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第二章 ガラスの瞳

 帰宅して自室に入ると、テレビをつけてから部屋着に着替える。

 ちょうど「昼ドキッ!」の番組内で、例の街頭インタビューが流れていた。道行く男性が子育ての思い出について語っている。


『うちの子今2ヶ月なんですけど、めちゃくちゃ可愛いんですよ! 早く家に帰りたくなります笑』

『娘が小学生で、今からもう将来彼氏ができたらどうしようとか考えちゃいますね』

『息子とキャッチボールとかするのが夢だったんですけど、今の時代はゲームですね。スマ◯ラとか本気でやってます』


 一通りの映像が流れると、今度は女性にインタビューした映像が流れる。


『やっぱり小さい時ってスタミナが無限だから、遊びだすとキリがなくて大変なんですよね』

『夫が仕事帰るの遅いから、基本は子どもも家事も全部やらないとってなって、それがやっぱり大変でしたね』

『食事作ったりもそうなんですけど、学校のPTAでの付き合いなんかが大変で。ほとんどボランティアですもん』


 番組では2つの映像を比較して、父親の子育て参加について議論していた。


『やっぱりお母さんの方に負担が偏りすぎですよね。せめて休日ぐらいは家事代わってくれるとか、そういうの決めてかからないと。特に最近は3組に1組が離婚するっていいますし』

『でも男女平等とかいっても、やっぱり父親が経済を支えないといけないっていう風潮は消えないじゃないですか。難しいところですよね』


 コメンテーターたちがそれぞれの持論を展開し、これといった答えは出ないまま番組は次のコーナーへ移る。


 うちの両親は共働きだけれど、どちらかにストレスがかかっているような様子は見られない気がする。

 記念日は欠かさず祝うし、家事の役割分担も明確に決められている。母さんが夕食を作り、仕事から帰ってきてそれを食べた父さんが皿を洗うし、洗濯物を畳んだりアイロンをかけるのも自分でする。息子の俺は休みの日に風呂やトイレ、ガレージにある車を清掃したりする。

 そう考えると、なかなか恵まれている環境で生活しているのかも知れない。


 テレビの中では、「次世代BUZZアイドル」というコーナーで、毎回発掘してくるインフルエンサーが紹介されていた。

 スタジオのディスプレイにはインスタのグリッドページが表示され、左上のアイコンには「Kotomi」というハンドル名が記載されている。

 そこに表示されている写真に写っているのは、艷やかな黒髪ロングと小動物のような茶色の瞳、スッと通った鼻筋が可愛らしさの中に凛とした大人の雰囲気も醸し出す、かなりの美人だ。

 最近、TikTokやYouTubeショートなどでも、何度か彼女のインスタのストーリーを転載した動画が流れてきたことはあった。よくあるあざとい系のダンスみたいな動画ではなく、友達と遊んでいる時のようにナチュラルな表情が切り取られていて、印象に残っていた。

 ディスプレイの左側に立つ女性アナウンサーが、その内容についての原稿を読み上げる。

『今日の次世代BUZZアイドルは、現役高校生インフルエンサーのKotomiさん! ファッション系の投稿がメインですが、天真爛漫で多趣味なキャラクターから人気が急上昇中です!』


 映像が切り替わり、おしゃれなワンピース姿や大きめのサングラスをかけた自撮り写真の後には、モヤシの山となった二郎系ラーメンを食べる姿や、少年漫画のフィギュアが大量に飾られたショーケースと共に写っている姿が続いた。


 これが正しいギャップ萌えというものか。金沢さんの趣味嗜好に口出しする権利は持ち合わせていないが、あれは少々ニッチすぎる気がする。


「あれ? かずや帰ってたんだ」

 ちょうど着替え終わったタイミングで、姉の沙織(さおり)がドアを開けた。

「ああ、姉さん。おかえりなさい」

 彼女は今年から大学4年生になるが、単位はほとんど取得済みなので、就活に集中する時期となる。

 ショートカットに控えめなデザインのイヤリングをつけ、パンツルックの服装を着こなした姿は、既にいっぱしの社会人のようにも見えるのだが、それでも弟の自分の方が年上に見え、二人で外出していても兄と勘違いされることがほとんどだ。

「そっか、始業式だもんね。どう? 気になる子いた?」

 開口一番、弟の恋愛事情を詮索してくる。今までに付き合った経験もなく、男女の関係で良い思い出がほとんど無いことを心配しているのもあるのだろうが、理由の大半はただの好奇心だろう。

「ううん……」金沢さんのことが頭をよぎるが、これは彼女が求める話でもない気がする。「気になるというか、気になられたことはありまして」

「へ? なにそれ。どういうこと?」

 今日あったことを話すと、姉さんは左手で腹を抱えて大爆笑しながら、右手で俺の肩をバシバシと思いっきり叩いてきた。

「痛い痛い痛い! 姉さん痛いです!」

「ひぃーっヒヒヒ! だって、枯れ専対象として見られたって! やっっばい! あんたもいくとこまでいっちゃってんねぇ!」

 だから話したくなかったんですが。

 しばらくすると、ようやく笑いの発作が収まったようで、姉さんは目尻の涙を拭った。

「でも、いつも言ってるけどさ。だからって自分を大人だと思うんじゃないよ」彼女は人差し指を俺の頬に当てる。ネイルが突き刺さってちょっと痛い。

「大人でいなきゃいけないと思ったら、その瞬間からつまんない人間になっちゃうんだから」


 姉さんのこの言葉は至言だと思う。


 人は成長して、経験を積み、働き、税金を払い、酒を飲み、失敗を重ね、色々なことに折り合いをつけるようになってくる。


 大人たるもの何事も効率よく、人の迷惑にならないように生きなければならない。

 出来るかも知れないけど時間がかかることは、出来ないこととしてカウントし、手を出してはならない。

 そうして自分の限界を自分で決めて、映画の中の主人公や野球選手などに自分の理想を託し、政治家や経営者に愚痴を飛ばす内に、誰もがこうはなりたくないと思っていたタイプの大人になってしまったりする。


 見た目だけで周りから責任ある立場として扱われることが多く、油断すると自分自身がそうした方向に転がってしまいそうになる俺に、姉さんは折に触れてこの言葉をかけてくれた。


「それじゃあ、私ちょっとサウナ行ってくるから。お母さん帰る頃には戻るよ」そう言い残し、姉さんは部屋を出た。

 最近推している男性アイドルの影響で、自分も近所のサウナに通うようになったという。休みの日には遠方まで出かけ、セルフロウリュウにアウフグース、瞑想用の映像を眺めたりしながら整い、サウナ施設を出たら町中華を開拓して帰って来る始末である。疲れが溜まりがちな保険営業マンか何かなんでしょうか。


 姉さんが出ていくのと入れ替わりに、飼い猫のプチが入ってきた。今年で4歳になるオスのロシアンブルーである。

 子猫の頃には小さかったからプチなのだと思われがちだが、母さんが猫種から連想される国にいる大統領の名前をもじって付けたというファンキーな由来がある。可愛いからいいけど、大喜利感覚で名付けないであげて頂きたい。


 ベッドへ座る俺の隣にプチは飛び乗り、膝に乗せた手の甲に顔を擦り寄せてグルグルと喉を鳴らした。いつもは学校から帰ったらちょうど夕方のエサの時間なので、俺がプチのご飯係となっている。そのため、まだ昼の時間にも関わらず催促してきているという状況だ。

「まだ1時なので、もうちょっと待ってくださいね」そう言ってもまだ催促してくるので、俺はベッドから立ち上がり、キッチンへ向かった。行動の意味を察してプチもベッドを降り、興奮した様子であとをついてくる。

 冷蔵庫から、海外では猫用ドラッグの異名で名高い筒状の袋を取り出し、袋の先を破ってプチの口元にもっていく。中身を一心不乱にペロペロと舐め取っていくのを眺めていると、学校に忘れ物をしていたことを思い出した。


 新学年の時間割表を渡され、机の中に仕舞っていたのだが、クラス委員の作業が終わってから回収せずに帰ってしまったのである。あれがなければ、明日持っていくものが分からない。


 仕方なく一度脱いだ制服に着替え、俺は自転車を漕いで学校へ向かった。始業式終わりに活動している部活もあるようで、校内はまだ賑わいを感じられた。

 職員室へ向かい、忘れ物をした旨を伝えて鍵を借りようとすると、誰かが先に借りているようでまだ返ってきていないという。

 自分の他に誰がいるのだろうと疑問に思いながら、教室へ向かう。窓の外からは、グラウンドを走る野球部の号令が聞こえた。


 教室にたどり着き、引き戸の取っ手に手をかけて力を込めてみる。扉は何の抵抗もなく開いた。

「ひっ!!」

 同時にその音に驚いて声を上げ、ビクンと大きく体を震わせた女子生徒が目に入った。去年は別のクラスだったが、出席を取った時に一つ前の席だったので、名前を覚えていた。

「早坂さん、ですか」


 フルネームは早坂未来都(はやさか みこと)。左右で三つ編みにした髪と、少し眠たげな垂れ目、鼻の上のそばかすが特徴的だが、どちらかといえば地味な印象を与えるクラスメイトである。

「若井……君?」おそるおそる振り返り、俺の姿を捉えた彼女はそう言った。ちょっと耳を澄まさないと聞こえないぐらいの声量である。「み、みました?」

「え、何をですか?」言葉の意図がわからず素直にそう問い返すと、彼女はブンブンと首を振った。

「いえ、なんでもないです! どうしたんですか?」そう言い、彼女は机の横にかけてあった学生カバンを手に取った。

「時間割のプリントを忘れてしまって。早坂さんこそ、何か忘れ物ですか?」

 そう言いながら、俺は自分の席に向かう。机の中からプリントを取り出すと、クリアファイルに入れた。

「私は部活終わりで。使わない道具もカバンに入っていて重たいから、教室に置いておいたんです」

「ああ、なるほど」そう言い、彼女が肩にかけた学生カバンに目を移す。ストラップが肩に食い込み、確かに重そうだ。

「入れてないと落ち着かなくて」そう言い、早坂さんは苦笑いを浮かべる。

「何が入っているんですか?」聞くと、彼女はピクリと身を固くした。

「ああ、すみません。不躾でしたら、答えなくて大丈夫です」

 慌ててそう言ったが、彼女は「いえ」と答えた後、少し間を置いて「……笑わないですか?」と返した。

「中身を見て笑ってしまうものが思いつかないので、大丈夫だと思います」正直にそう答えると、彼女は恐る恐るカバンの口を開けた。


 中を覗き込むと、小型のバズーカのような形状の物体が入っていた。

「……え?」少し驚いてしまったが、よくよく見てみると、それはカメラに取り付ける望遠レンズだということが分かった。

「私、写真部に入ってて」頬をほんのりと朱色に染めながら、早坂さんは言った。「今日はミーティングだけだったので、早めに終わったんです」

 彼女は望遠レンズの影に隠れていたケースから、一眼レフを取り出した。SONY製の男勝りなフォルムを構築するその機械の向かって左上には、「α」のマークが白く輝いている。

「これはまた、高そうなカメラですね」

 言うと、早坂さんは照れくさそうに笑う。

「廉価版の中古なので、それほどではないんですけどね。色々我慢して買っちゃいました。エントリー機とはいっても、画質は2420万画素、オートフォーカスの反応も素早くて、画像処理エンジンもこの価格帯の中ではかなり良いものが積まれていて……」

 だんだんと早口になっていることに気付き、はたと彼女は自身の口を押さえて言葉を切った。金沢さんがオジについて語る時と同じような感じだ。

「ごめんなさい。私、ガジェットのことになると止まらなくて」

「いいえ。好きだということが伝わるので、素敵なことだと思いますよ」


 そう言うと、彼女は再び頬を赤らめ、こちらを見上げてきた。繊細なガラス細工のようなその目に、口を半分開いた自分の顔が反射していた。

「あの、私。学校では部活の人以外に、自分の写真を見てもらったことがないんですけど......良ければ少し見てもらえませんか?」


 唐突な提案に戸惑ったが、俺は頷いた。彼女の部屋の中を覗くような感覚に近くて、少し気恥ずかしい思いだ。

 その反応を確認すると、彼女はカバンを机の上に置き、ポケットからスマホを取り出した。保存した画像はクラウドに共有し、この端末から見られるようにしているという。


「写真部」とネーミングされたデータフォルダを開くと、キラキラとした鮮やかな世界が彼女の掌の中に広がった。


 常世の光景を思わせる真っ青なネモフィラ畑。水たまりに風景が反射し、サイバーパンク映画を思わせる光景となった雨上がりの繁華街。超繊細な技術で可愛らしいキャラクターが描かれたカフェラテのカップ。

 そのどれもが、本当に現実に存在しているのかと疑いたくなるような写真の数々だった。


「......すごい」

 思わず声に出てしまった。

 目の前にいる、引っ込み思案な印象を抱かせる少女のフィルターを通って広がる世界に知らず魅了され、次々とスワイプされる画像を見つめて硬直している自分がいた。


 そんな俺の感想を聞いて、早坂さんは照れくさそうに笑った。そして、すぐにその口角と目線を下に落とした。


「今日、ミーティングで言われたんです」

 スマホをポケットに戻し、つぶやくように彼女は言った。

「先輩が卒業して、今の部員が全部で4人。そのうち2人が3年生で、また秋には引退するから、そうなると写真部は――」

 そこで言葉を区切った。言わずとも、廃部が免れないということを伝えたかったということは分かった。

「こんなこと、突然言ったら絶対に迷惑だと思うんですけど」そう前置きして、早坂さんは再びガラスの瞳を真っ直ぐこちらに向けてくる。「若井さん、写真部に入ってくれませんか?」

 そう言うと、彼女は再び目を伏せた。肩が小さく震えている。


 カメラも、レンズも、今まで部外の人には見せなかった写真も見せた。彼女にとって、それは計り知れない勇気を要することだったのだろう。


 そこまでしても、自分の大好きなものを守ろうとしていることが、痛いほど伝わってきた。

「写真の魅力も、撮り方も、機材も、私が頑張って教えます。だから……」その声にも、涙の色が滲んでいた。

「早坂さん」俺が名を呼ぶと、彼女は一度大きく肩を震わせた。なんだか、うちに来たばかりの頃のプチを見ているようだった。

「ありがとうございます。とても綺麗なものを見せて頂いて」その言葉を拒否の入り口と捉えたのか、彼女の息遣いは荒くなり、その声はすすり泣きに変わった。

「すみません。やっぱり迷惑でしたよね、突然こんなこと。クラス委員もあるのに」

「いえ、そうじゃなくて」俺は震えを物理的に抑えようとするように、彼女の両肩に手を乗せた。

「姉に、いつも言われるんです」一呼吸置いて、俺は伝える。「大人のフリして変に気を遣うな。学生の間に許される迷惑はかけられるだけかけろと」

 その言葉に、早坂さんは再び顔を上げ、滲んだ目尻を人差し指の背中で拭った。

「それって、じゃあ……」

「すみません、だからって早坂さんの申し出が、本当に迷惑と思ったわけではないですから」

 俺はその顔に向かって微笑んだ。

「明日、部室を見学させてください」


 言ってから、夕方のエサを待つプチの鳴き声が脳裏に浮かんだのは秘密だ。


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