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一 七年後

「やっぱ夢だよな、あれ」


 ガルはつぶやき、腰かけていた岩から立ちあがった。

 月色(つきいろ)の髪が、初夏の風を受けてやわらかくなびく。


「べつになんにも変わってねえし。親父とかみんな死んじまったし。だいたい、シーナが夢だって言ってんだし、堕竜(シャルマ)なんて、ありゃ、夢だよな」


 ガルは金色(きんいろ)の目を細めてのびをする。

 頭上で揺れる木々の葉が、鮮やかな緑色に輝いている。

 目の前の坂道をのぼっていけば、七年前のあの場所はすぐそこだ。


 かつての上級作業所は、七年前の大事故で燃えつきて、焦げた石材の一部が残っているだけだ。火災をまぬがれた倉庫や加工所、井戸なども、放置された年月で傷んでいる。


 ここでは、上級調合師のみに許された特別の薬材が取り扱われていた。

 突然の災厄(タンラ=ケルタ)が、その手順を壊し、でたらめにあわせ、人の手を離れた危険な調合をおこなった。

 毒煙(どくえん)がたちのぼり、毒水(どくみず)が生成され、強烈な酸がとびちり、大小の爆発は数えきれないほど起こった。


 七年経った今は、地面の色があちこち少し変わっているだけだが、まわりの木々はねじれ、立ち枯れ、当時の毒気(どくけ)を物語っている。

 それらの土や、浄化技(じょうかわざ)で生成した結晶、元気にはびこる草などが、ほかには無い薬材として利用されていた。小さく耕した場所で試している特別の薬草も、風に揺れて育っている。


 ガルは肩にかけていた薬かばんから、指示の書きつけと道具を取り出した。

 井戸の水を汲みあげ、陶器の瓶につめてしっかりと栓をする。

 縄を張って区切った場所ごとに、土と草を採取し、木箱におさめる。

 しるしの札がついた枯れ木の皮や枝も取り、同じしるしの小袋に入れる。元気な木の葉や枝も同様だ。


 すべてをきちんとかばんに詰めながら、ガルはどうにも釈然としない思いだった。

 普段なら夢で片づけるものが、七年前のあの出来事の、まさにその場所にひとりでいると、だんだんとそう思えなくなってくるのだ。


 堕竜(シャルマ)。七年前は知らなかったが、今はもう知っている。

 堕竜とは、天の世界から追放された、神にも等しい力を持つ邪悪の種族だ。

 地上の人びとをたくみに誘惑し、地の底へと連れ去る恐ろしい魔性だ。


 たとえかれらがどのような言葉を並べたとしても、けっしてその誘いに乗ってはならない。

 堕竜の誘いに屈した人間は、その愚かさの代償として、現世(このよ)から消えうせてしまうから――。


『この涙が、お前たちの痛みが消えるとしたら、お前たちはどうする?』


 あの声が耳の奥によみがえった。

 目の前の地面が黒い水面(みなも)と化し、あの男が水からあがるように現れる――。

 そんな気がして、鼓動がはやまった。

 六の月の日差しがまぶしくきらめいているのに、やわらかなそよ風を受ける体は冷えていく。


 不意に頭上に影が差した。ガルはびくっと立ちあがった。すぐに聞きなれた甲高い鳴き声がして、力が抜ける。


 青灰色(せいかいしょく)のほっそりとした鳥が、ガルの頭上を旋回していた。

 三度鋭く鳴き声をあげるので、仕方なく腕をあげると、鳥は嬉々として舞い降りてきた。


「馬鹿だな、お前。褒美なんかねえぞ」

 その小さな顔をのぞきこんで毒づいてやるが、鳥は小首をかしげるだけだ。

 ガルの月色の髪に頭を擦りつけ、片足をあげ、小さな円筒形の金属容器を突きつけてくる。


「だから! それ俺が取っちゃまずいんだって!」

 焦れたように髪をくわえてひっぱる鳥に往生していると。


「やっぱいたか、ガル! 毎度毎度すまん!」

 黒い上着に脚衣(きゃくい)姿の娘が走ってきた。

 短めにまとめた白銀(はくぎん)の髪を、緋色(ひいろ)の布で包んでいる。

 華奢で、小柄で、十四、五歳くらいにしか見えないが、美明(ミア)は十七歳、正式な狩猟師(しゅりょうし)のひとりだった。


「ほらほら、おいで、美人(メイレン)


 ミアが小さな皮袋を振ってみせると、鳥はたちまちガルから離れ、ミアの肩にとまった。


「ほんとメイレンはガルが大好きだね」

「違う! そいつばあちゃんと俺の見分けがついてねえんだよ!」

「メイレン、もうちょっとだけの我慢だよ。ガルが狩猟師見習いになったら、お前の相棒見習いにもなるんだから」

「嫌だ、ならねえ! ならねえからな!」


 ミアは袋から干しトカゲを出してメイレンに食べさせ、円筒形の入れ物を足から外した。その場で開いて、取り出した小さな紙切れを伸ばし、目を通している。


「それ、なんか秘密のやつ?」

「ん、別に極秘でも何でもないよ。普通に上級以上なら言っていいやつ。知りたい?」


 ガルはうなずいた。狩猟師たちが操る霊鳥(れいちょう)は、〈白蛇族(しろへびぞく)〉と数百年来のつながりを持つほかの一族との伝令も担っている。

 ミアが預かるメイレンは、どの一族の里でも難なく飛びこなせる翼と賢さをそなえた一羽でありながら、元の相棒だった亡き筆頭狩猟師ザキと、多少髪が金色がかっているだけのガルの見分けもついていない。

 と、言い張っているのは、ガルだけだった。


「やっぱ、誰かよそと交換する話?」

「お年頃の女の子じゃなくって、若い男だね。それも〈盾族〉の奴ばっかり、うちからは特に出さないで、少しまとめて〈白蛇族〉の養子に入れるってあの話」

「あれか。今、俺しかいないしな」

 ガルは自分の月色の髪をつまみあげた。


「ザキ様の子供は、あんたの親父さんだけだったし、その子供も、あんただけだったからね。もう少し〈盾族〉の血を入れたいし、即戦力も欲しいし、〈盾族〉は男が多いし、娘の交換はなかなか応じてくれないし、ってことで、予定どおり順調に進んでるってわけ」

「いったいどんな人がくるのかな?」


「おや、余裕だね。〈盾族〉だぞ。ガルよりピカピカ、正真正銘金髪金目の、強くて勇敢な若い男ばっかりだぞ。恋敵が一気に増えてしまうんじゃないかね?」

 ミアはガルの頬を指先でつついて笑った。


「シーナは!」

 ガルは真っ赤になってミアの手をふりはらい、飛びのいた。

「シーナは色恋なんかぜんぜん興味ねえよ! 調合師(ちょうごうし)の仕事に命懸けてんだからさ!」

「だよねえ。そこが悲しいとこだよね?」


「そ、そう言うミアこそ、うかうかしてらんねえだろ! 〈盾族〉だぞ、俺のばあちゃんと同じなんだぞ! 狩猟師の仕事、いいとこ全部取られちまうかもしんねえぞ!」

「いいや、たとえ〈盾族〉だろうと、大して年も違わないなら負ける気はしないね」


 豪快な笑い声。ミアは〈盾族〉の里に使いに行ったとき、月に一度の舞闘会(ぶとうかい)に飛び入り参加し、二位に入った実力があるのだ。

 ガルはいっそう頬を膨らませるしかなかった。


   ×    ×


 ガルはミアとともに、里の方へ戻っていった。

 さわやかな風が吹きぬけるたびに、頭上の若葉が音をたて、光が乱舞する。

 メイレンはその光を楽しむように枝から枝へと飛びまわり、飽きるとガルの頭にとまったり、ミアの懐の干しトカゲをねだったりして遊んでいる。


 やがて目の前の木々が開け、眼下に畑や養殖池が見えてきた。

白蛇族(しろへびぞく)〉の里は、高くそびえる岩山のはざま、南北に広がる谷間にある。

 谷の南の防御門のほかに、この里に入る道はない。人の出入りそのものも厳しく制限されていた。

〈白蛇族〉伝統の生業ゆえである。

 大昔から、〈白蛇族〉は一族すべてが薬づくりに携わってきた。水田、畑、果樹園、飼育小屋、養殖池。そこで薬材を育て、薬に加工しているのだ。


 大きな水車を使って動かす杵つき装置がごおん、ごおんと音をたてている。

 青灰色の上着にひざ下丈の裙子(スカート)加工師(かこうし)の妻女たちが、植物や果実を選別し、むしろや箱に並べ、天日で干している。

 青緑(あおみどり)の上着にひざ上丈の裙子(スカート)栽培師(さいばいし)の娘たちが、歌をうたいながら種をまくそばで、同じ青緑の上着の栽培師の若者たちが、巨大な岩のような実をのこぎりで収穫している。


 北門へ通じる道からは、ちょうど狩りに出ていた狩猟師(しゅりょうし)たちが戻ってきたところだ。

 獲物は、あまり大きくもない瘤猪(コブイノシシ)で、黒い上着の若者たちは、山菜や茸や鉱石を詰めたかごを背負っている。


 もともと〈白蛇族〉は知恵に長けた一族である。書物を紐解き、多種多様な薬材と調合法を極める道は向いていても、山野を駆け抜け、弓矢を放ち、武器を振るったり殴りあったり、といった肉体の力には、四つの一族でもっとも劣っていた。


 老練な狩猟師が引退で減っていく一方で、跡を継ぐべき若者たちの粒が揃わず、心もとない。

 このままではいずれ狩猟師ではなく採集師(さいしゅうし)になってしまう、と冗談の種になる一方で、問題は深刻であった。

 賊や猛獣、怪物や妖怪、里に危険が迫ったときに武器をとって戦い、人びとを守るのも、狩猟師の大切な役目なのだ。


「ま、正直〈盾族〉がまとめて入ってくれるのは大いに助かるよ。さすがにザキ様が五人十人まとめて大安売り、ってわけにゃいかないだろうけど」


 将来の筆頭とも目されているミアが、ひ弱な同僚たちを眺めやる。ミアは、五代前までさかのぼっても〈盾族〉はもちろん、他のどの一族の血も入っていない。

 身体も華奢で小さく、今どき珍しいほど生粋の〈白蛇族〉でありながら、知恵の方は読み書き計算の習得が精一杯という変わり種だった。


「俺のばあちゃんて〈盾族〉でも敵無しに強かったんだよな」

「そう。だから交換されて来たんだって、『〈白蛇族〉を護る盾になろう』って」

「なんか、十七のときには、一対一で(むらさき)アブラ(グマ)と戦って、素手で生き(ぎも)を抜きとったって聞いたんだけど」

「それ、間違い。一対一は十五歳。十七のときは二頭同時で、一対二」


「俺が生まれたお祝いに、七色蛟(なないろミズチ)を三頭狩ってきて、花結びにして庭に積みあげたってのは?」

「それもちょっと違う。ザキ様は積んどいただけ。どうせならこれ結ぼうってはしゃぎだして、人集めて、自分も汗だくになってせっせとやったのは」

「ああ……じいちゃん?」

 ガルはひたいに手をあてた。


「そ。アラル筆頭腰痛めちゃって、何バカやってんだってザキ様に怒られて一週間干し赤刃(アカバ)抜き」

「それ! ばあちゃん、解毒してない干しアカバを間違えて一皿食っちゃったのに、三日寝こんだだけで助かったとか……」

「それは本当。聞くまでもないでしょうが、生きてたんだから」


「俺のばあちゃんって……本当に人間?」

「そうよ。あんた、ザキ様の孫だってこと、誇りに思いなさいよ!」

「もちろん誇りだよ! でも……狩猟師にはならねえ! 俺が目指すのは調合師だ!」

「やいこら、少しは里のことも考えなさい!」

 ミアはガルの首に腕をまわしてつかまえると、月色の髪をぐしゃぐしゃにかきまわした。


「だいたい、あんたを、見習いに指名する調合師なんか、ひとりもいないの!」

「い、いるよ! いないことねえよ!」


 薬かばんを示したガルを、ミアはぎりぎりと腕で緊めつける。ガルは身をよじって暴れたが、ミアの巧みな締めつけの前に抵抗は無意味だった。


「逆に狩猟師はたくさんいる。たぶん全員。弓の名人阿久(アグ)から、追跡の達人夏留風(ゲルフ)まで、素敵な師匠がよりどりみどり。メイレンだってついてくる」

「要らねえし、やらねえし!」

「でも、指名されたら最後、断ることはできない。あきらめなさい、それがあんたの運命なの!」

「いやだ! 俺は運命なんか変えてやる!」


 ガルはかかとですばやくミアを蹴飛ばした。ミアはたやすく踏みかえてかわす。だが、そこを狙って反対の足でもう一発。かなりいい手ごたえが入った。

 ミアはぴくりとも動かなかったものの、腕の緊めつけは一瞬緩んだ。ガルは全力で両手をこじいれ、自らの体重をかけ、強引に振りほどいて脱出した。


「俺は運命になんか負けねえからな!」

 薬かばんを背負い直してこぶしをふりあげると、ガルは中級作業所へと走りだした。


「かっこいいこと言ったって、そもそも動機が不純でしょうが……ホントにあの子はシーナが大好きなんだから」

 七つも年下の子供にうまいこと蹴られた向こう脛をさすりながら、ミアは苦笑し、駆けてゆく後姿を見送った。




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