参拾壱ノ巻 ~修羅場
《 参拾壱ノ巻 》 修羅場
目の前に突如現れた不気味な男が瑞希ちゃんの喉下にナイフを向かわせている。
「ひ、日比野さん……」
顔を引き攣らせ今にも泣き出しそうな表情の瑞希ちゃんは、俺の名前を弱々しく呼ぶ。口には出していないが、瑞希ちゃんの表情からは助けて欲しい、という悲痛の訴えがありありと感じられるのであった。
隣に居る沙耶香ちゃんは、信じられない物を見るかのように肩を震わせながら、両手で口元を覆い、目は大きく見開いていた。勿論、俺も信じられない様な気持ちだ。出来れば夢であって欲しい。だが、目の前で確かに起きている事なのである。
俺は男に視線を移す。顔はかなり人相が悪く、頭髪は肩の下まで伸びた漆黒のロン毛である。着ているのが黒一色である所為か、パッと見は人相の悪い顔だけが宙に浮かんでいる様に見える。また、男は先程からずっと俺達を睨みつけており、口元は薄気味悪い笑みを浮かべているのだった。
俺はこれらの特徴を見て、先ず間違いなく『堅気の人間ではない』と考えていた。男が放つ殺気もそれに拍車をかけている。
だが、そこで俺は考えるのである。何故この男は、瑞希ちゃんを人質に取る様な真似をしているのだろうか?と……。恐らくだが、この龍穴の封印を緩めたのはこの男で間違いないだろう。目の前の男からは高い霊力の他に、龍穴から出ていた地霊力の残りカスの様なものを感じるからだ。何の為に封印を解いたのか分からないが、この男の雰囲気や瑞希ちゃんにナイフを突きつける態度を見る限り、碌な事では無い筈だ。
しかし、幾ら考えてもこの状況が飲み込めない俺は、とりあえず、男を睨みつけながら問い掛けるのだった。
「オイ、アンタ。一体、何のつもりだッ。女の子の首にナイフなんか当てやがって」
すると男は不気味な笑い声を上げながら言った。
「ククククッ、何のつもりだ、か……。お前がイケナイんだよ。その女の止めを刺そうとしたところに、お前が邪魔しに現れたからこうなっているんだ。ククク」
俺は隣で震える沙耶香ちゃんに視線を向ける。沙耶香ちゃんは無言で頷く。
どうやら男の言っている事は本当のようだ。
この男と沙耶香ちゃんの事情は良く分からないが、今のこの状況は何となく見えてきた。
そこで俺は目付きを鋭くしながら言った。
「今の話じゃ、その子は関係ないだろ。解放しろよッ、オッサン」
「クククッ、なんで俺がこの娘を人質にしているのか、分かってないようだな。いいだろう、教えてやろう。それは、お前が見ず知らずの他人を救出に向かうお人好しだからだよ。俺はなぁ、お前の様な正義ぶった馬鹿を見ていると虫唾が走るんだ。クククッ、まぁいい。それは兎も角、持っている術具や武器を全部出せッ! この娘の命が惜しいならな」
男は歪んだ笑みを浮かべながら俺達にそう言い放った。
「クッ、テメェ汚ねぇぞ」
「クハハハッ。さて、早く出してもらおうか? そこの女ぁ、お前もだ!」
男は沙耶香ちゃんに物凄いメンチを切る。
その射るような視線に、沙耶香ちゃんは小さく「ヒッ」と声を出しながら、身体を竦ませるのであった。
俺は打開策をそこで考える。
だが、余計な事をしてこの男の神経を逆撫でると瑞希ちゃんの命が危ない。何故ならば、恐らく、この男は真っ当な道を歩む人間では無いからだ。それ以外にも、先程から俺達に向け、異様な殺気を放っており、殺すのを躊躇いそうな生易しい雰囲気というのが、この男からは感じられないのである。
以上の事から、俺はとりあえず男の要求に答える事にし、渋々持っている霊符入れや術具を地面に放るのだった。
続いて、沙耶香ちゃんもポケットから幾つかの術具を地面に放る。
だが、その中に拳銃の様な物が紛れていたので、俺は思わず「エッ?」と言ってしまった。それと同時に『沙耶香ちゃんは一体何者?』と思ったのは言うまでもない。
まぁそれは兎も角、非常に良くない状況である。
目の前の男は、恐らく、瑞希ちゃんも含めこの場に居る者を全員始末するつもりに違いない。
そう考える俺は男を注視しつつ色々と策を巡らせる。だが、中々良い案が浮かばない。
また、焦っている今の心境が顔に出たのか、男は俺の顔を見てニヤリと笑みを浮かべると言うのだった。
「クククッ、赤の他人なぞ、ほっとけばいいものを正義ぶってしゃしゃり出て来るからこうなるんだ。ククク、幾らお前が優れた術者であろうと、立て続けに行使した大きな術で今はかなり疲労が蓄積している筈だ。その上で、この娘という手駒を俺は手に入れた。ククク、俺の勝ちだ。さて、どうやって始末をしてやろうか」
悔しいが、奴の言ったとおり俺は大きな術を連続で使い続けた為、実は立っているのも辛い状況だ。
非常に不味い……。完全に奴のペースだ。何とかして今の状況を打破しなければ……。
と、俺が考えていた丁度その時。
鬼一爺さんが男に向かい、普段と変わらない物腰で口を開いたのだった。
(お主、人を殺めるのが生業の術者だの。まぁそれは今はどうでもよいわ……。一つ聞きたい。お主、何の為に龍穴の封印を解くつもりだったのじゃ?)
「そう言えば、妙なジジイの霊体が居たのを忘れていたよ。まぁいい。何の為だ? といったな。決まっているだろう。境内に隠れていたその女を炙り出す為だ。コイツが邪魔しにさえ来なければ、予定通り始末できていたんだよ」
と言った男は俺を睨む。
(ほう。で、その後はどうするつもりだったのじゃ? 一度緩めた封印はもう元には戻らん。あのまま放っておけば何時かは封印が完全に解けてしまい、この周囲が大量の悪霊で埋め尽くされる事になるのだぞ。封印の緩め方を知っているという事は、お主にもそれが分かっている筈じゃ)
鬼一爺さんは鋭い眼差しを男に向けると、言葉にやや怒気を込めてそう言った。
だが男は、そんな爺さんを嘲笑いながら言う。
「クハハハッ、知った事か。俺は目的を達せさえすればそれでいいのだからな」
(……フム、どうやらお主に術を授けた者は、相当な愚か者だった様じゃ。いや、まさか此処まで愚かな男として育つと思わなんだか、どっちかじゃな……)
鬼一爺さんは蔑んだ眼差しを男に向けると、顎に手をあてて嫌味ったらしく言った。
すると、男は目付きが変わる。
体中からドス黒い殺気を振りまき、憎憎しい血走った瞳を爺さんに向けて男は言う。
「ジジイ、俺の師を愚弄する気か……いいだろう。先ずは貴様から始末してくれる」
男は瑞希ちゃんにナイフを向かわせながら、俺達の放った術具の所へと歩を進める。
そして、沙耶香ちゃんが放った拳銃の様な物体を拾ったのであった。
俺の隣で脅える沙耶香ちゃんは、男がその物体を拾うのを見ると険しい表情を浮かべる。その表情を見る限りでは、結構強力な術具なのかもしれない。
男はその拳銃の様な物に霊力を籠める。すると、その拳銃から次第に霊圧が上がってゆくのを俺は感じ始めるのだった。どうやら、籠めた霊力を一点に集束させているようである。
霊圧がかなり高くなったところで、男は爺さんに照準を合わせて銃口を向けた。
「ククク、消えろッジジイ」
その瞬間!
銃口から白い閃光と共に、一筋の光の矢が爺さんに襲い掛かるのを俺は見たのだった。
その光景はまるで、いつか見たSF映画のレーザー銃の様である。
(ノワァァァァァ!)
「き、鬼一爺さんッ」
俺は慌てて爺さんの無事を確認する。
するとなんと、鬼一爺さんはエビゾリの様な体勢で、今の光の矢を何とかかわしていたのである。マト○ックスのあの有名なシーンの様に……。
なんて器用な幽霊なんだと思ったが、とりあえず、無事であったので俺はホッと胸を撫で下ろすのであった。
(と、突然、何すんじゃァァ! この阿呆たれがァァ)
だが鬼一爺さんは今の攻撃が相当頭にきたのか、物凄い形相で男に向かい絶叫した。
そして今度は俺に物凄い形相で絶叫する。
(涼一ッ、あ奴を懲らしめるんじゃァァァ。あんな悪人をのさばらせてはならんのじゃァァァ。我慢ならんのじゃァァ)
「こ、懲らしめるって言ったって……。瑞希ちゃんが人質になっているから下手な事はできないよ。それに、俺も大きな術を使ったからガス欠だ」
(ぐぬぬぬッ、おのれェェ。成らば、あの剣を使い奴を倒すのじゃァァ。早うせいッ、涼一ィ)
鬼一爺さんは頭に血が上っているのか、男と布都御魂剣を交互に指差し、我を忘れてそう叫ぶのであった。
だが、そこで男は不気味な笑い声を上げる。
「クハハハッ、ジジイさっきまでの威勢はどうした? みっともないぞ、取り乱して」
男はそう言った後、地霊封陣を発動させる為に結界内に突き刺したままになっている布都御魂剣に視線を向かわせた。
それを確認した男は薄気味悪い笑顔を浮かべて言う。
「ほう、かなり強力な霊刀のようだな。此処にいてもピリピリと強い波動が伝わってくる。クククッ決めたぞ。あの刀の霊力を使ってお前達を始末してやろう」
「ヘッ?」
その言葉を聞き、俺は思わず気の抜けた声を出した。
男は瑞希ちゃんの手を強引に引きながら布都御魂剣へと近付いてゆく。
それを見た俺が「あのぉ……」と言葉を発したところで鬼一爺さんが目の前に現れる。
爺さんは真剣な表情で俺を見ながら首を左右に振った。何も言うなという事なのだろう。どうやら、さっき取り乱したのは演技のようだ。
それを察した俺は男に視線を向ける。
すると、男はもう剣の前に到着したところであった。
―― 眩道斉 ――
「コッチへ来いッ、小娘ッ」「キャッ」
眩道斎は脅える瑞希の手を無理矢理引きながら布都御魂剣の所へとやってきた。
二人の眼前にある地面に突き刺さった布都御魂剣は、見る者を引き寄せるかのように絶えず美しく儚い光を発している。
瑞希はポツンと青白い光を放つその刀に目を奪われていた。その様は暗闇の中に咲く一輪の花の様にも見え、幻想的な光景となっているからである。それは眩道斎にしても同様で、その美しい姿に暫しの間立ち尽くして見惚れていたのであった。
眩道斎はその刀を見るなり考えるのである。『こんなに美しく強い波動を発する霊格の高い刀は、今まで見た事が無い。これは恐らく、とてつもない霊刀に違いない』と……。
だが、美しさと共に非常に危険な感じのする雰囲気も眩道斎は感じとっていた。それは美しい薔薇の花が持つ棘の様な感じである。その為、眩道斎は刀に手を伸ばすのを若干、躊躇っているのであった。
暫しの間、刀を眺めながら眩道斎は思案する。
眩道斎はこう考えていた。『もし、負の思念が渦巻く霊刀であっても、自分の強い精神力と高い霊力で押さえつけてやればいい。俺にはそれだけの力もある。そしてこの刀を俺の物にしよう』と。
そう結論した眩道斎は一歩踏み出して刀の前に近寄る。
そして、霊力を集中させた右手を刀へと持ってゆき柄を握ったのだった。
と、その瞬間!
「ウォォオォォォォ」
眩道斎は雄叫びの様な声を上げた。
だが、それだけではない。其処では誰の目から見ても異様と思えるような光景が繰り広げられていたのである。
何故ならば、眩道斎が柄を握った瞬間、身体全体から仄かな白い光が発せられると共に刀がそれらの光を吸い込んでいるからなのだ。
眩道斎は目を大きくさせて苦悶の表情を浮かべると、苦しさの余り瑞希を掴んでいた左手を離した。
その左手で柄を握る右手首を掴んで、無理矢理、刀から引き剥がす。
柄から手を話した瞬間、眩道斎の身体から発せられていた白い光も消え失せて行く。
そして、燃え尽きたかのように眩道斎は地面に両膝をゆっくりと付き蹲るのであった。
眩道斎が刀から手を離したのと同じくして、外見にも異変が現れる。
なんと、眩道斎の長い髪全てが白髪へと変貌を遂げていたからである。また、肌も青白く病人の様にゲッソリとした感じになっている為、先程とは打って変わり、衰弱したような印象を見る者に与えているのだった。
「ヒッ、し、白髪になってる!」
瑞希は眩道斎の異変を見るなり脅えながら後ずさる。
「瑞希ちゃんッ、早くコッチへ来るんだッ」とそこで涼一が間髪いれずに瑞希を呼ぶ。
「は、はい」
瑞希も今の言葉を聞き、すぐさま、涼一の元へと駆け寄るのであった。
―― 涼一は ――
布都御魂剣に生気を抜かれた男の体勢が崩れてゆく。
それを見た俺は、直ぐに、瑞希ちゃんを此方へ来る様に促した。
「瑞希ちゃんッ、早くコッチへ来るんだッ」
「は、はい」
瑞希ちゃんは慌てて俺の元へ駆け寄ってくる。
そして、俺の胸に飛び込むと同時に泣き出したのだった。
「ひ、日比野さぁんッ。こ、怖かったよぉぉぉ。ヒィェェェン」
「た、多分、もう大丈夫だよ」
俺はとりあえずそう言いながら、胸元に顔を埋める瑞希ちゃんの頭を優しく撫でる。
撫でた手に瑞希ちゃんの震えが伝わってきた。余程、怖い思いをしたのだろう。
そうやって瑞希ちゃんの頭を撫でていると、鬼一爺さんが目の前に来て男を指差し言った。
(涼一、まだ終わりではない。あの男は布都御魂剣に生気を大分抜かれはしたが、まだ生きておる。気を抜くでないッ)
「お、おう……って爺さん。あの刀に触れた者は、生気を抜かれて死ぬんじゃなかったのか?」
御迦土岳で鬼一爺さんが言っていた話を思い出しながら問い掛ける。
(それはの、あ奴の霊力が高いからじゃよ。高い霊力を練れる者ならば、一瞬で生気を抜かれて死ぬという事は無いのじゃ。とは言っても、あのまま柄を握り続けていたらそうなっておったがの)
「そ、そうなの……へ、へぇ」
俺はそう返事をすると男に視線を向かわせる。
男は両膝を地面につき息が荒くなっている。どうやら、鬼一爺さんの話は本当のようだ。
そこで隣にいる沙耶香ちゃんが妙に畏まった仕草をしながら俺に言う。
「日比野さん。今は詳しく言えませんが、私はあの男を追っていたのです。それで、あの男の捕縛に協力して下さい。お願いします」
「ヘッ、ほ、捕縛? ッて言っても取り押さえる物が無いよ」
と俺が告げると、沙耶香ちゃんはポケットから青い紐を取り出した。
「こ、これがあります。これは本来、護身結界に用いる霊糸ですが、縛るのに使える強度がありますから」
「護身結界? まぁいいや。とりあえず、それで縛って身動き出来ないようにすればいいんだな」
「はい、宜しくお願いします。さぁ行きましょう」
「ああ、分かった。それじゃ瑞希ちゃん、少し此処で待っていてくれるかい?」
瑞希ちゃんは空気を察したのか、無言でコクリと頷く。
そんな瑞希ちゃんの頭をもう一度俺は撫でると、先程放った霊符入れを拾い、沙耶香ちゃんと共に男の所へと向かうのだった。
沙耶香ちゃんは足を怪我している為、俺の肩を貸しながら進んで行く。
其処に着いた俺は、蹲る男に視線を向ける。先程まで、暗闇と同化している様にさえ見えた漆黒の長い髪は、長い年月を重ねたかのような真っ白い髪へと変貌を遂げていた。また、それと共に身体全体が小刻みに震えている。
そんな男をやや哀れに思いながらも、俺は男をこんなにした布都御魂剣に視線を向け、ゴクリと生唾を飲み込むのだった。
そこで沙耶香ちゃんは、さっきの紐をポケットから取り出す。
と、その時!
「女ァァ、死ねェェェ」
男は突如長い白髪を振り乱し、狂った様な表情を浮かべながらそう叫んだのだった。
それと同時に、先程の拳銃の様な物を男は沙耶香ちゃんに向けて放ったのである。
その瞬間、白い強烈な閃光の矢が沙耶香ちゃんを襲う。
だが俺は無意識の内に沙耶香ちゃんを押し倒していた。
「危ないッ」
「キャッ」と沙耶香ちゃんは突然の事に悲鳴を上げる。
「グァァ」と俺は苦悶の声を上げた。
何故なら、拳銃から放たれた光の矢は沙耶香ちゃんを押し倒した俺の肩を貫いたからである。
俺は肩からくる激痛で顔を顰めながらも、男に視線を向かわせた。
すると、男は今の一撃で力を使い果たしたのか、グッタリと地面に横たわっていた。
男からは微弱な霊波しか感じない。どうやら本当に力を使い果たした様である。
俺は撃たれた肩に手を当てながら上半身を起こす。
「ひ、日比野さんッ、大丈夫ですか!?」
俺の肩から流れる血を見るなり、沙耶香ちゃんは青い表情で言った。
「だ、大丈夫ではないね……グッ。それよりも、今の内に早く男を縛らないと。多分、今ので男は力を使い果たして気を失っている筈だから。それとあの刀には触らないでね」
「は、はい」
沙耶香ちゃんは恐る恐るながらも男に近付いてゆき、男の様子を間近で見る。
完全に意識を失っているのを確認すると、紐で男の手足を縛り始めるのであった。
俺は立ち上がると霊符入れの中から霊籠の符を取り出して、肩の傷口に何枚か貼り付けると力を解放した。一応、応急処置である。そして出血が止まったのを確認した俺は、布都御魂剣を封じる為、霊符入れから送還の符を取り出すのであった。
俺が送還の符に剣を封じたのと同じくらいに沙耶香ちゃんも男の手足を縛り終えたようである。
拘束を終えた沙耶香ちゃんは俺の傍に来て心配そうな眼差しを向ける。
「日比野さん。肩は大丈夫ですか?」
「ン? とりあえず、応急処置しただけだからね。まだ痛むよ。ハハハ」
俺は無理して爽やかに言った。
だが、そんな俺を見るなり沙耶香ちゃんは涙を流しながら謝る。
「ご、ごめんなさい……私の所為でこんな目に遭わせてしまって」
「いいよ、もう。兎も角、これでやっと気が楽になったよ……フゥ」
俺は蓄積された疲労と肩の傷の事もあってか、その時、突然眩暈が襲ってきた。
その為、足元が覚束なくなりバタリとへたり込むと、大の字になって地べたに寝転がるのだった。
「「ひ、日比野さん!」」
沙耶香ちゃんと瑞希ちゃんが綺麗にハモりながら俺の名前を叫ぶのが聞こえてきた。
そして、やや離れた所で爺さんと共にいた瑞希ちゃんは、慌てて俺の元へと駆け寄り泣きながら身体を揺さぶるのだった。
「ひ、日比野さん、大丈夫ですか。日比野さんッ日比野さん。死んじゃ嫌だよ。ヒィェェェン」
「瑞希ちゃん、い、痛い痛い。肩を怪我してるから、あまり揺さぶらないで」
「アッ……ご、ごめんなさい。グスッ」
瑞希ちゃんは涙を流しながら両手で口元を覆い、気まずそうに言った。
そんな瑞希ちゃんに笑顔を向けながら俺は言う。
「ちょ、ちょっと疲れただけだから、だ、大丈夫だよ。肩の傷も一応出血は治まったしね。ハハハ」
「ほ、本当ですか? 嘘ついたら駄目ですからね」
「ハハハ、本当だよ」
と、そこで沙耶香ちゃんは携帯を片手に持ちながら俺に言う。
「日比野さん、救急車を呼ばなくても大丈夫ですか?」
俺は傷口に視線を向かわせる。
貫いた光の感じでは恐らく、小さい穴だろう。貫通してはいるが、この程度の傷なら霊力を使えば治りが早い筈だ。
そう考えた俺は沙耶香ちゃんに言う。
「いや、救急車は呼ばなくていいよ。貫通してるけど、それ程大きな傷じゃないから霊力で対処できそうだしね。それに、もう血は止まってるし、暫く休めば自分の家まで歩いて帰れると思う」
「そ、そんな無理しちゃ駄目です。今、父に連絡して迎えに来てもらいますので、しばらく待ってて下さい」
そう俺に言うや否や沙耶香ちゃんは、ボタンをプッシュして何処かに携帯をかけたのである。
「アッ、お父様。今、宜しいですか? エッ、は、はい……はい、以後気を付けます。す、すみません……今、着信があるのに気が付きました。は、はい、男の方は捕まえました。今は手足を縛って拘束中です。私のいる場所ですが、県庁の付近にある大きな神社におります。公園と隣り合った所です。はい、それで来る時はお父様とお兄様だけで来て欲しいのです。……いえ、違います。例の術者が分かったのです。……はい、此処におります――」
といった具合の言葉が俺の耳に入ってきた。
沙耶香ちゃんは難しい顔になったり、申し訳なさそうな顔になったりと、色んな表情を作りながら話していた。
それが可笑しかったので、俺は思わずクスリと笑う。時折、俺の顔を見ながら話しているのが気になったが……。
そんな沙耶香ちゃんを見た瑞希ちゃんは、怪訝な表情をしながら小声で俺に聞いてきた。
「日比野さん、あの女の人は誰なんですか? 声は何処かで聞いたことがあるんですけど……」
「本人に聞いてみたら? 多分、瑞希ちゃんも驚くと思うよ。オッ、電話終わったようだよ。ほら、聞いてごらん」
すると、瑞希ちゃんは、やや畏まりながら沙耶香ちゃんに向かい口を開いた。
「あのぉ、初めまして。私、日比野さんの知り合いで高島といいます。もし宜しければお名前を教えて頂けないでしょうか?」
沙耶香ちゃんはポカンとした表情で瑞希ちゃんを見る。
そして、「プッ」と噴出して笑い出すのであった。
「高島さん、ごめんなさい。私ですよ、道間です」
「エエェッ、み、道間さん? だって、全然別人に見えるよ」と言った瑞希ちゃんは、驚きながら上から下まで視線を這わした。
「クスクス。だって私、今、変装中なんです。それに外も暗いから分からなくて当然ですよ」
「ハハハ、驚いただろ、瑞希ちゃん。まぁ、俺もさっき知ったばかりなんだけどね」
俺達がそんな会話をしていると、鬼一爺さんが顎に手を当てながら俺の傍にやってきた。
(涼一、先程撃たれた肩の傷はどんなもんじゃの?)
「一応、霊籠の符を利用して応急処置はしたから血は止まったけど、まだ痛むよ」
俺は肩に貼り付けた何枚かの符を見ながら答える。
鬼一爺さんは、ホッとしたのか柔らかい表情になり俺に言う。
(フム……。まぁ兎に角、その程度で済んで良かったわい。それにしても、今の世は変わった術具があるのじゃのう。我もあれにはタマゲタわい)
「そうだよ、一体何なんだ。あのスター○ォーズのブラスターみたいな銃は……」
俺は男の付近に転がる拳銃に視線を向けた。
すると、沙耶香ちゃんが丁度そこで銃を拾い上げ、俺達に銃を見せながら説明をし始めるのだった。
「日比野さん、この銃は霊力を高度に集束させて撃ち出す『閃光の矢』と呼ばれる術具です。実はこの銃、今年の春に限定発売された新商品なんですよ。今の私の切り札です。でも連射出来ないのが欠点なんですけどね」
「へぇ〜なんか良く分からんけど、すごい銃だね。実際に被害にもあっているから余計にそう思うよ」
沙耶香ちゃんは銃を仕舞うと、今度は俺と瑞希ちゃんと鬼一爺さんを順に視線を向かわしてゆく。
そして真剣な表情になり、一呼吸おいてから口を開くのだった。
「日比野さん、この男が現れる前にした質問なんですけど、憶えていますか?」
「それって爺さんが何者か?って話の事だね……」
「はい」
「それなら、爺さんから直接聞いた方が早いよ」
俺は鬼一爺さんに視線を向けると言った。
「爺さんが何者か? 沙耶香ちゃんが知りたいってさ」
鬼一爺さんは眉間に皺を寄せて難しい表情になりながら、沙耶香ちゃんをジッと見ていた。
恐らく、縄張り荒らしで小言を言われるのを気にしているのだろう。
だが、観念したのか、一息吐くような仕草をしながら話し始めた。
(フゥゥ。最早、言い逃れできるような場合じゃなさそうじゃな。仕方あるまい。我は今から800年前の世で陰陽師をしていた鬼一法眼と申す者なり。まぁ真の名は賀茂在憲と申すのじゃがの)
「き、鬼一法眼……賀茂在憲……」
沙耶香ちゃんは今の言葉を聞いた瞬間、幻でも見ているかのような表情で、爺さんの名前を呟きながら呆然と立ち尽くしていた。
なんか良く分からないが、沙耶香ちゃんにとってかなりショッキングな名前の様である。
(どうしたのじゃ娘子よ。呆けたような顔をして)
すると沙耶香ちゃんは、「アッいえ、申し訳ありません。今までのご無礼をお許し下さい。鬼一法眼様」と言いながら丁寧に頭を下げ、突然、目上の者に対するかのような仕草を始めたのである。
俺と爺さんはそんな沙耶香ちゃんの態度を見るなり、互いに首を傾げながら顔を見合す。
まぁそれは兎も角。俺も前から気になっていた事があったので、ついでとばかりに沙耶香ちゃんに問い掛けた。
「沙耶香ちゃん、俺からも聞きたい事があるんだけど、いいかい?」
「は、はい、どうぞ」
「沙耶香ちゃんてさ、依頼を受けて除霊を専門にしていたりするのかい?」
俺の問いに一瞬、眉の角度が変わった。が、諦めたような表情をすると沙耶香ちゃんは話し始めた。
「……はい、その通りです。私の家は代々修祓を専門に行う家系なのでございます。今回の件はそれ絡みではないのですが……」
俺は鬼一爺さんに視線を向かわせる。爺さんは無言で頷く。
そこで俺は念の為に聞いてみた。
「と、ところで沙耶香ちゃんさぁ。最近、高天智市内で依頼のあった除霊が、知らない内に解決されているなんて話、聞いた事あるかい?」
俺の問い掛けに沙耶香ちゃんはキョトンとした顔になる。
そして俺の顔を見ながら逆に聞いてきたのだった。
「あのぉ、それってやっぱり、日比野さんなのですか?」
「じ、実は……ゴメン、俺だ。鬼一爺さんから術の修行だって事で、毎晩、除霊をさせられていたんだ。本ッ当にゴメン」
寝転がったままではあるが、俺は沙耶香ちゃんに必死で謝った。
「クスクス、いいですよ。気にしないで下さい。これで謎が解けましたから」
沙耶香ちゃんは控えめに笑いながら俺にそう答えた。
「そ、そうかい、よかったぁ。俺さ、被った損害をどうにかしろ、と言われるかと思ったよ。ああいった類のお金って、半端なく高そうな気がするからね。俺、貧乏学生だし、そんな金ないからさ。アハ、ハハハ」といいながら俺は頭を掻いた。
「そんな事言いませんよ。クスクス」
「良かったですね、日比野さん。心配事がこれで無くなったじゃないですか」
と、そこでニコニコと微笑む瑞希ちゃんが俺に言う。
「ハハハ、本当だよ」
まぁこんな感じで軽い談笑と拘束した男の監視をしながら、俺達は暫くの間、沙耶香ちゃんの呼んだお父さんが来るのを待つのであった。
―― それから20分後 ――
俺は心身共に大分楽になってきたので、近くの座りやすそうな石に腰掛けて、肩の治療をする為の霊力を練り始めていた。
そこで沙耶香ちゃんが言う。
「日比野さんは何時から霊術関係を習い始めたのですか?」
「ン、術を習い始めたのかい? 俺が習い始めたのは今年の夏からだけど。それがどうかした?」
「こ、今年の夏! まだ半年も経ってないじゃないですかッ」
沙耶香ちゃんは驚愕の表情を浮かべながら俺に言った。
「そ、そんなに変かい?……」
「はい、変です。だって、一人前になるには最低でも5年は掛かると言われてるんですよ」
するとここで鬼一爺さんが沙耶香ちゃんに言うのだった。
(フォフォフォ。涼一はの、優れた才の持主なんじゃよ。何と言っても、我が教えた者の中でもずば抜けた天稟を持っておるからの)
「き、鬼一法眼様がそう仰るという事は、相当なのですね」
鬼一爺さんの言葉を聞いた沙耶香ちゃんは、目をパチクリとしながら俺を見詰める。
俺はその視線が恥ずかしくなり照れたように頭を掻くのだった。
「エヘへ、やっぱ日比野さんて凄いんだぁ。瑞希もそんな気がしましたよ」
「瑞希ちゃん、おだてても何も出ないよ」
「いいですよ。もう貰いましたから」
と言うと瑞希ちゃんは、首にかけた琥珀のペンダントを俺に見せる。
沙耶香ちゃんはそれを見て、やや気まずそうな感じで、控えめに聞いてくるのだった。
「日比野さんと高島さんは恋人同士なんですか?」
「ヘッ? やだなぁ、そんな風に見えるかい。ハハハ、違うよ。師匠と弟子の関係かな。ね? 瑞希ちゃん」
すると瑞希ちゃんはやや微妙な顔をしていた。というか少し怒ってそうに見える。なにか気に障ることを言ったのだろうか……。
などと考えていると、沙耶香ちゃんがパァッと明るい表情になって言うのだった。
「そ、そうだったのですか。『師弟』の関係なんですね」
沙耶香ちゃんは師弟という部分をやたらと強調しながら言った。
「まぁ一応そうなるのかな。ハハハ」
「ムゥゥ、日比野さん」
瑞希ちゃんは頬を膨らまして怒っていた。それと共に怒りの霊波動を感じる。
わ、分からん。な、何を怒っているんだろう……。
正反対の態度をとる二人に挟まれた俺は何となく居心地が悪くなる。
と、その時。俺達の前方に二人の男が現れたのである。
一人は白髪混じりの中年の人で、もう一人は俺とそんなに年が変わらなそうな青年である。
二人の出で立ちはスーツ姿である為、パッと見は何処かの営業マンの様に見える。が、この人達からは強い霊力を俺は感じたので、直感的にこの二人が沙耶香ちゃんのお父さんとお兄さんなのだろうと俺は考えるのだった。
二人は俺達を見るなり足早に駆け寄ってきた。
因みに鬼一爺さんは、その人達を見るなり霊圧を下げると、俺の背後にまわって姿を隠すのだった。
その二人の男は俺達3人の前にやって来ると、最初に若い方の男が口を開いた。
「沙耶香、お前には色々と言いたい事があるが、今はそれは置いておこう。で、男は何処だ?」
「あ、アソコでございます」
沙耶香ちゃんは後ろの地面を指差して若い男に言う。
「その白髪の老人がそうなのか?」
「いえ、その……老人ではありません。話すとかなり長くなるのですが……」というと沙耶香ちゃんは俺の顔を見る。
するとそこで、中年の男が一歩前に出て沙耶香ちゃんに言うのだった。
「沙耶香、この人が電話で言っていた人か?」
「はい。そして、もう一人、凄いお方がおられます」
「凄いお方?」と言いながら中年の男は眉根を寄せる。
沙耶香ちゃんは無言で男に頷くと、俺の背後を見た。
そして言う。
「日比野さん、姿を見せるように言ってもらえますか?」
「ン? ああ。爺さん姿を見せろってさ」
(フゥゥゥ、やれやれ)
すると鬼一爺さんはダルそうに返事した。多分、色々と説明する事になるのが嫌なのだろう。
爺さんは面倒くさそうにヒョッコリと俺の後ろから出てくると、霊圧を上げて姿を現したのであった。
二人の男は鬼一爺さんを見るなり息を飲むと共に身構える。
恐らく、突然高い霊圧を感じたからだろう。鬼一爺さんも性格が悪い。もう少し緩やかに霊圧をあげればいいのに……。
と、ここで若い男の人が沙耶香ちゃんに言う。
「沙耶香、この老人の霊が一体どうしたと言うのだ」
「お、お兄様。なんと失礼な。此処におられるお方は800年前の陰陽師、賀茂在憲様でございます。かの有名な鬼一法眼の異名をもつお方です」
沙耶香ちゃんの言葉を聞くなり、目の前にいる二人は「エッ?」という感じで身体を強張らせていた。それと共に、ゆっくりと首を動かして鬼一爺さんに視線を移す。
そして目を大きく見開き、中年の男の人が爺さんに問い掛けるのだった。
「い、今、家の娘が言った事は本当なのでしょうか?」と。
すると爺さんはダルそうに答えた。
(フゥ、そうじゃ。その娘の言うとおり、我は鬼一法眼と申す者じゃ)――




