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霊異戦記  作者: 股切拳
第参章  古からの厄災
48/64

四拾八ノ巻 ~黄泉 六

 《 四拾八ノ巻 》 黄泉 六



 ――天から降り注いでいた優しい光が、西の彼方に沈む。

 そして入れ替わる様に、辺りを暗闇が覆いつくし始める。

 またそれと共に、涼一達の居るこの高御上市の周辺には、刺す様な凍てつく冷気が漂いだしたのだった。

 今はまだ3月の下旬。この辺りは4月に入って霜が降りる事も珍しくはない。

 この時期、高御上市では放射冷却現象の条件が揃いやすく、当たり前の様に起きているのだ。

 日の照っていた間は周囲の気温も高い為、山や物陰に残る雪も解け始めてしずくを落としていたが、今はこの冷気を浴びてその動きが止まっている。

 その雪解け水が伝う先にある山際を走る道路も、日中は濡れた路面が展開されていたが、今は次第に美しく危険な輝きを魅せる、凍てついた路面へと変貌を遂げ始めているのであった。

 また、凍てつくような寒い大地の上空には、雲一つない澄みきった夜空が広がっており、その中で無数の星々が燦然さんぜんと美しく光り輝いているのである。

 今の高御上市は、凍てつく厳しい闇の世界と、美しい星空が覆う闇の世界が隣り合わせになった世界を創り出しているのだった。

 だが、そんな高御上市の変化と共に、とある山の地中でも異変が起きようとしていた。

 それは山の地中に潜む、とある存在の事である。

 山の地中深くに、ジッと静かに潜んでいたその存在は、今正に、目を覚まそうとしているのだ。

 その存在は山の地中にて、周囲の気温と日の光が放つ波動の弱まりをひしひしと感じていた。

 そして日の光が完全に途絶え、太陽の波動が限りなく弱くなったところで、その存在は待っていたとばかりに動き始めたのである。

 ゆっくりと、徐々に徐々に少しづつ。地上へと向かって……。


 その存在が動く度に、地中内部からゴゴゴゴという低い地鳴りの様なものが、山中に伝わってゆく。

 地中を動き始めてから10数分程経った頃だろうか。

 その存在は、地中と地上の境界付近にまで達しようとしていた。

 だが地表の手前辺りで一旦、その存在はピタリと動きを止めるのであった。

 まるで辺りをジッと窺うかのように……。

 そうやって暫しの間、動きを静止した後。その存在は、斜面の土とその上に積もった山中の雪を跳ね飛ばし、一気に外界へと飛び出したのである。

 ドゴォっという破壊音を発しながらその存在が現れた場所には、直径10mはある大きな穴が穿たれており、その周辺には茶色い土が大量に飛散していた。

 また穴の周囲には、ドロドロした緑色に近い液体が付着しおり、何やら異様な様相をしているのであった。

 しかし……今此処には穴の様相をも軽く凌ぐ、奇怪にして禍々しい存在が、瘴気を放ちながら鎮座していた。

 木々と暗闇に覆われたこの山中でも、もし今この場に人がいるならば、その存在の姿がおぼろげながら見えるかもしれない。

 何故ならば、星々の輝きが木々の間から僅かに降り注いでおり、それらの淡い光が山中に残る白い雪に反射して、その存在を暈し絵の様に薄く不気味に浮かび上がらせているからだ。

 だがしかし……。

 その存在を間近で見たものは、恐らく、自身の死を直ぐに予感するであろう。

 理由は簡単だ。それ程に、奇怪で禍々しい瘴気を周囲に撒き散らす悍ましい化け物だからである。

 では、一体どんな化け物なのか? 

 その化け物には手や足といった物はなく、形はただの球体である。

 球体の周囲には、黄とも緑とも言えない淡い色をしたゼリー状の液体で塗れており、また、その液体が球体の内部から湧き出てくるように、絶え間なく気泡と共に外へ出ていた。

 だが、この化け物の悍ましい一面は、液体の内側にある球体にあった。

 液体の内側には直径10m以上はあると思われる、人や獣の骨で出来た歪な形の球体があるのだ。

 その様はまるで、磁石に吸い寄せられた鉄屑の様になっており、球体の中心に向かって骨が吸い寄せられたかのように集まっているのだ。

 だがそれだけではない。

 なんとその球体は、生き物の心臓を思わせるかのように、ドクンッ・ドクンッと一定の間隔で不気味に鼓動を打っているのである。

 またそれと共に、得体の知れない禍々しい瘴気も発しているのであった。

 今此処に、もし、人や動物がいるならば、本能でそれに恐怖して、金縛りに遭ったかのように立ち竦むであろう。

 そして立ち竦んで動けぬまま、この化け物に命を刈り取られる事になるのだ。

 ……そう思わせるほどに、禍々しい化け物なのであった。


 その化け物は地中から出た後、暫くはその場にて周囲の様子を窺う。

 様子を窺っている間も、化け物の内部から湧き出る奇妙な液体からは、絶え間なく気泡がふきだしていた。

 また気泡が弾けると共に、周囲の山中には腐臭が漂い始めるのである。

 その化け物は暫くそうやってジッとすると、内部にある骨で出来た球体から、二本の骨の触手を勢いよく伸ばしたのであった。

 それらの触手は木々の間を縫い、また山の斜面を這うように真っ直ぐ伸びていく。そして10数m先にザスッという音と共に突き刺さるのだ。

 するとその化け物は、地面に突き刺った触手を使って自身の体を引きずる様に手繰り寄せ、前へ向かい移動してゆくのであった。

 その様子は、車をウインチで引っ張り上げる動作のようにも見える。

 また、体を引きずると共に、ザザザザッという山の斜面を削る音と、バキバキッという木々の倒れる音が聞こえてくるのである。

 そして突き刺さった位置に到達すると、また同じように触手を前に伸ばして突き刺し、進み続けるのだ。

 まだ雪の残る山の斜面に、自身の体を引きずった黒い痕跡を残しながら……。

 凍てつく大気が漂う中、その球状の化け物はそうやって移動を続けてゆくのである。

 だが、その時であった!

 突然その化け物は、慌てたように動きを止めたのである。

 そして伸ばした触手を急いで引っ込め、ジッと静かに其処に佇むのであった。まるで息を潜めるかのように……。

 化け物の一連の行動は、まるで、二の足を踏むかのように躊躇している様にさえ見える。

 また、明らかに進む先を警戒している感じなのである。

 では一体、何に警戒をしていたのだろうか……。

 それは化け物が進んでいる先にあった。

 化け物の進む遠く先には、オレンジ色に輝く光が、木々の隙間からこぼれていたのである。

 それは蝋燭の火の様に、ユラユラと揺らめく光であり、この凍てつく世界の中にあって、一際、暖かく感じるものであった。

 しかし、この化け物にとっては好まぬ光。ゆえに立ち止まったのである。

 するとその存在は先に見える光を避けるように、進んでいた方向の向きを変える。

 そしてまた闇の中へ引きずる音をたてながら、何処までも進んでゆくのであった。

 強い輝きを放つ生命を求め続けて――



 ――山中にて、化け物が動き出す少し前 ――



 太陽の光が山の頂に隠れ始め、辺りが暗くなりだした頃。

 涼一達を尾行していた秀真と麻耶、そして2人に続く5人の者達が動き始めたのであった。

 秀真と麻耶達は今、涼一達がいるビジネスホテルのすぐ近くにある、ひっそりと佇む廃工場にいた。

 廃工場の周囲には数軒の一般住宅が建ち並んでおり、それらの住宅に幾つかある窓からは、室内の明かりが確認できる。

 そしてそれらの明かりが、廃工場をぼやけた様に不気味に照らし出すのである。

 住宅と街灯のお蔭で、薄らとであるが廃工場の様子が少しだけ見てとれる。

 その廃工場は小さな町工場といった大きさで、一般住宅4軒分程度のものであった。元は繊維工場か何かだったのか、中と入口周辺には糸を巻き取る大きな金属ロールの様なものが幾つか散乱していた。

 工場の中は埃にまみれたフロアのみが広がっており、嘗て何らかの機械が設置されていたであろうと思われる痕跡だけが床に残っていた。

 天井には錆びついた照明器具や剥がれかかった天井板があり、それらが此処は寂しい廃屋であると言わんばかりに、見る者へ訴えかけるのである。

 7人は今、そんな雑然とした建物の中、周囲の夕闇に紛れるかのように此処にいるのだった。


 秀真と麻耶達は何故、こんな所にいるのか……。

 それは勿論、涼一達がいるビジネスホテルを監視する為である。

 また秘密裏に監視をしているという事もあり、7人全員が今の時刻に合わせて黒っぽい衣服を身に着けているのだった。

 そういった事から、7人がいる場所は工場内のやや薄い暗闇と相まって、闇がモゾモゾと動いているようにも見えるのだ。

 もし今此処に第三者の人間が見ていたならば、不気味な光景となって映っていただろう。

 だが周囲を覆い始めた夕闇と、秀真と麻耶が施した人払いの結界のお蔭で、その心配は殆どない。

 その為、7人は人目というものをあまり気にせず、これから始める作業への準備に焦ることなく取り掛かれるのであった。

 秀真と麻耶の2人は、廃工場の窓辺からビジネスホテルの出入り口をジッと確認した後、秀真だけが視線を外す。

 すると秀真は麻耶をそのままにして、5人の者達を自分の前に整列させるのだった。

 5人が横一列に並んだところで、秀真は口を開いた。

「では皆の者、今から一部始終の記録に取り掛かる。それぞれ指定した場所にて待機をし、動きがあり次第、作業に入ってほしい。……但し、鎮守の森の浄士達には作業内容を知られぬよう、細心の注意をはらってくれ。そして、もし不測の事態が起きたならば、記録データ類は指定のアドレスに送信した後にすべて消去、もしくは機器ごと破壊しろ。以上だ」

【ハッ! 畏まりました】

 声を綺麗にそろえて、5人はキビキビとした返事をする。

「では行けッ」

【ハッ!】

 その後、それぞれが足早に散らばり、市街地の夕闇の中へと紛れ込んでゆくのだった。 

 麻耶は5人が出て行ったところで、ポニーテールにした後ろ髪を靡かせて秀真に振り向く。

 そして、腕を組みながら口を開いた。

「さて、次は私達の番ね。遠くからの記録は彼らに任せるとして。私達は引き続き、あの男がいる道摩家と土御門宗家の動きを成るべく近い位置から記録しないといけないから、気を引き締めてかからないとね」

 秀真は目つきを鋭くしつつ、口を開く。

「ああ。ぬかるなよ、麻耶。奴らに近づくという事は、化け物にも近づくという事……。かなり危険な任務だ。場合によっては幾ら妹のお前でも、俺は見捨てるからな」

 麻耶は口元を若干吊りあげて、不敵な笑みを浮かべると言った。

「私もよ。その場合は兄さんを見捨てるわ」

 それを聞いた秀真も、同じく、不敵な笑みを浮かべると言うのだった。

「ああ、それでいい」と……。



 ―― その1時間前 ――



 右手と左手を真っ直ぐ伸ばして宙に大きく弧を縦に描く。

 それから右足を一歩前に出して、地龍の陣と地脈とをつなげる【霊結】の術式部分に右足を乗せる。

 次に、真下にある八門すべてに地霊力を送る、放の術式が描かれた部分に左膝を着ける。

 その体勢のまま、両手の人差し指と中指だけを伸ばし、それらを真横にクロスさせて十字を切る印を組むのである。

 そこで鬼一爺さんが言う。

(まぁ、ぎこちない所作ではあるが。この術はとりあえず、術者の霊力を高めて今の動きをすれば、地龍の陣から八門の結界全てに地霊力を向かわせられる。つまり、地龍八門の陣の結界を発動させられるという事じゃ。これだけは確実に覚えておいてほしい)

「それは分かったけどさ……。この術って結構、キツイ態勢の術式の型ばかりやんか。まさか、こんな風に術式を組み上げるなんて思わなかったよ……。それに、さっき鬼一爺さんが見本に書いた八門の印の型を見ると、中にはジョジョ立ちみたいなのもあるしさ。はぁ……おまけに、なんでこんな大事な役を俺がやるんだろう。……さっきからずっと憂鬱だよ」

 俺は鬼一爺さんから教えてもらっている地龍の陣の使い方が、予想の斜め上を行くやり方だったので少し愚痴った。それプラス、俺の境遇にも……。

 すると鬼一爺さんは、飄々としながら言うのである。

(フォフォフォ、そうじゃろうな。まぁこの術は何れ、お主に教えるつもりじゃった。じゃが、今はこういう事態じゃ。諦めて、やるしかないの)

「ったく、俺の気も知らないで……」

 俺は鬼一爺さんに流し目をしながら言ってやった。

 という訳で俺は今、ホテルの一室にて、鬼一爺さんから地龍八門の陣の行使の仕方を教えてもらっている最中なのである。

 因みにだが、鬼一爺さんはもう既にいつもの霊体に戻っている。

 明日香ちゃんは別の部屋で、今は静かに眠っているところだ。

 鬼一爺さんに暫くのあいだ憑依されていたので、疲れた様に眠っているのである。

 目が覚めたときには、恐らく、自分が何時の間にか眠ってしまっていた事に驚くだろう。

 まぁ仕方ない。俺も経験があるから……。

 それはさておき。

 先程まで一緒にいた土門長老と宗貴さんと一樹さんの3人であるが。今、地龍八門の術式が描かれた特殊なシートを持って、法陣を仕掛ける神社がある場所へ設置に向かっているところである。

 因みにそのシートは1枚が12畳はある大きなもので、勿論、天目堂が開発したという特殊な繊維で作られた法陣用のシートなのだそうだ。

 鬼一爺さんはそのシートを見るなり、感心しながら「我の時代にもこんな物があればのぅ」などと呟いていた。

 その言い方を聞いた感じでは、かなり質の良い物なのだろう。

 そして、このシートに描かれた地龍八門の陣の術式であるが、実は鬼一爺さんが全て描いてくれたのである。

 最初は俺達が描く予定だったが、術式自体が結構ややこしかったので、シートには明日香ちゃんに憑依した鬼一爺さんが直接描き込んでくれたのである。

 まぁ時間もなかったし、これは仕方がない。

 ついでに言うと、明日香ちゃんが疲れたように眠っているのは、これが原因だったりするのである。

 とりあえずそういう訳で、3人は出来上がったシートを持って、所定の位置へと設置に行っている訳なのだ。

 よって、今この部屋には、俺と鬼一爺さんしかいないのである。


 今、俺がやっていたこの地霊八門の陣の練習であるが。発動させるのは兎も角、八門を操るのがハッキリ言ってかなり難しい術である。

 確かに、鬼一爺さんのやり方を真似れば出来ない事もない。が、やった事のない素人の俺が行使するなら、術式を組むのにかなりの時間と手間がかかるであろう。そんな術なのである。

 で、何が難しいかというと……。

 それはこの地龍八門の陣を発動させる、地龍の陣を受け持つ術者側の術式の組み方であった。

 実はこの術。地龍の陣の結界内で、体全体を使って術式模様を作らねばならないのだ。

 例えるならば、結界内で空手とか少林寺拳法でよくある、型の演武をやる感じだろうか。

 要するに、その型自体が術式模様になるのである。おまけに型の種類も豊富だ。

 その上、更に両手で印も組むので、体勢的に非常にキツイものが多いのである。

 しかもその型の中には、ジョジョ立ちみたいな無理ポーズやカメハメ波を出しそうな型もある為、頭が痛くなってくるのだ。

 そんな訳で、さっき鬼一爺さんから地龍の陣を行使するやり方を聞いた時は、『エェ、なんだよこの設定はッ』と思ったものである。

 だが、やり方は兎も角。

 よくよく考えてみれば、飯綱の太刀のような印術を拡大解釈した方法なので、霊力を変化させるという理にはかなっているのである。

 これについては別に、俺も異論はない。

 俺が文句を言いたいのは、ほぼ素人の俺に、地龍八門の陣の要になる術者をやらせる鬼一爺さんに対してである。

 こういった印を組む術は、別に古の術だけではない。勿論、現代霊術でも存在するのだ。

 なので、それらの事に俺以上に精通する一樹さんや宗貴さん、もしくは土門長老や一将さんのような階位の高い人に、この要になる役割を担って貰う方が良いのではないだろうか。と俺は思うのである。

 どうせ、後で宗貴さんや一樹さん達に教えることになるのだし。それにその4人の霊力操作も別段悪いわけではないとも思うし……。

 だが、鬼一爺さんにさっきそれを言ったら、こう返ってきたのだ。

(今回の場合。八門を操る術者は、我が霊圧を下げた状態で直接指示できるお主でなければ無理じゃ。地龍の陣の結界内では、我も霊圧を上げられぬ)と。

 こう返されるともうどうにもならない。

 まぁそういう訳で俺はもう、観念してやっている状態なのだ。

 しかしやる以上は、何をするのかできるだけ覚えておきたい。

 そしてその為には、とりあえず、一通りの八門を操る型をやっておかないと、それらのウィークポイントも分からないし、感じも掴めない。

 なので、完全に覚えこむのは半ば諦めつつも、時間の許す限り少しでも体に覚えこませようと、俺は練習をしているわけなのである。

 まったくもってトホホというやつなのだ。


 そんなさっきまでのやり取りを思い返していると、鬼一爺さんはニコヤカに言った。

(我の指示通りにやるやり方じゃと、確かに八門を操るのに時間はかかる。じゃが、出来ぬ事は無いと思うぞい。とりあえず、あの魑魅が八門の結界内に入ったならば、地龍の陣をお主が発動した瞬間、八門は全てが塞がる。あとは時間をかけて地龍の陣から八門を操り、奴を弱らせればよいのじゃからの)

 鬼一爺さんは、魑魅を八門の結界内に捕らえさえすれば、後はどうとでもなるといった感じだ。

 だが俺は、理の知らない術であるが為に、さっきからずっと不安なのである。

 まぁジョジョ立ちのような無理ポーズも、多少は不安の種ではあるが……。

 俺は言う。

「鬼一爺さんはそう言うけどさ。知らないというのと不慣れというのは、俺の場合……すごく怖いんだよ。あんな恐ろしい化け物相手だと、特に、そう思うよ……」

 そう言いながら、俺は昼間襲われた時の事を思い出す。

 またそれと共に気分的にも寒くなってきたのである。

 今考えてみると、鬼一爺さんが居なかったら俺と明日香ちゃんは、多分、奴の餌食になっていたかも知れないのだ。

 あの時の光景にブルッと鳥肌が立ちつつも、俺は続ける。

「それに……この術の舵取りは素人の俺だから、この術に対する皆の期待なんかも、俺には重圧に感じるしな……」

 俺はずっと思っていた不安と重圧をようやく口にした。

 さっきは、周囲にいる皆に気を使って言えなかったからだ。

 今の言葉を聞いた鬼一爺さんは、俺の顔を見ながら深く頷く。

 だが、頷きつつも現状を俺に言うのである。

(まぁそうじゃろうの……。涼一の抱えるそういった悩みは、我も分かっておるつもりじゃ。じゃが、今はそんなゆっくりと構えてられる事態でもない。今回ばかりは、諦めて覚悟を決めるしかないの)

「……それは分かっているよ」

 俺は半ば、自分に言い聞かせるように、弱々しくそう呟いた。

 すると鬼一爺さんは、不安そうな俺を見た所為か、幾分か柔らかい物腰になって話を始めるのだった。

(不安じゃろう、涼一。じゃが……心配するな。我の生前の経験じゃと、この地龍八門の陣で捕らえられた魑魅は、すべて退治をする事ができた。じゃから涼一は我を信じよ。我が今まで、涼一に嘘を吐いたことなんぞ無いじゃろ?)

 俺は鬼一爺さんに、少し懐疑的な眼差しを向けた。

 実をいうと、今まで鬼一爺さんは嘘をいった事は1回だけあるのだ。

 御迦土岳で俺に憑依するときに言った、あの嘘のみである。

 まぁあれは緊急事態だったそうだから、仕方ないのかもしれない。その後は色々と世話にもなってるし。

 俺は今までの事を思い返しつつ、鬼一爺さんに言った。

「本当に? ……まぁ少し胡散臭いところもあるけど、信用するよ」と。

 それを聞いた鬼一爺さんは、ややムスッとしながら言うのである。

(なんじゃい、その言い方は。まぁええわい。兎に角そういう事じゃ。涼一はまず、地龍の陣を発動する事に今は専念するんじゃ。それが出来れば、あとは我が細かく涼一に指示して、最後は奴を仕留めるだけじゃからの)

「頼りにしてるよ、鬼一爺さん。でもさ、一将さんが言ってた【黄泉は水が湧くように何度も蘇る】という言葉が気になるんだよなぁ……」

 俺はさっきから引っかかっていたことを呟いた。

 すると鬼一爺さんは、何やら難しい表情でボソッとこう言ったのである。

(確かにの……。そこは我も気になるところじゃ。場合によっては……裏門を開かねばならぬかもしれぬな……)と。

「う、裏門? 何それ」

 聞きなれない単語を聞いた俺は、首を傾げつつ尋ねる。

 だが鬼一爺さんは、やや不自然な笑みを浮かべて言うのだった。

(ま、まぁ、兎も角じゃ。涼一はまず、地龍の陣を発動させることだけを考えるのじゃ)

「それは分かってるけど……なんか気になるなぁ」

 今の鬼一爺さんの反応が、やや気になるところではある。が、俺の今しなければならない事は、何よりも地龍の陣の確実なる発動だ。

 その為、俺は習った内容のおさらいを最初から始めようと、足元に置かれた仮の地龍の陣に目を向けたのである。が、俺は今の時刻がついつい気になり、腕時計で確認をするのだった。

 今の時刻は午後5時。窓を見れば、もうかなり日も傾き始めていた。

 この時期の日の入り時刻は、大体、午後6時前後なので、もう1時間もすると完全に暗闇が辺りを覆い始めるだろう。

 そう考えると共に、俺の中で、刻一刻と迫りくる黄泉との対決が、プレッシャーとして重く圧し掛かってくるのであった。

 だが、今しなければならないのは地龍の陣を確実に発動させる為の練習である。

 俺は無理やり意識をそちらに切り替えると、また地龍の陣を発動させる型の練習を始めるのであった――


 ――それから30分後。

 土門長老と一将さん、そして一樹さんと宗貴さんの4人が、この部屋に姿を現した。

 型を組んでいる最中だった俺は、一旦やめて4人の方へ向き直る。

 4人は俺の近くに来ると、まず土門長老が口を開いた。

「日比野君、ご苦労じゃな。ところで、鬼一法眼様はおるかね?」

 俺が確認するまでもなく、鬼一爺さんは霊圧を少し上げて声を発した。

(おるぞ、土門長老。その様子じゃと、もう向こうの準備は整ったという事かの?)

 土門長老はコクリと頷くと言った。

「はい、鬼一法眼様。先程、ご説明があった場所に、地龍の陣と八門の陣すべての結界を配置しておきました」

 それを聞いた鬼一爺さんは無言で頷く。

 すると今度は一将さんに視線を向ける。

 そして口を開いた。

(では、一将殿。八門を担う術者の首尾じゃが、どんなもんじゃろうの?)

「先程、鬼一法眼様が仰られた一樹や宗貴君クラスの霊能を持つ者は、我が道摩家の関係者達の中に5名程おりましたので、その者達にお願いする事にいたしました。また、その者達には休門・生門・傷門・杜門・景門の五つを担ってもらい、それぞれの結界内でとる印の術式もすべて説明を終えております」

 鬼一爺さんは顎に手を当てて頷くと言った。

(フム……。では、一将殿。後は黄泉の動きじゃが。先程、上空から監視をすると言っておったが、そちらの方はどんなもんじゃろうの?)

 一将さんはポケットから、手の平サイズの小型無線機を取り出すと、鬼一爺さんに言った。

「ただ今、手配したヘリがあの山の上空を監視しております。日も大分落ちましたので、奴の動きが分かり次第、此方にある機器にすぐ連絡が入ってくる手筈になっております」

 今の内容を聞くなり、鬼一爺さんは納得した様に何回か頷くと、皆の顔をゆっくりと見回す。

 それから目つきを鋭くして言うのだった。

(そうか……。ならば後は、我らが何時でも結界を発動させられるようにするだけじゃな)

 皆は鬼一爺さんの言葉に無言で頷く。

 と、その時だった。

 この部屋の扉が開き、明日香ちゃんが中へと入ってきたのである。

 そして俺達の所に元気なくトボトボと来ると、申し訳なさそうに口を開くのだった。

「あ、あの……ご、ごめんなさい。何時の間にか寝てしまっていました……。本ッ当にごめんなさい」

 明日香ちゃんはそう言った後、深々と皆に頭を下げる。

 それから恐る恐る、顔を上げて皆の顔色を窺うのである。

 だが皆は、明日香ちゃんを見ながら、どこか不自然な感じでニコリと微笑んでいた。

 まぁこういう風になるのは無理もない。

 アレがあった後に、普通通りというのは中々難しいだろう。

 俺がそんな事を思っていると、土門長老が明日香ちゃんの肩にポンッと手を置いて言うのであった。

「ま、まぁ、明日香もここ最近は疲れていたじゃろうから、無理ないの。そんなに気にせんでもええ」

 続いて宗貴さんに一樹さん、それに加えて一将さんも不自然な笑顔のまま言うのであった。

「そ、そうだよ、明日香。ここ最近は色々とあったから、明日香も疲れたんだ。気にしなくていいよ。ハ、ハハッ」

「お、俺達は何も気にしてないから、明日香ちゃんもそんなに気にしないでいいよ」

「そうだとも。我々は何も気にしていない。明日香ちゃんも気にしないでくれたまえ」

 俺を除いた4人は、微妙な言葉づかいなので、明日香ちゃんはやや首を傾げていた。

 だが、そんな4人の反応に安心したのか、明日香ちゃんは胸を抑えてホッとした仕草をする。

 それから改めて言うのだった。

「またよろしくお願いします」と。

 という訳で、メンツが揃った俺達は、まず、地龍八門の陣を行使する為の最終準備確認をする事になった。

 そして全ての確認を終えると、全員が気を引き締めた表情になり、このビジネスホテルを後にしたのであった。



 ―― 一方その頃 ――



 秀真と麻耶は、涼一達がいるビジネスホテルのすぐ近くにいた。

 だが、場所は先程いた廃工場ではない。

 2人がいる場所は、ビジネスホテルの前を横切る道路沿いであり、その路肩に路上駐車したスカイラインGT−Rの中に秀真と麻耶はいるのであった。

 また、路上駐車しているスカイラインGT−Rの車体は黒色な為、夕闇が広がりつつある周囲の景色に溶け込むよう同化していた。

 パッと見た感じでは、恐らく誰も気付かないだろう。

 そして、そのGT−Rは時折通る車のヘッドライトで照らされた時のみ、その姿を現すのである。

 また、それに加えて2人の衣服は黒っぽい衣服から黒い修祓霊装衣へと変わっている為、パッと見ただけでは、中に誰も乗っていないかのようにも見えるのだ。

 2人は暗闇を上手に利用して紛れ込ませながら、この場にいるのだった。

 此処で2人は何をしているのか……。

 それは勿論、涼一達の動向を窺う為であり、動きがあった場合は即座にその後を尾行する為である。

 そういった理由から、今、2人が張り込む位置は、ビジネスホテルからの出入りが非常に良く確認できる場所なのであった。

 またその他にも、今はホテル入口を鮮明に浮かび上がらせる屋外用の水銀灯が点灯している事もあり、2人にとって非常に都合の良い条件が揃う様相となっていた。

 その為、見ようによっては昼以上に監視しやすい状況となっていたのである。


 夕闇が深くなりつつある中、2人は明るく照らし出されたホテル入口をジッと無言で見詰める。

 と、その時だった。

 ビジネスホテルの入り口から2台の車が出てきたのである。

 それは2人が標的とする車であった。

 白いランドクルーザーと黒いレガシー・ツーリングワゴンである。

 それを見た麻耶は秀真に言う。

「奴等、出てきたわよ」

「ああ。では、俺達も行くとするか」

 秀真は、キーを回してエンジンを点火させる。

 そしてヘッドライトを灯し、ある程度車間距離を取りながら、涼一達が乗った2台の尾行を始めるのであった――


 ――高御上市の市街地を抜け、田園地帯を暫く走らせたところで、涼一達一行は車を農道脇に止めた。

 またそこから後方約500mのところで、涼一達に張り付くよう尾行していた秀真と麻耶も、それに連動するかのように車のスピードを弱めたのだった。

 そして、涼一達から死角になる部分に車を止めるのである。

 2人は後部座席から幾つかの小物を取り出すと、自分達が着る修祓霊装衣の上から、それらを装着する。

 装着が終わると2人は、更に後部座席から大きなアタッシュケースと黒い鞄を手に取り、車から降りたのであった。

 麻耶は自らの手に持つアタッシュケースに視線を向かわせると言った。

「さて、この霊能計測カメラだけど。何処に設置する? このカメラ、データ計測自体は大まかだけど、かなり広範囲に計測できるやつだから、それなりに離れた場所の方がいいと思うわ。しかもカメラ自体が送信用の電波以外に色々なものを発生させるから、近くだと奴らに気付かれるかもしれない」

 秀真はアタッシュケースをチラッと見た後、現在地からやや離れた火霊術が施されている結界の辺りに視線を向ける。

 そして視線の先を指さすと口を開いた。

「向こうの結界のある辺りに農道があった筈だ。其処に幾つか電柱が建っていた。その電柱に取り付けておこう。丁度、奴等の向かう神社から手前に300m程離れた辺りだ。あの位の距離なら問題なく、奴らが何かやった時の霊能力データを拾えるだろう」

 だが、今の内容にやや引っかかる点があった麻耶は、確認する為に問いかけた。

「でも結界の近くだと、結界自体の霊波が邪魔して、正確に計測出来なくなるんじゃないの?」

 麻耶の言葉を聞いた秀真は、自分の手に持った黒い鞄に視線を向ける。

 そして大して問題ないかの様に言うのだった。

「この距離とこの暗闇なら、少しくらい結界を間引いても気付かれん筈だ。この近辺には鎮守の森の浄士は誰もいないからな」

 麻耶は周辺を軽く見回すと、秀真に言う。

「分かったわ。……でも、なぜこんな広範囲に火霊術の結界を張ったのか気になるわね……。それにあの神社で奴等は結界術を使うらしいけど、どんな術なのか興味あるわ」

 秀真は鞄の中にある物を一つ一つ確認しながら答える。

「詳しいことは分からんが、探りを入れた者の話だと、あの神社付近で道摩家に伝わる大きな結界術を使うのだそうだ。それと火霊術の結界の方は、一応、黄泉という魑魅が火を嫌う可能性があるかららしい。可能性があるというだけで、ここまで大掛かりにやるとは、ご苦労な事だがな……」

 今の言葉を聞いた麻耶は、鼻で笑うような仕草をすると言った。

「性格悪いわね、兄さん。封印を解いた張本人が良く言うわ。でも、道摩家に伝わる大きな結界術って、どんな術なのかも気になるわね。とりあえず、お手並み拝見てところかしら」

 秀真はチラッと麻耶に視線を向けると、笑みを浮かべて言った。

「まぁそういうことだ。さて、時間が惜しい。とりあえず、早くそのカメラを設置して、奴らのところへ向かうぞ」

「ええ」

 そして2人は、夕闇の中へと足早に紛れてゆくのだった――

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