参拾七ノ巻 ~告知
《 参拾七ノ巻 》 告知
――2月上旬。
今は真夜中。
夜空は雲一つ無く、これ以上無いほどに大気は澄んでいる。其処に輝く、星々の輪郭さえもハッキリと俺の目に映るくらいに。
南の夜空に目を向ければ、冬の定番星座である、真ん中に三つ星のベルトをかけたオリオン座の姿が、多くの星の中にあっても燦然と輝いていた。
また更に視野を広げると、夜空を射す様な輝きを放つシリウス・ペテルギウス・プロキオンが作り出す、冬の大三角形が俺の目に飛び込んでくるのであった。
広大に何処までも続く、この鮮明な冬の夜空を眺めていると、今まで見てきた夏の夜空はフィルターを通して見た様にさえ思えるのだ。
そしてこんな夜空を見ていると、俺は以前、ある人が言っていた事を思い出すのである。
その人はこんな事を言っていた。
――冬の夜空は眺めているだけで、周囲の寒さを忘れさせてくれるくらいに美しいと……。
だが、俺はこう考えていた。
――冬の夜空は眺めているだけで、周囲の寒さを忘れさせてくれる……のも数分が限度である、と。
……というかなんなんだ、この寒さは……。
体と下唇の震えが止まらない。ヴヴヴ〜寒ッ!
まぁ早い話が、俺は今、深夜にも拘らず、気温マイナス3度というこのクソ寒い外に居るわけである。
理由は勿論、アッチ関係である。
因みに、今、俺のいる所は高天智市ではなく、其処からかなり離れた海に面した地域である。でも一応、F県内だ。
そんな場所なので、時折、潮の香りと波の音が風に乗って運ばれてくる。だが、周囲が真っ暗で波の音が聞こえてくるのは、なんとも不気味なものである。
また、海抜が無いに等しいのと塩気がある所為か、周囲には雪があるにはあるが、それ程は積もってはいない。暫くすると、すぐ消えてしまいそうなシャーベット状の雪である。積雪40cmオーバーの高天智市とはえらい違いだ。
そしてこの場所だが、入ってくるときに臨海公園駐車場と入口の看板に書かれていたので、此処は臨海公園駐車場なのだろう。まぁ当たり前の話である。
見渡した感じでは、結構だだッ広いスペースの場所だが、暗いのと仕切りの白線が雪に隠れて見えないのとで、あまり駐車場ぽくない様に俺には見えるのだった。
おまけに暗くて景色もよく分からん。よく目を凝らしてみると、向こうに薄っすらと遊歩道みたいなのは見えるが……。まぁ用はないから遊歩道なんぞは別にどうでもいいけど。
で、此処で何をしてるのかというと、勿論、悪霊討伐だ。
大学の後期定期試験も無事 恙無く終える事ができたので、現代霊術の修行再開というわけである。
話は変わるが、俺は今、修祓霊装衣に身を包んでいる。
昨日、仕上がってきたばかりの修祓霊装衣であるが、この着衣の意外な弱点を俺はいきなり体験する事になったのだった。
それは……この服、絶対に冬場には向かないという事だ。はっきり言おう。寒い! 超寒い! もう少し防寒対策してくればよかった。ああ、無念だ……。
まぁそんな事を思っても口に出す事は出来ない。何故ならば、一樹さんも同じ境遇だからだ。俺も文句を言う訳にはいかない。辛抱するしかないのである。
あぁ早く終わらせて帰りたい……。
だが、こんな事を口にだして言おうものなら鬼一爺さんの長い説教が待つのみである。
因みに、鬼一爺さんは居るには居るが、いつもより霊圧を下げて向こうの世界の住人となっている。
そんな訳で、俺以外には見えない状態だ。人目につくと不味いので念入りにそうしてるのである。
というわけで話を戻す。
で、その修祓内容だが、ここ最近、悪霊に襲われて霊体に被害を受け、意識不明の重態になった人がこの場所で何人かいるという事で依頼が入ったわけだ。
それで来て見ると、十数体の悪霊たちがこの辺りを徘徊してるのであった。
普通、こんなに狭い区域に悪霊が集まるのは幽霊屋敷のようないわく付きの建物ぐらいである。理由は簡単である。建物自体が霊力というものを蓄積しやすいからだ。
まぁそんな訳で、要するに異様な事態なのであるが……実はもう原因が判明していたりするのである。
悪霊達が寄ってきたその原因だが、この辺りに生息する暴走族の若者達が、飲酒運転しながらこの駐車場内に入ってきて、此処にあった道祖神石碑を車ごと破壊したのが原因である。非常に迷惑千万な奴等である。
道祖神とは路傍の神様であるが、巷に溢れる道祖神石碑や石像の中には、負の地脈を封じる術式が施された重要な役目を帯びた物もあるそうなのだ。此処が正しくそうな訳である。
原因は分かっているので、後はとりあえず、徘徊している悪霊共を殲滅するだけなのだ。
その悪霊だが、一樹さんが7割がた始末したので、もう残ってるのは4体だけとなっていた。
後は一樹さんに任せよう……。
そんな事を考えている、丁度その時であった。
俺に注意を促す声が聞こえてきたのである。
「日比野君、悪霊が2体そっちに行ったから、よろしく頼むッ!」
「はい、了解ッと。ヴヴ……寒ッ」
俺は声の出所である一樹さんのいる方向へと視線を向ける。
すると其処には、負の波動を発し続ける半透明で赤い色をした人型の存在が2体、俺に目掛けて大きく口を開きながら迫ってきていたのであった。
悪霊を視界に捉えた俺は寒さで震えつつも、破邪の符を人差し指と中指で挟み、その悪霊目掛けて秘めた力を解放するのである。
【ギギャァァ】
白い霊波を浴びた悪霊は、断末魔の悲鳴を上げながら消え去る。
だが、その後ろからもう一体が迫ってきていた。
まぁ予想していた事なので俺は慌てない。
悪霊を注視しながら、俺は背中に背負う刀の柄に手を掛けて手前に引き寄せる。
そして、鯉口部分を手に持ち、鞘から刃を引き抜いたのだった。
刃渡り80cmはあろうかという抜き身の美しい刀身が露になる。
そしてすかさず、霊圧を上げて刀の柄に霊力を籠めるのであった。
俺が刀に霊力を籠めると共に、刀身は静かに淡く白い輝きを放ち始める。
その光は刃の刃紋を浮かびあがらせるかのような淡く美しい光を放っていた。
それを確認した俺は、迫りくる悪霊目掛けて袈裟に斬り下ろしたのだった。
【シャァァァ】
その悪霊は斜めに両断されて悲鳴とともに消滅する。
しかし、俺は気を抜かない。
中段に構えると更に周囲を警戒したのだった。
まだ剣道をやり始めて3ヶ月程ではあるが、剣道で習った残心というのが身体に染み付いているようだ。姫会長によるシゴキの賜物である。
そんな事を冷静に考えながらも警戒していると、先程の方角から一樹さんが刀を鞘に納めつつ俺に言うのであった。
「おお、すまないね。仕留め損なったのがいたもんだから。ハハハ」
「いいですよ。まぁいい練習になりましたし。ハハハ」
俺はそう答えると肩の力を抜いて構えを解いた。
そして右手に持つ、一樹さんから貰った霊刀に視線を向けるのである。
刃渡り80cmはあるので非常に長い刀である。
かの長刀使いの剣豪 佐々木小次郎の持つ物干し竿が刃渡り90cm以上だった事を考えると、まだ普通の刀の範疇に入るのかもしれないが……。
それにしても長い刀だ。一樹さんの鵺が刃渡り70cmくらいの物なので余計にそう思うのである。
この刀は元々一樹さんの所有物なのだが、この長さでは一樹さん自身がイマイチ使いづらかったらしく、ずっと仕舞いっぱなしの刀だったそうである。
だが、そこに俺という人間が現われた為、物は試しという事でひっぱり出してくれたようだ。
因みに気に入ったのならあげる、とまで言われたので、俺は慣れるべく帯刀しているという訳だ。
一樹さんが所有していたというだけあって、刀の拵えは流石に良い物で、丸い鐔や紺色の柄巻もシックながら品の良い感じがするのである。
誰が作った物か知らないが、一樹さん曰く、年代物の古刀ではなく現代技術で作られた刀だそうだ。まぁ早い話が天目堂製というわけである。重さも本物の刀よりは軽いそうだ。
言われてみるとだが、同じくらいの刃渡りがある布津御魂剣を持ったときはもう少し重かったような気がした。
まぁそうは言っても、中々精巧に作られているので本物との違いなどまったく分からない。この刀も結構ズッシリとした感じの重さは手に伝わってくるし。
それに日本刀の特徴である波打つ刃紋も、芸術品とよべるくらいに美しく浮き出ている。俺的には十分すぎる一振りだ。
そんな刀を暫し眺めた俺は、背中にある鞘に刀を仕舞い込むと一樹さんに言った。
「とりあえず、修祓はこれで終わりですけど、コレどうしますか?」
俺は道祖神の石碑が建っていたであろう跡を指差した。
今はもう瓦礫が撤去されているので、其処には元何かがあったという痕跡しか残ってない。
だが、俺にはハッキリと見えるのである。
石碑跡から負の霊波を伴う紫色の煙が湧いて出てくるのが……。
すると、一樹さんは腰の部分にある術具袋から何かを取り出す。
そして言った。
「ああ、其処はとりあえず結界を張っておく。このシートを使ってね」
手には何重にも折畳まれた茶色のシートが持たれていた。
だがその時、一樹さんの持つシートから以前、地霊封陣を行使した時と少し似た波動を俺は感じたのである。
その為、俺は一樹さんに尋ねる。
「それって……もしかして、それ自体に霊力遮断の術式が編み込まれてるんですか?」
「お、よくわかったね。そうだよ。こんな小規模の負の龍穴なら、コレを被せておけば2週間くらいは持つからね。後は神代から工事依頼を受けた業者が、遮断の術式を施した石碑なり何なりを此処に建てるだろうから、それまでの応急処置さ」
俺は聞きなれない言葉が出てきたので問い掛ける事にした。
「神代? 一樹さん、神代ってなんですか?」
「神代かい? ああ、そういえばそれも言ってなかったね。実は鎮守の森には幹部達が役員となって運営する会社があってね、それを神代総合商事というんだ。ちゃんとした手続きを踏んである株式会社だから世間一般にも認知されてるよ」
「えぇ、そうなんですか? 秘密結社だとばかり思ってたんですけど、表社会とも接点があるんですね」
意外な実態を知ったので、やや驚きながらも言った。
すると一樹さんは笑いながら言う。
「ハハハハ、まぁ木の葉を隠すなら森の中にって訳じゃないけど、完全な秘密結社を運営してくのは、この世の中、色々と支障があるからね。そういった理由から、表に出せる部分の鎮守の森という形で、この会社を設立したんだよ。会社という形態ならば誰にも怪しまれないしね。まぁその代わり、社員の素性とかセキュリティー等は凄く厳重に管理してるよ。あと話は変わるけど、古神道において『神代』と言う言葉と『鎮守の森』は、ほぼ同義語だからね。ま、そこから付いた名前さ」
「ホォォ新事実がまた一つ……なるほど。言われてみると、秘密結社って色々と面倒臭そうですもんねぇ。勉強になります」
俺は顎に手をやり、感心しながら話を聞いていた。
言われてみると納得する事が多い話である。
だが、会社という以上は、そこに業務内容というものが伴うので、それも聞いてみることにした。
「ところで一樹さん。その会社はどんな業務をしてるんですか?」
「神代は総合商事というくらいだから色々と手広くやってるよ。まぁ俺達に直接関わる裏業務だけ言うと、この会社は修祓は行わないけど、修祓者への依頼斡旋やサポート、そして厄介な依頼等の事後処理をしてくれるんだよ。この部署を第四事業部というんだ。この第四事業部は、天目堂と一緒に術具の共同研究なんかもしてるしね。まぁ他にも色々と沢山の業務内容や多目的施設があるけど。後はまたその時になったら追々説明するよ」
「へぇ〜なるほど。でも、これは重要事項なんでしっかりと記憶しときますよ」
鎮守の森の新たな一面を知った俺は、知らないところで色んな各種団体があるんやなぁ……などと思いながら、一樹さんが今言った内容をしっかりとインプットするのだった。
とまぁそんな話をした後、道祖神跡にさっきのシートを被せて今日の修祓は終了したのである――
――その翌日の夜。
夕食を済ませた俺は、前もって立てておいた予定通りに、自分の部屋にて霊術の訓練をしていた。
鬼一爺さんも、今日は霊圧を上げていつも通りに振舞っている。ついでに言うと、今はテレビを見ている最中だ。今日は暫く後に水○黄門が放送されるので、鑑賞後がやや心配である。
それはさて置き。
ここ最近は瑞希ちゃんや沙耶香ちゃんとは会っていない。
俺の試験はもう終わったが、今度は瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんが三学期期末試験に10日後あたりから突入するらしく、色々と慌しくなってきたようである。
ま、今の時期は中・高どの教育機関もこんな感じだろう。俺も通ってきた道なので懐かしく思う、今日この頃だ。
とりあえず、二人にはソッチに専念して貰うとして、俺は俺で術の訓練を始めるのである。
実は最近、鬼一爺さんから新しく真言術を教えてもらったのだ。
その術の名前を夜叉真言というのだが、鬼一爺さん曰く、夜叉という鬼の様な力を得られるところから、そう呼ばれるらしい。
で、爺さんの説明を聞いた俺の解釈によるこの術の効能だが、真言を唱える事で体全体の霊力が肉体機能を補佐するようになり、身体能力の飛躍的な引き上げを行うという術のようだ。といっても2倍くらいの底上げだそうだが……。
まぁドラ○ンボールで例えると、早い話が、真言術版の界王拳といったところである。
だが、かなり肉体的にシンドイ術のようで、鬼一爺さんの話を聞く限りでは、術に免疫の無い俺が仮に術を成功したとしても、行使していられるのは3分くらいが限度のようである。
勿論その時、ウルトラマンかよ! と突っ込んだのは言うまでもない。
ただ……気になることが一つあった。
鬼一爺さんがこの術の話をしていたとき、最初のうちは身体に反動がくるというような事を言ってたのだ。何か知らんけど、凄く嫌な予感がする……。
しかし、これはかなり汎用性に優れているらしいので、物にしないといけないようである。
まぁそんな訳で、先ずは真言内容を覚えるべく、俺は小さく口ずさみながら夜叉真言を頭に叩き込んでいる最中なのであった。
と、その時。
俺の携帯にルパン三世のテーマが軽快に鳴り出したのである。
訓練を一時中断すると、俺は携帯のディスプレイを確認する。
するとなんと、土門長老からの着信であった。
確認した俺はすぐに電話に出る。
「もしもし、お久しぶりです土門長老」
「おお、久しぶりじゃの日比野君。どうかね、調子の方は?」
「はい、お陰さまで肩の傷の方も完治致しました。そして、道間さん達兄弟にも良くして頂いているので、非常に助かっております」
「おお、それは良かった。元気そうで何よりじゃよ」
「ハハハ、お気遣いありがとうございます。それで土門長老、今日はどのようなご用件で?」
俺の問い掛けに、土門長老はすこし間を空けてから話し出した。
「それなんじゃが。この前、道間殿とも話してての。以前、日比野君も一緒にいたから知っておると思うが、鬼一法眼様に儂の孫や道間殿の息子達を見てもらう為の観察期間についての事なんじゃよ。それで、どのくらいの期間を観察するのかを知りたいので、その確認の為に連絡させてもろうたんじゃ。それで申し訳ないんじゃが、今の内容を日比野君から鬼一法眼様に確認してもらえんじゃろうかの?」
「はい、わかりました。では、聞いてみます」
土門長老の話を聞いた俺は、以前、沙耶香ちゃんのマンションで話し合ったときの事を思い出す。
そして『ああ……アレの事か』と思った俺は、テレビを見る鬼一爺さんに確認する事にした。
「鬼一爺さん、ちょっといいかい?」
(ン、なんじゃ涼一?)
「この間、土門長老と沙耶香ちゃんのお父さん達と話してただろ。爺さんが、土門長老達の息子さんやお孫さんに呪術を教えるって話。覚えてる?」
それを聞くなり、一瞬、『はて?』といった感じで斜め上を向いた。
だが、すぐに思い出したのか、鬼一爺さんはポンと手を打つと言った。
(おお、覚えとるぞい。それがどうしたんじゃ?)
「今、土門長老から電話がかかってきてるんだけど。どのくらいの期間を観察するのか知りたいらしいんだよ。で、どのくらい見るの?」
俺の問い掛けに、鬼一爺さんは暫し目を閉じて考え込む。
そして20秒ほど経った頃、言うのだった。
(そうじゃなぁ、三十日ほどばかり見させてもらおうかの。まぁそう言っといてくれぬか)
とりあえず俺はそのまま土門長老に伝える。
「土門長老、鬼一爺さんが言うには、三十日ほど見させて欲しいそうです」
「おお、そうかね。ならば、また道間殿と細かい打ち合わせをしてから日程の方を伝えるので、鬼一法眼様にもそう伝えておいて貰えんじゃろうか?」
「はい、分かりました。そう伝えておきます」
「すまんの、日比野君。それでは今日はこれで失礼させてもらうよ。では、また……プツッ」
といった内容の話があった訳だ。
俺は電話を切った後に鬼一爺さんに視線を向ける。
するとその時、テレビから水○黄門のテーマがタイミング良く流れ始めたのであった。
鬼一爺さんは勿論、アリーナ席でかぶりつきモードに突入している。凄い前のめりの姿勢で……。
まぁそれはさて置き。
さっきの事を今のうちに言っとくかと思った俺は、鬼一爺さんに会話の内容を伝える事にした。
「鬼一爺さんさぁ、さっきの電話で【後にせい! 今、我は忙しい!】…………」
だが、俺が喋りだすや否や、鬼一爺さんはテレビを凝視したまま、大きな声でそう言い放った。
駄目だコリャと思った俺は、水○黄門が終わってからにしようと思い、自分もまた霊術修行を再開させたのであった。
―― 2月中旬 某県 土門邸 ――
1月末から、この地方上空に押し寄せて大雪を降らせていた寒気団もようやく去り、今日は久しぶりに雲一つ無い晴天に恵まれていた。
土門長老宅の周囲にある庭も、雪の無い状態ならば素晴らしく手入れの行き届いた日本庭園が見られる。
だが、今は残念ながら雪が覆いかぶさっている為、見る影もない。
その庭園に幾つかある背の低い木々や石灯篭といったものには、雪がこんもりと覆いかぶさっているので、庭全体が凸凹としてひどく歪んで見える。
またその他にも、背の高い木々には藁縄で雪吊りが施されており、そのピンと張った細い縄に雪が器用にのって、それらは何ともいえない奇妙な造形のモニュメントとなっているのであった。
しかし、今はそれらが日光でライトアップされている所為か、そんな歪んだ庭も見てくれが悪い訳ではない。
それらは一種の芸術作品の様に、歪な中にも美しさを感じさせており、庭全体が奇妙な存在感を放っているのであった。
そんな雪景色をした、とある日の午後の話である。
今、この土門邸には安土 英章が訪れていた。
この間と変わらぬスーツ姿であり、土門長老と以前会った座敷にて、依頼をされた眩道斎への尋問成果を報告するところであった。
「土門長老。つい昨日ですが、男が自白しましたので、急ぎご報告に参りました」
英章の言葉を聞いた土門長老は、ホッとした表情で言う。
「おお、流石は安土家じゃ。思っていたよりも早い訪問じゃったので、びっくりしたぞい。では早速じゃが、あ奴の供述内容を聞かせてくれぬか?」
「はい。ですがその前に、この半月余りの間の調書を急ぎ纏めましたので、お渡しさせて頂きます。どうぞお受け取り下さい」
そう告げた英章は、座卓の上に置いたファイルを土門長老に差し出した。
土門長老がファイルを受け取ったところで英章は続ける。
「細かい事は、その調書に書いてありますので、要点だけ報告させて頂きましょう」
「うむ、続けてくれ」
土門長老の言葉を聞くと共に、英章は手元にある資料を開いた。
そして相手が聞き漏らさぬように、ゆっくりとした言葉遣いで話し始めるのだった。
「はい、では。まずあの男の本名ですが、大森龍司と言うそうでA県の者のようです。年齢は33歳。職業は表向きは何でも屋ですが、裏で呪殺を請け負っていたそうです。現在、独り者の様で、親や子供といった家族の存在は見当たりませんでした。どうやら天涯孤独の身というところでしょう。これが大まかなあの男の素性でございます」
目を閉じて耳を澄ましながら報告を聞いていた土門長老は、そこで口を開いた。
「フム、素性は分かった。じゃが一つ聞きたい。あの男に術を授けた者は誰か、それについては口を割らなんだか?」
土門長老の問い掛けに英章は一息ついてから答える。
「それが実は……あの男に術を授けたのは、あの不動 眩斎なのだそうです。……宗家も良くご存知の筈」
「ふ、不動 眩斎じゃと!」
土門長老は英章の言葉を聞き、表情がクワッと一変する。
目を見開き、眉間に皺をよせ、それと共に座卓の上に置かれた手が震えだしたのである。
すると何かを思い出すかのように目を閉じ、悔しさをにじませながら唇を噛んだのであった。
そんな土門長老を英章は無表情で見詰める。
暫く感傷に浸った後、土門長老はやや声を震わせながら口を開いた。
「いや、そうではないかと、薄々だが感じてはおった……。あの呪殺の手口……。確信は持てんかったが、あの男からは眩斎の持つ黒い雰囲気に似た物を感じたからの……」
そう呟いた土門長老は、ここで一度大きく息を吐き、呼吸を整える。
そして言った。
「それであの男、眩斎の事を他には何か言うておらなんだか?」
「それが、あの男自身も15年前に不動 眩斎の元を離れてからはそれっきりだそうで、行方も連絡方法も分からないそうです。本人も知らないのであれば、どうにもなりませんな」
「……そうか。フゥゥ……よもや、このような形で 眩斎の名を聞く事になるとはの……」
と返事した土門長老は、目を閉じて天を仰ぐかのように顔を天井に向けた。
少しの間、そうやって己の頭の中を整理する。
それから20秒ほどすると、土門長老はいつもの表情に戻って英章に問い掛けるのであった。
「……まぁよい。眩斎のことは後にしよう。それで、ここからが本題じゃが、あの男に呪殺を依頼した者は一体誰なのじゃ?」
「それが、実はあの男も依頼者とは顔を合わせた事がないそうです。ただ、なんでも陽炎と呼ばれる者から、文面での連絡方法で通達されていたと言っておりました」
「文面?……。郵送されて来たという事かの?」
土門長老は長い顎鬚を手で撫でながら聞き返す。
「いいえ。あの男の話によれば、最初のコンタクトは電話だそうです。が、その後はA県の不玄動と呼ばれる山間地域に建つ、森の中のお堂にて、呪殺請け負いの遣り取りをしていたそうです」
「フム。えらく面倒な遣り取りをしていたんじゃの」
「ええ。しかも、呪殺依頼書は念入りにも、そのお堂の中にある賽銭箱の床下に納められていたそうです。只今、ウチの手の者が確認に向かっておりますので、真偽の程はすぐに上がってくるでしょう。また、依頼達成時のお金の受け渡しも、アタッシュケースごとそのお堂の中に入れられていたそうです」
そう英章は言い終えると手に持った資料を伏せる。
そして土門長老に向かい言った。
「以上が、あの男が供述したおおまかな内容であります。他になにかお聞きしたい事があればどうぞ……」
そこでもう一度、土門長老は目を閉じる。
10秒程ではあるが、座敷内に沈黙が流れる。
その後、大きく息を吐くと土門長老は口を開いた。
「いや、今の所は見当たらぬ。それに、呪殺依頼をする者がそう簡単に素性を明かすとも思えぬしの。あの男自身も呪殺を生業としている以上は、其処までは踏み込まぬじゃろう。これ以上の情報は無理かもしれぬ。致し方あるまい。後は、この調書を良く読んで気になることがあったら、また英章殿に連絡しようとするかの……」
「そうですか。ありがとうございます。ところで話は変わるのですが、あの男の【封印の儀】は、供述内容の真偽が分かりしだい、私共の方で通常通り進めさせていただいても問題はありませんかな?」
「ウム。お主達に後の事は任そう。それと、【封印の儀】を終えた後の男の処置も宜しく頼むぞ」
「はい、承知しております。では、そのように進めさせて頂きます故……」
英章はそう返事すると共に低く頭を下げる。
だが、俯いた瞬間。
英章の口元には不敵な小さい笑みがこぼれていたのだった――
―― その日の夜 ――
英章から報告を受けたのと同じ座敷に、土門長老は目を閉じて腕を組みながら静かに座していた。
その佇まいは座敷と一体化してるかのごとく微動だにせず、ただただ目を瞑り、沈黙しているという感じである。
土門長老から座卓を挟んだ向こう側には座布団が3枚置かれており、この室内の静かさと相俟って、それらはまるで座る者を待っているかのようにさえ見える。
また、座敷には明かりこそ灯ってはいるが、何一つ動くものが無い為に無人の室内を思わせる雰囲気となっていたのであった。
物音も、聞こえてくるのは、外で時折吹きつける風がたてる音ぐらいである。
そんな静かな座敷内ではあったが、それも終わりを迎えようとしていた。
廊下からドタドタと複数名の足音が聞こえてきたからである。
その足音は土門長老が座した座敷のところで止まる。
そして止まると同時に、襖の外から呼びかける声が聞こえてきたのだった。
「宗貴です。言われたとおり、詩織と明日香も連れてきました」
静かに座していた土門長老は、目を閉じたまま言った。
「うむ、入りなさい」
「では失礼します」
宗貴はそう言うと襖をスゥーと開いた。
すると其処には宗貴の他に女性が2人立っていたのである。
3人とも私服であり、ゆったりとした暖かい服装をしていた。
女性2人は共に若く、歳は10代後半から20代前半といったところの様である。
1人はやや丸みがかった眼鏡をしており、癖のないサラッとした茶色く長い髪が特徴の細身の女性である。背はもう1人の女性と比べるとやや高いが、目に見えて分かる程の差は無い。
また、綺麗な顔立ちではあるが非常におっとりとした表情をしており、その為、緊張感のない雰囲気を身に纏っている様に見える女性である。
もう1人の女性は、何か気に入らない事があったのか少しムスッとした表情で立っており、眼鏡の女性とは対照的にややキツイ印象を受ける。が、怒っている中にも可愛らしい部分が見え隠れする顔立ちをしていた。
髪型はベリーショートとも言える短さで、それもあってか、非常に活発そうな印象を与える女性であった。
土門長老はその3人の姿を視界に入れると、自分の相向かいに置かれた座布団に座るよう、右手を振るジェスチャーを交えながら促す。
3人はそれに従い、土門長老に促されるまま座布団へと腰掛けていく。
そして3人が全員腰を下ろしたところで土門長老は口を開いたのであった。
「宗貴、詩織、そして明日香。色々と忙しいところ、すまんな3人共」
そう土門長老が言うや否や、先ほどからムスッとしていた女性、明日香が身を乗り出して文句を言う。
「ちょっとお爺ちゃん、どういうことよ。お兄ちゃんから聞いたわよ。2月の終わりから一ヶ月ほど学校休んでF県に行けだなんて! 私にも都合ってものがあるんだからッ」
土門長老は明日香のすごい剣幕に若干驚きつつも言う。
「ま、まずは、儂の話を聞くのじゃ。それから意見を聞こう」
それを見た宗貴は明日香の肩に手を置いて諌める。
「そうだ明日香。少し落ち着け。まずは爺さんの話を聞こう」
「だってぇ……ンもう分かったわよ……」
明日香は渋々ではあるが怒りを仕舞い込む。
するとそこで、場の空気を読まずにもう一人の女性、詩織がポンと手を打つ。
そして、のほほんとした陽気な口調で土門長老に言うのだった。
「あ、そうだわ。長くなりそうなので、お茶を淹れてきますね。お爺さん」
「ん、ああ……そうしてくれるかの……ふぅぅ」
たったこれだけの遣り取りではあったが、土門長老は疲れたようにそう返事する。
そして詩織はニコニコと笑顔を携えながら立ち上がると、お茶を淹れる為に向こうへと行ったのだった。
――それから10分後。
詩織は湯呑みから湯気の立つ熱いお茶を皆に配ってゆく。
そして配り終えると自分も、先ほど座っていたところに戻るのであった。
詩織が席に座ったところで、とりあえず、4人は出されたお茶に手を持っていき、一度口を付ける。
4人は揃ってフゥゥと大きく息を吐き、一息入れる。
そして再度、仕切り直しとばかりに土門長老は言うのであった。
「さて、それでは落ち着いたようじゃし話そうかの。……忙しいところ3人に集まってもらったのは、理由があるのじゃ。詩織と明日香も宗貴から少しは聞いておるじゃろうが、とりあえず最後まで話させて欲しい」
土門長老は、そこで3人の顔を順番に見てゆく。
3人は一応、無言で首を縦に振った。
それを確認した土門長老は、「ウォッホンッ」と咳を入れてから続ける。
「先ず、最初に言っておくとじゃが。この話が纏まったのはつい先日なんじゃ。道摩の名を継ぐ道間殿と、この間からずっと話してた事なんじゃよ。お主等も知っておると思うが、この間あったF県での一件は、両家にとって非常に反省すべき点が多い事件じゃった。あれだけの監視の中でも僅かな穴があったという事じゃからの。それであれ以来、道間殿と儂は呪術大家同士の連携というものをもっと深かめて行かなければならない、と考えるようになったのじゃよ。そしてつい先日、道間殿とその事について話をしていたら【このままではイカン!】という話になったのじゃ。そういう訳で、今後、イザという時にあのような事がないよう、一度、各家々が集まって親睦を深めていかねば成らん、ちゅう話になっての。まぁそれがF県に向かって貰う理由じゃ。ちゅう訳で以上じゃ。質問を受け付けるぞい」
そこで宗貴が手を上げて質問した。
「爺さん、とりあえず目的は分かった。けど、なんでF県で親睦を深めるんだ? 他にも場所がありそうなもんだけど……」
言い終えた宗貴は首を傾げる。
土門長老は腕を組みニコニコと答える。
「ああ、それは事件のあった所でやった方が緊張感があるじゃろ。まぁそれが理由じゃ。はい他は?」
するとここで、一番最初に文句を言っていた明日香が手を上げた。
そして、ムスッとしながらも尋ねる。
「なんでこの時期にやるのよ。確かに今年の授業は来月でもう終わりだけど、私だって色々と高校で忙しいのよ。今年からクラブの部長とかもやってるから」
「時期については目を瞑ってもらうしかないわい。ここしか良い時期がなかったんじゃよ。まぁ学校を休む事は、儂があそこの校長に言っておいてやろう。多少は融通が利くからの。じゃが、クラブの方は明日香の方でなんとかしてくれ」
土門長老の返事を聞いた明日香は、いつもの経験から(もうこれ以上言っても無駄だ)と内心思い始める。
そして納得は出来ないながらも、渋々、返事をするのであった。但し、条件をつけて。
「……分かったわよ。でも、期末試験終わった後にして。それと、卒業式だけはいかせてよ。お世話になった先輩を見送るんだから」
「そのぐらいじゃったら構わんよ。詩織は何か無いかの?」
「ンン〜……そうねぇ。私の場合は大学も春休みに入るから時期的には問題ないけど……」
詩織は下唇に人差し指を当てて暫し考える。
すると、何かを思い出したのか、土門長老に視線を向けると言った。
「そういえばお爺さん。私に会わせたい人がいるとか言ってませんでした? 確か、その人もF県の人とか言ってましたよね」
その言葉を聞いた土門長老は含み笑いをしながら言う。
「おお、そうじゃった。日比野君というんじゃが、彼もこの集いにくるから、その時に紹介するぞい」
「お姉ちゃんに会わせたい人? 何……もしかしてお見合い?」
ここで明日香が興味津々といった感じで話に入ってきた。
土門長老は笑いながら、煙に巻くように明日香に言った。
「ヒョヒョヒョ、まぁその時になれば分かるわい」と。
だがそこで、話を切るように宗貴が土門長老に問い掛けた。
「爺さん、ちょっといいか? 集まるのは分かったけど。俺の仕事はどうするんだ? 一応、こう見えても俺は神代総合商事で名目上、取締役部長をやってるんだぞ」
「まぁ神代は鎮守の森も同然じゃから、そう心配するな。お前の部下である西島君に一ヶ月程代行してもらえ。彼は部長補佐じゃったろう。なんなら儂からも言っておいてやろうか?」
「いいよ、自分で言うから。フゥ、それに爺さんの我侭に付き合うのは、今に始まった事じゃないしね」
宗貴はそういうと両手をヒラヒラさせてお手上げといった仕草をする。
そしてそのまま続けた。
「その代わり、鎮守の森の行事とは関係なさそうだから、俺も堅苦しい言葉遣いは抜きでいくからな。いいな、爺さん?」
「それは構わぬよ。土御門宗家のしきたりなんぞ、其処では関係ないからの。好きにせぇ」
土門長老はそう返事した後、もう一度3人の顔を順に見ていくと言う。
「他に聞きたい事はないかの?」
3人は首を横に振って沈黙する。
「じゃあ、そう言う事じゃから。3人共、よろしく頼むぞい。ヒョヒョヒョ」
土門長老は3人の表情をニコヤカに眺めながら、最後にそう締めくくったのであった――