表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霊異戦記  作者: 股切拳
第四章  
61/64

六拾壱ノ巻 ~御先 六

  《 六拾壱ノ巻 》  御先 六



 今はもう夕刻。

 まだ空は若干明るいが、時刻は午後5時半を過ぎようとしているところであった。

 あと1時間もすれば、日もだいぶ落ち、夜のとばりが降りてくる事だろう。

 だがそれは、遮るものが無い、大空の下の場合である。

 俺が今いるこの海神神社は、周囲を高い木々に囲まれている為、それらとは一足先に、暗い闇の世界へと変わろうとしているところであった。

 その為、神社境内は、かなり薄暗い空間となりつつあるのだ。

 またそれを察知したのかどうか分からないが、いつしか周囲の森からは、ヒグラシの切ない鳴き声が響き渡るようになっていた。

 またこのヒグラシの鳴き声が、より一層、この神社境内を暗い雰囲気にもさせるのである。

 因みに、このヒグラシの鳴き声。

 俺はこれを聞く度に、いつも悲しい気分になる。

 何故かは分からない。だが、小さい頃からそうなのだ。

 多分、俺の魂に響く何かが、このヒグラシの鳴き声にはあるのかもしれない。

 そして、そんな物悲しいヒグラシの鳴き声を聞きながら、俺は今、感慨深く考えるのだ。

 一体いつまで、こんな監視を続けることになるんだろうか、と……。

 まぁそういうわけで、俺は今も尚、あの家の監視を続けている最中なのである。


 話は変わるが、今、俺は1人である。

 他の3人は2時間ほど前に、ワダツミの楽園へと帰ってもらった。なので、今は此処にはいない。

 これは鬼一爺さんの指示によるもので、如月さんの身に何かあった時の為の人員配置なのである。

 要するに、不測の事態に対処する為に帰ってもらったのだ。

 まぁ今のところは、如月さんの身には何も起こっていないようだが、この先、どうなるか分からないからだろう。

 以上の事から、俺は1人で監視をしているとわけなのだが、しかし……。

 ここにきて俺も流石に、少し心細くなってきた。

 こんな場所で、こんな薄暗い中、こんな得体の知れない事を1人でやってるのなんて、正直、俺には寂しすぎるのである。

 それだけではない。

 もう一つ、俺を悲しくさせる事があるのだ。

 それは、もう暫くすると向こうは、夕食の時間帯という事である。

 そこで俺は考える。

 これから皆は温泉につかって疲れを癒し、それから美味しい物を食べるんだろうな、と……。

 またそう考えると共に、今の自分の置かれた境遇に、ついつい嘆いてしまうのであった。

 何故なら、俺の夕食は昼に続いて、コンビニのおにぎりだからだ。

 隣にある買い物袋に入ったコンビニおにぎりを見ると、ハッキリ言って悲しさ倍増なのである。

 ああ……俺もホテルで旨い料理を腹一杯食べながら、旨いビールを飲みたい……。

 これが今の俺の正直な気持ちであった。

 そして、そんな事を考える度に、溜息もでてくるのだ。ハァァァ。

 ああ、何でこんな事になったのだろう……。こんな妙な事件に、興味なんて持つんじゃなかった。

 だが今更そんな事言ったところで、もう遅い。諦めるしかないのだ。

 とはいうものの、後悔の念は中々消えないのである。

 とりあえず、その内に誰かが、差し入れくらいは持って来てくれるだろう。なので、それまでの辛抱さ。

 そんな風に言い聞かせながら、今の俺は前向きに監視を続けているのであった。

 というわけで話を戻す。

 

 監視対象は、あれから何も動きはない。

 部屋のカーテンすら動く気配がない感じである。

 時折、式を通して周囲の家々にも目を向けるが、この家だけは何一つ動く気配がないのだ。

 因みに、周囲の家々の幾つかは蛍光灯の明かりや、人の出入りがチラホラと確認できるようになってきた。

 なので、人の営みというのは、遠目から見ていてもよく分かる。

 だが、あの家だけは真っ暗なままで、尚且つ、人の出入りは皆無なのである。

 まぁ人払いの結界が施されているのも関係しているのだろう。

 しかし、全く動きがないので、本当に人がいるのかどうかすらも疑いたくなる雰囲気なのだ。

 とはいうものの、状況証拠も揃っているので、ここが怪しい家なのは間違いない。

 その為、動きがあろうがなかろうが、俺はジッと監視を続けるのである。


 俺は腕時計を見る。

 今の時刻は、午後6時を回ったところであった。

 時刻を確認した俺は、式に意識を向かわせつつ、隣にいる鬼一爺さんに視線を向ける。

 だが鬼一爺さんは依然と瞑想中であった。

 静かに監視しているのが心細くなってきた俺は、そこで適当な話題を考える。

 そして、鬼一爺さんに話しかける事にしたのだ。

「鬼一爺さん。今ちょっといいか?」

(ン? なんじゃ、言うてみい)

「俺、思ったんだけどさ。妙見の行で御先を待ち伏せて、捕らえたりとかってできないのか?」

 鬼一爺さんは微笑むと首を横に振る。

(残念じゃが、それは出来ぬのじゃよ。相手が悪霊であったならば、それもできようがの。我等と同じ霊体じゃから、触れる事は敵わぬのじゃ)

「やっぱ、そうなのか……。でも、監視するなら、妙見の行の方が良いんじゃないのか?」

 鬼一爺さんは頷くと言った。

(ウム。まぁそれはそうじゃろう。じゃがの、裏を返せば、向こうも我らの存在を知ることが出来るという事じゃ。妙見の行の時に、もし我等と御先が出遭うていたならば、向こうは警戒したじゃろうな。じゃから今は、出遭うておらぬ事を我等の利とせねばならぬのじゃよ)

「ああ、そういう事か」

(フォフォフォ、そういう事じゃ。じゃから、お主に式での監視をしてもらっとるのじゃよ)

 確かに、そこは重要なところだ。

 俺は腕を組んで頷くと納得をした。

 と、その時だった。

「ン? あれはッ……」

 式の目が、あの家の周辺で、ある動きを捉えたのである。

 その動きとは、あの家に向かう1人の人物がいたからだ。

 俺はその人物を注視する。

 見た感じだと僧侶のようだ。

 その人物は、黒地に紫の袈裟姿で、頭には笠を被るという出で立ちをしていた。

 笠は確か、網代笠あじろがさとかいう名前のやつで、僧侶が托鉢たくはつの際によく被っているやつだ。

 また、手には錫杖を持っており、杖が地面を突く度に、先端に取り付けられた金色の小さな輪が、幾つも揺れているのである。 

 この式では音までは聞こえないが、恐らく現地では、その錫杖から「シャリン、シャリン」という音が聞こえているに違いない。

 とりあえず、そんな僧侶姿の人物が、あの家へと向かって歩を進めている最中なのである。

 俺はこの僧侶を見て思った。

 如月さんが言っていた『お坊さん』とは、コイツの事なのかもしれないと。

 俺は早速、鬼一爺さんに報せる事にした。

「鬼一爺さん。今、あの家に向かう坊さんの姿があるぞ」

(……それは確かか?)

「ああ、間違いないよ。だって、モロに僧侶の格好だしさ」

 と、俺が答えた時だった。

 突然、その坊さんが立ち止まったのである。

 電池の切れた人形の如く、その坊さんは、立ち止まった場所から微動だにしない。

 だが、次の瞬間。

 その坊さんは、ゆっくりと此方に振り返ったのであった。

 此方に振り向いた坊さんは、そこで笠に右手を添えて、僅かに上げる。

 その時、目や鼻は見えなかったが、黒い髭を蓄えた口元と顎だけは確認する事ができた。

 これを見る限りだと、この人物は男のようだ。それと、あまり若い感じには見えない。

 だがしかし……俺はそこで息を飲んだのである。

 なぜなら、式がいる方向をジッと見ているように感じたからだ。

 俺は言う。

「ウッ……こ、こっちを見てる。バ、バレたかも……」

 この時、ヒヤッとした冷たいモノが、俺の背筋を伝った。

(なんじゃとッ)

 鬼一爺さんも、そこで眉根を寄せる。

 俺達の間に沈黙の時間が、10秒、20秒と過ぎてゆく。

 だが程なくしてその坊さんは、何事も無かったかのように、またあの家へと向かい歩き始めたのであった。

「って、エッ、アレ……。ち、違ったか。……気付いてない?」

 俺はそこでホッと胸をなでおろした。

 それから気を取り直して、また坊さんの挙動に式の目を向かわせたのである。

 坊さんは、あの家の前に着くと、何かの印を組み、敷地内へと入ってゆく。

 そしてあの家の玄関を開け、中へと入って行ったのだ。

 どうやらあの坊さんが、鬼一爺さんの警戒する術者なのかもしれない。

 と、そこで鬼一爺さんが言った。

(何があった、涼一。説明せよ)

「実は今、坊さんが式の方へ視線を向けたと思ったんだよ。でも、何もなかったかのように、またあの家に向かって歩き始めたんだ。そして、印を幾つか組んで、あの家の中に入って行ったんだよ。どう思う?」

(フム、そうか……。向こうも、何かを気づいたのかもしれぬな……。さて、向こうはどうでるか。じゃが、その坊主が来たという事は、術者が来たとみて間違いなかろう。もしやすると、今から御先が動き出すのかもしれぬ)

 鬼一爺さんはそう言うと共に、少し思案顔になる。

 暫くすると俺に視線を向け、口を開いたのだった。

(涼一よ、この事を一樹に報せ、『気を引き締めよ』と伝えよ。それと此方に向かっておる宗貴に、『一度、一樹の所に行き、それから一樹と共に2人で此方へ来るように』と、そのケイタイデンワとやらで伝えるのじゃ。2人が来たならば、向こうへ直接向かうぞい。得体の知れぬ術者じゃが、お主を含めた3人で行けば、何とかなるかもしれぬ)

「お、おう、分かった」

 俺は返事をすると、すぐに携帯を取り出し、今の一連の出来事を一樹さんに連絡する。

 続いて宗貴さんにも、その旨を伝えたのであった。



 ―― 一方その頃 ――



 涼一が監視を行っている家屋では、鬼一法眼の予想通り、何かが始まろうとしていた。

 何故ならば、その元凶ともいうべき者が、この家にやってきたからである。

 そう……。

 式の目に映っていたこの男が、正に、今回の事件を作り出した1人であったのだ。

 袈裟姿の男は、頭に被る網代笠を取らず、家の中へ土足で上がる。

 そして、そのまま、薄暗い廊下をまっすぐ進んで行くのである。

 男が進む先には、左右から閉ざされた白い襖があった。

 どうやらこの男は、襖の先にある和室に用があるようだ。

 男はその襖の前に来ると、右の襖をそっと開く。

 そして、中へと入って行くのである。

 襖の向こうに広がる空間……。

 それは、8畳の仏間であった。

 だがしかし、そこは仏間であって、もはや仏間と呼ぶには程遠い、異様な様相をしていたのである。

 では、その異様な様相とは、一体どんなものか?

 それは、この部屋全体に施された、幾つもの呪術結界の事であった。

 仏間に敷かれた全ての畳には、黒い墨で幾つもの術式が描かれた真円の法陣があり、また、その周囲を囲う様に、縄で作られた結界が張り巡らされているのだ。

 そして、その法陣の中には、符が貼りつられた黒い壺のような物が15個、円を描くように並べられていたのである。

 だが、それだけではない。

 その更に中心には、人がうつ伏せで蹲っており、その人物は芋虫がもがくかの様に、ゆっくりと不気味に蠢いているのであった。


 男は暫しの間、その人物を眺めると、縄の結界を潜って中へと入る。

 そして、法陣の中心にて蠢く人物に視線を向け、低い声色で話しかけたのであった。

「……お待たせしました。さて、お身体の調子の方はどうですかな?」

 蠢いていたその人物は、男の声を聞くなり、ピタリと動きを止める。

 それから、自身の周囲に置かれている壺をゆっくりとした動作で指さすと、擦れた様な声で、途切れ途切れの言葉を発したのであった。

【……も…うあと……ふた…り…あと…ふたり…だけ……】

 その人物の言葉を聞いた男の口元は、僅かに微笑んでいた。

 男は言う。 

「ええ、そうですな。今日で終わらせてしまいましょうか。……面倒な奴等が、この場所を嗅ぎつけたようなのでね」

 男はそう告げると、自身の背後にある玄関にチラッと視線を向ける。

 だが男はそこで、独り言のように小さく、こうも呟いたのであった。

「しかし、まさか、鎮守の森の奴等が此処を嗅ぎつけるとはな……。この地域の守護を司る道摩家の中に、相当、頭のキレる術者がいるのかもしれぬ。急いだ方が良いか……」

 男は法陣の中心付近に行き、そこに腰を下ろす。

 それから、数珠の様な物や香炉のような物等、幾つかの小道具を用意し始めたのである。

 そして、それらの道具を所定の位置に配置したところで、男は蠢く人物に向かって話しかけたのだ。

「では、最後の行を始めましょうか。そして今日を以て、私と貴方が交わした契約の通りに、双方の願いが成就するのです。……行きますよ」

 と言った直後。

 男は印を組み、何かの呪文のような言葉を唱え始めたのであった。



 ―― ワダツミの楽園 ――



 時刻は午後7時。

 ワダツミの楽園内のレストランにて、夕食を食べ終えた合宿のメンバー達は、各々が自由な時間を満喫しているところであった。

 ホテル内のリクライニングルームで寛ぐ者や、ゲームコーナーで遊ぶ者、そして各々の寝泊まりする部屋で談笑する者等、時間の過ごし方は皆それぞれである。

 そんな中、ホテル1階にあるカフェラウンジの入り口に、今、1人の女性の姿があったのだ。

 その女性とは、如月香織の事である。

 香織はカフェラウンジの入り口にて、その向こうにあるカウンター席をジッと見詰めていた。

 此処に来たのは、勿論、昨夜の女性に会う為である。

 だがしかし、その女性の姿が一向に見えないので、香織は困っていたのであった。

 そして、従業員に尋ねるべきか否かを悩んでいたのである。

 今、カウンター席には数人の客と、カウンターの向こうにいる、エプロンをかけた、やや小太りな初老の男がいるだけであった。

 暫く悩んだ香織は、意を決して、そのカウンター席へと向かう。

 そしてカウンターの向こうにいる、従業員であろう、初老の男に声を掛けたのである。

「あ、あの、すいません」

 初老の男は、コーヒーを注ぐ手を止めると、香織に視線を向ける。

 それから笑顔を浮かべ、丁寧な口調で話し始めた。

「お客様、いらっしゃいませ。ご注文は何に致しましょうか?」

 香織は首を横に振ると言った。

「すいません、違うんです。少しお聞きしたい事がありまして」

「それは失礼いたしました。それで、お聞きしたい事と言うのは、どのような事でございましょうか?」

「あの……中谷 彩という女の子が、こちらの方で働かれていたと思うのですが、今日は来ていないのでしょうか?」

 香織がその言葉を発した直後であった。

 初老の男は、表情を曇らせると肩を落とす。

 そして言いにくそうに、ゆっくりと話し始めたのである。

「彩ちゃんの事かい……。実は彼女、今朝方、亡くなったんだよ」

「な、亡くなった……」

 香織は呆然とした表情で呟く。

 男は言う。

「私も出勤してから、それを聞いたんで、詳しい事は分からないんだけどね。なんでも、自殺だという話だそうだ。……そんな風には見えなかったのにね。色々と悩んでたのかもね、可哀想に……」

「あ、彩が……自殺……」

 絞り出すように言葉を発した香織は、焦点の定まらない目で自身の足元に目を向ける。

 そこで男はコーヒーを注ぐ動作を再開すると、香織に言った。

「お嬢さんは、彩ちゃんの友人か何かかい?」

 香織は無言でゆっくりと頷く。

 すると男は胸ポケットから手帳を取り出し、それを見ながら話し始めた。

「明日の午後6時からお通夜だそうだから、もし時間があるなら御焼香を上げてやってよ。……彩ちゃんの最後だからね」

「……お、教えて頂き、ありがとうございました」

 香織はそう返事すると、ややおぼつかない足取りで、このカフェラウンジを後にしたのである。


 ホテル1階のロビーを呆然と歩く香織は、誰も座っていないロビーの椅子に腰かける。

 そしてガクッと項垂れると共に、ボソリと小さく呟いたのであった。

「な、なんで彩が……どういうことなの……なんで自殺なんか」

 香織は自問する。

 だが、この問いに答えられる判断材料すら、香織には思い浮かばないのである。

 わけがわからない香織は、震える両手で頭を抱えると、身体を若干前に倒して小さくなった。

 そして一言も発する事なく、時間だけが過ぎてゆくのである。

 と、その時。

 そんな香織に近づく複数の人影があったのだ。

 それは瑞希と沙耶香であった。

 2人は香織に近づくと、まず、瑞希が話しかけたのである。

「如月先輩、今、少しよろしいですか?」

 2人の接近に気付いてなかった香織は、慌てて顔を上げる。

 そして、無理に笑顔を作ると口を開いた。

「エッ、な、何、どうしたの?」 

 瑞希は控えめに言った。

「あのぉ……折角の合宿なので、親睦を深める為にも、如月先輩とお話をしたいなぁと思いまして……。それで先輩を探していたんです。そしたら、ここで先輩の姿を見つけたので。それで……今からなんですけど、どうでしょうか?」

 瑞希の言葉を聞いた香織は、足元に視線を向けて思案顔になる。

 そして少し間を空けた後、首を縦に振り、返事をしたのだった。

「そうね。滅多にない中等部と高等部の合同合宿だもんね。良いわよ」

 そこで沙耶香も言う。

「如月先輩、もしよろしければ、私の部屋でお話をしませんか? あとで私の兄も来ると言っておりましたので」

「道間先生が……。そう、わかったわ。じゃあ、行きましょう」

 香織は思うところがあったのか、返事をするとすぐに立ち上がる。

 そして2人と共に、沙耶香の部屋へと移動を始めたのであった。


 3人は部屋の前にやってくると、まず、沙耶香がカードロックキーを通して扉を開いた。

 扉が開いたところで、3人は中へ入ってゆく。

 だが部屋に入った香織は、中にいたメンバーに、若干、面食らったのであった。

 なぜなら、香織と面識のない人物が2人いたからである。

 その面識のない人物とは、勿論、詩織と明日香の事であった。

 香織は2人に少し驚いたが、表情には出さず、そのまま中へと入ってゆく。

 そして沙耶香に促されるまま、部屋の中心に置かれた椅子に腰を下ろしたのであった。

 だがその時、香織は少し気になった事があった。

 それは、自分の座る椅子が置かれた床に、灰色のシートが敷かれていたからだ。

 また、それを見た香織は、こう思ったのである。

 こんなシートが、自分の部屋にあっただろうかと。

 しかし、それがあったところで、別にどうというわけでもない。

 その為、シートの事は気にしない様にして、周囲にいる4人に意識を向けたのである。

 と、そこでまず、明日香が香織に話しかけた。

「初めまして、如月さん。私、土門 明日香と言うんだけど、私の事って知ってるかな?」

「確かこの春に、3組に転校してきた土門 明日香さんですよね。3組にいる剣道部の子から聞いたので、知ってますよ」

 香織はそう返事すると、続けて自己紹介をした。

「あの、私は5組の如月香織っていいます。よろしくね、明日香さん」

「うん、こちらこそ、よろしくね」――


 ――香織はこの後、他の2人とも自己紹介をする。

 またそれを皮切りに、親睦を深める為の交流が始まったのだ。

 その後、遅れて一樹もこの中に加わり、憩いの場は次第に賑やかなモノへとなっていく。

 だが……。

 これは憩いの時間などではなく、その実、非常に緊迫した状況となっていた。

 そして、この時の香織はそんな事なぞ、当然、知る由もない事なのであった。



 ―― 午後8時 ――



 香織が沙耶香の部屋に来てから、1時間近くが経過していた。

 最初は控えめだった香織も、時間が経つにつれ、次第に肩の力を抜いて話すようになり、今は気楽な感じで皆と談笑をしていた。が、それは他の5人に対しても言えることで、今やこの場は、気心の知れた者達の集まりの様な雰囲気となっていたのである。

 それもあり、室内は笑い声に満ちた賑やかな様相となっていた。

 だが、それはあくまでも表面上の話である。

 なぜなら、5人は香織の挙動を注視しながらも、和気藹々とした雰囲気を崩さないよう、気を遣いながら話をしていたからだ。

 特に一樹に至っては、涼一から事前に緊急連絡を受けていた事もあり、神経を尖らせていたのである。

 そして午後8時を回った頃であった。

 この雰囲気に水を差すかのように、一樹の携帯から着信音が鳴り響いたのだ。

 だが、その音を聞いた5人は、一瞬、真顔になった。

 この5人の表情が、今の実情を現していたといっても、過言ではないだろう。

 その為、この瞬間だけは、今までの雰囲気ではなくなっていたのである。

 一樹はディスプレイを確認すると、やや強張っていた表情を崩す。

 そして気楽な感じで、5人に言ったのである。

「宗貴さんからだ」

 一樹が、その言葉を発した直後。

 堰き止められていた川の水が流れるかのように、室内の雰囲気は緩やかな元の流れへと戻っていった。

 瑞希や沙耶香も、そこでホッとしたように笑みを浮かべる。

 そして一樹も気を取り直して、電話に出たのであった。

「ご苦労様です、宗貴さん。 エッ、もう此方に着きましたか。……今、自分は沙耶香の部屋である305号室にいます。……ええ、皆も此処におりますよ。……それでしたら、チェックインを済ませた後、こちらの方へ来てもらえますか? そこで詳しい説明をしますんで。……はい、それでは宜しくお願いします」

 明日香は一樹に言った。

「一樹さん、もしかして、お兄ちゃんがコッチに着いたの?」

「ああ、そうだよ。それで、あの説明をしないといけないから、こっちに来てもらう事にしたんだよ」

「……そうですね」

 明日香はボソッと言うと、そこで、やや神妙な面持ちになったのであった。

 

 それから暫くすると、この部屋の扉を「コン、コン」とノックする音が聞こえてきた。

 一樹は早速、入口に移動すると扉を開く。

 そして、その先にいる人物に視線を向けたのである。

 そこにいたのは、勿論、宗貴であった。

 宗貴は仕事帰りといった感じで、半袖の白いYシャツにネクタイというスーツ姿で佇んでいた。

 一樹は扉を閉めて通路に出る。

 そこで真顔になり、宗貴に言ったのである。

「……宗貴さん、この相向かいの部屋で話しましょう」

 一樹は対面の部屋の扉を指さした。

 宗貴は無言で頷く。

 そして2人は対面の部屋の扉を開き、中へと入っていったのだった。


 部屋の中に入った2人は、適当にベッドや椅子に腰かける。

 そこで、まず宗貴が口を開いた。

「一樹君、此処に来る前に日比野君からも少し聞いたんだが、屍解の法を使った呪殺の可能性があるというのは本当かい?」

「いえ、鬼一法眼様の話では、まだ分からないそうです。ですが、その可能性は十分にあるとも言っておりました」

「そうか……厄介だな」

 そう呟くと宗貴は顎に手をやり、眉根を寄せた。

 一樹は言う。

「ええ。それで実は今、日比野君が式を使って、目星を付けた家の監視を行っているのですよ」

「日比野君が?」

「はい。そして、2時間程前にあった日比野君からの連絡では、どうやら、そこに動きがあったようなのです」

 一樹の言葉を聞いた宗貴は、鋭い表情になった。

 そして言う。

「ああ、聞いたよ。日比野君から此処に来る途中に連絡があったからね。それで鬼一法眼様が言うには、俺と一樹君と日比野君の3人で、その現場に向かうようにとの事だそうだ」

 一樹はそこで、入口をチラッと横目に見ると言った。

「今、対面にある沙耶香の部屋で、狙われているかもしれない生徒の保護と監視をしているのですが、4人にもこの事を伝えないといけないですね」

 宗貴は頷くと言った。

「そうだね。じゃあ、急いだ方が良い。敵は得体の知れない術者らしいから、準備もしないといけないからね。ところで、一樹君。日比野君は、何処で監視をしているんだい?」

 一樹はホテルの北側と指さすと言った。

「日比野君は鬼一法眼様と共に、ホテルの北にある海神神社にて監視を続けています」

「という事は、ずっと1人でかい?」

「いえ、途中までは沙耶香達も一緒にいました。その後は1人ですが……」

 宗貴は一樹の示した方向を見詰めながら、笑みを浮かべる。

 そして穏やかな表情で言った。

「そうか……。では、差し入れの1つでも持って行ってやるかな。暗い中にずっと1人だと、心細かっただろうし」

「そうですね。確かに、日比野君には朝から苦労をかけっぱなしだ」

 そこで一樹も、僅かに笑む。

 だがその時であった。

 ――パシャリン!――

 ガラスが割れたような音が聞こえると共に、外の方が騒がしくなったのである。

 2人は何事かと入口に視線を向ける。

 と、そこで、一樹の携帯が鳴り響いたのであった。

 一樹は電話にでる。

「沙耶香か、どうしたんだ? ……な、何だってッ、分かった。すぐに行く!」

 一樹は焦った口調で、宗貴に言った。

「宗貴さんッ、保護していた生徒に異変があったようです。一緒に来てもらえますかッ」

「何だって……。分かった。急ごう」

 そして2人は慌てて、この部屋を後にしたのであった。


 廊下に出た一樹と宗貴は、すぐに沙耶香の部屋のドアを開ける。

 だがドアを開けた、次の瞬間。

 バスルームの扉の前で慌てふためく4人の姿が、2人の目に飛び込んできたのである。

「如月さん! どうしたのッ、何があったのッ」

「如月先輩ッ」

「如月さんッ」

 瑞希と明日香は悲鳴にも似たような声を上げながら、しきりにバスルームの扉をドンドンと叩いていた。

 沙耶香と詩織も香織の名前を叫ぶ。

 だが香織からの返事はない。

 2人は扉の前に来ると、まず一樹が口を開いた。

「どうしたんだ、一体! 何があった!」

 沙耶香は言う。

「そ、それが、如月先輩が中に入ってすぐ、ガラスが割れたような音がしたのです。それで、さっきから呼びかけているんですが、何も応答がありません。しかも、鍵もかかっているので、中にも入れないのです」

 一樹は嫌な予感が脳裏に過ぎった。

 だが、抜き差しならない事態と判断し、一樹は強硬手段に出たのである。

「みんな、どいてくれッ。扉を壊す」

 一樹はそう告げると、印を組み始めた。

 4人は一樹から離れる。

 一樹が今行おうとしている術。

 それは、最近、鬼一法眼から習った飯綱の太刀と呼ばれる印術であった。

 だがまだ習って間もない事と、一樹自身が霊力を掌に集約する事に慣れていない為、涼一の様な1m以上ある長い刃は作れない。

 しかしそれでも刃渡り50cm程の刃なら、今の一樹でも作れるので、この場で使うに至ったのである。

 一樹は慎重に印を組み、青白い刃を出現させる。

 そしてバスルームの扉に向かい、縦へ横へと刃を振るったのだ。

 その刹那。

 扉は中心から、十字に切断される。

 すると、支えになる蝶番がない扉の片側が、重力に任せて崩れ落ちてゆくのであった。

 扉が落ちると共に、中の様相が露わになる。

 バスルーム内は、洗面台の上にあったであろう、割れた鏡の破片が至る所に散らばっていた。

 その中心に香織の姿があるのだが、しかし……。

 一樹は今の香織の姿を見るや否や、思わず叫んだのだ。

「やめろッ、如月ッ!」

 一樹の視界に映ったモノ。

 それはなんと、血塗れの手で鏡の割れた破片を持つ、香織の姿だった。

 しかも、その割れて鋭利な破片で、今正に、自らの喉を切り裂こうとしていたのである。

 それを見た一樹は、即座に近寄り、なりふり構わずに香織の両腕を取る。

 そして、鮮血で染まる香織の指を無理やりにこじ開け、鏡の破片を取り除いたのであった。

 だが次の瞬間。

【ヴァァァ! ジャマヲスルナァァァァァ! ヴガァァァァ!】

 香織の口からは、この世のモノとは思えぬほどの悍ましい声が発っせられたのである。

 また、その言葉を発すると共に、香織は手足をバタつかせて暴れだしたのだ。

 一樹は香織の手を押さえつける。

 続いて宗貴が、バタつく香織の足を押さえつけた。

 そこで一樹は言う。

「如月を霊縛の陣にまで連れてゆくから、他の皆も手を貸してくれッ」

【は、はい】

 扉の前にいた4人は慌てて返事をすると、各々が香織の身体に手を伸ばす。

 そして香織はこの場にいる者達に抱えられながら、そのまま霊縛の陣が施された部屋の中心へと、運ばれていったのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Wandering Network 逆アクセスランキング参加中
気にいって頂けたら投票おねがいします


― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ