第一章 ギャップ萌えとかいう問題じゃない
去年高校へ入学して、あだ名が「先生」だったり「リーマン」と呼ばれるようになるまでには、さほど時間がかからなかった。
中学の時と同じだ。
今から遡ること16年前。4120グラムで生まれた俺は、管理栄養士の母親が作る料理を食べてすくすくと育ち、10歳の頃には身長が160cmを超えていた。
ランドセルを背負っていると違和感があるからと、一人だけトートバッグで通学する小学校時代を経て、中学に上がるとゲームの影響で視力が落ち、大柄な体格に乗っかった黒縁メガネが、銀行員の父親から譲り受けた太眉とガッシリした鼻筋の持つ、レトロな雰囲気を加速させていた。
学割を使おうとすると疑いの目を向けられるし、2つ上の先輩から敬語で話しかけられることも珍しくない。
量販店で服を選んでいると、同じく買い物へ来た主婦の方に店員と間違われて、探している商品の場所を聞かれることも何度かある。
そう。いわゆる「老け顔」なのだ。
それが俺、若井数哉という人間を表す全てだと言っても過言ではない。
街頭インタビューを受けた(断った)翌日、月曜になると同時に始業式を迎え、新しいクラスの教室に入ると、俺は窓際の一番後ろにある席へ座った。
最初の席は出席番号順で割り振られており、視力の悪い人や身長差で前が見えないという生徒だけ希望を出し、微調整が行われる形式である。そのため自動的に一番後ろの席となり、隣には「矢野」や「吉田」や「鷲尾」みたいな名前の生徒が並ぶ。
見回してみると、ちょうど半分ぐらいは1年の頃と同じクラスメイトで占められていた。そのメンツで隣り合った席の生徒は勝手知ったる仲のテンションでワイワイと雑談をしているし、初対面同士で並んだところは、距離感を測りかねて気まずそうにしていたりもする。
しばらくすると、担任となる古澤有里亜先生が教室へ入ってきた。
この高校を卒業した新任の先生で、小柄な体に10cmぐらいのハイヒールを履いてこわごわと歩き、腰まで伸びた長い黒髪を赤いヘアゴムで束ねているのが印象的だ。
「おーしおまえらー。早く席につけー」
「あ、おはよーアリちゃん!」一番前の席に座る女生徒が彼女の姿を捉えると、そんな言葉をかける。
「アリちゃん言うな! 先生は敬え!」
童顔で、143cmというミニマルサイズの可愛らしい見た目から、生徒からは「アリちゃん」と呼ばれ、タメ口で接するほど親しまれているのだが、本人的にはそれが不満なようだ。
「はい、おまえらが静かになるまで2万年かかりました。今日はクラスの係決めだけしたら終わりだから、ちゃっちゃと済ませるぞー」
アリちゃん、もとい古澤先生の言葉に、一部の生徒が「オー!」と応える。平和そうなクラスでよかった。
「まずは男女1人ずつのクラス委員だが、やりたいやつはいるかー? 決まったらそいつにこの後を取り仕切ってもらうから、早く決まったら先生はそのぶんラクできるぞー」
それ、教師が言っていいんでしょうか。内心ハラハラしていると、男子生徒の一人が声を上げた。
「男子のクラス委員は先生でよくね?」
「はぁ? 何言ってるんだ高橋。あたしがクラス委員するわけないだろう」
古澤先生は怪訝な表情を浮かべ、声の主である高橋拓海の方を見る。制服のシャツを第二ボタンまで開けて着崩し、長めの茶髪を編み込んだ、少しチャラい雰囲気のある生徒だ。
「いやいや、アリちゃんじゃなくて。俺が言ってるのはそっちの先生」
「だからアリちゃん言うな!」
古澤先生のテンプレツッコミをスルーした高橋くんは後ろを振り返り、俺の方をまっすぐ見てくる。
「若井って1年の時もやってたし、めっちゃシゴデキじゃん? 他にいなくね? だろ?」
「俺、ですか」
たしかに去年もこの見た目から、クラスをまとめる存在としてクラス委員に選ばれたのは事実だ。やることは事務作業だったり、クラス会議の進行だったりと地味で面倒なことが多く、わざわざやりたがる生徒も少なかったため、なし崩し的に即決されたのだ。
「まあ、他にやる人がいないのであれば」仕事の内容自体は大して難しいものでもないのでそう答えると、「んじゃ決まりぃ!」と他の男子生徒が歓声を上げた。
「おまえはいいのか? 若井。嫌なら断ってもいいんだぞ」古澤先生がそう気遣ったが、特に嫌なわけでもなく、頼られるのも悪い気はしないので、そのまま引き受けた。
「そうか。それじゃーあとは女子の委員だけど、誰かいるかー?」
古澤先生の言葉に、女子の反応は消極的だった。
「かなこやりなよー」「えー? ゆうちゃんの方がああいうの得意じゃーん」など、明言はしないが、お互いに役目を押し付け合っているような雰囲気だ。
クラス委員の仕事をするのは面倒だというのも理由の一つだろうが、男子の委員が俺になったということも、大きな要因だろう。
ただでさえ見た目が気難しそうに見え、感情の起伏が少ないため、何を考えているのか分からないという印象を持たれがちだ。そんな相手と二人で作業する時間があるということに、躊躇してしまう気持ちもうなずける。
1年の時も、結局クラスカーストの低い位置にいて、押しに弱いタイプの女子が係を押し付けられる形となり、作業はほとんど自分一人でやっていたと記憶している。
「あの、大丈夫ですよ。決まるまでは一旦、俺がやっておきます」俺は軽く右手を上げ、席を立って教卓へ向かおうとした。
その時、前の方の席で一人の声が上がった。
「はいはーい! わたし! わたしが女子のクラス委員やる! 絶対!」
え?
未だかつて、ここまでクラス委員にバイタリティを示す人がいただろうか。
声の主は、今年度から同じクラスの金沢目久美だ。くりくりとしたヘーゼル色の大きな瞳に金髪ボブ、グリーンのヘアピンを二本留め、薄ピンク色の大きめニットをゆるっと着こなしている。
彼女を形成するパーツそれぞれが高橋くんと同じくチャラい雰囲気ではあるのだが、なぜか軽薄な印象は感じさせない少女だ。
「ほらほら。さっさと他の係決めるよ、若井くん!」
実際には触れられていないのだが、俺の手をグイグイ引っ張っていくような勢いで言葉を投げかけながら、彼女は教卓へズイズイと歩いてゆく。
完全にその圧へ押される形で、俺も教室の前へと移動し、挙手制で美化委員や保健委員を決めてゆく金沢さんの声に従い、黒板へ候補者の名前と正の字を書いて決を取る。
全ての係決めが終わり、本日はお開き。
高いヒールでバランスを崩し、倒れそうになって周りをざわつかせた古澤先生は、「っぶねー、もう少しでつまづくとこだった」とごまかすように言いながら退室した。
うん、しっかりつまづいてましたよ。
「ふぅ。終わった終わったぁ」
教室の生徒も三三五五帰ってゆく中、黒板の文字を二人で消しながら、金沢さんは満足げな顔でそう言った。
「あの、金沢さん」
気になったので、俺は彼女に持っていた疑問を言ってみることにした。
「んー? どしたの?」
彼女は一通り消し終わった黒板消しを裏返し、フッと息を吹きかける。白い粉塵が舞い、俺はケホリとむせた。向こうにあるクリーナーで処理してくれませんかね。
「金沢さんは、どうしてクラス委員をやりたかったんですか?」
俺の心の声を汲み取ってくれたのか、彼女はクリーナーのスイッチを入れ、フィィーーンという甲高い音を響かせた。
「別に委員がやりたかったとかじゃないよー!」機械音に負けないよう、少しトーンを上げた声で彼女は答えた。
「え? じゃあどうして——」
「ああ、またメグの悪いクセが出たのよね」
後ろから金沢さんとは異なる女子の声が聞こえ、俺はそちらを振り返る。
黒いセミロングヘアをセンターで分け、つるりとしたおでこを覗かせたクラスメイトがそこに立っていた。猫のようにつり上がった目尻は気が強そうな印象を覚えるが、反面その声には母性を感じる柔らかさがあった。
「どうも、私はレイナね。野津玲奈」髪の右半分をかき上げながら、彼女は律儀に自己紹介をしてくれた。
「野津さん、ですか。金沢さんのクセというと?」
「ちょっとレイナ、言わないでよー!」
金沢さんはなぜか顔を赤らめながら、俺と野津さんの間にその身を滑り込ませ、こちらに向かってブンブンと両手を振る。
「まぁ、クセというかフェチなんだけどね」そんな彼女にはお構いなしといった具合で、野津さんは続ける。「この子、ちょっと枯れ専ぽいところあっt……ムグゥ」
言い終わるか否かの内に、金沢さんは野津さんの背後へ回り込み、程よく艶めく小さな唇をその手のひらで覆った。
「えっとその、確かにわたしは俳優で言ったら三◯敏郎とか、ブルース・◯ィリスとか、吉田鋼◯郎とかが大好物だけど! 認めるけど!」必死の形相でそう言う彼女の手の甲を、窒息でキマりそうな野津さんがタップして解放を求めた。
あ、ごめんねと言いながら、金沢さんは手を離した。
「プふぁ! 登校中も駅に向かうおじさんとか見て、なんかジャンル分けしてるもんね。レオンとかサファリとか」
「だからやーめーて!」
金沢さんは再び野津さんの口をふさごうとするも、彼女は自身の両手を顔の横に持ってくることでそれを防御した。
「それって、コンビニとかに置いてあるアレですか。ジ◯ーラモとかの」
30、40代以上の、お金持ちそうな男性が参考にするファッション誌だ。高級ブランドを身にまとったイケオジたちや、海外のハリウッドセレブなどが紙面を飾り、長期休暇にはモルディブへ行くことを勧めてきたりするあの類の雑誌である。
「そう! イタリアオヤジやサーファーアニキ、きらびやかなオジたちがクールにキメた画像の数々が、たったの900円程度で思う存分堪能できる魔法の本! しかも立ち読みしててもそんなに怪しまれない! 写真集だとこうはいかないのよ」
そう興奮気味に語る金沢さんの姿を、呆然と見つめる俺と野津さん。しばらくすると自分の暴走に気付いた彼女は言葉を切り、コホンと咳払いをした。
「と、こういうわけなの」彼女の肩にポンと手を置き、野津さんが一言で解説をまとめる。
「どういうわけよ」と文句を言いながら、金沢さんはこちらを向き直る。「あ、でも安心して! オジは推してるけど、恋愛感情に発展したりはしないから。アニメキャラが大好きだけど、付き合いたいわけではない、みたいな感じ? だから、淫行とかの過ちを犯したりはしないよ!」
「あんたそれ言ったら、なんか若井くんがかわいそうじゃない」再びヒートアップしそうな彼女を、野津さんはたしなめる。
「え? どうして?」
昨日のインタビューに続き、俺は内心ため息をついた。
珍しくも、自分に対して好意を持ってくれる女子が現れたと思ったのも束の間。
同級生というよりは、ナイスミドルの一人として見られている上、それらは恋愛対象には入らないという。
ごめんね、と言いながら、野津さんが今度は俺の肩に手を置く。
自身の言葉が意味するところには微塵も気付かない様子で、無邪気な笑顔を向けてくる金沢さんに、俺は告白したわけでもないのに振られたような気分を覚えるのであった。