第四章 本当の意味
「それより西郷寺さん、今週のアレ読みました? オカルンのビジュがまた爆発しててもう!」
それからの早坂さんは、なんだか性格も変わっているようだった。人懐こく、サブカルやガジェットの話題を写真部のメンバーと話すと止まらない。最初に会った時というか、教室にいる時と比べてリラックスしていて、明るいキャラクターに見えた。
それは初見だと二重人格を疑うぐらいのギャップだったが、多分こちらの方が早坂さんの素なのだろう。
キラキラと大きな目を輝かせ、西郷寺先輩のタブレットに表示したエフェクトの背景画像をバックに、部室に置いてあった三国志のフィギュアを撮影する姿には、眩しささえ感じられた。
しかし翌日からも、早坂さんはいつもの地味な三つ編み姿で登校していた。
普通は下から上に顔の皮膚を引き上げ、小顔効果を期待するための整形テープ。それを自身の美少女たらしめる大きな目を隠すために使い、きれいに通っているはずの鼻筋をそばかすでせき止めている。初めて見た時には気付かなかったが、制服も体のラインが出ないように、少し大きめのサイズを纏っていた。
彼女があえて自分のチャームポイントを隠し、変装をする理由について、聞き出すことはしなかった。
信頼してくれている様子であるとはいえ、まだ知り合って2日しか経っていなかったのだ。普通のクラスメイトとして付き合っていれば見えてくる部分を差し置いて、段飛ばしで知ることでもない。
「マナさんには話していたようだけど、僕も理由は詮索していないよ」
陣内先輩もそう言っており、ひとまずは静観することにした。
有名人がプライベートを守るために、外で変装するのは分かる。
しかしそれにしても、ドラマや映画に出ている芸能人でもなく、歌手でもないインフルエンサーが、ここまで徹底して自分の存在をひた隠しにするのは、少し度が過ぎている気がする。
特殊なメイクで一日中過ごすことも含め、それにはある程度のストレスも伴うだろう。
眼の前の席でノートに板書を書き写すリズムに合わせ、小刻みに揺れる三つ編みを視界の端にチラチラと捉えながら、彼女の真意について思案する日々が続いた。
写真部の活動は、基本的には月〜金の週5日。
とはいっても、校外へ撮影に出かけたりという本格的な活動はそのうち2日程度で、他の日は部室でまったり雑談をしたり、部長の西郷寺先輩がこっそり持ち込んだお茶菓子をシェアしていたりする。
部活をしている時の早坂さんの姿はまちまちである。
部室にいる時は三つ編みモードだが、校外で部活動を行う時には私服へ着替え、変装を解いてKotomiとなり、西郷寺先輩がインスタ用の写真を撮っていたりする。
ただ、三つ編みの時であっても、性格は授業中と異なる早坂さんだった。どうやら見学に行った時は、俺がまだ写真部に入るか決まっていなかったから、西郷寺先輩に変装を解かれるまではそのキャラを維持していたようだ。
4月も中頃となった放課後。
まだカメラを持っていない俺は、OBの先輩が寄贈したミラーレス一眼を使えば良いとのことで、早坂さんに基本的な使い方を教わっていた。
「次はF値がここで調整できるので、ゆっくり回してちょっとだけ小さくしてください。たぶん2.8ぐらいで、そしたら背景がいい感じにボケてくれるので……あ、いい感じです! そこでシャッター押しちゃいましょう!」
右肩には早坂さんの腕の感触があり、顔のすぐ横では三つ編みが揺れ、スースーという吐息を感じる。
長机に二人共突っ伏すような形で、真ん中へ置かれたフィギュアにレンズを向け、背面ディスプレイを一緒に見つめている恰好である。
早坂さん、近いです。好きになっちゃうからもうちょっと離れて欲しいです。
集中していて、知らず息を止めていたようである。大きく息をついて腰を上げ、椅子に座り直した。
アルバムボタンを押して、ディスプレイを見ると、今撮った高画質なフィギュアの写真が表示される。キーを操作して履歴を見てみると、過去にこのカメラを使って撮影された画像データが残っていた。
校内の花壇の花や、体育館で練習するバスケ部、教室で談笑する男女グループ。そして最近のデータになってくると、眼の前にいる先輩の姿が表示されるようになってきた。
「このカメラを俺の前に使ってたのって、陣内先輩ですか?」ふと、パソコンでレタッチ作業をしていた陣内先輩に聞いてみた。
「ああ」彼は軽くうなずくとディスプレイから目を離し、こちらに目線を移す。「どうしてだい?」
「いえ、なんとなく。西郷寺先輩の写真が多いなと思いまして」
そう言うと、細面な頬に赤みが差した先輩は慌てたように前髪を人差し指で流し、目線をディスプレイに戻した。
「ま、まぁ。僕達は部室でダラダラしているばかりで、被写体になる人物が限られてたからね」
心なしか上ずった声で答える先輩に、誕生日席にいる西郷寺先輩がニヤニヤ笑いながらカメラを向ける。シャッター音が鳴ると、陣内先輩が今度は彼女の方を向いた。
「こら、なに撮ってるんだ」
「でかした、かずやん」西郷寺先輩はカメラのディスプレイを見つめながら、質問した俺を褒め称えた。なぜか入部してから、彼女からは“かずやん”と呼ばれている。「普段撮ってくるお返しや。今度A3に引き伸ばして、光輝の机に貼っとこ」
「俺をナルシストの化け物みたいにするのはやめてくれ」言いながら、彼は一層頬を赤らめた。
「光輝せんぱいって、ナルシストじゃないんですか?」藤本さんもそう言いながら、スマホのカメラを彼に向ける。カシャシャシャシャシャ、という小刻みなシャッター音が、春の日差しが差し込む部室内に響いた。
「知阿里ちゃん、なんで連写なんだ」
最初会った時にはクールな感じだった陣内先輩だが、他の部員のイジりともボケとも分からない行動を受け止める姿を見て、少し印象が変わってきた。
同じ部活の女子に想いを寄せ、そこにつっこまれると冷静ではいられなくなる。当たり前だが、彼も男子高校生なのだ。
「藤本さん」
早坂さんがトイレへ立った時に、俺は先ほど撮影した写真の中からベストショットを選んでいる彼女に声をかける。
「な、なんですか?」藤本さんは少し身を固くしてから返答してくる。
こちらから声をかけると、特に意味はないけど微妙に怯えられる。老け顔あるあるだ。
「藤本さんは、早坂さんの見た目が変わった時に驚いていなかったですよね」なんとなく、俺は声を潜めて話す。
「はい。ウチの場合は、早坂せんぱいが新しいファンデの実験台になってる時に来ちゃって」と藤本さんも声を潜めて答えた。「事故みたいな感じだったので、西郷寺せんぱいからは絶対に言わないでって口止めされて。そのまま入部届けも」彼女はスマホでAdobeのアプリを立ち上げ、赤面している陣内先輩の写真をためつすがめつしていた。「で、でも。もともと入るつもりだったから、結果オーライ、です」
「そうなんですか。藤本さん、優しいですね」普通は無理矢理入部させられる形になれば、不満も浮かぶものである。言うと、彼女は少しうつむいて首を振った。
「ウチもKotomiさんのことは知ってて、びっくりしたけど嬉しかったです。ところで――」
藤本さんは声の大きさを元に戻し、今度はこちらを見上げてくる。波打つ前髪がぴょこんと揺れた。
「若井せんぱいは、なんでウチにも敬語なんですか?」
無意識にしている部分について指摘され、俺は虚を突かれたように硬直する。
「それは……」
見た目で年上に見られると、普通に話しているつもりでも上から目線に見えてしまう。
――偉そうにしてる割に、何もできないんだね。
昔に言われた言葉が脳裏をよぎる。
相手に大人だと認識されれば、最初から全てのハードルが上がってしまう。だから、まだ実ってもいない稲穂なのに、だんだんと腰が低くなってゆく自分がいた。
「先に写真部に入ったのは藤本さんですからね。撮影の経験でも、ここでは俺が一番の後輩なので」
そうして俺は、小さな嘘をついた。
「おかえりー。今日も部活?」
帰宅してリビングに入ると、姉さんがソファで寝転ぶプチの耳裏をカリカリと撫でていた。
「この子、最近あたしへの懐き度が増してない? やっぱり食って偉大だね」
そうなのである。最近は俺の代わりに、バイトから帰って来る時間の早まった姉さんが給餌を担当することが増え、プチが俺の部屋に入ってくる頻度が目に見えて少なくなってきた。
「由々しき事態ですね」予想出来ていたとはいえ、少しショックである。「今度ちゅーるをまとめ買いしてきます」
「あ、それ反則」姉さんはキャハキャハと笑いながらプチから手を離し、テレビをつける。もっと撫でんかいと言っているような様子で、プチはその手の行く先を目で追った。
「写真部なんだよね? なんか撮ったやつある?」リモコンを操作してネトフリを立ち上げ、最近追いかけている韓流ドラマを探しながら姉さんは言った。
「えーと」俺はポケットからスマホを取り出し、クラウドで保存した画像を出そうとする。
「あ……やっぱりダメです」フォルダの中には、Kotomiモードの早坂さんが写っている写真もあることを思い出し、俺はスマホを引っ込めた。
しかし、その行動が姉さんの目をキラリと光らせた。
「んー? どしたのかずや。なんかやましい写真でもあんのー?」
「そ、そんなのないですよ」
「じゃーやらしい方か。やらしい写真撮ってるんか!」ソファから立ち上がり、諸手を上げてこちらへ飛びかからんばかりに迫ってくる姉さんを、俺はポケットに入れていない左手で制する。
「違いますよ! 今はまだ見せられません」
「えー、なんでよー。実の姉にも見せられないっていうのー?」
「実の姉にもです」俺は一度床に置いたカバンを拾った。「トップシークレットなので」
「トップ……え?」
ポカンとする姉さんを残し、俺は自室へ向かった。
部屋着のジャージへ着替え、ベッドに寝転び、ふぅと一つため息をつく。
手元のスマホを顔の前に持っていき、先ほど開きかけたフォルダをタップすると、サムネイルで40枚ほどの写真が表示された。
半分ほどは部室のインテリアや練習に使ったフィギュア、校外へ出かけた時の風景写真。その中の数枚に、華やかな姿の早坂さんが映り込んでいる。
電車を降りて目的地のカフェまで歩いている姿に、カフェでカプチーノの入ったカップを両手で持ち、向かいにいる西郷寺先輩へ目線を送る横顔。
程よく体のラインを拾い、恵まれたスタイルを伺わせる私服姿の彼女は、素人の俺が適当な設定で撮影しても、それが味と思えるぐらいに映えていた。
軽い気持ちで入ったものの、なんだかここ数日間の生活に現実みがない。
みんなで共通の秘密を抱えているような気持ちでいるのに、その中心にいる本人はバシャバシャと何枚も写真を撮られ、その姿が世界中へ拡散されているという矛盾が、その感覚を助長していた。
不意にスマホが震え、画面の上部にインスタの投稿通知が表示される。
【Kotomi_921がたった今、写真を投稿しました】
通知を開いてみると、早坂さんのアカウントに、西郷寺先輩が撮影した先日のポートレートが投稿されていた。
ベージュのタートルネックに白い薄手のカーディガンを羽織り、手元のカップへ目線を落として微笑む美少女の画像を右にスワイプすると、その手元を別角度からアップで撮影した写真、その次には、店の前でナチュラルにポーズを取る俯瞰の画像が続いている。
この日は少し曇っていて、あまり撮影に向いている気候ではないと思っていた。しかし、カメラの設定と程よいレタッチが施されたことによって、しっかりと春の陽気を感じさせる写真となっている。
西郷寺先輩の技術に感心すると同時に、インスタグラマーとしての早坂さんの存在感にも改めて舌を巻いた。
投稿画面を閉じ、プロフィール画面が表示されると、そこに小さく別アカウントのリンクがあることに気付いた。
『Kotomiの小部屋』と銘打たれており、メインには載せない画像を投稿するサブアカウントであることが分かる。
リンクを開いてみると、そこに早坂さんの姿はない。彼女が自身のカメラで撮影した写真が雑然と投稿されているようだ。
その中に、いくつか見覚えのある写真が目に止まった。
ネモフィラ畑、雨の繁華街、ラテアート――。
写真部に誘われた時から今日までを経て、早坂さんの行動と言動に、どこか引っかかっている部分があった。
『学校では部活の人以外に、自分の写真を見てもらったことがないんですけど......』
始業式の日。最初に彼女と話した時に聞いたこの言葉は、彼女が自分の写真を見せることに恥ずかしさを抱えていることからきていると思っていた。
しかし、インフルエンサーとして活動している姿を知った今。
日常的に自身の写真を投稿している彼女が、そんな気持ちを抱えるはずはないと分かる。
そして、早坂さんのサブアカウントを見たこの瞬間。彼女が見せてくれた写真とあの言葉が、頭の中でつながった。
部員以外に自分が撮った写真を見せたら、Kotomiとしての活動がバレることになってしまう。
もしも俺が、彼女の誘いを断っていたとしたら……。
そんなリスクまで犯して、彼女は俺を写真部へ誘ったのだ。
「なんで、そこまでして……」
思考が追いつかず、俺はスマホと眼鏡を枕元へ投げ捨てるように置き、目頭を押さえた。