四拾ノ巻 ~修験霊導の儀 二
《 四拾ノ巻 》 修験霊導の儀 二
練り上げた霊力を体内の隅々まで自在に涼一は移動させる。
手足の先から頭頂部に至るまで……。
そんな涼一の意念霊導を凝視する一将と土門長老の2人は、腕を組み、やや険しい表情になりながら「ムゥ……」と低く唸った。
すると2人は互いに顔を見合わせ、目で何かを訴えるかのような仕草をする。
それからまた涼一に視線を戻すのであった。
また、それと同じくして周囲にいる者達はざわつき始めたのである。
そして、その中の一人である明日香は、大きな声で思わずこう言ったのだった。
「う、嘘ッ! な、なんなのよアイツ!」
明日香は我が目を疑った。
何故ならば、涼一の霊力を操る技能が、鎮守の森に所属する修祓者の中においても、そうはいないほどの練達さだからである。
涼一の意念霊導を見た明日香は、隣にいる詩織に言った。
「お姉ちゃん。……アイツ、最大霊力は私達とそんな変わらないけど、霊力を操る腕はピカ一だわ……。あそこまで高めた霊力をあれだけスムーズに、そして身体の隅々まで自在に移動させる術者なんて、私の知ってる限りではホンの一握りなのに……。一体、何者なのよ、あのエロ男」
明日香とは対照的に、穏やかな表情の詩織は、ゆるい口調で答える。
「うふふ、そうみたいね~。でも明日香、それより気になる事があるの」
「気になる事……。何が?」
明日香は首を傾げながら尋ねる。
詩織は緊張感のない笑みを浮かべながら、明日香に言った。
「これは私の勘なんだけど。日比野さんに対するお爺さんの接し方が、少し変だと思うの。何かあるような気がするのよ~」
それを聞くなり明日香は、顎に手を当てて、涼一と土門長老を交互に見る。
だが、特に何も感じない。
その為、詩織に言った。
「そうかなぁ……考え過ぎなんじゃないの」
「ン~、考え過ぎかしら~」
明日香は、のほほんとした詩織から意外な話を聞いたので、少し可笑しくなる。
そして、笑いつつも言うのである。
「アハハ。お姉ちゃんて、何も考えてないように見えて、色々と考えてるのね」
「明日香、酷いわ~。私だって、こう見えても色々と考えてるのよ」
ゆったりした口調の所為か、抗議をしてもまるで迫力がない。
その為、明日香はクスクスと小さく笑うのであった。
姉をからかった明日香は、涼一に視線を向ける。
すると丁度、涼一は意念霊導を終えようとしており、またそれと共に、練り上げた霊力を治めている最中なのであった。
―― 涼一は ――
俺は練った霊力を静かに下げてゆくと、一度大きく息を吐いた。
そして次の指示を待つのである。
すると一将さんは、「オホンッ」と一回咳を入れてから指示を出すのだった。
「では、次に霊波探導の儀へと移行する」
俺は一将さんに視線を向けると頷く。
それを見た一将さんは、軽く微笑むと言った。
「これから周囲に配置された八つの機器に、微弱な霊波が発せられる筈だ。そして君には、霊波の発している機器の番号を答えてもらう。霊波レベルはある程度の幅で、増減するので頭に入れておいて欲しい。それでは始めよう」
説明を聞いた俺は周囲の機器に意識を向ける。
そして一度、大きく深呼吸をしてから霊波が発せられるのを待つのであった。
暫くすると、俺の右横にある機器からやや弱めの霊波が感じられる様になってきた。
俺はその機器の番号を立会人に告げる。
「五」
すると、五番からは霊波が消え、今度は正面の機器から霊波が発せられる。
俺は番号を言う。
「七」
その後も同じ様に色んな機器から、入れ替わり立ち代わり、霊波が発せられるのだった。
但し、最初は一つの機器からだけであったが、次第に数が増え、色んなパターンの組み合わせで霊波が発せられる様になるのである。
そして俺はその都度、霊波の発する機器の番号を答えてゆくのだ。
こんな風に聴覚テストの様な感じの儀式だが、それらを20回程答えたところで、一将さんはこの儀式の終わりを告げるのである。
「うむ、では次に正邪波探導の儀へと移るが、その前に一つ言っておこう。正邪波探導の儀も基本的には霊波探導の儀と同じである。だが、今度はかなり微弱な霊波の上、更に正邪混在の霊波が発せられる。君にはその中から正の霊波のみを答えてもらう」
俺は無言でコクリと頷く。
すると一将さんは、言った。
「では、始めよう」
それから暫くすると、またさっきと同じ様に霊波が発せられるのである。
但し、今度はかなり弱い霊波と共に負の霊波が混ざってだが……。
だが俺にとっては特に問題ないので、さっきと同じ様に答えてゆくのだった。
「三」
「八」
「二と五」――といった具合に。
まぁこんな感じで、この儀も20回程答えると終わりを迎えるのであった。
他の人は10回前後だったのを考えると、何故か知らんが、俺だけやたら答えた回数が多かったような気がするが……。まぁいいや。多分、詳細なデータが欲しいんだろう。
そんな風に思いながらも、もう一つの霊体探導の儀へと進んで行くのである。
で、次の霊体探導の儀は読んで字の如く、霊体を探るテストだ。要するに霊視である。
この儀式は、今やった霊波探導の儀と、非常に良く似ており、霊波ではなく擬似霊体が現われる機器の番号を答えるというものである。
因みにこの儀式では、霊波は完全遮断されているので、それを頼りに判断する事は出来ない様になっている。
そしてこれも、霊波探導の儀の後に正邪波探導の儀をやったのと同じく、様式を変えて2回の儀式が行われるという訳である。
そんな面倒な儀式ではあるが、俺的には非常に簡単で、他の人と比べると悩む時間がないので凄く早く終わった。
だがそれらの儀式の最中、一将さんと土門長老が引き攣った笑いを浮かべ、俺に何か微妙な視線を向けていたので、少し気になるところである……。
気にはなるが、俺はとりあえず、言われたとおりに答えただけだ。
そんな訳で俺自身はそんなに深く考えてはおらず、それよりも、これで前半の儀式が終わったという達成感の方が、脳内では勝っていたのであった。
話は変わるが。
先程、前の人達の様子を見ていた時に、「この2つの儀を一度にやってもいいような気がするんだけど」と沙耶香ちゃんに俺は言った。
すると沙耶香ちゃんは、「この2つは似ているようで違う霊能なので、分けて行っているのです」と言っていた。
確かに良く考えてみると、視ると感じるでは日常生活においても全然意味合いが違う。
その為、そりゃそうか、と俺は納得したのであった。
また、それと共に、こうも思ったのである。
この霊的感覚において、俺は皆と少しズレているのかもしれない、と。
まぁ俺の場合は、そういった事があまりに日常的になり過ぎていたので、そういった区別が曖昧になっていたようだ。
もう少し、一般的な霊的感覚というのを意識しないといけないのかも。などと考える今日この頃なのであった。
という訳で話を戻す。
とりあえず、そんな感じで俺の儀式も一通り終わる。
そしてこれをもって、修験霊導の儀の前半は終了となるのであった。
この後は昼食と昼休みを挟んで、午後から後半の儀式が予定されている。
まぁそんな訳で、儀式を終えた俺はフゥと一息吐いて肩の力を抜くと、瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんの元へ歩を進めるのであった。
だがその時。
ファイルを片手に持った一将さんが、手招きしながら俺を呼ぶのである。
「日比野君。すまないが、ちょっとコッチに来てもらえるだろうか?」
「あ、はい」
俺は、何だろう? と思いつつ、一将さんと土門長老の所へと向かった。
2人の前に行くと、一将さんは真剣な表情になり、小声で俺に言うのである。
「3人で話をしたい。別の部屋に行くから、付いて来てくれるかい?」
雰囲気がガラリと変わった一将さんを見た俺は、『今の儀式で何かやらかしたのだろうか……』とやや不安になる。
だが気になるので、俺は首を縦に振り、返事をした。
「別の場所ですか……。はい、分かりました」
「よし、では付いてきてくれ」
と言った一将さんは広間出口へと向かう。
俺もそれに続く。
そして2人と共に広間を出ると、俺は別の部屋へと案内されるのであった。
広間を出た俺達3人は、幅の広い板張りの縁側廊下を進んで行く。
暖房器具の置かれた暖かい広間と違い、この廊下は刺すような冷たさが床板と空気から感じられる。
そんな寒い中を暫く進んで行くと、2人は広間からやや離れた部屋に俺を連れて来たのだ。
部屋の入口にはモロ和風な障子戸が取り付けられており、中の様相が和室である事をその障子戸が物語っていた。
一将さんは、その障子戸に手を掛け、右にスライドする。
そして、壁に取り付けられた電灯のスイッチを入れて明かりを付けるのである。
スイッチが入ると、天井中央に取り付けられた丸い蛍光灯器具が、室内を隅々まで明るく照らしだす。
それと共に部屋の全様が明かになった。
其処は4畳程の小さな部屋で、棚や机といった生活用品等が何一つ置かれていない殺風景な所であった。
また、ストーブやヒーターといった暖房器具もないので、非常に寒い部屋である。
広間から結構離れたところにあるので、もしかすると、神主さんが着替えをする為に使う部屋なのかもしれない。
フトそんな事を考えていると、一将さんは俺が先に入るよう促すのであった。
俺はそれに従い、部屋へ入る。
すると2人は、周囲に人がいないかを念入りに確認してから部屋へ入り、引き戸をそっと閉めるのである。
どうやら、かなり、人に聞かれると不味い話のようだ。
2人は俺の正面に立つと、先ず、一将さんが口を開いた。
「前半の儀式が終わったばかりなのに、すまないね、日比野君」
「いえ、いいですよ。別にそれほど疲れている訳ではないので」
俺がそう返事すると、一将さんは土門長老に一度頷き、手に持ったファイルを開く。
そして、それをパラパラと何ページか捲ったところで、一将さんは重々しい口調で言うのであった。
「日比野君、君の儀式結果なんだが……。非常に不味い事になっているのだよ」
俺はそれを聞くなり『やべぇ、何かやらかしてしまったのか!』と心の中で呟く。
だが、何が不味いのかを知りたいので、俺は恐る恐る尋ねるのであった。
「あ、あのぉ……俺、儀式で失敗でもしたんでしょうか?」と。
すると土門長老は、首を左右に振り、言った。
「いんや、何も失敗はしとらぬ。寧ろ、素晴らしい成績じゃ。じゃが、問題はそこなのじゃ。儀式結果が良すぎるんじゃよ。それが不味いんじゃ」
「エッ? それって、どういう……」
俺がそう言い掛けたところで、一将さんがファイルを見ながら言う。
「日比野君。君の儀式結果だが、これは異常だ……。とりあえず、君の最大霊力は、鎮守の森に所属する修祓者の平均値だから、この結果で問題はない。だが、残りの儀式結果が不味いんだよ」
「の、残りの儀式結果……ですか?」と、俺。
一将さんはファイルに目を向けると続ける。
「ああ。分かりやすく説明しよう。先ず、君の意念霊導の結果だが、鎮守の森に所属する修祓者の中でも、恐らく、五本の指に入るくらいの成績だ。そして、霊波探導の儀と霊体探導の儀という四つ儀式結果に限っては、もう既に、鎮守の森にいる修祓者の中でも、君に敵う者はいない状態なのだよ」
土門長老の言ったとおり、成績は凄く良いみたいだ。
だが俺は、いまいち不味さが分からないので、尋ねるのである。
「あのぅ、それって、結構不味いんですか?」
一将さんは非常に真剣な表情で言った。
「ああ、非常に不味い。この結果をそのまま鎮守の森に報告すれば、恐らく、いや確実に、他の修祓者達も君へ疑念を抱くだろう。それ程に君の儀式結果は異常なんだ。先ず、君の年齢で、ここまでの霊的技能と霊的感覚が洗練された術者はいないからね。要するに前代未聞ということなんだよ……」
一将さんの説明を聞いた俺は、徐々に事態を理解し始める。
そして、何も考えずに行動をした、浅はかな自分を呪うのであった。
「お、俺、そんな事、考えても見なかったです……」
俺は動揺しながら、俯き加減にそう呟く。
すると土門長老が、ポンと俺の肩に手を置き、優しく言うのである。
「まぁ、そう深刻にならんでもええ。儂は寧ろ、良かったと思ってるんじゃよ。何故なら、この儀式を儂等だけでやった為に分かった事なんじゃからの。これがもし、通常どおり行われる修験霊導の儀であったならば、皆が大騒ぎになってたじゃろうからの。まぁ後は、そうならん為の対策を練ればよいだけじゃ。ヒョヒョヒョ」
「そ、そうですか。……ン?」
と、その時であった。
鬼一爺さんが霊圧を少しあげて、2人の前に姿を現したのである。
俺達の顔を順に鬼一爺さんは見ていくと、腕を組みながら言うのだった。
(ふむ。大分、面倒な事になっておるのかの?)
「おお、鬼一法眼様。お久しゅうございます」
「お久しぶりにございます、鬼一法眼様」
2人はそう言うと、丁寧に頭を下げる。
そして土門長老が口を開いた。
「それが鬼一法眼様。実は日比野君の儀式成績があまりに良すぎるので、少し困っていたのですじゃ。この成績をそのまま修祓者登録すると、確実に他の者達が疑念を抱きますからの」
鬼一爺さんは俺に目を向ける。
何かを考えているのか、顎に手をやってしばらく俺を見ると、爺さんは言うのである。
(なるほどのぅ。まぁ我も、霊力の扱いに重きを置いて、涼一には教えてきたからの。幽現成る者の天稟もあり、霊力の扱いだけなら、もう既に十分なもんじゃわい。おまけに、幽世にも同じく存在しておるもんじゃから、霊を見て感じる力は最早、これ以上ないものを既にもっておるからのぅ)
それを聞いた土門長老は、腕を組み、深く頷きながら言った。
「まったくですじゃ。今日は、鬼一法眼様が以前仰っておりました、幽現成る者の才をまざまざと見さしてもらいましたわい。まさか、これ程とは……」
すると一将さんも深く頷き、言った。
「私も同感です。まさかこれ程とは……。今の状態でこれなら、この先の成長が予測できませぬな。それ程に凄い霊的素質です」
(フォフォフォ、そんなに驚かんでもええ。幾ら幽現成る者とはいえ、人である以上、自ずと限界は見えてくる。確かに優れた才じゃが、涼一はその分、過酷な目にも遭うておるからの。まぁ兎も角じゃ。涼一に関しては、他の術者の霊能力に少し毛が生えた程度のもんじゃとお主等も考えておけばよい。……で、どうするんじゃ? このままじゃと不味いのじゃろう?)
今の鬼一爺さんの言葉を聞いた2人は、互いに顔を見合わせる。
そして笑みを浮かべると、土門長老が言った。
「まぁそれについては、捏造結果を登録するつもりですじゃ。そうすれば後は、日比野君にその能力を隠してもらうだけでよいですからの。ヒョヒョヒョ」
俺は申し訳ない気持ちで一杯になり、2人に頭を下げた。
「すいません、土門長老に一将さん。いきなり迷惑をかけてしまって……」
「いや、気にせんでくれ。さっきも言ったが、寧ろ、良かったと思ってるんじゃからの」
と、そこで、一将さんがファイルを見ながら言った。
「ところで日比野君。話は変わるが、この後は一応、実戦形式の儀式になる。だが、日比野君と沙耶香以外は五つの儀が免除されるのだよ。つまりその面子は、最後である見極めの儀だけでいい事になっているんだ」
「へっ、それってどういう事ですか?」
今度は、土門長老が言う。
「実はの、日比野君。修祓者には位階制度というものがあるんじゃ。一応、正一位から従八位まで十六の位階がある」
なんか知らんが、また訳の分からん単語が出てきた。
その為、俺は眉間に皺を寄せる。
すると、そんな俺を見た土門長老は、スーツの胸ポケットから手帳とボールペン取り出す。
そして取り出した手帳に、今言った位階と階位称号を書き、ゆっくりとした口調で分かりやすく説明してくれるのだった。
「ヒョヒョヒョ、少し困らせてしまった様じゃの。では、簡単に説明しよう。今言った位階じゃが、鎮守の森の規定では正五位から従八位までの八つの位階が浄士の位として割り当てられておるんじゃよ。それでの、この位階従六位から上は、六つの実戦儀式の内、五つが免除されるんじゃ。因みに、家の詩織と明日香は位階従六位と正六位の浄士なんじゃ。それに、宗貴に至ってはもう位階従三位で、浄佐の階位じゃから、その五つは免除されるんじゃよ」
それに続いて一将さんも言う。
「家の一樹も、位階従四位で、浄尉の階位を既に授かっているから免除されるのだよ。沙耶香は年齢も若く、まだまだ未熟な部分もある。そういう訳で、位階はまだ正八位なのだ。だから免除はされんのだよ。ハハハ」
2人の説明で分かった事だが、位階とは第一位から第八位まであり、更にその一つの位を正と従という二つのランクで分けているようだ。
というわけでそれらを全部総合すると十六の位階があるのだ。
因みに、一位は浄衆元帥で二位は浄将、そして三位が浄佐で四位は浄尉。で、五位から八位までが浄士の位階ということだそうだ。
考えてみれば、結構、厳格な階級社会である。
俺は新しく知る事になった事実に、やや驚きつつも言った。
「そ、そうだったのですか、勉強になりました」と。
続けて後半の儀式についても尋ねる。
「……後、因みに、実戦の儀式ってどんな事をやるんですか?」
土門長老は言う。
「実戦の儀式は、修祓の基本となる術具・体術・武具・結界・言霊といった五つの修祓法を実際に行使してもらうんじゃよ。但し、擬似悪霊に向かっての。要するに実戦の中での腕を見るということじゃ。そして最後に見極めの霊導儀式という試練を乗り越えて、修験霊導の儀は終了となるのじゃよ」
今言った中で、気になる言葉があった。
その為、俺は問い掛ける。
「土門長老。今、言霊と言われましたが、それは真言術の事ですか?」
「まぁそうなのじゃが、この言霊の霊導儀式では、皆に同じ言霊を唱えてもらうのじゃ。ヒフミ神歌という言霊をの」
「ヒフミ神歌?」
俺が首を傾げながらそう言うと、鬼一爺さんが訳のわからん言葉を発し始めるのである。
(――ひふみよ いむなや こともちろらねしきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑにさりへて のます あせえほれけ――)
とりあえず、意味が分からんので聞いてみた。
「……何それ? 最初の方は、数の数え方に聞こえたけど……」と。
(これが、ヒフミ神歌じゃよ。これは我の時代でも、よく術者達が言霊の修練で唱えておったわい。まぁ一応、基本的な言霊の一つじゃ。急ぎ覚える術でもないから、涼一には教えてないがの)
「へっ、何で?」
(以前、涼一にも音と霊力の話をしたと思うが。このヒフミ神歌はの、言霊の基本となる四十七の音で出来ており、どの音程に霊力が反応するのかを調べてゆく為のものでもあるのじゃ。涼一の場合は、我の教えたやり方で、反応する音程が分かったから必要なかったのじゃよ。それと、長い呪文を必要とするわりに、使いどころが難しい術じゃから教えなかったのじゃ。涼一の場合は、幽現成る体の事もあり、確実な手段が必要だったしの。フォフォフォ)
教えなかった理由は分かった。
だが、どうやらこの後、俺はこの術を使わないといけないみたいだ。
その為、どうしても術の内容を知っておかないといけないのである。
そこで俺は尋ねる。
「鬼一爺さん、教えなかった理由は分かったけど。因みに、ヒフミ神歌ってどんな術なんだ? 俺は今からそれを行使しないといけないみたいだし」
すると土門長老が答える。
「日比野君。この術はの、己の高めた霊力を周囲に解き放つ術なんじゃ。つまり、術が成功すれば、術者の直ぐ近くにいる悪霊は一掃できるのじゃよ。まぁ術の威力は、言霊の力によって己の霊力をどれだけ奮わせられるかじゃから、術者の腕次第といったところじゃの。それと鬼一法眼様も仰られたが、鎮守の森では、このヒフミ神歌が言霊術の基本となっておる。じゃから、これを唱える事によって、基本的な言霊術の能力を推し量る事にしておるんじゃよ」
「そうなんですか……。でも、自分はこの術を知らないんです。今からじゃ、もう……」
俺は肩を落として土門長老と一将さんを見る。
だがそこで、鬼一爺さんは意外な事を言うのである。
(涼一、お主はもう己の音の程を見つけ出しておる。後はその音で言霊を唱えればよいだけじゃ。その儀式の時は、我がヒフミ神歌を隣で唱えるから、その通りにお主も唱えればよい。のう土門長老、良いじゃろそれで?)
カンニングじゃないか、それ……。
などと俺が思っていると、土門長老は陽気に笑いながら答えるのだ。
「ヒョヒョヒョ、構いませぬぞい。のう道間殿?」
「ハハハ、まぁ今回ばかりは、私も目を瞑らせてもらいますよ」
一将さんの反応を見た土門長老は続ける。
「でも日比野君。今年は良いが、来年までには覚えておいてくれの。それにこのヒフミ神歌は、天照大神が天の岩戸に隠れたとき、天鈿女命が岩戸の前で神舞を舞う、その場で謡われたといわれておる歌じゃ。また、ヒフミ祝詞としても一般に知られておる。この業界で、これからやっていくのじゃから、これは知っておかんとの。ヒョヒョヒョ」
「は、はい。次は必ず、自分のものにしておきます」
そんな2人のやり取りを見た俺は、少しホッとしつつ、そう返事をした。
また話はこれで終わりという訳ではなく、この後も2人から儀式の内容について細かく教えてもらう事となる。
そして儀式の説明を一通り聞き終えてから、俺は昼食となったのであった。
―― 一方、その頃 ――
涼一が一将と土門長老らと共に広間から去っていく姿を、瑞希と沙耶香は首を傾げつつも眺めていた。
3人が広間を去った後、沙耶香は父の様子がいつもと違う為、次第にやや不安になり始める。
また、瑞希も一将と土門長老の様子が変だったので、涼一の事がやや気がかりになっているのだった。
と、そんな中。
一樹が瑞希と沙耶香の元へと歩み寄る。
そして、やや離れた所にいる土御門家の3人に、一瞬、目を向けた後、口を開くのであった。
「沙耶香、昨晩の話は高島さんに言ったのか?」
一樹の言葉を聞いた沙耶香は、やや罰の悪そうな顔をする。
そして首を左右に振り、沙耶香は申し訳なさそうに答えた。
「す、すいません、お兄様。まだ言っておりません」
瑞希は2人のやり取りが気になる。
その為、首を傾げつつ、沙耶香に問い掛けた。
「道間さん、昨晩の話って何?」
沙耶香に変わり、一樹が答える。
「高島さん、実は日比野君についての事なんだ。昨晩、父上と土門長老から話があってね。日比野君の素性は一応、父上の古い知人のお弟子さんという事になっている。もし、土御門家の3人に聞かれたらそう答えておいてくれるかい?」
今の説明を聞いた瑞希は、マンションに向かう途中にあった涼一の話を思い出す。
そして『ああ、そういう事か』と深読みして納得すると、笑顔になって返事をした。
「はい、分かりました。そう答えるようにします」
一樹と沙耶香はそれを聞き、ホッとした表情になる。
と、その時。
後ろから今の話にあった、その土御門家の3人がやって来たのである。
宗貴は一樹に歩み寄ると、口を開いた。
「やぁ一樹君、ちょっといいかい?」
早速、お出ましになったか。
そう思いながらも、一樹と沙耶香、そして瑞希は振り向いた。
3人に笑顔を向けると、一樹は爽やかに言う。
「おお、これは皆様方、お疲れ様でした。それにしても、流石は土御門家の方々です。皆様全員が、非常に高い基礎霊能力を持っておりますね。ハハハ」
「いやいや、一樹君と沙耶香さんも非常に優秀な方ですよ。ハハハ」
宗貴は後頭部を掻きながら、そう言うと爽やかに笑い返す。
そんな宗貴に、沙耶香も笑顔で言った。
「宗貴さん、ありがとうございます。ですが、私はまだまだ未熟者なので、皆様方を参考にこれからも努力しなくては、と今日は思った次第です」
すると、宗貴の後ろにいる明日香が、ニコヤカに言う。
「でも沙耶香ちゃんは霊的才能があるから、すぐに私達の位階までくると思うよ」
「ありがとうございます、明日香さん。その言葉を励みに、頑張ります」
と答えた沙耶香は、明日香に向かい、丁寧に頭を下げる。
そんな感じのやり取りもあってか、6人の集まるこの空間は、次第に暖かい雰囲気となるのであった。
話しやすい空気になったところで、宗貴は一樹に問い掛ける。
「ところで、一樹君。日比野君の事なんだけどさ、彼は一体何者なんだい? 霊的感覚についてはどういう結果なのか分からないが、彼の意念霊導は、確実に、鎮守の森でもトップクラスだよ」
一樹は動揺した様子もなく、普通に答える。
「それが実は、私も詳しい事は分からないのです。父の話では、古い知人のお弟子さんらしいのですが……。それに日比野君は、つい最近、道摩家の元で研鑽する様になったので、私も深いところまでは知らないのですよ」
「一将さんの古い知人のお弟子さんですか……なるほど。まぁそれは兎も角、彼は凄い霊的才能を持ってるのかもしれませんね」
宗貴は顎に手をやり、少し考え込む仕草をする。
そんな宗貴を見た一樹は、話題を変える為に口を開いた。
「ところで、これから昼食になりますが、今日は私共の方で御弁当をご用意させて頂きました。皆さんもご一緒にどうですか?」
宗貴は、詩織と明日香に視線を向ける。
2人は笑顔で頷く。
それを見た宗貴は笑顔になって答えた。
「そうですね、是非、ご一緒させて下さい。色々と親睦を深めるのが本来の目的ですからね。ハハハ」
―― 午後 修験霊導の儀 ――
今の時刻は午後3時半。
空に目を向けると、朝と同じくやや薄暗い曇り空が、この地域一体を覆い尽くしていた。まぁ今日はずっとこんな感じだろう。
そして視線を地上に戻すと、自身の立っている石畳に目を向けるのだった。
俺は今、本殿正面の開けた場所にいる。丁度、上ってきた石階段と本殿の間にあるスペースの所である。
ここは本殿と石階段を繋げるように石畳がびっしりと敷かれており、その石畳を構成している一つ一つの石は、大きさも区々(まちまち)である。
その為、石と石の隙間がヒビワレの様に見え、不規則な模様を形成しているのであった。
また、周囲に目を向けると、藁縄を使った霊波遮断の結界が施されており、内外への霊的影響が最小限になるようになっているのである。
今この場に関係のない第三者が居たならば、その結界を見るなりこう思うだろう。神主さんが建築工事の前などに良く行う、地鎮祭の様だ、と。
何故ならば、藁縄で四角い結界を張っているので、見た目が祭場のような感じになっているのである。
まぁ違いをあげるならば、供え物をする祭壇が無いのと、結界規模がかなり広いという事くらいである。
そういった見た目である為、この神社という空間に非常にマッチした違和感の無い光景となっているのであった。
俺はそんな結界の様相を少し眺めると大きく息を吐いた。
今、俺は六つの儀式の内、四つを終えたところだ。
その四つとは、術具・体術・武具・結界を使った儀式の事である。
とりあえず、ぎこちないところは若干あったが、それらの儀式はなんとかこなしてきた。
だが、この中で一番不安だったのは、なんといっても体術の儀式である。
内容としては、拳や足に霊力を籠めて擬似悪霊を倒すのであるが、俺は空手の様な徒手空拳の武道なんぞやった事がない。
その為、型もへったくれもない、フラフラと腰の引けた、酷く格好の悪い戦闘になってしまったのである。
まぁでも、一応、擬似悪霊は全て殲滅させたのでOKさ、と俺は割り切ってるのであった。
だがこの儀式を終えた時、ギャラリーの一人である明日香ちゃんが、指差して俺を大笑いしていたのが、今でも凄く印象に残っている。
恐らく、そうとう変な戦闘だったのだろう。まぁそれ以外にも、個人的な私怨が若干含まれてる気がするが……。
だがしかし!
指差して笑っていたのは明日香ちゃんだけではない。
他の誰が見て無くても、俺はしっかりと見ていたぞ。
鬼一爺さんがこの儀式の最中に(タコじゃ、タコが陸におるわい。カッカッカッカッ)と指差しながら、豪快に笑っていたのを……。
おまけに儀式を終えた後、(中々、楽しいタコ踊りじゃったぞい。カッカッカッカッ)とワザワザ言いに来やがって!
覚えておけよジジイ! いつかこの借りは返させてもらうからな。
モロに笑っていたのはこの二人だが、瑞希ちゃんや沙耶香ちゃんも必死に笑いを堪えている感じだったので、俺は何気にちょっとショックなのである。
そして、そんなギャラリーの様子を見た俺は『仕方ねぇだろ! やった事がねぇんだから!』と、叫びたい気分になったのであった。
まぁそんな訳で、俺にとって体術の霊導儀式は、ほろ苦い儀式となった訳である。
フンッ……まぁいいさ、終わりよければ全てヨシだ。
話は変わるが、明日香ちゃんには昼食を食べた後、一応、謝っておいた。
俺の平身低頭な謝罪もあって、とりあえず、明日香ちゃんは許してくれたのである。
でも、許してくれたのは、土門長老が俺と明日香ちゃんの間に入ってくれたからだ。
俺一人なら、まだ和解できていないだろう。とりあえず、これについては、ホッとしているところである。ありがとう、土門長老。
そして謝罪を終えると、宗貴さんや詩織さんもその中に加わり、色々と俺の素性を聞かれる事になるのであった。
まぁそれについては裏設定があるので、俺はそのように受け答えしておいた。
で、その裏設定であるが、一将さんの古い知人である法眼さんという人の弟子という設定になってるのである。
裏設定というよりは、言葉が足らない設定といった感じだが、俺はこの訓練期間中はそういう事になっているのである。
因みにこれは、さっき別室に呼ばれた時に知った。
土門長老は、まさかこんなに早く俺の異質さが露呈するとは思っていなかったようで、儀式を終えた後すぐ別室に移動したのは、それを知らせる意味もあったようだ。
という訳で話を戻す。
午後1時過ぎから始まった修験霊導の儀は、前半と同じ順番で、儀式を全て終えた他の面子は余裕綽々の表情で、俺の儀式に目を向けていた。
お陰で、俺は大注目されているのである。まぁ俺がオオトリになってしまったので、この状況は仕方がない。
そんなギャラリーの様子にも目を向けた後、俺はこれから始まる言霊の霊導儀式に意識を向けるのである。
儀式自体は、言霊を唱えて俺の周囲にいる悪霊を殲滅させるのであるが、俺の場合は言霊を覚えてないので鬼一爺さん頼みである。
その為、少しドキドキしているのであった。
因みに、これらの儀式に現われる擬似悪霊は、天目堂が開発した装置によって作り出されている。その為、実際の悪霊と違い、少し変わった負の霊波を発しているのである。
そしてこの機械、実は俺が天目堂へ受け取りにいった、あのアタッシュケースの中身だったのだ。
午前中の儀式においても、霊波を送ったり、擬似霊体を発生させたりしていたのは、この機械だそうである。
その説明を一将さんから聞いた時『悪霊を作り出すとは、ある意味、恐ろしい機械だ』と心の中で俺は呟いた。
またそれと共に、現代科学と現代霊術の行く末も、すこし怖くなってきたのであった。
でも俺がそんなこと気にしても仕方ないので、とりあえず、今は儀式に集中だ。
俺は心を落ち着かせると、正面にいる立会人へ視線を向ける。
すると立会人の2人は一度頷き、一将さんが悪霊を発生させる機器に手を伸ばすのであった。
午後からは土門長老と一将さんも修祓霊装衣に身を包んでいた。
しかも、昼の修祓霊装衣である。
因みに、昼の修祓霊装衣は、ほぼ、神主さんが良く着ている神官服と同じだ。要するに狩衣である。
二人の着る修祓霊装衣は、白と紺の狩衣なので妙に明暗のくっきりとした服装であった。
マジで映画の陰陽師に出てきそうな格好である。
そんな陰陽師風の一将さんは機器を少しいじった後、俺に向かい口を開く。
「では、これより言霊の霊導儀式を行う。開始の合図と共に、結界の四隅に置かれた機器から擬似悪霊が生成されて現われ、それらは君に襲い掛かる。それを君の言霊術で退けて貰いたい」
説明を聞いた俺は、首を縦に振る。
一将さんも頷き返す。
そして言った。
「では始める」と。
一将さんの言葉を皮切りに、機器から負の霊波が感じられる様になってくる。
どうやら、擬似悪霊が生成され始めたようだ。
俺は霊力を練り始めると共に、隣にいる鬼一爺さんに視線を向けた。
すると爺さんは俺にだけ聞こえる声で言うのである。
(さて、涼一。悪霊があれから出てくる前に、ある程度、ヒフミ神歌を唱えておかねばの。では、いくぞ)
鬼一爺さんはそう言うと、ヒフミ神歌をゆっくりと唱え始めるのだった。
そして俺は、鬼一爺さんの後を追うように、唱えてゆくのである。
(ひふみよ)「ひふみよ」
(いむなや)「いむなや」
(こともちろらね)「こともちろらね」
(しきる)「しきる」
(ゆゐつわぬ)「ゆゐつわぬ」
(そをたはくめか)「そをたはくめか」
(うおゑにさりへて)「うおゑにさりへて」
(のます)「のます」
鬼一爺さんはここで言霊を止める。
何故ならば、悪霊が俺の周囲を囲んだところで、最後の部分を唱え、このヒフミ神歌を完成させる為である。
そんな訳で俺は、擬似悪霊が出てくる四隅の機器を注視するのであった。
悪霊が出現するのを待ちながら、俺はこのヒフミ神歌について考えていた。
これを唱えてみて分かったことだが。唱えてゆくにしたがい、高めた霊力が内側から膨張してゆくような感覚を俺は感じるのである。
例えるならば、空気を送り込む風船といった感じである。
恐らくこの術は、ヒフミ神歌という空気を送り込む事で、俺の練り上げた霊力という名の風船を破裂させ、体外に放出するのが目的なのである。
そして、この後に唱える言霊が最後の一押しの役目をするのだろう。
俺はそう考えているのであった。
と、その時。
四隅の機器から勢い良く複数の擬似悪霊が現われた。
悪霊達は俺を囲むように一斉に飛び掛ってくる。
鬼一爺さんは悪霊と俺との間合いを見る。
そして俺と悪霊の距離が5m近くなったところで、最後の言霊を唱えるのだった。
その後に、俺も続く。
(あせえほれけ)「あせえほれけ」
ヒフミ神歌が完成すると共に、俺の中で『ドン!』と何かが弾けた様な感覚が現われる。
それと共に、俺を中心として高めた霊力が白い光を放ち、衝撃波の様に飛び出したのだった。
霊力の衝撃波は、周囲の擬似悪霊を飲み込みながら消滅させてゆく。
そしてあっという間に、襲い掛かってきた擬似悪霊を一掃したのである。
沙耶香ちゃんより、霊力が勢い良く飛び出したので、俺も少しビックリしたが……。
因みに、前にやった沙耶香ちゃんは悪霊を完全に消滅させるのに、この言霊を2回唱えていたので、俺のは上手くいった方なのかもしれない。
まぁそれは兎も角だ。
こう言うと凄い術の様に聞こえるかもしれないが、同時にこの術の弱点も俺は何となく分かったのである。
その弱点であるが、このヒフミ神歌は、折角高めた霊力を一気に散らしてしまうので、強い負の力を持つ悪霊には、あまり効果がないように俺は感じたのである。
鬼一爺さんがこれを俺に教えなかったのは、恐らく、こういった非効率な部分があるからだろう。
術を組み立てるプロセスに見合う対価が少ないので、鬼一爺さんは教えなかったのだ。あくまでも、多分だが……。
そんな事を考えつつ、俺はとりあえず、大きく息を吐くと立会人に目を向ける。
「ン?」
だが、土門長老と一将さんは、目を大きく見開いた驚きの表情で俺を見ているのであった。
その為、何を驚いているんだろう? と少し気になった。
ついでに周囲のギャラリーにも目を向ける。すると、皆が同様に驚いた表情をしているのである。
それを見た俺は、こう思ったのだった。『また、何かやらかしたのだろうか……』と。
だが、考えても分からない。今の術にしても、沙耶香ちゃんより、勢い良く弾けたくらいである。
また不味い事になったのだろうか……。皆の表情を見ると、正直、不安は拭えない。
しかし、擬似悪霊を全て消滅させても、今はまだ言霊の霊導儀式の最中だ。
その為、俺は意識を儀式に戻すと、正面の立会人席にいる2人に向かい、丁寧に終わりの一礼をするのである。
そして面を上げる。
すると俺の視界には、やや引き攣った笑いを浮かべた土門長老と一将さんの姿が入ってきたのであった。