譲れない戦い───えっ、本気で?
止まらない。止まらない。
その止まらない勢いに、輝弥の心は今や折れる寸前だった。幾ら見た目が冷静そのものであろうとも、普段と変わらず美しいままであっても、心の中のダメージは蓄積していく。
しかしそんな輝弥の様子にこれっぽっちも気づかぬ男は、輝かしいを通り越して蕩けそうな笑顔で頬を染めながら惚気た。
「俺の姉さんは、凄く美人でさ、魔界どころか世界に名を馳せてたんだ。その美貌は吟遊詩人が例えようとしても例え切れぬほどで、その輝きは太陽を落とすほどと言われ、その気高さは夜に昇る月を越えると言われた。頭も良く理解も早く機転が利き気も利いた。声は純銀の鈴を転がすより澄んでいて、その歌は星すら焦がれる程だ。美しく賢いだけではなく、力も強かった。僅か二百歳で三十代目の魔王となり、嘗てない平穏な地へと魔大陸を変えた。彼女は世界屈指の賢王で、求婚者がおらぬ日は無いほど求められた人だった」
憧れを宿した熱の篭る眼差しは、どう考えても普通の姉に送るものではない。少なくとも、輝弥が持つ常識に照らし合わせると、恋焦がれる若者と同じこの瞳は、少なからず厄介なものだ。彼の姉は四六時中この視線を受けていたのかと思うと、その忍耐力に感動する。
こちらが若干引いているのも気づかず、サダルメリクは嬉しげに微笑みながら続けた。
「彼女は俺の魂の双子であり、上司であり、恋人だった」
「───恋人っ!?」
裏返った声をあげたのは、輝弥ではなくクリスだ。
あまりのタイミングの良さに思わず自分の口が滑ったかと思ったが、そうではなかったらしい。大きな瞳をまん丸に見開いた彼は、その蒼い瞳にサダルメリクの姿を映すと顎を落とさんばかりに口を開いている。
ちなみに反対隣の太郎は相変わらず笑顔で平常心。滅多に表情も態度も崩さぬ彼は、やはり今回のこの言葉にも驚き一つ見せたりしない。マイペースもここに極まっている感じだ。感心する。むしろ感動した。
無表情の奥で淡々とそんな考えをしている輝弥など気にせず、クリスの声を歓迎したらしいサダルメリクはへらっと笑った。なんとも美形らしくない気の抜けた笑い方であった。
「そう、恋人」
「でも、姉弟なんだろ!?何で恋人なんだよ!近親相───っ!」
途中まで言葉を発しかけ、慌てて口元を両手で覆ったクリスは上目遣いで輝弥を見上げた。不味い言葉を口にしたと全身で訴える彼に、そこまで言えば何が言いたかったか良く判るがと思いながらもそ知らぬふりで微笑みかける。すると安心したように肩の力を抜いたクリスは、嬉しげに微笑み返してきた。
相変わらず可愛らしいお人形のような笑顔だった。
しかし十人居れば九人は見惚れるその笑顔も、サダルメリクには通用しない。
「魔族に近親相姦なんて考え方はないよ。天族、妖族にもだ。そんな考えを持ってるのは、人族くらいのものだろう?」
「けれど血が濃くなれば色々と子供に不都合が出る場合があるだろう?」
「いいや、ないね。俺たちは血に関係なく子を生す。君が想像する不都合が起きた事例は聞いたことがない。血の濃い同士で番になるのは珍しくない」
「なら、親子で子を生す場合もあるってこと?」
「うん。まあ、流石にそれは珍しいけど。好きになったなら仕方ないだろう?」
「・・・なんてモラルがない種族だ」
眉間に皺を寄せたクリスが呟くと、サダルメリクは先ほどとは違う顔で笑った。
雰囲気の変化に眉を跳ね上げる。あまり性質がいい笑い方には見えない。
だが、クリスはそんな変化に気づかなかったのか、渋い顔をしたままサダルメリクを睨みつけていた。
「モラル?モラルじゃ恋は出来ないよ。俺たちは美しく強い者が好きだ。美しい者は大抵力が強く、傍に置くには好ましい。それに加えて俺の姉さんは賢く優しかった。独占したいと思って何が悪い?」
「別に、悪いとは言ってない。モラルがないと言っただけだ」
「ふぅん。───なら君は、輝弥ちゃんが他の誰かに奪われてもそんなこと言ってられる?」
「何だと?」
輝弥の名を出したことで、クリスの雰囲気も一変する。
可愛らしい顔を怒りで濁し、苛立ちを含んだおかげで瞳の色が濃くなる。毛を逆立てた子猫のようだが、生憎この子猫は見た目よりも力が強い。
輝弥に関しては他のものよりも沸点が低いのを知っているので、手を出さないか内心ではらはらしながら
見守っていると、ぽんと肩に手を置かれた。
振り返れば太郎がいつもの笑顔を向けている。この緊迫した雰囲気の中、空気を読まない態度はさすがだ。
「大丈夫だよ、輝弥」
「何が?」
「どうせただのシスコン同士の喧嘩だし。馬鹿は放っておくに限る」
笑顔で放たれた毒舌に、慣れているがひくりと口端が引きつる。
平凡な容姿に惑わされがちだが、山本太郎という男は輝弥が知る限り最も肝が据わった男だった。笑顔で切り捨てる厳しさを、彼を平凡と思い込んでいる面々に教えてやりたい。
しかしながらそのチャンスは当分巡ってきそうになく、帰る手段を問うつもりだった相手は別の世界に旅立っている。
敢えて空気読まない、AKYの太郎の強さを少し分けて欲しいところだ。
太郎が輝弥に忠告する間にも、二人の間はヒートアップしていった。
「言っておくけどね、僕のお姉さまは『僕の』だ。どこの馬の骨かわからない輩においそれと差し出すわけがない。お姉さまは麗しく妖艶で儚げで庇護欲を掻き立てられる賢く、お前の『姉さん』より百倍は美少女だが、僕がお姉さまを誰かに譲る気はこれっぽっちもない。お前みたいに姉に逃げられるような馬鹿には判んないだろうけどね!」
「ふぅん?俺の姉さんが君の『お姉さま』に劣るとでも言いたいのかな?」
「言いたいんじゃない。そう、言ってるんだよ間抜け馬鹿」
その瞬間、冷たい風が吹きぬけたのを、確かに感じた。
高らかに鳴る架空のゴングで、彼らの戦いの火蓋は切って落とされ───これ以後幾度もこんな遣り取りをする犬猿の仲になったのは、どうしようもない運命だったのかもしれない。
隣で美味しそうに置いてあった急須で勝手に入れた茶を啜る幼馴染を横目に、輝弥は疲れたため息を落とした。
帰る方法は、まだまだ聞けそうもない。