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第六章 過去から声をかけられた

「先生、昼飯食おうぜ」


 雨の日の昼休み、高橋くんが弁当袋をぶら下げて声をかけてきた。


 ここ最近は早坂さんが椅子を後ろに向けて、なんとなく二人で昼食を摂ることが多かった。たまにクラス委員の仕事があった流れで、金沢さんたちが合流することもある。

「俺と、ですか」

 いつもと違う昼休みを過ごす未来に、俺は少し逡巡する姿勢を見せる。

「早坂さんも嫌じゃなければ一緒にさ。今日、この天気だろ? いつもはサッカーしてんだけど、外出れないから暇でさ」そう言い、彼は早坂さんも誘った。


 個人的には、彼と机を囲むことには何も問題無い。しかし、教室では関わる相手を絞っている早坂さんとしては、少し面倒に感じるのではないだろうか。

「そのメンツで食べないんですか?」

 俺は一応質問してみる。

「だってクラス分かれちゃったもん」

 なるほど。と前の席を見ると、こちらを向いた早坂さんは、少し眉尻を下げてうなずいた。

「いいですよ。あと、若井です」

「サンキュー師匠!」

「若井です」


 高橋くんは自分の席から椅子を持ってきて、俺の机の横に置いた。

 三人で一つの机を囲むと、思ったより手狭だった。その上、早坂さん以外の弁当は二段重ねなので、なおさらスペースを取る。

「なんか、茶色いですね」高橋くんの弁当を見て俺は言った。上段のおかずはとんかつに唐揚げとソーセージ、それに焼きそば。下段には一面そぼろご飯が敷き詰められている。

「食べ盛りなんだからいいじゃん! こういうのが一番テンション上がんの。そういう先生はめっちゃカラフルだな」

「母の仕事が仕事なので」

 サラダや鰆の南蛮漬け、豆腐ハンバーグと、健康診断直後のサラリーマンが渡されるような中身の弁当を見て彼は言った。

「若井さんのはいつも健康的ですよね。お母さんが栄養士って、羨ましいです」

 そういう早坂さんの弁当も、俺のものと大差は無い。しかも自分で作ってきているというのだから恐れ入る。

「ところでさ」焼きそばを一口で処理した高橋くんがもごもご言いながら、箸を持つ右手の人さし指で俺と早坂さんを指し示した。「ここの二人って、付き合ってんの?」

「へ!?」驚いた声を出し、早坂さんは頬を紅潮させる。

「どうしてですか?」俺は言ってから、聞くまでもなかったと思い直す。

「だって、いつも一緒じゃん。早坂さんが他の男子といるとこも見たこと無いし」

 席が近くて部活も同じであれば、自然と同じ時間を過ごすことも多くなる。恋人関係だと思われても仕方ないかも知れない。だが――

「それは、早坂さんに失礼ですよ」遠慮がちに俺は言う。「俺とは釣り合わないし、もったいないです」

 Kotomiとしての彼女を知っているだけに、彼女は自分の中で高嶺の花という位置付けだった。

「え? そんな――」早坂さんは何か言いかけたが、高橋くんが言葉を続ける。

「じゃあメグミちゃんか? あの子最初からお前にご執心だし」

「いえ。彼女も、クラス委員として一緒にいるだけだと思います」

 それに金沢さんは、俺のことをナイスミドルの推し活対象として見ているし、そこに恋愛感情は生まれないとハッキリ宣言されている。

「ほんとかよー。先生、二年になってから女子の繋がり増えすぎじゃね? 写真部の部長もめっちゃ美人だし。なにあれ!」

「知らないですよ。ラノベの主人公にでも選ばれたんじゃないですか?」

「ラノベ??」


 冗談はさておき。たしかに、高橋くんと陣内先輩を除けば、ここ最近接しているのは女子ばかりだ。

 はたから見れば、冴えない男子高校生が女子高生に囲まれるハーレム展開に映っているだろう。

 最初に声をかけてきたのが、陽の空気を纏った金沢さんだというのも要因の1つかも知れない。

 思春期ロードのど真ん中をひた走るようなキャラの彼からすれば、なおさら興味が湧く状況だということは間違いない。

「でも、その発端は高橋くんですよ」

「え、俺?」

 虚を突かれた表情で彼は言う。

「そういえば、たしかにそうですね」と早坂さん。


 そう。元を正せば、高橋くんが俺をクラス委員に推薦したから、金沢さんが立候補してきたし、クラス委員になったから時間割のプリントを忘れて、早坂さんとの関係が生まれたのだ。

 ということをかいつまんで説明すると、高橋くんはなぜか誇らしげな表情を俺に向けてきた。

「じゃあ感謝の印として、それちょっとちょーだい」

「あっ」

 高橋くんは、俺が今切り分けた豆腐ハンバーグのかけらを箸でひょいとつかみ、口に放り投げた。



 そういえば、早坂さんはなぜ男子と交流を持たないのだろうか。

 高橋くんの言った事が少しひっかかる。


 放課後になると雨が上がり、お待たせとばかりに太陽が顔を出していた。

 雨天中止を免れた校外活動のため、校門前で待ち合わせた写真部の面々と駅へ向かいながら、俺はふと考える。


 少年マンガやガジェットという趣味は、男子と共有すれば永遠に盛り上がることができるのに、それを話すのは部活の時だけ。

 クラスの男子がそういう話題を展開している時にも、彼女はウズウズしながら自分を抑えている様子だ。

 もしかすると、それは早坂さんが変装している理由に関係あるのかも知れない。


 今日の部活動は、電車で2駅離れたところにあるショッピングモールへ向かう。

 そのビルの9階にある、展望スペースからの風景を撮影することが目的だ。

 夕方には眼前のビル群へ西日が綺麗に差し込み、日の入りを過ぎるまで粘れば夜景も撮れる。その階から上はオフィスフロアになっているため、デートで来るカップルなどもいない。知る人ぞ知る撮影スポットだ。


 最寄り駅に到着し、俺と陣内先輩、それに藤本さんは、早坂さんと西郷寺先輩がトイレから出てくるのを待っていた。


 中で着替えとメイクが済んで出てきた早坂さん、もといKotomiは、膝上のタイトめな黒いスカートにブーツ、そこへ白いブラウスをタックアウトで合わせ、その上から短丈の黒いジャケットを羽織っていた。髪はポニーテールに結わえ直している。

 その都会的な着こなしとメイクが、高校生離れした妖艶な雰囲気を醸し出していた。

「未来都ちゃん。今日はちょっとテイスト違うね」手元のスマホから目線を上げ、彼女の姿を捉えた陣内先輩が言った。

 たしかに、ここまで丈の短いスカートを履いている彼女は珍しいかも知れない。下半身の布面積が、シャツの裾で隠れてほとんどゼロになっているので、少し目のやり場に困るほどだ。

「はい、案件の依頼で提供された服なんです。私もちょっと落ち着かなくて」

 そう言い、早坂さんは照れ臭そうにはにかむ。

「と、とっても似合ってます! 羨ましいです!」と藤本さん。さっそくスマホで早坂さんを被写体に捉えている。

 最近、彼女も早坂さんからの影響なのか、ほんのりメイクをしていて女の子らしさが上がっている。うまくいけば、高校デビューも成功するかも知れない。


 ショッピングモールへ到着し、1階のエントランスに入る。

 ビルの内部は、7階までは吹き抜けになっていた。

 もしも、見た目が子供で頭脳が大人な探偵さんの劇場版アニメにここが出てきたとしたら、少年探偵団のガキ大将が天井を見上げて「すっげー!」と言い、物語の中盤で上から人が落ちてくるんだろうな、というところまで想像できる高さだ。

「未来都。せっかくやし、なんか買い物していく? こないだ言うてたバスボム売ってる店あるよ」

 エスカレーターの先頭に立った西郷寺先輩が振り向いて言う。一番下にいる俺からは、スカートの中がギリギリ見えそうになっていて気まずくなり、慌てて目をそらす。

 早坂さんの服装を見たせいで、視線がアダルトな方向に誘導されやすくなっている気がする。


 2階に上がると、件の店の前で店員が入浴剤を泡立てていて、フローラル系のいい香りが漂っている。

「わぁ」と感嘆の声を出し、早坂さんが店の方に向かっていくと、目を丸くした店員が彼女に話しかけた。

 ひとしきり言葉を交わすと、早坂さんはこちらに戻ってくる。

「荷物になるから、帰りにまた寄ります」と彼女は言う。

「今の店員さん、Kotomiを知ってたのかい?」と陣内先輩が問うと、早坂さんはまた照れくさそうな顔をしてうなずいた。

 一連の行動が完全にインフルエンサーのそれであり、なんだか彼女が急に遠い存在になったように感じる。


 夕方になるまで少し時間があったので、6階のフードコートにあるカフェへ寄ることになった。

 話題は今日の昼、高橋くんと話していた内容がメインとなる。早坂さんが珍しく、写真部以外の男子生徒と話したということで、周りは興味津々の様子だった。


「じゃあ、そのクラスメイトがいたから、ミーティング後の未来都に誘われたっていうことなんやね」

 西郷寺さんは、自身の顔よりも大きいパフェにスプーンを突き立てながら言う。その細い体のどこに、これだけ大きな食べ物の入る余地があるのか。写真部七不思議の一つである。

 もちろん、早坂さんから写真を見せてもらったり、彼女の涙を見たことについては言及を避け、最低限のきっかけのみを話した。

「そうですね。去年から同じクラスなんですけど、なんか変なタイミングで気が利いているというか。不思議な人です」

 俺はブレンドをすすりながら言う。砂糖とミルクを入れたらすごく意外な顔をされたが、なぜなのだろうか。

「今度彼も写真部に誘ってみるか」

 アイスラテを飲む陣内先輩はそう言うが、高橋くんはどう見ても運動部のタイプだ。実際サッカー部に所属し、昼休みも放課後もボールを追いかけて走り回っている。

「よ、陽キャの人、こわいです」

 藤本さん、アサイーヨーグルトに刺さったストローと間違えてマドラーを吸ってしまうほど動揺しなくても、彼は入部しないと思うので大丈夫ですよ。

「でも。見た目の割にと言ったら失礼になっちゃいますけど、いい人ですね」

 半分まで飲んだダージリンティーにレモンを追加しながら、早坂さんは言う。

 そう思ってくれたならよかった。この調子で他の男子とも気負わず話すようになってくれてもいいと思うのだが、無理強いすることでもないのだろう。


 時刻は18時となり、カフェを出た俺たち5人は、目的地となる7階へ向かった。

 到着すると、そこには床から天井まで、高さ10mはあろうかという巨大な窓が柱を隔てて張られ、その手前にはカウチと丸テーブルが並べられている。日中は昼休みにランチを終えたサラリーマンが、ここで休憩してから仕事へ戻ってゆくのだろう。


 30分ほど待っていれば、窓外は日が沈む寸前のマジックアワーを迎える。

 その瞬間を逃さないよう、各々がいつでも機材を使えるように準備していた。早坂さんは三脚を伸ばし、窓際にカメラを設置している。

「長時間露光ですか?」訊くと、彼女はうなずいた。

「夜景の長時間露光もいいんですけど、マジックアワーの明るさと車のテールランプを合わせると、より幻想的な感じになると思うんです」

 インスタにアップされていた、摩天楼の写真を思い出した。

 早坂さんが撮る写真には、現実の風景の中にあるファンタジックな要素を浮き彫りにしようとする目的が一貫しているような気がする。

 たとえばそれは、この世とあの世の両方を渡り歩いてきたような視点だ。


「若井さん、オーディオブックって聞いたりしますか?」

 その言葉に思考が引き戻されて彼女を見ると、手のひらに乗せた何かをこちらに差し出していた。

「これは?」形状的に、イヤリングのような見た目をしている。

「この前レビュー用にもらったイヤホンです。イヤーカフ型で、左右どちらにつけても使えるんですよ」

 ポニーテールで露わになった早坂さんの小ぶりな右耳を見ると、同じ形をしたものが耳たぶに装着されていた。

「俺も、着けたらいいんですか?」

 その問いに、彼女は再びうなずいた。こころなしか、両耳が少し赤くなっている気がする。イヤホンの圧力でそうなっているわけではないのだろう。


 これってあれですか?

 電車の中にいるカップルが、片耳ずつのイヤホンで音楽を聞くやつの令和版ですか?


 自分ごときが、そんなイベントの恩恵を賜っていいのだろうか。

 しかも今の早坂さんは、Kotomiとして存在している完璧な美少女の状態である。緊張するなと言われて、しないでいられる人は人間ではない。


 機材の設置を終えた早坂さんはカウチに腰掛け、隣の席を勧めてきた。

 促されるままにそこへ座り、おそるおそる、少々手間取りながら、俺は耳たぶにそのイヤホンを取り付ける。

「これ、最近ハマってるんです。男女の声優二人だけで、20人以上のキャラになりきって朗読してるんですよ! 全然違和感がなくて感動しちゃったから、聞いてほしいなって」

 そう言うと、彼女はスマホの再生ボタンを押した。左耳からは、爽やかな青年やオタク、中年のおじさん、クラスメイトの女子、妖艶な女子先輩、幼女、友達のお母さんなど、確かに二人だけで演じているとは到底思えない声で物語が紡がれ、展開していった。

 どうも早坂さんは声フェチなところがあるようで、イケボのキャラが話す場面が来る度に肩がゾワッと総毛立ったかと思えば、ニヨニヨした表情の口元を両手で隠している。

 写真部の時の彼女は本当に自然体で、容姿のギャップに関わらずかわいいと思う。


『ここの二人って、付き合ってんの?』


 高橋くんの声が勝手に脳内でリフレインして、心臓が早鐘を打つ。

「早坂さん」

 名前を呼ぶと、彼女はこちらを見て首を傾げる。

「教室で過ごしている時、しんどくないですか?」

 ずっと心の中でささくれのように引っかかっていた問いを投げかけると、彼女は苦笑いしてうつむいた。

「そう、見えますか?」

 聞き返す彼女に、俺は無言でうなずく。「今の早坂さんなら、もっと楽しく過ごせるはずだし、そうであって欲しいと思います」

 右手でつまんで、顔の前に持ってきたポニーテールの毛先を見つめる彼女の表情は、教室にいる時のそれになっていた。「陣内さんにも言われました。でも、なかなか……」


 沈黙が生まれる。


 そこから更に質問を重ねることはしなかった。

 今は、彼女が唯一自分でいられる時間だ。それを阻害してはいけない。

「今日のインスタ用写真、俺が撮ってもいいですか?」

 代わりに借り物のカメラを手元に携え、俺はそう言った。

 少し驚いたような表情をした後、彼女は「お願いします」と微笑んだ。


 柱と柱に挟まれた、マジックアワーを迎える前の最も明るいこの瞬間。

 俺は巨大な窓をバックに、建物の構造を活かした画角で撮影することを提案する。

 少しだけ打ち合わせして、窓の中央に立った彼女は、長く露出した足を肩幅に開き、両の腕は自然体に構え、首だけを右方向に向ける。

 身につけたままだったイヤーカフ型のイヤホンが、日光に反射してジュエリーのように煌めいた。

 西郷寺さんがいつも撮る感じと違い、クールな雰囲気だ。

 被写体が逆光にならないよう、露出補正で明るさを少し上げることで、外の風景もあえて白飛びさせる。


 モノトーンの衣装に身を包んだ完全無欠のヒロインが、縦長のスクリーンに投影された。


「若井さん! これ、すごいです! かっこいい!」

 撮り終えた写真を見て、はしゃいだ様子で早坂さんは言った。

 他の三人もディスプレイを覗き込みに来て、ウムとうなずく。

 今までは、何でもそこそこできて当たり前だという前提で評価されることがほとんどだった分、こうも素直に褒められると、なんだかこそばゆい気持ちになった。


 提供された衣装のディテール素材も必要とのことで、同じ場所に立った早坂さんを追加で3枚撮影した。


 シャツの裾を軽くつまみ、スカートのウエスト部分を見せた写真。

 ジャケットのラペルと胸ポケット部分のみのクローズアップ写真。

 中に着たシャツの全体像が分かるよう、ジャケットを半分だけ脱いでポーズを取った写真。


 先ほどよりも被写体との距離がかなり近く、気を抜けば体が触れ合いそうになる状況に、冷静さを失いかける自分がいた。


 そうこうする内に日が傾き、窓外の景色がオレンジと紫の入り混じった色に染まってゆく。

「……今だな」陣内先輩の言葉をきっかけに、それぞれが自分の撮影にとりかかる。

 三脚の前に位置取った早坂さんは、背筋をピンと伸ばしたままじっとカメラを覗き込み、30秒ほど静止していた。

 最後の方は息を止めていたようで、撮影が終わるとプハッと呼吸を再開する。


彼女の目論み通り、薄明るいビル群を縫うように貫くテールランプのラインが、独特な浮遊感を感じさせる写真が完成していた。



 機材を片付け、階下に降りる途中で買い物へ立ち寄ることに。

 4階に降りると日用品雑貨の店舗が展開されており、カメラケースに使えるポーチを見つけて盛り上がったり、人をダメにするソファを部室に導入すべきかという、結構どうでも良さそうな話題について真剣に話している。

 結局そこではウィンドウショッピングに留め、2階では当初の目的としていたバスボムを買い求めた早坂さんが店員にサインを求められたが、作っていないからと丁重に断っていた。


 その後、隣にある輸入食料品店を覗こうとしていた時、突然西郷寺先輩が声を潜めて言った。

「やばい。未来都、さっきの店戻って隠れて」今までに見たことが無いほど真剣な眼差しだった。「紗希がおる」

 その言葉を聞いた早坂さんはピタリと足を止め、途端に表情が凍った。かと思えば、素早く踵を返して、先ほどまでいたバス雑貨屋へ引き返してゆく。

「え? 何ですか? 早坂さ――」


「若井君?」


 唐突に名を呼ばれ、俺は声のした方を振り返った。

 そこにいたのは、同じ学校の制服を着た男女。どうやら3年生のようだ。

「びっくりしたぁ。久しぶり」

 先ほどの声の主である、女子生徒の方が言った。赤みがかった髪が丁寧に巻かれ、グレーのカーディガンから覗くリボンは軽く緩められていて、その胸元からはダックスフントのチャームがついた華奢なネックレスがチラリと見えている。

「山崎……さん?」

 隣りにいる人物は誰なのか分からないが、彼女には見覚えがあった。


 山崎紗希(やまさき さき)

 同じ中学校の出身で、一つ上の先輩だった。


「紗希、こんなとこで会うって珍しいな。デート中?」西郷寺先輩はいつもの調子で問いかける。先程の表情が嘘のようだ。

「マナちゃんもいるー! どうしたの? まさかそっちもデート?」

「なっ……」不意を突かれて、俺は少しうろたえる。

「後ろ見てぇや。光輝もおるやろ? 写真部で撮影会しとったの」

「なんだそっかー! でもほんとびっくり。若井君、うちの写真部に入ってたんだね!」


 だんだんと、中学の頃の記憶が呼び起こされてくる。

 反射が少なく、イマイチ思考が読めない瞳。それに、当時から着けているあのネックレス。


 え、誰? サキの知り合い?

 隣に立つ彼氏らしき人物が言う。


「最近入ったんです。こちらこそ、ご無沙汰しています」

 軽く頭を下げる俺を見て、西郷寺先輩は心なしか焦りを感じさせる声で言う。

「邪魔したら悪いし、もう行くわな。あんま遅ならんようにしぃや」

 そして俺と、後ろにいる陣内先輩と藤本さんに目配せをして、バス雑貨屋の方へ引き返した。

「え、もう? 分かったー。じゃーまた学校でねー」

 力の抜けた調子で彼女は手を振り、歩いてゆく俺達を見送った。


 歩を緩めながら後ろを窺い、二人の姿が見えなくなると、西郷寺先輩は店内奥の棚に隠れていた早坂さんを呼び出した。

「早坂さ……どうしたんですか、大丈夫ですか!?」

 思わず俺は問いかけた。

 先程までの彼女とは打って変わり、血色が悪く、体は小刻みに震えている。呼吸も荒く、何キロもの距離を全力疾走した後のようだ。

「かずやん、紗希と知り合いやったんか」西郷寺先輩は俺を見る。その顔は、早坂さんへ隠れるよう指示した時に見せたものだった。

「……同じ中学で、ちょっとした知り合いです」


 ここまでの流れを見れば明らかだった。

 早坂さんは、山崎紗希に対して異常なほど怯えている。

 そして、西郷寺先輩は俺に疑いの念を抱いている。


「おい、マナさん。さっきのはなん――」

「光輝。チアちゃんを連れて、先に帰っといてもらってええかな?」

 早坂さんの両肩に手を置いた西郷寺さんは、後から入ってきた陣内先輩へそう指示した。

「……後で事情は聞かせてくれるんだろうな?」

 その問いに、彼女は首を横に振った。

「わからん。必要な時が来たら言うと思う」

 その言葉を聞いた陣内先輩は深いため息をつき、「分かった」と言って身を翻した。後ろ髪を惹かれる藤本さんを促し、二人はエスカレーターへ向かってゆく。


 さっきの二人も輸入食料品店を出て、1階へ降りていったことを目視で確認すると、西郷寺先輩は俺と早坂さんを連れて、9階の展望フロアへと引き返した。

 未だに青ざめた表情でいる早坂さんは、右腕で左腕をつかみ、自身を抱きかかえるような格好で後ろからついてくる。


「それで」

 三角形に並べ直したカウチへそれぞれ座り、一息ついたところで、西郷寺先輩は切り出す。

「かずやん、率直に聞くで」真剣な眼差しをたたえて、彼女は言う。「あんたは、紗希の味方か?」


 思いもしなかった質問に、俺は一瞬頭が真っ白になった。

「み、味方?」クラッチの壊れたスクーターみたいに空回りする頭をどうにか動かしながら、俺は答える。「そんな考え方で、接したことはないです。掴みどころがない人だったという印象は覚えています」

「そうか……。じゃあ、あの子がやったことに、加担したわけじゃないんやな?」

 覚えのない言葉が次々と飛び出してきて、俺は混乱した。

「加担って……彼女、何かしたんですか?」

 そう問いかけたと同時に、これは俺が聞いていいのかという不安が頭をよぎった。

 西郷寺先輩は深く息を吐く。

「その様子やと、ほんまに知らん感じやね。まあ、かずやんは隠し事ができるタイプでもないか」

 そう言うと、彼女は早坂さんへ優しく問いかけた。

「未来都。もし大丈夫やったら、あんたのことかずやんに話していいか?」

 そう言うと、うつむいていた早坂さんはハッと顔を上げた。

「西郷寺さん、でも……」

「かずやんが紗希のこと知ってるんやったら、何をしたかも知っといた方がええよ。できたら食い違いがないように、未来都の口から話してもらった方がええと思うんやけど、あかん?」


 それは、俺がずっと気になっていたことの答えだった。

 なぜ早坂さんは変装して登校しているのか、本来のコミュ力を隠して付き合う相手を極限まで絞っているのか。

 しかし、こんな状況で知ることは望んでいなかった。事態は想像しているよりも深刻そうだ。

「すみません――」俺は右隣に座る彼女の方を見る。「聞かせてもらえますか?」


 早坂さんは、ためらいの表情を見せる。

 仕立ての良いシャツの裾が握られ、強くシワが入っていた。

「しんどかったらええよ。私がかいつまんで説明する」

 そう言ってこちらへ向き直る西郷寺先輩を、彼女は慌てて制止した。

「だ、大丈夫です。若井さんを写真部へ誘った理由もあるので……私が説明します」


 そうして、早坂さんは語り始めた。

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