とある兵士の回顧録
プロローグ
古くから魔王の国と人間の国が争っているこの地で、またしても戦の火蓋が切られた。四日間睨み合った両軍はついに動いた。魔王軍の防御陣地から放たれる魔術や雨のように降り注ぐ矢の下を七千人の兵士たちが勇ましい行進曲と共に要塞化された丘をめがけて進む。前の兵が倒れても後ろの兵士が前に出て隙間を埋める。無機質なボードゲームのような戦列が丘を囲んでいた。
第1章 ハインツグルド
ハインツグルドは王都の南西にある町である。現代の言葉になおすと「ハインツの町」である。その昔勇猛で名を馳せた勇者ハインツが魔王軍との戦いの後傷付き王都に戻る途中でこの場所で力尽きた。最初は親交のある者たちがここに墓を建て、年に一度来ていたのだが、次第に大勢の人間が彼を悼みこの地に来るようになった。次第にこの場所にも人が住み着き今や約2000人の人口を抱える町となった。最初は勇者ハインツの仲間が建てた小さなテントが数百年かけて町となったのだ。現在は「市」を名乗ることが許されている。市章は斧とテントをあしらったものである。しかし、経済的にはさほど豊かとは言い難い。元々勇者の墓があるだけの場所であり、近くに交易に使えるような大きな川や湖があるわけではない。灌漑も行われ近くに小川が2本流れているが、水が豊富とは言えず農業にも適していない。麦などはあまり生産されておらず、イモやマメなどが主食である。しかし、近くに巨大な森林があり、主に市民はここで林業を営み木材を輸出して生計を立てている。最近は魔王軍との戦争により木材の需要も高まっており、ここ数十年で一番の繁栄を見せている。王都や他の都市からも木材の生産のため訪れる者も増えた。また、魔王軍との戦争の最中でも町は平和であった。理由は立地の悪さだ。近くに川があるわけでもなく穀倉地帯でもない。王都や周辺の大都市からも離れており戦略的価値は低い。そのためここに戦火が及ぶことはないと市長や評議会は考えている。そのため正門は常に開け放たれ外からの客を寛大に迎え入れている。その中で人々はいつもと変わらない日々を過ごしていた。
「ユーリィ。」諌めるような口調で煤だらけの強面の老人が顔をあげた。赤くなった鉄を叩くその身体は大きく筋肉もついているが腹や胸には年齢相応の肉が付いている。長く伸びた髭をいじりながら男は続けた。「この先どう生きるかはお前の自由だ。王都に行きたいなら行けばいい。だがな、王都に行ったところで良い仕事にありつけるとは限らない。王都は何もできんタダ飯喰らいを引き取る所じゃないんだ。もう少し…」遮るように私は答えた「俺は貿易の仕事をしたい。この前木材を買いにきた男が言ってた。王都で貿易の仕事をすればここで働くより三倍は金が貰えるって。最近はここの木材が売れるんだろ?じゃあ…」今度は老人が話を遮って怒鳴った「だから、成功すればきっとそうなんだろう。だが、成功できる保証がどこにある。王都で無一文になったらどうする気だ?」頭に巻いた布を脱ぎながら続けた。「王都の無一文は残らず連れていかれて兵隊にされる。王国軍の先頭を走らされ矢避けに使われる。せめて鍛治ができれば最前線で戦わずに済む。お前をそんな事で死なせたら死んだお前の親父に顔向けできん。」そう強い口調で言うと男は私の向いの椅子に腰掛け先程とは打って変わって優しい口調で「ユーリィ。王都に行くなとは言わない。やりたいようにすればいい。儂は息子をこの市から出してやれなんだ。心配だったし寂しかったからだ。だからあいつには我慢をさせてしまった。だからこそお前には幸せになってほしい。だが、東洋の諺に『芸は身を助ける』というものがある。儂からの頼みだ。鍛治屋になれ。」
それでもすぐに王都に行く。機会を失っては元も子もないと反論するしようとしたが、祖父の目を見た時、出力しようとした言葉が出てこなくなった。昔から父が死んだ時、棺を見送った時と同じ目をしていた。祖父は厳しい職人であった。自分の息子が死んだ時も涙一つ見せなかった。泣き崩れる祖母をなだめた後すぐに仕事に戻った。それを見て冷たいジジイだと思い嫌味の一つも言ってやろうと祖父の仕事場に降りて行った。何かを言いかけた時振り向いた祖父と目が会った。その瞬間何を言おうとしたのか忘れてしまった。ふとその時の記憶が蘇った。
わかったよ。 私は短く答えた。
私は祖父のわがままによりここで鍛治屋を手伝うことになった。本当なら王都に行って三年間働き向こうでいい女を捕まえているはずだった。しかし、一人前の鍛冶屋になるまで王都に行くための金を出さないと脅され、今は祖父に従うしかなかった。三年前に村を出た幼馴染は王都で木材の卸売店に勤め随分と羽振りが良いらしい。この三年間私は祖父を恨み続けた。殺してやろうと思ったことも何度かあった。
しかし、幸運にもこの三年間が私の生死を分けたのだった。
「ありがと。」女は短く答えた。「お代はいいよ。うまくいかなかったから。」三年ほど鍛治屋として働いた私だったが3年やそこらでうまく行くわけがない。今回持ち込まれた鍋も取れた取手をつけるのに半日以上かかった。そのうえやっと修理した接合部も醜い形をしている。技術は伴わないのに職人としての矜持だけは芽生えてしまい、何かするたびに自己嫌悪に陥る。だが女は笑顔で「そんな事ないよ。たしかにおじいちゃんほど上手くはないけどちゃんと使えるもの。ほら、振ってもとれない。」彼女は鍋を振り回して微笑んだ。途端取手はふたたび外れて宙を舞った鍋は数メートル通りを転がりしばらくのたうった後静止した。「あはは!鍋が飛んだ!」女は愉快そうに笑った。「わっ、ごめん。やり直すよ。」顔を赤くして鍋を拾いに行く私を見て彼女は「わかった。待ってるね。」と言って笑顔で店先の木箱に腰掛けた。
「おいユーリィ!アンナと長く話したいからって雑な仕事してるんじゃねえぞ!」一部始終をみていた向かいのアントンさんが冷やかしてきた。たしかにアンナの近くにいれるのは嬉しいけど鍋の修理は真面目にやったから心外だった。
アンナの家は向こうにある林業従事者の家の娘だ。年も近く昔から何かと話す事が多かった。アンナの父親は斧や鋸の修理をうちの鍛冶屋に頼むため、彼が店に来るためついてきたアンナとよく遊んでいた。一時期は彼女と会うのが楽しみすぎて彼女の家に忍び込んでこっそり斧を壊した事がある。まだ誰にもバレていないがあの時の私は相当狂っていた。私が鍛冶屋の見習いになってから彼女は食器や包丁、日用品の修理は全て私に依頼してきた。祖父の方が腕はいいのに彼女はあえて私に頼むようになった。私は拙い技術で彼女が持ってきたものを取り繕ったが、当然未熟な私がまともに修理できるわけもなくすぐに壊れてまた修理に持ってくることの繰り返しだった。最初祖父や彼女の父親は不思議がっていたが、やがて何かを察して何も言ってこなくなった。祖父に至っては私が炉の前で悪戦苦闘する姿をアンナと一緒にニヤニヤしながら見ているのだ。しかし、同時にその間はこの前町にいて良かったと思える時間だった。
本日二回目の鍋の修理はかなり上手くできた。要領をつかんだのか綺麗にしっかり接合する事ができた。今度は二人で引っ張っても取れなかったから問題ないだろう。とりあえず色々と疲れたので早く休みたかった。席に着くと祖母が夕飯を持ってきた。蒸したイモと、マメや野菜を森で採れたハーブで味付けしたスープを食べた。「王都ではパンをたらふく食べられる。」王都に行った幼馴染の言葉を思い出しながらイモをかじった。はやく王都に行ってイモばっかりの生活から抜け出してみせる。パンとか砂糖菓子とか牛肉とかたらふく食べてやる。などと考えながら眠りに落ちた。