当選葉書。結果は魔王様!?
はじまりは、一通のはがきだった。
「当選おめでとうございます?」
いつも通りに学校から帰って、いつものように郵便ポストを覗き込む。そんないつもを繰り返していたはずの彼女の元に、今まで見たこともない内容のはがきが送り届けられた。
思わず少女は小首を傾げた。
少女の仕草にあわせ、腰よりも長い漆黒のストレートの髪がさらりと揺れる。女性なら、誰もが羨みそうな艶やかな髪を、少女は無造作に流していた。
少女の名前は、望月輝弥。
名は体を現すと、昔の人は言ったものだが、彼女はまさしくその諺を体現していた。すっと切れ長の瞳に、筆で描いたような眉。美しい曲線を描く肢体。『立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花』と、古風な言葉で言い表すことが出来る雰囲気。絶世の美貌を誇る彼女は、昔の御伽噺に出てくる姫となぞらえ、カグヤ姫との呼ばれることもあるほどだ。
玄関のポストの前でたたずむ姿さえ、まるで一枚の絵のように美しい。
先ほどから、彼女を見つめてため息を落とす外野が少しずつ周囲に群がってきていたが、彼女の関心は目の前のはがきにのみ集中していた。
「…私、懸賞はがきなんて出した覚えはないんだけど?」
手元にあるはがきをもう一度見て、一つため息を吐く。
いつまでも玄関で立ち竦む訳にもいかず、取り敢えず輝弥は玄関のドアを開けた。
「ただいま」
「お帰りなさい、お姉さま」
靴を脱ぐために下を向いていた輝弥は、不意の衝撃に倒れそうになった。微妙に浮いた右足の爪先を何とか地面につけ、体制を立て直す。視線を胸元にやると、金色のひよこの様な綿毛が見えた。無言でそれを撫でまくる。
すると、胸元から、クフクフという笑い声が聞こえた。
「今日は、遅かったんですね」
大きい蒼の瞳を輝かせるその姿は、まるで主の帰りを喜ぶ子犬のようだ。全身で自分の帰りを喜ぶクリスに、輝弥は目を細めた。
クリスは本名望月クリストファー。
血は繋がってないものの、れっきとした輝弥の弟だ。自分より二つ下のクリスを、輝弥は殊のほか可愛がっていた。
「もうすぐ、ご飯が出来ますから。制服着替えてきてくださいね」
踊るような口調で、クリスは輝弥を誘う。
それに逆らうことなく、輝弥はクリスの後に続いた。両親共働きの輝弥の家では家事は交代制だ。今週はクリスが当番のため、彼はヒラヒラのエプロンを翻して上機嫌で歩く。跳ねるように歩く彼の髪が、リズムに合わせてふわふわ揺れた。その髪を撫で回したい衝動と何とか戦い、階段でクリスと別れ、自分の部屋に上がる。十二畳と少し広い自分の部屋に入ると、輝弥はそっとドアを閉めた。
輝弥の部屋は、無駄なものがない。
殺風景な部屋の中にあるのは、ベッドとクローゼット、そして勉強机のみだ。学校や道端で知らない人から貰うプレゼントは、小学校の時に愛らしいウサギのお人形の中に盗聴器が発見されてから、幼馴染に受け取り禁止にされた。元々輝弥は物欲が薄い。ごたごたと飾り立てるのも好みではないし、気付いたらこんなシンプルな部屋になってしまった。机の上に鞄と、先ほどのはがきを置く。ちゃっちゃと着替えを済ませようと、クローゼットから着替えを出し、制服を脱ぎ始めた。
濃紺のブレザーの制服は、体の線に沿った作りになっていて、スタイルのよい輝弥の曲線を浮き立たせている。ブレザーの上着のボタンをはずしスカートも脱ぐと、そっとハンガーにかけた。中に着ていたブラウスは洗濯に出すためにベッドの上に放り投げる。ゆったりとしたトレーナーにジーパンを履くと輝弥は一つため息をついた。
体を締め付ける洋服よりもやはりこの方が落ち着く。
髪の毛を一本に纏め白のゴムで結んでいると、唐突に部屋がノックされた。
コンコン ココン
その音を聞いて、不意に輝弥の表情が柔らかくなる。
こんな風にリズムをつけて自分の部屋のドアをノックする相手など、昔から一人しかいなかった。
「どうぞ」
「輝弥、ご飯だって」
ドアを開け、顔を出した相手が自分の想像通りだったのでますます輝弥の顔が緩む。
決して身長が低いわけではない輝弥だが、自分よりも身長が三十センチ以上は高い彼と視線を合わせようとすると、いつも首をつりそうになる。山田太郎と言う名前の、全てが平凡でいる彼にとって、唯一の特徴がその身長だった。
細い目をしている所為かいつも笑っているように見える彼は、成績も運動も、果ては名前さえもこれと言った特徴はない。いや、ある意味アンケートの例題に使われるような名前は特徴といったら特長なのかもしれないが、それでもその薄すぎる印象の所為かイチローやジローなどとよく間違われることが多かった。
背が高いために普通と同じ速度で何かをしても、全てがゆったりおっとりに見えてしまう彼が、輝弥の幼馴染兼親友をしていると言うのは、二人が子供の頃から不思議だと囁かれていたことだ。
最も、当人たちからすればそれは余計なお世話といったところである。輝弥にとって太郎ほど安心できる相手はいなかったし、気の合う友人もいない。高校が分かれてしまっても付き合いがあるのはその所為だ。性別など関係なく、輝弥は一番太郎を信頼していた。
「何かあったの、輝弥」
言いながら彼はそっと輝弥の頭に手を乗せた。昔からの、輝弥の様子がおかしいと思ったときの彼の癖に、輝弥はくすぐったそうに笑う。クローゼットから座布団を取り出し、太郎に差し出すと、そこに座らせた。小学生の時に太郎から貰った柴犬の絵柄のプリントされた手作り座布団は、手作りした本人以外を乗せることがないため、今では太郎専用になってしまっている。
机から先程のはがきを手に取ると、視線を合わすために輝弥はベッドの端に座った。
「これ、何だと思う?」
「…はがきじゃないの?」
「そうなんだけどさ。…内容を見て欲しいの」
「内容?『当選おめでとうございます』?何、これ懸賞はがき?」
「みたいなんだけど、私これに心当たりないんだよね」
「って、前みたいに自称輝弥の守り神さんが勝手に送ったんじゃないの?」
「真面目に答えてよ…」
鳥肌のたった腕をさすりながら、輝弥は呟く。小学生の頃、自称輝弥の守り神を名乗る、傍から見たらストーカー丸出し男のことを思い出し、気分が悪くなった。あの時は、毎日頼みもしないのに、花束やおもちゃ、果ては高級なビスクドールなどが毎日送られてきた。最悪だったのは、本人お手製らしいメッセージテープ。それはすぐさま太郎に取り上げられ、輝弥は内容を聞くことはなかったけど、あれほど真っ青な顔をした太郎を見たのは後にも先にもあの時だけだ。昔から、ほとんど動揺を顔に出すことがない太郎があそこまで顔色を変えたのだ。きっととんでもない内容のメッセージテープだったのだろう。ちなみに、自称神様は今はこの国にはいないらしい。
「結構本気の言葉だったんだけど…」
「タローちゃん!」
「ごめんて。あ、裏は見たの?」
「裏?そう言えばまだ見てない」
「…普通、先に裏を読まない?」
「だって、帰ってきたばっかりだったし。変なことが書いてあった場合、一人でいると何となく怖いし」
「まあ、その気持ちもわからなくはないけど。じゃ、裏を読んでみようよ」
「うん」
はがきを持つ太郎に顔を近づける。輝弥が見える位置まで来たのを確認すると、太郎ははがきを裏返した。
「…………」
「あはははは」
無言になる輝弥とは対照的に、心底面白そうに太郎は笑う。それを一瞬恨めしげに見てから、輝弥は太郎からはがきを奪った。
もう一度、ゆっくりと読んでみるが内容は変わることはない。
『おめでとうございます。あなたは抽選で魔王に選ばれました』
何度読んでもそう書いてある。
「…何、これ?」
「さあ?よくわからないけど抽選で魔王に決まったって事じゃないの?」
「もう、人事だと思ってはぐらかさないでよ!」
「って、言われても。とりあえず、輝弥に送られてきた手紙の中で一番インパクトがあるよね」
「朗らかに笑わないでよ。どう考えてもサイコな人からのはがきじゃない」
まるで病原菌を触るように、指先だけではがきをつまみながら輝弥は半泣き状態で笑う。昔から届けられた手紙の中でも、トップを争う怪しさだ。ちなみに、今までの中でトップは『サイルティの姫に迎えます。あなたこそ我が后にふさわしい』とつらつらと三百枚にも及ぶ長編だ。百二十三枚でダウンした輝弥を傍目に、太郎は全部を読みきりさらに感想文まで相手に提出した。
「でも、特に害はなさそうじゃない。…あ、ほら見てみて。四天王に従者までが選べるらしいよ?」
ほらここ、と太郎が指差した部分を見ると、確かにそこにはそう書いてあった。
『括弧の中に、四天王及び従者となる者の名前を記入してください。読み上げた瞬間から、彼らはあなたの僕です』
ご丁寧に、等間隔に並んだその括弧の後ろには、必殺技と書かれた括弧まで合った。
「派手派手しい見た目と言い、これはもう手作りだね。…コレ、もしかしてドラゴンのつもりだったのかな?」
興味津々とはがきを覗き込む太郎に、輝弥の頭に怒りのタコマークが浮かび上がる。いくらなんでも、もう少し心配してくれてもいいのではないのだろうか?ギッと鋭い視線で太郎を睨んでみるも、相手は全く気付いていない。自分のしていることに虚しさを覚えていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「お姉さま、ご飯はができました」
控えめにドアを開けたクリスは、輝弥を見つけると嬉しそうに近寄る。座っている輝弥の腰元にぎゅっと抱きつくと、その傍にいた太郎に冷たい視線を向けた。
「ちょっと。お姉さまを呼びに行くのに何分かかってるのさ。ったく、これ以上ないくらいの役立たずだね」
フンッと輝弥に対する時とは全く正反対の態度で見下したように言うクリスに、もう慣れたとは言えやはり苦笑がもれた。初めて会ったときから、極度に自分に懐いてくれるクリスは、気付けばかなりの王子様気質だった。
生粋のイギリス人の血を継ぐだけあって、見た目は金髪碧眼、まるでマシュマロのように白いほっぺに、柔らかそうな唇。今は可愛いと言う言葉で括られているが、何年かたてばかなりかっこいい男になるであろうと容易に予想できる顔立ち。さらに、彼は輝弥と同じで運動も勉強も苦手ではなかった。コレだけそろっていて、周りにちやほやされれば王子様気質になっても仕方ない気がする。
以前は、太郎に対する態度も一々注意したのだが、太郎自身が面白がっている節もあり、注意することもなくなった。
「ああ。ごめんごめん。折角可愛い顔してるんだから、そんな表情しない方がいいよ」
「っ。ちょっと背が高いと思って、馴れ馴れしく僕の頭を撫でるなっ」
「あははっ。ごめん」
「全く、悪いと思ってないだろうっ」
じゃれ合う二人を横目に、つまんだままのはがきを見る。一体誰がこんなものを寄こしたのか。
赤と黒で縁取りされた『おめでとうございます』という文字を見て、輝弥はため息を吐く。そして、勉強用にと教科書と共にベッドサイドに置いてあったペンを取ると、目の前の二人の名前を書き入れにんまり笑った。コレくらいの悪戯は許してくれるだろう。しかし、そんな輝弥の考えは、途轍もなく甘かった。例えて言うなら、メイプルシロップたっぷりなのに、『これじゃあ、甘味が足らない~』と言って生クリームと蜂蜜をぶっ掛けられたホットケーキ程あまかった。
「山田太郎、望月クリストファー。汝らを四天王が一員に。魔王である我が僕とす」
即効で思いついた言葉を、呟いた瞬間に輝きだしたはがきを見て。後に輝弥はこう言った。
『後悔、先にたたず』と。