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霊異戦記  作者: 股切拳
第参章  古からの厄災
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伍拾壱ノ巻 ~黄泉 九

 《 伍拾壱ノ巻 》 黄泉 九



 ――俺達は摩利支天隠形法を行使しながら、農道を通って徐々に黄泉へと向かい突き進む。

 周囲に目を向けると、辺りには大量の悪霊共が俺達の周囲を飛び交っていた。

 その光景を見るなり、俺達は今、濃い瘴気の真っ只中にいると改めて実感させられる。

 またそれと共に、背筋に寒いものが走るのであった。

 昔の人が言ったことわざで今の状況を言い表すならば、正しく、虎穴に入らずんば虎子を得ずである。

 安全ばかりを考えていては何もなしえないというという事だ。

 だが、とは言うものの、悪霊共は俺達の存在に気付いていないようだ。

 ただ、俺達の周囲を平然と飛んでるだけである。

 つまり今の状況は、摩利支天隠形法によって黄泉と悪霊から上手く姿を隠すことに成功をしたという事を意味するのだ。

 しかし、良い面ばかりでもない。

 実はこの隠形法。行使している間は悪霊達も俺達の霊波が分からないが、自分達も悪霊の霊波が分からないのである。

 さっき2人にこの術は大丈夫そうですか? と聞いたところ、隠形法を行使している間は、周囲の濃い瘴気は感じられないので、それが不安だと言っていた。

 要するに摩利支天隠形法を行使している間は、霊的技能の内、霊波探導の技能を封印する事にもなるのである。

 以前、土蜘蛛退治をした時に鬼一爺さんから隠形結界を習ったが、それと同じ現象が起きているのだ。

 で、こうなると物事の判断は、目と鼻と耳を頼りにするしかない。

 その為、俺達はいつも以上に周囲の物音や悪霊に注視しながら、黄泉の世界を進んでいくのであった。


 濃い瘴気の中に続く農道を歩き始めてから暫くすると、T字路になった所に差し掛かる。

 と、その時。

 俺達の右真横から伸びる農道に、モゾモゾと動く何かが近づいてきたのであった。

 俺は身構えると共に、両脇で隠形印を組む2人に小さな声で言った。

「宗貴さんに一樹さん。……右側の農道から何かが来ます」

 2人はハッと其処に振り向く。

 一樹さんは目を細めると言った。

「あの感じ……動物のような動きだ。だが、こんな瘴気の濃い所に犬等の動物は生きていられない筈……」

 宗貴さんは言う。

「……とりあえず、隠形法を続けながら様子を見よう。今ここで印を解くと、すべてが台無しだ」

「わかりました」と俺は返事すると、ジッとその先を注視する。

 だが、そのモゾモゾと動く何かは、何故か知らないが、俺達へと近づいてきたのだ。

 もしかして隠形法の効果がない、悪霊や物の怪の類がいるのだろうか?

 などと考えていると、その何かは俺達へと目標を定めたかのように接近してきたのだった。

 俺はゴクリと生唾を飲み込み、ソレを凝視する。

 そして、ソレが俺達の目の前に来たその時。

 ソレは俺達に向かって小声で話しかけてきたのだった。

「アレ? お兄ちゃんに日比野ッチ、それに一樹さんまで。こんな所で何してるの?」

 俺達に近づいてきたのは、なんと、明日香ちゃんであった。

 するとそれを見た宗貴さんは、やや怒りを抑えつつも小声で言うのである。

「それは俺のセリフだ……。さっき、爺さんから無線で聞いた。目を離した隙、お前が失踪したと……。何でお前は、こんな時に勝手な行動をするんだ。……場所と時をわきまえろ」

 まぁ宗貴さんが怒るのも無理はない。

 だが、それを聞いた明日香ちゃんはムスッとすると言うのである。

「で、でも、私だって皆の役に立てる事あるわよ。それに今、大変なんでしょ。だから沢山の術具類を詰め込んできたんだから」

 というと明日香ちゃんは、後ろに背負うリュックの様な術具入れを俺達に見せるのだった。

 だがしかし、宗貴さんは言った。

「帰れ、明日香。爺さんの元にいるんだ。今は余計な不確定要素があると、俺達にとって色々と不味い。早く、爺さんの元に戻れッ」

 明日香ちゃんは首を横に振ると言った。

「い、いやよ。私も、せっかく此処まで来たんだから。それに私自身が自分に対して許せないのよ! 皆が忙しい時に眠ってしまったのが申し訳なくて……」

 俺は明日香ちゃんの言葉を聞くなり、鬼一爺さんに視線を向けた。

 すると鬼一爺さんは、俺の視線に気付くや否やサッと顔を背けて、明後日の方向を向いたのだった。

 このジジイの反応見る限りだと、一応、悪いことをしたとは思ってるのだろう。

 俺は視線を2人に戻す。

 宗貴さんは、明日香ちゃんを睨み付けていた。

 そして怒りを抑えて静かに言うのであった。

「明日香……いい加減にしろ」

「い、いやよ。私も一緒に行く」

 明日香ちゃんも負けじと言う。

 なんか知らんが、2人の間から妙な空気が漂い始める。

 だが、俺はそこでフト気になる事があった為、それを明日香ちゃんに問いかけるのであった。

「あのさ、明日香ちゃん。一つ聞きたいんだけど。どうやって、この濃い瘴気の中やってきたの? 見たところ隠形印も組んでないしさ」

 俺の言葉を聞いた明日香ちゃんは「へ?」と、やや気の抜けた声を出す。

 すると修祓霊装衣の上から幾重にも巻き付けてある、細くて黒い紐に手をかけて言うのであった。

「ああ、ソレね。実はこの隠形結界を体に巻きつけてきたの。昼に襲われた時に、鬼一法眼様が言ってたじゃない。濃い瘴気の中で、黄泉は生命の波動を見つけるのかもしれないって。だから、物は試しと思ってやってみたの。そしたらこれがビンゴだったのよ。さすが鬼一法眼様だわ」

 鬼一爺さんは、それを聞いてニコッと笑った。

 今の状況を考えると、ちょっとムカつく笑いだ。

 まぁこのジジイの事は兎も角……。

 いくら隠形効果の得られる術具を使っているとはいえ、明日香ちゃんにとって危険な状況は変わりない。

 なので俺は言う。

「でも明日香ちゃん。幾ら隠形結界を使っていても、此処は黄泉の支配する空間だ。危険な事に変わりない。だから帰った方がいいよ。それに、明日香ちゃんが眠ったという事なんて、皆、気にしてないよ」

 明日香ちゃんは首を振ると言った。

「で、でも。私だって役に立てるわ。術具も一杯持ってきたんだから」

 俺は困った。

 明日香ちゃんのこの反応を見る限りだと、言うこと聞きそうにない。

 俺は鬼一爺さんに視線を向ける。

 すると鬼一爺さんは、ヤレヤレといった感じで俺に言うのだった。

(仕方ない。余計な事をしないと誓うなら、ついて来てもよいと言え。もし万一の時は、また我が明日香に憑依してやるわい。それよりも、急ぐのじゃ。一将殿も待っておるぞ)

 確かに、こんな事であまり時間もかけていられない。

 そう思った俺は、宗貴さんに非常に小さな声で耳打ちした。

「宗貴さん。鬼一爺さんが、余計な事しないならついて来てもいいと言ってました。それと、もし万一の時は、また憑依して何とかすると。今はとりあえず先を急ぎましょう」

 宗貴さんは俺に頷くと明日香ちゃんに言った。

「明日香、一つ条件がある。俺達の指示に従って余計な事しないと誓うなら、一緒に来てもいい。どうだ、守れるか?」

「う、うん。ちゃんと指示に従うわ。だから一緒に行ってもいい?」

 宗貴さんは疲れた様に頷くと言った。

「ちゃんと守れよ。……それじゃ、俺達の後ろからついて来い」

 明日香ちゃんはコクリ頷いて「うん」と返事するとニコリと微笑む。

 それから俺達の後ろへと移動した。

 そんな訳で少しゴタゴタしたが、俺達はまた黄泉の方へと向かって歩み始めるのであった――



 ―― 一方 ――



 涼一達が黄泉の方へと移動してから暫くした頃の事である。

 先程、涼一達が打ち合わせをしていた農道交差点に、2人の人間が現れたのであった。

 それは秀真と麻耶である。

 涼一を監視する為に英章から派遣されている2人は、若干、距離を置きながら涼一達3人をずっと監視していたのだ。

 2人は共に双眼鏡タイプの暗視ゴーグルを顔面に装着しており、何処かの秘密部隊の様な出で立ちとなっていた。

 そして先程まで、その暗視ゴーグルにて、涼一達の行動の一部始終を見ていたのであった。


 2人は交差点の真ん中に来たところで、麻耶が口を開いた。

「奴等、さっき此処で、摩利支天隠形法をしていたわね……」

 秀真は周囲を見回すと言った。

「ああ。多分、この先にある強い負の波動の中を進む為だろう。あの化け物に吸い寄せられるかのように、悪霊共も集まってきているからな」

 それを聞いた麻耶は、やや気怠そうに言う。

「……そのようね。それにしても、奴等には悪い事しちゃったかしらね。化け物があんな事になったのは、多分、結界を間引いたのが原因の様だし」

 腕を組み項垂れる秀真は、涼一達が向かった先を見つめると言った。

「ああ、だろうな。しかし、あのカメラを回収か破壊ができるならしておきたい。見つかっても、多分、大丈夫だとは思う。が、万が一という事もある」

「そうね……」

 2人はやや困った表情をする。

 そこで秀真は言った。

「確か、持ってきた道具の中に隠形結界が1つだけあった。それを使いながら、奴等の後を追うしかないな。そしてチャンスを見てカメラを回収、もしくは破壊しよう」

 それを聞くなり、麻耶は怪訝な表情で言った。

「1つだけなの? あれは本来、場所を固定して使う結界よ。移動しながら使う場合は、体に直接巻きつけるしか方法がないから、それだと1人分にしかならないわ」

 秀真は頷くと溜息を吐きながら言った。

「フゥ……仕方あるまい。このような亜流の使い方は、あまり想定してなかったのだ。それよりも、どちらが奴等の後をつけるかを決めよう」

 すると麻耶はゆっくりと首を左右に振りながら、秀真に向かって右掌を前に出した。

 麻耶は言う。

「私が行ってくるわ。兄さんは、とりあえず、此処で待機してて」

「……分かった。お前に任せよう。しかし、くれぐれも用心しろよ。万が一の時は――」

 と、そこで麻耶は、秀真の話に割り込むかのように言った。

「――お前を見捨てる……でしょ?」

 秀真はニヤリと笑みを浮かべる。

 そして頷くと言うのであった。

「分かっているならいい」と……。



 ―― その先の涼一達は ――



 俺達はゆっくりと周囲の悪霊等を注視しながら、更に濃い瘴気の中へと進んでゆく。

 だが、進むにつれて嫌な霧の様なものが漂い始め、やや視界が悪くなりだしたのであった。

 またその他にも、周囲に漂う悪霊共の数が多くなってきており、非常に嫌な気分にさせられるのである。

 それらは人型のものが多く、口が裂けたものや顔や体の歪んだもの等、様々な見た目の悪霊が飛び交っていた。

 ただ、色は燃えるような赤い色をした半透明なものが殆どで、時折、オレンジや黄色といった感じの悪霊が少し目に付く程度である。

 この色というのは、俺も修祓を繰り返しているうちに分かったのだが、怒りや憎しみが強いほど赤い色をしているようだ。

 まぁ要するに、そんな悪霊ばかりが周囲を飛び交っているという訳なのである。

 因みにだが、明日香ちゃんも俺達の後ろから、ちゃんと付いて来ている。

 進むにつれて悪霊の数が増えてるのを実感しているのか、明日香ちゃんの表情も段々と強張り始めていた。

 今の様な感じなら別に問題ないが、とりあえず、早まった行動だけはやめてほしいところである。

 それはさておき。


 俺達が移動を再開して3分程経過した頃からだが、進むにつれて鼻を刺激する腐臭も、辺りに漂い始めたのである。

 その臭いを嗅いだ俺達は、すぐに顔を見合わせたのであった。

 何故ならば、この臭いは黄泉がすぐ近くにいるという状況証拠でもあるのだ。

 宗貴さんは言う。

「この臭い……。もう奴のかなり近くにまで来ている。皆、注意するんだ」

 俺達は無言で頷く。

 と、その時である。

 鬼一爺さんが俺に言うのであった。

(涼一、そろそろ止まれ)と。

 俺は小声で3人にそれを伝える。

「宗貴さんに一樹さん、それと明日香ちゃん。鬼一爺さんが止まれと言ってます」

 2人は頷くと足を止めた。

 俺もそれと共に止まる。

 また、明日香ちゃんも俺達に習って足を止めたのだ。

 そして俺達は、息を潜めるながら周囲を凝視するのであった。

 俺達が立ち止まってから1分程すると、周囲にフワッとした風の様なものが横切った。

 それと共に、周囲に漂う霧の様なものが少し流れて視界が開けたのだ。

 だがその時だった……。

 俺達の目の前に、高さ10m以上はありそうな馬鹿でかい骨で覆われたドームが、薄暗い中、姿を現したのであった。

 それはまるで巨大な壁の様であり、また、奇妙な液体の中に様々な動物の骨が歪に繋ぎ合わさっている事もあって、さながら地獄絵図の様にも見える光景となっているのだった。

 この黄泉の姿を見た宗貴さんと一樹さんは、非常に険しい顔をしていた。

 多分だが、タブレット端末で見た映像と比べてみると、実物は想像以上だったのだろう。

 そして後ろにいる明日香ちゃんは、生唾を飲み込み、若干震えながらそれらを眺めているのだった。

 3人の反応を見るだけで、嘗てない異常な化け物だという事がヒシヒシと伝わってくる。

 また、今は日中と比べるとかなり接近した状態である。

 恐らく、10m程度しか離れていないだろう。

 その為、日中は分からなかった黄泉の様相が非常に良く分かるのだ。

 骨と液体は日中に見た時と同じだが、一つだけ違う事があった。

 それは人間の心臓みたいに身体全体が、鼓動を打っているのである。ドクンッドクンッと……。

 またそれと共に、骨と骨の合わせ目から、あの奇妙な液体が泡を吹きながら出てくるのだ。

 それらを見た俺は、非常に胸が悪くなってくる。

 そして何故か分からないが、一刻も早く、この場から立ち去りたい衝動にかられるのであった。


 俺達が立ち止まったところで、鬼一爺さんは口を開いた。

(よし、では涼一。ここで朱雀の法を使うのじゃ。一発、派手にかましたれ)

 俺は鬼一爺さんに頷くと、3人に言った。

「宗貴さんに一樹さんに明日香ちゃん。今から火界術 朱雀の法という術を使うので、念の為、隠形印を組んだまま低い姿勢で頭を伏せてください」

 3人は俺に頷くと、腰を落として頭を伏せる。

 それを確認した俺は、腰の術具入れから七曜の符を取り出した。

 だがその時!

 ゴゴゴゴッという地中を掘るような音が俺達の足元から聞こえてきたのだ。

 その音を聞いた俺達は、思わず息を飲む。が、しかし。その音は俺達の後方へと移動していくのだった。

 どうやら、俺達に気付いたわけではないようだ。

 俺達4人はとりあえず、ホッとした表情になる。

 とその時だった!


【キャッ!】


 ほんの一瞬だが、女性の短い悲鳴が、俺達の右斜め後方から聞こえてきたのであった。

 予想外の所からの悲鳴に、俺達は思わずその方向へと視線を向ける。

 だが、先は薄暗くてよく分からない。

 またそれと共に、俺の中で『助けるか』『無視するか』の選択肢が、グルグルとまわり始めるのだった。

 しかし此処で、更に予想外の行動をとる者がいたのだ。

 なんと、明日香ちゃんがその方向に向かって駆け出したのである。

 それを見た宗貴さんは顔を歪ませて、やや小さい声ながらも、焦った様に言うのであった。

「あ、明日香ッ。待てッ! 何処に行くッ!」

 だが聞こえてないのか、明日香ちゃんは声のした方向へと走り続けるのである。

 なんか知らんが予想外の展開になってきた。

 と、そこで鬼一爺さんは、若干霊圧を上げて俺達に言うのであった。

(涼一、今すぐ術を行使しろ! それから宗貴と一樹は、涼一が結界を展開させると共に明日香の後を追え!)

 俺は無言で頷く。 

 また、2人は「わかりました」と、声を揃えて返事をした。

 俺はすぐに七曜の符を取り出す。

 そして霊力を籠めて、赤い五芒星の結界を展開させたのであった。

 結界を見た鬼一爺さんは、2人に言った。

(今じゃ、2人共!)

 それを合図に、宗貴さんと一樹さんは、明日香ちゃんが向かった方向へと駆け出したのである。

 俺はそれを確認した後、自分の霊力と結界内の霊力を同じ波長に合わる作業に入るのだ。

 だがその時であった。

 突然、目の前の化け物は小刻みに震え始めたのだ。

 それと共にザザザッという地面を振るような音が前方から聞こえてきたのである。

 クッ俺に気付いたか……。

 だがしかし、その音は俺ではなく後方へと向かっていった。

 恐らく、明日香ちゃんの向かった先だ。

 化け物は興味は、どうやらこの結界ではなく、向こうにいる者達のようである。

 不味い……時間がない。

 しかし、この波長を合わせる作業は、最低でも20秒くらいは必要なのだ。

 その為、俺は内心焦りつつも、急いで自分の霊波長を結界内の霊波長に合わせるのである。

 そしてピタリと合ったところで、即座に浄化の炎の真言を唱えるのであった。

《 ――ノウモ・キリーク・カンマン・ア・ヴァータ―― 》

 俺が唱え終えると同時に、いつか見た炎の巨鳥が俺を中心に出現する。

 その瞬間、化け物は低い呻き声を上げた。

【グギャァァァアァ】

 また巨鳥が現れるや否や、化け物は恐れ戦くかのようにワサワサと触手を動かし始めたのだ。

 そして、まるで逃げ帰るかのように、一将さん達のいる方角へと勢いよく触手を伸ばして、自らを引きずり始めたのであった。

 それからというもの、慌てた化け物はあっという間に、火霊術の結界内へと戻ってゆくのである。

 どうやら、鬼一爺さんの作戦は上手くいったようだ。

 すると丁度そこで、一将さんから無線連絡が入ったのだった。

《良くやった、3人共! 奴はもう完全に結界内へと戻ってきた。3人もすぐに此方へ来いッ。そして持ち場である八門の結界へと戻るのだ》

 だがしかし……。

 その時、一樹さんの声で予想外の無線連絡が入ってきたのである。

《父上ッ大変です! 宗貴さんが、肩に酷い怪我を負ってしまいました。至急、医療用術具をお願いしますッ!》

 一将さんは焦った口調で言った。

《な、なんだと! 分かった。今、霊医術の心得がある龍潤さんを其方へ向かわせる。少しの間、待っていろ。それと此処にいる皆は暫くの間、黄泉を引き付けておくのだ!》

《了解しました》と皆の声が聞こえてくる。

 だが俺は、この突飛な状況についていけない。

 その為、返事が出来なかったのである。

 俺は無言で、2人が向かった方向へと恐る恐る視線を向ける。

 そしてその先にある暗闇を少しの間、呆然と見詰めるのだった……。



 ―― その少し前 ――



 涼一達が恐る恐る瘴気の中を進むその後方に、後をつける1つの影があった。それは麻耶である。

 麻耶は物音をたてずに、涼一達の後方20mくらいの所へと忍び寄ってきていたのだ。

 暗闇の中でも念には念を入れる様に、麻耶は途中、障害物などの影に隠れながら慎重に歩み寄ってきたのである。

 隠密行動に慣れている麻耶は、霊的な気配だけでなく実際の気配も上手く絶っているのであった。

 またその他にも、周囲にはやや薄い霧の様なものが漂っている為、それも麻耶にとって都合の良い状況となっていた。

 涼一達も麻耶の接近には全く気付いていない為、一度も後方へと振り返る事は無い。

 これは麻耶の隠密行動が上手くいっている事の証明でもあるのだ。


 麻耶が涼一達4人に近づいてから1分程経過した頃の事であった。

 突然、前方を進む4人が歩みを止めたのである。

 尾行を気付かれたかと思った麻耶は、身を隠す為、自身の右側にある電柱の陰に物音立てず隠れた。

 そこから涼一達の様子を暗視ゴーグル越しに確認するのである。

 だが涼一達は、後ろを振り返る様な素振りは見せ無い為、麻耶は首を傾げる。

 と、その時だった。

 一陣の風がフッと通り、モヤモヤとした霧の様なものを流したのだ。

 それと共に、麻耶の覗く暗視ゴーグルに、まるで山の様に大きな黄泉の姿が飛び込んできたのであった。

 麻耶はその悍ましい姿を見るや息を飲む。が、任務の方が優先と冷静に判断した麻耶は、引き続き涼一達を監視するのである。


 電柱の物陰に麻耶が隠れて少しすると、涼一の左右にいた宗貴と一樹がしゃがみこむ。

 すると今の行動を訝しげに思った麻耶は、もっとよく見渡せる、自身右側の田畑へと移動するのである。

 そして自らが身につける暗視ゴーグルの機能の一つ、霊能スコープモードをオンにして録画を始めるのだった。

 だが霊能スコープモードをオンにした途端、周囲に異変が起こるのである。

 地面からゴゴゴゴッという音が麻耶の前方から聞こえてきたのだ。

 麻耶は何事かと思い、即座に身を屈ませて息を潜める。

 だがしかし!

 麻耶の予想外の所からソレは現れた。

【キャッ!】

 黄泉の触手が麻耶の足元から突如現れて、顔面に取り付けた暗視ゴーグルをかすめて破壊したのだ。

 そして迂闊にも、短くではあるが悲鳴を上げてしまったのであった。

 またそれと共に、麻耶はその衝撃を受けて仰け反りながら、後ろに倒れたのである。

 だが麻耶は即座に立ち上がると、顔にある暗視ゴーグルであった物を急いで取り外す。

 そして触手から距離を取るのと涼一達から姿を晦ませる為に、逆の左方向へと即座に駆け出したのであった。



 ―― 一方 ――



 涼一達と共にいた明日香は、今の麻耶の悲鳴を聞くなり、すぐに駆け出した。

 それを見た宗貴は即座に言った。

「あ、明日香ッ。何処に行くッ!」

 だが宗貴の制止の言葉が小さい声だった為、明日香の耳には入らなかったのである。

 明日香は悲鳴の聞こえた辺りに駆けつけると、とりあえず、周囲を見回す。

 しかし、周囲の薄暗い闇に、人影は見当たらない。

 その為、明日香は首を傾げるのであった。

 周辺を一通り見回したところで、明日香の脳裏にある事が浮かんだ。

 だがそれは、この瘴気の中に入る前に、明日香自身が不味いと判断して使用するのをやめた物である。が、色々な事が起こり過ぎた為に、明日香はそれをすっかり失念していたのだ。

 その使用をやめた物とは何か……。それは明かりを得る為に使ってきた霊石であった。

 明日香は霊石を術具袋から取り出し、いつもと同じように迂闊にも使ってしまったのだ。

 そして、霊力を籠めて辺りを照らしたその時だった!

【ヴァァギャア】

 突然、低い呻き声の様なものが、明日香の背後頭上から聞こえてきたのであった。

 明日香は振り向くと共に、頭上で触手が自分に狙いをつけて襲いかかるのを目撃する。

 それと共に明日香の脳裏には、迂闊にも霊石を使った後悔が過ぎるのであった。


 触手は明日香目掛けて勢いよく飛び掛かる。

 明日香は金縛りに遭ったかのように身動き出来なかった。

 そして、明日香自身がもう諦めかけた、丁度その時……。

 1人の人間が右横から明日香に飛びついて、そのまま押し倒したのであった。

【グァァァ!】

 だが、その飛びついた人間は苦悶の叫びを上げる。

 何故ならば、明日香は大丈夫であったが、押し倒した人間は右肩口に触手の攻撃を貰ったからである。

 その攻撃を受けた肩口は、肉が広く裂けて血がドクドク流れ出ており、それらが傷の深さを物語っていた。

 明日香は飛びついた人間の顔を見る。

 それは……兄の宗貴であった。

 宗貴の苦悶に浮かぶ表情と肩の傷を見た明日香は、口元を抑えて涙を浮かべる。

 そして絞り出すような声で震えながら、明日香は呟くのだった。

「お、お兄……ちゃん……」

 だがそんな2人目にはお構いなく、触手は更に襲い掛かる。

 とその時だった!

 20m先で、炎の纏う巨鳥が姿を現したのである。

 それと共に触手は突如、2人への攻撃をやめ、怯えた様にソソクサと地面の中へ帰って行ったのであった。

 するとそれを見た一樹は、即座に宗貴へ駆け寄る。

 そして宗貴の傷口を確認するや否や、無線機に向かって一将に連絡をするのであった。

《大変です! 宗貴さんが肩に酷い怪我を負いました。至急、医療用術具をお願いしますッ!》と……。



 ―― そして、涼一は…… ――



 一樹さんの無線を聞いた俺は、先程3人が向かった方向へと全力で駆け出した。

 そして俺が居た所から20m程離れた畑のような所で、3人の姿が飛び込んできたのである。

 俺はすぐさま3人の元に駆け寄る。

 すると其処には、地に伏せながら肩を抑え苦悶の表情を浮かべる宗貴さんと、其処に付き添う一樹さん、そして泣き崩れる明日香ちゃんの姿があるのだった。

 一樹さんは俺の顔を見ると言う。

「日比野君。今、龍潤さんという霊医術の心得がある人が来る。それまで霊符を使って止血の応急処置をしよう」

 と、その時、鬼一爺さんが霊圧を上げて皆に言うのであった。

(涼一。以前、お主に霊力での治癒法を教えた筈じゃ。それを宗貴に行え)

「お、おう。分かった」

 俺はそう返事した後に、一樹さんへ一度視線を向ける。

 一樹さんは頷くと言った。

「日比野君、それじゃ頼む……」

 俺は頷くと、苦悶の表情を浮かべて右肩に手を当てる宗貴さんの元にしゃがむ。

 そこで宗貴さんに話しかけた。

「宗貴さん、今から鬼一爺さんから習った治癒法をしますんで、肩の傷を見せてください」

 すると苦しいながらも宗貴さんは言う。

「す……すまない、日比野君。では……頼む。グッ」

 宗貴さんは辛そうにそう言うと、右肩に当てていた左手をゆっくりと退けるのであった。

 左手が移動すると共に、傷の様相が目に飛び込んでくる。

 肩の傷は、かなり深く抉られたような感じで、血は絶えず流れていた。

 これは普通の切り傷とは違う。確実に骨にまで達していそうだ。

 病院で治療するにしても、かなり大変な部類に思える。

 また俺が見た感じでは、かなり高霊圧の霊力を練らないといけなさそうな裂傷である。

 そういった事から、俺は少し疲れる治療になるだろうと覚悟し、静かに霊力を練り始めるのであった。


 俺は目を閉じて高い霊圧を練りあげると共に、更に両掌にそれらを集める。

 すると眩いながらも優しい光が両手に帯び始めてきた。

 俺はそれを確認すると、宗貴さんの患部を両手で優しく包み込むのであった。

 またそれと共に、宗貴さんの霊波長と俺の霊波長もあわせ、更に霊力を掌に向かわせるのだ。

 これが鬼一爺さんから習った、霊力での応急処置の方法である。

 これは以前、沙耶香ちゃんにも使ったが、あの時は此処まで酷い傷ではなかったので、それほど霊力を練らなくても済んだのだ。

 しかし、宗貴さんの場合は肉が抉られているような裂傷なので、相当、霊力を練らなければいけないのである。

 この治癒法は治りを早めるのだが、使う霊圧の高さによって治りのスピードが違うのだ。

 とりあえずそういった事から、俺は疲れる状態ながらも、今の内容を暫くの間続けるのである。

 だが、そこで気になる事があった。

 それは一樹さんと明日香ちゃんが「なッ!?」と口から発すると共に、俺に驚きの眼差しを向けているのである。

 この治癒法が珍しいのだろうか?

 まぁそれは兎も角。

 俺は3分程、こんな風に両手で患部を包み込んだところで、一旦、手を退けて傷の確認をする事にした。

 すると、かなり良い感じに瘡蓋が傷全体を覆っているのであった。

 血も止まったし抉られた箇所の肉も完全にではないが、大分、元に戻った様な感じになっているのだ。

 初めて重傷の患部でこの治癒法を使ったのだが、自分でも驚くほどの効果を目の当たりにしたのである。

 まぁとりあえず、傷はかなり良くなった様だ。

 なので、俺は一息吐きながら額の汗を拭うと、宗貴さんに言うのだった。

「フゥゥ……。だいぶ傷が塞がりましたけど。どうですか、宗貴さん?」

 すると一樹さん達と同様。

 宗貴さんも凄く驚いた表情をしていたのだ。

 そして俺の顔を見ると、信じられないといった感じで言うのだった。

「ひ、日比野君はハンドヒーリングが出来るのか? まさか、身近にこんなレベルの高いハンドヒーリングを行える者がいたなんて……。いや……意念霊導の儀での日比野君の技能を考えれば、それ程、おかしい事ではないのかもしれない」

 俺は意味が分からんかったので、とりあえず、頭をかきながら言った。

「へ? これハンドヒーリングっていうんですか?」

「し、知らなかったのかい?」

 今度は一樹さんが、やや気の抜けたような声で言うのである。

 なんか知らんが、それなりに凄い治癒法なのだろうか……。

 などと思っているその時だった。

 俺達の後ろから龍潤さんという人がやってきたのである。

 そして地に伏せる宗貴さんに歩み寄るのであった。

 龍潤さんは言う。

「怪我をしたと聞きましたが、どの部位でしょうか?」

 宗貴さんは苦笑いを浮かべると言った。

「いや、それが……今、ハンドヒーリングをできる人間がいたので、だいぶ良くなったんです」

 宗貴さんはそういうと、肩の傷を見せる。

 だがその傷を見た龍潤さんは、眉間に皺を寄せて難しい表情で言うのであった。

「……この傷をハンドヒーリングで、ですか……。一体、何方が?」

 一樹さんと宗貴さんは俺に視線を向ける。

 すると龍潤さんという人は、2人の視線の先にいる俺に目を向ける。

 そして尋ねるのだった。

「貴方が、ハンドヒーリングをなされたのですか?」 

「はぁ、一応……」

 俺は頭をかきながらそう返事する。

 それを聞くなり龍潤さんという人は、目を輝かせながらすごく驚いた表情で言うのであった。

「なんと! 見たところまだお若いのに、かなり練達された霊的技能をお持ちなのですね。これは素晴らしいッ!」

 俺はこの人の反応を見るなり、こう考えた。

 なんか知らんが、また俺は余計な事をしてしまったのだろうか……と。

 しかし、どう答えていいのか分からない俺は「ナハハ、ハハハ」と、愛想笑いを浮かべる事しかできないのであった。

 とその時だった。

 無線機から一将さんの声が聞こえてきたのである。

《龍潤さん、宗貴君はどんな具合だろうか?》

 それを聞いた龍潤さんは、俺の顔を見ると笑顔で言った。

《宗貴さんは、もう大丈夫です。私が手を下さずとも、此処に非常に優秀な術者の方がおりましたので、大事には至りませんでした》

 一将さんは若干引き攣ったような声色で言った。

《そ、そうかね……それは良かった。では早速だが、黄泉を我々だけで引き付けるのも、そろそろ負担になってきた。早くこちらの方へ戻ってきてほしい》

 俺達は《了解しました》と返事をする。

 というわけで、俺達は向こう側へと移動する事になるのであった。


 龍潤さんと一樹さんは立ち上がると、一将さんの所へと向かい移動を始めた。

 2人に続かねば、と思った俺は立ち上がる。

 そして、まだ地に伏せる宗貴さんへ向かって手を差し伸べた。

 宗貴さんは俺の手を取り立ち上がると、そこでチラッと明日香ちゃんに目を向ける。

 だが明日香ちゃんは、座り込んだまま元気なさそうに呆然と地面を見つめていた。

 何処か思い詰めた表情をしている。

 まぁ仕方ない。実の兄が大怪我をしてまで庇ったのだから……。

 すると宗貴さんは、そんな思い詰める明日香ちゃんに向かって言うのであった。

「……明日香、行くぞ。お前もここまで関わったんだ、今更抜ける事は許さん。最後まで俺の手伝いをしろッ」

 今の言葉を聞いた明日香ちゃんは、ゆっくりと宗貴さんに視線を向ける。

 宗貴さんを見た明日香ちゃんは、また溢れ出す涙を流しながら言うのであった。

「お、お兄ちゃん……。か、勝手な事……ばかりして…ご、ごめんなさい」

 宗貴さんは言う。

「泣いてる暇はない。肩の傷は良くなったとはいえ、俺はまだ怪我人だ。だから、八門の陣を行使するにはお前の力も必要だ。だから、早く立ち上がってついて来い」 

「は、はい。わかりました」

 明日香ちゃんは涙を拭うと急いで立ち上がる。

 そんな明日香ちゃんを見た宗貴さんは、少しだけ微笑むと俺に言った。

「さて、急ごう。日比野君」

「ええ」

 そして俺達は、先に向かった2人の後を追うのであった。



 ―― 涼一達が去った後 ――



 麻耶は襲われた場所から少し離れた所にて息を潜めていた。

 其処はやや段差がある田畑となった所で、この薄暗い中だと、人が隠れるには都合が良い場所であった。

 その為、麻耶はすぐに段差に影に隠れ、今の一部始終を密かに見詰めていたのである。

 それから暫くすると涼一達もこの場から去ったゆく。

 麻耶はそれを見届けたところで、段差の影から姿を現したのだ。

 先程、涼一がいた所まで麻耶は出てくると、去って行った涼一達の方向へ視線を向ける。

 そして、その方向を見詰めたまま口を開くのであった。

「あの男……一体何者なの……。あの火の鳥の術といい、今のハンドヒーリングといい。確かに……英章様の言われた通り、只者ではないみたいね」

 そう呟いた麻耶は、次に腰の術具入れを覗き込む。

 だが中を覗いた途端、苦虫を噛み潰したような表情になるのである。

 またそれと共に、溜息を吐きながら、誰にともなく言うのであった。

「フゥゥ……あの男が只者でないのは分かったけど。霊能スコープ内臓の暗視ゴーグルを化け物に壊されちゃった所為で、証拠となるさっきの映像を撮影できなかったのが痛いわね……。ああ、もう最悪だわ!」

 麻耶はそれからしばらく思案顔をする。

 そして、この後の行動をどうするか考えていた、丁度その時だった。

 麻耶の右後方に伸びる農道の先から、暗闇の中に舞う沢山の小さな明かりが出現したのだ。

 しかもそれらは、麻耶の方向へと向かってきているのである。

 麻耶はそれを見るなり、眉根を寄せると言った。

「チッ……奴等の応援部隊がきたみたいね。不味いわ、あのカメラだけでもすぐに回収か破壊をしておかないと」

 そして麻耶は、黄泉がいた辺りに向かって移動を開始するのであった。


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