80話:ミレア、どういたしましょ……?
眩しい太陽の光が、セルディア一般居住区の広大な公園を鮮やかに照らし出していた。青々と茂る並木の間からは、穏やかな風が吹き抜けていく。
そんな平穏な休日の公園に、二人組の姿があった。
一人は、つばの広いキャスケット帽を深くかぶり込み、艶やかな黒髪を器用にまとめ隠した少女。大きめのシルエットのデニムジャケットにスニーカーという、普段の彼女からは想像もつかないほどカジュアルな服装に身を包んだ、レタリアである。
そしてその隣には、いつもの見慣れた白い白衣を脱ぎ捨て、いわゆるフェミニンでガーリーな私服に身を包んだミレアの姿があった。淡いパステルカラーのトップスに、歩くたびに軽やかに揺れるフリフリのスカート。いつも髪を無造作に縛っているクリップも、今日ばかりは可愛らしいデザインのものに変えられている。
「……ねえ、レタリア。やっぱり、私、この格好は落ち着かないのだけれど。本当に変じゃないかしら」
ミレアはソワソワとした様子で、何度もスカートの裾を引っ張ったり、トップスの襟元を気にしたりしている。
実はこの休日を迎えるにあたり、以前ミレアにフリフリの甘ロリ衣装を着せて大はしゃぎした同僚のソラが、今度は「絶対に似合うから!」とゴシック・アンド・ロリータ、いわゆるゴスロリ衣装を猛烈に勧めてきたのだ。さすがにそれを着て街に出る勇気はなかったミレアが、必死の抵抗を試みて阻止した結果、妥協案として落ち着いたのがこのガーリーな服装だった。
レタリアはそんなミレアの姿をまじまじと見つめ、フフ、と形の良い唇を綻ばせる。
「いいえ、とてもよくお似合いですわよ、ミレア。普段の服装も悪くありませんが、こうしたお姿を見ると、わたくしまで新鮮な気持ちになりますわ」
「そう? その言葉を出すのがソラと貴女だけなのがね……」
ミレアはまだ少し照れくさそうに頬を掻きながら、公園の芝生の上でレジャーシートを広げ、楽しそうに笑い合う家族連れの姿へと視線を移した。
先日、新型パーツを用いたアーデンの二度目のテストフライトを終えた後、レタリアが、「ミレア、たまには二人でお出かけしませんこと?」と誘ったことで、この休日が実現したのだ。会社での隠蔽工作や、他支部からの不穏な連絡といった頭の痛い諸問題から、今日だけは完全に離れるという約束だった。
「……まぁ、たまにはこういうのも、悪くないかもしれないわね」
喧騒から離れた穏やかな空間に、ミレアの張り詰めていた肩の力が少しずつ抜けていく。
しばらく並木道を並んで歩いていると、ふと、広場の片隅にある自動販売機や売店が並ぶエリアが目に入った。そこには、休日らしく冷えたアルコール飲料の看板が大きく掲げられている。
「あ……」
ミレアの目が、無意識のうちにビールの冷ややかな画像に吸い寄せられた。ここ数日、ペルダ支部への対応などで脳のエネルギーを酷使していた彼女は、ごく自然な動作で売店の方へと足を向けようとする。
「冷たいビール……。今の気候なら、絶対に美味しいわよね……」
完全に仕事終わりのサラリーマンのような呟きを漏らすミレアの服の袖を、レタリアがキュッと引っ張った。
「ちょっと、ミレア。お昼から泥酔だなんて、淑女のすることではありませんわよ。今日のわたくしたちは、優雅な休日を過ごすのですから」
珍しく、レタリアの方からお堅いお説教の言葉が飛んでくる。立場が逆転したような構図に、ミレアは思わずパチクリと目を丸くした。
「あなた、そういう変なところでお堅いのね……。分かったわよ、我慢するわ」
ミレアは苦笑しながらフルーツジュースを買う。その果汁入りのカップをレタリアに手渡し、自分用にもう一本同じものを買う。
「はい、これで満足?」
「ええ。冷たくて美味しそうですわ。ありがとうございます、ミレア」
二人はベンチに腰掛け、ジュースに口をつける。甘酸っぱいジュースが、乾いた喉を心地よく潤していく。
そんな穏やかな時間を楽しんでいた、その時だった。
「――あの、すみません。ちょっとお時間よろしいですか?」
背後から、少し軽薄そうな、けれど人当たりの良さそうな若い男の声が掛けられた。
ミレアとレタリアは、同時にビクリと身体を強張らせる。(まさか、メディアの記者に見つかったの!?)という想像が二人の脳裏をよぎった。ミレアはとっさにレタリアを背中に隠すようにして、男の方を見据える。
しかし、男の視線はレタリアではなく、目の前にいるミレアに注がれていた。男は両手を合わせて、眩しいものを見るかのように目を輝かせている。
「いや、驚かせてすみません! あの、お姉さん、もの凄くお綺麗ですね。全体の雰囲気が凄く洗練されているというか、そのお洋服もめちゃくちゃ似合ってます! 良ければ、モデルの仕事に興味ありませんか?」
「……え?」
ミレアは完全にフリーズした。男が熱烈な視線を送っている相手は、紛れもなく自分自身だったからだ。いつものボサボサ気味の髪を整え、ソラに無理やり着せられたガーリーな私服を着ているだけの自分が、まさか街中でモデルとやらにスカウトされるなど、計算の範疇に全くない事態だった。
「わ、わたし……ですか?」
普段の冷静沈着な主任としての威厳はどこへやら、ミレアは珍しく顔を真っ赤にして、指先で自分を指しながらうろたえた。男はそんなミレアの初々しい反応に手応えを感じたのか、さらに熱弁を振るう。
「そう、あなたですよ! その黒髪のお姉さん! いや、本当にダイヤの原石を見つけた気分だなぁ」
調子よく賛辞を並べ立てる男の顔を、レタリアはキャスケット帽のつばの下からじっと見つめていた。そして、記憶の引き出しがパチリと合致する。
(……あ。この男、見覚えがありますわ)
そうなのだ。この男は以前、レタリアが一般居住区を歩いていた際、二回「モデルにならないか」と声をかけてきたあのスカウトマンだった。
そんな間にも、男は「連絡先だけでも!」とミレアにグイグイと迫っていく。ミレアはすっかり赤面し、どう断るべきか分からずパニックを起こしかけていた。
見かねたレタリアが、少し声を低くして助け舟を出す。
「えーと、そのー……。このお方は、わたくしの大切な友人なのですが……」
「ん? あぁ、ごめんね、お友達も一緒だったんだ――」
男は一瞬、邪魔をされたという風に怪訝な表情を浮かべてレタリアを見た。しかし、帽子で隠されたレタリアの顔の輪郭、そしてその独特の声を耳にした瞬間、男の動きがピタリと止まった。
男は目を皿のようにしてレタリアの顔を覗き込もうとし、ハッと息を呑む。そして、周囲に聞こえないように、これ以上ないほど声を小声に潜めて呟いた。
「……あれ、あなた、もしかして……レタリアさん、ですか?」
ぎょっとした二人の身体が同時に跳ねる。だが、男が機転を利かせて声を潜めてくれたおかげで、周囲の一般市民がこちらを振り返るようなことはなかった。
二人のその分かりやすすぎる拒絶と警戒のリアクションを見て、男は確信を得たようにポンと手を叩いた。もちろん、それも小声のままだ。
「やっぱりそうだ! いや、見ましたよ、シンセ社の新しいコマーシャルと、ビジョン・ネジョンの特番! あの『暴走令嬢』が自警団で大活躍、ってやつ!」
あまりの熱量に、レタリアとミレアは完全にリアクションに困ってしまい、互いに目配せを交わすことしかできない。有名税とは聞いていたが、まさか帽子をこれほど深くかぶっていても気づかれるとは思っていなかった。
「いやー、俺、あの番組を見てからすっかり大ファンになっちゃって。でも、まさか以前に俺がこの街で声をかけた女の子が、あのレタリアさん本人だったなんて夢にも思わなかったなぁ……。いや、今日また会えるなんて、俺めちゃくちゃラッキーだ」
男は一人で感動に打ち震えながら、何度も頭を下げた。
「あ、お連れ様もすみません。ナンパみたいに声をかけちゃってお邪魔しましたね。あの、もし良ければなんですけど……これ、一生の宝物にするんで、サインとか……もらえたりしませんか?」
男はポケットから、ペンを差し出してきた。
サイン。レタリアにとっては未知の文化だったが、この世界で有名人がファンに行う親愛の証であることは、既に知っている。
(ミレア、どういたしましょ……?)
レタリアは困り果てた目でミレアの顔をうかがう。ミレアは赤みが引いた顔でふうとため息を吐くと、周囲に他の人だかりができて騒ぎになるのを防ぐためにも、ここで素直に応じた方が得策だと判断した。
「……まぁ、そのくらいなら、いいんじゃない? 早く大人しくしてもらいましょう」
「分かりましたわ。……わたくしの名前、でよろしいのですの?」
レタリアの確認に、男はまるで子供のように嬉しそうに何度も首を縦に振った。
「はい! ぜひお願いします!」
手渡されたペンを受け取ると、レタリアは少し考え、男が差し出してきた上着の白い生地に向けて、迷いのない手つきでペンを走らせた。
彼女が書き記した文字――それは、この宇宙のいかなるステーションでも使われていない、彼女の故郷である異世界の文字だった。流麗なその署名は、現地の人間にとってはシンボルのようにも見える。
「――できましたわ」
「おおっ……! これ、すごく格好いいサインですね! なんていうか、独自のシンボルマークみたいで最高です。本当にありがとうございます! これからも応援してますから!」
男は文字の違いを単なるレタリア独自のクールなロゴデザインだと解釈し、大満足の笑みを浮かべると、宝物を抱えるようにして何度も一礼しながら嬉しそうに去っていった。
嵐のような時間が過ぎ去り、再び並木道に静けさが戻ってくる。
レタリアは手を下ろし、少し不安そうにミレアを見た。
「……これで、良かったのかしら? 文字が違うと、不審に思われなかったでしょうか」
「いいんじゃない? あの様子なら、単なる『芸能人の凝ったサイン』としか思っていないわよ。下手にこの世界の文字でぎこちなく書くよりは、よっぽど説得力があったわ」
ミレアは残ったジュースを一口すすると、ベンチの背もたれに大きく身体を預けた。
ペルダ支部からの査察の要求、アーデンシステムの処置、そしてレタリアという「特異点」をこれからどうやって企業の荒波から守っていくか――。ミレアの胸中には、依然として山のような悩みの種が渦巻いている。
(けれど……)
「……たまには、こういう風に頭を空っぽにしてリラックスする時間も、必要不可欠ね。付き合ってくれてありがとう、レタリア」
「あら、ミレア。改まってどうされましたの? これくらい当然ですわ」
レタリアは嬉しそうに微笑み、再びスペーススイカのジュレの話へと楽しげに花を咲かせ始めた。ミレアはその声を心地よく聞き流しながら、差し込む木漏れ日の中に、ささやかな幸福を感じるのだった。




