8話:契約して差し上げようというのですわ!
ミレアの研究室は、今日もどこか冷たく、そして静かだった。
壁一面に並ぶ光るパネル。
低く唸る機械音。
無機質な白い床。
その中心に立つミレアは、いつものように白衣の袖を軽くまくりながら、こちらを振り返った。
「それで、考えてくれた?」
レタリアは一度だけ深呼吸し、胸を張った。
「……引き受けますわ」
ミレアの口元が、わずかに緩む。
「そう。良い返事が聞けて嬉しいわ」
「勘違いなさらないでくださいまし。
今だけはあなたに従ってあげようと言うだけです。
契約して差し上げようというのですわ!
このレタリア・アーデニアムが」
「ありがとう、レタリア嬢。
本当にあなたはお嬢様みたいね。お名前も古風だし」
「古風……? お嬢様ですわよ!」
ミレアはくすりと笑った。
その笑いが、なぜか少しだけ心地よかった。
◆◆◆
「そうそう、あなたから預かっていたもの。返しておくわね」
ミレアが棚から取り出したのは、見覚えのある布の束だった。
レタリアがこの世界に来た時に着ていたドレス。
そして、追放の時に持たされた小さな袋。
「衣服は綺麗に洗浄しておいたわよ。必要なら修繕もできるわ」
「……ありがとうございますわ」
ドレスに触れた瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
あの世界の、最後の記憶。
ミレアは続けて袋を差し出す。
「あなたの手持ちのものも返すわ。ごめんなさいね、時間がかかって」
……
(未知の細菌やウイルスが付着している可能性がある……検査が必要だ)
レタリアが最初に出会った時のグレイン言葉を思いだす。
何のことかさっぱり分からなかったが、逆らえなかった。
(……そういえば)
袋の中には、硬貨、乾燥した食料、そして――
(手紙……)
キアラからの手紙。
まだ開けていない。
(……今は、読めませんわ)
胸の奥に沈んだ感情を、そっと押し込めた。
「中身はそのままにしたかったのだけど、食料があったわね」
ミレアが袋の中を覗き込む。
「ドライフリーズして保管できるけど……良かったら譲ってくれないかしら?
うちの研究員が“生かせるかも”って言ってて」
「構いませんわよ。その程度の事で宜しければ!」
「ありがとう。それから、この“種”も気になるのよね。調べてもいい?」
「構いませんわよ!」
ミレアは満足げに頷いた。
(……この世界で、あの食べ物や植物がどう扱われるのかしら)
少しだけ、興味が湧いた。
◆◆◆
「話を戻すわね。
あなたには私の元で、機体データの採取と……身体検査も引き続きお願いするわ」
「っ……」
レタリアは思わず頬を赤くした。
前回の検査の記憶が蘇る。
あの無機質な台の上で、服を脱ぎ光を全身に当てられ――
「わ、分かりましたわ……」
「ふふ、素直ね」
「素直ではありませんわ!」
ミレアは楽しそうに笑った。
「それで、活動内容だけど……フリーランサーでどうかしら」
「ふりー……?」
「要するに何でも屋よ。依頼を受けてこなす仕事人」
その瞬間、レタリアの目が輝いた。
「冒険者って事ですの!?」
ミレアが瞬きをした。
「冒険者……なんだかファンタジーみたいな例えね。でも、そういうものよ」
(冒険者……)
幼い頃、絵本で見た。
剣を掲げ、魔獣を倒し、凱旋する英雄たち。
(……あの頃は、わたくしも……)
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
ミレアは続ける。
「本当は自警団やうちの会社で雇う方法もあるけど……
あなたが自由に動ける方が都合がいいでしょう?」
(……自由に、ですの?)
ミレアは微笑んでいたが、その瞳の奥に別の色があった。
(自警団も、私の会社シンセ・フィブラも上層部の意向次第でどうなるか分からない)
(フリーにして私の手元に置くのが一番安全)
ミレアの内心は、レタリアには届かない。
ただ、レタリアは“自由”という言葉に、少しだけ胸を張った。
「……良いでしょう。わたくしに相応しい働き方ですわ」
◆◆◆
「活動するための機体はどうする?
適当な機体を見繕いましょうか?」
ミレアの声に、レタリアは迷わず答えた。
「アーデンにしてくださいまし!」
ミレアが目を瞬かせる。
「……旧型よ? 不安定だし、あなたの身体にも負担が――」
「アーデンですわ!」
レタリアは胸を張った。
「あの子も、わたくしに使われたがっておりますわよ!」
(完全に思い込みだ)
ミレアは額に手を当てた。
「……じゃあ、修理するまで暫くおとなしくしててね」
レタリアは満足げに頷いた。
(アーデン……待っていますわよ)
無機質な格納庫の奥に眠る鉄の巨人の姿が、脳裏に浮かんだ。
あの暴れ馬のような機体。
あの戦いの高揚。
そして――
(……わたくしを、裏切らなかった子)
レタリアはそっと胸に手を当てた。
「……悪くありませんわ、この世界も」
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【あとがき】
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