参拾四ノ巻 ~初詣
《 参拾四ノ巻 》 初詣
其処は6畳程の小さな部屋であった。
天井には直管型の40W蛍光灯器具が二箇所に取り付けられており、それらが放つ白い光が周囲を『これでもか』というくらいに明るく照らし出していた。
その為、部屋全体の作りがハッキリと見て取れる。
先ず、この部屋には窓が無い。室内で光を得るには、今現在点灯中の蛍光灯以外には無いようだ。
周囲の壁とやや高い天井は、剥き出しになったコンクリート壁ですべて覆われており、入口には非常に物々しい分厚い鉄の扉が取り付けられていた。
壁や天井、そして鉄の扉といった物だけを見れば、無機質で冷たい印象を見る者に与える。が、床だけは違っていた。
床は茶褐色の光沢鮮やかなフローリングが張られているので、其処だけは住宅の一室の様に暖かい雰囲気となっているのだ。
そして、その床が周囲のコンクリートの放つ冷たさを幾分か和らげているので、全体のバランスとしては不思議と調和の取れた空間となっているのであった。
そんな室内の真ん中には、やや長い背もたれが特徴である木製の椅子が一脚、ポツンと寂しげに置かれていた。
あるのはそれだけである。他には何も無い。
その一脚の椅子だけが、腰掛ける者を待っているかのようにポツンと佇んでいるのであった。
と、その時、「ギィィ」という軋む様な音と共に鉄の扉が開いたのである。
すると扉の向こうには4人の男がおり、扉が開くとともにこの室内に入ってきたのであった。
その中の1人は土門長老である。茶色い着物姿の土門長老はゆっくりとした動きで椅子の近くに歩み寄る。
そして、もう1人は布津御魂剣に生気を抜かれ、白髪と化した眩道斎である。その眩道斎は上下灰色の衣服を着ており、一見すると囚人の様に見える出で立ちをしていた。
また、眩道斎の顔色は剣に触れた直後と比べると多少良くなった感はあるが、それでも以前のような雰囲気とは程遠い顔色となっていた。
頬はこけ、目元は群青色のクマで縁取られており、そして顔色もまだ若干青白い為、一見すると麻薬を常習している人間の様にも見えるのであった。
他の2人は中肉中背の40〜50歳台くらいと思われる紺色のスーツを着た男達であった。
眩道斎は両手を拘束されており、体の自由を奪われる状態となっている為、この2人の男達に誘導されながら部屋の中へと入ってきたのである。
男達は眩道斎を中央の椅子に座らせると、動けないように白く太いロープで四肢を固定する。
土門長老は拘束し終えるのを確認すると、目を細めて眩道斎に向かい口を開くのだった。
「さて、いい加減、そろそろ話してくれんじゃろうかの? 誰に依頼されて暗殺を請け負ったのかを……」
「…………」
眩道斎は焦点の定まらない目で、部屋のコンクリート壁を無言で見詰めている。
そんな眩道斎を見ながら土門長老は続ける。
「……と言って聞く様なタマじゃなさそうじゃの。まぁよいわ。お主が話してくれんのなら儂も不本意じゃが、ここから先は少々、手荒な真似をせにゃイカンようになる」
土門長老はそう言った後、眩道斎の両脇に居る男達に目配せをする。
すると、男二人はゆっくりと一度頷き、上着のポケットから細長い小さな黒い箱を取り出したのである。
男は箱を開ける。すると、中には黒とも紺色とも言えない奇妙な色をした液体が入った、小さな瓶が収められていたのであった。
それを取り出すと、男は土門長老に視線を向ける。
土門長老はそれらを確認すると眩道斎に言う。
「今からお主に強力な自白霊薬を使わせてもらう。じゃが、霊体への副作用が強い薬じゃ。どうする? 今、自白してくれるなら楽な状態でお主を解放してやれるぞい。如何にお主が悪人であれ、儂もこんな霊薬を使ってまでやりとうないからの」
「…………」
眩道斎はその言葉を聞いても、壁を見詰めたまま無言を貫く。
その表情は、心此処に在らず、といった感じである。
土門長老はそんな眩道斎を暫し眺めると、大きく息を吐き、言うのだった。
「フゥゥ……仕方ない。お主が言わぬのなら、言うようにするしかないの」
土門長老は男二人に視線を向けると小さく頷く。
男達は土門長老に頷き返す。
そして、懐から更に幾つかの道具を取り出し、何かの作業に取り掛かるのであった。
―― 1月1日 ――
今日は1月1日 元旦。
言うまでも無く、新年が始まる最初の日である。
一年の計は元旦にあり! と毎年1月1日になるとそこかしこで良く聞くが、生まれてこの方、一度も一年の計画など練った事はない。
何故なら俺の座右の銘は、一応、臨機応変だからだ。が、臨機応変しにくい事を昨年は体験し、また、今現在も体験中であるので、この考え方に自信が無くなる今日この頃である。
まぁとりあえず、それは置いておいてと……。
日本では新年を迎えたら、先ず、やらなければいけない? 定番の行事がある。
それは、一年の無事と平安を神や仏、そしてご先祖様に祈る初詣である。
一体全体、何処の誰がやり始めたのかは分からないが、兎も角、古来からの暗黙の約束事なのだ。
しかし、最近は行かない人も多い様なことを何処かで聞いたような気がする。
だが、小さい頃からそういう習慣がこってりと身についている為、俺は今まで一度も欠かした事がない。
因みに、俺自身は神社や仏さんにお参りしたところで、何か『御利益がある筈』などと思った事なんか一度も無い。あくまでも、ただの習慣である。
別に行かなくても良いのかも知れないが、初詣をしておかないと何となく落ち着かないので、俺は毎年の様に神社にお参りする事にしているのである。
まぁそんなわけで俺は今、その初詣に一緒に行く人達との待ち合わせ場所になっている、学園町駅前のターミナルに来ているのであった。
今の時刻は丁度、午前10時。
今日は、ここ最近にはないほどの快晴であり、冬場にしては珍しいポカポカとした心地良い陽気な空模様である。
三日程前からずっと雨続きだったので、特にそう感じてしまう。おまけに、今日は新年の第一日目である為、この陽気な天候は非常に縁起の良い雰囲気がするのである。
その所為か、『最高にハイってやつだ』と某漫画の吸血鬼のような事を口走ってしまいそうな程、俺の中では非常に気持ちの良い空模様に感じられるのであった。
そんな陽気な空の下、俺は周囲に視線を向ける。
時間が経つにつれ、学園町内も其処彼処に人の動きが確認出来る様になってきた。多分、新年の定番行事にこの人々も向かうのだろう。
そんな事を考えながら周囲を見回していると、待っていた人物の一人が俺の前に現れ、元気良くニコニコと新年の挨拶をしてきたのだった。
「日比野さん、明けましておめでとうございま〜す。本年も宜しくお願いしま〜す」
「明けましておめでとう、瑞希ちゃん。今年もよろしくね」
今日の瑞希ちゃんはモコモコとした白いコートに身を包んでおり、見た目からしてかなり暖かそうな格好をしている。
また、陽気な日差しが白いコート照らす為、瑞希ちゃんが非常に眩しく見えるのだった。
俺がコートの眩しさに目を細めていると、瑞希ちゃんはキョロキョロと周囲を見回しながら聞いてきた。
「……ところで日比野さん。道間さん達はまだ来ていないんですか?」
話は変わるが、当初、初詣には瑞希ちゃんと二人で行く予定だったのだが、一昨日、沙耶香ちゃんに年末年始の予定を聞かれたときに初詣の話をしたら、「是非、私もご一緒させてください」と強い希望があった為、こうなったのである。
勿論、その場には瑞希ちゃんもいたのだが、瑞希ちゃんはやや面白くなさそうな表情をしていたので、気になるところではある。
という訳で話を戻す。
「うん、まだ来てないよ。そろそろ来る頃だとは思うけど……ン?」
丁度その時だった。
俺達のやや右斜め前方から一台の黒いレガシー・ツーリングワゴンが、駅前のターミナルにやってきたのである。
その車は俺達の前で横付けに止まる。そしてドアが開き、中から沙耶香ちゃんと一樹さんが現れたのであった。
今日の沙耶香ちゃんは赤を基調とした花模様の色彩鮮やかな着物姿である。その為、車から降り立った瞬間、其処に花が咲いたような錯覚を俺は覚えるのだった。恐らく、模様が花柄の所為もあるのだろう。
また、髪もいつものツインテールとは違い、綺麗に後ろでクルッと纏めて上品な感じになっていた。
それらを総合した俺の感想は、『なんて気合の入った格好なんだ』といった感じである。
因みに、一樹さんは俺と同じくジーンズにトレンチコートといった無難な服装であったので、初詣に対する意気込みのギャップがこの二人から凄く感じられるのだった。
二人は俺達の前に来ると、先ず沙耶香ちゃんが丁寧な仕草で挨拶を述べる。
「日比野さん、そして高島さん。明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。そして本年も宜しくお願い致します」
「明けましておめでとう、沙耶香ちゃん。此方こそ、宜しくね」と俺も頭を下げる。
瑞希ちゃんも俺の後に続ける。
「明けましておめでとうございます、道間さん。今年も宜しくお願いします」
その後に、一樹さんも俺達に挨拶する。
「日比野君に高島さん、明けましておめでとう。今年もよろしく頼むよ」
「明けましておめでとうございます。此方こそ、宜しくお願いします」と俺。
「明けましておめでとうございます、道間先生」と瑞希ちゃん。
一通り新年の挨拶をすませた後、俺達は一樹さんの車に乗り込み、目的地である高天智天満宮へと向かったのであった。
―― その車内 ――
後部座席に座った俺は、黒い色調の内装を見回しながら一樹さんに言う。
「一樹さん、このレガシーは新車ですか?」
「そうだよ。去年の4月に納車されたばかりさ」
「やっぱりですか、思ったとおりです。まだ、新車特有の匂いが少ししますからね」と言いながら、俺は鼻をクンクンとさせる。
「ハハハ、そうかい。けど、実家からこのF県に何回も往復する事があったから、走行距離はすごい事になってるけどね。ハハハ」
と、そこで助手席に座る沙耶香ちゃんが俺に話し掛けてきた。
「日比野さん、鬼一法眼様は今日も来ておられるのですか?」
「ン? 爺さんなら此処に居るよ」
俺がそう言うや否や、後ろのラゲッジスペースにいる鬼一爺さんは、霊圧を上げて皆に姿を現した。
そして言う。
(何じゃ、何か用かの?)
「あ、挨拶が遅れまして申し訳ありません。明けましておめでとうございます、鬼一法眼様。本年もよろしくお願い致します」
沙耶香ちゃんは鬼一爺さんを見るなり、緊張した面持ちで丁寧に挨拶をした。
続けて一樹さんと瑞希ちゃんも爺さんに挨拶する。
「明けましておめでとうございます、鬼一法眼様。すいません、挨拶が遅れてしまい……」
「明けましておめでとうございまーす、お爺さん」
そして瑞希ちゃんも。
そんな3人を見た鬼一爺さんは陽気な口調で言った。
(フォフォフォ、なんじゃ新年の挨拶か。そう気にせぬでよいぞ。それにしても、お主等二人はもう少し肩の力を抜いたらどうじゃ? 涼一やこの瑞希という娘子の様に気楽に接してくれたほうが、我としても楽じゃわい)
すると、沙耶香ちゃんは困った顔をしながら言う。
「そ、そうなのですか。……わかりました。もう少し柔らかい物腰で話すように心がけます」
二人のそんなやりとりを見ていた俺は、そこでフトある事が頭を過ぎった。
その為、沙耶香ちゃんに俺は問い掛ける。
「ねぇ、沙耶香ちゃん、話は変わるんだけどさ。この間の男は、あの後どうなったの? 大沢議員を呪殺したとは聞いたけど、今の日本の法律じゃ罪として裁けないよね。それが今、フト疑問に思ったんだよ」
「アッ、言われてみればそうですよねぇ。私も気になるぅ」と瑞希ちゃん。
沙耶香ちゃんは俺の質問に、やや難しい表情をするが、一樹さんに向かい軽く頷くと、俺達にゆっくりと話し始めるのであった。
「……あの男は、鎮守の森が所有する、ある施設に移送された筈です」
「ヘッ、ある施設?」
「はい、日比野さんにもこの間説明をしたと思いますが、鎮守の森には破ってはならない禁忌の掟が幾つかあります。そして、それを破った者は罰として、未来永劫、己の霊力と記憶を封じられてしまうのです。勿論、人として生きるのに支障がない程度にですが……。それと、あの男は鎮守の森に属した人間ではありませんが、組織として目を瞑れない事情があります。尋問で色々と聞き出した後は、恐らく、そういった決断が幹部によってなされると思います」
今の話を聞いた俺は、なんか良く分からんが、妙に恐ろしく感じてしまった。
その為、沙耶香ちゃんの言葉も幾分か、オドロオドロしく聞こえてしまう。
因みに、今、沙耶香ちゃんが言った禁忌の掟というのは、その殆どが、呪術を使って犯罪を行ってはいけない、というものである。まぁ簡単に言えば呪術社会における刑法みたいなものだ。
俺は生唾をゴクリと飲み込みながら言った。
「と、という事はだよ、あの男は霊力と記憶を封じられるという事かい?」
沙耶香ちゃんは首をゆっくりと縦に振り、幾分か低い声色で答える。
「はい。恐らく、最低限でもそれらの罰は下されると思います……」
今の内容で少し気になる部分があったので、俺は若干どもりながらも問い掛ける。
「い、今、記憶を封じるって言ったけど……ど、どういう事?」
「記憶を封じる術具を使うんです。科学と呪術を融合させて天目堂が開発した術具なのですが、大きく場所をとる術具なので、掟を破った者を収監する施設にしかありません」
「今の話から推測すると機械のような物か……。で、それを使うとどんな風になるの?」
沙耶香ちゃんは少し間を空けてから答える。
「私も実際に見た訳ではないので詳しくは分かりませんが、使い方次第では自分自身が誰か分からないくらいまでは記憶を封じれるそうです」
「そ、それって、記憶喪失やんか。キ、キツイ罰やなぁ……お、俺も気をつけよう」
ある意味、殺されるのよりも辛い罰だな……。そう思った俺は、やや怖くなったので自分に言い聞かせるように言った。
俺も鎮守の森に属した以上、他人事ではないからである。
すると、瑞希ちゃんも今の話を聞いて怖くなったのか、どもりながら答えた。
「わ、私も気をつけます」と。
そんな俺達を見た沙耶香ちゃんは、ニコニコと微笑みながら言う。
「クスクス、二人共、そんなに怖がらなくて結構ですよ。其処まで酷い罰を受けるのは、相当な悪人だけですから。心配しないで下さい」
「ハ、ハハ、ハハハ……そ、そうかい。ナハハ、そ、そうだよね」
俺は乾いた笑いを浮かべながらそう返事した。
幾ら大丈夫とはいえ、洒落にならない罰則である。
また、常に最悪を想定するのが俺の考え方なので、余計に今の説明が恐ろしく感じる。
もし、自分がそうなったら……と思うと、ムンクの叫びの様に『キャァァァァァァ』と叫びたい衝動に駆られるのであった。
俺がそんな事を考えていると、瑞希ちゃんが沙耶香ちゃんに問い掛ける。
「ところで、道間さん。初詣の後に行く予定の天目堂って、都道府県にある全支店が呪術具を扱ってるの?」
瑞希ちゃんは中々に良い質問をする。
俺も聞きたかった事である。
「はい、そうですよ。鎮守の森に所属している者は日本全国に居ますからね。ただ、品揃えについては、やはり大都市のほうが豊富に揃ってはいますけど……」
「やっぱりそうなんだぁ。へぇ〜」
瑞希ちゃんはそう返事すると、今度は俺に向かい笑顔で言った。
「日比野さん。天目堂ってどんな所なんでしょうね? 瑞希は行ったことがないから、今から楽しみです」
「そうだね、俺も昨晩からずっと気になってたんだよ。でも、結構、値の張る品物ばかりの様な気がするけどね」
俺はそう言うと、沙耶香ちゃんに視線を向ける。
沙耶香ちゃんは笑顔で言った。
「確かに、値段の張る物が多いですね。でも、心配しないで下さい。日比野さんと高島さんに必要な術具は、道摩家がバックアップしますので。ただ、父からもご説明があったとは思いますが、これからは日比野さんにも修祓依頼をお願いする事になりますので、その事に関してはご了承下さい。勿論、依頼を達成されましたら報酬もお支払いしますので」
俺は今の話を聞き、一昨日あった沙耶香ちゃんのお父さんとの会談を思い出す。
その時聞いた話では、報酬は一律の金額ではなく、内容によって変わると言っていた。要するに、厄介な内容の依頼ほど金額が跳ね上がるという事なのだろう。
まぁ俺自身、お金よりも安全を重要視する人間なので、あまり厄介な依頼等は受けたくはないが……。
そんな事を考えていると一樹さんが俺に話し掛けてきた。
「ところで日比野君。沙耶香から聞いたが、剣道をやってるんだって?」
「いや、まぁそのぉ……やっているというか、2ヶ月程前にやる羽目になったというか……。まぁそんな訳で、剣道の腕に関してはハッキリいって超未熟者です」
俺は面目無いといった感じで後頭部を掻きながら答える。
「ハハハ、いや、そういう意味で聞いた訳じゃないよ。ただ、これから現代霊術を覚えるに当たり、修祓のスタイルは結構重要になってくるからね」
「修祓のスタイル? それはどういう事ですか?」
なんか良く分からない為、俺は首を傾げて問い掛ける。
「ああ、そう言えば、それを聞いてなかったな。日比野君は悪霊退治するとき、どういう方法をとるんだい?」
以前、悪霊退治をしていた頃の記憶を俺は掘り起こす。
そこで出てくる過去の俺は、すべて霊符か、浄化の真言で悪霊を消滅させていた。
というわけで、それを一樹さんに伝える事にした。
「う〜ん、思い返してみると、自分が今まで退治してきた悪霊は、殆ど霊符か、真言術で処理してきましたね」
俺の返答を聞いた一樹さんは、何かを考えているのか、暫く間をあけてから口を開いた。
「霊符と真言術か……。父からも聞いているとは思うが、霊符に限らず、日比野君の使う霊術は特殊なので、これから先の事を考えると色々都合が悪い。だから軸になる現代の修祓方法を考えないといけないんだ」
「軸になる……ですか。というと、沙耶香ちゃんが持っていた、あの『閃光の矢』の様な武器を中心に扱いながら悪霊を祓うという事ですか?」
「まぁそういう事かな。で、さっきの話に戻るけど。日比野君は、一応、剣道をやっているみたいだし、霊刀を主軸に修祓をする方法が良いと思うんだよ。それに、俺自身がそういうスタイルだから、日比野君にも教えやすいしね。一度考えてみてくれないか?」
俺は腕を組んで目を瞑り、暫く考える。
確かに一樹さんの言うとおりだ。これから先、今までの様に鬼一爺さんから習った霊術を使う事は出来ない。
迂闊にも使ってしまえば、余計な厄介事を招き寄せる事になりかねないからだ。
話は変わるが、これから先も鬼一爺さんから霊術は教えてもらう事になっている。
鬼一爺さんが言うには、俺を一人前の術者にするまで気が楽にならないそうなのだ。多分、俺の特異体質の事を気に病んでいるのだろう。
間違っても、俺を助さんや角さん、はたまた風車の弥七やウッカリ八兵衛の様にしようとは思っていない筈だ……嫌、そうであって欲しい。
そして、爺さんがそう言ってくれた時、俺は思わずホッとしたのだった。
実のところ、俺自身がかなり鬼一爺さんに依存している部分があるからだ。
今までの事を思い返してみると、ここぞッという時には必ず鬼一爺さんが俺を助けてくれている。
最初の頃は胡散臭いジジイだなぁと思っていたが、今では爺さんの深い経験や知識に幾度と無く助けられているので、俺の中では非常に頼もしい師匠といった位置付けになっているのだった。
時折、黄門様モードになるのは頂けないが……。
という訳で話を戻す。
一樹さんはそう言うが、俺には武器の心得など無い。剣道を始めたのだって、つい最近だから初心者とそれ程変わらない。
俺が唯一使える得物といえばフライロッドだが、ロッドの扱いなんて、悪霊との戦闘には何の役にも立たない。逆に悪霊を刺激させるだけのような気もするし……。
まぁそれは兎も角、今の俺にはそういった方面の明るい材料が無いので、ここは一樹さんの誘いに乗っておいた方が吉かも知れない、と考えていたのだった。
一応、そういう結論に達した俺は、一樹さんに言った。
「そうですね。今の現状を考えると、一樹さんに教えてもらうのが最良みたいです。お願いできますか?」
「ハハハ、任してくれ。霊刀を主軸に置いた戦い方なら、俺も自信を持って教えられるからね」
とまぁ、こんな感じの会話をしながら俺達は高天智天満宮に向かうのであった。
それから道路の混雑もあったため多少時間がかかったが、15分後に高天智天満宮についた俺達はとりあえず、周囲に目を向ける。
周囲は何処を見渡しても人、人、人の人だらけで、気が滅入るくらいの人混みである。
まぁ、ここ近年に無いくらいの初詣日和となっているので、これは仕方がないだろう。
そういった周囲の雑踏を眺めていると、沙耶香ちゃんと同じ様な艶やかな着物姿の女性も時折だが確認出来る。考えてみれば新年って感じの服装である。いや、どっちかというと正装といったほうが正しいか。
また、参道両脇には沢山ののぼりが旗めいており、賑やかな雰囲気をより一層引き出している。その所為か、パッと見はお祭りのような印象を見る者に与えているのであった。
そんな周囲の雑踏を視界に入れながら俺達も参道へと入ってゆく。
だが、先程からずっと非常に歩きにくい為、俺は瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんに言うのだった。
「あ、あのさ、二人共……。もう少し離れてくれると歩きやすいかなぁ。なんて、ハハハハ」
実は、俺の両腕に瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんの二人が、密着して手を絡ませてくるもんだから、非常に歩きにくいのである。
「「なにか、言いましたか? 日比野さん」」
すると二人は妙に緊迫した空気を漂わせながら、ハモッてそう答えるのだった。
因みに二人は笑顔である。しかし、瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんは俺を見てそう答えたのではない。二人は笑顔のまま、互いに顔を見合わせて、そう答えたのである。
そんな二人を見た俺は、なんか良く分からんが……隙がない……と考えてしまうのであった。
そして、二人の緊迫した空気に気圧された俺は「いえ、なにも……」としか言葉を出せなかったのである。
実はここ最近、頻繁にこういう事があるので少し困っているのだ。難しい年頃である。
と、そこで一樹さんが俺の肩を叩きながら言うのだった。
「ハハハ、まぁアレだ。沙耶香の事をよろしく頼むよ」
「へ?」
俺は今の言葉の意味がイマイチよく分からん為、気の抜けた声を出した後に首を傾げる。
まぁそんな感じで参道を進んで行くと、菅原道真が祭られた大きな賽銭箱が置かれている、本殿の建物へと俺達は辿り着いた。
実はこの建物の裏には山があり、そして、いつも真言術の修行をしていた山頂へと通じる山道があるのだ。
その為、いつも見慣れた光景の筈なのだが、人の多さと露天商やのぼり旗が周囲にあるので、流石に同じ場所とは思えない雰囲気である。
そうやって前回に見た時とのギャップを感じていると、横から俺の名前を呼ぶ声が聞こえるのだった。
「オイ、お前、日比野じゃないか」
声の主は女性である。
そのやや語気の荒い物言いは、俺をハッと声の方向へと振り向かせた。恐らく、条件反射だろう。
そして声の主に挨拶をしたのである。
「ひ、姫会長。明けましておめでとうございます」
丁寧に頭を下げて新年の挨拶をした俺は、恐る恐る顔を上げると姫会長を視界に入れる。
そして、若干引き攣りながらも満面の笑顔を作るのであった。
茶色のコートに身を包んだ姫会長の隣には、ヤンチャそうな感じの茶髪の兄ちゃんがいた。背丈は俺くらいである。彼氏だろうか?
そんな事を考えていると姫会長も挨拶をしてきた。
「オウ、明けまして……」
姫会長はそう言い掛けて、俺の両隣にいる瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんに視線を向かわせた。
そこで一拍間を置いてから問い掛けてきた。
「日比野、この子等はお前の兄弟か、親戚の子か?」
「いえ、違いますよ」
俺の返事を聞いた姫会長は、なんか微妙な表情をする。
そして口元を押えて言うのだった。
「日比野……お前…まさか…ロリ…」
姫会長の脳内妄想をすぐ理解した俺は、即座に言う。
「あ、あの姫会長、何か誤解をしておられる様ですが、この子達とはその様な関係では」
俺がそう答えたところで、瑞希ちゃんと沙耶香ちゃんは前に出る。
そして二人揃って丁寧に挨拶をしたのである。
「「初めまして、いつも日比野さんがお世話になっています」」と。
「オ、オゥ、初めまして……」
姫会長は二人の行動に若干驚きつつもそう答える。
すると、間髪いれず沙耶香ちゃんが姫会長に言った。
「日比野さんとは家族ぐるみの付き合いをさせて頂いておりまして、それもあってご一緒させて頂いております。因みに、此方が兄の一樹です」
俺の隣に来た一樹さんは、爽やかな笑みを浮かべながら挨拶する。
「初めまして、道間一樹といいます。もしかして、日比野君が大学で所属する、剣道愛好会の会長さんですか?」
「……はい、そうですが」
「やはりそうでしたか。話は変わりますが、私は高天智聖承女子学院の教員でして、剣道部の副顧問をしているのです。もし、また機会がありましたら、その時は宜しくお願い致します」
姫会長は一樹さんの剣道部副顧問という部分にピクッと反応した……様に見えた。
そして、若干驚きながら、丁寧に受け答えをするのだった。
「なんと! 高天智聖承女子学院 剣道部の副顧問でありますか。それはそれは。こちらこそ、宜しくお願い致します」
と、その時。
姫会長の後ろにいたヤンチャそうな兄ちゃんが強引に話を割ってきた。
「オイ、姉貴ッ。いつまで話してんだよ、早く行こうぜ」
どうやら弟のようである。
姫会長は弟のぶしつけな言葉を聞くや否や、額に青筋を浮かべ、笑顔のままゆっくりと弟に振り向く。
すると【ゴフッ!】という音と共に弟が地面に蹲るのだった。
いや、実を言うと俺の位置からは見えていた。姫会長が弟の肝臓辺りに思いっきりボディブローを入れたのを……。
姫会長は兄弟にも容赦しないな……。そんな事を考えながら、脇腹を押えて苦しそうに蹲る弟に、俺は同情の視線を投げかけるのであった。
弟にささやかな折檻を終えた姫会長は、俺に振り向くと明るい表情で言う。
「勘違いしてすまないな、日比野」
姫会長もどうやら納得してくれたようだ。
俺もホッと一息吐いてから言う。
「まぁ、そういう訳なんですよ。ハハハ、勘違いしたままだったら、どうしようかと思いました」
「勘違いしたままだったらか? 竹刀でお前の性根を叩き直してたところだ。アハハハ」
「アハ、ハ、ハハハ (本ッ当に良かった……納得してもらえて)」
姫会長は恐ろしい事をサラリと言うから困る。
「それじゃあ、日比野。また、愛好会でな」
姫会長はそう言うと一樹さんに一礼をしてから、蹲る弟を無理矢理立たせて向こうへと行ったのだった。
そんな去り行く姫会長達を見ながら瑞希ちゃんは、一言こう言った。
「日比野さん、姫会長って……凄い方ですね」
沙耶香ちゃんと一樹さんも無言で頷く。
「だろ……凄過ぎて付いていけない時もあるけどね」
とまぁそんなこんなで色々とあったが、神社でお参りを終えた俺達は次の目的地である天目堂 高天智支店へと向かうのだった。
因みに、御神籤は中吉で、女難にこと気をつけるべしの一文が、暫くの間、頭にこびり付いて離れないのであった。
――高天智天満宮から車で移動する事15分。
高天智市中心街大通りの一画に、天目堂の大きな看板が掛かる、4階建ての四角いビルが俺の目に飛び込んできた。
壁はやや色褪せた黄色で、所々に風雨に晒された痕跡が確認出来る。また、壁のとある部分にはヒビワレも幾つか走っていた。
総合的にやや年季が入ってそうに見える佇まいのビルである。俺が見た感じではあるが、築20年以上は間違いないだろう。
また、このビルの地下は駐車場になってる様で、その入口部分には道路を走る車から見えるように、矢印看板が設けられているのだった。
一樹さんは左にウインカーを上げて、その矢印看板に従い、ビルの地下駐車場へと入ってゆく。
地下駐車場内は車が10台程置けるようになっているが、今はガラガラである。
その為、適当に車を駐車する。
そして車から降りた俺達は、駐車場内の片隅にあるエレベーターへと向かい歩いて行くのであった。
話は変わるが、鬼一爺さんも勿論、俺達と共にいる。だが、姿を隠さないといけないので、暫くの間は霊圧を下げた行動となるのである。
エレベーターの前に来た所で一樹さんが俺に話し掛けてきた。
「日比野君、先ず最初に、一階で鎮守の森の者かどうかの認証があるから、覚えておいてね」
「認証? 証明書みたいな物を見せるんですか?」
「ああ、そういえば言ってなかったね。これを見せるんだ」
一樹さんはそう言うと、ポケットから一枚のカードを取り出した。
大きさは銀行のキャッシュカードくらいで、日本列島の周りを森が囲むといった絵が書かれていた。どうやら、鎮守の森のシンボルマークの様である。
一樹さんはカード見せると続ける。
「実は日比野君と高島さんのカードは、まだ出来ていないんだ。登録には多少時間がかかるからね。それで、今回は見学と店主の挨拶も兼ねて来たんだよ」
「まぁ、ご厄介になりだしたのはつい最近ですからね。色々と都合があると思いますんで、そういった事はそちらにお任せ致します」
「ハハハ、じゃあ付いて来てくれるかい」
「「はい」」
エレベーターのチンという音と共に一階に着いた俺達は、一樹さんを先頭に奥のカウンターへと進んで行く。
因みに、この建物は結構広い床面積で、この一階は仏壇仏具のショールームになっているみたいである。
俺は周囲にある仏壇や仏像に目を向ける。時折、仏壇の値段が目に飛び込んでくる。10万くらいのやつから100万を越えるやつまでピンからキリである。
床には高級そうな紫色の絨毯が敷かれており、埋め込み型の天井照明や仏壇仏具とのコントラストで、この一階は厳かな雰囲気を作り出しているのだった。
そんな厳かな店内を見ているうちに、無人のカウンターへと辿り着く。
一樹さんは、カウンターに置かれた呼び鈴を鳴らす。
すると、奥の扉が開き、落ち着いた感じの初老の男性が現れたのだった。
背は160半ばくらいで、短い白髪交じりの髪は整髪料で後ろに流している。
また、この店のユニホームなのか知らないが、スーツの上から天目堂と書かれた紺色の法被を羽織る、という格好をしているのだった。
その男性は一樹さんを見るや、丁寧に挨拶をする。
「いらっしゃいませ。新年、明けましておめでとうございます。本年もこの天目堂を宜しくお願い致します」
一樹さんも新年の挨拶をすると、先程見せてくれたカードを男に見せる。
男はそれを見るや、「これは失礼致しました」というと、カードリーダーをカウンターに出したのである。
一樹さんはそれにカードを通す。
そして暫くすると、右奥にある意匠を凝らした扉の方からピピピッという電子音が鳴るのである。
男はその扉へと俺達を案内する。
そして男は扉を開き「では、ごゆるりと」と言った後、一礼をして俺達を見送るのであった。
扉を潜ると、その先は細長い通路となっていた。
俺達はその通路を突き進む。すると下へと降りる階段に突き当たった。
その階段を更に進んで行くと、一階と同じくらいの床面積がありそうなフロアへと出るのだった。
このフロアは一階と比べるとやや暗い感じがする。まぁ地下に降りたからという先入観からかも知れないが。
周囲の壁には刀や剣などの武器や、何に使うのか分からない大きな術具が立て掛けられており、また、フロアを仕切る様に並んだ幾つもある棚には、様々な術具が丁寧に陳列されていた。
だがしかし、そういった術具類よりも、階段を降りて直ぐ、視界に飛び込んできた大きな銅像に俺はビックリしたのだった。
3m近くありそうな一つ目の妖怪の像である。
俺と瑞希ちゃんは暫くの間、その銅像の前で立ち尽くしてしまうのだった。俺の主観だが、像の感じは、ドラクエに出てきたサイクロプスを思わせる像である。
すると、沙耶香ちゃんが俺の隣に来て説明をする。
「日比野さん。この像は天目一箇神と言って、製鉄・鍛冶の神と言われております。武器や呪術具を扱っている為、天目堂では守り神として全ての店に置かれているそうです。また、天目堂という名前も、この神様がその由来だそうですよ」
「なるほど。守り神か……」
「でも、なんか凄い迫力のある守り神ですね」と瑞希ちゃんは胸に手を当てながら言う。どうやら像の放つ威圧感に圧倒されているようである。
俺達がそうやって像の前に佇んでいると、奥の方から俺達に話しかける人物がいた。
「へぇ〜若いのに中々物知りじゃないか、お嬢ちゃん」
俺は周囲を見回すが、客は俺達だけのようだ。
「カカカカ、コッチじゃ」
俺達は声のした方向へ視線を向ける。
すると其処には、白い髭と長い白髪が特徴の爺さんが、カウンターで頬肘を付きながら俺達を見ているのだった。
パッと見は仙人の様な風貌をした爺さんである。
一樹さんはその爺さんがいるカウンターへと行くと、丁寧に一礼をしてから挨拶をする。
「明けましておめでとうございます。今年からこの地域でご厄介になる事が多くなるので、今日は此方へ挨拶がてら参りました。名を道摩一樹と言います。宜しくお願い致します」
爺さんは一樹さんの名前を聞くやピクッと眉を上げる。
「ほう、お主、道摩家の者か。呪術名家のエリートがこんなF県の片田舎に来るとは珍しいの。ま、細かい事はどうでもええ。余計な詮索はせんよ。商売は信用第一じゃからの」
「ハハハ、ありがとうございます。ところでご老人、貴方がこの店の店主なのですか?」
爺さんは顎鬚を触りながら答える。
「まぁ表向きは、上にいる男が店主じゃ。が、裏の店主は儂じゃな」というとニヤリと笑う。
一樹さんはそこで俺達を呼ぶ。
そして、この老人に紹介をするのだった。
「実はこの3名も、道摩に所属する者達ですので、以後お見知りおき頂きたいのです」
一樹さんは俺に目配せをする。
恐らく、挨拶をしておけという事だろう。
俺はカウンターに移動すると、爺さんに向かい丁寧に挨拶をした。
「初めまして、日比野涼一といいます。これからご厄介になる事が多くなりそうなので、宜しくお願いします」
爺さんは目を細めて俺をジッと見る。
そして20秒ばかり、俺を鑑定するかの様に直視すると言うのだった。
「お主……女難の相が出ておるの。カカカカッ、せいぜい気をつけるんじゃな。まぁそれは兎も角、儂はこの呪術屋天目堂を預かる柳 源次郎ちゅうモンじゃ。他の者達からは源さんと呼ばれとる。宜しくな、若いの」
「ハ、ハハハ、ヨロシクオネガイシマス……」
俺は引き攣った笑みを浮かべながらそう返事した。
何故なら、この爺さんの最初の一言に、俺はグサッと胸を抉られるような錯覚を覚えたからである。
それと同時に、この爺さんからは鬼一爺さんと良く似た雰囲気を感じるため、非常に嫌な予感が俺の脳裏を過ぎったのだった。
そしてこうも思った……最近、ジジイが絡むと嫌な展開が多いなと。
もしかすると、爺難の相というのもあるのかも知れない。このときの俺はそんな事を思い始めていたのであった。