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霊異戦記  作者: 股切拳
第四章  
56/64

伍拾六ノ巻 ~御先 一

  《 伍拾六ノ巻 》   御先ミサキ 一



 梅雨も明け、カラッとした暑さへと変化し始める7月中旬。

 これは、日が昇り始める明け方にあった、愛知県のとある地域での話である。

 そこは新旧の家々が建ち並ぶ長閑な住宅街であった。

 軒を連ねる家屋の殆どが同じような高さで、4階建て以上あるような建造物と言うのは数えるほどしか見当たらない。

 そのため、何処にいっても同じような景観の広がる住宅街である。

 そんな住宅街の一画に、静かな一軒の家屋があった。

 2階建ての一般的な家屋で、この住宅街の中においても、別段、特筆すべき点もない、ごく普通の外観をした建物である。

 しかし、この家屋は周囲の家々と1つだけ異なるところがあった。

 それはこの家屋の持つ雰囲気である。

 周囲との関わりを断ち切ったかのような、寂しい閉塞感のようなものが、この家屋には覆われているのだ。

 外壁に設けられた窓という窓は、すべて閉め切っており、中の様子を外から窺い知ることは出来ない。

 周囲に設けられた僅かばかりの庭は、荒れ果てており、雑草が伸び放題であった。

 そして正面玄関の壁には、表札が掛かっていたであろう色褪せた痕跡のみが残っているのである。

 そう……この家には人が住んでいる痕跡が感じられないのだ。だから閉塞感で覆われているのである。

 ここを見た者の殆どはこう思うに違いない。これは誰も住んでいない空家だと。

 だが、そんな寂しげな佇まいをした家の中から、今、ほんの僅かではあるが人の声のようなモノが聞こえてきたのである。

 それは怒りに震えたような、低くオドロオドロしい不気味な声色であった。

 まるで、地の底から全てを呪うかの様な……。

 しかし、今、この家屋の周囲には誰もいない。

 よって、今の声のようなモノは誰も聞いてはいなかったのだ。

 今、もし、この家屋の間近に人がいたならば、こう聞こえていたであろう。


【……これで…2人。……残りは13人……やつらに……地獄の苦しみと死を……】と。



 ―― 3週間後 ―― 



「あっちィ……なんなんだ、この暑さは」

 俺は容赦なく照りつけるお天道様に、手の平をかざしながら視線を向けた。

 ついこの間までは、ジメジメとした湿度の高い蒸し暑さが続いたが、次は気温36度という熱波が続く日々である。

 ハッキリ言って、たまらん。

 しかもここ最近は、観測史上最高の気温をどこかで記録したとかニュースでも報道していた。

 そういうのもあって、異様な猛暑日が続いているのである。

 たまには曇ってほしいところだ。というか、曇れッ。

 それはさておきだが。

 俺は今、物凄く喉が渇いて仕方がない。もう既に、口の中はカラカラの状態である。

 まぁ俺の置かれたこの状況を考えれば、こうなるのは当たり前だろう。

 というわけでこの糞暑い中、俺は何をしているのかというと、実は、とある市街地の中を走っている真っ最中なのである。

 しかも路面が真っ黒なアスファルトなので、下からも糞暑い熱気が昇ってくるのだ。

 おまけに海が近いせいもあってか、周囲には塩気も漂っており、これが余計に俺を熱くさせるのだった。

 そういうわけで、さっきから体内の水分放出が止まらないのだ。


 だが、とはいうものの、辛いのは俺だけではなかった。

 なぜなら、俺の周囲には高天大剣道愛好会の面々も共にいるからである。

 勿論、愛好会のみんなも、俺と同様に汗だく状態であった。

 この糞暑い中を走ると知らされた時には、みんな微妙な表情をしていたのを覚えている。

 ただし、数名を除いてはだが……。

 とりあえず以上の事から俺は今、愛好会の面々と共に、剣道のトレーニング中なのである。

 一応、前期試験も終わったので、サークル活動の解禁というわけなのだ。

 このランニングを始める前、姫会長は俺達に向かってこんな事を言っていた。

 剣道は足腰が7割で、他が3割と。

 要するに、もっとお前らは足腰を鍛えろという事なのだ。

 だから、この走り込みなのである。


 まぁそれはともかく、俺は時間を確認する為に腕時計に視線を向けた。

 今の時刻は午前10時ちょっと前だ。

 走り始めたのが9時半ごろだった事を考えると、どうやら、この糞暑い中をもうかれこれ30分は走っているようであった。

 流石にこの暑さの中を30分も走るのは、俺もしんどい。時間を知ったので余計にそう感じる。見なきゃ良かった……。

 だがここで走るのを止めると、後方にいる姫会長から確実に檄が飛ぶ。

 なので俺は、姫会長には聞こえないように、ボソッと今の願望を口からこぼしたのだった。

「はぁ、水飲みてぇ……すげぇ、喉が乾いた……」

 と、その時だった。

 俺と並走する田島さんが、テンション高く俺に話しかけてきたのだ。

「日比野君、この程度の暑さで根を上げてはいけないよ。はっはっはっ」

 田島さんは巨体を揺らして、物凄い汗をだくだくと流しながら、物凄い爽やかな笑顔を浮かべていた。

 俺はそんな田島さんに引きつつも言った。

「た、田島さん。滝のように汗が流れてますけど、し、しんどくないんですか?」

 すると隣を走る西田さんが、眼鏡をキラリと光らせて言った。

「何を言っている、日比野君。心頭滅却すれば、火もまた涼しさ。なぁ田島」

「ええ、西田さん。最高っスよ。今ならホノルルマラソン完走して見せるッスよ」

「そ、そうっスか……」と、俺。

 実はこの2人、さっきからずっとこんな感じなのであった。

 まぁ、これには分かりやすいほどの理由があるのだ。

 簡単に言えば、男ならデフォルトで備わっている習性のようなモノといったところだろうか。

 というわけで2人のテンションが高い理由だが。

 それは今回の愛好会の練習が、些か、いつもとは趣向の違うものとなっていたからである。

 なぜなら、俺達、剣道愛好会は、高天智聖承女子学院の剣道部と共に、合同合宿訓練を行う事になったからなのだ。

 その為、このランニングは高天大の剣道愛好会だけでなく、高天智聖承女子学院の剣道部の面々も一緒に走っているのであった。

 で、そうなると当然、ウチの愛好会の野郎どもは、舞い上がってすごいハイテンションになる。

 しかも、結構可愛い子も多かったので、こればかりは仕方がないのだ。だって、男の子なんだもん。

 つまりこれは本能ともいうべき程、男ならごく自然な事なのである。

 だがしかし。

 俺達の中でも、特に西田さんや田島さんは『最ッ高にハイってやつだッ』という感じになっており、気味が悪いくらいに終始ニコヤカなのであった。

 なぜこんな事になったのか。

 話は1週間前に遡る事になる。



 その日は日曜日だったので、俺は例の神社にて、道摩家と土御門家の面々と共に、いつもの霊術修行を行っていた。

 この日の修行内容は、鬼一爺さん曰く、【厳霊イカツチの行】というモノで、ひたすら静かに禅をしながらジッと霊力を鍛える修行であった。

 しかし、ただ禅をするだけではない。鬼一爺さんの修行に、そんな生易しいものはない。

 どんな修行かと言うと、俺達は床に描かれた霊縛りょうばくの陣というモノの中で、ひたすら禅をしながら霊力を練る修練をしていたのである。

 で、この霊縛の陣であるが。

 鬼一爺さんの説明によると、本来は、悪霊以外の霊体を閉じ込める為の術らしい。

 だが、それに少し改良を加えた術式を施すことで、生身の肉体を持つ人間をも、結界内に縛り付ける事が可能なのだそうだ。

 というわけで要するに、負担のかかる結界の中で、霊力を操る修行をしろという事なのである。

 例えるならば、坊さんが滝に打たれる修行の霊術バージョンといったところだろうか。

 かなりシンプルな修行だが、非常に心身の疲れる修行をしていたのであった。


 話は変わるが、この厳霊の行は、鬼一爺さんも生前に良くやっていた修行のようである。

 鬼一爺さんが修行の説明をするときに、確かそんな事をいっていた。

 だがこの修行は、霊力の扱いに慣れた者がやる荒行でもあるので、全員がこの修行をしていたわけではなかったのだ。

 というわけで、そこまでの域に達していない発展途上の沙耶香ちゃんや、初心者の瑞希ちゃんは別メニューとなっていたのである。

 因みに2人は基礎的な霊力を鍛える為に霊導修法というものを行っていた。

 これは鬼一爺さんの修行法ではなく、鎮守の森で行われている基礎修行の様であった。

 で、この内容だが。

 これは俺が爺さんに習い始めた頃やらされた【修霊の行】というものとほぼ同じ修行で、簡単に言うと、呼吸法と念の力によって霊力を練る為の基本的な修行である。

 一応、霊力鍛錬の基礎修行みたいなもので、この間からずっと俺が瑞希ちゃんに教えていたモノでもあるのだ。

 要するに入門者用の修行なのである。

 だがとはいうものの、俺自身、今でも日課として寝る前に少しやっている修行でもあった。

 何故ならば、基本は基本なので、そこは疎かにしてはいけないからである。

 まぁそれはともかく、以上の理由から2人は基礎修行を行っていたのだが、そんな瑞希ちゃん達を見ていて気付いた事があったのだ。

 それは霊能の成長についてである。

 俺の場合は特殊体質という事もあって、すぐに霊力が練れるようになったけれども、普通はそう簡単にはいかないようなのだ。

 瑞希ちゃん自身も、ここ最近になってようやく、霊力というものを感じられる様になってきたと言っていたくらいである。

 その為、俺自身はそういった言葉を聞くと共に、自分はやはり異質なのだと改めて考えてしまうのであった。

 またそれと共に、もう少し、一般的な成長の仕方というものを勉強しないといけないとも、同時に思ったのである。

 何故なら、幽現成る者の事を隠していかないといけないからだ。

 そのためには、敵を知り己を知らないといけないのである。

 俺自身、もう厄介事は出来るだけ御免こうむりたい。なので、慎重にいかねばならないのだ。

 というわけで、話を戻そう。


 1週間前の俺達は、そういった修行を延々と一日中やってたわけであるが、これらの修行が終わった後に、一樹さんからある提案があったのだ。

 その時あった俺達のやり取りはこんな感じであった。


「日比野君、ちょっといいかい。今週の金曜から日曜日の3日間なんだけどさ、高天大の剣道愛好会は何か予定があるのかい?」

「特に何もなかった気がしますけど。それがどうかしましたか?」

 一応、剣道の練習はあったような気がするが、それ以外は別段、何も予定というのはなかった。 

 なので、俺はそう答えておいた。 

 すると一樹さんは、ポケットからスマホを取り出して何かを確認し始める。

 そして言ったのだ。

「それは丁度良かった。実はさ、ウチの剣道部なんだけど。今度の金曜から2泊3日で、中等部と高等部の合同合宿練習があるんだよ。合宿の場所は愛知県で、俺達、道摩家と関係の深い宿泊施設でなんだけどね」

 俺は適当に相槌を打つ。

「へぇ〜、そうなんですか。そういえば剣道部の副顧問でしたもんね、一樹さんは。教師というのも、色々と大変ですね」

 一樹さんはニコリと微笑んで頷くと続ける。

「そこでなんだけど。日比野君達も前期試験が終わって夏季休暇になる事だし、ウチの剣道部と高天大の剣道愛好会とで、一緒に合宿訓練をしてみないかと思ってね。どうだろうか? 双方にとっていい事のように思えるんだよ。もしよかったら、愛好会会長の姫野さんに聞いてみてもらえるかい?」

 俺はこれを聞いた瞬間、内心、『え〜、それはちょっと……』と思っていた。

 だが、今の話を聞いていた瑞希ちゃんや沙耶香ちゃんは、突然、満面の笑みを浮かべてこう言ったのである。

「日比野さん。是非、一緒に合宿訓練しましょう。というか、絶対、やりましょうね」

「そうですわ。高嶋さんの言うとおり、絶対、やりましょう。私は剣道部員ではありませんが、兄のお供でご同行しますし」

 と沙耶香ちゃんは言った後、不敵な笑みを浮かべながら瑞希ちゃんに視線を向けた。

 瑞希ちゃんも不敵な笑みを浮かべながら、沙耶香ちゃんに視線を向ける。

 だがその時、何故か知らないが、2人の間から火花が散ったような気がしたのだ。た、たぶん、気のせいだろう。

 するとそこで詩織さんや明日香ちゃんも俺達の話に入ってきた。

 詩織さんは言う。

「一樹君。私も行っていいのかしら?」

「ええ、構いませんよ。結構、大きなリゾート施設なので、全然問題ないです。それと海が近くにあるうえに、温泉やプールにゴルフ場もありますしね。風光明媚な良いところですよ」

「へぇ〜、それなら私も行こうかしら〜。向こうでも鬼一法眼様のご指導を受けたいですし、それに日比野君とも、もっとお話ししたいから〜」

 そこで詩織さんは微笑むと、瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんに視線を向けた。

 そして3人の間からはまた、あのピキピキと緊迫した空気が生まれるのである。

 俺は思った。

 3人とも仲がいいのに、なぜ時々、こんな張りつめた空気になるのだろうか、と。 

 そんな中、明日香ちゃんは我関せずといった感じで言うのである。

「じゃあ、私も行こうかな。剣道部員に、同じクラスの子もいるし。ところで、お兄ちゃんはどうする?」

 突然話を振られた宗貴さんは、困ったように言った。

「う〜ん、俺は仕事があるからな。土曜の夜からしか行けないぞ、多分」

 すると一樹さんがニコニコと微笑みながら言うのである。

「それじゃあ、宗貴さんも一応参加という事で調整をしておきますね。おッ、ということは、ここにいるメンバーは全員参加って事だね」

 なんか知らんが、何時の間にか全員参加の状況になろうとしていた。

 だが、まだ姫会長に確認もとってない状況なので、俺は言ったのだ。

「ちょ、ちょっと待ってください、一樹さん。まだ姫会長に、確認をしてないですし。行けるかどうかは……」

 と、その瞬間。

 瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんと詩織さんが、俺を威嚇するように声を揃えて言ったのだった。

【なら、早く確認してくださいッ】と。

「は、はひッ」

 俺は得体の知れない3人の迫力にビビりつつも、その場で姫会長に連絡したのである。

 まぁ結果は即答でOKだったわけだが……。

 という訳で、今に至るというわけなのだ。


 高天大剣道愛好会と聖承女子学院剣道部の合同合宿。

 俺自身は、あまり気が進まないのだが、こうなった以上は仕方ない。やるしかないのだ。

 因みに俺が合同合宿をしたくなかった理由は1つである。

 姫会長にしごかれる俺の情けない姿を、霊術修行のメンバーにあまり見られたくなかったからだ。

 そこはやはり抵抗があるのである。

 なので俺は今、走りながら少し嘆いてもいるのであった。トホホ……。



 俺達がランニングを始めてから40分近く経過したところで、ようやく終点が見えてきた。

 その終点とは、俺達が寝泊まりするリゾートホテル、『マリンリゾート ワダツミの楽園』である。

 非常に大型のリゾート施設で、ホテルの客室は500以上あるようだ。

 ホテル自体も爽やかな水色をした9階建ての巨大な建造物なので、遠くからでも目立つ存在であった。

 またその他にも、ゴルフ場やテニス場にプール、それに大きな芝生広場などが広大な敷地内に点在している多目的施設でもあるのだ。

 これは俺の先入観だが、なんとなく、日本伝統の武道である剣道の合宿には似つかわしくない行楽施設である。

 だが一樹さんは、竹刀を使う剣道の練習自体はここではなく、別のところですると言っていた。

 なので此処は、あくまでも体力つくりと宿泊と食事、そして憩いの場として利用するところなのだ。


 この巨大な施設を眺めている内に、俺達の視界にはゴールが見えてくるようになった。

 そのゴールとは、ワダツミの楽園の敷地内にある芝生広場であった。

 というわけで俺達はそこへ向かうのである。

 そして辿り着くや否や、ヘトヘトになった俺は、芝生に雪崩れ込むように寝転がったのだった。

 ハァハァと息が荒い俺は、そこで大の字になる。

 はぁ〜マジしんどい。しばらく動きたくないくらいだ。

 するとそんな俺を見た鬼一爺さんは、鼻で笑うように言ったのである。

(なんじゃい、涼一。若いんじゃから、この程度でそんな情けない姿をとるでない。お主とともに剣の修行をしている、あ奴等を見よ。まだまだ元気な姿をしておるぞい)

 俺は鬼一爺さんの視線を追う。

 するとそこには、元気ハツラツ状態で、爽やかに微笑む西田さんと田島さんの姿があったのだ。まだまだ走れるぜ、と言った感じである。

 げんなりしつつも俺は言った。

「あの人らは今、脳内ドーピングで確変中なんだよ。今の俺に、あそこまでを求めないでくれ。ン?」

 と、その時だった。

 そこで俺に歩み寄る複数の人影があったのだ。

 俺は影の伸びる方向に視線を向ける。

 そこにいたのは、瑞希ちゃんに沙耶香ちゃん、それと詩織さんであった。

 瑞希ちゃんも走っていたのだが、中等部は距離が短いので、俺達よりも早く此処に着いていたのである。

 トレーニングウェアに身を包む瑞希ちゃんと沙耶香ちゃん、それとカジュアルな私服姿の詩織さんは、俺のところにやってくると、まず、詩織さんがペットボトルに入ったスポーツドリンクを差し出して労いの言葉をかけてきた。

「日比野君、お疲れ様~。これを飲んで水分補給してね」

 体を起こしてペットボトルを受け取ると、お礼を言った。

「ありがとうございます、詩織さん。た、助かります」

 俺は早速、キャップを捻って中の液体をゴクゴクと流し込む。

 ヒンヤリとした清々しい感じが、五臓六腑に染み渡る。

 またそれと共に、身体が若干軽くなったような気もしたのだった。

 ある程度飲んだところで、俺は「フゥ〜」と一息吐く。

 するとそこで、瑞希ちゃんが話しかけてきたのだ。

「今日はこれから、この近くにある市営の体育館で練習するみたいですね」

「らしいね。一樹さんもそんな事を言ってたよ」

 続いて沙耶香ちゃんがニコリと微笑んで言った。

「私は日比野さん達の練習を見学させてもらおうと思いますので、宜しくお願いしますね」

 俺はそれを聞いた瞬間、苦笑いを浮かべる。

 と、その時。

 俺の前にまた人影が現れたのだ。

 その人物は言った。

「おう、日比野。西田や田島をみてみろ。全然平気な顔をしてるぞ。お前も、もっとシャキッとしろッ」

 言葉の主は姫会長であった。

 今日の姫会長は、白と黒のトレーニングウェアに身を包む出で立ちをしていた。

 勿論、美しさと豪快さは健在である。

 というわけで俺は、即座に立ち上がると言うのであった。

「はい、すいません。す、少したるんでました」

 そんな俺を見た姫会長は、腕を組むと、眉間に皺を寄せて言った。

「とりあえず、高天大剣道愛好会に、恥はかかせるなよ。いいな」

「は、はいッ」

 俺は背筋をピンと伸ばして返事をした。

 相変わらず、凄い迫力がある方だ。

 とりあえず、機嫌を損ねないように注意しないといけない。

 などと思っていると、そこでまた新たな人物が現れたのである。

「あ、あのぉ……姫野由香里さん、ですよね?」

 どうやら俺達ではなく、姫会長に用があるみたいだ。

 姫会長は、話しかけてきた人物に振り向くと言った。

「ン? そうだが」

 姫会長に話しかけてきた子は、高天智聖承女子学院の剣道部員のようだ。

 ややボーイッシュなヘアスタイルをしており、活発な感じがする子であった。

 また、その髪型の所為か、パッと見は明日香ちゃんとよく似た感じの子でもあるのだ。

 因みに可愛らしい顔立ちをしているので、もし共学の学校だったら野郎どもも放ってはおかないだろう。

 とりあえず俺の第一印象は、そんな風に見えたのだった。

 姫会長の事を確認したその子は、次に、丁寧に頭を下げて挨拶をした。

「あの、私、高天智聖承女子学院、剣道部主将の如月きさらぎ香織かおりといいます。姫野さんは、私のことを覚えていますでしょうか?」

「きさらぎ?」

 と呟いた姫会長は、上を見上げる仕草をしながら考えはじめた。

 そして10秒程経過したところで、首を横に振りながら口を開いたのである。

「すまないが、覚えていない。どこかで会った事があっただろうか?」

 如月と名乗った子は、苦笑いを浮かべると言った。

「はい、5年前なんですが、一度だけお会いしました。姫野さんは覚えておられますか、5年前、高天智市立体育館で開催された中学生と高校生が交流する、剣道教室の事を」

 その言葉を聞いて思い出したのか、ハッとした表情になり、姫会長は言った。

「ああ、思い出したぞッ。確かあの時、中学生の子に、少し指導をした記憶がある」

 如月さんは微笑むと言う。

「はい、そうです。その時、私にご指導をしてくれたのが姫野さんだったんですよ」

「おお、あの時の子かぁ。いやぁ、大きくなったな。見違えたよ」

 姫会長の言葉を聞いた如月さんは、照れたのかコメカミをポリポリとかく。

 そして言った。

「あの時は、私も高天智市に引っ越してきたばかりで何も知らなかったのですが、あの後、友達から聞いたんです。姫野さんはF県の高校の女子ではトップレベルの選手だって。だから、私は良く覚えていたのですよ」

 なんかよく分からんが、この子と姫会長は以前会った事があるようである。

 意外なところで縁があったようだ。

 と、そこで瑞希ちゃんが如月さんに話しかけた。

「そういえば如月先輩。さっき道間先生と話してたのが聞こえたんですけど、この地域に以前住んでおられたのですか?」

 その質問を聞いた如月さんは、一瞬、暗い表情になる。

 だが、すぐに元の表情になると言った。

「うん……でも、この地区ではないのよ。私は、ここの隣にある鐘浦という地区に住んでいたの。……もう5年も前の話だけどね」

 そう告げた如月さんは、遠い目をして空を見上げる。

 昔を懐かしんでいるのかどうかわからないが、この時の如月さんを見た俺は、何処となく悲しげな感じに映ったのだった。

 まぁ色々とあったのだろう。

 とまぁそれはさておき。

 俺達はこんな感じで暫し休憩した後、次なる練習場へと向かい移動を始めたのであった。



 ―― その夜 ――



 剣道の練習を終えた俺達は、夕食を食べる為に、またワダツミの楽園に戻ってきた。

 だが、夕食まではまだ時間があったので、俺達は一旦、部屋に戻って着替えた後、この施設内にある温泉に入ってゆっくり疲れを癒すことにしたのだった。

 それから俺達は、ホテルの外にあるビアガーデンを兼ねたバーベキュー施設へと移動を始めたのである。

 ここが今日の夕食場所なのだ。

 そして全員が集まったところで、高天智聖承女子学院の剣道部顧問の先生と姫会長による労いの挨拶の後、今日の夕食が始まったのであった。

 夕食は勿論、バーベキューだ。

 しかも、かなり良い肉を使ってあったので、凄く美味しかった。

 道摩家と付き合いのあるところらしいので、色々と気を使ってくれたのかもしれない。

 また肉だけでなく、沢山汗をかいた後なので、ビールも最高に旨かったのだ。プハァーといった感じである。

 愛好会の面々も、満足したのか、夕食の時は終始賑やかであった。かなり楽しんでいるようだ。

 それは高天智聖承女子学院剣道部の面々も同様で、年頃の女の子の甲高い笑い声が、絶えることなく聞こえてくるのである。

 とまぁこんな感じの和気藹々とした中での夕食なのであった。


 それから1時間後。

 俺は少し酔ったのもあり、ホテル1階ロビーに置かれたソファーに座り、少し寛ぐことにしたのだった。

 ロビーの時計に目をやると、今は午後7時15分を指し示していた。

 因みに他の皆は、まだバーベキュー施設でビールや肉を飲み食いしている最中だ。

 一応、飲み放題らしいので、今も西田さんと田島さんは遠慮なく、グイグイと飲んでるのである。

 姫会長達も同様であった。

 というわけで俺1人が、抜け出してきた感じなのだ。

 まぁそれはさておき。

 やはりホテル内は空調が行き届いてる為、非常に涼しい空間となっていた。

 酒と温泉の影響で火照った俺の身体に、ヒンヤリとした空気が包み込んでくれるのが凄くありがたかった。

 俺は気温を肌で感じながら目を閉じる。

 何か知らんが、心地が良いので、このまま寝てしまいそうである。

 だがその時。

 俺を呼ぶ声が聞こえてきたのだった。

「日比野さ〜ん。こんな所にいたんですか。何時まで経っても帰ってこないから、心配しましたよ」

 声は瑞希ちゃんであった。

 またその後ろには沙耶香ちゃんと詩織さんの姿もあったのだ。

 俺は少し体を起こすと言った。

「ちょっと酔ったみたいなんだよね。だから涼んでたんだよ。それに今日は結構疲れたしね」

 と、そこで3人は、俺の座るソファーに腰かけてきた。

 そして沙耶香ちゃんがまず口を開いたのである。

「日比野さん、今日は相当疲れたのじゃないですか。姫野さんの指導って、結構、厳しいんですね。日比野さんを見てたら、ちょっと気の毒になりました」

 俺は乾いた笑い声をあげると言った。

「ま、まぁね。言い方や指導方法はあんな風だけれども、姫会長は間違った事を言ってないからねぇ」

 詩織さんは言う。

「でも、日比野君のお師匠様よりは優しいんじゃないかしら〜」 

「全くその通りです。あのジジイは、時々、姫会長を軽く凌ぐ時ありますからね」

 俺は深く頷くとそう言ってやった。

 本当にあのジジイは、容赦しない時が多々あるのだ。困ったもんである。

 で、当の鬼一爺さんはというと、どこか徘徊しに行っているので、今は此処にいない。

 あのジジイは初めて来た土地なので、物珍しさから観光しに行っているのだ。

 まぁその内に戻ってくるだろ。

 などと思っていた時だった。


【か、香織? 香織じゃないの?】


 と、女性のやや大きな声が聞こえてきたのである。

 俺達は何事かと思い、声の方に視線を向けた。

 するとそこには、通路にいる如月さんに向かって呼びかける、エプロンを掛けた若い女性の姿があったのだった。

 どうやらこの女性は、ここの従業員かアルバイトのようである。

 何故なら、ロビーの一画に設けられたカフェラウンジから呼びかけていたからだ。恐らく、ラウンジで仕事をしていたのだろう。

 名前を呼ばれた如月さんは、驚いた表情を浮かべながら、その女性に言った。

「も、もしかして、彩?」

 エプロン姿の女性は無言で頷く。

 ニコリと微笑むと如月さんは、その女性に駆け寄る。

 そして懐かしむように言ったのだった。

「うわぁ、本当に久しぶりね、彩。5年ぶりだから分からなかったわよ。どう、元気にしてた?」

 だが、その女性は少し様子がおかしかった。

 思い詰めたような表情だったのだ。

 するとその女性は、突如、如月さんの腕をとると、俺達の方へ来たのである。

 女性の行動にビックリした如月さんは言った。

「ちょ、ちょっと。一体、どうしたのよ、彩」

 女性は如月さんの声を無視して、俺達がいるスペースの脇にある通路へと行く。

 そして、そこの物陰に行ったところで、ぼそりと話し始めたのであった。

 俺は別に彼女達の会話を聞くつもりはなかったが、小さくではあるが聞こえてきたのだ。

 それはこんな会話であった。


「どうしたのよ、彩。久しぶりに会ったというのに」

「香織……あなたは1年の冬に転校しちゃったけど、私達がいた鐘浦中学1年2組の同級生の事、い、今でも覚えてる?」

「勿論、覚えてるわよ。短い間だったけど忘れないわ。だってまだ5年しかたってないんだもん。それが、どうかしたの?」

 如月さんの問いかけの後、暫し無言になった。

 10秒、15秒と沈黙の時間が過ぎてゆく。

 だが焦れたのか、先に如月さんの声が聞こえてきた。

「どうしたのよ、彩。少し変だよ。なにかあったの?」

 すると何かを噛みしめるかのような重い声が聞こえてきたのだ。

「じゃ、じゃあ……ウチのクラスにいたヨシカワケンゴやシマダユウジ、それにカワニシダイキの3人の事と、その3人と仲の良かった私達のグループの事って、お、覚えてるよね?」

「うん……覚えてるわよ。それが……どうしたの?」

 如月さんの問いかけの直後。

 その女性は何かに怯えるかのように、震えながら声を発したのであった。


【……こ、この2カ月の間に……その中の10人が、し、死んじゃったのよ。……し、しかも、全員が気が狂ったように自殺で死ぬなんて……。ぜ、絶対におかしいよ、こんな事って……】と――

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