四拾弐ノ巻 ~魑魅
《 四拾弐ノ巻 》 魑魅
――3月中旬
土御門家と道摩家の合同修祓訓練が始まってから、今日ではや2週間。
俺は昼と夜の現代霊術学習で、何となくおぼろげにだが、今の呪術業界事情というものが少しづつ分かり始めてきたところである。
まぁ色々ととっつきにくい部分は多少あるが、その都度、他のメンバーからも教えてもらったりしているので、今のところは順調だ。皆に感謝である。
そして、初めはヨソヨソしい感じで接していた土門長老のお孫さん達とも、今では気軽な感じで話を出来るようになったので、和気藹々とした雰囲気の中、俺は学ぶ事が出来ているのである。
だが、気軽には話せるようにはなったが、明日香ちゃんとだけは上手くいかない事も多い……。
天目堂での一件が、まだ明日香ちゃんの中で許せてない部分があるのかもしれない。もしかすると、他の理由もあるのかもしれないが……。
とりあえず、それがここ最近の一番の懸念事項なのである。
実は昨日も、明日香ちゃんが俺に突っかかってくるものだから、少し困ったことが起きたのだ。
それは午後から始まった、各状況下における修祓のあり方についての意見交換を皆と行っている時だった。
俺がそれについての意見を言った後、明日香ちゃんが猛烈に駄目を出すという感じだったのだが、正直、『何も其処まで否定しなくても……』と思ってしまったほどである。
なんせ、ムキになって俺の意見を否定してくる感じなので、俺もタジタジになってしまう。
一応、その場は宗貴さんが俺達の間に入ってくれたので、それ以上の事は起きなかったが、最近そういう事が多くなってきているのである。
その為、俺に対する明日香ちゃんの態度が日増しに厳しくなっているような気もするのであった。今の俺には頭の痛い事なのだ。
という訳で、そんな微妙に難しい人間関係もあったりする為、全てが順調というわけでもないのである。
まぁそれはさて置き、話は変わる。
瑞希ちゃんもここ最近は、学校の帰りに沙耶香ちゃんのマンションに寄る日々が続いている。
剣道部の練習があるので、瑞希ちゃんもそれほど頻繁には来れないが、色々と都合をつけて此方に来ているようだ。
その他にも、休みになる土日はなるべくコッチを優先するようにしているとも言っていた。
まぁ好奇心旺盛な子なので、これは仕方ないだろう。瑞希ちゃんは意外とオカルト好きなのかもしれない。
そんな瑞希ちゃんであるが、訓練に来たときは、勿論、俺の部屋に来るときと同じ様に元気よく現われるので、この訓練の場が更に明るい雰囲気となる。
その為、場を明るくするのにも貢献しているのだ。
だがその代わり……。
瑞希ちゃんが来た時には、俺の両隣が沙耶香ちゃんと瑞希ちゃんになる事が多く、時折、非常に緊迫感の漂う空気になるのは前と変わらずだが……。
そしてその度に『一体何なんだ?』と俺が思うのも相変わらずの事なのであった。未だに原因の分からない事柄の一つである。
因みに明日香ちゃんも、瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんには俺と違って普通に接しているので、俺以外とは今のところ何もトラブルはない。
そういった事を踏まえると『明日香ちゃんが俺にいい顔しないのは、やっぱり、天目堂での一件しかないな……』という風に考えてしまう、今日この頃なのである。
とまぁ合同訓練はこんな感じで進んでいるのであった。
だがしかし……。
この集まりの本来の目的は訓練にあらず。
鬼一爺さんによる、人間観察劇場が本来の目的なのである。が、これについてはノータッチなので、俺はサッパリ分からん。
観察をする鬼一爺さんのみぞ知る、というところである。
俺も時々、鬼一爺さんの表情を見たりするが、ジッと皆を見詰める表情から、その真意を計るのは流石に難しい。
その表情を見る限りでは、色々と考えてはいるようだ、というのくらいは俺でも分かるが……。
まぁ兎も角、そのくらいの事しか分からないので、俺はこれについては何も考えない事にしているのであった。
だが、このジジイ……。時々、弥七の役がどうとか、角さんは誰にしようかとか、妙な事を呟いてる時があるのだ。
それを聞いた瞬間、俺は『まさか、このジジイ……このメンバーで、リアル水○黄門をやるつもりなんじゃ……』と心の中で呟いたのは言うまでも無い。
またそれと同時に、『思い過ごしであってくれ!』とも強く願うのであった。
そんな最近の出来事等を思い返しながら、俺は腕時計に目を向ける。
今の時刻は午前10時20分。空を見上げると、俺の頭上からは眩しい日の光が、この高天智市内を照らしつけていた。
お陰で、外気もポカポカと暖かく、春うららといった感じだ。明日香ちゃんとの気まずい事なんかも、どうでもよくさせてくれる。
そしてこう思うのだ。こんなに気持ちがいいと、頭のネジが飛んだ輩が春先によく現われるのも、ある意味仕方が無いな、と。
とまぁそんな訳で、俺は今、外にいる。場所は高天智市の中心街である。
ここ最近は雪が降らない日々がずっと続いており、晴れや曇りの日々が殆どである。
まぁとはいっても、流石にまだ寒いので、ジーンズにミリジャケといった、厚めの服装を俺はしているが……。
話を戻す。
10日ほど前までは、まだ日陰部分に雪も多少残っていたが、今ではもう完全に消えており、冬の面影はかなり薄くなっている。
俺の歩いている道路脇に植樹された街路樹に目を向ければ、所々の枝に芽の様な膨らみが出てきているので、もう数週間もするとこれら木々の芽も開くような感じだ。
おまけに今朝見たテレビニュースでも、今年は暖冬だったので、桜の開花が早いなんて事を言っていた。その為、余計にそう感じるのかも知れない。
そんな事を感じながら、俺は周囲に目を向ける。
今日は天気も良いので、道路には沢山の車や人が行き来しており、賑やかな様相になっていた。
雪のあった頃と比べると、人々の表情も幾分笑顔に見える。なんとなくだが、冬の暗さから解放されたかのような表情だ。
そんな人々の表情を見た俺は、『もう春だな』と心の中で呟くのである。
また、俺の周囲を歩く人々も、春っぽい格好をしている人が多いので、余計に春を思わせる日となっているのだった。
その為、この高天智市の街並みは、冬の装いから春の装いへと移り変わり始めている様に俺の目には映るのである。
そんな周囲の変化に目を向けつつ、俺は目的地に向かって高天智市の中心街を歩く。
因みに今日は合同修祓訓練もお休みで、俺はソッチ方面からは解放されてノーマルな日常を送る予定であった。のだが……土門長老から昨日、俺に話があったのだ。
その内容はというと、「明日の午前10時半までに、和風カフェ『悠』ちゅう店に行ってくれ。土門の名前で予約を入れてあるから、そう言えば向こうも分かる」といった感じの話だ。
俺はわけが分からんかったので、とりあえず、その店に行く理由を聞いた。
だが土門長老は、「ヒョヒョヒョ、行けばわかるわい」と満面の笑顔で答えるだけだったのである。
まぁそんな訳で俺は『何かシックリこないな』と思いながらも、目的の和風カフェ『悠』へと向かって歩を進めているのだった。
話は変わるが、昨日、この話を瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんにしたところ、2人は一瞬、負の波動を少しだけ放ったのである。
だが、すぐに普段通りの表情に戻ったので、それについては別段気にしなかったのであるが、2人はその店の名前と場所を念入りに確認してきたので、寧ろ、それが気になるところではある。
そして、それを聞き終えた瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんは、お互いに向かい合って難しい表情をしていたので、『何かあるのだろうか……』と、俺はやや不安にもなったのだった。
色々と昨日の出来事を考えている内に、とりあえず、俺は目的地である和風カフェ『悠』へと辿り着いた。
俺はその店の前に、一旦立ち止まり、正面を眺める。
この店は和風な喫茶店といった佇まいをしており、ぱっと見は田舎のお屋敷といった感じである。
そして、昔ながらの白塗りの壁や、黒い塗装を施した太い木の柱が特徴のシックで落ち着いた感じの建物なのであった。
また、この店の周囲には洋風な建物やコンクリートの建物が軒を連ねている所為か、色んな意味で非常に目立っていた。
その為、俺はこの店が遠目に見えていた段階から、此処に違いないと当たりをつけていたのである。事実そうだった訳だが……。
まぁそれは兎も角、俺は店の外観を暫く観賞したあと、正面の玄関へと進んで行く。
すると、正面玄関にはモロ和風な格子状の引き戸が設けられていた。勿論、その上には紺色の暖簾がかかっている。もうこれだけで、和風といった感じだ。
玄関を見ていてもしょうがないので、その引き戸に近付くと俺は戸を引く為に手を伸ばす。
だがその時。
触れるまでもなく、自動で引き戸がスライドしたのだった。
何も知らずに、引き戸に思わず手を掛けようとした自分が、少し恥ずかしくなってくる。
またそれと同時に、なんか知らんが騙されたような気分にもなってくるのだ。
そしてこう思うのである。『紛らわしいんだよ! 自動ドアって書いておけよ』と……。
俺はそんな文句を心の中で叫びつつ、玄関を潜るのであった。
店内は外見から想像していたとおり、モロ和風な雰囲気で、若干、薄暗い感じの静かな様相をしていた。
天井に取り付けられたスピーカーからは、川のせせらぐ音や小鳥の囀りが聞こえてくる。その為、気分的にもゆったりとした感じになるのである。何かこう、森林浴をしている様な錯覚と共に、日々の疲れが癒されるような感じだ。
俺はそんな演出に癒されながら、店内を見渡す。
すると、先ず最初に、縦に整列した四角い木製のテーブルが幾つも目に飛び込んでくる。勿論、それらのテーブルにはお茶やコーヒーを楽しむ人達が何組もいた。
また、天井に目を向けると、和紙のカバーで覆われた、これまたモロ和風な照明器具があり、それらが程よい灯りを店内に提供しているのだった。
道路に面した壁際には大きな窓があり、そこにはカーテンの代わりに障子の衝立が置かれていた。
その衝立からも外の明かりが店内に入ってくるので、店内は薄暗い感じがするにも拘らず、非常に見通しのよい空間となっているのだ。
反対側にある壁際には、やや歪な形をした陶器の置物や日本庭園の写真、そして風景画等がおかれており、この店内の雰囲気をより和風な雰囲気へと傾けさせている。というか、この店は何処を見渡しても、和風な物ばかりなのである。
だがしかし。
見た目は確かに和風で品の良さそうな感じがするが、俺にはこの店に入ってから唯一つだけ、違和感が付き纏っているのだった。
それは、こんな和風な店内にコーヒーの香りが漂っている事である。
これは物凄いギャップを感じさせる。その為、俺的にはシックリと来ない空間となっているのだった。『違うだろ、オイッ』と突っ込みを入れたい衝動に俺は駆られる。勿論、突っ込むつもりはないが……。
まぁそれは兎も角。
店内の様相を少しだけ見渡した俺は、これまた和風な着物を着た2人の若い女性がいる、正面の受付へと向かい歩を進めるのである。
俺が受付に行くと、丁寧な仕草で2人の女性は挨拶してきた。
「いらっしゃいませ。何名様でございますか?」
そこで俺は土門長老の言葉を思い出し、それを女性に告げる。
「あのぉ、すいません。今日、土門の名前で予約が入っていると思うのですが……」
「はい、少々、お待ちいただけますか」
ハキハキとした明るい口調で女性はそう言うと、手元にある帳面を確認する。
そして確認を終えると俺に言った。
「はい、確かに。では、御席にご案内致しますので、此方へどうぞ」
予約を確認した女性は、俺を店内の奥へと案内する。
だがその途中、誰かに見られているような錯覚を覚えるのである。
その為、俺は周囲を見回した。だが、周囲のテーブルには普通にお茶やコーヒーを楽しむ人達ばかりで、俺に視線を向ける人の姿は皆無であった。
まぁそんな訳で、俺はやや首を傾げつつも、案内する女性の後をついて行くのである。
「お客様。こちらになります」
その女性は、黒い木の衝立に仕切られた席へと俺を案内した。
女性に促されるまま、俺はその席へと向かう。
するとなんと、其処には詩織さんが居たのである。
その為、俺はやや驚きつつも挨拶をするのだった。
「こ、こんにちは。詩織さん」
今日の詩織さんは、ベージュのコートに白っぽいスカートといった服装で、何となく春っぽい質感の着こなしであった。
また詩織さんは、いつもと同じく眼鏡をかけているが、フレームの色が服装と良く似た淡い色合いの眼鏡を今日はかけているので、いつもよりも柔らかい印象を受けたのだ。
そして、そんな詩織さんは俺に笑顔を向け、返事するのである。
「あら、やっぱり日比野君だったのね〜。実は私も、今来たところなの」
「そうだったのですか」
と言いながら、俺はとりあえず、詩織さんの向かいにある席に座った。
因みに、俺達がいるこの席は4人用のようだ。椅子も4脚ある。
まぁそれは兎も角、俺が座ったところで、案内してくれた女性はオーダーを取りはじめる。
テーブルの上に置かれたお品書きを暫し眺めた俺と詩織さんは、此処のお勧めメニューである抹茶オレとケーキの類を頼む。
そして、オーダーを取った女性が去ったところで俺は口を開くのである。
「今、詩織さん、『やっぱり』と言いましたけど、土門長老から何か聞いてたんですか?」
「ウフフ。実はね〜、今年のお正月に、お爺さんが私に合わせたい人がいるって言ってたのよ。それでこの間〜、訓練の説明を家でお爺さんがされた時に、日比野君の名前が出たものだから、今日は『もしかして』と思ったの」
詩織さんはニコニコとゆるい口調で話すので、場の雰囲気がゆっくりと感じられる。
またそれと同時に、声を聞いてるだけで、今日はいつも以上に癒し効果が発揮しているようにも感じられるのだ。
恐らく、この静かな和風空間の雰囲気が、それに拍車をかけているのだろう。
それは兎も角、ある意味凄い人である。
とまぁそれはさて置き、俺は言う。
「ハハハ、そうだったのですか。そういえば、去年の暮れ辺りに、土門長老からそんな話があったのを今、思い出しましたよ……ン?」
だがその時!
俺達の付近から、2人の人間が放つ、負の波動を感じたのである。しかも、俺達の席に向けて発せられた様な気がしたのだ。
方向としては、恐らく、俺の後ろにあるこの衝立のすぐ向こうからである。
俺は衝立の隙間から見える後ろの席に視線を向けた。
だが、この狭い隙間からでは、人がいるという事以外は確認出来ない。また、今は負の波動も少し控えめな状態だ。
その為、やや怪訝に思いながらも俺は詩織さんに視線を戻すのである。
すると詩織さんは、首を傾げながら言うのだった。
「後ろがどうかしたの? 日比野君。なんか難しい顔してるけど……」
「あ、いや、なんでもないですよ。アハハ」
俺は変に気を使わせるのもアレだと思い、普通を装って軽く返事をする。
「ウフフ、変なの。……ところで日比野君、話は変わるんだけど……」
詩織さんは、やや難しい表情をしながら言葉が止まった。
何か言いにくそうな感じがしたので、俺はとりあえず、詩織さんが話しやすいよう、爽やかに尋ねてみた。
「はい、なんでしょうか?」
やや間を空けてから詩織さんは話し始める。
「……実は、明日香の事なんだけど〜」
「明日香ちゃんの事……ですか?」
詩織さんはコクリと頷くと、続ける。
「ここ最近、明日香が突っかかって来るので、日比野君も嫌な思いをしたでしょう〜……。ごめんなさいね、日比野君。私から謝らせてもらうわ」
そう言うと、詩織さんは丁寧に俺へ頭を下げる。
俺は予想外の展開だった為、やや驚きつつも言った。
「いえ、そんな、謝らないで下さい。それに、俺が天目堂であんな事を明日香ちゃんにしたのが原因だと思うんで……」
だが詩織さんは首を左右に振って言うのである。
「違うわ……。明日香はその事で日比野君に強く当たっているんじゃないと思うの〜。多分だけど、お爺さんにあの事を聞かされたからだと思うのよ」
「あの事……ってなんですか?」
俺が逆に問い掛けると、詩織さんは周囲に注意しながら小声で言った。
「実は、訓練の2日目に明日香がお爺さんに聞いたのよ。日比野君の位階の事を〜……」
そんな詩織さんにつられて、俺も小声で言う。
「位階の事で不味い事があったんですか?」
「ううん、違うの。日比野君と明日香の位階が同じなので、あの子多分、それが気に入らないのよ。だから、日比野君に強く当たるんだと思うの〜。あの子、結構、負けず嫌いなところがあるから……」
詩織さんの話を聞き、そう言えば、明日香ちゃんと同じ位階だったのを思い出した。
それと共に、今までの俺に対する明日香ちゃんの姿が思い返される。
そして今の話を聞いた俺は、ここ最近、何か引っかかっていた物がようやく取れた気がしたのだった。
俺は目を閉じて、今までの事を暫し考える。
確かに明日香ちゃんは、恨みというよりは俺に張り合うといった感じで、突っかかってきていたのである。そういったシーン全てがそうなのだ。
俺はそうやって今までの事を思い返すと、詩織さんに言った。
「思い返してみると、納得のいく部分が多々あります。……そうだったのですか。でも、位階を決めたのは俺じゃないしなぁ……はぁ」
そうなのだ。こればっかりは、俺が決めた訳じゃないので、どうする事も出来んのである。
俺がそんな風に溜息を吐いていると、詩織さんは優しい口調で言うのだ。
「日比野君は何も悪くないから、それは気にしないでね。それと日比野君……こんな事を言うのもアレだけど、あの子の事を嫌わないで欲しいの。明日香もその内、納得する日が来ると思うから。ゴメンね、日比野君」
と言うと、詩織さんはまた丁寧に頭を下げるのである。
なんか知らんが、そこまで下手に出られると悪い気がしたので、俺は爽やかな笑みを浮かべて言った。
「ハハハ、そんなに気にしないで下さい。俺もそんなに気にしてませんし、明日香ちゃんの事を嫌ったりなんかしないですから。それに、今の話を知ることが出来たので良かったと思ってます。だから、お顔を上げてください」
詩織さんは俺の言葉を聞き、ホッとした表情になる。
そして先程と同じ様に笑顔になり、言うのである。
「ありがとう、日比野君。よかった〜……私の思ったとおりの人で」
「えっ、思ったとおりの人?」
「ウフフ、実は初めて会った時に、日比野君て心の優しそうな人だなと思ったのよ。だから〜、今の話もしたの。ウフフ」
そう言いながら詩織さんはニコニコと微笑む。
「ナハハハ、そうですかね」
俺もそれにつられて笑顔になる。
とまぁこんな感じで、俺達の談笑が始めるのだった。
――それから20分後。
俺達は注文した抹茶オレを飲みながら、他愛のない世間話や身の上話を続けていた。
だが、その身の上話の時に、「日比野君の師匠である、法眼さんてどんな人?」とか聞かれたときはドキッとしたが……。
この質問については、一応、「毎週放送されている水○黄門が大好きな、良く分からん霊能爺さんです」と答えておいた。
すると詩織さんは、「本当に~。実はウチのお爺さんも、大好きなの~」とか言ってたので、少々意外だった。だがそれと共に、凄く嫌な予感もしたのは言うまでも無い。
まぁとりあえず、そんな柔らかい雰囲気の中で俺達は談笑をしているのであった。
話は変わるが、この抹茶オレ。この店のお勧めらしいのだが、俺の口には合わない。なので、普通にコーヒーを頼んでおけばよかったと、少し後悔しているのである。
という訳で話を戻す。
柔らかい雰囲気の中、詩織さんと色々な話をしていると、衝立の向こう側から俺達に向けて、時々、負の波動が発せられることがあった。まぁ今は治まっている様だが……。
その為、『この衝立の向こうにいるのは、一体何者なんだ……』などと考えながら、俺は詩織さんと談笑をしているのである。
正直、なんか居心地が悪いのだ。話をしていても、背後が気になるのである。
どんな人間がこの向こうにいるのか、一度、確かめておいた方がいいな……。
などと考えた、丁度その時。
詩織さんは、何かもったいぶった様に尋ねてきたのであった。
「ところで、話は変わるのだけれど〜……。日比野君は、今、お付き合いしている方とかはいるの?」
「ヘッ? ああ、付き合ってる子ですか……。え〜と、実はいないんです。ナハハ」
俺は唐突な質問だったので、気の抜けたような声を出してしまったが、とりあえず、そう答えた。
すると詩織さんは、両掌を喉元で組み、ニコニコと答える。
「ウフフ、日比野君は今、フリーなんだぁ。実は、私もフリーなの〜。ウフフ」
「そ、そうなんですかぁ」
だが、その時であった!
俺の背後からガタッという物音と共に、物凄い負の波動が発せられたのである。
一瞬、身の危険を感じてしまうくらいの負の波動を……。
その為、ゾクリッと悪寒が走った俺は、反射的に思わず背後を振り返り、衝立を凝視してしまうのだった。
そんな俺を見た詩織さんは、ニコニコとした表情で言う。
「……日比野君、ちょっと待っててくれるかしら〜」と。
詩織さんはゆっくりとした動作で席を立ち、この空間を出る。
そして俺の背後にある衝立の方へと向かうのだった。
俺は衝立の方へ耳を欹てる。
すると――
「あら〜、やっぱり、あなた達だったのね〜。ウフフ、こっちに来て皆でお話をしましょうよ。その方が楽しいから〜」
「「エッ、アッ、は、はい」」
――といった感じのやり取りが聞こえてきたのである。
なんか慌てた感じの様子だったが、向こうの人数は2人のようだ。
そんな訳で俺は『詩織さんの知り合いかな?』などと考えながら、詩織さんが呼んだ人達がこの席に来るのを待つのだった。
そして10秒ほどすると、詩織さんと共に俺の後ろにいた人物が姿を現わしたのである。
だが俺はその人物を見た瞬間、驚きと共に言ったのである。
「み、瑞希ちゃんに沙耶香ちゃん……。どうして此処に?」
2人は俺の言葉を聞くなり、苦笑いを浮かべ、頭をポリポリと人差し指で掻く。
何処か気まずそうな表情を2人はしていた。
そんな中、まず瑞希ちゃんがモジモジしながら口を開くのだった。
「じ、実は昨日、日比野さんからこの話を聞いた時に凄く気になったので……それで……テヘッ」
続いて沙耶香ちゃんも申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、日比野さん。わ、私もちょっと気になったものですから、高島さんと一緒に……」
2人の様子を見た感じでは、俺の心配?をしてくれたみたいだ。
なんで負の波動を発していたのかまでは分からないが……。
まぁとりあえず、俺も別に責めるつもりはないので、軽く言うのである。
「そ、そうなんだ。びっくりしたよ、ハハハ」
と、そこで詩織さんは2人に言った。
「はい、それじゃあ2人共〜、空いてる席に座ってちょうだい」
「「は、はい」」
瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんは、やや恥ずかしそうに返事をすると、俺と詩織さんの隣にある空いた席へと座る。
とまぁそんな訳で、予想外の面子をここで向かえる事になり、また、今日はこのメンバーで休日を過ごす事になるのだった。
―― 3月下旬 ――
此処はG県の端に位置する山間地域。
日の光が大地を眩しく照らし始めた、とある日の朝の話である。
その山間地域の奥深くに小さな村があった。名前を荒守村という。
50軒ほどの家々が集まった集落で、周囲は山林に囲まれている事もあり、外界と切り離されたかの様な雰囲気が漂う所である。
集落内の家々は全て日本の伝統的な木造家屋で、築40~50年は経過しているであろうという建物ばかりであった。その為、あまり派手な印象はない様相の村である。
また、標高がやや高い地域という事もあり、平野部では消えている雪も、この地域ではまだ雪が沢山残っていた。
山々はおろか、家々の屋根やその周囲にも、まだどっさりと降り積もった雪が残っているのだ。
その為、日の光が射す日中でも、この辺りはまだまだ冷たい空気に覆われているのである。
だがそれでも、1月の寒い時期と比べると雪も大分消えているので、除雪という作業から解放されているという事だけでも、此処に住む者達にとってはありがたい事であり、村の人々は気温の事などはあまり気にせず、気楽に生活をしているのであった。
村の中を走る舗装された幾つかの道路には、車や人々の往来も急がず焦らずといった感じではあるが確認出来、そういった人々の動きがこの村の長閑さとして伝わってくるのである。
こんな長閑な村ではあるが、此処に住む人間はやはり年配の者が多く、若者はやや少ない。その為、限界集落と半ば化している村でもあるのだった。
そんな村内の片隅で、やや慌しい雰囲気となっている所があった。
其処は神社と隣り合わせになった民家の前である。
その民家の前には2人の初老の男がおり、一人は眼鏡が特徴の男で、もう一人は口元を覆うかのように伸びた黒い髭が特徴の男であった。
2人共、背格好は似ており、中肉中背といったところである。
そして今、髭を蓄えた男の方が、眼鏡をかけた男に向かい、焦った様子で何かの説明をしている最中なのであった。
「や、八神さん。た、大変だ。荒守の洞窟から、何かが這って行った様な痕跡が、麓に向かって伸びている。まさか、封印が解けてしまったんじゃ……」
焦る男を落ち着かせようと、八神と呼ばれた男は宥めながら言う。
「まぁまぁ、ちょっと落ち着け、山中さん。それは兎も角、その跡は熊かなんかじゃないのか? この頃、暖かい日も続く様になってきたし」
だが山中と呼ばれた男は、尚も、慌てた口調と手振りで言った。
「く、熊はあんな溝を掘ったような深い跡はつかねぇ。あ、あれは、ぜっ、絶対に熊じゃない」
「フム……。ところで山中さん、洞窟の中は確認したのか?」
焦る男とは対照的に、落ち着き払った口調で八神という男は尋ねる。
「いや、それが……あまりにも異様な跡だったから、怖くなって帰って来たんだ。だから、中は見ていない」
山中という男は肩を落としてそう返事をした。
すると、八神という男は、顎に手をやり、暫し考えるのである。
そして20秒ほど目を閉じて考え込むと、山中という男に言った。
「とりあえず、事情は分かった。だが、結論を出すのは荒守の洞窟へ行って確認をしてからだ。私も今から準備をする。山中さんも、念のため、破魔弾と銃の用意をしてきてくれ。それから洞窟へ向かおう」
「あ、ああ、分かった。じゃあ、用意したらまた八神さんのところへ来る」
そう告げた山中という男は駆け足で走り去るのだった。
――それから30分後。
八神と山中の2人は、防寒着に身を包み込み、ライフルを片手に村のやや下方に位置する、荒守の洞窟の付近へとやって来ていた。
近くに川が流れているのか、2人のいる周囲からは何処からとも無く、水流の音が聞こえる。そのほかに、木々の上からは時折、鳥の鳴き声も聞こえてくる。
そんな物音がする山の中を2人は進むのだが、周囲にはまだ雪もかなり残っている為、非常に歩きにくい状況となっていた。
しかし、2人はこの地に住む者である。そういった事は前もって重々承知している。その為、2人は昔ながらの木で作られた『かんじき』を両足に装着し、急な斜面を徐々に下へと降りてゆくのである。
また、雪のほかにも、周囲には沢山の木々が密集している事もあり、日の光が満足に届かない。
そんな理由から、村の中と比べると気温が低くなっており、2人の吐く息は当然、真っ白いものとなっているのであった。
2人は、そんな寒く急な斜面をゆっくり降りてゆく。
すると木々の隙間から、雪の上に走る、黒い筋状の跡が2人の目に飛び込んできたのである。
八神と山中は、顔を見合わせると、一旦、足を止める。
そしてその黒い筋を目で追うのだった。
2人は、ある地点からそれが始まっているのを確認すると、移動を再開する。
そして、始まりの地点である大きな洞窟が視界に入ったところで、2人は思わず足を止めるのであった。
何故ならば……。
其処は誰が見ても異様と思えるような惨状になっていたからである。
洞窟入口には太い注連縄と格子状の扉が施されていたのであるが、今はもう見る影も無く、無残にも引き裂かれると共に砕け散っており、それらの破片が洞窟近辺に散らばっているのだ。
また、溝を掘ったかの如く異様な黒い跡が、洞窟から麓に向かって伸びており、その溝には所々にドロリとした緑色の液体が付着しているのである。
そういった状況の為、この洞窟入口周辺は、ある種のおぞましい雰囲気が漂う空間となっているのだった。
八神と山中の2人は、洞窟から伸びる異様な痕跡を見るなり息を飲む。
嫌な汗が2人の背中を流れる。
そして2人は暫くの間、無言で立ち尽くすのである。
そんな中、八神は震えながらも口を開いた。
「と、とりあえず、洞窟の中に行って確かめよう。それと山中さん、破魔弾を装填して銃は何時でも使えるようにしておいてくれ」
八神の言葉に、山中は震えつつも無言で頷くと、肩に掛けたライフルに光り輝く銀色の弾丸を装填する。
それらの作業を終えると、山中は八神に言った。
「コ、コッチは準備OKだ。だが、何がいるか分からない。八神さんも十分注意して進んでくれ」
「ああ、それは分かっている。一応、この防寒着の下に霊装衣も着てきたし、術具類も幾つか持ってきたから、少々の悪霊程度なら問題は無い。で、では行こう……」
八神の言葉を合図に、2人は周囲に注意を向けつつ、恐る恐る、洞窟へと進んで行くのだった。
八神と山中は、洞窟内に入ると懐中電灯を灯して先へと進む。
外にいたときは聞こえていた、川の音や鳥の声も、この洞窟内ではまったく聞こえない。閉ざされた空間の様に、何一つ物音が聞こえないのである。
聞こえるのは2人が歩く度に出る足音だけ。そういった状況の変化から、2人の脳裏に言いようの無い不安が襲い掛かるのだった。
だが、意志の力でそれらを抑え込み、2人は洞窟の奥へと歩み続けるのである。
洞窟内は外の寒さと比べると、若干、温かい気温になっている為、2人の口から吐き出る白い息も、やや薄くなっていた。
また、その他にも湿度が高いのか、周囲の壁全体が湿った土の様に色が濃くなっており、懐中電灯が照らし出す部分には、霧状の靄が2人の視界に入ってくるのである。
その為、懐中電灯の明かりはあっても、非常に見通しの悪い様相となっているのであった。
だが、やや背の高い天井を持つ洞窟という事もあり、少々の障害物はそれ程気にしなくてもよいのが、今の2人にとっては唯一の救いとなっていた。
そうはいっても、洞窟内部の見通しが悪いので、途中、石に足が引っかかって転倒しそうになる時もあったが……。
そんな様相をした洞窟内を、2人は恐る恐る慎重に進んで行く。
だが、進んで行くにしたがい、2人は吐き気みたいなものが込み上げてくるようになる。
何故ならば、カビくさい土の臭いに混じって、生き物の腐ったような腐臭が漂ってきたからである。
腐臭が鼻を刺激するようになると共に、2人は手で鼻を覆い隠す。
そして目を細め、まだ見えぬ洞窟の先を凝視するのであった。
そうやって暫く進む内に、2人はやや開けた空間が広がる、行き止まりとなった洞窟最深部へと辿り着いた。
だが、其処へ辿り着くや否や、あまりの惨状に2人は驚愕するのだった。
2人の目の前には、粉々に砕け散った石像の破片が散らばっており、その石像が立っていたであろう下には、直径4mはあろうかという大きな穴が穿たれていたからである。
その穴の周囲にはドロリとした緑色の奇妙な液体が付着しており、それらがある一つの事実を物語っていたのだ。
八神は惨状を目の当たりにすると、その結論を即座に導き出す。
そして、カラカラに乾いた口内から搾り出すように、こう呟いたのであった。
【な、なんて事だ! す、魑魅のふ、封印が解けている……。た、たた、大変だ】