六ノ巻 ~囁き
【 壱 】
夕食を終えた俺達は、一旦、ダイニングルームに集まる事になった。因みに夕食はカレーだ。
それから暫くの間、ダイニングルームにて寛いだ後、俺達は花火をする為に、河川敷の方へと移動を始めたのであった。
何人かが懐中電灯を手に持ち、その明かりを頼りに暗闇の中を移動する。
それから川沿いを少し進み、ある程度開けた場所で、花火を開始したのである。
俺達は、打ち上げ花火やロケット花火、それと手に持つ花火等、皆で楽しんだ。
酒が入っている事もあってか、皆、かなりテンション高くはしゃいでいた。
そして次第に、この辺りは、俺達のはしゃぐ声と花火のにおいで、埋め尽くされていったのである。
特にビールを2L程飲んでいるヤマッチは、超ハイテンションモードであった。
しかもヤマッチはエスカレートして、手に持ったまま打ち上げ花火に火をつけ始めたのだ。
その時、ヤマッチが花火をこちらに向けそうになったので、一瞬、ヒヤヒヤしたが、何事もなく花火は無事終了した。
そして花火を終えた俺達は、またケビンへと戻り、中で酒盛りを再開したのである。
花火から戻ると、時刻は午後9時を回っていた。
中でビールを飲みながら皆と談笑をしていた俺は、そこでフト、高田さんに憑いた幽霊が視界に入った。
またそれと共に、此処に来る途中、疑問に思っていた事も脳裏に過ぎったのである。
(この際だし、外で鬼一爺さんに聞いてみるか……。皆、だいぶ酒が入ってるから、外ならそれ程気にしなくていいだろうし……)
というわけで、それを確かめるべく、俺はコソッと外に出たのだ。
外に出た俺は、とりあえず、周囲を見回した。
するとキャンプ場内に設置された照明によって、ぼんやりと浮かび上がる木々や、他のログケビンが目に飛び込んできた。
それらは闇の中にヒッソリと佇んでおり、オカルト映画の1シーンにありそうな雰囲気であった。
また、水銀灯の周りには小さな虫が沢山飛び回っており、それらの無数の影が地面に蠢いていた。その様子を見て、ちょっと寒気がしたのは言うまでもない。
まぁそれはさておき、その水銀灯のお陰で、周囲の視界はある程度良好だ。
そして俺は、その明かりを頼りに、夜のキャンプ場内に足を踏み入れたのである。
この時間になると山中という事もあってか、気温も思いのほか低かった。少し肌寒く感じだ。
そんなキャンプ場内を少し移動し、俺は付近にある無人のログケビン付近で立ち止まった。
何故立ち止まったのかというと、ここが俺達のログケビンからは見えない死角だったからだ。
というわけで、俺はもう一度、周りに人がいないことを念入りに確認し、小声で鬼一爺さんに話しかけたのである。
「鬼一爺さん。ちょっと聞きたいことがある」
『何じゃ?』
「実はさ、俺達の中にいる女の子で、おじさんの霊が取り付いている子がいただろ」
『それがどうかしたのか? 言っておくが、あれは悪霊ではないぞい』
「それは俺も雰囲気で大体分かるんだけど、あの霊は何の為に高田さんに憑いてるんだ?」
鬼一爺さんは顎に手を当てる。
『フム……。涼一、お主の子が生まれ、そして、可愛がっていた子が育ち、お主がこの世を去る事になったらどうする?』
「どうする?って聞かれてもどうする事も出来ないけど……つまりアレか。高田さんの隣に居るのは彼女の父親の霊か?」
鬼一爺さんは頷くと続ける。
『そうじゃ。しかしあの男は、あの女子の肉体が見えている訳ではない。前にも言うたが特殊な霊で無い限り幽世の者でも現世を窺い知る事は出来ぬからの』
「じゃ、なんでピッタリくっついてるんだ?」
『肉体は見えぬが女子の魂はおぼろげながら見える。特に親ならその感じも憶えておろう。じゃからあの男は、生前に感じた娘の魂の波動に寄せられてくっついておるのじゃよ。可愛がっておった娘なら、尚更、魂の波動はわかるじゃろ。そして、あの男はよほど娘が気掛かりだったという事じゃ。話す事も見る事も出来ぬが、娘の傍に居たいという思いがああいう行動になっておるのじゃよ』
どうやら話を聞く限りだと、なんとなくは高田さんの魂の波動を感じているという事なのだろう。
だが俺はそこで少し気になる事があったので、それを訊ねることにした。
「なるほどねぇ。ン? てことは、高田さんの親父さんはもう亡くなっていると言うことか」
『そうじゃ。しかも、あの感じじゃとここ1年程の月日の間の事じゃろうの。しかし、あの男の霊魂も何れは大地の地脈を駆け巡り、また新たな生命へと転生をはたす。世の理の輪に入るのじゃ。そうやって生命と魂の終わりの無い旅が永遠と紡がれて行くのじゃよ』
「そうなのか……。じゃあ、今見えるこの霊魂達もこれからその輪に入って旅にでるのか?」
俺はそこで、周囲に見える蛍の様な霊魂を指さした。
『勿論、そうじゃ。全ての生命は大地に帰り、また大地から生まれるのじゃからな』
「そういや以前、鬼一爺さんは、人々の思念が地脈を駆け巡ると言ってたけど、魂も同じなのか?」
『涼一……思念とはある特定の感情を含んだ分霊の事じゃ。人はそれを生霊と呼ぶがの。ある意味魂とも言える。確かに魂と分霊は地脈を通るが、同じ道を通るわけではないのじゃよ。まあこの辺の話はまた今度ゆっくりとしてやろう。さて、そろそろ戻らぬと不思議がられるのじゃないのか?』
「そうだな、そろそろ戻るか」
俺は鬼一爺さんの話を聞き、途方も無い世界の広さを感じると共に、少し寂しい感じも覚えた。
しかし、これも世の理の1つなのかと納得し、またケビンへと戻る事にしたのである。
俺がケビンの前に来たところで、扉を開き、中から高田さんが出てきた。
するとそこで、俺は高田さんと目が合う。
高田さんは俺に微笑むと、こちらへとやってきた。
「あら、日比野君は外にいたの?」
「酔いを醒まそうと思って、少し外を散歩してたんだよ」
まあ、嘘は言ってない。
実はそれもあったからだ。
「そうなんだ。私も、少し酔い醒ましに来たの」
「高田さんも結構飲んだの? 顔に出てるよ」
「私、お酒弱いの。そんなに飲んでないんだけどな」
と言いながら、紅い頬に手をやる。
「何杯くらい飲んだの?」
「ン〜、焼酎を3杯と酎ハイが500mlと冷酒を2杯程かな」
「それ、結構飲んでるよ。つーか、あんまりちゃんぽんすると明日辛いよ」
「御忠告、ありがとう。……そう言えば日比野君て、釣りが趣味なんだよね?」
「ン? そうだよ。まさか高田さんも釣りが趣味とか?」
高田さんはニコリと微笑むと頭を振る。
「まさか。私はしないわよ。でも、お父さんが釣り好きで、良く行ってたわ」
「……へぇ、そうなんだ」
俺はそれを聞き、高田さんの隣にいる親父さんの幽霊を見た。
今までは気付かなかったが、この幽霊は非常に穏やかな表情で、高田さんの隣にいるのだ。
恐らく、この親父さんの霊魂は、此処に娘がいる事を知っているのだろう。
そして、この安らぎに満ちた表情は、娘の傍に居る安心感からきているのかもしれない。
高田さんは言う。
「ウン、本当によく釣りに行ってたわ。県外の川とかにも遠征に行ってたくらいだから」
「へぇ、じゃ俺と意外に気が合うかもしれないね」
すると高田さんは、少し寂しい顔になった。
「そうね……。多分、意気投合したと思うわ……もう死んじゃったけどね。去年の夏に……」
高田さんはそこで視線を落とすと、昼のバーベキューの時出しておいたパイプ椅子に座る。
そして、静かに話しを続けた。
「私、謝らなきゃいけないんだ。お父さんに……」
「謝らなきゃいけない?」
「そう……去年、お父さんが亡くなる前の話なんだけど、私、お父さんと凄い喧嘩をしたのよ。理由は、他愛の無い事なんだけどね。私の普段の行動にお父さんが口喧しく言ってきた事から始まったわ」
俺は黙って高田さんの話に耳を傾けた。
「それから暫くは口も利かなかった。顔も合わさない毎日だったわ。そんなある日、授業中に家から連絡があったの。お父さんが仕事中の事故で病院に運ばれたって。それですぐに病院に向かったわ。でも、私が着いたときにはもう昏睡状態で……医者ももう手の施しようがなかったそう。それから数時間後、お父さんは一度も目を開かずにこの世を去ったわ」
「……謝らなきゃいけない事って、その喧嘩の事?」
高田さんは頭を振る。
「それもあるけど、違うの……葬儀が終わった後に、お父さんの机からある預金通帳が出てきたの。お母さんもこんな預金通帳知らないって言ってたわ。それで、その銀行にお父さんの同級生の人がいたので通帳について聞いてみたの。そしたら、そのお金は私の将来の為にお父さんがずっと積み立てていた預金だったのよ。私は自分勝手に生きてきて、全然お父さんの気持ちなんか考えた事なかった。だから……」
高田さんはそこで言葉が詰まる。
話しているうちに、今までの事を思い出したのか、大粒の涙を流していた。
「だから……今までの勝手な自分を謝りたい?」
「……ウン」
「そっか……」
暫し、俺達は無言の状態が続く。
ログケビンの中からは、ヤマッチ達の賑やかな笑い声が漏れていた。
コオロギや鈴虫の鳴き声が小さく響く。
そんな中、俺はゆっくりと口を開いた。
「多分、親父さんは琴美ちゃんの事が心配で心配で、たまらんかったんやろうな。琴美ちゃんて確か1人っ子だったよね?」
「ウン……」
「俺の親戚にさ、1人娘を溺愛している家があってさ。まあ俺の従兄弟なんだけど。そりゃ凄いよ。正月とかその家に行ったりするんだけど、そこの叔父さんは酒に酔うと娘の話ばかりするンだよ。しかも、話の内容は過激でさ。やれ、『娘の為なら何でも出来る!』だとか、やれ『娘を貰いに来る不届き者は、先祖より賜ったこの刀で全て成敗してくれる!』とか、『娘を目や鼻や耳に入れても全然痛くない!』だとかそんな物騒な話ばかりするんだよ。おまけに酔ってるから娘本人にも同じ事いってるしね。ただ、その叔父さんの事分かる気がするんだよ。特に男の親はそうらしいんだけど、『1人娘は目に入れても痛くない』ってのが正直なところなんじゃないかな。早い話が、娘の為なら自分はどうなってもいいくらいに思ってるんだよ。ただ、娘の行動まではさすがに自分の管理下にはおけないから、毎日ハラハラしてるんだと思う。特に年頃になると変な虫も寄ってくるしね。だから、親父さんはそんな事くらいでは、琴美ちゃんの事嫌ってもいないよ。まぁ、凹んではいたかもしれんけどね」
俺の話を聞いた高田さんは、狐につままれた様な顔で俺を見ている。
すると程なくして、笑い出したのだ。
「アハハハッ、何よそれ。男の人ってそうなの?」
「その叔父さんはそうだったね。まぁかなり特殊な部類かも知れんけど」
俺は今年の正月の事を思い返してみた。
酒に酔って、日本刀を抜こうとする叔父さんの姿が目に浮かんだ。
「そうなんだ……ありがとう日比野君。少し元気でた」
さっきまでの寂しい表情から、幾分、明るい表情になった高田さんを見て、俺はとりあえずホッとした。
そして、俺はそこで、つい聞いてしまったのである。でも、後悔はしてない。
「そうだ、高田さん。……もしだよ。もし、死後に親父さんが幽霊になったとしたら、親父さんはどうするかな?」
「お父さんが幽霊になったら、どうするんだろ…………日比野君ならどうするの?」
「そうだなぁ。俺だったら、高田さんの傍にずっといるかな。だって1人娘だよ。今までそんな事出来なかったからね。そうなるよ、絶対に」
「私の傍に、か」
高田さんはそう言って、隣にいる親父さんの霊を見た。
「なんだったら、謝ったら? 居るかもしれないよ。分からないだけで」
「もう、日比野君たらそんなこと言って。もしかして、幽霊とか信じてるの?」
「いや、信じては居ないよ。でも……信じてみたい時くらいあっても良いんじゃない? 罰は当たらないよ」
高田さんは一瞬考える素振りをする。
「そうね……。日比野君に騙されたと思って謝るわ」
そして、隣にいる親父さんの霊に向かい、高田さんは頭を下げたのだ。
「――お父さん、今までごめんなさい――」
その時、気のせいかも知れないが、高田さんのお父さんは笑ったような気がした。
幽霊関係のドラマとかなら、ここで親父さんは成仏して大団円を向かえそうだけど、高田さんの親父さんは今まで通り、娘の隣に寄り添っていた。凄く穏やかな表情で――
高田さんは俺に微笑む。
「ありがとうね、日比野君。こんな話に付き合わせちゃって。でも、不思議よね。なんであんなに細かい所まで日比野君に話したんだろう?」
「さぁ。多分、俺にカウンセラーの資質があるのを、高田さんが無意識の内に見抜いてたんだよ」
「また変な事言う。日比野君て結構、面白いわね」
「まぁね」
「普通は自分で言わないわよ。それと日比野君、さっき私の事名前で呼んでたのに、また苗字に戻ってるわよ」
「あれは、話の演出上どうしても必要な事でして。え〜今なら無料で名前呼びに変更できますが?」
といいながら俺は、営業マンのように揉み手をした。
「じゃあ、名前でお願いするわ」
「承りました。当店のまたのご利用をお待ちしております」
「何よ、それ。日比野君て傑作ね。アハハハ」
高田さんは豪快に笑った。
どうやら、大分元気が出たようだ。めでたしめでたしである。
【 弐 】
【こ…こだ………ここだ……ここ…に居るんだ……だれか……】
俺は妙な囁き声を聞き、目を覚ました。
ベッドルームの部屋の時計を見ると、夜中の2時15分頃で、悪名高い丑三つ時とかいう時刻だ。
俺は妖気なんぞ分からんが、さすがに鬼太郎じゃなくても、怪しい時刻と出来事である。
また、他の皆はぐっすりと寝ており、この声には全く気付いてないようであった。
そこで俺はどうしようか迷った。が、とてもではないが眠れる気がしない。
なので、俺は鬼一爺さんの意見を聞こうと思い、外に出る事にしたのだ。
俺は万が一の事も考え、霊籠の符をズボンのポケットに入れる。
それから、ベッドルームの壁に設置されている懐中電灯を手に取り、ダイニングルームの方へと移動した。
ケビンの中はひっそりとした静寂に包まれていた。
その為、ちょっとした物音でも、俺はビクッと反応してしまう。
俺は皆を起こさないように、そっと忍び足でダイニングルームを歩く。
と、そこでまた、あの声が聞こえてきたのだ。
【こ…こだ……こ…こだ……ここ…に…るんだ……だ…れか…】
ここ最近ずっとオカルト漬けな所為か、こんな事では驚かなくなりつつある自分が悲しくなってくる。
まぁそれはさておき、玄関扉の前に着いた俺は、この声の主が悪霊じゃない事を祈りつつ、外に出ようと扉に手を掛けた。と、その時……。
右側の女子の部屋から、「ガチャリ」と扉の開く音が聞こえてきたのである。
俺は音がした方向に振り返った。
するとそこから、枕を抱きしめた亜衣ちゃんが現れたのだ。
亜衣ちゃんは俺の姿を見つけると、そっと駆け寄ってきた。
その表情は、怯えたような感じであった。
俺は皆を起こさないように、小声で亜衣ちゃんに話しかけた。
「どうしたの? 亜衣ちゃん」
「ひ、日比野君こそどうしたの?」
「ああ、なんか変な物音がしたから、ちょっと気になってね」
亜衣ちゃんは、唇を震わせながら言った。
「へ、変な物音って、こ、ここ、声じゃないよね?」
どうやら、あの声を聞いてしまったようだ。
「亜衣ちゃんも聞いたの?」
すると亜衣ちゃんは、油の切れたロボットの様に、無言でカクカクと震えながら頷いたのである。
この様子を見る限りだと、相当恐ろしいのだろう。まぁ無理もない。
「俺が外を見てくるから、亜衣ちゃんは部屋に戻ってていいよ。どうせ、風か何かだろうから」
「み、みんなを呼んでこよっか?」
「いや、いいよ。俺1人で見てくる。何、大丈夫さ。それと亜衣ちゃんも、もう休んだ方がいいよ。夜遅いし」
「じゃ、じゃあ、気を付けてね」
亜衣ちゃんはそう告げると、そそくさと部屋に戻って行った。
そして俺は玄関の扉を開いたのである。
【ギィィィ】
賑やかな時には気付かなかったが、玄関扉は蝶番から油の切れた様な音がしていた。
しかし、この静かな中では、異様に大きく不気味な物音のように感じられた。
その為、誰も起きてこないか、ケビン内を暫し確認したところで、俺は外に出たのである。
外は若干霧がかっており、やや視界が悪かった。
俺は、持ってきた懐中電灯に明かりを付けると、とりあえずログケビンの周囲を見回った。
ケビンの周囲には、幽霊の姿も人の姿も見当たらない。
俺はそこでログケビンから離れる事にし、昨夜、鬼一爺さんと話をした場所へと向かったのだ。
そこで、俺は鬼一爺さんを呼んだ。
「鬼一爺さん、いるか?」
『なんじゃ?』
「さっきの声は一体何処から聞こえてくるんだ?」
『フム……。お主は、聞こえた声の雰囲気をどういう風に感じた?』
「どうって……なにかを訴えてるような感じやったかな、多分だけど」
俺はとりあえず、思った事を口にした。
すると鬼一爺さんは、何かを考える様に目を閉じながら、口を開いた。
『なるほどの……。涼一よ、これも学びの機会じゃ。ここはお主の考えで行動してみよ。幽現なる者なら、この霊が何を訴え、何を苦しみ、何を求めているのかを知るのじゃ。さすれば道が開けようぞ。さあ、やるのじゃ。早くせねば夜が明けるぞ』
「何を訴え、何を苦しみ、何を求める……。教えてくれないの?」
『お主はこれから幾度となくこのような経験をするだろう。その時、とっさの判断が求められる時もある。しかし、その様な場合の修練などない。残念ながら経験に勝る修練はないのじゃよ。だから言うておるのじゃ。それに、もう手がかりは言ったぞ。よく考えるのじゃ』
「……分かった。確かに避けて通れないもんな。やるよ」
不安ではあった。
だが、俺はもう非日常的な世界へと足を踏み入れてしまい、既に退路は絶たれた状態だ。
これから先、これ以上の事が俺を待ち受けているかもしれない。
その時になって判断を誤り、命を捨てるような事にだけは絶対に成りたくない。
だが闇雲に歩き回った所で、恐らく夜明けまでに解決しないだろう。
そう考えた俺は、先程の鬼一爺さんが言った内容を思い返したのである。
――幽現なる者なら、この霊が何を訴え、何を苦しみ、何を求めているのかを知るのじゃ――
この言葉をそのまま捉えるならば霊の声となるが、恐らく、鬼一爺さんはその事を言ってるんではないんだろう。
となると、【幽現なる者なら】にヒントがある筈だ。
幽現なる者とは、二つの世界の理を知る者……二つの世界の悲しみを知り、また喜びを知る、だったか……。
考えてみれば、今までの俺は世界の喜びも悲しみも知ろうとはしてこなかった。
現世の喜びや悲しみなどは、生活基盤が此方だから大体分かる。しかし、幽世の悲しみや喜びなどは分からないのだ。霊魂の喜怒哀楽なんて考えた事もないのである。
(強い負の感情が剥き出しの悪霊等は別だが、普通の霊魂はどうやって喜怒哀楽を見分けるのだろう? ん? そういや……)
俺はそこで、昨夜の話を思い出した。
鬼一爺さんはあの時、確かこんな事を言っていたのだ。
――あの男は、生前に感じた娘の魂の波動に寄せられてくっついておるのじゃよ――
俺は方法が分かったような気がした。
そう、魂が語るのは、声や姿にあらず。魂の波動が全てを語るということを。
多分これが、鬼一爺さんが俺に課した今回の課題なのだろう。
そこで俺は、声の聞こえる方向へ意識を集中させた。
意識を集中し始めてから分かった事があった。
それは、周囲に漂う霊魂達とは違う霊の波動を、俺はある方向から感じたからだ。
やはり、この方法で間違っていないようだ。
というわけで俺は、早速、その方向へと向かう事にしたのである。
霊の波動を辿ってゆくと、真っ暗な森に突き当たった。
俺はその森の前で立ち止まる。と、そこで、あの声が、また聞こえてきたのだ。
【お……れ…はここ…にいる。だれ……か……】
「おれは此処に居る。だれか」
確かにそう聞こえた。
どうやら、この声の主は、この先の森の中にいるようだ。が、しかし……俺は森の中に入るのに、少しためらった。ただでさえ視界が悪いのに、草木が生い茂る所に足を踏み入れるのは抵抗があるからだ。
(はぁ……こんな森の中入りたくはないけど……仕方がない、行くか……)
そして俺は、森の中へ、ゆっくりと足を踏みいれたのだ。
生い茂る草や木々を掻き分けて進んで行くと、またあの声が聞こえてきた。
【お……れ…はここ…にいる。だれ……か……】
この声の主は、よほど誰かに自分を見つけて欲しいようだ。
言葉の節々や波動から、そういった待ち遠しい感じが、ヒシヒシと伝わってくる。
一体、この声の主の身に何があったのだろうか?
フトそんな事を考えるが、考えたところで俺には全然わからない。
今の俺にできることは、魂の波動を感じながら進み続けるだけだからだ。
魂の波動を辿って暫く進むと、程なくして俺は、崖のような切り立ったところに出た。
俺はそこで立ち止まり、魂の波動に意識を集中させた。
(どうやら波動は、この崖の下が発信源のようだ)
俺はそこで、懐中電灯の明かりを崖下に向け、恐る恐る覗きこんだ。
すると、20mほど下の地面に、人が倒れているのが俺の目に飛び込んできたのである。
離れているので確認し辛かったが、服には血糊がついており、体はピクリとも動いてない。
しかも、その人物の周囲には、まるで蛍が舞うように、白く淡い光を放つ魂が漂っていたのだ。
(先程から感じる波動は、あの魂からで間違いないな。ってことはもう、崖下の人物は……)
俺は無駄だとは思ったが、一応、呼びかけて見ることにした。
「だ、大丈夫ですかぁぁ」
勿論、返事はなく、動く気配も無かった。
そこで俺は、これからどうしようかと考えた。
死体の確認をした方が良いのかもしれないが、下は崖である。俺には行く方法が無い。
俺は無理をして怪我をするのもなんなので、一旦、戻る事にし、皆の意見を聞く事にしたのだ。
崖から戻る最中に気付いた事だが、もう既に夜が明けようとする時間帯になっていた。
その為、東の空は朝焼けになっており、この時間にしか見れない、美しい自然の姿を目の当たりにすることが出来た。
また野鳥も活動を始めだしたのか、森の中から鳥の鳴き声も少しづつ聞こえていた。
「はぁ……綺麗な光景やけど、あんなモノを見た後じゃ、素直に喜べんな……おまけに一睡もしてないから、すげー疲れたわ……ふわぁぁ」
大きな欠伸をしながらケビンに戻ると、中は明かりが点いていた。
しかも、ダイニングルームには、全員が勢揃いだったのである。
どうやら、俺の帰りが遅いのを心配した亜衣ちゃんが皆を起こしたらしい。
とまぁそんなわけで、ケビンに着いた俺は、今あった出来事を大分ぼかしながら、皆に説明する事にしたのだ。
俺の話を聞いた7人は、驚愕の表情を浮かべる。
勿論、女子は怯えていた。が、その話を聞いた朝川さんだけは、「何で自分に声を掛けてくれなかったの」などと訳の分からない事を言っていたのである。さすがオカルト研究会の人間だ。
まぁそれはともかく、皆は最初、俺の話を胡散臭く聞いていたが、崖の下にあるのは死体である可能性が高い為、俺達はこのキャンプ場の管理人に今の報告をして、後は任せる事にしたのだ。
夜が明けると、何台かの警察の車両がキャンプ場内に入ってきた。
あの後、管理人さんがちゃんと通報してくれたのだろう。
第一発見者の俺は、警察に呼ばれて、色々と昨日の事や夜の事等を説明をさせられた。
警察もさすがに幽霊の声が聞こえたからとは信じてくれなかったが……。
挙句の果てに酒に酔っ払って、山の中を徘徊してたんじゃないのなんて言われる始末だ。
また、他の皆も、少しは事情聴取を受けたようであった。
俺は悪い事をした気がしたが、皆は始めての経験だったのか、驚きつつも事情聴取に喜んでいた。まぁある意味、貴重な経験を俺達はしたので、これについては良かったのかもしれない。
それはさておき、崖の下の仏さんだが、どうやら、この辺りの山を所有する家の人だったらしい。
一昨日から帰ってなくて、昨日、遺族の方も捜索願を警察に出していたみたいだ。
また、後日、警察の現場検証で分かったのだが、亡くなった方は、誤って崖から足を滑らしたのが原因だそうだ。
因みにだが、俺達は最後に、家族の方からお礼の封筒を頂いた。中身はお金だ。正直言うと、嬉しい誤算だった。が、不謹慎なので、金額は秘密という事にしておこう。
とまぁそんなわけで、今回のキャンプは、最後の最後で度肝を抜くような展開だったが、皆、結構楽しんだのか、口々にまたキャンプしようと言っていた。
俺もこのメンバーとなら、またキャンプをしたいなと思い、皆と再会する約束をした。
そしてこの日は、昼には高天智へ戻り、そこで皆と解散したのであった。
ま、キャンプの話はこんなところかな。
ただ、このキャンプのお陰で、俺は幽現成る者としても人間としても少しではあるが、成長したような気がした。これからもこんなことが頻繁にあるのだろうが、今日のところは一先ず、これで終わりにしよう――