幸せのひと時 【月夜譚No.301】
パンケーキの香りは、幸せの香りだ。
甘くて、香ばしくて、温かい。匂いだけでお腹が鳴って、すぐにでもメープルシロップの瓶を傾けたくなる。
彼女はカフェの前で足を止めて、キッチンから漂ってくる幸せの香りに頬を緩めた。
手首を捻って腕時計を確認すると、針は午後三時を示していた。打ち合わせの時間にはまだあるが、夜には職場の飲み会の予定が入っている。
この後の飲酒を考えるとカロリーが心配だが、甘い誘惑に抗えるだけの力は、一仕事終えたばかりの彼女にあろうはずがなかった。
蜜に誘われるミツバチのように、彼女はカフェに吸い込まれた。店内はパステルカラーで可愛らしく、通された席も絵本に出てくるような小振りのテーブルと椅子だ。
メニューを開くと他のスイーツにも目移りしそうだが、彼女の心は一つに決まっていた。
やがて運ばれてきたパンケーキはこんがりと表面を焼いた三枚重ねで、生クリームと苺が添えられている。店員がメープルシロップの小瓶を置いて離れると、彼女は早速その瓶を手に取った。
とろりとした琥珀色のシロップをパンケーキの端から落ちるまでかけ、ナイフで一口サイズに切り、生クリームと苺を載せてフォークで持ち上げる。
ごくりと唾を飲んでから頬張ると、想像していたより数倍も幸せな甘みが広がった。決して甘過ぎず、苺の酸味がアクセントになって、幾らでも食べられそうだ。
口の端にクリームがついているのにも気がつかず、彼女は絵本の主人公のように思う存分幸せを堪能した。