伍拾四ノ巻 ~黄泉 終局
《 伍拾四ノ巻 》 黄泉 終局
――翌朝
俺が目を覚ますと、格子状になった木目の見える天井が目に飛び込んできた。
それから視線を胸元に向けると、俺の上にはフワフワとした布団が掛けられていたのである。
何か頭の中がモヤモヤとしている俺は、ハッキリしない違和感を感じ始める。が、その違和感が何なのかわからない。
とりあえず俺は、首を動かして右側へ視線を向けた。
すると、窓から射し込む眩い朝日が、俺の目に飛び込んでくるのであった。
俺は眩しさのあまり、右手で日光を遮る。
どうやら、もう朝の様だ。
窓から見える外の光景を見て俺はそう判断すると、次に、首を動かして左側へと視線を向けた。
俺の左側には2つ布団が俺と同じ並びで畳の上に敷いてあり、今は2つ共、掛け布団が捲れ上がった状態になっている。
この掛け布団の状態は、どうみても、誰かが寝ていたであろう痕跡だ。
今の状況を見た俺は考える。
それは勿論。何故、俺は此処で寝ているのかという事と、この2つの布団には誰が寝ていたのだろうかという事をである。
まだ目覚めたばかりで、頭の中がはっきりとしないながらも、俺は記憶を辿ってゆく。
するとそうやって考えている内に、段々と記憶も蘇ってくるのである。
そして完全に思い出すと共に、俺はガバッと上半身を起こして口を開くのであった。
「そ、そういえば……俺。確か、黄泉と戦ってた筈。黄泉はどうなったんだ一体……」
とその時だった。
俺の背後から、誰かが話しかけてきたのである。
(お、目が覚めたようじゃな、涼一)
それは鬼一爺さんの声だった。
俺は鬼一爺さんに振り向くと言った。
「あ、ああ……おはよう、鬼一爺さん。……と、ところでさ、黄泉はどうなったんだ?」
鬼一爺さんはニコリと微笑むと言った。
(安心せい。あの魑魅は、完全に滅んだ。お主のお蔭でな)
「そうかぁ……よかった」
俺は、ホッと胸を撫で下ろす。
またそれを聞いた安心感からか、強張った肩の力も抜けたのだった。
鬼一爺さんはそんな俺を見ながら言った。
(しかし、あの段階でアレを始末できてよかったわい。あれ以上知恵を付けられると、手が付けられぬ様になってたかもしれんからのぅ……)
俺は鬼一爺さんの言葉を聞くと共に、昨晩の事を考える。
そしてあの化け物の姿を思い起こすのであった。
その瞬間、俺は身震いする。
何故ならば、あの巨大で禍々しいあの化け物に、追いかけ回されていたのを思い出したからだ。
俺は言う。
「確かにね。……でも、黄泉って名前がピッタリの化け物だったなぁ。まさか、あの液体が奴の正体だったなんて……」
鬼一爺さんはゆっくりと頷きながら言った。
(涼一の言うとおり、正しく、黄泉であったのぅ。我の記憶が正しければじゃが。黄泉という言葉が生まれた大陸じゃと、黄泉は地下の泉という意味だったと記憶しておる)
「地下の泉?」
(うむ。死者の魂は大地に帰るからの。じゃから地下の泉は、死者の国という意味になったのじゃろう)
トリビア的ではあるが、中々、勉強になる話である。
鬼一爺さんは続ける。
(まぁそれは兎も角じゃ。生命と地中にある水気を取り込んで、あの魑魅は成長してきた事を考えると、正しく、黄泉そのものであったの。あのまま放っておいたら、本当に、化け物自体が黄泉の国になっていたやもしれぬわい)
俺は頷くと言った。
「本当だよね……。あれ以上、強大になってたら、エライことになってたと思う」
(……じゃが、これもまた、人の世が生み出した悲しき化け物なのじゃろう。実に恐ろしきは、このような魑魅を生み出す人の世かもしれぬな)
そう言うと共に、鬼一爺さんは物悲しそうに遠くを見るのだった。
俺もなんかやりきれない気分になったきた。
だがその時。
鬼一爺さんは何かを思い出したのか、手をポンと打つ。
それから俺に視線を戻して言うのだった。
(おお、そういえばお主。あの液体に捕らわれた時の事は覚えておるかの?)
「勿論、覚えているよ。あの時は、流石に死ぬかと思った……」
アレは、今、思い返しても身震いがする出来事である。
だが、それを聞いた鬼一爺さんは、やや真剣な表情で聞いてきたのだ。
(ならばお主……。あの時、どうやって液体の中から出てきたのかは、覚えておるのか?)
「あの時か……」
俺はあの時の事をもう一度思い返す。が記憶にない為、俺はこう呟いた。
「……覚えてない。けど、鬼一爺さんが助けてくれたんだろ?」
だが俺がそう聞くや否や、鬼一爺さんは眉間に皺を寄せて怪訝な表情をする。
そして首を左右に振って、静かに話し始めるのだった。
(いや、我が助けたのではない……。あの時、お主は自らの力で出てきたのじゃ。しかも、我が教えていない術を使っての)
「エッ……それってどういう事?」
俺は意味が分からなかったので即座に聞き返した。
鬼一爺さんは言う。
(……お主はあの時、孔雀法・除魔光翼の印を行使して奴の中から出てきたのじゃ)
「クジャクホウ・ジョマコウヨクノイン……何それ?」
聞いたことがない名前である。
なんか知らんが、俺がこの術を使ってあの中から出てきたらしい。
不思議な話だ。
俺が首を傾げる中、鬼一爺さんは続ける。
(まぁ教えてない術じゃから、それが当然じゃろう。今、我が言うた孔雀法というのは、役小角様が編み出した七つある秘奥義の総称じゃ。で、その内の一つが、一切の魔を振り払うといわれる除魔光翼の印という秘術なのじゃよ)
話を聞いてると凄い術と言うのは伝わってくる。
だが、イマイチ信じられない為、俺は言った。
「今の俺じゃ使えそうにない術の様に聞こえるけど。……本当に、俺がそれを使ったの?」
鬼一爺さんは頷くと、難しい表情をしながら言った。
(それは間違いない。我が目の前で見ておったからの。じゃから、お主はあの中から出てこれたのじゃよ。じゃが……あれはかなり難解な術じゃから、我も不思議に思うておったのじゃ。教えてもおらぬ上に、今の涼一では無理な術じゃからの)
「ふ〜ん……。でも、苦しくて意識が遠のいたとこしか覚えてないよ」
俺は鬼一爺さんの話を聞きながら、色々と記憶を辿るが、全くその時の事は思い出せないのである。
しかし、息苦しくなって意識が遠のいたところまでは覚えてるのだ。
問題はその先の事である。
だが、いくら考えても分からない為、俺は困ったように首を傾げるのだった。
そこで鬼一爺さんは言った。
(まぁええわい。覚えとらんのなら、これ以上考えても分からんじゃろう)
「だけど気になるなぁ……その俺が使ったクジャクホウ・ジョマコウヨクノインというの」
俺は何気なくその術の名を考える。
多分、クジャクというのはあの孔雀だろう。
と、そこで俺はある事を思い出した。
その為、それを鬼一爺さんに尋ねるのだった。
「そういえばさ。以前、ネットで役小角様の事を調べてたら、孔雀明王の呪法を会得したとか書いてあったけど。これのことなの?」
だが、今の話を聞いた鬼一爺さんは、首を左右に振ると言った。
(涼一。孔雀法は、密教呪法の孔雀明王経法とはまた別の術じゃ。それに、役小角様は密教僧ではない。言ったじゃろ、編み出したと。まぁ多少は参考にしたかもしれぬ。が、これは役小角様が独自に編み出した術じゃわい)
「ふ〜ん、別の術なのか……。まぁいいや、それより、腹減ったよ。フワァァ」
俺はそう言うと、両手を広げて大きく欠伸する。
それから、部屋の隅にあるテレビと共に置かれたデジタル時計に目を向けた。
今の時刻は7時半。
俺は時間を確認すると共に、7時から8時半までが朝食だと、昨日、説明があったのを思い出した。
もう朝食の時間だと思った俺は、布団から出て立ち上がる。
だが立ち上がろうとした、その瞬間。
「痛ッ!」
足の太ももにズキンと痛みが走ったのだ。
またそれと共に俺は顔を顰めたのであった。
多分、負担のかかる術を使いまくった後遺症だろう。まぁ予想はしてた事だが……。
とりあえず俺は、痛い足を我慢しながら立ち上がる。
だが立ち上がると共に、俺は着ている服に違和感を感じたのだった。
何故なら、自分のではないジャージの様なものを着ていたのだ。
昨晩は修祓霊装衣を着ていたので、恐らく、誰かが着せ替えてくれたのだろう。
などと思っていたその時。
この部屋の扉が、ガチャッという音と共に開かれたのであった。
扉が開かれると、そこからは宗貴さんと一樹さん、それと明日香ちゃんの3人が現れた。
そして3人は俺の顔を見るなり、笑顔を浮かべて部屋の中へと入ってきたのである。
3人は共に私服姿で、やって来た時と同じ格好をしていた。
俺はそんな3人に頭を下げて朝の挨拶をする。
「3人共、おはようございます」
「おはよう」と3人も挨拶を返してくる。
そこで宗貴さんは言った。
「どうだい、日比野君。体の調子は?」
「今のところ、少し怠いのと筋肉痛があるくらいですかね。まぁ、昨晩はかなり無理したんで、その後遺症が出てるんだと思います」
俺はそう言いながら、太ももの辺りを揉んだ。
するとそれを見た一樹さんが、ホッとした表情で口を開く。
「それは良かった。昨晩、父と2人で日比野君を運んだんだけど、かなりグッタリとしてたから心配だったんだよ」
「一将さんと一樹さんが運んでくれたんですか? ……すいません、ご迷惑をおかけして」
俺は意外な事実を知った為、とりあえず頭を下げた。
一樹さんは首を振ると言う。
「いや、いいんだよ。鬼一法眼様から、日比野君にかなり無理をさせた、と聞いてるからね。感謝しなきゃいけないのは、コチラの方さ」
「そ、そんな気にしないで下さい。ところでこの服は、誰のなんでしょうか?」
俺はそういうと共に、自分の着ているジャージに目を向ける。
一樹さんは言う。
「ああ、それかい。俺のだよ。車の中に入れておいたのがあったから、出してきたんだ」
「すいません。ありがとうございます」
俺はなんか重ね重ね迷惑をかけた気がしてので、もう一度礼を言った。
「そんなに気にしないでいいよ」
と言うと共に一樹さんは右手を左右に振る。
するとそこで明日香ちゃんが俺に言うのだった。
「ところで日比野ッチ。私達、今から朝食に行くけど、どうする?」
俺は時計に視線を向けると言った。
「実は、そろそろ食べに行こうかなと思ってたんだ」
俺の言葉を聞いた宗貴さんは、廊下を指さすと言う。
「じゃあ、一緒に行こうか」と。
「はい」
俺の返事を合図に、俺達は一階にある食堂へと向かうのであった。
部屋を出た俺達は、エレベーターを使って一階に降りる。
それから、ロビーの脇の方にある食堂へと向かい歩を進めた。
だがその途中。
フロントにいる中年の男の人が一樹さんを見るなり、呼び止めたのであった。
「あの、道間様。少し、よろしいでしょうか?」
一樹さんは頷くと、フロントへと向かい進んでゆく。
そしてカウンターにいる男の前に行くと口を開いた。
「はい、何でしょうか?」
すると男の人は、カウンターの下の方から一枚の白い封筒を出してきた。
それを一樹さんの前に差し出すと、丁寧な口調で言うのである。
「実は先程、ある女性の方から、この封筒をお預かりしたのです。それで、道間様のお連れ様であられる日比野様という方に、これをお渡ししてほしいと頼まれまして」
「これを日比野君に……ですか」
一樹さんはそう言うと、怪訝な表情になる。
またそれと共に、俺へ視線を向けるのであった。
俺は今のやり取りが聞こえていたので、フロントへと移動する事にした。
すると宗貴さんと明日香ちゃんも、俺の後ろからついてくる。
俺は一樹さんの前に行くと言った。
「なんか、俺の名前が聞こえたんですけど。どうかしたんですか?」
一樹さんは、カウンターに置かれた封筒を見ながら言った。
「俺もよく分からないのだが。ある女性が、これを日比野君に渡してほしいとフロントへ来たそうなんだ。心当たりはあるかい?」
この地には縁も所縁も無い為、俺は首を振ると言った。
「いえ……ありません。ここに来ているのは、誰も知らない筈なので」
「……そうか。じゃあ、念の為、一緒に中身の確認をしよう。何らかの呪詛が施されている可能性もある」
今の言葉を聞いた俺は、やや口元をヒクつかせる。
そしてゴクリと生唾を飲み込むと言うのだった。
「そ、そうですね。……お、お願いします」
俺の反応を見た一樹さんは、とりあえず、フロントからその封筒を受け取る。
それから俺達は、ロビーに置かれたテーブルとソファーがある場所へと移動するのである。
一樹さんはテーブルの上に封筒を置くと俺の顔を見る。
またそれと共に、やや重い口調で言うのだった。
「じゃあ、中を見るよ?」
俺は無言で頷く。
それを見た一樹さんは、糊付けしてある部分に指を掛けて、ゆっくりと捲り始めた。
封筒の口が開くと、中には一枚の便箋が入っていた。
一樹さんはそれをテーブルの上に、ゆっくりと広げる。
そして俺達は、恐る恐るその便箋を覗き込むのである。
だが俺達の予想とは裏腹に、便箋にはこう書かれていたのだった。
――日比野様へ
突然、こんな手紙に驚いてるだろうと思います。
でもどうしてもお礼を言いたくて、手紙を書く事にしました。
あの化け物に食べられそうになった時、助けてくれてどうもありがとう。
私もあの時は、死ぬのを覚悟したわ。
でも貴方が、あそこで私を救出してくれたお蔭で、私は助かる事ができた。
だから、そのお礼を言いたかったの。
本当にありがとうございました。
それと……ちょっと惚れちゃったかも。
ま、とりあえずそういう訳だから。
じゃあね。バイバイ――
といった内容の文章が書かれた便箋が入っていたのである。
それを見た俺達は、しばらく無言で固まる。
勿論、予想していたのと全然違う、斜め上の文書だったからだ。
するとそこで、ニコヤカに明日香ちゃんが口を開くのだった。
「やるじゃん、日比野ッチ〜。惚れちゃったかも、だって。結構、隅に置けないね、日比野ッチも」
それに続いて、宗貴さんと一樹さんもなんか気まずそうな表情になる。
一樹さんは頭をかきながら言った。
「ごめんね。全然、予想してたのと違ったよ。ハ、ハハ」
俺も釣られて愛想笑いを浮かべると言った。
「実はあの時。応援部隊の方が1人襲われたので、多分、その方だと思います。というか、救出したのその方だけですから」
宗貴さんも気まずそうに言った。
「ま、まぁ……大した内容じゃなくてよかったよ。さて、それじゃあ、朝食に行こう」
という訳で、俺達は気を取り直して、また朝食へと向かうのであった。
―― それから3時間後…… ――
俺達は長い道のりを進みながら、ようやく高天智市へと到着した。
昨日出発したばかりなのに、なぜか久しぶりという感じがする。不思議だ……。
だが、見慣れた景色と言うのは妙に安心感を与えてくれる。
その為、俺は高天智市の風景を見て、ホッとした気分になるのであった。
まぁそれはさておき。
俺達は今、一樹さんと沙耶香ちゃんが住むマンションへと向かっている。
何故かというと、合同修祓訓練に参加した者達だけで、一旦、今回の事を総括する事になったのである。
また、マンションには瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんと詩織さんの3人も待機しているそうだ。
3人も色々と雑用で手を貸してくれたそうなので、それらの労いも含まれているのだろう。
とりあえず、そういった事から俺達はマンションに向かっているのであった。
それと話は変わるが。
あの後……。俺達は、今回の黄泉の修祓に関わった人達へ、最後に挨拶をする事になった。
これは一将さんの立場上、どうしてもやらなければいけない事なので、仕方がないのだ。
そして俺も当然、そこで参加した浄士の方達や八門を担った方々達と、一応、握手や挨拶をしてきたのである。
だがその時。
龍潤さんという人が俺にこう言ったのである。
「日比野君は、一将さんの秘蔵のお弟子さんらしいですね。あまり他言はしないでほしいと言われました。まぁそれは兎も角。私も道摩家とは古い付き合いなので、これからも宜しくお願いします」
俺はこれを聞くなり、2人の人物を想像した。
それは一将さんと土門長老である。
2人は恐らく、色々と都合の悪い事が出てきたので、こういう設定を付け加えたのだろう。
まぁ俺も成り行き上とはいえ、結構、古の秘術を使ったので仕方がない。
その為、この2人には悪いことしたなと、朝から頭が下がりっぱなしなのである。
という訳で話を戻す。
高速道路を降りた俺達は、15分程車を走らせたところで、ようやくマンションへと到着した。
マンションの住戸前に来たところで、一樹さんは呼び鈴を押す。
少しするとガチャリと扉が開き、沙耶香ちゃんと瑞希ちゃんと詩織さんの顔が目に飛び込んできたのである。
3人は俺達の顔を見るや否や、ニコリと微笑む。
そして丁寧な仕草で、労いの言葉を掛けてきたのであった。
「大変、お疲れ様でした。中で、ごゆっくりお休みください」と。
俺は3人の表情を見ると、なぜかホッとした。
それと共に随分と長い間、3人の顔を見てなかったような気分にもなったのである。
恐らくこれは、黄泉の戦いがそれほどに大変だったという事なのだろう。
普段の生活を忘れさせるくらいに……。
まぁそれは兎も角。
俺達は3人に笑顔で挨拶すると、中へと入ってゆく。
そして全員がリビングに揃ったところで、一将さんが口を開くのであった。
「では疲れているところ早速で悪いが、また昨日の様に話をさせてもらいたい」
一将さんはそう言うと、今度は俺に視線を向けて言った。
「日比野君。鬼一法眼様へ、ご出現していただける様に伝えてくれぬか」
だが鬼一爺さんは俺が言うまでもなく、霊圧を上げて姿を現した。
そして皆の顔を見回しながら言うのである。
(フム。一将殿、あれの締めを此処でするのかの?)
一将さんは鬼一爺さんに一礼をすると言った。
「はい。是非、鬼一法眼様にもご参加いただきたいのです。鬼一法眼様のお力が無くば、此度の事態。恐らく、こんなにも早く解決することは出来なかった筈ですから」
(まぁよかろう)
というと、鬼一爺さんは一将さんに上座へ案内される。
そして今度は鬼一爺さんを知る者達だけで、黄泉の総括が行われる事になるのであった――
―― それから30分後。
俺達は鬼一爺さんの話を中心に、黄泉との戦いについての再検証をしていた。
話の内容は、黄泉との戦いであった内容を事細かに説明するというものである。
だが説明の殆どは、作戦の要となっていた俺と鬼一爺さんであった。
どちらかというと、一将さん達に見えなかった部分や俺が使った術を説明している感じなのだ。
その為、総括と言うよりも、ある種の勉強会みたいな感じになっているのであった。
まぁ聞いてくることが、あの地龍八門の陣や八龍降魔の陣についてが殆どなので、かなり偏った勉強会ではあったが……。
というか、黄泉の戦いに参加した俺以外の4人は、やはり、あの地龍八門の陣が衝撃的だったようである。
あそこまで強力な術と言うのは、現代霊術ではないそうなのだ。が、許可なく地霊力を使うことは禁止されている為、鎮守の森ではそういった術を禁呪扱いにしているとも言ってはいたが……。
まぁそれは兎も角。
それでも凄い術だと、土門長老や一将さんは絶賛していたのである。
鬼一爺さんはそれを聞くなり、気分が良くなったのか、終始笑顔だった。
また調子に乗って余計な事を閃かないか、注意が必要だ。
それはさておき。
もう再検証の方は済んだので、一応、この黄泉の総括はこれで終了だ。
なので、此処に来た最初の方と比べると、だいぶ場の雰囲気も落ち着いたものになっている。
皆は楽な姿勢で、各々が飲み物や茶菓子類をつまみながら、鬼一爺さんの話に耳を傾けているのだ。
かなり和んだ雰囲気である。
俺はそんな光景を見ながら、リビング内のやや広いスぺースに移動して、少し休むことにした。
実はまだ体には疲れが残っているので、横になりたかったのである。
俺はそのスペースに腰を下ろすと、大きく背伸びをしながら首を回す。
と、その時。
瑞希ちゃんが声をかけてきたのだった。
「お疲れ様でした、日比野さん。今回は、大変だったみたいですね。肩でも揉みますよ」
瑞希ちゃんはそう言うと共に、俺の背後へ回る。
そして微妙な力加減で、俺の肩をマッサージしてくれるのだった。
なんか知らんが、すごい気持ちが良かった。
多分、体を酷使したから、かなり疲れていたのだろう。
すると、そんな俺達を見た沙耶香ちゃんは即座に俺の横にくる。
そして言うのである。
「日比野さん。だいぶお疲れの様なので、私は腕の方をマッサージをしますわ」
だが沙耶香ちゃんは俺でなく、瑞希ちゃんの方を向きながら言っていた。
なんか知らんが、また、あの空気に変わるみたいだ。
などと思っていたその時。
今度は詩織さんが、お盆にお茶を乗せて俺の横に来たのである。
そこでニコリと微笑み、口を開くのだった。
「はいどうぞ。日比野君も疲れたでしょう〜。さ、熱いうちに飲んでリラックスして下さい」
「あ、どうも。ありがとうございます、詩織さん」
と言った俺は、詩織さんにニコリと微笑み返す。
だがしかし……何かが変なのだ。
3人の様子がおかしいのである。
共に3人は笑顔なのだが、微妙に負の波動が感じられるのである。
これは一体どういう事だ……?
などと思いながら俺はお茶を口に運ぶ。
だがその時だった。
【鬼一法眼様ッ、お話がありますッ】
という、やや畏まった明日香ちゃんの声が聞こえてきたのであった。
―― 一方、明日香 ――
明日香は涼一と鬼一法眼の話を聞きながら、別の事を考えていた。
それは昨日、鬼一法眼から出された課題についてである。
黄泉との戦いや、自身が今まで歩んできた経験を検証していくにつれ、明日香には何かが見えて来たのだ。
また、このマンションに来てからというもの、それが大分形になって明日香の脳裏に出来上がってきたのである。
そして完全にある形となって見えた時。
明日香は居ずまいを正して、鬼一法眼に言ったのであった。
【鬼一法眼様ッ、お話がありますッ】と。
この場にいる全員が明日香へと視線を向ける。
またそれと共に、明日香の仕草と声の張りが、やや緩やかだったこの場を緊張感のある場へと変えたのだ。
他の者達は固唾を飲んで、ジッと成り行きを見守ろうとしている。
そんな中、鬼一法眼は一息吐くと口を開くのだった。
(なんじゃ、明日香。言うてみい)
明日香は目を閉じて、更に背筋を伸ばすと言った。
「鬼一法眼様が仰っておりました、私に足らないモノというのが、ようやく、分かったのです」
(ほう……。で、それは何じゃと思う?)
明日香は目を開き、鬼一法眼に視線を向ける。
それからゆっくりと話し始めた。
「私は今まで、自分の事ばかり考えて、周りの事をあまり気にしておりませんでした。そしてそれを悔い改める事もしませんでした。今回、兄が負傷したのを受けて、ようやくそれに気づかされたのです」
一拍、間をおいてから明日香は続ける。
「鬼一法眼様が仰られた私に足らないモノ……。それは……【物事を見定める目とそれに対処する思考】であります」
明日香は言い終えると、ジッと鬼一法眼を見詰める。
一方の鬼一法眼は、明日香の言葉を聞くと共に、暫し、目を閉じるのであった。
その間、この室内は重苦しい雰囲気が漂い続ける。
鬼一法眼は、20秒程沈黙したところで、ようやく目を開く。
またそれと共に口を開くのであった。
(フム……惜しいのう……。実に惜しい。そこまで気付いたのじゃったら、もう一声欲しかったの……)
明日香はそれを聞き、若干、俯く。
そんな明日香を見ながら、鬼一法眼は仕方ないとばかりに言った。
(明日香、もう一つじゃ。出てこんか?)
「あと一つ……」
明日香はそう呟きながら目を閉じて考え始める。
だが、イマイチ考えが纏まらないのか、時折、首を左右に振る仕草をする。
そして5分後。
明日香は弱々しい声と共に、やや俯き加減で鬼一法眼に言うのであった。
「……私が浅はかな行動をしすぎるという事でしょうか?」
しかし、その言葉を聞いた鬼一法眼は、困った表情で言った。
(惜しいのぅ。本当に、今のは惜しいわい。まぁええ。答えを言うとじゃな。お主には今言った事の他に、力を使うという事に対しての責任というモノが足りんのじゃよ。力というものは使う者によって善の力にも、悪の力にもなる。ゆえに、秘術を使う者には、この責任が一生付き纏うてくるのじゃ)
鬼一法眼の言葉を聞いた明日香は、やや肩を落としながら口を開いた。
「力を使う責任……。そこまでは考えが及びませんでした」
明日香を見ながら鬼一法眼は言う。
(要するに、お主は己の持つ力を簡単に使いすぎるのじゃよ。だがの、力というのはそう簡単に使うべきものではない。今、お主が言うた様に、使う際は物事を見定めて、如何に使うかも重要じゃしのぅ。と、ここまでは答えてほしかったの……)
今の言葉を聞いた明日香は、俯く頭を上げて鬼一法眼に顔を向ける。
そして恐る恐る尋ねた。
「……では、やはり不合格……なのでしょうか?」
(どうしようかのぅ……)
すると鬼一法眼は困った様な表情をしながら顎に手を当て、天井を見上げるのであった。
明日香の中では『もう駄目かもしれない』という諦めの様な感情が漂い始めていた。
その為、どんな決断を下されようとも、ある程度は納得はしていたのである。
だがその時。
明日香の脳裏に、詩織が昨日言ったある言葉が思い浮かんできたのだ。
また、思い浮かんだ言葉を元に、ある言葉が明日香の脳裏に生まれてきたのである。
そして、それを言うべきか言うまいかが、明日香の脳内でグルグルとまわり始めるのであった。
明日香は思う。
今、これを言ったところで、本当に効果があるかどうかは分からない。
けどダメ元で、最後の悪足掻きくらいしてみよう、と。
そう決心した明日香は、意を決して顔を上げる。
それから真剣な表情になり、鬼一法眼に向かってその言葉を口にしたのであった。
【力を持つ責任を考えて、これからも精進してゆきます。ですので、私にも平安の世の秘術をお教えください。御老公様ァァ!】
―― 一方、涼一 ――
俺は明日香ちゃんと鬼一爺さんのやりとりを固唾を飲んで見守っていた。
そして、明日香ちゃんの形勢が悪くなりだした頃、異変が起きたのである。
明日香ちゃんが、突然【御老公様ァァ】という言葉を発すると共に、鬼一爺さんに向かって土下座をしたのだ。
またその瞬間。
鬼一爺さんは動きのすべてを静止したのだった。
俺は嫌な予感が脳裏をよぎる。
何故ならば、今、明日香ちゃんの言った言葉は、決して俺は口にしないでおこうと思っていた言葉に他ならないからである。
だから、嫌な予感がしたのだ。
とその時だった。
鬼一爺さんは突然、俺達に背を向けて、後ろを向いたのである。
そして背を向けたまま、明日香ちゃんに話しかけるのであった。
(明日香……どうしても身につけたいか。我らの秘術を)
「はい、御老公様ッ」
明日香ちゃんは土下座したまま、尚も、その危険な単語を言う。
俺はジジイの様子が変な為、立ち上がってジジイの横に移動する事にした。
そしてそこからジジイの顔を覗き込むのである。
すると案の定だった。
このジジイは思った通り、だらしのない至福の表情を浮かべていたのである。
しかも、皆には見えない位置なので、当然、このジジイの表情は俺以外分からないのだ。
俺は一瞬、ジジイのこの表情を皆に見せてやりたい衝動に駆られる。
だがジジイは、横にいるそんな俺を無視して口を開くのだった。
(明日香……我は魑魅魍魎の蔓延る世の、世直しをしたいと思うておる。その為じゃったら秘術を教えても良い。じゃが、世直しの道は厳しい。それでも尚、教えを乞うか?)
明日香ちゃんは顔を上げて笑顔を浮かべると言った。
「はいッ、御老公様ッ」
鬼一爺さんは、だらしない顔を元に戻して、また明日香ちゃんに振り向く。
そして口を開いた。
(よかろう。じゃが、忘れるでないぞ。力の使い方を誤らないように、お主はこれから自身の力に責任をもつのじゃ。またその修行も、我はお主に与えるからの。よいな)
明日香ちゃんは、晴れやかな表情で、更に頭を垂れると言った。
「はいッ。ありがとうございます。これから頑張りますッ」
(カッカッカッ。精進いたせ、明日香や。カッカッカッ)
鬼一爺さんはもはや完全に黄門様状態である。
また俺と明日香ちゃんを除いた8人は、ポカーンと口をあけて今のジジイを眺めているのだった。
多分、鬼一爺さんの変化に驚いているのだろう。
いや、もしかすると、ただ単に、付いて行けないだけなのかもしれない。
とりあえず、そんな感じなのだ。
この後の展開が思いやられると考える俺は、額に手を当てて溜息を吐く。
またそんなジジイを見て疲れたので、俺は元の位置に戻って腰を下ろすのであった。
するとそんな俺を見た詩織さんは、ニコヤカに言った。
「日比野君。鬼一法眼様って、いつもああなの〜」
俺は頷くと言った。
「そうなんですよ……。特に水戸黄門を見終わった後なんかは、あんな感じですね」
「へ〜お爺さんて、水戸黄門が好きなんだ」と瑞希ちゃん。
「そうだよ瑞希ちゃん。だから、あまり鬼一爺さんの前では水戸黄門の話はしないでね。俺が後でひどい目に遭うから」
そう言うと共に、俺は拝むような仕草をする。
瑞希ちゃんは頷くとニコリ微笑んで言った。
「分かりましたよ。なるべく、しない様にします。日比野さん、本当に嫌なんですね」
俺は無言で瑞希ちゃんに頷く。
と、その時。
明日香ちゃんが俺達の所にやって来たのである。
そして、詩織さんにウインクしながら言うのだった。
「お姉ちゃん、ありがとう。お姉ちゃんのお蔭よ」
「……私のお蔭?」
詩織さんは意味が分からないのか、首を傾げる。
「そ、お姉ちゃんのお蔭」
明日香ちゃんはもう一度そう言うと、今度は俺に視線を向ける。
そして言うのだった。
「じゃあ、日比野ッチ。そういう訳で、これからヨロシクね」と。
だが俺は、明日香ちゃんに今の事を注意しておかなければいけない為、それをまず言った。
「明日香ちゃん、それはいいけど。鬼一爺さんには、なるべく、水戸黄門の話はしない方向でお願いしたい。後で、俺がひどい目に遭うから」
「へ? そうなの。でも、それはできないわね。今、世直しに協力するって言ったばかりだもん」
俺はゲンナリしつつ拝みながら言った。
「ええ、そこを何とか。頼むよ、明日香ちゃん。……ン?」
と、俺が言ったその時。
沙耶香ちゃんが、俺の横に手を伸ばしてきたのである。
そして何かを拾い上げると、俺に言うのだった。
「日比野さん。今、上着のポケットから封筒が落ちましたよ」と。
沙耶香ちゃんの手に持つ白い封筒を見た俺は、一瞬、何か分からなかった。
だがじっくり見るにつれて、助けた女性からのお礼の手紙だと思いだした。
すると明日香ちゃんはそれを見るや否や、ニタリと小悪魔的な笑みを浮かべながら言うのであった。
「ああッ。確かその封筒って、日比野ッチに惚れたとか言ってた、女の人の手紙が入ってるやつじゃない」
その瞬間。
物凄い負の波動が、3人の女性から放たれたのである。
その3人とは……瑞希ちゃんに沙耶香ちゃんに詩織さんだ。
他の2人は兎も角。詩織さんまでがこんな負の波動を出すなんて……。
などと思っていると、3人は負の波動を発しながら笑顔を浮かべる。
またそれと共に、低い声色で俺に向かい口を開いたのであった。
【何ですかッ、その惚れたとかいう話は……】と。
俺は3人の妙な気迫にたじろぎ、生唾を飲み込む。
「ちょ、3人共。お、落ち着いて……ね?」
3人はズイッと俺に迫ってくる。
俺は身の危険を感じ始めた為、ゆっくりと後退りをした。
とその時。
瑞希ちゃんが、沙耶香ちゃんに言うのであった。
「道間さん。ちょっと、その封筒の中身を見せてくれる……」
「わかったわ、高島さん……」
と、沙耶香ちゃんは言うと、封筒の中からあの便箋を取り出す。
そして3人は、それに目を通すのである。
だが、その内容を見るにつれて、3人は更に負の波動を高める。
またそれと共に、俺は一瞬、仁王の様な幻を3人の頭上に見た気がしたのだった。
俺はそんな3人を見ながら、こう思った。
これから俺は一体どうなるのだろうかと……。
そして天目堂で源さんの言っていたあの言葉が、また、脳内で再生されたのであった。
【お主……女難の相が出ておるの。カカカカッ、せいぜい気をつけるんじゃな――】