六拾四ノ巻 ~御先 九
《 六拾四ノ巻 》 御先 九
坊さんが去ったところで、俺は夜叉真言の術を解いた。身体の発光もフッと消え去る。
また、瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんは、俺の両脇にて抱き着いたままであった。
2人はさっきの事が余程怖かったのか、未だに少し震えていた。無理もない。
だがそこで少し気になる事があった。
それは、沙耶香ちゃんの様子が少しおかしかったからである。
沙耶香ちゃんは譫言の様に、こう言っていたのだ。
「フ、フドウ……ゲンサイって、まさか……」と。
沙耶香ちゃんは、何か知っているのだろうか。
フトそれが気になったが、俺は次に、龍潤さんのいる方向に視線を向けた。
龍潤さんはもう、こちらに向かって歩いているところであった。
そして俺達の前に来ると、笑顔になり、口を開いたのである。
「久しぶりだねぇ。元気にしてたかい? ところで、今、走り去って行った御坊さんは誰なんだい?」
龍潤さんの穏やかな雰囲気もあって、俺はそこで緊張の糸が切れる。
すると途端に、ドッと疲れが出てきた。
多分、戦いの緊張以外にも、術を使った反動もあるのだろう。やけに体も重いし……。
まぁそれはともかく。
俺は首を横に振ると言った。
「さぁ、わかりません。でも去り際に、確か、フドウ ゲンサイとか言ってましたね。初めて聞く名前です」
だが俺の言葉を聞くなり、龍潤さんは目を見開く。
それから声を震わせて言ったのだ。
「ふ、不動……げ、幻斉だって……」
沙耶香ちゃんもそうだったが、龍潤さんもこの名前を知っているようである。
俺は気になったので、とりあえず尋ねる事にした。
「この名前を知っているんですか?」
龍潤さんは神妙な面持ちになって言った。
「いや……私も噂でしか知らないが、その名前は聞いた事があるよ。この業界にいると、時折、耳にする名前だからね」
「どんな噂なんですか?」
「……数多の呪術を操る凄腕の術者にして、日本呪術界最強の殺し屋と呼ばれている」
「マ、マジッすか……」
俺はまた、サァーと血の気が引いた。
龍潤さんは続ける。
「ああ。だから、もしさっきの人物が、その不動 幻斉だったとしたら……」
俺はゴクリと生唾を飲み込み、聞き返す。
「だ、だったとしたら?」
すると龍潤さんは笑みを浮かべ、こう言ったのであった。
「色んな意味で、すごい人物と会話してた事になるね」
「ぬぁ……」
俺はガクッと肩を落とすと、口元を引き攣らせた。
龍潤さんは、そんな俺を見て微笑むと続ける。
「でもねぇ、幾らなんでも、そんな殺し屋が名を名乗るとも思えない。だから、多分、冗談で言ったんだよ」
「じょ、冗談ですか? でも、あの坊さんは、今の内容に、結構合致するんですよねぇ……」
とはいうものの、確かに、龍潤さんの言う殺し屋だと証明ができるわけではない。
しかし、さっきの攻防もあったので、凄腕の殺し屋という部分に関しては、妙に納得をしてしまうところであった。
だが、もし本当にそんな奴だとしたら、俺はとんでもない奴に目を付けられたことになる。
またそう考えると共に、背筋に悪寒が走るのだった。
今はとりあえず、忘れよう。気が滅入る。
龍潤さんは周囲を見回すと言った。
「それはそうと……一将さんから、この鐘浦地区にある倉石武雄さん宅へ、至急、応援に向かってくれと指示があったんだよ。もしかして、日比野君達の応援ということなのかな?」
その言葉を聞いて、沙耶香ちゃんが反応した。
沙耶香ちゃんは、俺に抱きつく手を離すと慌てて言ったのである。
「は、はい。そうでございます」
「えっと、確か、君は……一将さんの娘さんだよね。という事は君も、もう浄士なのかい?」
沙耶香ちゃんは丁寧に頭を下げ、自己紹介をする。
「申し遅れました。私の名前は、道摩 沙耶香といいます。昨年の春に、鎮守の森より従八位の階位を賜り、晴れて浄士となる事ができました。まだ未熟ではございますが、宜しくお願い致します」
すると龍潤さんは顎に手を当て、感心したように言ったのであった。
「へぇ、そうなのか。まだ中学生なのに、従八位とはいえ、浄士の階位を授かるなんて流石だね。さすが道摩家の血統だ」
沙耶香ちゃんは照れたのか、少し顔を俯かせる。
次に龍潤さんは、俺に抱きつく瑞希ちゃんへ視線を向けると言った。
「日比野君、その子も浄士なのかい?」
「あ、そういえば、龍潤さんは知らないんですよね。紹介します。僕と共に道摩家の方でお世話になっている、高島瑞希ちゃんです」
瑞希ちゃんは抱きつく手を離すと、慌てて挨拶をした。
「は、初めまして。高島瑞希といいます。宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しく」
龍潤さんは笑顔で答えると、続けて俺に言った。
「ところで、日比野君。一将さんから、この地区で呪殺が行われていると聞いたが、今はどういった状況なんだい?」
「ええ、実は……ン?」
と、俺が言いかけた時だった。
宗貴さんが、この公園へとやってきたのである。
俺達の前にくると、早速、龍潤さんが声を掛けた。
「おお、宗貴君。久しぶりだね。元気にしてたかい」
「龍潤さん、お久しぶりでございます」
宗貴さんは挨拶をすると、俺に視線を向ける。
そして、鋭く真剣な表情で言ったのだ。
「日比野君。あの僧侶は、今、何処に?」
「あの坊さんは、龍潤さんが現れたところで撤退しました。恐らく、応援の者が何人か来たと思ったのかもしれません」
「そうか……。しかし、日比野君。先程の幻術や不動金縛りの中で、よく動けたね……」
宗貴さんはそう言うと共に、やや怪訝な表情をした。
この表情を見る限り、どうやら、宗貴さんも流石におかしいと思ったのだろう。
あの坊さんも、俺に対して不思議がっていたから、こうなるのは仕方ないのかもしれない。
とりあえず、俺は後頭部をかきながら言った。
「それが、俺自身、何で動けたのかが、よく分からないんですよ……」
微妙な返答になってしまったが、幽現成る者の事は隠しておかないといけない。
だから、今はこう答えるしかなかったのである。
しかし、宗貴さんは尚も無言で、ジッと俺を見ていたのだ。
確実に何かを怪しんでいる感じである。
どうしよう。本当の事を言わないと不味いかも……。
などと俺が思っていると、宗貴さんは仕方ないという感じで言ったのだった。
「……分かった。それは今は置いておこう。まずは、呪殺を止めるのが先だからね」
「ええ……」
俺は少し気まずかったが、とりあえず返事をした。
そして、その後、俺達は倉石家へと向かい、また移動を開始したのであった。
―― 倉石家 ――
俺と宗貴さん、そして龍潤さんの3人は、程なくして、あの家の前へやってきた。
そして、玄関前で俺達は立ち止まると、不審者がいないかどうかを確認する為、倉石家とその周囲を暫し念入りに見回したのである。
周囲の家々は、先程の戦いなど無かったかのように静かであった。
軒を連ねる家屋の窓から明かりが見えるが、そこから、俺達や倉石家を覗く人影はない。
いや、それどころか、この周囲には人に限らず犬や猫といった動物の気配すらないのである。
不思議ではあるが、これが人払いの結界が放つ、忌避の効果なのだろう。
俺は術の効果に感心しつつも、また倉石家の玄関に視線を向けた。
玄関は昼間以上に、寂しげな様相をしていた。
倉石家には明かりなど全く無いので、暗闇が覆うこの中では、際立ってそれがよく分かる。
また耳を澄ましても、物音は何一つ聞こえてこなかった。
聞こえてくるのは、周囲の家屋に取り付けられた、エアコンの室外機が回る「ブーン」という音くらいなのである。
だがしかし。
人の気配や明かりはなくとも、怨念ともいえる負の波動だけは、確かにこの家の中から感じるのだ。
俺はそれを感じると共に思った。
もうこれで、終わりにしなければならないと。
一通り確認を終えたところで、宗貴さんは言った。
「よし……。周囲には誰もいないようだ。だが中には、あの男が施した罠があるかもしれない。だから慎重に行こう」
俺と龍潤さんは無言で頷く。
そして俺達は玄関の扉を開いたのである。
家の中は明かりが無いので、龍潤さんに霊石で照らしてもらうことにした。
霊石は普通の懐中電灯などよりも、かなり明るく発光していた。
その為、家の中がよく見える。
それで分かった事だが、坊さんはどうやら土足で家の中に上がっていたようであった。
なぜなら、廊下には土埃に塗れた足跡が、幾つも付いていたからだ。
少し悪い気がしたが、俺達も土足で上がる事にした。
俺達は床に残された足跡を辿って中を進む。
すると足跡は、閉ざされた白い襖まで伸びていた。
とりあえず俺達は、襖の前まで行き、一旦、立ち止まる。
だが俺はここに来て、少し嫌な気分になったのであった。
なぜならば、負の波動がここから発せられているのは、俺にはよく分かるからである。
そこで宗貴さんは、俺達に目で合図を送った。
俺と龍潤さんは無言で頷く。
そして宗貴さんは、そっと襖を開いたのだ。
襖が開かれたその先は、薄らとした深紫色の明かりが漂う空間となっていた。
だがそれらは照明器具の明かりではなく、室内の床に施された結界が発している明かりのようであった。
その為、この深紫色の明かりは、上からではなく下から発せられているのだ。
またこの明かりを見た感じだと、結界はこの部屋全体に及んでいるみたいである。
とはいえ、深紫色の明かりがあるとはいっても、ほぼ真っ暗といっても差支えがない状況であった。
なので、視認性はすこぶる悪いのだ。
宗貴さんは言う。
「龍潤さん、部屋の中を照らしてもらえますか」
龍潤さんは頷くと、手に持った霊石を掲げて、部屋の中を眩く照らしだす。
その瞬間。
部屋の様相が露わになった。
と、その時だった。
俺の視界にあるモノが飛び込んできたのである。
そして、それを見るや否や、俺達は【ウッ!】と、息を飲んだのだ。
宗貴さんは目を見開き、絞り出すような声で言った。
「な、なんだ、これはッ……」
「なんという……」
龍潤さんも同様である。
俺達の視線の先にあるモノ……。
それは、幾つもの壺や縄で囲われた結界の中心で、芋虫の様に蠢く、悍ましい生き物だったのだ。
手は爛れた様にドス黒くなっており、顔は水膨れのようにブクブクと至る箇所が膨れ上がっていた。眼球は真っ赤に発光し、裂けた口からは真っ黒な瘴気を発している。
また頭部に目を向ければ、髪は殆どが抜け落ちており、その下にある皮膚には、奇妙な瘤が鱗の様に幾つも連なっていたのである。
そう……。
それはもはや化け物と言っても差支えが無い様相をしていたのだ。
だがしかし……。
俺には目の前の生き物が、人間の様にも見えたのである。
いや、正確には、『人間だった』と言った方が正しいのかもしれない。
なぜなら、この生き物は、人が着用する上下の衣服を着ていたからだ。
それが、嘗ては人間だったのではないかと、俺に感じさせたのである。
だが俺はそれらの事よりも、もっと怪訝に思った事があった。
それは、この生き物から幾つもの異なる負の霊波動が、入り混じる様に発せられていたからだ。
例えるならば、1人の身体に幾つもの霊が憑りついてるという感じだろうか……。
その為、幾つもの悪霊がこの室内に居るかのように、俺は錯覚をしてしまったのである。
一体何なんだ……この悍ましい化け物は……。
俺はそう思うと共に、背筋に寒いモノが走ったのであった。
俺達は、この様相に衝撃を覚えた為、暫し呆然と眺めていた。
そんな中、龍潤さんが眉根を寄せて言ったのだ。
「こ、こんな術は初めて見る。しかし……なんと邪悪な気配がする術なのだ。なぜこのような事を……」
「僕もです。こんな術は初めて見ます」
宗貴さんも龍潤さんの言葉に頷いた。
すると、続いて鬼一爺さんも、非常に険しい表情をしながら呟いたのであった。
(ぬぅ……この様相……御先之魂咒とよく似ているが、これは屍解を目的とした術ではない……。まさか、こんな恐ろしい事を、あの坊主はしておったのか)
内容が内容なので、俺も流石に気になった。
その為、俺は問いかけようと思ったのだが、今は龍潤さんがいるので、それは出来ない。
なので、どうしようか俺は悩む。
だがその時。
昼間やった妙見の行の事が、脳裏に過ぎったのである。
とりあえず、俺は試してみるかと思い、霊体になった時の要領で、鬼一爺さんに話しかけてみる事にした。
(鬼一爺さん。屍解が目的じゃないって、どういう事だ?)
すると鬼一爺さんは、ハッとした表情で俺を見た。
(ほう、涼一。伝心をできるようになったか。妙見の行をやった事もあり、コツを覚えたようじゃな)
(へぇ、そういう名前なんだ……。まぁそれはともかく。ところで、この術は一体なんなんだ? あそこにいる生き物は、元は人間の気がするんだけど)
俺は結界の中心で蠢く、あの生き物を見ながら言った。
鬼一爺さんは言う。
(その通りじゃよ……。此処におるのは、元は人じゃ。そしてこれは、殺した者達の強い負の念を身体に取り込み続けた、その代償なのじゃ)
(ど、どういう事?)
(早い話が、人を呪わば穴二つという事じゃ)
時々、聞くことがある諺だ。
俺は言う。
(まぁそれは分かったけどさ。これはかなりヤバイ術なのか?)
鬼一爺さんは頷くと言った。
(うむ。これはやってはならぬ左道じゃ。そして御先之魂咒とよく似ておるが、中身はまるで別の術じゃわい)
(別の術?)
俺は聞き返す。
(そうじゃ。この者は屍解して御先になったのではなく、自らの肉体を捨てて御先となったのじゃ)
よく分からないが、とりあえず、御先になる為に自分の半身を犠牲にしたという事は分かった。
だが、今から俺達は、この生き物を何とかしなければならないのだ。
俺は言った。
(その辺の事はともかく。今はこの術を解かなければいけない。どうすりゃいいんだ?)
鬼一爺さんはそこで、周囲に置かれた壺を指さす。
(この者の周囲に置かれておる壺を破壊し、狙われた者の分霊を解放するのじゃ。御先となったこの男の魂は、それで消え去るじゃろう)
(そうか、なら宗貴さんに……)
と俺が言いかけた、その時。
鬼一爺さんは俺を制したのである。
(待て、涼一。……付け加える事がある)
(付け加える事?)
鬼一爺さんは言う。
(御先はそれで消え去るが、この者の肉体は別じゃ。この肉体は、魂が無くなっても残るのじゃよ。そして、負の思念が渦巻くこの肉体は、何れ、物の怪へと変化するじゃろう……。よって、この者の肉体も今此処で始末せねばならぬのじゃ。それも加えて、宗貴に伝えよ)
どうやら、この人を殺さなくてはいけないようだ。
俺はこの事実に、ズキンと心が痛んだ。
しかし、もうここまで肉体に影響が出ている以上、それは避けられないのかもしれない。
とりあえず、俺は小声で宗貴さんに耳打ちした。
「宗貴さん、ちょっと宜しいでしょうか?」
「どうしたんだい?」
「実は――」
俺は鬼一爺さんの言った内容を説明したのである。
―― 修祓 ――
俺の説明を聞いた宗貴さんは、目を見開き、沈痛な面持ちになった。
恐らく、この人を始末しなければいけない事に、少し抵抗があったのだろう。
説明を聞き終えた宗貴さんは、居た堪れない表情で言った。
「そうか、わかった……。ならば、そうするしかないのだろう。少し辛いが、もはや、この人の魂は此処には無いのだから……」
「ええ……」
俺も宗貴さんと同じ気持ちだ。辛い決断である。
宗貴さんは龍潤さんに言った。
「龍潤さん。まず、この周囲にある壺を破壊しましょう。そして……この者を修祓しなければなりません」
だがそれを聞いた龍潤さんは、やや怪訝な表情になった。
そして、首を傾げて言ったのである。
「えっ? しかし、宗貴君。この術は見た事ない術だし、もう少し慎重にやった方が良いのじゃないだろうか?」
確かに、龍潤さんがそう思うのも無理はない。
とはいえ、俺も鬼一爺さんがそう言ったのでとは流石に言えない。
なので、ここが難しいところであったのだ。
しかし、宗貴さんは、平然と話を始めたのである。
「実はですね、一将さんから、ここで屍解の法を行っている可能性があると、僕は聞いたのです」
「なッ!」
龍潤さんは今の言葉を聞くなり、驚愕する。
そして結界で蠢く存在を見ながら、恐る恐る口を開いたのだった。
「し、屍解の法ですと……。なら、この者は、屍解仙になろうとしていたのですか?」
宗貴さんは首を横に振る。
「いえ、恐らく、人を呪う為でしょう。龍潤さんも、ご存じの事とは思いますが、ここ最近、この辺で続いている高校生の自殺の件と、これらは繋がっているのです」
「なんと、そうだったのですか……。私は急遽、此方に向かってほしいと言われただけなので、詳細な事情は知らなかったのです」
宗貴さんは続ける。
「ですが、ここで1つ問題がありまして。実は修祓調査班が調査を行っても、呪殺の痕跡が見つからなかったそうなのです」
「こ、痕跡が無かったのですか?」
龍潤さんは眉根を寄せた。
宗貴さんは頷くと言った。
「ええ。ですから、そこで一将さんは原因が分からなかった1つに、屍解の法を行った可能性があると考えたのです。それで、調べてゆくとこの術の事を書かれた文献が、道摩家の書物から出てきたそうなのですよ。ですから、今言った方法で大丈夫な筈です」
すると龍潤さんは感心したように頷く。
因みに俺も、宗貴さんの話しっぷりに感心していたのだった。
そして、土門長老の血筋だなと思ったのである。
龍潤さんは言う。
「なるほど……そうだったのですか。わかりました。では、始めましょう」
そして俺達は、この術を解く作業に取り掛かったのである。
15個ある壺を破壊するのはすぐに終わった。
だがその最中、鬼一爺さんから結界に供給されている地霊力の遮断を促されたので、俺はそれも同時に行ったのであった。
するとその直後。
結界内で発光していた深紫色の光も、役目を終えたかのように、静かに消滅したのである。
これで結界は完全に解けた。
残すは……最後の修祓のみ。
俺達は、今も絶えず芋虫の様に蠢く、その存在の前に歩み寄る。
そこで宗貴さんは言ったのである。
「僕がやります……2人は離れてください」
俺と龍潤さんは無言で頷くと後ろに下がった。
宗貴さんは一歩前に出ると、月夜見を縦に構え、柄の部分で印を組む。
するとその瞬間。
十文字の刃は眩く輝きだした。
そして宗貴さんは、蠢く存在に向かい、光り輝く十文字槍を突き立てたのだ。
ザシュ!
【ぐうぇ……】
その存在は吐き出す様な声を上げる。
だが程なくしてその存在は、ゼンマイが切れたブリキの玩具の如く、動きをゆっくりと止めたのであった。
宗貴さんはそこで槍を引き抜く。
それから目を閉じて、静かに合掌をしたのである。
俺と龍潤さんもそれに習い、目を閉じて合掌をした。
だが、瞼を開けた時だった。
この存在の手の中にある、ピンク色の手帳の様な物が、俺の視界に入ったのである。
なんだろう、アレは……。
俺はその存在の手から、ソレを拝借する。
そして、手帳をパラパラと捲ったのだ。
「こ、これは……」
だが俺は、そこに書かれている凄惨な内容を読む内に、言葉を失った。
またそれと共に、不条理な世の中に対し、暫し嘆くことになったのである。
そこで宗貴さんが俺に言った。
「日比野君、それは?」
俺は宗貴さんに手帳を差し出す。
そして、この存在に視線を向けながら言ったのだ。
「この手帳に、この人物が凶行に及んだ理由が書かれています。それを見て、どうしてこのような事をしたのかが分かりました」
「……そうか。では、確認させてもらうよ」
宗貴さんは手帳を受け取り、中の確認を始めた。
そして俺は、この人物を見ながら、今の書かれていた内容について考えたのであった。
あの手帳には、倉石由佳という女の子が、クラスメイトからされた凄惨なイジメの内容が克明に記述されていた。
そう……。この少女は、男子生徒と女子生徒から毎日のように、陰湿な嫌がらせや、物理的なイジメを受けていたのである。
詳細に書かれていたので、恐らく、本人が書いた物なのだろう。
特にショッキングな記述だったのが、中学の卒業式の後、男子数人から輪姦されて酷い凌辱を受けた内容であった。
また手帳の最後のページには、イジメをした加害者達14名の名前と、付け足した様に如月さんの名前が記述されていた。
そして、その記述の後、彼女は最後にこう記していたのである。
【皆死ねばいい、皆死ねばいい 皆死ね、皆死ね 苦しんで死ね死ね死ね死ね死ね死ね】
彼女はこの記述を最後に、自ら命を絶ったのだ。
恐らくこの人物は、この由佳という女の子の父親だろう。
それは、この人が着ている衣服から容易に見て取れることであった。
何故なら、あまり若者が好む服装ではなかったからだ。
俺は考える。
この父親は、復讐する方法を探して今まで生きてきたのかもしれないと……。
またその過程で、あの坊さんと接触したのではないだろうかと……。
これは俺の想像だが、復讐の為ならば、自分はどうなってもいいと、この人は思っていた気がするのだ。
だから、これほど怪しげな術でも、進んで受け入れたのだろう。
だが今となっては、それを確認する術はもうない。
その為、この時の俺は、目の前にあるこの人物の亡骸を、ただただ見詰めることしか出来なかったのであった。
―― 翌朝 ――
時刻は午前5時。
一樹は今、沙耶香の部屋の対面にある部屋にいた。
そこで何をしているのか?
それは、この室内にて眠る香織を見守る為であった。
霊に憑かれた事による2次的な霊障が起きないよう、一樹は昨晩からずっと監視をしていたのだ。
一樹は、香織が眠るベッド脇に置かれた椅子に座り、香織の挙動に変化が無いかを注視していた。
だが今の香織は、静かに寝息を立てており、昨晩の様に荒れ狂う面影はそこにはなかった。
その為、スースーという香織の寝息だけが聞こえてくる。
そして一樹は、そんな香織の寝顔を見詰めながら、昨晩、涼一と宗貴から報告された事の顛末について考えていたのである。
一樹はボソッと呟いた。
「父親による、いじめの復讐か……」
と、その時。
「うぅん……え? み、道間先…生?」
香織が目を覚ましたのである。
一樹は優しげに微笑みながら、返事をした。
「お、目を覚ましたか、如月」
「あ、あの、此処は一体……」
と言いながら、香織は室内を見回した。
一樹は言う。
「沙耶香の部屋で、突然、お前が倒れたもんだから、ちょっと心配だったんだよ。だから、ここで暫く安静に横になってもらったんだ。ところで、どうだ気分は? 身体に痛みを感じたりとかはないか?」
香織は一樹を見詰めたまま無言になる。
それから静かに話し始めた。
「先生……。私、男の人の声を聞いたんです」
「声?」
「はい。その声はこう言ってました。『お前で最後だ。由佳の怨みを思い知れッ』と」
一樹は黙って話を聞いていた。
2人の間に暫し静寂が訪れる。
香織は言う。
「でもその最中、道間先生の声が聞こえてきたんです。『やめるんだ、如月』って……。これは夢なんですか?」
「それは夢だろう。どうしてそう思うんだ?」
香織は天井に視線を向けると言った。
「声だけじゃないんです。私、見えたんです。道間先生や明日香さん達が、奇妙な光の中へ、私を運んだのを……」
「それも夢じゃないのか?」
「そうなのでしょうか……。でも、私にはそれが実際にあった事の様に思えるんです」
香織はそこでまた一樹に視線を向けた。
だが一樹は首を横に振る。
「いや、夢だろう。俺はそんな事をしてないぞ」
「で、でも……。そうですか。夢かもしれませんね」
と言うと、香織は瞼を閉じた。
「如月、今日は練習を休んでいいぞ。倒れるという事は、お前もだいぶ疲れているのだろうからな」
香織はコクリと頷いた。
そして一樹を見詰めながら言ったのである。
「先生……。私、行きたいところがあるんですけど、いいですか?」
「行きたいところ?」
「はい。由佳のお墓参りに行きたいんです。できれば、その……先生も一緒に……。駄目ですか?」
一樹は頷くと言った。
「分かったよ。でも、昼には此処を出る。だから、行くのなら午前中の内だぞ」
「はい」
―― その日の夜 ――
高天大と高天智聖承女子学院が合同で行った、2泊3日の剣道合宿もようやく終わり、俺は今、自分のアパートへと戻ってきたところであった。
荷物を自分の部屋に置いた俺は、エアコンのスイッチを入れると、まず、汗を流す為にシャワーを浴びる事にした。
シャワーから上がった俺はハーフパンツとTシャツを着た後、冷蔵庫からビールを取り出し、ゴクッと渇いた喉を潤したのである。
冷えたビールが五臓六腑に染み渡る。
「プハァァ」
と言いながら、俺は口元についた泡を拭った。
やはり、糞暑いときに飲む冷えたビールは格別である。
と、そこで鬼一爺さんが俺に話しかけてきた。
(涼一よ。宗貴はいつ頃来ると言うておったかの?)
俺は、テレビの横にあるデジタル時計に視線を向ける。
すると、今の時刻は午後7時25分を示していた。
俺は言う。
「確か7時30分頃と言っていたから、もうそろそろじゃないかな」
(フム……。そうか)
すると鬼一爺さんは、そこで少し思案顔になったのだ。
そう……。
実はこの後、宗貴さんが俺の部屋に来ることになっているのである。
此処に来る理由は、恐らく、あの坊さんとの戦いの事だろう。
宗貴さんはかなり怪しんでいたから、それは間違いない筈だ。
しかし、どう説明したもんかと、俺は悩むのである。
だが、俺が変に取り繕ったところで、宗貴さんを騙すなんてことは無理だろう。
宗貴さんは勘が鋭いから、すぐにバレるのが落ちだ。
というわけで俺は、鬼一爺さんに全てを任せようと思っているのであった。
と、その時。
ピンポーンと、チャイムが鳴った。
俺は立ち上がると玄関に移動し、ドアスコープから訪問者を確認する。
するとドアスコープの向こうには、青いジーンズと白いシャツという爽やかな格好をした宗貴さんが立っていた。
そして俺はドアを開き、宗貴さんを向かえ入れたのである。
俺は宗貴さんをローテーブルの前に案内すると、座布団を渡してそこに座ってもらった。
腰を下ろしたところで、宗貴さんは早速、口を開いた。
「日比野君……鬼一法眼様はおられるかい?」
(おるぞ)
鬼一爺さんは霊圧を上げると返事をした。
宗貴さんは言う。
「鬼一法眼様、お尋ねしたき事があります」
(言うてみい)
宗貴さんは俺をチラ見すると言った。
「それは、日比野君についてでございます。鬼一法眼様もあの場におられたので、ご存じの事とは思いますが、日比野君はあの僧侶の強力な術を何回も掻い潜りました。しかし、それは日比野君の最大霊圧を考えますと、まず無理な事なのです。普通、ああいった術を振り払うには、事前に対抗する手段を講じるか、もしくは仕掛けた術者よりも大きな霊圧で振り払うしかないですから。しかし、あの時の日比野君は、そういった事はしていなかったように思います。ですので、あの時どうやって日比野君は術から逃れたのかが、私は知りたいのです」
鬼一爺さんは目を閉じて黙り込んだ。
恐らく、どう説明したもんかと考えているのだろう。
暫くすると鬼一爺さんは口を開いた。
(宗貴よ、お主はどう思う? この涼一の天稟を)
「どう思うとは?」
(言葉の通りじゃ。それを聞いておる)
宗貴さんは顎に手を当てて俺を見る。
それから暫し思案した後、口を開いたのだった。
「日比野君の事を知ってから、まだ半年もたっていませんが、彼の意念霊導・霊波探導・そして呪術の完成度は、確かに目を見張るものがあります。これに関しては、恐らく、鎮守の森に所属する術者の中でも、トップクラスだと思います。ですから、天稟は凄いモノを持っていると思いますよ」
鬼一爺さんは言う。
(それだけか?)
「え、ええ……そうですが。それがなにか?」
すると鬼一爺さんは、何故か知らないが、惚けた様に言ったのだった。
(ふむ……。ならば少し時間をかけて、考えてみるがよい。今すぐ知る必要はなかろう。これは、我がお主に与える謎かけじゃ)
「な、謎かけでございますか?」
宗貴さんは首を傾げた。
(そうじゃ。この謎がわかったら、我にそれを告げてみよ。まぁこれも修行じゃわい。ただし、条件がある。この事は誰にも話してはならぬぞ)
「はぁ……分かりました」
宗貴さんは気の抜けたような返事をした。
まぁこういう反応になるのも無理はない。
俺も訳が分からないし。
と、その時だった。
俺は今のやり取りを聞いてるうちに、あの坊さんの言ってた言葉を思い出したのだ。
またそれと共に、テンションがガクンと下がったのである。
俺は言う。
「宗貴さん、そういえばあの坊さんが去り際に、嫌な事を言ってたんですよ」
「嫌な事?」
「ええ。確かあの時、俺の名前はフドウ ゲンサイだ、この借りは必ず返してもらうとかなんとか言ってたんですよ。これってヤバイですよね」
だが宗貴さんは、俺の言葉を聞いた瞬間。
非常に険しい表情になり、怒りの霊波動を放ったのである。
それからワナワナと握り拳を作り、吐き捨てる様に言葉を発したのだった。
【ふ、不動 幻斉だって……アイツがッ……あの野郎が】
俺は宗貴さんの変化にたじろいだ。
なぜなら、雰囲気がガラっと変わったのである。
宗貴さんは言う。
「日比野君。あの僧侶は間違いなく、そう言ったのだな?」
とりあえず、俺は肯定した。
「ええ。た、確か、そう言っていた気がします」
「そうか……アイツが不動 幻斉だったのか。クッ」
と言った直後。
宗貴さんは下唇を僅かに噛み、勢いよく立ち上がる。
そして俺に言ったのだ。
「日比野君、今の話をうちの爺さんに伝えておかないといけない。だから、俺はこれで帰らせてもらう。すまなかったね、突然、押しかけて」
「い、いえ。そんな気にしないでください」
次に宗貴さんは鬼一爺さんに言った。
「鬼一法眼様、先程の事は暫らく考えさせてもらいます」
(うむ。まぁ慌てんでもよいぞ)
「では、日比野君。また修行で会おう」
「はい、ではまた」
そして宗貴さんは、急ぎ、この部屋を後にしたのであった。
宗貴さんが去った後、俺は今のやり取りについて考えていた。
そこで俺の脳裏に過ぎったのは、このフドウ ゲンサイという人物と土門長老や宗貴さんは、何らかの因縁があるのかもしれないという事であった。
だがこれ以上考えたところで、部外者の俺にわかるわけもない。
その為、これについて考えるのは、すぐにやめる事にしたのだ。
宗貴さんが去って暫くすると、鬼一爺さんが俺に話しかけてきた。
(しかし、昨晩は色々と大変じゃったの。涼一も、あそこまでの術者を相手したのじゃ。さぞや疲れたであろう)
「ああ、マジで疲れたよ……」
これは本当である。
結構、呪術を駆使した上に、坊さんの攻撃も受けたので心身共に疲れたのだ。
まぁそれはともかく。
俺は昨晩の事を思い返すと言った。
「でもさ、屍解の法って怖いよな。今回は、続けざまに自殺があったから分かったけどさ。少人数の自殺者で、あんな術使われたら、分からない上に対処なんてほぼ無理だろ?」
(うむ、そうじゃな。まぁ、それ程に厄介な術という事じゃわい。涼一も、ええ修行になったじゃろ)
俺はゴロンと床に寝転がると言った。
「確かに、勉強にはなったよ。できれば、こんな勉強はしたくないけどね。……でも、屍解の法の最終目的は、屍解仙になる事なんだよな。屍解仙なんて、本当になれんのか?」
これはずっと疑問に思っていた事である。
鬼一爺さんも失敗した術の話しかしなかったので、余計にそう思っていたのだ。
だがその時。
鬼一爺さんが突然、不敵な笑みを浮かべたのであった。
それを見た俺は言った。
「なんだよ、鬼一爺さん。気持ち悪い。いきなり、ニコっと笑いやがって」
すると鬼一爺さんは、笑みを携えたまま言ったのである。
(お主はもう、屍解仙を何度も目にしておるぞい)
「はぁ? どこでだよ」
(いつも、お主の目の前におるじゃろうが)
「お、俺の目の前……って、まさか」
と言いながら俺は鬼一爺さんを指さした。
鬼一爺さんは頷く。
そして言ったのである。
(フォフォフォ、そうじゃ。我は屍解仙の法を使って今の存在になったのじゃ。まぁ要するに、我は仙人という事じゃわい)
「マジかよ」
(真剣じゃ)
灯台下暗しというか、なんというか……。
まさか鬼一爺さんがその屍解仙だったとは。
ただの幽霊ジジイじゃないとは思ってたが、俺も流石に仙人とまでは思わなかったのだ。
俺は言う。
「まさか鬼一爺さんが仙人とはね……。ところで、その屍解仙の法も、役小角様の術なのか?」
(まぁの。じゃが、屍解の奥義を得るには、相当の経験を積まねばならぬ。じゃから、教えようと思っても教えられるものではないのじゃよ)
「ふぅん。という事は、鬼一爺さんは誰にも教えてない術なのか?」
だが鬼一爺さんは、そこで首を傾げたのである。
そして何かを思い出す様に言ったのだ。
(……いや、そう言えば、一人だけ教えた者がおるの。上手くいったのかどうか知らぬが……)
「へぇ、いたんだ」
(なんという奴じゃったか……ええと確か、沙延とかいう名の坊主じゃったかな。あまりにもしつこかったのと、鬼神・建御雷神の封印に手を貸してもろうた手前もあったから、その引き換えに教えたのじゃよ。まぁ昔の話じゃわい。フォフォフォ)
「なんだよ、それ。ただの厄介払いじゃないか」
とまぁそんなわけで、俺達は暫くの間、そんな他愛のない話をつづけた。
その後、俺は心身が疲れていた事もあったので、早めに床に就く事にしたのである。
そして災難続きだった今回の剣道合宿は、俺にとって忘れられない出来事として記憶に深く刻まれたのであった。