九ノ巻 ~再会
【 壱 】
今はもう10月。俺の人生を斜め上に変えてくれた夏季休暇も4日前に終わり、大学の後期授業がもう始まっている。
そんなわけで俺は今、高天大にて物理学の講義を受けている最中だ。
今朝も、真言術の朝稽古をしてきた俺は、やや眠い目を擦りながら講師の話を聞いているところであった。そして、黒板の文字をノートに書き写すのである。
今までも眠い時はあったが、流石に連日の悪霊退治と術の修行を続けていると、大学の授業に影響を及ぼす事は避けられなくなってきている。近い内にも鬼一爺さんに、この事を言わなければと思う、今日この頃だ。
で、その肝心の鬼一爺さんだが、この間から学校に好奇心を刺激されたみたいで、大学内を自由に徘徊している最中である。物好きな爺さんだ。
俺は欠伸をしながら、高校の3倍はあるであろう横長の教室内を見回す。白い壁と黒い黒板、そして多少段差のある横長の机といった物が視界に入ってきた。
横長の机には、夏季休暇前とは違い、やや厚手の服装をした学生達の姿がある。俺自身も黒い長袖のやや厚手の服とジーンズといった感じであるから、まぁ季節を考えれば当たり前の事だ。
そして隣に目を向けると、いつもはおちゃらけた感じのヤマッチも真剣に講義を聴いていた。別人のようである。
とまぁそんな事はさておき、今の俺の視界には当然、幽霊の姿も入ってくるので、実際に講義を受けている人数よりも多く見えてしまう。全くもって紛らわしい光景である。
(どう考えても、半分は向こうの世界の住人だよな……まさか、普段出ていた講義がこんな事になっていたとは……学校は幽霊話が多いというが、この現状を見る限りでは納得せざるをえない。噂は事実だったようだ。このままでは学園七不思議とかも本当にありそうで怖い気がする。ま、今はそんな事を考えていてもしょうがないか。とりあえず、俺は目の前の講義をしっかりと聞いておかないとな……)
講義が始まって90分が経過すると、終了を告げるいけ好かないチャイムの音が聞こえてきた。
いけ好かないと言ったのは、何と言う曲かは知らないが、気の抜けるメロディーだからだ。
小中高と同じチャイムで育ってきた俺には非常に違和感があり、未だに馴染めない事の一つであった。
多分、俺と同じ事を思ってる奴は一人や二人くらいじゃ無い筈だ。
ふとそんな事を考えていると、ヤマッチの声が聞こえてきた。
「日比野、飯行こうぜ。腹減ったよ」
俺はそこで、時計を見た。12時10分……もう昼である。
今の時刻を知った途端、急に腹が鳴り出した。
「昼だという事を今知ったよ」
「何だそれ? まぁいいや、行こうぜ」
「ああ」
俺達は教室を後にした。
外に出た俺達はキャンパス内にある厚生会館という建物へと向かった。そこは学生支援施設が集まっている所で、学食もそこにあるのだ。
因みにだが、結構、横に長い建物で、正面にみえるガラスの壁や窓ガラスはマジックミラーになっており、天気の良い日などは光が反射して凄く眩しい時がある、ある意味派手な建物である。
程なくして学生食堂へとやってきた俺達は、厨房付近にある食券の自販機へと歩を進める。
周囲を見回すと食堂は昼という事もあって人で溢れかえっていた。その為、俺達が座る席があるかどうか不安だったが、奥の方はまだまだ空きがあるようだ。
俺は350円のカツカレーを注文し、それを受け取ると、ヤマッチと共に、誰もいない奥の窓際にあるテーブルへと移動し、昼食を食べることにした。因みにヤマッチはハンバーグカレーだ。
食事を食べ初めて暫くすると、村田健二・通称ムラケンという名の、同じ工学部の友人が俺達のテーブルにやってきた。
「おお、久しぶり、ヤマッチと日比野。俺も一緒にいいか?」
「おっムラケンか。いいぞ、ここ座れよ」
ヤマッチはそう言って、隣の空いている席を引いた。
「じゃあ、遠慮なく」
ムラケンは隣のN県出身で、気さくで配慮深くて凄くいい奴だ。
ただ惜しい事に外見で誤解されやすい人間だ。身長は俺より少し高く、身体もゴツイ。おまけに顎髭を生やしているから、余計に厳つく見える。
見た目はこんな感じだが、話してみると本人は繊細な性格の持主で、特技が大正琴と聞いた時、その見た目とギャップがありすぎたので笑ってしまったのを憶えている。
「ムラケンは今日、これからどんな予定になってるの?」と俺。
「3時限目は英語だよ。そっちは?」
「俺らは電気計測基礎だよ――」
とまぁこんな感じで、前期と変わらないように振舞いながら、俺は後期の学生生活を送り始めていた。
俺の人生は8月13日の御迦土岳での出来事に遭遇してから目まぐるしく変わった。
だが、夏季休暇が終わった事で、今までは気にせずにおけた事が、そうもいかないようになってきている。
しかし、今の俺の現状は誰かに話したところで、恐らく変人扱いか、下手をすれば精神病扱いされる可能性が高い。なので、親友にも言えないのが悲しいところだ。
それもあり、この時の俺は、自分自身を違う世界の住人の様に感じていた。
とはいえ、確実に俺という人間は此処に存在しているし、皆も変わらず接してくれている。しかし……幽世という新しい世界が見えてしまう様になった俺は、やはり、今まで通りというわけにはいかないのだ。が、俺は現世の世界観を忘れたわけではない。なので、今の生活を崩れさせない為にも、それだけは忘れないようにしようと、この時の俺は、自分に言い聞かせていたのであった。
その日の夕方……俺は大学を後にすると、学園町内にあるショッピングセンターへと足を運んだ。
真っ白い三階建ての大きな建物で、中のテナントには沢山の店舗が並んでいる。
1階が生鮮食品等を扱うスーパーやレストラン、日用雑貨等を扱う店が入っており、2階は服飾関係、3階はホビーや本、音楽といった感じに振り分けられている。
というわけで、俺は今、3階の本屋へとやってきたところだ。今日の目的は1階の食品だが、最初に手荷物が多くなると寄り道がしにくい為、先に寄り道しているというわけである。鬼一爺さんは、またその辺を徘徊している筈だ。
それはさておき、本屋に来た俺は、とりあえず、アウトドア雑誌とかが置いてあるコーナーへと向かった。そして、フライ関係の雑誌を手に取り、パラパラと立ち読みを始めたのである。
ここ最近、フライフィッシングの事を考えられるほどのゆとりは無かったが、嫌になったという訳ではない。また機会があれば当然やりたい。しかしながら、色々と起きる厄介な出来事は、中々、俺にその機会を与えてくれようとはしないのだ。
(はぁ……なかなか以前の様にはいかないけど、人生というものは山あり谷ありだ。俺にもいつか山の部分が、必ず来る筈さ……たぶん……)
などと考えながら、雑誌に目を落としていると、背後から声が聞こえてきたのである。
「あ、あのぉ……」
妙に遠慮した女性の声であった。
俺はそこで、後ろに振り向く。
するとそこには、高天智聖承女子学院の制服を着た女の子が立っていたのだ。
髪を横に纏めた可愛らしい子だが、良く見ると以前会ったことがある子だった。
(ん? ……確か、この子……10日程前に、妙な幽霊爺さんに依頼されて、除霊をした子だ)
「君は……え〜と……あ、思い出した。高島昭三さんという人の孫娘だ」
名前をすっかり忘れていた為、こんな答え方になってしまった。依頼をこなした後は、もうどうでもよくなっていたのだ。
だが、俺の受け答えが気に入らなかったのか、この女の子はムキになって返してきたのである。
「……思い出してないです。私の名前は瑞希ですッ」
難しい年頃だ。
「そうそう、瑞希ちゃんだったね。忘れてた訳じゃないよ。知ってたけど名前が出てこなかったんだよ」
「それは、『忘れてる』と言うんじゃないんですか?」
「ハハハハ……。君、結構手厳しいね」
本当に難しい年頃だ。
まぁそれはさておき……。
「で、どうしたの瑞希ちゃん? また何かあった?」
「あ、すいません。えと、この間はどうもありがとうございました」
瑞希ちゃんは丁寧に頭を下げてきた。
「いや、別にいいよ。気にしなくて」
「でも、何のお礼もせずに貴方は帰ってしまったので、私もなんか悪いなぁと思ってたんですよ。それで、今日、本屋に立ち寄ったら貴方の姿が見えたので……」
若干、言葉を選びながら喋っている感じだが、誠意は伝わってくる。
「本当に気にしなくていいよ。それにこんな可愛い子が困ってたら助けるのは当然じゃないか。でも、この間も言ったけど、決して人に言ってはいけないよ」
俺はここでもう一度念押しした。が、しかし……この子は別の部分に反応していたのだ。
「か、可愛い……。ほ、本当ですか?」
「あ、ああ、瑞希ちゃんは可愛いよ。それで、この間の事は誰にも……」
俺は肝心な部分が伝わっていないと思い、もう一度言おうとするが、瑞希ちゃんはさっきの言葉に酔っていたのである。
「私が可愛い……」
「おーい」
瑞希ちゃんは両手を頬に添え、顔を赤らめモジモジしている。色んな意味で難しい年頃だ。
(駄目だこりゃっ)と思った俺は、「オホン」と大きく咳払いをして瑞希ちゃんの注意をこちらに引き、改めて念押しした。
「瑞希ちゃん、この間の事は本当に誰にも言っちゃ駄目だからね」
「は、はい……でも……どうして秘密にしておくんですか?」
「まぁ、色々と複雑な事情があるんだよ」と、俺は遠い眼をしておいた。
「そうなんですかぁ。あ、そうだ。名前をまだ聞いてませんでした。お名前はなんと仰るんですか?」
「ああ、名前は、日比野涼一。まぁ、平凡でありふれた名前だよ」
瑞希ちゃんはそこで、ポケットから携帯電話を取り出し俺の名前を登録しだした。
「……」
俺は瑞希ちゃんのその行動をただ無言で見ていた。
「あ、そうだ。ついでに携帯の番号教えてください。もし、何かあったとき、連絡先を知らないと不味いですし」
ついでにの使い方が間違ってるような気がしたが、とりあえず言ってる事も一理あるので、教える事にした。
そして、勿論、これも聞かれた。
「あとは、メアドもお願いします」
何故か分からないが、目に見えない自白装置が働いているかのように、瑞希ちゃんは俺から必要な事を聞き出していく。
そして、知りたい事を聞きだすと、今度は自分の携帯で俺に電話を掛けてきたのだ。
俺はズボンの中で鳴り響く携帯を取り出し、ディスプレイに表示される番号を見た。
「えっと、それが私の携帯番号になります。これで、何かあったらすぐ連絡できますね」
瑞希ちゃんはそう言うと屈託の無い笑顔を俺に向けた。
「そ、そうだね。瑞希ちゃんて、結構自分のペースで物事進めるの旨いね」
俺は淀みのない今の一連の流れから、思わずそう言ってしまった。
「そうですかぁ? でもよかった。日比野さんの連絡先を知る事が出来て。この間の一件以来、なにもおかしな事は無いんですけど、やっぱり不安じゃないですか」
瑞希ちゃんはホッとしたのか、胸を手で押さえる仕草をする。
俺はそんな瑞希ちゃんを見て、少し罪悪感が湧いたのであった。
何故なら、早く終わらせて帰ろう……そればかりを考えて、この間は除霊作業をしたからである。
自分の事ばかり考えて、霊障に悩むこの子の心のケアまでは頭が回らなかったからだ。
また、こうやって知り合ったのも何かの縁かも知れない。
そう考えた俺は、この子の不安を取り除いてやれるまで、相談に乗ってやろうと考えたのである。
「瑞希ちゃん、もし、またあんな事があったら相談に乗るよ。人生相談は出来ないけど。そっち方面なら多少は知識があるからさ」
「は、はい。お願いします。あの、もう一つ聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「日比野さんは、お仕事は何をされてるんですか?」
「エッ? やだな。俺はこう見えても学生だよ。此処から東に行ったところにある高天大に通ってるんだ」
「やっぱりそうだったんですか。この間見たときからそうじゃないかと思ったんですよ。スイマセン、変なこと聞いて」
「いや、いいよ。まぁ、この間の感じでは、胡散臭い詐欺師と思われても仕方ないしね」
「そこまでは思わないですよ。クスクス」
と、まぁそんなわけで、何となく立ち寄った本屋で意外な人物と出会い、そして接点を持つ事になった。
しかし、俺はこの時気づいてなかった。
今の時点で、俺がオカルトに通じている事を知る初めての人間が、瑞希ちゃんであるという事に。
そして、良くも悪くも、これから起きる出来事に色々と関わる事になってゆく事を……。
【 弐 】
F県との県境に位置するG県・葦原市。その中心市街地から更に南西に離れた所に水無原と呼ばれる地区がある。
周囲を山や田畑に囲まれた地域で、今は丁度、米の収穫時期という事もあり、黄金色をした稲穂が垂れる水田では、収穫作業を行うコンバインが忙しく走っているところだ。また、上空には沢山の赤とんぼが飛び回っており、秋の訪れを感じさせる田園風景が、辺り一面に広がっていた。
だが、ここは、そういった田園風景だけが特徴の地区ではなかった。
この水無原には遥か昔、辺り一帯を支配していた豪族がいたとされており、古墳や住居跡、そして土器や鉄器等が多数発見されている場所でもあった。
そして、今現在も出土品が出てくる為、発掘作業等は現在進行形で行われているのである。
そう……この水無原は、日本古代史を専攻する考古学者達にとっては、正に、楽園のような所であった。これはそんな、発掘現場で起きた話である――
古代の住居跡が広がる、とある発掘現場の一画にて、先程、幾何学な模様が刻まれた大きな壷が出土された。
壷の口は厳重に塗り固められて塞がれており、まるで何かを外に出さないように閉じ込めているかのようであった。その壷は一抱えはある大きさで、見方によれば水瓶にも見える。が、ただの水瓶とは思えない不思議な壺であった。
何故ならば、周囲には幾重にも奇妙な模様が彫られているのである。勿論、その場にいた全員が、初めて目にする出土品であった。その為、発掘作業に携わっていた者達は、皆が一様に新種の出土品を連想した。
そして、その中の一人が、すぐさま県の埋蔵文化財担当の責任者に連絡をしたのである。
知らせを受けた県の担当者は、考古学者の一人である白川という男を連れて現れた。
白川は歳は40歳くらいの男で、頭に白いハンチング帽被り、丸い眼鏡と口に沢山蓄えた髭が特徴の小太りの男であった。
グレーのスラックスと青いカッターシャツという格好で、ネクタイはしていない。所謂クールビズという姿である。
発掘現場にやってきた白川は、その壷を見るなり驚愕した。
何故ならば、今まで見たどの文献にも載ってない、奇抜な出土品だったからである。
白川は他の出土品等から、大体4世紀〜5世紀頃の物と想像すると、早速、その壺を調べる事にしたのだ。
*
茶色い外装を施した二階建ての水無原歴史資料館には、沢山の出土品がガラスケースに陳列されていた。古代の息吹を感じられる様、色々と工夫してるようで、展示物の隣には由来を示す資料や当時を推測する絵等も一緒に並べられている。
そんな歴史資料館の隣に別館である建物があった。それほど大きくなく、倉庫といったほうがしっくりくる建物である。
その建物に、白川は今やって来たところであった。時刻は午後9時過ぎ。
こんな時間に、白川がなぜ此処にいるのかというと、それは勿論、あの壺である。水無原の発掘作業で出土した物は、すべてこの歴史資料館の別館であるこの倉庫に、一旦は納める事になっているからだ。
通常、こういった出土品は、県の委託を受けた外注の業者を介して洗浄作業や記録作業が行われるのだが、考古学者としての血が騒いだ白川ははやる気持ちを抑えられず、この歴史資料館の隣にある倉庫に来ていたのである。
この倉庫には、その壷だけではなく、他にも沢山の出土品が洗浄されるのを待っていた。
シートに覆われた一画に所狭しと様々な出土品が並べられており、その隣には、一旦外に運び出す為の梱包処理をする部屋まである。
そんな出土品等に囲まれながら、白川は上着を脱ぐと、早速作業に取り掛かった。
白川は、壷の周囲に付いた泥を傷をつけないように、軽く擦って汚れを落としてゆく。時間の掛かる事ではあったが、白川は笑顔でそれらの作業を進めていった。
そして、粗方ではあるが落とし終わると、拡大鏡を使い、周囲の模様や装飾等を余す事無く、じっくり観察し始めたのである。
それから1時間後。
同じ姿勢で作業をしていた為、肩が凝った白川は一旦休憩することにし、用意しておいた500mlのペットボトルのお茶を手に取り喉を潤した。
だが、白川は気付いてない。この時、異変が起きたのを……。
塗り固められた壷の口の部分に亀裂が出来たのである。
白川が手を触れたときの圧力かは分からないが、とにかく、壷の塗り固められた口の部分に亀裂が入ったのだ。
亀裂は広がりを見せ、塞いでいた物は壷の中へと落ちていった。
――ゴトンッ――
「ン?」
今の音に気付いた白川は、ペットボトルを床に置くと、すぐさま壷の所へと移動した。
そして、目を大きく見開いたのである。
「なッ! 塗り固められていた壷の口が割れているぞッ。な、何故だ? さっきまでは何とも無かったのに……」
白川は不思議ではあったものの、とりあえず、目の前の壷に意識が向かう。
壷の口を封じていた物は既に無い。という事は中を覗けるという事である。
もし此処にいるのが白川ではなくとも、誰もが同じ行動をするだろう。
当然、白川の脳裏にもソレがよぎる。
そして、白川は生唾をゴクリと飲み込み、壷の中を覗き込んだのである。が、しかし……次の瞬間、白川の悲鳴がこの倉庫内に響き渡ったのだ。
【ウ、ウワァァァァァァァァァァァァァァァ!】