カンは姦濫の姦
月山は母の遺影の前に座していた。
母の朗らかな笑みが目に浮かぶ。
「姉ちゃん、今日...行くの?」
「うん。今日で決着をつける」
月山は遺影の縁を右手で一撫ですると、立ち上がり緋袴を軽く払った。
仏間を出ようとする彼女を支えるように、右腕をそっと掴んだのは彼女の実弟。
しかし、月山は彼の手を雑に振り払った。
「いらない」
「でも、姉ちゃん目が見えてないから…」
「盲目になって何年過ごしたと思ってるの? ひとりで歩ける」
月山は三年前、みずから目を閉じた。
その行為に及んだのは、ひとえに「姦姦蛇螺」を殺すためだ。
丫—丫—丫◆丫―丫—丫
20××年、関東地方某所の山奥にあった小さな村落に突如として新種の怪異が出現した。
多様な呼び方が存在するが、政府が公開している日本警戒怪異リストに基づけば「姦姦蛇螺」が正式な名称である。
巫女の胴体に大蛇の下半身と、その下半身を目視した人間を無差別に殺害する力を持つため、所詮、数百人に満たない村民は数名を除いて全滅した。
皆、左右どちらかの腕がとれていたという。
怪異は街談巷説から生まれ、それを餌として育つ。
「姦姦蛇螺」も例に漏れず、その怪異の発生源はネット掲示板の話であるとみられている。
とある村落の堕落した神が大蛇の姿で顕現し、村人を殺したため、卓抜した力を持った巫女に討伐を依頼するが、巫女家と村民の謀略によって生贄にされ、結果、バケモノと化したのが「姦姦蛇螺」である。
そして現実に「姦姦蛇螺」の惨劇が再現された。
「姦姦蛇螺」が実際に発生したことを受けて、怪異譚の二次創作に変化が生まれた。
「姦姦蛇螺」を打破する力を持った巫女が再び生まれて、その怪異を祓ってしまうというオチが加えられたのである。
自分の村や町にも「姦姦蛇螺」が出現することを恐れて、「姦姦蛇螺」を倒してくれるヒーロー的存在の登場を願ったのだ。
街談巷説が怪異を生むことはこの世界の常識。別にどこぞの組織・機関に秘匿されている事実ではない。
しかし、人々は街談巷説が怪異を生むことを理解していながら、無責任にも風説をべらべら喋った。
そのツケは、関係のない一家が払う羽目になった。
その一家の名は月山家。
理由は、件の村落に最も近い家であったからだと推測されている。
月山 敦子。
一家の母であった彼女に、「姦姦蛇螺」打破のための力が唐突に与えられた。
二年後、「姦姦蛇螺」との二度目の戦闘で死亡した。
一度目の一本を除いて、両腕がもがれ、傷のない臓器は無かった。
下半身は無く、「姦姦蛇螺」に持ち去られたと思われる。
次いで、敦子に押し付けられた力は長女に継承された。
その名を月山 春海。
今日、「姦姦蛇螺」に引導を渡す怪傑の名である。
丫—丫—丫◆丫―丫—丫
春海が玄関を出ると、三十名ほどの息遣いと衣擦れの音が聞こえた。
音は二列に分かれている。
前回、まだ目が見えていた頃の春海が「姦姦蛇螺」討伐に向かった際の記憶に拠れば、黒スーツが二列で向かい合う形で車までの道を作っているはずだ。
彼らは政府の人間。
春海の「姦姦蛇螺」討伐をバックアップするために集結した神官たちである。
「春海さん、ご準備はよろしいですか?」
「見ればわかるでしょ」
春海の冷たい一言に、黒スーツは黙して衣擦れの音だけを立てた。
硬い表情と喪服のような黒さが目に浮かび、母の葬式を彷彿とさせた。
春海は、向かう先にあるはずの車は霊柩車なのだろうと思った。
「姉ちゃん!! やっぱ...」
「討伐なんてやめようよって言いたいの? 関係ないもんね。照は男の子だから」
「でも、姉ちゃんは目も左腕も失って…姉ちゃんいなくなるのは嫌だよ...…」
月山家は、姉弟が幼少の頃に父が亡くなっているため、姉が戦死すれば照は独りになる。
肩を震わせて切実に訴えかける弟に対して、春海の声音は冷めきっていた。
「私が死んだらこのクソみたいな力は誰にわたると思う? 八百屋のおばさん? 近所の沙織さん? もしかしたら三歳のしーちゃんかもね。皆にこんなボロ雑巾になる責務を背負わせるっていうの?」
照は苦悶の表情で俯いた。
「『姦姦蛇螺』を殺すには最低でも目は潰さなきゃいけない。照は懇意にしてくれた女の瞳が光を失う瞬間を見届けられる? 冗談じゃない」
言い返そうとする意思がないと判断するや否や、春海は車に乗り込んだ。
「姉ちゃ———」
名残惜しがる声に、春海の後ろ髪が引かれることはない。
丫—丫—丫◆丫―丫—丫
駐車場のアスファルトの上に滑らかなシルクの風呂敷を広げると、アタッシュケースの留め具を外す音がした。
「右上が本坪鈴、左上が鈴緒、中央に神鏡、右下に形代、左下に千早がございます」
右上に手をやると真鍮の光沢を感じる。
振るとゴランゴロンと重厚な鈴音が鳴る。
それもそのはず、その本坪鈴は五十キロ超えで、鈴緒に繋いで振り回せば鎚のごとく、人体の頭部程度なら破壊するに足る。
蜘蛛糸で糾われた鈴緒は蜘蛛糸でできていることから理解るように、特注品であり、鈴と繋ぐための金具も五十キロ超えの鈴に堪えうる特別製だ。
中央の神鏡は籠手の役を担う。
春海の神力——「姦姦蛇螺」打破のために与えられたチカラを便宜上こう呼んでいる——に調和して物理・呪術攻撃を跳ね返す。
関節の動きを阻まないために、前腕の長さを超えない程度のサイズに調整されている。
右下にはポケットティッシュ三つ重ねた程度の厚みの、形代の束がある。
既製品だが、安井金比羅宮の最高級品であり、悪縁を祓い落とす。
回復アイテムの認識で良いだろう。
左下には絹の千早。
春海の動きを損なわないために薄手であるが、神力によって身軽さを保ちながら甲冑を凌ぐ防御力を誇る。
隻腕の春海に合わせて左袖の穴は無い。
以上五つの神具を撫で、揺らし、嗅ぎ、損壊や異常が無いことを確認する。
「うん、問題ない」
「承知いたしました」
神具を並べた黒スーツとは別の人間が背後に立つ。
千早の擦れる音がする。
「千早、失礼いたします」
春海の伸ばした腕に袖が通される。
絹は肌触りが良い。
「神鏡、装着させていただきます」
神鏡の裏側についている輪に腕を通す。
腕時計のように輪のサイズを調整する。
腕の圧迫と神鏡の冷たさは少々心地よい。
「形代の紙帯、解かせていただきます」
紙帯テープを外す音がする。
形代の束が手渡され、春海は懐に入れ、帯に挟み込み、草履に忍ばせた。
「本坪鈴と鈴緒、繋げさせていただきます」
金属の擦れる不協和音。
鈴が不意に外れる事態は回避したいため、しっかり固定している。
春海は、鈴と鈴緒が確実に接続していることを確認した。
徐ろに立ち上がり、鈴緒を担いだ。
「『姦姦蛇螺』の撃滅、どうか⋯どうかよろしくお願いいたします。いってらっしゃいませ」
「うん」
黒スーツらの礼を待たずに淡白な返事を言い捨てた。
春海に言わせれば、国の黒スーツらは道具をせっせと準備しただけで、使命果たしましたという面をしているのが想像ついて腹立たしい。
目を捨てれば誰でも「姦姦蛇螺」と戦えるのに、神力があるとは言え、目と腕と青春を捨てた十五の少女に血濡れた剣を持たせるだけとは。
神職の名が聞いて呆れる。
だが、春海の腸が煮えくり返るほどに殺してやりたいのは「姦姦蛇螺」。
八つ裂きでは済まさない。
母の墓前にやつの生首を供えてやるのだ。
怒髪天を衝く春海は、喧しい静寂が支配する森奥に対して、微塵の恐怖も抱くこと無く大股で進んでいく。
やがて森閑とした木々の合間に湿っぽい山気が流れた。
何かを引きずるような音が断続的に響く。
りんりんりん、りんりりりん
規則的な神鈴と中の玉が摩擦を起こして黙然と響く。
春海の接近に気づいていながら、特に感興を催すでもなく勝手に来れば、と歯牙にもかけない態度に春海の心中に火花が散る。
鈴の音が大きくなってきた。
ということは、春海の目の前には紙垂の絡みついたフェンスが立ちふさがっているはずだ。
春海はフェンスの扉を開いた。
鍵は無い。
このフェンスの高さくらい「姦姦蛇螺」なら悠に乗り越えられるからだ。
そもそも、このフェンスは「姦姦蛇螺」の住処の境界を明確にするものでしか無い。
神楽鈴の音が止まった。
春海は鈴緒をカウボーイよろしく振り回し、無き左腕の代わりに脚で鈴緒を踏みつけた。
ゴランゴランと空気を巻き、力をためて、木霊で「姦姦蛇螺」の位置を測る。
その間にも、「姦姦蛇螺」はその長い蛇の尾をずるずる動かして春海を包囲している。
先手を打たれる前に春海が動いた————————。
投擲された本坪鈴の軌道が弧を描き、「姦姦蛇螺」の右側面に目掛けて飛来した。
「姦姦蛇螺」の三対の腕が右側頭部を守った。
「アホかよ」
鈴が「姦姦蛇螺」の腕を舐めた。
後頭部を通過する。
————ごらん
「姦姦蛇螺」の首がぐじゅりと言った。
頭部だけが真後ろを向く。
鈴緒は胴体を軸として数周した後、三本の腕を巻き込んで緊縛した。
腕と肋骨の砕ける爽快な音が聞こえる。
「前回と同じ手食らうとか馬鹿なの?」
「姦姦蛇螺」の腹部に春海の拳が肉薄する。
縛られていない三つの腕の肘関節、後頭部、頚椎、大蛇の尾。
数瞬の間に鉄拳がめり込んだ。
骨、内蔵、筋肉の破壊の感触を確実に得てから、呼吸を整えるため十数歩後ろに下がった。
反撃の気配は無い。
だが、春海はわかっている。
「姦姦蛇螺」は舐めプしていることを。
「い、い、い——————」
独特な笑い声とにちちと裂ける口端の音。
「掛介麻久母畏伎 伊邪那岐大神 筑紫乃日向乃 橘小戸乃阿波岐原爾 御禊祓閉給比志時爾 生里坐世留祓戸乃大神等 諸乃禍事罪穢 有良牟乎婆 祓閉給比清米給閉登 白須事乎聞食世登 恐美恐美母白須」
口早に祓詞を奏上するのは「姦姦蛇螺」。
ぴぺきにちぐちゅじゅごじゅご。
ダメージを与え、「姦姦蛇螺」の身体が損壊したときのそれとは異なり、絡みつくような水音である。
「っ!!!!」
春海の後頭部、腹部、脚部に邪な気配を感じた。
頭を横に振る。
頭が先程あった空間に、何かが突撃した。
冷や汗を垂らす間も無く、走り高跳びの要領で飛び退いた。
風圧、空気の揺れ、脚と腹の肌に唐辛子を塗りたくったような緊張が走る。
今の攻撃は恐らく、大蛇の尾突。
鈴緒が引き千切られる感触が伝わる。
鈴緒を引かれて身体が釣り上げられることを警戒して、春海は素早く鈴緒を回収した。
再び投擲の力を溜める余裕はなかった。
矢継ぎ早に攻撃が飛来する。
「姦姦蛇螺」の厄介な点は呪術を扱えることである。
加えて、「姦姦蛇螺」の説話は一切がオリジナルであり、現実の神社・寺院などの由緒や伝承を設定に組み込んでいない。
そのため、扱う呪術を予測する余地が皆無に等しく、毎回初見の技が披露されてしまう。
いま丁度、春海の身体を輪切りにするところであった無音の攻撃も、「姦姦蛇螺」が扱う結界の破片が正体であることは理解るが、初めての攻撃方法である。
春海の千早が、緋袴が、襦袢が、柔肌が。
一撃一撃が衣を削り、肉を裂き、暗赤色をにじませる。
少しでも攻撃・防御のレパートリーを増やそうと考えて採用した神鏡は、気づけばキャパシティを超えた攻撃を繰り返し受けて、砕け散っていた。
傷を形代で拭って穢れと傷を癒やすが、それを取り出して傷を拭うだけの動作の時間すら惜しいほどの猛攻が続く。
数百数千に及ぶ攻防。
疲労とダメージは緩やかに、澱のように蓄積していく。
対照的に、祓詞を唱えれば忽ち肉体的損傷を復原する「姦姦蛇螺」は、余裕綽々で憫笑を絶やさない。
「っは、っはぁッ⋯調子⋯乗んな⋯⋯っ」
鈴緒を振るって「姦姦蛇螺」の頭部に直撃させた。
手応えはある。しかし、深いダメージを与えられているという確信はない。
疲労が明白に春海のパフォーマンスを下げている。
「─────急急如律令」
「姦姦蛇螺」が、息継ぎも無く滔々と述べ続けていた呪文の締めが来る。
刹那、晴海の身体は空に縫いとめられた。
両の足は地を離れ、右腕は見えぬ釘に貫かれた。
実際に風穴は開いていないが、痛みは確かにある。
「くっ⋯⋯そぉっ⋯⋯⋯!!」
やけくそ気味に脚を振り回すが、「姦姦蛇螺」には届かない。
がら空きの胴体に「姦姦蛇螺」の六つ腕の暴力が絶え間なく浴びせられる。
肺の息が全て吐き出され、掠れた苦悶の声を漏らす他に術がない。
神力を纏う春海の身体は、「姦姦蛇螺」のような怪力の拳を受けても苦痛があるだけだが、何度も何度も繰り返し攻撃を受け続ければ、いずれ致命傷になる。
現に春海の腹部は赤黒く、痛みがミキサーみたいにずっと暴れている。
下劣な笑い声を添えて殴られるたび、母の痛々しい遺骸がより鮮明に思い起こされる。
春海の身体は、母の最期の姿に重なりつつある。
「⋯⋯ぁ⋯⋯⋯⋯ぅ⋯」
音が濁り始める。
ひときわ激しかった右腕と腹部の痛みが鎮まってきた。
痛覚を手放すのは絶対に良くないことだと春海は理解しているが、楽になりたいとも思っている。
母とは三年も会っていない。
さらに、神力を負わされてから母は「姦姦蛇螺」退治に注力させられていたので、死ぬ二年前から滅多に話せていなかった。
(お母さん⋯⋯⋯⋯⋯⋯恋しい⋯⋯⋯)
神力のことも姦姦蛇螺のことも、さっぱり忘れて。
(未練⋯⋯は⋯⋯⋯⋯⋯や⋯⋯⋯で⋯も⋯⋯⋯)
虚ろな心象風景にちらと現れた、泣きじゃくる弟の姿。
「姉ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!!」
蹴っ飛ばされたような衝撃を、春海は感じた。
弟だ。照彦の強声だ。
何でこの場所に!? 黒スーツは何故侵入を許した!? 照が姦姦蛇螺を見てしまう!
春海の胸中は疑問と驚愕と心配で破裂せんばかりだった。
焦った春海は、照彦に目を瞑るように警告するため声を張り上げようとするが、生憎、肺に空気は残っていない。
「あぁぁっっ⋯⋯⋯!」
照彦の短い悲鳴。
飛び散らばる水音。
人間の身体が土を叩く鈍い音。
春海は、全身に感じていた疲労と痛みが急速に消えていくのを感じる。
しかし、先程の静寂に向かう消失ではない。
熱を帯びて苛烈に沸き立つ感覚。
彼女は、眉唾に思っていた火事場の馬鹿力の存在を確かに認めた。
干物だった脚は「姦姦蛇螺」に鋭いアッパーを食らわせ、びくともしなかった右腕の拘束は難なく解け、奴の蛇尾を全身で掴んだ。
「んおらぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!」
「姦姦蛇螺」が砲丸投げの要領でブンブンと振り回される。
今までの春海とは比にならぬほどの化け物じみた膂力が、「姦姦蛇螺」を遠心力の奴隷たらしめた。
そして、投擲された「姦姦蛇螺」は音を破って、フェンスを破って、木々を破って吹っ飛んでいった。
春海は「姦姦蛇螺」がちゃんと遠くへ飛ばせたかを確認するより先に、弟のもとへ一心不乱に駆けていた。
倒れ込むようにして照彦の身体に触れる。
春海が右手に感じたのは鎖骨の出っ張り。
手を少し上にスライドして、頸動脈に触れると、少し速いが脈はある。
ここで、照彦が息切れしている事実に気づいた。呼吸がある。
首から伝っていき、彼の右腕を撫でるように確かめる。
左腕も丁寧に確かめた。
腕は無事だった。
血のぬめりも無い。
少しでも切断の可能性があることを怖れて、胴体を経由して触りつつ両脚も確認したが、足先に至るまで
怪我は無かった。
春海は今まで満足にできていなかった呼吸を再開し、深く息を吐いた。
では、先程確実に聴こえた水音は何だったのか。
春海はてっきり、「姦姦蛇螺」の蛇の下半身を目撃したことで怨念を喰らい、片腕が落ちたために噴き出した血の飛び散る音だと思っていた。
「姉ぢゃん⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「照っ!!!」
弟の口元から聴こえた粘ついた水音。
春海は口元の確認を怠っていた。
外傷はなくとも、吐血しているかもしれない。
案の定、照彦の口元にはぬめりがあった。
しかし、口から出たものではない。そうであれば口全体に血が着くだろう。
血を辿っていく。
その場所は鼻腔。
⋯⋯鼻血だ。
「姉⋯⋯⋯ぢゃん⋯⋯」
「なに!? どうしたの!? どこか痛いの!?」
「あの『姦姦蛇螺』⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯めっちゃどエロい⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯ん?⋯⋯⋯⋯⋯」
丫—丫—丫◆丫―丫—丫
「日本怪異猥化表現会」
日本のイラストレーター、エロ漫画家、官能小説家が中心となって結成した民間非営利組織。
日本全国の怪異の弱体化と怪異被害の抑止を社会的使命として、SNSやWeb小説投稿サイトなどを中心に活動している。
主な活動内容は、日本に出現する怪異を題材としたエッチなイラスト、漫画、小説の描画・執筆と投稿である。
エロとは恐怖の対極に在るもの。
よく死を象徴する幽霊は、生を生み出す行為である性産行為が苦手だとされる。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉にあるように、怪異は人間が現実の事象を誤認することで発生することが多く、誤認の原因は往々にして恐怖の仕業である。
件の「姦姦蛇螺」も人々の恐怖を掻き立てて楽しませるために作られた怪談から産まれた怪異である。
ならば、その怪異をエッチにしてしまえば良い。
例えば、現代の怪異「八尺様」は猥化怪異の好例である。
「八尺様」は、応急的な対処は他の怪異と比較しても、個人レベルで可能なほど簡単だが、抜本的な対処は神職・僧侶複数名の協力が必要不可欠という、極めて執念深く厄介な怪異である。
魅入った人間に執着し、対処を誤れば殺害される可能性が高く、2000年代後半に大量発生して数多の人間が落命した。
それが現在では、男性を通り魔的に捕まえて「尺八」するだけの怪異に変質した。
「八尺様」は女性的でグラマラスな肉体をしていて、加えて高身長というチャームポイントがあるため、男性諸君の恋心とスケベ心を鷲掴んで止まないのだ。
「姦姦蛇螺」も、「日本怪異猥化表現会」による「姦姦蛇螺」を題材としたエロ絵・エロ漫画・官能小説の積極的な投稿・刊行が行われており、猥化に成功していた。
照彦が鼻血を噴き出したのは、「姦姦蛇螺」が破廉恥な格好になっていたからである。
エロはPower!!
エロはStrong!!!
エロはMagnificent!!!!
人々の恐怖を背負って威張っている怪異なぞ、エロの前には地をせこせこ這う蟻に等しく無力なのだ。
丫—丫—丫◆丫―丫—丫
「⋯どんな姿?」
「すっ⋯ごいぃ⋯⋯すっごい大っきなスイカが二つぶら下がっててぇ⋯⋯胸部は一糸纏わぬ姿でぇ⋯⋯⋯あ⋯顔は優しそうな垂れ目で可愛くってぇ⋯⋯⋯蠱惑的な笑みぃぃ⋯⋯⋯腹筋の縦筋だけがすすと走っていてぇ⋯⋯でもへそは『貝』といっしょにヴェールで隠されていてぇ⋯⋯⋯⋯不可視の美徳ぅ⋯⋯⋯」
照彦は夢現といったさまで、うわ言のように呟いている。
「⋯⋯⋯⋯ま⋯⋯じか」
春海の脳内で先程の戦闘が映像化される。
血気迫る表情で戦う私の顔の前で、丸出しのスイカを下品に振り回しながらにぃと笑う「姦姦蛇螺」。
あれほど不気味で鬼哭啾々たる雰囲気を纏っていたのに、もう奴の笑みはただの痴女の誘惑的な笑みでしかない。
(私は決死の覚悟で戦ってたのに⋯⋯⋯⋯⋯もう喜劇じゃん⋯⋯⋯⋯)
闘志や覚悟が加速度的に萎びて逝くのを、春海は感じた。
ずりずりずずり りんりりん
春海が耳にした「姦姦蛇螺」の移動音と神楽鈴の音。
その鈴もどうせ琳の玉なのだろう。
春海はもうぜーんぜん怖くなかった。
「セ◯ズリズリズリ喧しいんだよォォォォ!!!!」
立ち上がって腕を振った。
春海の裏拳は「姦姦蛇螺」の頬にクリーンヒットした。
そして、春海はバレーボールを思い出した。
「え?」
春海の手の甲には、「姦姦蛇螺」の頭部が取れて吹っ飛んでいった感触が染みている。
春海は手関節の動きを確かめるみたいに腕を軽く振った。
春海は「姦姦蛇螺」のあまりの弱さに驚きを隠せない。
先程までなら頭部に渾身の一撃を与えても、せいぜいが頚椎骨折程度で、首の皮が千切れるには至らなかった。
丫—丫—丫◆丫―丫—丫
春海は知る由もないことであるが、「姦姦蛇螺」の急速な弱体化現象は彼女の神力が関係している。
怪異というものは、虫眼鏡で集光して黒紙の上に生む火と同じである。
「光」が人々の感情で、「虫眼鏡」という世の理によって束ねられ、「火」を生み出す。
ところが、春海の神力が単体で「虫眼鏡」の役割を果たし、春海の「姦姦蛇螺」に対する恐怖をふんだんに食した「姦姦蛇螺」が出来上がっていたのだ。
一人の人間の感情が怪異の力量を左右するというイレギュラーが、春海に苦戦を強いていた。
加えて悲しいことに、「姦姦蛇螺」の攻略のために盲目となった春海の選択は、見えない「姦姦蛇螺」の姿を勝手に恐ろしいものだと想像させてしまうだけの悪手だった。
丫—丫—丫◆丫―丫—丫
春海は追撃を加えるため、目の前にあるはずの「姦姦蛇螺」の胴体を殴打した。
そこに肉体は確かに在ったが、反応はない。
微妙に温い肉の塊という感想を抱かせるほどに。
嫌な予感がした。
春海は恐る恐る触って確かめる。
途中で現実的でないサイズの肉の双丘が彼女の掌を柔らかく呑んだ。
「品が無いッッッ!!!」
それを往復ビンタした。
ビンタした後、首を確認したが頭部は未だ繋がっておらず、寝癖みたいにぴょんぴょん飛び出た肉の筋とダコボコとした骨があった。
血は噴いておらず、冷めてきたお茶を入れた湯呑みを触った時の絶妙な温かさがあった。
春海は辺りを探し回って、サッカーボールに生まれ変わった生首を発見したことで確信した。
「姦姦蛇螺」討伐成功⋯⋯⋯⋯⋯!
「なぁん⋯⋯⋯なんか⋯⋯違うよぉ⋯⋯⋯⋯」
「姦姦蛇螺」の討伐に関して理想なんてものは無く、泥臭く、地を舐めても血みどろになっても、相打ちになってでも殺せれば過程はどうだって良いと思っていた。
でも、この結末は⋯⋯⋯⋯違う。
弟の発言を聴いて毒気を抜かれていたときの、半ば反射的な裏拳による殺害。
「いや、過程問わないつもりだったんだから、これでいいはずなんだけどぉ⋯⋯⋯」
拳一発で殺れるとわかっていたなら、母と弟そして春海自身の恨みを掌中に握りしめて、「姦姦蛇螺」に叩き込んでやるカタルシスを得たかった。
釈然としない結末である。
だが、春海の頬は緩んでいた。
そんな贅沢な悩みが生まれるのは、悲願達成を実感したがゆえ。
春海の心中は俄に晴れゆくことは無いが、吸い込んだ空気は程よく冷たくてさっぱりしていた。
「姉ちゃん⋯⋯⋯⋯」
「なに?⋯⋯⋯」
「俺、官能小説家になるよ⋯⋯⋯。あのエロを⋯文字に起こす⋯⋯⋯⋯使命だ⋯⋯⋯」
「あ⋯⋯⋯そう。ってか、絵じゃなくていいの? 昔から絵上手かったじゃん」
「それじゃ姉ちゃん見えないからさ、文字にして俺が読み上げてあげるよ」
「か⋯⋯官能小説⋯を⋯⋯? 弟の口から⋯⋯? え⋯⋯遠慮しとこうかな⋯⋯。ま、でも⋯⋯
ありがとう」




