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霊異戦記  作者: 股切拳
第四章  
55/64

伍拾伍ノ巻 ~新潮流

 《 五拾伍ノ巻 》 新潮流



 ――中東 イラク南部――


 此処はイラク南部の都市バスラ。

 チグリス川とユーフラテス川の合流によってできた、シャットゥルアラブ川の右岸に位置する港湾都市で、イラク第二の人口を誇る古くからの商業都市である。

 この地域は砂漠気候ではあるが海に面している為、内陸部と比べると降雨量が多い。が、同時に最高気温58.8℃という世界記録もつ、世界で一番気温の高い地域でもあった。

 また、嘗ては世界最古の文明と云われるメソポタミア文明の栄えた地であり、当時支配していたバビロニア王朝の遺跡が栄華の痕跡を刻む、悠久の歴史を感じさせる地域でもあった。

 しかし今現在、このバスラが誇る1番の特徴は、世界第3位という原油埋蔵量を持つイラクにおいて、この地域に最大の油田地帯があるという事だろう。

 そしてバスラは更に、石油パイプラインの終点でもあり、石油製品の積出港でもある為、今現在のイラク経済の生命線を担うと言っても過言ではない地域なのである。

 だが、そういった華々しい部分だけではない。

 この地域は1991年に始まった湾岸戦争の爪痕が、今も残る地域でもある。激戦地に近いこの地域は、当然、爆撃にもさらされているのだ。

 そして2003年にあったイラク戦争でも、市街地での戦闘が行われていたのである。

 そんな苦難を経験した都市であるが、日本を含む諸外国からの援助等もあって復興は進んでおり、今もまだその途中にあった。

 しかし、イラク戦争を経て政情不安に陥った国内は、常に宗教テロの危機にさらされている状態に陥っていた。

 イラク戦争以前のフセイン政権時代は、政治的圧力によって宗派間対立や民族間対立を抑え込んでいたこともあり、そういったものはあまり表面化はしなかった。

 だがアメリカを主体とした有志連合がフセイン政権を力で排除して以来。皮肉な事に、今やイスラム教スンニ派とシーア派の対立やクルド人との対立が激化。

 テロによる街や人の破壊が横行し、イラク各地では阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されることも珍しくはなかったのである。

 勿論、バスラも例外ではなく、この地域の情勢も日に日に予断を許さないものとなっていたのだった。

 今ここに、そんなバスラの市街地を進む一台の黒いメルセデスベンツがあった。

 非常に美しく磨かれた光沢のある車体で、車自体がまるで鏡のように周囲の景色を映していた。

 しかし同時に、バスラの色褪せたコンクリート建造物の影響もあってか。その美しい車体が、ひどく浮いて見える光景ともなっていたのである。

 その車の中には、3人の男が乗っていた。

 1人は運転席に座る、口元に髭を生やした30代半ばくらいの金髪の白人男性である。

 もう1人は助手席におり、整髪料で整えた短い黒髪が特徴である、東洋系の初老男性のようだ。

 また、前の2人は共に黒いスーツを着ている為、車の一部分かと思わせるくらい同化しているように見えるのだった。

 そして後部座席には反対に、雪の様に真っ白な長い髪が特徴の男が乗っていたのである。

 やや灰色がかったスラックスと、クールビズのように白いワイシャツだけといった格好で、この暗い車内では唯一明るい色彩となっていた。

 その後部座席にいる男とは。

 それは以前、涼一達に拘束された眩道斉と呼ばれる殺し屋であった。

 あの男が乗っているのである。


 眩道斉は無言で、静かに流れゆく、くすんだ色をしたバスラの街並みを眺めていた。

 車内はシーンとした静かな空間になっており、眩道斉の耳にはエアコンからでるサーとした排出音しか聞こえてこない。

 そんな中、ただ無言で眩道斉は外を眺めていた。

 特に街並みに興味があるわけではない。が、眩道斉は他に気を紛らわすような物も無い為、仕方なしに見ていたのである。

 バスラの雑然とした道路には、ブルカで顔や頭を覆う女性や自転車に乗る人々、そしてかなり古い年式の日本車等が行き交っていた。

 そんな景色ばかりではあったが、眩道斉にとっては多少の退屈凌ぎにはなっていた。

 だが暫く進むと、建物から黒い煙が立ち昇り、そこに人の群がる光景が眩道斉の目に入ってきたのだ。

 それを見た眩道斉はボソッと口を開く。

「あれは?」

 助手席に座る初老の男が、チラッと煙の昇る場所に目を向けると言った。

「自爆テロがあったみたいですな。恐らく、イスラム教シーア派の巡礼者を狙ったものでしょう。なに、いつもの事です。ここは治安の良い日本とは違いますので、眩道斉殿には見慣れない光景かも知れませんがな」

「ほう……」

 会話はこれで終わり、またすぐに静かな車内へと戻っていった。


 それから10数分経過すると、眩道斉を乗せた車は守衛のいる重厚な門を潜り、比較的新しいとある大きな建造物の中へと入って行った。

 その建物はコンクリート建築でできており、一見すると博物館のようにも見える4階建ての建物であった。 

 建物天辺は金色のドームになっており、イスラム教のモスクを思わせる外見である。

 外壁は真っ白であり、それ自体がこの薄汚れた建造物の多い地域において、一際目を引く特徴であった。

 また正面部分は、アラベスク調の黒い蔦が絡みあったような壁面意匠が施されているのである。

 眩道斉を乗せた車は、その正面部分にある、イスラム建築独特の大きなアーチ型の玄関に横付けをした。

 車が停車したところで、助手席にいた初老の男はサッと車から降りる。

 そして後部ドアを開き、眩道斉をエスコートするかのように手振りを交えて、車から降りるよう促したのである。

 眩道斉はゆっくりとした動作で降りると、初老の男に案内されるがまま、建物の中を進んで行った。


 2人は大理石が張り巡らされた床が広がる、光沢鮮やかな1階フロアを進み、エレベーターの昇降口がある正面突き当りの壁に向かう。

 そこからエレベーターに乗った2人は、4階へと上がると、そのフロアの一番奥にある扉の前へと歩を進めるのだった。

 扉の前にやってきた2人は、そこで一旦立ち止まった。

 奥の扉は、幾何学な模様を彫った彫刻品を思わせる、木製の扉であった。

 そこでまず初老の男が、扉を2回ノックをした。

「誰?」

 中から線の細い声が聞こえてくる。

 初老の男は、中にいるであろう人に向かい口を開いた。

「聖樹様。眩道斉殿をお連れいたしました」

「……お通しして」

 初老の男はドアノブに手を掛けて扉を開く。

 それから先に中へ入るよう眩道斉に促すのである。

 眩道斉は促されるまま、扉の向こう側に足を踏み入れた。

 そこは書斎ともいうべき、部屋の様相をしていた。

 部屋自体はかなり広い。

 だが、左右の壁にはびっしりと詰まった本棚があり、室内中央には何かの古い文献が幾つもテーブル上に広げられているせいか、非常に狭く感じる様相をしていた。

 そしてその一番奥に、気品あるアンティーク調の机にすわる日本人の少年が1人いたのだった。

 どうやら、少年がこの部屋の主のようだ。

 年は12歳くらいだろうか。日本人特有の艶のある黒髪で、子供っぽいやや短めの髪型である。

 デニムのハーフパンツに上は白いシャツという服装で、見た感じは何処にでもいる少年の格好である。

 しかし、やや中性的な美少年とでもいうべき顔つきと冷たい目をした少年である為、非常に近寄りがたい雰囲気を感じさせる子供でもあるのだった。

 眩道斉はその少年を視界に入れると、そこへと向かい歩を進める。

 と、その時。

 眩道斉が完全に中に入ったところで、入口の扉は静かに閉まった。

 初老の男は中に入らず外で待機しているのか、姿は見えない。

 この空間には眩道斉と、この聖樹という少年の2人だけである。

 閉まった扉をチラッと見た眩道斉は、少年のいる机の前に移動する。

 そこで口を開いた。

「安土英章から、こちらに来るように指示があった。貴方が聖樹様か?」

 聖樹は作り笑いを浮かべると言った。

「大森龍司・現在33歳。A県で生まれ育ち、10歳で両親と死に別れ、天涯孤独の身になる。施設に入れられそうになったところを不動幻斉に拾われて呪術の手解きを受ける。修行で身に付けた術の技量を幻斉に認められ、眩道斉の名を師から貰う。以後、呪術世界の裏を歩き続けるようになる。そしてエールの御国の8番目の使徒である安土英章に、その腕を買われ呪殺を担当するようになる。しかし、大沢伊知郎暗殺には成功するものの。その後、鎮守の森に拘束され、吐露の秘薬による拷問を受ける失態をした。だが、その類まれな精神力で術具による拷問を耐えきる。その後、安土英章の手により、無事、鎮守の森施設から脱出。そして現在に至る」

 眩道斉は無言で聞き終えると言った。

「何が言いたい……」

 聖樹はニコニコとしながら続ける。

「あ、怒っちゃった。別に非難してるわけじゃないよ。寧ろ、すごい経歴の持ち主だと思ってね。そういえば、英章さんからの連絡にあったんだけど。眩道斉さんは、生気が吸い取られる日本刀にやられたらしいね。で、どんな日本刀だったの?」

 聖樹の質問を受けた眩道斉は眉間に皺を寄せて、口を真一文字に結ぶ。

 暫く肩を震わせて、絞り出すように言葉を発した。

「……刀は刀だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「へぇ、じゃ見た目は普通の刀ってことか。でもなんか、臭うね。その刀……」

 聖樹はそこで顎に手を当てると、何かを考え込む仕草をした。

 と、その時だった。


 ――【ピロロロッ】――


 机に置かれた1台の電話機が鳴り出したのである。

 聖樹はナンバーディスプレイを見つめた後、電話機のオンフック通話ボタンを押して、受話器を上げずに電話に出た。 

「どうしたの、何かあった?」

 電話機のスピーカーから、落ち着いた口調の声が聞こえてくる。

【聖樹様。契約の書が安置されている地下倉庫に、また侵入者が入り込んだ模様です。どうされますか?】

 聖樹は欠伸をしながら怠そうに言った。

「ああ、ほっとけばいいよ。どうせ、持ち出すなんてできないだろうからさ」

 と言ったところで、何かを閃いたのか。

 聖樹はニコニコとしながら言った。

「あっそうだ。一応、その忍び込んだ人はそのままにしておいてくれる。後で確認したいことがあるんだ」

【わかりました。現場はそのままにしておきます】

「ありがとう。じゃあ、よろしくね」 

 聖樹は軽い口調で返事すると、内線電話を切った。

 そして眩道斉に笑顔を向けると、陽気な口調で話しかけたのである。

「へへ、ちょうど良かったよ。グッドタイミングで、いい判断材料が見つかったんだ。これも、神の思し召しってとこか。というわけで、今から僕と一緒に地下倉庫へ行って、ぜひ眩道斉さんに確認してもらいたい事があるんだ」

 だが、眩道斉はやや眉根を寄せて口を開いた。

「……俺に何を確認させるつもりだ?」

「それは行ってからのお楽しみだよ」

 聖樹は壁時計に目を向けると言った。

「さて、それじゃ地下に着いた頃にはもう終わってるだろうから、そろそろ行くとしようか」――


 ――地下に降りた聖樹と眩道斉、そして初老の男は、幾つかある重厚な鉄扉が連なる通路を進んでゆく。

 そして、その中の一つである、赤い鉄扉の前に立ち止まったのである。

 初老の男は鍵を開けるとノブに手を掛けて扉を開く。

 扉が開ききったところで、聖樹と眩道斉は中へと入っていった。

 すると眩道斉の目には、ダークグレーと呼んでも差支えない、濃い灰色の石板が、すぐに飛び込んできたのである。

 何故ならばこの部屋の中央に、博物館のような展示台に乗せられて、無防備に設置されているからだ。

 見た所は、かなりの年月が経過してそうな石版だと眩道斉は思った。

 それと歴史的価値も高そうな物だとも。

 だが眩道斉は怪訝に思った。

 それは、何故、こんな大事な物を防犯する素振りもなく、こんな無防備に安置しているのかという事である。

 しかし、その疑問はすぐに解決する。

「うひゃぁ。これを見るのは4回目だけど、あんま気分のいい物じゃないなぁ」

 聖樹は石版の置かれた展示台の後ろに回ると、汚物を見た時の様な渋い顔をしながらそう呟いた。

 それから眩道斉を手招きして呼ぶのである。

「眩道斉さん。こっちに来てよ。それと、その石版。契約の書には絶対に触れないよう気を付けてね。僕以外が触ると、エライことになるから」

 聖樹に呼ばれて、眩道斉は石版を避けるように裏へ回る。

 だが眩道斉は後ろに回るなり絶句した。

 なぜならば、そこには白髪のミイラが横たわっていたからである。

 しかも、そのミイラは特殊部隊の様な真新しい黒い衣服を着ていたのだ。

 衣服の真新しさとミイラ化した遺体は、明らかにおかしな組み合わせであった。

 眩道斉はミイラを見るなり眉根を寄せると、怪訝な表情で聖樹に目を向けた。

 するとそんな眩道斉を見た聖樹は、ニコニコと微笑みながら言ったのである。

「眩道斉さん。どう、この見事なミイラ。すごいでしょ。それで、確認してもらいたいんだけど。眩道斉さんが刀に生気を吸い取られた時って、こんな感じになりそうだった?」

 このミイラを見た眩道斉は、恐る恐る石版に視線を向ける。

 またそれと共に、生気を吸い取られた刀とよく似た霊波動を、この石版から眩道斉は感じ取ったのであった。



 ―― 某所 ――



 涼一達が黄泉を滅ぼしてから数日後。

 黒と灰色のシックなスーツに身を包む秀真と麻耶は、以前指示を受けた一室にて、涼一達の監視報告を英章に行っていた。

 室内には50インチ以上はある大きなモニタが設置されており、秀真と麻耶はその両脇に立っていた。

 そして麻耶は今、モニタに再生された記録映像と共に、当時の状況等を英章に説明をしている最中なのであった。


「――で、それらを総合いたしますと、彼はかなりの手練れの者であると思われます。これより以前に彼を監視していた時は、そんな素振りは少しも見せなかったのですが……。ですが今回、英章様の用意した舞台により、あの男、日比野涼一の力の片鱗を見る事が出来ましたので、ここにある資料と共にご報告をさせていただきます」

 紺のスーツ姿の英章は、自身の座る社長椅子に背を持たれながら、麻耶の報告を聞いていた。

 そして麻耶の報告が終わったところで、机に置かれた資料に手を伸ばしたのである。

 パラパラと資料を捲り、あるページの部分に目を向けたまま、英章は麻耶に言った。

「フム。なるほどな、見た事もない火の鳥の術・ハイレベルなハンドヒーリング・ハイレベルな身体強化の呪法か。まぁそれらの近距離映像が見られないのは残念だがな」

 麻耶は深く頭を下げて謝罪する。

「申し訳ありませんでした。私の不注意により、近距離から記録した映像データを壊す結果になってしまいました事を重ねてお詫びします」

 英章は笑みを浮かべると、机の上に置かれたノートPCを操作する。

 するとモニタの画像が、今まで再生されていた遠距離の映像ではなく、上空からの映像に切り替わった。

 秀真と麻耶はその映像が映し出されるなり、ハッと目を見開く。

 何故なら、映っている映像は、あの時の物であったからだ。

 モニタには、あの黄泉という魑魅が涼一を追いかけながら、八門の結界へと入ってゆくところが映っていたのだ。

 2人は英章の顔を見る。

 そこで英章は口を開いた。

「これはある筋から、運よく入手する事が出来た記録映像だ。まぁあの時、この場にいたお前達なら、どういう内容かはもう分かっているだろう」

 秀真は驚きつつも言った。

「英章様……。これは、あの時いたヘリからの映像ですか? この場面は、流石に私達も知りません」 

「ああ、そうだ。だが、このヘリで撮影されていた映像は、宗家と道摩一将によって厳重に管理されていた。しかし、修祓指令車で使った機材に運よく撮影データのキャッシュがメモリに残っていたのだ。それで、この部分の映像だけは、手に入れる事が出来たというわけだ。奴等も即席のネットワークを組んだことで、完全には消去できなかったのだろう」

 英章がそう告げたところで、丁度、涼一が地龍八門の陣を発動させて白く発光した場面になった。

 だが丁度そこで、映像はプッツリと切れてしまったのである。

 秀真と麻耶は、そこで英章に視線を向けた。

 映像が途切れて黒くなったモニタ画面を見ながら、英章は2人に言う。

「2人がもってきてくれた資料には、道摩家に伝わる秘術であの魑魅を滅ぼしたとなっていた。だが今の映像を見ても分かるように、この結界術は、どう見てもこの男が発動している。道摩家とは赤の他人である、この男が中心の術者である以上、これは道摩家に伝わる秘術ではない。という事はこの男の手によって操られた術という事だ」

 麻耶はこの事実に驚き、やや興奮した口調で言った。

「まさか、あの結界術も彼が行使していただなんて……。あんな術まで扱えるとは、一体何者なんでしょうか? 英章様」

 英章は麻耶をチラッと見ると、目を閉じて背もたれに寄り掛かる。

 それから、何かを考えるかのように腕を組むと口を開いた。

「さあな。それはわからん。だが、あの男がこの術を行使したという事は、この魑魅を滅ぼす作戦自体が、あの男の発案によるものと思われる。そしてこの禁呪クラスの結界術を行使した技量を見る限り、奴は相当な呪術理論や技能に精通している筈だ。あの年齢で、ここまで技量があるという事自体が信じられんがな。兎に角、眩道斉がああなったのも、あながち偶然と言い切れん……」

 麻耶は目を閉じる英章に視線を向けると、恐る恐る問いかけた。

「英章様。……この男をこれからどうするおつもりなのでしょうか?」

 英章は椅子から立ち上がると、リモコンボタンを押してモニタの電源を切る。

 そして秀真と麻耶に視線を向け、やや真剣な表情で言うのだった。

「今はとにかく、宗家や一将達に気付かれると不味い。とりあえず、しばらくは様子見だ。我々の仲間となるか。それとも敵となるか。今はまだ早急に判断を下す時ではない」

 英章は机の上にある資料にもう一度目を向けると言った。

「麻耶は引き続きこの男を監視しろ。そして秀真、お前は宗家の動きを引き続き監視してくれ。そして定期的に私に報告するのだ。もし何かあった場合は、すぐに私に報告しろ。以上だ」

 2人は背筋を伸ばすと、英章に向かい真剣な表情で返事をする。

【はい、了解いたしました】

 そして2人はキビキビとした動作で、この部屋を後にしたのであった。



 ―― 6月中旬 ――



 高天智市はここ最近、連日の雨でジメジメとした日々が続いていた。

 日によっては雷注意報等も出ているときがあり、雷雨となる日も時折ある。

 しかし、この時期の天気予報というのは結構大気が不安定な所為か、外れる事も多く、嬉しかったり悲しかったりする場合が多々ある。

 なので、外出するときは折り畳み傘なんか持って出かける事が多い。

 面倒くさいが、今は梅雨に入ったばかり。これも致し方ない。

 お天道様にはどうやっても敵わないので、ただただ自然を受け入れるしかないのだ。

 まぁそれは兎に角。

 今日は土曜日。時刻は午前8時過ぎた頃である。

 という訳で俺は今、修験霊導の儀を行ったあの御霊神社にいる。

 外は雨のせいもあり、神社の屋根から落ちる雨音が、ポタポタと絶え間なく聞こえてきた。

 また湿度も高く、神社本殿の中は俺の住むアパートとよりも、凄くジメジメしているのである。多分、建材等の吸湿力が違うからだろう。

 まぁそれはさておき、何故ここにいるのかというと。

 俺は今、霊術修行の合宿をしているからなのだ。

 因みに1泊2日コースで、前回同様、人払いの結界を張って霊術修行をするというわけである。

 ついでに言うと、メンバーは前回のメンバーとまったく同じである。


 話は変わるが。

 あの黄泉の修祓から少しばかり、俺の周囲で変化があった。

 それは宗貴さんと土門長老を除いた、明日香ちゃんと詩織さんの2名が、沙耶香ちゃん達のマンションへ完全に引っ越してきたのである。

 理由は勿論、古の秘術の修行を始める為だ。

 しかも、明日香ちゃんは高天智聖承女子学院の高等部に転校し、詩織さんに至っては通っていた大学を休んで此方に来たそうなのである。

 だが詩織さんの通う大学は、鎮守の森と関係する人が運営してるらしく、土門長老が何かやらかして単位を不正取得させるみたいなことを言っていた。

 恐らく、休んではいるが通っている状態にするのだろう……。

 俺は聞かなかったことにしようと思い、この事にはあまり触れない様にしたのだった。

 それと宗貴さんだが。

 本当は宗貴さんも此方に引っ越したかったそうだ。が、神代総合商事・取締役・部長という会社そのものを監視する役目と事業部を管理する仕事もある。

 そういう事情もあって、宗貴さんだけは仕事の都合を付けて此方に移動する、という方法しか選択できないようなのだ。

 で、たまには皆でジックリ修行しようという流れから、今回合宿という形になったのである。

 だが一つ懸念事項がある。

 それは修行場所が森みたいなところなので、蚊や虻のような肌からチューチューと血を吸う虫共がいるということだ。

 その為、虫よけのグッズ等も俺は大量に用意してきたのである。

 でも何事も完全にはいかないのが世の常。多少は刺されるのを我慢しなければならないだろう。

 俺は昨日からそんなどうでもいい事に頭を悩ませていたのだった。

 というわけで話を戻す。


 今、俺達は神社本殿の意念霊導の儀とかをやった広間にいる。

 そして俺の前には、全員が床に横一列に並んだ状態なのである。勿論、瑞希ちゃんも一応この中にいる。

 俺のいるポジションは、どう考えても講師とか先生がいる位置だが、これには事情があるので仕方ないのだ。

 で、その事情だが。

 実は鬼一爺さんが、俺に実演をさせて講釈する方法が良いというから、こうなっているのである。

 要するに見本みせものとして、俺はこんな位置にいるのだ。という訳で、少し恥ずかしいポジションでもあるのだった。

 皆の前にいる俺は、恥ずかしさから右手でポリポリとコメカミをかく。

 因みに、鬼一爺さんは俺の隣におり、皆の前に姿を現している状態である。

 結界を施した建物内なので、鬼一爺さんも安心して霊圧を上げているのだ。

 まぁそれは兎も角。

 俺は昨晩、鬼一爺さんに「皆には、何から教えていくのか?」と聞いたら、(何から教えようかのう……)などと曖昧な事を言っていた。

 なので、俺は今から何をやるのか全く知らん状態である。

 そんな訳で、俺は鬼一爺さんから出てくるであろう言葉を待っている状態なのだった。

 鬼一爺さんは皆の顔を見回すと言う。

(フム。では皆に秘術を教えるにあたって、これだけは最低限知っておかねばならぬ。ということをまずは教えようと思う。これは今も昔も関係ない。基本じゃ)

 皆は鬼一爺さんの言葉を聞き、コクリと頷く。

 鬼一爺さんは続ける。

(じゃが、皆は既に霊力の扱いに慣れた者ばかりじゃ。なので、省ける所は省いてゆこうと思う。そこでじゃッ。我が今から、まず皆に教えねばならぬと思っておるのは、己の魂を震わせる真の言霊の音を探す方法についてじゃ)

 皆は口々に「オオッ。言霊の真の音ですか」と驚きつつも真剣に聞き入っていた。

 だがしかしッ!

 これは俺にとって寝耳に水であった。

 俺はジジイの方へ、顔を引き攣らせながら、ゆっくりと振り向いた。

 正直、『何でいきなり、この修行からなんだよッ!』とジジイに文句を言いたいくらいだ。

 何故ならば、自分の言霊の音を探す方法というのは、俺にとってはあまりに恥ずかしすぎる方法なのである。

 しかも、いきなり皆の前で、あんな恥ずかしい事をデモンストレーションしないといけないなんて……。

 俺はジジイの言葉を聞くなり、泣きたくなってきた。

 するとジジイは俺に振り向き、言うのである。

(では、涼一。皆に見本をみせるのじゃ)

 だが恥ずかしい俺はジジイに言った。

「ちょ、ちょっと待ってよ。これは霊体の爺さんでもできるだろ。爺さんが見本を見せりゃいいじゃないか」

(なに言うておる。これは生身の身体を持つ者じゃないと、霊力の変化というものを実感できんじゃろ。訳の分からぬこと言うとらんで、さっさとやれ)

 ジジイは腕を組みながら、口を尖らせる。

「……わかったよ」

 ぐぬぬ。くそ、仕方ない……。

 俺はここで皆の顔を見た。

 すると皆は、興味津々といった感じで俺を見詰めているのだ。

 う、なんか知らんが、超期待されてる。

 見なきゃ良かったなどと思いながら、俺は大きく深呼吸する。

 そして意を決して始めるのだった。

 俺は大股に開いて体を前に曲げる。そして股から向こうの景色が見えるまで体を曲げて、俺は未開の部族の雄叫びのように「アァァァァァアァァァァアァァ」と長ーく発音した。

 その最中、霊力を上げつつ音程を上げ下げしながら、尚且つ、声に強弱をつける。

 そして身体全体の霊力が大きく震えるところで、まず、第一回目の発音を終えたのであった。

 因みに、霊力が震えたのは、俺が既に音を見つけているからであって、初めての人はこう簡単にいかない。

 鬼一爺さん曰く、これを音霊おんりょう体儀たいぎと呼ぶのだそうだ。

 一応、音霊の体儀は全部で十七種類ある。

 要するに訳の分からん奇抜なポージングで、奇妙な発声を沢山するという事だ。

 俺がやった一の体儀を見届けると、鬼一爺さんは言った。

(まぁ今のが、音霊の体儀ちゅう言霊の発声法じゃ。涼一のやったのは一の体儀じゃが、すべて含めると十七の体儀がある。それで、今からこれを皆にやってもらおうと思う。かなり厳しい体勢で発生するのが殆どじゃから、そこは覚悟するのじゃ)

 だが、鬼一爺さんの説明を聞いていた皆は、微妙な顔をしていた。

 明日香ちゃんなんかは露骨に眉根を寄せていたし。

 瑞希ちゃんや沙耶香ちゃんに至っては、恥ずかしそうに俯き気味だった。

 まぁこれは仕方ない。

 だって、超カッコ悪い上に、やってる自分がすごく恥ずかしくなってくる発声法なのだ。

 そして鬼一爺さんは、そんな皆の表情なんぞに構わず、大きな声で言うのであった。

(それでは一の体儀を始めいッ)と。

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