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霊異戦記  作者: 股切拳
第四章  
62/64

六拾弐ノ巻 ~御先 七

  《 六拾弐ノ巻 》  御先 七



 バスルームから運ばれてきた香織は、部屋の中心に施された霊縛の陣に降ろされる。

 だが香織は、降ろされる瞬間も、手足を振り解こうと力を籠めており、抱える者達は気が抜けない状況であった。

 その為、霊縛の陣に降ろされると同時に、6人の者達から力一杯に、香織の身体は押さえつけられたのである。

 しかし、それでも尚、押さえつけられた手足を振り解こうと、香織は物凄い力でもがく。

 押さえつける者達が少しでも力を弱めようものなら、一気に暴れだしそうな気配であった。

 暫しの間、緊迫した状況が続く。

 そんな中、一樹は思った。

 このまま押さえつけているだけでは、埒が明かない、と。

 そこで一樹は、ある決心をする。

 そして他の者達に、それを告げたのだった。

「皆、聞いてくれ。俺がこのまま、少しの間、如月を押さえ続ける。だから一旦手を離して、皆は結界の外へ出てくれないかッ」

 続けて一樹は、宗貴に視線を向けると言った。

「宗貴さん。皆が出たら、すぐに霊縛の陣を発動させてください」

「いいのか、一樹君? 君も巻き添えになるぞ」と宗貴。

 一樹は頷く。

 沙耶香も言う。

「で、でも、それではお兄様がッ」

 一樹は笑みを浮かべると、沙耶香に言った。

「大丈夫だ、沙耶香。厳霊イカツチの行をやっていると思えばいい。修行の時に籠めた霊力よりも、幾分強いかも知れないが、ほんの少しの間だけだ」

「わ、わかりました。でも、気を付けてください、お兄様」

 沙耶香はそう返事すると、押さえつけている手を香織の身体から離す。

 そして霊縛の陣の外へ出たのだった。

 他の者達も沙耶香に続いて、陣の外に出る。

 一樹はそれらを見届けたところで、宗貴に視線を向ける。

 そこで一樹は、宗貴に一度頷いた。

 宗貴は言う。

「じゃあ、発動させるぞ、一樹君」

「お願いします」

 返事を聞いた宗貴は、すぐに幾つかの印を組み始める。

 そして組んだ印を、霊縛の陣を発動させる術式部分に向かって接触させたのだ。

 その瞬間。

 霊縛の陣全体が青い輝き放ちながら、眩く発光したのである。

 それはまるで、青く発光する水溜りのような光景であった。

 だがしかし、その現象が起こるや否や、香織は苦悶の表情を浮かべて奇声を発したのだ。

【イァァァァァ!】

 一樹も若干ではあるが、険しい表情をする。が、堪えて、すぐに元の表情へと戻った。

 そこで一樹は、術の効果を確認する為、香織を押さえつける手を緩める。

 そして、完全に手を離し、香織の挙動を確認したのである。

 香織は動く気配がない。

 それどころか、香織は痙攣をおこしたかのように、プルプルと震えながら、動きが止まっていたのだ。

 どうやら上手くいったようだ。

 この香織を見てそう考えた一樹は、僅かに表情を崩す。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、霊縛の陣の外へ出たのであった。


 一樹は霊縛の陣を出ると、宗貴に言った。

「とりあえず、これで彼女は、しばらく動けない筈です。今の内に、向こうへ行く準備に取り掛かりましょう」

「ああ。だが、急いだ方がいい。この霊縛の陣は、一般人にとって、かなり厳しい結界だ。あまり長引くと、彼女自身が危ない」

「ええ、わかっております。急ぎましょう」

 一樹と宗貴は、部屋を出ようと入口へ向かい始める。

 だがその時であった。

【アガァァァァァ】

 縛り付けられている香織から、突如、奇怪で大きな呻き声が発せられたのだ。

 2人は即座に、香織へ視線を向ける。

 そして驚愕した。

 いや、この2人だけではない。

 他の4人も同様、信じられないモノを見るかのように目を見開いたのだ。

 この場にいる6人の目に映る光景。

 それはなんと、黒い煙の様なオーラを全身から発し、そして起き上がろうとしている香織の姿であった。

 一樹は叫ぶように声を発した。

「なッ、そんな馬鹿な! 動ける筈はッ」

「き、如月先輩ッ」

 瑞希は悲鳴のような声を上げる。

 するとここで、宗貴が慌てて動いた。

「いけないッ!」

 宗貴は霊縛の陣に駆け寄ると、霊力を練り、両手で印を組む。

 そして結界を発動させた時のように、組んだ印を発動の術式に向かわせたのである。

 宗貴は印が術式に触れたところで、「ハッ!」という掛け声を上げる。

 またそれと共に己の霊力を更に高めたのであった。

 宗貴は今、何故、この行動をとったのか……。

 それは勿論、霊縛の陣に霊力を送り込む為である。

 この香織の様子を見た宗貴は、今の霊縛の陣に籠められている霊力では足りないと判断したのだ。

 その甲斐あってか、香織は次第に動きが鈍くなり始めた。

 宗貴も少しホッとした表情になる。

 だがしかし……それも束の間の事であった。

 暫くすると香織の身体からは、更に、ドス黒いオーラが噴き出し始め、またそれと共に身体も動き始めたのだ。

 香織はしゃがれた声で絶叫する。

【ジャマヲスルナァァ!】

 この香織の様子を見た宗貴は、眉を寄せて顰めると、一樹に視線を向ける。

 そして、やや苦しそうに言葉を発した。

「お、俺の霊力だけでは駄目だ。一樹君、手を貸してくれッ」

「わかりましたッ」

 一樹は頷くと、即座に印を組み、霊縛の陣に触れる。

 そして霊圧を上げ、陣に霊力を送り込んだ。

 するとその直後。

 香織は動きを止め、先程同様、痙攣を起こした様に全身を震わせたのである。


 一樹と宗貴が霊力を供給し始めてから、凡そ15分が経過した。

 その間、香織は動く気配はなかった。

 2人の力によって、一応は縛られている状態である。

 だが、こうしていても、事態は一向に改善はしない。

 そう考えた一樹は、宗貴に言ったのである。

「宗貴さん……。宗貴さんは、日比野君の所に向かってもらえますか。このままでは、何も改善しないです。もうこの呪術を解くには、直接、現場に行って叩くしかありません」

「それは分かるが、この子はどうするんだ?」

 一樹は、痙攣する香織に視線を向けると言った。

「どうやら、俺達2人分の霊力でなら、如月を縛り付けられるみたいです。ということは、自分と詩織さん、そして明日香ちゃんの3人の霊力で、如月を縛り付けておく事が出来る筈……。ですから、宗貴さんだけでも日比野君の所へ向かってほしいのです」

「……わかった。確かに今は、そうする以外ないようだ」

「ええ。お願いします」

 一樹はそこで詩織と明日香に視線を向ける。

 そして申し訳なさそうに言った。

「詩織さんに明日香ちゃん。そういう事だから、手を貸してもらえないだろうか?」

「勿論よ〜」と詩織は頷く。

「任せて、一樹さん。私も知り合ったばかりの子を、みすみす見殺しになんてできないわ」

 明日香もそう告げると共に、ニコリと笑みを浮かべた。

 続けて明日香は言う。

「お兄ちゃん、交代よ。後は、私とお姉ちゃんが引き受けるわ」

「よし、では頼んだぞ」

 その言葉が合図となり、詩織と明日香は、宗貴と交代したのである。

 宗貴が自由になったところで、一樹は沙耶香に言った。

「それと沙耶香。宗貴さんは海神神社の位置を知らないから、道案内をしてあげてくれ。そして宗貴さんや日比野君のサポートも頼んだぞ」

「はい、わかりました。任せてください、お兄様」

 それから一樹は、宗貴に視線を向けて頭を下げると、最後にこう告げたのであった。

「では、宗貴さん。宜しくお願いします。それと鬼一法眼様に、一応、事情の方を説明しておいて下さい」

 宗貴は頷くと言った。

「ああ、わかっている。この事はちゃんと伝えておこう」

 宗貴は返事をした後に沙耶香に視線を向けた。

 沙耶香は無言で頷く。

 そして2人はこの部屋を後にしたのであった。


 宗貴と沙耶香は部屋を出ると、急ぎ駐車場へと向かった。

 勿論、そこに宗貴の車があるからだ。

 潮風の舞う暗闇の中を駆ける2人は、程なくして、外灯ポールに取り付けられた照明にライトアップされる、宗貴のランドクルーザーへと辿り着く。

 そこで宗貴はドアロックを開錠すると、早速、ドアノブに手を掛けたのである。

 だがその時。

 2人の背後から、呼びかける声が聞こえてきたのだ。

「ま、待ってッ。宗貴さんに道間さん。私も行く!」

 それは瑞希であった。

 あれから瑞希は、2人の後を追ってきたのだ。

 宗貴は言う。

「高島さん。これから先は危険だ。ホテルで待っていた方がいい」

 瑞希は悔しそうな表情を浮かべると言った。

「で、でも、私、こんな時に何も出来ないのが歯がゆいんです。お願いしますッ。雑用でも何でも構いませんから、私も連れて行って下さい」

「高嶋さん……」と沙耶香は、しんみりと瑞希を見詰めた。

 暫し、無言の時間が過ぎてゆく。

 宗貴はそこで腕時計を確認する。

 そして『こうしている間にも、事態は深刻になってゆくかもれない』と考え、宗貴は瑞希に言ったのであった。

「わかったよ、高島さん。それと本当に危険だから、俺や日比野君のいう事をちゃんと守るんだよ。いいね?」

「はい、ちゃんと守ります」

 瑞希は真剣な表情で頷く。

「では乗ってくれ。急ごう」

 そして3人は車に乗り込み、涼一のいる海神神社へと向かったのであった。



 ―― 海神神社 ――



 時刻はもう午後8時半を回ったところだ。

 俺がいるこの海神神社はもう、深い暗闇に包みこまれており、ヒッソリとした涼しい空間となっていた。

 その為、周囲のどこを見渡しても、闇の世界しか入ってこない。

 また俺自身も、懐中電灯等の簡易照明を使っていないので、今、この神社は本当の意味で闇に支配されているのである。

 だがしかし、それは表の世界である現世うつしよの場合だ。

 幽現成る者である俺の目には、その裏にあるもう一つの世界、幽世かくりよも見えている。

 そして、その幽世には、淡い光を放つ大小様々な霊魂が、まるで蛍の様に、辺りに漂っているのであった。

 というわけで、俺の場合は、暗闇とはいってもそれほど暗い印象はない。寧ろ、幻想的な光景にすら見えるのである。

 また、1時間ほど前まで、境内全体に響き渡っていたヒグラシの切ない鳴き声も、何時の間にか既に聞こえなくなっていた。

 今はヒグラシに代わり、虫達の奏でる小さな鳴き声が、申し訳程度に聞こえてくるだけであった。

 俺はそれらの鳴き声を聞く為に耳を澄ます。

 すると、「チィチィ」や「スーイ、スーイ」といった鳴き声が、絶えず聞こえてくるのに、不思議と静かなのだ。

 それだけじゃない。

 この鳴き声を聞いている内に、緩やかな美しい旋律を聞いてる気分になり、心身が癒されてゆくようにも感じたのである。

 俺は、この虫達の奏でる、癒しの調べを聞きながら考えた。

 これから本当に、あんな凄惨な事件が如月さんの身に起きるのだろうかと……。

 また、そう考えると共に、俺は嫌な現実に戻されるのであった。


 話は変わるが、7時頃に沙耶香ちゃんから連絡があった。

 内容は修祓調査班からの同級生についての報告であった。

 俺が思っていた通り、如月さんの鐘浦中学の同級生で、県外の高校に通う者が数名いるようである。

 そしてやはり、既にその内の3人は、自殺で亡くなっているそうなのだ。

 また、死亡状況も、今回の一連のものとほぼ同じだそうである。

 これはもう、倉石由佳という少女の中学時代に起きた、何かに対する呪いとみて間違いないだろう。

 当時、倉石由佳という少女に、一体、何があったのだろうか?

 この報告を受けた時の俺は、暫しの間、そう考えずにはいられないのであった。

 というわけで話を戻す。

 

 坊さんが倉石家に入った後、家からは明かりひとつ漏れてはこなかった。

 外の暗さもあるのだとは思うが、あれ以降はまた、動きが感じられない状況が続いているのである。

 家の中で、一体、何が行われているんだ……。

 それと、如月さんの身は大丈夫なのだろうか?

 この疑問に応えてくれる判断材料は、一向に、あの家から現れてこない。

「フゥゥ……」

 その為、俺は溜息を吐く回数も増えるのである。

 だが俺が溜息を吐いた、その直後。

 神社の前方から、小さな動く明かりが1つ現れたのである。

 その明かりは徐々に俺へと近づいてくる。

 明かりは、どうやら懐中電灯のようであった。

 誰かが来たみたいである。

 恐らく、宗貴さんと一樹さんだろう。

 なぜなら、人払いの結界を施してあるので、一般人は入ってこれないからだ。

 俺はやってくる人物を静かに待った。

 程なくして、その人物は俺の前へ辿り着く。

 そして俺に懐中電灯の明かりを向け、労いの言葉をかけてきたのであった。

「ご苦労だったね、日比野君。1人で大変だったろう」

「待ってました。宗貴さん」

 思った通り、此方に来たのは宗貴さんであった。

 またよく見ると、宗貴さんの背後には、瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんの姿もあったのである。

 2人は俺に微笑むと、早速、労いの言葉をかけてきた。

「夜遅くまで、お疲れ様でした。日比野さん」

「ご苦労様です、日比野さん」

 俺も2人に微笑むと言った。

「こんばんは、瑞希ちゃんに沙耶香ちゃん。なんか、久しぶりという感じだね。今朝、会ったばかりなのに」

「エヘヘ、本当です。瑞希もそんな感じです」

 そこで鬼一爺さんが周囲を見回しながら口を開いた。

(一樹の姿が見えぬが、どうしたのじゃ?)

 すると宗貴さんは、やや言いにくそうに話し始めたのであった。

「ええ、それが実は――」



 ―― 鐘浦地区 ――



 その後、俺達は宗貴さんの車に乗り、目的地である鐘浦地区へと向かった。

 海神神社から鐘浦地区への道順は、やや入り組んだ道を通る為、少しややこしかったが、俺達はその都度確認しながら進んで行く。

 そして海神神社を発ってから約20分。

 俺達はようやく、目的の鐘浦地区へと辿り着いたのであった。

 地区内に入ったところで、俺は窓ガラスの向こうに見える街並みに目を凝らす。

 俺の視界に入ってくる夜の鐘浦地区は、非常に静かで質素な街並みであった。

 飲食店などの電灯看板も無ければ、パチンコ店等のネオンライトの看板もない。

 また、人通りもほとんどなく、視界に入ってくるのは、家屋から漏れる明かりや外灯、そして自販機の明かりくらいだ。

 その為、人が住んでいる気配はあっても、ヒッソリとした寂しい街並みのように、俺には見えたのであった。

 多分、住宅街の夜というのは、何処もこんな感じなんだろう。

 

 鐘浦地区に入った俺達は、倉石家から100m程離れた所にある小さな公園に移動する。

 因みにこの公園は、第2の被害者である嶋田祐司という少年が自殺した現場でもあった。なので、やや薄気味悪いところではある。

 まぁそれはさておき。

 宗貴さんには、そこで車を止めてもらう事にした。

 この公園で止めて貰ったのは、勿論、理由がある。

 それは、あの家から遠過ぎず近過ぎずという、非常に良いポジションにあったからだ。

 これは俺が監視していた時から、そう思っていたので、早速、利用する事にしたのである。


 宗貴さんは、ランドクルーザーを公園脇の路上に駐車するとエンジンを切る。

 それから静かになった車内にて、俺達は最終確認をすることにした。

 まず、鬼一爺さんが口を開いた。

(……さて、では涼一と宗貴は術具の用意をし、それから慎重にあの家へと向かうのだ。恐らく、二重三重の罠が仕掛けてあるだろうでな。準備は十分せよ)

「はい」

「はい、了解」

 俺と宗貴さんは頷くと返事をした。

 次に鬼一爺さんは、沙耶香ちゃんに視線を向けると言った。

(それと沙耶香よ。さっきも言うてたが、一将殿はこちらに、術者を1人、向かわせておるのだな?)

「はい。ですが、先程連絡したばかりなので、今しばらくはかかると思います」

(フム。ならばそれまでの間、あの家の付近に人が近づかぬよう、我が教えた人払いの符を施しておいてほしいのじゃ。お主らが使う、結界は時間がかかる。じゃから、今回はそれを使え)

「はい、畏まりました」

 鬼一爺さんはそこで瑞希ちゃんにも言った。

(瑞希も沙耶香を手伝ってやるのじゃ。まぁこれも、勉強じゃわい)

「はい、分かりました。お爺さん」

(それが終わり次第、二人はここで待っておるのじゃ。それと応援の術者が来たならば、宗貴か涼一にケイタイデンワとやらで連絡してやってほしい)

【はい、わかりました】

 2人は声を揃えて返事をする。

(では、はじめようかの)

 そして俺達は、早速、指示された事を実行に移すのであった。


 俺と宗貴さんは車内で修祓霊装衣に着替えると、他の術具を装備してゆく。

 そして一応、念の為、霊刀も背負っておいた。

 もしかすると、邪魔になるかも知れないが、これが俺の修祓スタイルなので持っていく事にしたのだ。

 宗貴さんも、槍の方は一応持っていくみたいである。

 だが、宗貴さんの月夜見という槍は、三節棍の様に折ることが出来る構造なので、さほどは嵩張らないようであった。

 俺はそれを見て、少し羨ましく思ったのは言うまでもない。

 まぁそれはさておき。

 俺達は念入りに準備をすると、車の外に出た。

 そこで鬼一爺さんは言う。

(涼一よ。式を我等が進む反対側に移すのじゃ。そこであの家の後ろも見ながら進め。何があるか分からぬからの)

「ああ、わかった」

 俺は鬼一爺さんの指示通りに、早速、放った式を俺達の逆側に移動させた。

 配置を終えたところで、俺は宗貴さんに視線を向けると言った。

「終わりました、宗貴さん」

「よし。では行こうか、日比野君」

「ええ」

 そして俺達は、目的の倉石家へと向かって歩き始めたのだ。


 公園から倉石家までは、真っ直ぐとした一本道である。

 また、進む先には十字路もカーブもなく、その上、この道路を歩く者も皆無であった。

 あるのは、軒を連ねた民家と路肩にある電柱、それと俺達だけだ。

 その所為か、非常に寂しい感じがする道であった。

 恐らく、倉石家に施されている人払いの結界や、沙耶香ちゃん達が今施している符の力が、人を寄せ付けないからだろう。

 しかし、俺は今、そういった事よりも気がかりな事があった。

 それは、あまりにもストレートな道なので、向こうからすると、俺達の姿が一目瞭然かも知れないという事である。

 おまけに人払いの効果もあって、より一層、俺達の姿が目立つのだ。

 だがとはいっても、一応、この黒い修祓霊装衣は、周囲の暗闇に溶け込むような色合いの衣服である。

 なので、視覚的には分かりにくいようにはなっている。が、しかし……。

 恐らく、あの坊さんに、こんな子供だましは通じないだろう。

 この時の俺は、何故かそんな気がしていたのである。

 何せ、鬼一爺さんが警戒するほどの術者だ。当然である。

 また隣を歩く宗貴さんも、俺と同じ事を思っているのか、非常に鋭い目つきとなっていた。

 俺はそんな宗貴さんを見て、今一度、気を引き締める。

 そして周囲や式に気を配りながら、慎重に歩を進めてゆくのであった。



 歩き始めて1分程経過すると、俺達は既に、倉石家のすぐ近くまで来ていた。

 もうあと15m程行けば、玄関に辿り着けるくらいの所だ。

 目の前に迫る倉石家を見た俺は、『いよいよだ……』と更に気を引き締める。

 またそう考えると共に、俺の脈打つ鼓動も早まりだしたのだ。

 だが、その時だった。

 突然、妙な霊波動が俺達の周囲に漂い始めたのである。

 それだけじゃない。

 隣にいる宗貴さんも突如顔を顰め、やや戸惑ったように口を開いたのであった。

「なッ……こ、これは、幻覚か?」

 宗貴さんはそう言った後、足元がフラフラとおぼつかない感じになる。

 それから片膝を地に着けて伏せると、右手を額にやって頭を押さえたのだ。

 この宗貴さんの突然の変化に、俺はビックリとした。が、俺には妙な霊波動以外、特に何も感じなかった。

 なので、宗貴さんが何故そうなったのかが、よく分からないのである。

 とりあえず、俺は言った。

「ど、どうかしましたか? 宗貴さん」と。

 すると宗貴さんは、眉間に皺を寄せ、やや苦しそうに口を開いたのだ。

「ああ……。突然、目の前の空間が歪んだと思ったら、次は先の見えない真っ暗な回廊になった。日比野君には、これが見えないのか?」

 宗貴さんはそこで前方を指さした。

「ええ、……、み、見えないですね」

 本当に何も見えなかったので、俺は首を傾げながらそう答えたのである。

 とりあえず、俺は今の状況を俺は考えてみた。

 宗貴さんの身に、一体、何が起きたのだろうかと。

 確かにこの空間に入ってから、妙な霊波動を感じるようになった。が、ただそれだけなのである。俺には特にこれといった害が無いのだ。

 その為、幾ら考えても、よく分からないというのが、正直なところであった。

 と、その時。

 鬼一爺さんが俺に言ったのである。

(涼一よッ。お主の前と後ろにある道の脇を見よッ。左右合わせて八つある丸い石じゃ)

「へ? 丸い石?」

 と言いながら、俺は鬼一爺さんの言葉に従い、前後の道路脇に視線を向けた。

 周囲が暗いのでよく見ないと分からなかったが、そこには直径15cm程度の小さな丸い石が、俺達の左右に4個づつ、均等な間隔で置かれていたのである。因みに、結構な範囲であった。

 だがこの石を見た瞬間、俺にはこれが、ただの石ではないのというのはすぐに分かった。

 何故なら、奇妙な霊波動が互いに干渉するかのように発せられていたからだ。

 間違いない。この妙な霊波動はここから生まれている。

 俺は言った。

「この8個の石、なんか変だ……。まるで石同士が共鳴し合っている感じがする」

 鬼一爺さんは頷く。

(ウム……。この八卦の石の並びを見る限り、恐らく、神仙の幻術じゃろう……)

 すると鬼一爺さんは、そこで8個の石の内、前方にある1つの石を指さす。

 そして目を鋭くして言ったのだ。

(あれじゃな、あの石が、この幻を作り出す結界の起点になっておる。あの石を飯綱の太刀で切り裂くのじゃ。さすれば、この結界も解けよう)

「お、おう、分かった」

 俺は早速、その石へ駆け寄ると印を組み、刃を出現させる。

 そして霊力の刃を振り下ろし、石を真っ二つに切断した。

 その瞬間。

 この空間一体にあった妙な霊波動も、霧散するように消え去ったのであった。


 石を切断した直後。

 宗貴さんは楽になったのか、肩の力を抜き、大きく息を吐いた。

 どうやら、この様子を見る限りだと、幻から解放されたみたいだ。……よかった。

 だが、安心しつつも俺は今、1つ疑問が脳内で渦巻いていた。

 それは勿論、何で俺は大丈夫だったのか、という事である。

 というわけで、俺は早速、鬼一爺さんに聞くことにした。

「鬼一爺さん。なんで、俺には幻が見えなかったんだ?」

(決まっておるじゃろう。お主だからじゃよ。……じゃがこの事は、今は言うてはならぬぞ。よいな)

 鬼一爺さんはそう告げると、シーと言わんばかりに、口の前で人差し指を立てた。

「ああ、そういう事か……分かったよ」

 俺は理解した。

 鬼一爺さんの言葉を察するに、幽現成る者として体質だからなのだろう。

 どうやらこの体質は、幻や隠行とかいった類の呪術は、ほぼ無効なのかもしれない。

 だが、これは嬉しいようで悲しい事実であった。

 なぜなら……幽現成る者というのは、ある意味、毎日が幻術にかかっているようなものだからだ。

 とまぁそれはさておき。

 俺は宗貴さんに近寄ると言った。

「宗貴さん、大丈夫ですか?」

「ああ、だいぶ良くなったよ。しかし、日比野君、よくあの強力な幻術の中で動けたね」

 宗貴さんはそう言うと、首を傾げて俺を見た。

 とりあえず、適当に誤魔化すことにした。

「何か知らないんですけど、俺って幻術に耐性があるのか、そっち系には強いんですよ」

 と気楽に言いながら、俺は後頭部をかいた。

「そうだったのか。それは心強いな」

 宗貴さんはそこで立ち上がる。

 そして目と鼻の先にある倉石家へ視線を向け、俺に言ったのだ。

「よし、では行こうか。家はすぐそこだ」

「ええ。ですが、この分だと、他にもまだ何かありそうですね。お互いに、気を付けて行きましょう」

「ああ」

 返事をした宗貴さんは、口を真一文字に結び、目を鋭くした。

 俺もそれに習い、また気を引き締め直す。

 そして俺達は移動を再開したのであった。



 ―― 一方…… ――



 倉石家の仏間では、印を組み、真言を唱え続ける男の姿があった。

 それは勿論、僧侶姿のあの男である。

 男はあれからもずっと笠を被ったまま、何かの術を行使し続けていたのだ。

 背筋を伸ばして禅を組み、そして術を行使するこの男の口からは、一定のリズムで発せられた真言が聞こえてくる。

 それはまるで機械が唱えているかのようであった。

 だがある時、その真言を唱えるリズムが、突如、途絶えたのである。

 【ウォン……キリーカ……ウォン…ダキーニ…ギアチ……むッ!】

 男はそこで、暫しの間、無言になる。

 そして玄関の方向に視線を向け、ニヤリと笑みを浮かべたのであった。

 笑みを浮かべたまま、男は言う。

「来たか……。何者かが、八卦の無限回廊を破ったようだ。面白い……。我が無限回廊の結界を破るとは、かなり腕のある術者であろう」

 するとそこで男は、周囲を窺うかのように口を噤む。

 その様子はジッとしながらも、何かを探っているような感じであった。

 5秒、10秒と時間が経過する。

 暫くすると男は口を開いた。

「術者は2人か……。もう少し、大人数で来ているかと思うたが、他にはいないようだ。少々術を中断する事になるが、よかろう……。2人ならば、私が直に相手をしてやる」 

 男は意気揚々と立ち上がる。

 そして襖をあけると、玄関へと向かい歩き出したのであった。



 ―― 涼一と宗貴は ――



 幻術の結界を解いた俺達は、程なくして、倉石家に辿り着いた。

 俺達は一旦、玄関前で立ち止まると、大きく深呼吸をする。

 そして俺は目の前にある倉石家に、今一度、視線を向けたのであった。

 ここまで来て分かったことだが、倉石家は普通の民家だというのに、非常に禍々しい異様な霊波動が感じられた。

 その所為か、この家のある空間自体が、まるで別世界の様に感じられたのである。

 俺はこの波動を感じるなり思った。

 この家の中では、よくない事が確実に起きていると。

 だが俺はそこで、1つ気になる事があったのだ。

 それは、この霊波動の感じが、どこかから漏れ出てくる波動のように感じられたからだ。

 その為、決して強い霊波動ではないのである。

 これは俺の予想だが、恐らく家の中では、何らかの結界を施した中で呪術が行われているのだろう。

 そして、その中には、侵入者に対する罠も潜んでいるに違いない。

 俺はそう考えると共に、少しナーバスになってきた。が、ここまで来た以上は、もう後戻りはできない。

 その為、内心嫌ではあったが、俺も覚悟を決める事にしたのである。


 俺は小さな声で、宗貴さんに言った。

「宗貴さん、行きましょうか」

「ああ」

 宗貴さんは頷く。

 そして俺達は玄関へと向かい、一歩前に足を踏み出したのだ。

 だがその時だった。


 ガチャリ……――


 なんと、玄関の扉が開き、中から僧侶姿のあの男が現れたのである。

 俺達はこの突然の展開に驚いたが、すぐに身構え、臨戦態勢に入った。

 男は玄関から出ると、ニヤッと不敵な笑みを浮かべる。

 そして俺達に向かい、低く自信に満ちた声色で話し始めたのであった。

「ほう……。そこにいるのは、土御門宗家の嫡男、宗貴だな。ふふ、大きくなったものよ。……まさか、この道摩家の地で、土御門宗家の者に出遭うとは思わなんだぞ」

「な、貴様。俺の名を知っているのか。何者だッ!」

 宗貴さんは声を荒げた。

 だが男はそんな宗貴さんを無視すると、次に俺へ視線を向けたのである。

 男は言う。

「そちらは誰か分からぬが、中々に強き霊波動を感じる。ふむ……まぁよかろう」

 すると男はそこで、手に持った錫杖を俺達に向ける。

 そして語気を強め、言い放ったのであった。

【さて……まずは、お前達という邪魔を排除するとしようか。私は今、新しい術の実験している最中なのだ。とっとと、消えて貰おうッ!】

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