プロローグ
何も残らなかった。
始まった戦争によって引き起こされたのは蹂躙であり、軍人達による煌びやかな凱旋など夢物語だ。
開戦早々北部南部で要塞を落とされ、中央の平原での一戦は話にならなかった。
反攻作戦だなんだとうたっていた軍の上層部達は勇み足で出て行って帰ってこなくなった。
これが歴史に残るとしたらどれほどの厚みを持たせてくれるだろうか。
もしかしたら、一ページにもならないような過去になってしまうのだろうか。
全く馬鹿馬鹿しい。
これが国同士の争いだと───
─────誰が信じるのだろう。
☆☆☆
戦場では阿鼻叫喚を表した様子が広がっている。
大敗を喫した平原の一戦以来、全くもって勝ち星を挙げられなかった王国はあっという間に王都まで追い込まれてしまった。
山を使ってだの、川を使ってだの、ない知恵を絞って作戦を立てたはいいものの、それが戦果につながることはなかった。
とった山は一日も経たずに占拠され、川を使って防衛しようとも、敵が乗り込んでくる前に自軍が崩壊する士気の低さ。
過去の栄光はどこへやら、そこには騎士を中心とする軍隊など存在しなかった。
あるのはただの人。武器を持った民兵のような集団だった。
そんな者どもに国が守れるわけもなく、またそんな者に付き従った俺たちに自分が守れるわけもなく。
騎士学園で苦楽をともにした学友は、とうの昔にいなくなってしまった。
今では、簡易的に造られた墓の前で存在を感じること程度しかできなくなってしまった。
こうなった理由は明白で、それさえなくなればどうにかなったかもしれないほど明確だ。
帝国が異世界から呼び寄せた勇者『リョウマ・サカグチ』ついた異名は『奇災の賢者』
彼の登場によって急進的に向上した帝国の技術によって、あたかもその技術力の高さを試すかのように始められた戦争。
王国の人々は的と言うわけだ。
全くもって馬鹿馬鹿しい。どれだけ楽観的な思考を持ち合わせればそのようなことができるのか。
そんな的の仕事もついに、終わろうとしているのだ。
王も、王都で全て終わらせようと王城にいる。ここまで王都に残った人間たちだ。戦う意思はある。
意思はあれど、力はないのだ。
雨のように戦場には血が吹き荒れ、そこら中に血だまりを作っている。
亡骸が山を作り、血が川を作る。
帝国兵の持つ『ジュウ』や『ヤホウ』によって、人が一方的に蹂躙されている。
剣がゴミと化し、鎧はまるで子供のおもちゃのようにあざ笑われる。
たった一発の弾が、人をいともたやすく貫くのだ。
今まで生きていた人間を見下すように殺していく。
なんて悲劇だろうか。もし、私がこれを物語として聞いていたのならば喜劇と捉えるべきか、それとも悲劇と捉えるべきなのか分からずに微妙な表情を浮かべてしまうことだろう。
そんな笑えない冗談のような代物に、皆殺され、殺されていく。
私の目の前を走っている兵士が倒れた。
一瞬だけ見えたその顔には、額に親指程度の太さの穴が開いている。
眉間にそのままくらったらしい。頭にも兜をつけているというのになんて惨めなのだろうか。
と、感傷に少しでも浸ってしまえば最後。
自分の意識は、自らを殺した者も、弾も見られずに途絶えるのだった。
そう。
なっているはずだった。
「ウフフ、アナタ面白いわね」
誰かが私に話しかけてきた。
ボロボロでもう既に死んでいるはずの私に、あの業火の轟いている戦場で話しかけてきたのだ。
声色的には女性。
それも必死さなんてものは微塵も感じられず、どこか余裕のある雰囲気がある。
何事だと、私はなくなるはずの意識を使ってまぶたを開ける。
「ッ!!」
そこには何もなかった。
目の前に広がる景色はなにもなく、空も土も、敵も味方も何もない。
紛れもなく無であり、何かあるものがあるとすれば目の前にいる姿形の見えない縦長の何かだけだ。
これが話しかけてきたのだろうか。
「そうよ。さすが、冴えてるわ」
「それは、どう───って、なんで私の考えている事が!」
「ん? ああ、気にしないで。読心術の類いだと思ってもらえるとうれしいわ」
言っていることが理解できても、されている事への理解は追いつかない。
読心術だと言われて、ああそうですかとなるほど俺は物わかりのよい人間ではないのだ。
少なくとも今私の周りにいる全てが分からない。
情報過多である。
「細かいことは気にしなくていいわ。ただアナタには、思うままに運命をこなしてもらえれば結構よ」
「は? 何が言いた───
私が言い切るよりも先に、景色が変わる。
目の前にある全てのものが移り変わり、縦長のそれも消えてしまった。
何も分からない。
だが、その分からない中で一つだけ俺の理解が追いついたことがある。
それは
「どうやらまだ生きているらしい」
☆☆☆
移り変わった景色は、私が倒れたときに見えたものとは違っていた。
あのときは外だったが、どうやら今は屋内でかつベッドで寝かせてもらっているらしい。
暖かいベッドの中は実に心地よい。
体の隅々までが暖かく、思考が鈍化してしまう。
が、このままではいけないと起き上がる。
部屋には必要最低限の物しかなく、貴族の屋敷のように剣が飾ってあったり、絨毯が敷かれていたりということはない。
机に椅子、服が入っているクローゼットなど、無駄に金のかかっていそうな物はなかった。
王都が守れたのかと思ったが、もしかしたらただ近くの村で保護されただけかもしれない。
でも、王都内の家でここまで質素な建物は少ない。
ただの人間では住めないぐらいにまで土地の価値が高騰していたあの街だ。普通の家なんて建てる人間性の残った奴はいない。
しかし、何か違和感が残る。
部屋を見返していて、なんだか部屋の配置に既視感があり、どこに何があるか分かる。
机の上にあるペンも、手になじむ。
持ちやすい大きさで、考えられた一品だ。
そう思うと、やっぱり無駄に金がかけられている気がしてきた。
ペンなんて安物だと木の枝に先端をぱぱっとつけただけだし。
他にはなにがあるだろうか。
そう思って視線をあちらこちらに向けていると、声が聞こえてくる。
扉の向こうから、やや聞き取りにくい声が聞こえてきた。
「アイン~、朝よ~」
「今の声は……!?」
その聞き慣れた声が俺に朝だと知らせてくれる。
もう朝だと、起きなさいと起こしてくれている。
あのときのように。
もう見ることのできない景色が思い起こされる。
焦りの感情を隠すことなく、私は扉を開けて確信を持って階段の方へと行く。
初めての場所のはずなのに、絶対あると確信して階段の方向を当てて見せた。
もしかしたら、帝国の罠かもしれない。
私は薬物漬けにされて、正確な判断ができなくなっているのかもしれない。
が、確かに五感で感じる。
全てが現実であると感じると共に、確かな異変にも気づく。
ありえないことが、起こっている。
起こるはずのないことが、今現実になっている。
階段を降りた先には、見覚えのある背中があった。
白いエプロンをして、ルビーのような髪色でショートボブの女性。
すらっとした体つきで、楽しそうに鼻歌を歌っている。
「おはよう」
「え、な、なん」
理解が追いつかない。
あの正体不明の縦長に会ってから、訪れる現象は何も分からない。
しかし、まだ理解できる範疇ではあった。
理解というか、自分の中で分からないとつぶやくことで処理できる程度ではあったのだ。
だが、今完全に私の理解を超えた。
事実として認識できる範囲を超えてしまった。
「なんで、いるんだ!!」
俺の目の前には、もう亡くなったはずの人がいる。
もうこの世界にはおらず、俺が失ってしまった一人である彼女がいる。
「? どうしたの、早く着替えてきなさい」
「な、なんでそんなに平気そうなんだよ。なんで生きて?」
「何言ってるの?」
俺の発言に対して、ずっと首をかしげて不思議そうな顔をしながら料理の手を止めない彼女。
なぜ彼女はこれほどまでに平然を装っているんだ。
絶対に何かしら向こうも感じているはずなのに、これと言って何事もないかのように。
まるで日常の一ページかのような反応だ。
「早く着替えてきなさい! 今日はアナタの誕生日なんだから」
「え、誕生日?」
急に誕生日と言われて何のことかと思ったが、それがすぐに私の誕生日と言われたことを理解する。
また、それと同時に今日は別に自分の誕生日でもないことを思い出した。
そんな記念すべき日に自分が死ぬなんて最悪だ。
生まれた日に死ぬなんて。
だから、すぐに分かった。
が、彼女の早く着替えろオーラに押されて、俺は反論することなくそのまま部屋に戻されてしまう。
抵抗しようとしたが、体を持ち上げられたポーンと簡単に投げられてしまう。
首根っこを捕まれた子猫のように手際が良かった。
まだ、何も分からないというのに帰されてしまった。
入ってくる情報は今自分の求めている物とはかけ離れており、得たところで何の役にも立ちやしない。
何が起こっているんだ、と。
そう思いながら階段を上っていたら一つ、気づいた。
私の視界にある。
自分の体だ。
「何か、違う」
漠然と感じる違和感。
見覚えのある体ではあるが、その中でもどこかが違う。
言葉にできない違和感が、今自分の視界にはある。
少しばかり……いや、かなり近いのだ。
体の全てのパーツが、顔に近い。
それは体だけではなく階段の段差も。
まるで、体が小さくなっているとでも言いたげな体を私はしていた。
「ッ!!!!」
そう、思った瞬間。
体から汗が噴き出す。
気持ちの悪い、ベタベタとした嫌な汗だ。
止まるところを知らず、だらだらと腕・脚・首・顔など体中から出てくる。
大急ぎで階段を上り、俺はまたしても自信を持って部屋の扉を開けて、右を向く。
ここまでこれば、後は自分が理解するだけである。
そこには、鏡があるのだ。
絶対にある。
実際。
自分の視線の先には、丁寧に全身を映してくれている鏡があった。
なんとなく。
分かっていた。
少しだけ現実から視線を外したかった。
分からないままの方が、マジだったと。
そう思う。
覚えのある装飾の鏡には、私がいる。
それはもう、何十年も前の私の姿をした───俺がいる。
幼い。
まだ、未来を知らない『アイン・イーノス』が立っていた。
黒色をした短髪に、自然と目で追ってしまう白色が混じっている。
少し幼い顔をした俺が、鏡の前に立っていた。
「どうして、なんで」
夢でも見ているのか。
少し鮮明で、長い走馬灯とでも言いたいのか。
理解している。
分かっている。
目の前での光景がどういう意味なのか。
俺が目覚める前のあの不思議な存在が非現実でない時点で分かりきっている。
「は、はは」
俺が過去に戻ったことぐらい。
すぐに理解できる。
「どうしろと、過去に戻ってどうしろって言うんだよ」
また、地獄を見てこいと言うことか。
あの地獄をもう一度引き起こせとでも言いたいのか。
過去に戻ったからと言って、俺が分かっているのか未来だけ。
あのクソ野郎が来ることも、太刀打ちできない技術が流れることもきっと変わりなくやってくる。
ただ、タイムリミットができただけ。
時間があるだけなのだ。
「…………チャンスはない。そう分かっていたから頑張った」
また、頑張れと言うのか。
絶対に来る地獄を見ろと、なんとかして見せろというわけか。
「ふざけやがって、俺はアイン・イーノスになる。そう誓ったのに……」
甘えは、悲劇しか生まなかった。
自らだけを信じた結果、何も得られなかったのなら。
やるしかないわけだ。
もう一度与えられた人生を容赦することなく突き進まなければいけない。
「アイン・イーノス君は存在だけ、してもらうことにしようか」
次はない。
たまたま得た二回目。
三回目があるなんて思わない。
今回だけで全部片付けるんだ。
「アイン~、まだ~?」
下から、母さんの呼ぶ声が聞こえる。
懐かしい声がする。
「ちょっと待ってて!」
そう返事をして、俺は着替えをとる。
とりあえずは、歴史をなぞろう。
俺の知っている、俺の歴史を繰り返すんだ。
そうすれば、またみんなに会えるはずだから。
ここまで見ていただきありがとうございました。
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それではまた次のお話で会いましょう。