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第三十話 <エンス>

 煉獄牢・第三層。


 そこに足を踏み入れた瞬間、

 空気の質が変わった。


 熱いのではない。

 ――選別されている。


 呼吸をするたび、肺の奥で炎がこちらを値踏みするような感覚が走る。


「……ここは“処刑層”じゃない」

 焔環の一人が呟く。

「思想犯や能力者を“壊す”場所だ」


 通路は円環状。

 床には巨大な火陣、壁には無数の観測孔。


 そして――

 足音が、反響しない。


「気をつけて」

 イオが低く言う。

「ここ、音が吸われてる。風も……流れが読めない」


 その瞬間。


 火陣が、一斉に灯った。


 ――ゴウッ。


 炎が立ち上がった、のではない。

 炎が“形を取った”。


 人型。獣型。

 鎖を引きずる影。


「《焔拘兵》……!」

 焔環が叫ぶ。

「生体反応を模倣する炎の監視体だ!」


 次の瞬間、

 焔拘兵が一斉に動いた。


 レンは反射的に剣を振るう。

 だが、刃は“切り裂いた感触”を残さない。


「実体が……薄い!」


「物理だけじゃ削れない!」

 イオが叫ぶ。

「熱と意思が混じってる!」


 焔拘兵の一体が、レンの背後へ回り込む。


 炎の腕が伸び、掴もうとする――


 だが、その瞬間。


 レンの胸が、微かに脈打った。


 アクア・リヴァーサーが反応する。


 水蒸気が、輪のように広がる。


 炎が――怯んだ。


「……効いてる?」

 レンが驚く。


「炎は“流れ”を嫌う」

 焔環の導師が叫ぶ。

「停滞した熱だけが、ここでは力を持つ!」


「なら――」


 イオが一歩前に出た。


 両手を広げ、深く息を吸う。


 風は操らない。

 風に“道を思い出させる”。


「――動け」


 閉じていた流れが、わずかに戻る。


 炎が揺らぎ、形が崩れる。


「今だ!」


 レンが踏み込む。

 剣先に、水の流動が纏わりつく。


 一閃。


 焔拘兵は、霧散した。


 だが――


 拍手が響いた。


 乾いた、愉快そうな音。


「やはり、君たちは面白い」


 通路の上層。

 火鏡の向こうに、人影が立っていた。


 炎色の外套。

 冷えた目。


「……エンス」

 イオが吐き捨てるように言う。


「裏切り者、なんて顔じゃないね」

 エンスは肩をすくめた。

「真実を追う者の顔だ」


 レンを見下ろし、続ける。


「君がここまで来た理由も、

 ヴァルドが“壊れずにいる理由”も、

 全部、炎は知っている」


「ヴァルドを返せ」

 レンが言う。

「彼は……必要なんだ」


「必要?」

 エンスは小さく笑った。

「違う。彼は“鍵”だ」


 その言葉と同時に――


 第三層の奥で、

 何かが、吼えた。


 人の声ではない。

 だが、明確な“意志”。


 焔環の者たちが、息をのむ。


「……聞こえたか」

 エンスが静かに言う。

「まだ檻の中にいる。

 だが、もう目覚めかけている」


 火鏡が暗転する。


 同時に、警報が鳴り響いた。


「第四層、解放」

「対象、“炎核拘束区画”へ移送」


 焔環の導師が歯を食いしばる。

「……時間がない」


 レンは剣を強く握った。


「行こう」

「次で、必ず助け出す」


 その先に待つのは、

 炎の獄と、真のヴァルド。

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