伍拾九ノ巻 ~御先 四
《 伍拾九ノ巻 》 御先 四
時刻は午前9時を過ぎた頃である。
俺は今、市街地へと向かう国道を移動しているところであった。因みに移動手段は徒歩だ。
そして予想はしていた事だが、まだ朝だというのに、外の気温は30度を超えそうな炎天下となっていた。
その為、何もしていなくても、外にいるだけで汗が滲み出てくる状況なのである。アツー……。
おまけに、俺が進む歩道には幾つも街路樹が植樹されているのだが、その街路樹には沢山蝉がいる為、さっきから傍を通り過ぎる度に「ミーンミーン」と物凄い絶叫が聞こえてくるのである。
ハッキリ言って、ウザい上に暑苦しい鳴き声だ。
七日で婚活が終了なのはわかるが、必死すぎるやろ、蝉ィ。
などと思いつつも、俺は目的の場所へと向かって歩を進めてゆくのである。
で、俺は今、何処へ向かっているのかというと……。
ワダツミの楽園の北側に位置する丘へと、向かっている最中なのであった。
そこは切り立った崖の様に見える丘で、遠くから見てもよく分かるところだ。
なので、まず迷う事はない。分かりやすい目的地である。
だが向かっているのは俺1人ではない。
なぜなら、今、俺の隣には沙耶香ちゃんと詩織さん、そして明日香ちゃん達の3人がいるからだ。
因みに瑞希ちゃんと一樹さんの2人は、剣道の練習があるのでこの場にはいない。
そんなわけで早い話が、手の空いているこの3人が、俺のお手伝いをしてくれるというわけなのである。
で、その丘に向かう理由だが。
実はそこに、この地に祭られている海神の神社が建立されており、その真下に大きな地脈が走っているからであった。
要するに、そこに向かえという鬼一爺さんの指示なのだ。
だが、鬼一爺さんからは、そこに向かえと言われただけで、何をするのかまでは知らされてない。
その為、俺は『これから、一体、何を始めるつもりなんだろう?』と、さっきから、しきりに考えてもいるのである。
まぁ考えたところで、一向に、何も分からんわけではあるが……。
そして歩き続ける事、約15分程。
俺達は、ようやく、目指していた丘の前へとやってきたのだった。
だが俺は、丘の頂上へと続く道を見るなり、溜息を吐いたのである。
何故ならば、俺達の目の前には、かなり急で長い石階段が、行く手を阻むかのように伸びていたからである。
どうやらここから、もうあとひと踏ん張りしなければいけないようだ。
そして俺は脳内で、思わず、こう呟いたのであった。
ここに来るまでも結構な坂道だったのに、今度は急な階段かよ……熱いんだから勘弁してよ、と。
またそう呟くと共に、俺は少しゲンナリともするのである。もう見るからに、キツそうな階段なのだ。
多分、他の3人も嘆いてるに違いない。
そう思った俺は、3人に視線を向ける。が、3人は別に、何ともないような表情をしていたのだ。
彼女達を見て俺は思った。
男の俺が、ここで弱音を吐くわけにはいかないと。
というわけで俺は、情けない表情や仕草を見せない様にしながら、階段の1段目に足を掛けたのであった。
それから程なくして、俺達はようやく、目的の海神神社へと辿り着いた。
海神神社は、丘の上に形成される小規模な鎮守の森の中にあった。
森の手前には、真っ白な鳥居が厳かに鎮座していた。が、周囲にあるのはただそれだけなので、ごく普通の神社入口といった感じだ。
階段を上りきった俺達は、早速、その鳥居へと向かって歩を進めてゆく。
俺は歩きながら前方に目を凝らした。
鳥居の向こう側には、コンクリートで造られた灰色の参道が伸びていた。
俺達は鳥居を潜ると、その参道を真っ直ぐに進んでゆく。
境内は木々に覆われているので、非常に静かで涼しい空間となっていた。一応、周囲からは蝉の鳴き声も聞こえてくるが、それほど煩くはない。
その所為か、外界と若干切り離されたかのような感じであった。が、神社は森に囲まれているのが殆どなので、大体、こんな静かな感じがデフォルトだ。なので、どこにでもある神社といった感じである。
そんな静かな境内を進んでゆくと、ぽつんと寂しげに佇む神社の姿が見えてきた。
神社自体はそれほど大きくはなく、何処にでもあるような建物であったが、かなり色褪せていたので、なんとなく歴史を感じさせてくれる神社だった。
俺達は神社の前に来たところで、一旦、立ち止まる。
そこで俺は、鬼一爺さんに話しかけたのであった。
「鬼一爺さん、神社の前に来たけど、これからどうするんだ一体?」
すると鬼一爺さんは僅かに霊圧を上げる。
これは姿を見せずに、声だけバージョンになる時によくやる方法である。
鬼一爺さんは言う。
(では、まず人払いの結界からお願いしようかの)
「はい、了解」
俺は返事すると、他の3人に視線を向ける。
すると3人は無言で頷いた。
というわけで俺達は、まず神社の中に結界を張る作業から始めるのであった。
―― それから30分後 ――
結界を張り終えた俺達は、鬼一爺さんから次の指示を受けた。
内容は神社の裏手に回り、そこで地龍の陣の術式を描けというものであった。
地龍の陣は黄泉との戦いの後に、鬼一爺さんからマンツーマンで教えて貰った術である。とはいっても、一連の術の流れくらいだが。
その為、俺は既に術式を覚えており、陣を描く事と、発動くらいはできる法陣術なのだ。
因みに、他の八門の陣については、俺はまだ教えて貰ってはいない。
鬼一爺さん曰く、まだ俺に教えるには早いそうである。が、その時、鬼一爺さんは、こうも付け加えたのだ。
(もう少し、心身共に成長したら教えてやるわい)と。
なので、いつかは教えるつもりのだろう。
だが、地龍八門の陣は、身体的にも滅茶苦茶疲れる面倒な術というイメージしかない。というわけで、俺的にはあまり覚えたくない術ではあるのだった。
しかし、こんな事言った日には、またジジイの長い説教が始まるので、俺は口が裂けても言えないが……。
それにあの術は禁呪だから、教えて貰っても、使う事なんて早々無いだろうし。などとも思っているのである。
まぁそれはともかく。
以上の事から、地龍の陣だけは今の俺でも何とか使える術なのであった。
というわけで、話を戻す。
俺は、神社の裏手で地龍の陣を描き終えると、鬼一爺さんに言った。
「おい、鬼一爺さん。とりあえず、地龍の陣は描いたけど、これからどうするんだ?」
(ウム。では次にじゃが、今から涼一には暫くの間、この地龍の陣にて浄天眼の呪法の一つ、妙見の行というものをやってもらう)
浄天眼の呪法……。
その呪法の名に俺は覚えがあった。実は2カ月ほど前に、鬼一爺さんからその呪法の名を一度だけ聞いたのだ。
だが俺は名前と内容を知ってはいても、この呪法の術式までは知らない。
その為、俺は言ったのである。
「浄天眼の呪法って……以前、鬼一爺さんが言っていた、千里眼を得る為の術のことだよな? 俺は何も知らんから、できんぞ?」
(じゃから、今から教えるのじゃよ)
鬼一爺さんはそこで3人に視線を向けると言った。
(ちゅうわけでじゃが、3人に頼みがあるのじゃ)
沙耶香ちゃんは言う。
「はい、何でございましょうか?」
(今から涼一には浄天眼の呪法をやってもらうのじゃが、その際、涼一は地霊と深く交わる故、周囲の変化には気を配れぬようになる。じゃからお主達には、先程張った結界の中へ誰も入ってこない様に、見張っていてもらいたいのじゃ。この術は、少々、霊力の扱いに気を使うからの)
【はい、畏まりました】
3人は声を揃えて返事をすると、早速、神社の周囲を見回り始めたのである。
鬼一爺さんは俺に視線を向けると言った。
(さて、ではこちらも始めようかの)
「で、どうするんだ?」
(まず、呼吸を整えよ。そして地龍の陣の中に入り、あの時と同じように、結界を発動させるのじゃ。やり方は覚えておるじゃろ? その後にも、我は何度か説明した気がするしの)
俺はそこで黄泉の時の事を思い返す。
この術を使ったのは黄泉の時だけだったが、発動させるやり方は爺さんに習ったので覚えている。
なので言った。
「ああ、一応、覚えてはいるよ」
(では始めるのじゃ。妙見の行は、地霊力と繋がらねば始まらんからの)
俺は頷くと、静かに呼吸を整えてから、地面に描いた地龍の陣の中に入る。
そして以前と同じように、霊圧を高めて、身体全体で発動の印を組むのであった。
その瞬間。
真円を描く地龍の陣は、あの時と同じように青白い光を発した。
だが、今は八門の陣は無いので、この場所限定の現象である。
鬼一爺さんは発動したのを確認すると言った。
(よし、では次じゃ。今より始める妙見の行は、禅を組み、印を結び、真言を唱え、且つ、地霊力と深く交わりつつも、己の霊力を常に操り続けねばならぬ。じゃから、当然の如く、難しい呪術である)
俺はゴクリと生唾を飲み込むと無言で頷いた。
鬼一爺さんは続ける。
(そして、涼一にも随分前に一度話したと思うが、地霊力と深く交わるという事は、そこに渦巻く思念にも捕らわれぬようにせねばならぬ。……じゃが、今のお主の呪術を操る技量ならば、苦労はするかもしれぬが、恐らく、もう出来る筈じゃろう)
と言った鬼一爺さんは、地龍の陣の中心を指さす。
そして言った。
(まぁ、ちゅうわけで、まずは陣の中心で禅を組むのじゃ)
「了解……」
やや不安ではあったが、俺は言われた通りに陣の中心にて禅を組む。
それから次の指示を待った。
(では、ここからは印契と真言を共に行う。じゃがその前に、涼一よ。今よりもう少しだけ霊力を高め、地霊力の波長に合わせるのじゃ)
「おう、分かった」
俺は早速、霊圧を上げて霊力を高めると、地龍の陣に漂う地霊力の波長にゆっくりと合わせた。
ある程度まで霊圧を上げたところで、鬼一爺さんは言った。
(ウム。そんなもんでよい。では、黄泉という魑魅の時と同じように、我のやる通りにやるのじゃ。ではゆくぞ……)
「ああ、頼む。鬼一爺さん」
そして俺は、ここから鬼一爺さんの指示に従って、妙見の行というものを行使する事になるのであった。
―― そして30分後 ――
【オン・マカリシェイ・ジリベェイ・ソワカ・オン・サッタ・ジナウヤ・バムジャビザヤ…………】――
俺は鬼一爺さんの行う印契と真言を、その都度、模倣しながら行使してゆく。
さっきあった鬼一爺さんの説明で分かった事だが、今のような長ったらしい真言を21回も繰り返し唱えないといけないらしいのだ。ハッキリ言ってめんどくさい術である。
なぜ21回も唱えないといけないのか……それは組んでゆく印が21の相だからである。
つまり1つの印契に対して、この長ったらしい真言を1回唱えないといけないというわけなのだ。
まさか此処まで面倒な術だとは思わなかった。
しかも、俺は鬼一爺さんを見ながらやっているので、物凄く時間がかかるのだ。
溜息の一つも吐きたいところであるが、真言も唱えているのでそれは出来ない。
なので心の中で、俺は溜息を吐くのである。
だが、しかし……。
俺はこれらの印や真言を唱えるうちに、ある事に気が付いたのであった。
それは、俺自身の霊体が、2つに別れようとしているかのように感じたのである。
最初は錯覚かと思った。
だが、印を組み、真言を唱えるにつれ、段々と強くなってくるのだ。
この得体の知れない感覚を覚えると共に、俺は考えた。
一体、これから、俺の身に何が起こるのだろうかと……。
そして、少しではあるが、怖くもなってきたのであった。
だがそれも終わりを迎える。
――【ラキシャ・ヴァハムタ・ソワカ】
そう……。
俺は今、ようやく最後の印を組み、真言を唱え終えたのだ。
と、その時だった。
一瞬、眩暈のような症状が、俺を襲ったのである。
またそれに続いて、視界がぼやけたような感じにもなったのだ。
突然現れたこの現象に、俺はたじろぐ。
それから手で目を擦って、もう一度、瞼を開いたのだった。
だがそこで俺は驚くと共に言葉を失った。
なぜなら、俺の目の前には、眠ったように目を閉じて禅を組む、俺の身体が居たからである。
何を言ってるのか分からないかも知れないが、頭がどうにかなりそうだった。というか事実、そうなのである。
と、そこで、鬼一爺さんの声が聞こえてきたのだった。
(よし、上手くいったわい。今、お主の意識がある方が、妙見を行う分霊の方じゃ。分霊に意識を全て向かわせることで、この術は効果を発揮するんじゃよ)
俺は今の事態についていけてなかった。
その為、鬼一爺さんの言っている意味が分からんのである。
とりあえず、俺は、顔を引き攣らせながらも尋ねた。
「あ、あのさ、鬼一爺さん……。こ、これは、一体どういう事なの? なんで俺の身体が、ここにいるの?」
(フォフォフォ、涼一が驚くのも無理ないの。浄天眼の呪法の一つである、この妙見の行は、術者の分霊を用いて地脈を駆け巡る術なのじゃよ。そしてこの術は、魂を二つに分け、肉体を持たぬ分霊側に意識を持たせる術でもあるのじゃ)
どうやら今の話を聞く限りだと、分霊側が今の俺自身という事みたいだ。要は幽体離脱って事なのだろう。
なんとなく理解すると共に、そこで俺はある事に気が付いた。
その為、俺は言う。
「それは分かったけどさ。分霊とはいっても、一応は霊魂だよね。……て事はさ、屍解した状態に近い状態でもあるんだよな、これ」
鬼一爺さんは少しだけ笑みを浮かべると言った。
(そうじゃ。涼一も、ようやく気が付いたか。実はの、屍解の法が相手の場合、この妙見の行を使わん限り、探るのはほぼ無理じゃ。それにお主は人一倍霊感が強い。じゃから、この術にうってつけなのじゃよ)
俺はようやく理解した。
鬼一爺さんが、俺になら見つけられるかもしれないと言っていたわけが……。
まぁそれはさておき、俺は言う。
「なぁ鬼一爺さん。分霊が出来たって事は、もう準備出来たって事だろ? じゃあ、もう地脈に潜ればいいのか?」
(まぁそう焦るな。確かに、今から地脈の中を潜るのじゃが、その前に、お主に言っておかねばならぬ事がある)
「言っておかねばならぬ事?」
鬼一爺さんは真剣な表情で頷くと言った。
(ウム。先程も言うたが、地脈の中というのは人々の思念で渦巻いておる。じゃから、それらに捕らわれぬようにせねばならん。ここは負の地脈ではないが、油断はならぬぞ。何より、今はお主自身が分霊じゃからの。影響を受けぬように、気をしっかりと持つのじゃ)
それを聞いた途端、俺の中に得体の知れない恐怖が芽生えてきたのだった。
鬼一爺さんは俺の目を見ながら続ける。
(……とはいうものの、お主は今まで霊的な経験を、それなりにしておるから大丈夫じゃとは思うがの。じゃが、油断は禁物じゃ。涼一よ、それだけは肝に銘じておくのじゃ。よいなッ)
話の内容にビビった俺は、ドモリつつも問いかけた。
「も、もし、思念に捕らわれた場合は、ど、どうなるんだ?」
(……最悪の場合は、帰って来れぬようになる。じゃが、今回は、我も一緒に行くつもりじゃから、そこまで心配せんでよいわ。フォフォフォ)
鬼一爺さんはそう答えると陽気に笑い出したのである。
とりあえず、鬼一爺さんが一緒に来てくれるなら大丈夫そうだ。
少し安心した俺は、ホッと一息つく。
そして気を取り直して、鬼一爺さんに言ったのであった。
「じゃあ、宜しく頼むよ。鬼一爺さん」と――
―― 地脈 ――
地脈の中に入った途端。
俺の周囲には、青白く輝く、淡い光で埋め尽くされる世界が広がった。
それらの光は斑模様のように濃淡があり、また、海のさざ波のように絶えず動いていた。
その所為か、俺自身、海の中を潜っているような錯覚を覚えたのである。
だが、水の中と違い、息苦しいという感覚はなかった。寧ろ、フワフワと心地よい感じなのだ。
何て不思議な空間なのだろう……。
それが地脈内に入った直後の第一印象であった。
俺はそこで周囲を見回す。
だが、周りには青白い光が満たされているだけで、他には何もない。
あるのは目の前にいる鬼一爺さんの姿くらいだ。
と、そこで、俺はある事に気が付いた。
それは、高いところから低いところへと流れる川の水のように、周囲の光からも、1つの方向へ向かう流れというものが感じられたからである。
穏やかな流れではあったが、確かにそういったものを俺は感じた。
だがそれだけではない。
次第に、人の感情の起伏を思わせるような、霊力の波動も感じられる様になってきたのだ。
因みにそれは嫌な感じのものではなかった。
喜んだり、笑ったりしたときのような、心地の良い波長を伴う霊力なのである。
俺はそこで、奇妙な居心地の良さを感じ始める。
何故か知らないが、俺の中に、不安のない安らぎが満ちてくるのだ。
それを感じると共に、俺は思った。
これが鬼一爺さんの言っていた渦巻く思念なのだろうかと。
確かに、この心地よさに捕らわれてしまうと危険かもしれない。
鬼一爺さんが言ってた『帰ってこれなくなる』という意味が分かった気がしたのだ。
俺はそこで気を引き締める。
そして気をしっかり持つよう、自分に言い聞かせたのであった。
地脈の中を見回していると、鬼一爺さんの声が聞こえてきた。
(よし、では涼一よ。まずは、確認じゃ。我の声が聞こえるかの?)
「ああ聞こえる。でも、なんか変な感じに聞こえるんだよな」
確かに鬼一爺さんの声は聞こえるんだが、頭の中で響いてくるような感じなのだ。
耳から聞こえてくる声とは、全然、違う。
例えるならば、ヘッドホンから聞こえる音みたいな感じだろうか。
しかも、俺の話している声まで頭の中に響くのである。
一体どういう仕組みになってんだ、この術は……。
首を傾げたくなる現象だが、今は、それは置いておこう。
俺が戸惑う中、鬼一爺さんは言った。
(じゃろうの。それが地脈の中における、霊体同士の会話というもんじゃ。聞こえておるなら、それでええわい。で、これからじゃが、まずはいつも通りに感覚を研ぎ澄ませて、この地脈の中にある地霊力をよく見極めよ。そしてその中で蠢く、負の波動を探るのじゃ。幽現成る者であるお主ならば、できる筈。さぁ、始めよ)
確かに正の地霊力で満たされている場所だから、そんな波動があったら分かるのかもしれない。
だが幾ら気配を探れるといっても、広すぎる気がするのだ。
なぜなら、この地脈というのは、血管の如く、地球全体の至る所に張り巡らされているからである。
半端な範囲ではないのだ。
なので俺は言った。
「できるのかよ、そんな事。とんでもなく広大なんだろ、地脈の中って」
鬼一爺さんはニヤリと笑うと言った。
(やってみよ。やれば、わかるわい)
「へいへい、分かったよ」
俺はぶっきら棒に返事すると、とりあえず、意識を周囲の霊波動に向かわせたのだった。
いつもと同じように、周囲の霊波動を静かに探る。
それから5分程経過した頃だろうか。
そうやって意識を向かわせて探り続けていると、ある方角にて、奇妙な霊波動を感じたのである。
それは僅かに感じる波動であった。
だが確かに、微妙に怒りと悲しみを発する悪霊に似た霊波動なのだ。
周囲に満たされているのが正の霊波動ばかりなので、俺にはピンポイントで引っ掛かるのである。
その為、俺は言った。
「鬼一爺さん、こっちの方角からだけど、かなり微弱な負の波動が僅かに感じる。しかも、これ以外の負の波動は何も感じないんだよ。……もしかしてこれか?」
(……さての、それは分からぬ。じゃが、確かめてみた方がよいの)
「確かめるって……どうすんだよ?」
すると鬼一爺さんはキョトンとした表情になる。
それから、俺の言った方角を指さしてこう告げたのだ。
(決まっておろう。そこに向かうんじゃよ。では、ゆくぞ)
「は? 直接見に行くのかよ」
てっきり、此処で何かの術を施して、対象を特定するのかと思っていたが、まさか現地直行するとは……。
そう思うと共に、俺は心の中で、こう呟いたのであった。
これでは千里眼というより、千里行やんか。あっ、だから『妙見の行』というのか、と……。
そして俺と鬼一爺さんは、負の波動の感じる方へと向かい、地脈の中を泳ぐように進み始めたのであった。
―― 一方…… ――
涼一と鬼一法眼が地脈の中を移動し始めた頃。
ワダツミの楽園内にある芝生広場には、昨日と同様、市街地の走り込みをする者達が続々と帰ってきているところであった。
その為、芝生広場では、水分補給をしながら体を休める者達の姿が、沢山確認できる。
その中には瑞希や一樹の姿もあり、2人は今、隣り合いながら、走り込みでかいた汗をタオルで拭っているところなのであった。
この2人の動作は、傍目から見れば普通の汗をぬぐう動作である。が、ただタオルで拭っているだけではなかった。
瑞希と一樹は先程からずっと、何かを監視するかのように、拭うタオルの陰から、ある人物をジッと見詰め続けていたのだ。
2人の視線の先にあるモノ……。
それは剣道部主将である如月香織の姿であった。
瑞希はタオルで拭いながら、一樹にボソッと話しかけた。
「道間先生……如月先輩、元気がないですね」
そう、瑞希の視線の先にいる香織は、やや元気がなく、芝生広場にて1人ポツンと俯きながら、体操座りをしていたのだ。
今の彼女の姿を他の者達が見れば、疲れて休んでいるだけに見えるかも知れない。
だが、瑞希は昨夜の事を知っているが為に、そう見えたのであった。
一樹は言う。
「ああ、そのようだな。……仕方ない。少し話をきいてみるか」
と言った後、一樹は移動を始めた。
そして俯く香織の前に行くと、爽やかに口を開いたのである。
「お、如月。どうしたんだ? なんか元気ないぞ。それとも、昨日の夕食を沢山食べ過ぎたか?」
香織は目の前に来た一樹を見上げると、やや慌てたように言った。
「み、道間先生……。す、すいません。ちょっと考え事をしていたものですから」
「なるほどな、考え事か。まぁお前も、主将だから色々と大変だもんな。そうだ! なにか、分からない事があるなら俺が話を聞くぞ。俺も高校時代は、如月と同じで剣道部の主将だったからな」
香織はやや驚きつつも言った。
「え? 道間先生も高校時代、剣道部の主将だったんですか?」
「ああ、そうだ。だから、俺も少しは経験があるから、力をかしてやれる筈さ。それに剣道以外の相談も、ある程度は乗ってやるぞ。まぁ俺自身、人生経験は浅いから、あまり大した事は答えられないかもしれんがな。ハハハ」
一樹はそう告げると、爽やかに笑った。
香織もクスリと笑う。
だが香織は、少し暗い表情になって、また顔を俯かせたのだった。
そこで一樹も芝に腰を下ろす。
そして小さな声で、一樹は言ったのである。
「……どうしたんだ、如月。何か悩みがあるなら、言ってみろ。何か都合悪い事でもあったのなら、先生がオフレコで聞いてやるから。それに、主将が元気ないと、皆も気になるぞ」
香織は俯いた顔を上げると一樹に視線を向ける。
暫しの沈黙が2人の間に漂う。
だが程なくして香織は、ボソッと口を開いたのである。
「先生……じゃあ聞いてもいいですか?」
「ああ、言ってみろ。少し楽になるかもしれんぞ」
香織は頷くと、ゆっくりとではあるが、静かに小さく話し始めた。
「……ここ最近、3年前に死んだ友人が、毎晩、夢に出てくるんです。しかも、その子は無言で私を見詰めているんです。真っ赤な目をして何も言わずに……」
「死んだ友人?」
香織は頷くと続ける。
「……5年前、私はこの地区の隣にある鐘浦という所に住んでいたのですが、そこに、当時の私と仲が良かった由佳という子がおりました。由佳は中学でのクラスメイトでもあったのですが、5年前の転校と共に、私と由佳とは離れ離れになったのです。でも音信不通というわけでは無くて、連絡は取り合っていました。殆どはメールでの連絡ばかりでしたが……。そうやって、転校して暫くの間は連絡も取りあっていたんです」
そこで香織は話を止める。
一樹は無言で耳を傾けていた。
暫くすると香織は、絞り出すように小さな声で言った。
「で、ですが……転校してから1年ほど経ってからでした。やり取りしていたメールの内容が徐々に変化していったんです」
「変化?」
一樹は怪訝な表情を浮かべる。
香織は頷くと言った。
「はい……。最初は落ち込んでいる事とか、悩んでいる事とか、私に会いたいとかいう内容が殆どだったのですが、そのさらに半年後になると、会ってくれない私に対する恨みの言葉ばかりが羅列するようになりました。ですがその2ヶ月後、パタリと由佳からのメールが途絶えてしまったのです。そして、それから更に3ヶ月後の事でした、私は由佳が自殺したという話を耳にしたんです」
一樹は大きく息を吐くと、暫し目を閉じて考えた。
そして昨晩、涼一達から聞いた話とを符合させてゆくのである。
一樹は言った。
「なぁ、如月。そのユカという子は、なんで自殺をしたんだ?」
香織は今にも泣きそうな表情になりながら、無言で首を横に振る。
「そうか、分からないか……。ところで、そのユカという子は、いつ頃から夢に出てくるようになったんだ?」
「由佳が夢に出てくるようになったのは、2週間程前からです」
「まさかとは思うが、それからずっとか?」
香織はコクリと頷く。
「そうか、色々とあったんだな如月……。ところで、その子が出てくる以外に、他に何か変わった事とかはないか? 何でもいい。何かおかしな事があったら、言ってくれ」
すると香織は、何かを思い出したかのように、ハッと顔を上げて言ったのだった。
「そういえば3週間程前……でもアレは……これには関係ないか」
「何だ、言ってみろ。何でも聞いてやるから」
一樹は優しい口調で諭すように言うと、香織は話し始めた。
「実は……3週間程前に、変なお坊さんと会ったんです」
「変なお坊さん?」
「はい、学校帰りの私を突然呼び止めて、貴方に邪悪な気配を感じるから、少しだけ祈祷をさせてほしいと言ったんです」
一樹は目を鋭くした。
そして言う。
「そのお坊さんは、一体、何をしたんだ?」
「確かその時……小さな香炉の様な物を持って、20秒程の短いお経をあげただけでした。ただそれだけなんです。……でも、これは由佳とは関係ないと思うんですけど」
一樹は顎に手を当てて何かを考える。
そして、香織には聞こえない程の小さい声で、こう呟いたのだった。
『一体、何者だ。その坊主……』と――