かぬ。宴をするわけにもいかぬ故、この様な食事になっておるが許せ」


 イワシが数匹とみそ汁、枕飯の横に漬物が乗せてあるだけの簡素なものだったが、昼間におにぎりしか食べていなかったので有難かった。ただ、市のあの顔を思い出すと、これさえも喉を通り難かった。

 

 信長(仮)は、お椀が頭の上でひっくり返りそうになるくらいの勢いで飯を流し込むと、疲弊しきっていた顔に見る見る血の色が戻っていく。牛丼を食べている時の市の姿を思い出し、この人もまたろくに食事を取っていなかったのだろうと気がついた。


「十分です。この上褒美なんてもらえません。俺のせいでまたあいつが出ていっちまったんだから……」


「うぬにも妹がおるな」


 少し驚いたが、手のかかる妹を持つ者同士、感じる所があるのだろうとすぐに納得した。


「ええ、います。いや、正確には、いました、ですね。二年前に病気で」


 小さく笑ってから、なるべく気を使わせないようにやんわりと言った。


「そうか、わが身を惜しまず市を叱ったのはそういう道理か……」


 豪快に飯を口に放り込んでいた信長(仮)は急に手を止め、胡坐あぐらをかいた両膝に体重をかけて俯いた。


「あなたが我慢していたのに、部外者の自分が口を出してしまって申し訳ない」


「何を申すか! 良いのだ。あの場でのうぬの悲しみはわれのそれよりも深かったであろう」


 急にバッと顔を上げたかと思うと、ぐすっと鼻をすすりながら潤んだ瞳をこちらに向けた。これは流石に意外だった。信長といえば自ら魔王と名乗る程の残忍な人間で、難しい性格の持ち主だったというのが通説のはずだ。それにしてはこの男はあまりにも人間くさい。

 やはり偽物なのだろうか。そのあたりをそろそろはっきりとさせておきたい。


「ひとつ、お伺いしても宜しいですか?」


「何なりと申してみよ」


 信長(仮)が目のあたりをぐいっとぬぐい、向き直る。


「なぜ皆マゲを結ってらっしゃらないのですか?」


 そう、これが一番引っかかっていた。教科書に載っていた信長の肖像画は頭のド真ん中を剃り上げてあったはずだ。延長されて広くなった額にでかでかと「肉」と落書きをしたのを覚えている。

 これに対して、ここの人たちは老若男女、現代と大差無い髪型をしていたのだ。

 

 狼、俺の手を斬った刃、この城や街の造り、人々の服装。どれを取っても現代ではあり得ない物ばかりだが、家臣たちのイケメンヘアーをみると納得できない。


「ふふふ……。やはり気になるか。他国の者はまずそこに驚くじゃろうな」


 いや、そこ以外に驚いたんだよ。むしろそこは安心ポイントだったよ。


「これは岳父がくふ、斎藤道三の教えでな。予が家臣や民にマゲを結わぬよう命じたのじゃ」


 確か、斎藤道三といえばまむしの異名を持つおっかない人で、その娘の濃姫が信長の奥さん。ゲームに出てきたから何となく覚えている。あのゲームでは娘の濃姫のほうが戦場で大暴れしてたっけ。


「どのような教えだったのですか?」


「マゲ、かっこ悪い」


 どっかで聞いたようなフレーズだな。からかってるのか?


われからも一つ、尋ねよう。うぬは……幾百年先の未来、平成の世から来たな?」


「! ……何故そう思うんですか?」

 

「隠さずとも良い。うぬや先程の市の姿をみればわれには分かるのだ」


「では、あなたも平成の人間なのですか?」


われではない。道三殿だ。道三殿は未来を見てきたと言った。そして持ち帰った品々のいくつかを予の妻、お濃の嫁入り道具として織田家に送ったのだ」


「正直に言いますと、ここが戦国時代であなたがあの有名な織田信長だなんて信じられません」


「おお! われの名は遠い未来にも残っておるのか。ほぅ、そうかそうか」


 なにやら実に満足気な顔をしている。


「いや、だから……」


「おっと、すまぬ。ではついて参れ。お濃と話せばうぬの疑念も晴れるやもしれぬ」


 そういって立ち上がると、信長(仮)は廊下をどかどかと早足に、愉しげに歩きだした。





「お濃、お濃はおるか!」


 襖をズドンと開けた瞬間に信長(仮)は空を仰いで倒れてしまった。


「ん、これは……」


 目を回している信長の側に転がっていたそれをひょいと拾い上げる。


「金属バット……だよな」


「うっさいなあ、声をかけてから襖を開けてっていっつも言ってるでしょう」


 部屋から出てきたのはミニスカートに巫女さんのような白い着物を着た妖艶な美女だった。服の素材が妙にエナメル質で、安っぽい光沢を放っているのが気になるが……。

 

 信長(仮)の腹にその艶めかしい足をのせてぐりぐりと踏みにじりながら、背筋の凍るような笑顔で見下ろしている。


「こ、声ならかけたであろう」


 追撃に目が覚めた信長(泣)が苦しげに口を開く。


「あたしがよし、と言ったら開けましょうね」

 

 腹につま先が隠れるほど食い込んでいく。


「は、はいっ……」


 吐き出すようにして返事をして信長(哀)が力尽きると、満面の笑みを浮かべて足をどけた。


「ん、あんたは?」


 まずい、こちらに気づいた。蛇だ、あれは獲物を狙う蛇の眼だ。心臓がうるさい程に鳴り、命の危険を伝えている。

 ゆっくりと、くねくねと蛇行しながら近づいてくる。比喩ではなく、足を激しく交差しながら右へ左へと体を振っている。

 

 その効率の悪い足の運びを繰り返してとうとう目の前までくると、上から下まで舐めまわすように眺めたあとで、ぺたぺたと体中を物色した。


「これは……、これは!!」


 何かを確かめるようにしながら体をなぞっていく。


「あんた、もしかして未来人みらいびとなの!?」


 俺は助かったのだろうか。先程までの蛇眼じゃがんは可愛らしい少女のような瞳に変わっていた。




「未来人、あたしに話があるんだって? いいよ~、今夜はとことん語り合おう!」


「いや、俺は今日中には……あ、はい」


 帰るつもり、と言おうと思ったがキラキラと眩しい期待の眼差しを振り切ることができなかった。

 明日の必修授業は確か二つだっけか、出席日数これでぎりぎりだな……。夕方のバイトにはせめて間に合うように帰りたい。

 てか、そもそも帰れるのかな。


「誠一はここが戦国の世であることに得心がいかぬようだ」


 腹を押さえた信長(痛)が切り出す。


「ノブには訊いてない」


 視線はこちらに向けたまま、片手で信長(仮)のこめかみの辺りをぎりぎりと締め上げている。本気でおっかない。


「じゃあどうやってここまで来たのか話してみてよっ」


 信長(落)はまた気を失ってしまっていたようだ。俺は市と出会ってからここまでの道中のことを事細かに話した。


「なるほど、やっぱりあの山だったのね……ちっ」


「やっぱりって?」


「あ、なんでもないの。こっちの話、あはは」


 何かを隠すようにして笑っていたが、優先して聞きたいことが山のようにあったので深く追求はしなかった。


「このバットは現代……いや、未来の物ですよね」


「うん、そうだよ。その金棒は父道三が未来から持ち帰った物の一つだね。へー、バットって言うんだ」


 名前を知らないところをみると、たぶん用途もわからないのだろう。


「他にもあるのですか?」


「ふふふ、よくぞ聞いてくれたわね。これを見なさい!」


 奥の襖の前に立ち、こちらをニヤリと見ながら思い切って開け放つ。


「これは! ……暗くてよく見えませんね」


「い、今明かりを付ける」


 少し赤面していそいそと元の座敷に戻ると、灯火を持ってきて皿の油に移した。


「どう?ここだけ未来の世界みたいでしょ」


 そこに広がっていたのは未来の世界には違いないが、えらく極所的な、具体的には秋葉原的な世界だった。壁に沿うようにして山積みになっているのはフィギュアの入った箱や漫画本。布団の側には男性のキャラクターが描かれた抱き枕やぬいぐるみ。壁一面に張られたポスターは米でくっつけてある。


「な、なかなか可愛らしいお部屋ですね」


「でしょー! ね、ね、これわかるかな? 」


 ごそごそとダンボールを漁って、淡いピンク色のステッキを取りだすと、ポーズを決めた。


「殿に変わって打ち首よ!」


 返す言葉が見つからない。こんなときどういう顔をしたら良いかわからないよ。


「あ、はは。奥方戦士……何でしたっけ?」


「成敗ルーンだよ! さっすが未来人。よく知ってるね~」


 十何年前に流行ったアニメだ。再放送なんかで妹と一緒に見ただけで詳しいわけではないが、なるほど、濃姫の着ている服はそのアニメの主人公の物に良く似ている。


「子供の頃はここの出っ張りを押すとステッキがピカピカって光ってたんだけどなぁ」


「電池が切れてるんじゃないですか?」


「でんち?なにそれ」


「えっとですね。あ、ちょっといいですか」


 ステッキの側面にあるつまみを爪で押しながら蓋を開けて、すっかり酸化した電池を取りだす。


「こういうやつです」


「あ、それなら確か……」


 再びダンボールを漁り、まだビニールに包まれたままの電池を取りだしてきた。


「じゃあそれをこうして、はい、押してみてください」


 ビカビカーというかすれた電子音と共にステッキが輝き出す。濃姫は何度もボタンを押しては、それをまじまじと眺めていた。


「うわぁ~。やったぁ!ありがとう未来人!」


 そういって俺の両手を取って胸に当てながら飛びはねた。包帯を巻いた手が痛かったが同時に柔らかい感触が伝わって、プラスマイナスゼロな感じだった。


「い、いえいえ。ところで、濃姫さんの喋り方ってここの人たちとは違いますよね」


「うふふ、いつか私も未来に行きたいと思って父上に色々と教わったんだぁ。話し方や文字、流行りの服装とかね。ほら、こういう本で歩き方なんかも勉強もしたんだよ」


 ずいぶんボロボロになった女性向けファッション雑誌だ。『今日からあなたもスーパーモデル!キャットウォーク特集』と書いてある。裏表紙には平成10年と記されていた。

 まさか、あの奇妙な歩き方はこれを真似した結果なのか。キャットっていうよりスネークだったぞ……。

 積み上げられた本の山をよく見てみると、中には漫画ばかりではなく週刊誌やテーブルマナーについて書かれたものなども混ざっている。


「これ全部お父さんが未来から買ってきた物なんですか?」


「うん。父上はほとんど城にいなかったけど、たまに帰ってきてはお土産だって言って未来の色んな物をあたしにくれたし、欲しいものを言ったら買ってきてくれたよ。けど何年か前から急に未来について話してくれなくなったんだぁ。行くのも絶対だめだって」


 ぶーっと拗ねた子供のように唇を尖らせている。いくつなんだろうこの人……。


「うちの親父も似たようなもんですよ、ちっとも顔を見せません」


 親父は妹が死んだのが相当堪えたようで、仕事を理由にほとんど家にいない。お袋もあれから気力を失って自分の勤めてた病院に入院し、ただ毎日空を眺めながら過ごしている。

 俺の学費やお袋の入院費用だけは親父が数カ月分まとめて振り込んでくれているようで、感謝はしているが。


「それにしても、濃姫さんの言うことが本当なら、ここはやっぱり過去の世界で、そこに転がってるのは織田信長なんでしょうか?」


「うん、そうだよ。それとも、私の言うことが信じられないのカナ?」


 背後に蛇の形をしたオーラが形成されていく。子供染みた振る舞いに、この人のドSっぷりをすっかり忘れていた。


「いえ、ここは戦国時代です。間違いありません」


「ふふ、物分かりの良い子は好きよ」


 未来と過去を行き来していた斎藤道三の影響で、俺の知っている戦国時代とは少し異なったものになっている。何れにしてもそう解釈するしかないのだろうと観念した。


「ぬお、今は何時なんどきじゃ?」


 頭を抱えながら信長がなんとか起き上がってきた。


「戌の刻くらいかな、ノブはお寝坊さんだね」


「濃が無理矢理に眠らせたのであろうが。危うく永眠しかけたぞ!」


「それはそれは、惜しかったねぇ」


 黒い笑みを浮かべている。


「く……、あ、そうじゃ! 市は、市は戻ったか!」


「そうねぇ、お猿さん遅いわね」


 藤吉郎を指していっているのだろう。ここが戦国時代となれば、恐らく藤吉郎の名字は木下だ。後に天下統一を成し遂げる豊臣秀吉のことになる。

 でもあの人、相当な美男子なのになんで猿なんて呼ばれてるんだろう。


「ん、なんか表が騒がしくないですか?」


 この部屋から見える中庭の暗がりで、ざわめき合う人の声が聞こえた。


「何事か」


 表に出た信長が遠目に声をかけると、数人の下男達が大きな板きれを目の前まで運び、それを地面に静かに降ろした。

 板きれに乗っていたのは肩から二の腕にかけて、痛々しい刀傷を負った藤吉郎だった。俺達が駆け寄ると、体を少し起こして息も絶え絶えに口を開いた。


「殿、申し訳ありません。姫に城へ戻るよう説得している最中、賊の襲撃を受け……」


「市は、市はどうした!」


 信長は側に屈み、藤吉郎を労わりながらも強い口調で問いただした。


「拙者が迎え撃つうちに、お逃げる下さるよう申し上げましたが、それをなさらず……」


「捕まった、と申すか」


 藤吉郎は静かに頷くと、苦悶の声を上げて仰向けに横たわった。


「数は恐らく40ばかり、東へゆき……うっ」


「もう良い、休め。猿はよくやった」


 信長は藤吉郎の傷口に静かに手を当てて、立ち上がった。


「ノブ、お猿さんの事はあたしにまかせて」


「頼んだぞ、濃。 ……出るぞ、支度をさせよ」


 信長がそう告げると、下男たちはぞっとした表情を浮かべて八方に散っていった。


「俺も行きますよ」


 こちらを振り向くことなく歩きだそうとした信長に後ろから声をかける。


「ならぬ。うぬは市の大切な客人だ。この信長が必ず連れ戻す故、そこで待っておれ」


 取りつくろったような明るい調子の声が返ってくる。


「俺は、妹を見守る事しかできなかった。あんな思いは二度としたくない!」


 妹の、愛理あいりの笑顔と市の笑顔がまぶたの奥で重なっていた。

 

 俺が行ったところでどうなるわけではないかもしれない。もしかしたら命を落とすかもしれない。けど、ここで待っているよりはずっと良い。そう思えた。


「ならば来るがいい。賊共に誰の兄達を怒らせたのか思い知らせようぞ」


 肩越しにこちらを振り向いてそういった信長の横顔は、少しだけ微笑んでいるように見えた。

≪≫の種類をまちがえてルビがダダ漏れだった事に後で気づいて顔真っ赤

でした(恥)

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