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霊異戦記  作者: 股切拳
第弐章  霊験の道
29/64

弐拾九ノ巻 ~呪殺

 《 弐拾九ノ巻 》 呪殺


 

 ――今の時刻は午後4時。朝方、羽毛の様に舞い落ちていた雪はもう止んでおり、薄暗い曇り空が高天智市内を覆っていた。中心市街地では、時折、ビルの谷間を縫うように冷たい風が吹き抜ける。その為、道を行交う人々は身体を小さく窄める様な仕草をしており、また、そういった人々の様子が現在の気温の低さを物語っているのだった。

 しかし、そんな薄暗く寒い気象条件ではあるが、今日はクリスマス・イブである。

 市街地の大通り沿いに店を構える各店舗では、軒先に設けられたイルミネーションが鮮やかに光り輝いており、そんな寒空を嘲笑うかのように非常に明るく暖かい雰囲気となっていた。ホビーや家電を扱う店の付近ではクリスマス定番の明るい音楽が聞こえてくる所為か、其処を通る人々は心なしか笑顔になっている様に見える。

 大通り沿いはそんな雰囲気である為、見た感じからはそれ程に寒い印象を受けない様相となっているのであった。

 そんな賑やかな大通り沿いからやや離れた所にある、此処、F県立県民交流センターでは、朝の様に内外で忙しく準備に追われる人々の姿はもう見受けられない。敷地内にある20台程度の収容能力しかない小さな駐車場は全て埋まっており、入りきらない車は近くの立体パーキングを利用している様である。また、建物の周囲には偶に横切る通行人や車以外はない為、外の様子は非常に静かで寂しい雰囲気となっているのであった。

 しかし、そんな外の静けさとは打って変わり、県民交流センター大ホールでは沢山の人々の拍手が鳴り響いていた。今日予定されているプログラムの最後、地元代議士による講演が始まろうとしているからである。ホール奥にある床から1m程高い壇の上には地元代議士の他に来賓達の姿があった。だが、其処には大沢伊知郎の姿はない。実はもう既に大沢は講演を終えており、この後に入っている予定がある為、控え室に戻っているからなのである。

 大沢は今、控え室に用意されている椅子に腰掛けながら一息入れており、次の場所へ移動する為の足を待っているところであった。この控え室には大沢以外にも関係者であろう数名の者達がおり、その者達は丁度今、大沢に挨拶をしているところである。その大沢の後ろには、黒縁の眼鏡をかけた秘書の若い男が付いており、手帳を眺めながらこの後の予定を確認している最中のようであった。

 大沢伊知郎はやや小太りの体型をしており、上背はそれ程無く中の下といった感じの初老の男である。細い目と丸い輪郭の顔立ちが特徴で、頭髪にはべったりとした整髪料が塗られていた。その為、部屋の明かりが反射してニスを塗ったかのように頭が光り輝いている。また、やや明るい灰色の背広を着ている事もあり、今日は一見すると派手な印象を受ける姿となっているのであった。

 大沢は一通り関係者に握手や挨拶を済ませると、後ろにいる眼鏡をかけた若い秘書にニコヤカに声をかけた。

古坂こさか君、次のG県での会食は何時からだったかね?」

「会食の予定時刻は7時からとなっております。此処からですと凡そ1時間半程で到着できる予定です」

 細身で背の高い古坂と呼ばれた男は、低くハッキリとした口調で大沢に答える。

「そうかね。ではまだ少し余裕があるようだ」

 大沢は笑顔でそう答えると、秘書に近寄り小声で言った。

「それより古坂君。例の件はどうなっている?」

「……ご心配なく。もう手は打ってあります」

 秘書の言葉を聞いた大沢は野心溢れる笑みを浮かべる。

「そうかね。政権奪取に向けた大事な時期に入る今、妙な犬にウロチョロされると私も敵わんからな」

 古坂は眉間の眼鏡フレームを右手の中指で押し上げて位置を直すと、鋭い目付きになり大沢に言った。

「大沢先生の不安は近々完全なる形で取り除かれますので、どうかご安心下さい。私が保証致します」

「どうやら、君を第一公設秘書として雇い入れたのは正解だったようだ。ハハハ」

 大沢は小さく笑いながらそう答えると、室内の壁に掛けられた時計を見る。

 そして、古坂に言った。

「ところで古坂君、足の方はまだかね?」

「申し訳ありません。もうそろそろ来る頃だとは思いますが、今直ぐ確認を致しますので少々お待ち下さい」

 と丁寧に答えた古坂は、大沢に一礼するとそのまま控え室を後にしたのだった。

 廊下に出た古坂は左右を見回し、人が居ないのを確認すると控え室から若干離れた奥の部屋へと向かう。

 古坂は音を立てずやや足早に廊下を移動すると、その部屋の扉をゆっくりと開いた。

 其処は6畳程の小さな四角い部屋で、角の方には折畳み式の会議机や椅子等が積み上げられていた。どうやら物置の様である。

 また、明かりが点いていない為、非常に暗い。

 だが、その部屋の真ん中には一人の男が椅子に座り悠然と佇んでいるのだった。

 男は古坂が入口の扉を閉めたのを見届けると、低く小さな声で言った。

「……大沢は控え室か?」

「はい。一応、大沢の他にも私を含めて数名の人間が居りますので、此度の証人となりましょう。それと部屋の周囲には、ご要望通りに霊波遮断の結界を張っておきましたので、余程の事がない限り、鎮守の森の連中に術の行使は気付かれないでしょう。後は眩道斎殿にお任せします」

 古坂はそう告げると、眩道斎に一礼をしてからこの部屋を後にした。

 そして暗い部屋に一人佇む眩道斎は、口元を僅かに吊り上げて笑みを浮かべると、左膝を床につけてしゃがみ何かの準備に取り掛かり始めたのであった――


 ――部屋を出た古坂は静かに笑みを浮かべると、上着のポケットから携帯を取り出して電話を掛けた。

「私だ。そろそろ此方の方に車を回してくれないか? ……ああ、そうだ。……それではよろしく頼む」

 二言三言話した古坂は携帯を切ると大沢の待っている控え室へと戻って行く。

 古坂が控え室に戻ると、室内には数名の笑い声が響き渡っていた。

 5人の光民党関係者が大沢と談笑をしている最中だからである。

 音を立てず静かに扉を閉めた古坂はそれらに視線を向けると大沢に小走りで近寄る。

 そして、やや申し訳なさそうに小声で報告するのであった。

「大沢先生、お話中のところ申し訳ありません。あともう少しで此方に来るそうです。暫くそのままお待ちいただけますか?」

「おお、そうかね。では、もう暫くのあいだ寛ぐとしよう」

 と答えた大沢は、他の5人との談笑を再開しだした。

 古坂はそんな大沢達に一瞬冷ややかな視線を向けると、やや離れたところに移動して事の成り行きを見守るのであった。 

 大沢が5人と談笑を再開し始めて暫く経った頃、異変が起き始めた。

 なんと、大沢の足元から深紫色の薄っすらとした光が現れたのである。

 だが、此処に居る者達には見えていない。一人を除いては……。

 その光はゆっくりと煙が立ち上る様に大沢の足元から這い出てくると、深紫色をした人型で薄気味悪い亡霊へと変貌を遂げたのだ。

 大沢と他の5人には亡霊の姿は見えていない。

 何故ならば霊感の無い者には見えないからである。

 その人型の亡霊はギザギザに尖った五本の指が生える掌を大沢に向ける。

 そして心臓のある辺りに勢い良く突き刺して大沢の霊体を鷲掴みにしたのだった。

 と、その時!

「ハハハ、それでだね、……ウッ……ァァアァ……カッ」

 大沢は談笑の途中に、突然、胸を押えて苦しそうに呻きながらうずくまる。

 それから程なくして、震える手で宙を掴もうとする仕草をしながらバタリと床に倒れ込んだ。

「「「「「お、大沢先生ッ。だッ大丈夫ですか!?」」」」」

 大沢と共に談笑をしていた5人はハモりながら慌てて大沢に詰め寄る。

 古坂もそれを見届けるなり、すぐさま大沢の元へと駆け寄ると、横たわる身体を揺さぶりながら必死の形相で呼びかけるのであった。

「先生シッカリして下さいッ。先生ッ先生ッ」

 しかし、大沢はピクリとも動かない。

 その様は糸の切れたマリオネットのように力なくダラリとなっていた。

 そして古坂は、周囲にいる慌てた様子の光民党関係者5人に向かい叫ぶ様な声色で言うのであった。

「きゅ、救急車だぁぁッ。は、早く連絡をッ!」

「は、はい。たッ只今ッ」――


 ――大沢が倒れる15分前……。

 沙耶香は交流センター敷地内北側を兄と共に警戒に当たっていた。

 北側は若い木々が何本も植樹されたところで、目立つ物も設置されていない殺風景な場所である。だが、それは日が射す昼の話で、今のこの時間帯になると周囲はかなり暗くなっている。その為、二人は懐中電灯の光を頼りに周囲の見回りをしているところなのであった。

 今日の沙耶香は灰色のスーツ姿の上から薄茶色のトレンチコートを着ており、顔には若干の化粧を施して丸い眼鏡を掛けるといった格好をしていた。髪はいつものツインテールではなくストレートに降ろしており、その出で立ちは14歳という年齢ながらも一見するとOLの様に見える姿なのであった。

 こんな格好を沙耶香がしているのには、勿論理由がある。それは、こんな場所に一人だけ中学生がいるという不自然さを無くす為なのである。今の沙耶香を見ても学校のクラスメートは恐らく気付かないであろう。そう言っても大袈裟ではないくらいに上手く変装しているのであった。

 兄と共に警戒に当たっていた沙耶香は朝のミーティングを思い返す。

 そこで兄に向かい言った。

「お兄様。今朝聞いた予定では、もうそろそろ大沢議員は次の目的地に移動する時刻ですよね?」

「ああ、そろそろ大沢議員は此処を発つ時間の筈だ。もう暫くの辛抱だな。気を抜かずにこのまま警戒を続けるぞ」

 一樹は笑顔で答えると、直ぐに真剣な表情へ戻り周囲を走る地脈に気を配る。

 沙耶香も兄の言葉を聞き大きく頷くと相槌を打つ。

「ええ、大沢議員が発つまでは終わりじゃありませんものね」と。

 そして二人は、今一度、気を引き締めなおして周囲の警戒に当たるのだった。

 丁度その頃、大ホールでは地元代議士が壇上に上がったところであり、その地元代議士を迎える聴衆の大きな拍手が、外に居る二人の耳に小さくではあるが聞こえてきた。

 タイミングよく聞こえてくるその拍手に、沙耶香は自分達の今の行動を褒め称えるかの様な錯覚を一瞬だが覚える。そんな事が一瞬過ぎったが為に沙耶香は思わずクスリと微笑むのだった。

 と、その時。

 沙耶香は僅かに乱れた地脈の気配を交流センターの方から感じ取った。

 地脈の僅かな乱れは熟練の霊能者でも、直ぐには分からないくらいのものであったが、霊視や霊感に秀でた才を持つ沙耶香には感じ取る事が出来たのである。

 沙耶香はそこで一旦立ち止まると交流センターの方へ視線を向け、隣に居る兄に言うのだった。

「お兄様! 今、交流センターの方から僅かではありますが、地脈の乱れを感じました」

「何ッ、だが俺には何も感じなかったぞ? まぁお前の方が感知能力に優れているからかも知れんが」

 一樹はそう答えながらも、沙耶香の眺める方向に視線を向かわせる。

 すると、沙耶香はやや険しい表情になりながら一樹に言った。

「私も今は何も感じませんが、ついさっき確かに感じたのです。本当に極僅かな乱れですが……」 

「本当か?……だが、俺達の持ち場は此処だからな。とりあえず、父上に連絡……って、オイッ、沙耶香。何処に行くッ」

 一樹が携帯を取り出して父に連絡しようとした時、沙耶香は自分の中で沸き起こる嫌な予感が気になり、足早に交流センターへと歩を進め始めた。

 そんな沙耶香を見た一樹は「チッ」と舌を打ちつつも、携帯を懐にしまい急いで後を追う。

 そして二人が交流センターに近付いたところで叫ぶような大声が聞こえてきたのであった。

【大沢先生が倒れたぞぉぉ! きゅ救急車だァァ。早くッ】

 その声が聞こえるなり、沙耶香は足を速め、後ろにいる兄に向かい言った。

「大沢議員に何かあったようです」

「どうやら、その様だ」

 交流センターから聞こえてくる大きな声で一樹も異変に気付き足早になる。

「お兄様、向こうに入り口があります。行きましょう」

「あ、ああ」

 建物に辿り着いた二人は、交流センター北側にある勝手口の所にまで急いで移動すると、一樹は早速ドアノブに手を伸ばして扉を開くのであった。

 だが、そこで西方向へ走り抜けて行く人影が沙耶香の目に飛び込んでくる。

 すると沙耶香はその人物が目に入るや否や、慌てて一樹に言った。

「お兄様ッ、今、向こうに怪しい人影が走って行きました。私は後を追いかけますので、此処をお願いします」

 それを告げるなり沙耶香は直ぐにその人物の後を追いかける。

 一樹はそんな沙耶香を見て、やや慌てながらも大きな声で呼び止めるのだった。

「ちょ、ちょっと待てッ、待つんだ沙耶香! 勝手な行動をするなァ」

 だが沙耶香は一樹の注意も聞かずに、懐中電灯を前に向けながら暗がりの中を走って行く。

「クッ。沙耶香の奴、勝手な行動をしやがって。とりあえず、父上に連絡をせねば」

 そして一樹は、上着から携帯を取り出すと急いで一将に連絡をするのだった――


 ――今の時刻は午後4時半。この時間帯になると上空は夜といっても差支えが無い程に暗くなっていた。そして高天智市内の各所を通る主要な国道や県道では、このPM4時からPM7時までの間が交通量の多くなる時間帯という事もあり、絶え間なく続く車の渋滞で非常に混雑し始めているのだった。

 そんな混雑する道路の一つ、中心市街地の真ん中を走る大通りでは街灯やネオン、そして街路樹に施された色とりどりのイルミネーションが美しく光り輝いており、幻想的な光景となっていた。また、大通り両脇の歩道は恋人達や買い物客、ビジネスマン等の沢山の人々で埋め尽くされており、活気溢れる賑わいも見せているのであった。

 大沢伊知郎の呪殺を終えた眩道斎は、そんな大通りの喧騒の中を背筋を伸ばし真っ直ぐに進んで行く。そして暫く進んだところで大きな十字路を右折した。すると前方に、周囲を林に囲まれた大きな神社が眩道斎の視界に入ってくる。眩道斎はその神社の方向を見詰めながら真っ直ぐと歩を進めるのだった。

 その神社は大きな敷地面積を持っており、正面に見える赤い大きな鳥居とその付近に聳える巨木が一際目立つ存在感を放っていた。また、神社の右隣にも結構な広さを持つ公園がある為、ビルが多いこの中心市街地に於いてやや開けた感じの場所となっているのだった。

 公園内に設置されている水銀灯は非常に明るく光り輝いており、その明かりがベンチや葉の散った広葉樹、そして石畳の遊歩道といった園内の景色を絵画の様に美しく浮かび上がらせていた。

 だが、対照的に神社の方には明かりがない為、非常に薄暗くなっている。その所為か、鳥居から神社まで続く参道は不鮮明に浮かび上がって見え、非常に不気味な雰囲気となっているのであった。

 眩道斎はそんな薄暗い神社付近にある路地へと入って行くと、その先にある3階建ての立体駐車場へと向かった。駐車場の建物内に入った眩道斎は、左右を打ちっ放しのコンクリート壁で仕切られた通路先にあるエレベーターへと歩を進める。そして、上昇ボタンを押そうとしたところで、後ろから不意に声を掛ける人物が現れたのであった。

「少しいいですか? 貴方が交流センターから出てゆく時、不自然な感じで去って行ったので、後を付けさせてもらいました。一体、貴方はアソコで何をしていたのでしょうか?」

 声を掛けたのは沙耶香であった。

 沙耶香は眩道斎から20m程離れたところにおり、後ろ姿を睨みつけていた。

 その声を聞いた眩道斎は僅かに首を動かし後方を見る。

 沙耶香の顔を確認した眩道斎は、笑みを浮かべながら振り向いた。

「何をとは? 私は大沢先生の講演を拝聴していただけだが……」

「へぇ〜。では何故あの騒ぎの中、逃げる様に去って行ったのですか?」

 と言いながら沙耶香は、矢を射る様な眼差しを緩めずに眩道斎を睨みつけている。

 だが、そんな威圧的に振舞う沙耶香を前にしながらも、眩道斎は落ち着き払った余裕の表情で薄っすらと笑みを浮かべていた。

 そして、懐からタバコを取りだして火をつけると不敵に笑いながら言うのだった。

「クククッ、そんな理由だけで私を追ってきたのか? だとしたらとんだ時間の無駄だな。私は今言ったとおり大沢先生の講演を聞きに行っただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……理由はそれだけじゃありません。貴方からは僅かですが、あの地を通る地脈と同じ波長の残留霊痕が感じられます。言っておきますが、隠しても無駄ですよ。私は普通の術者に比べて霊視や霊感に秀でておりますのでね」

 沙耶香は今までよりも更に鋭く睨みつけながらそう言い放った。

 すると眩道斎の顔からは笑みが消える。

 そして二人の間に緊迫した空気が漂い始めるのだった。

 やや長い沈黙の後、眩道斎は不気味な笑みを浮かべて口を開いた。

「ククククッ、なるほど。鎮守の森にも中々に優秀な奴がいたもんだ。だが、一人で来たのは不味かったな。クククッ、女を殺すのは性に合わんが仕方ない。恨むのなら自分の浅はかさを恨むがいい」

 眩道斎はダラリと両手を降ろすと、殺気を振り撒きながらゆっくりと沙耶香に近付いてゆく。

 それを見た沙耶香は即座に身構えると、コートに忍ばせた直径2cm程の球体である霊珠を手に取り、自分との差が10mを切ったところで霊珠の力を解放して、近付く眩道斎に目掛けて投げ付けるのだった。

 沙耶香の霊力によって力を解放した霊珠は赤い炎を纏っており、火球となって眩道斎に向かって行く。

 しかし、眩道斎は余裕の表情で火球を見据えると、不敵に笑いながら右掌を正面に突き出した。

 そして霊珠が眩道斎の右掌に掴まれた次の瞬間! 

 霊珠は眩道斎の掌に受け止められると同時に強烈な光を一瞬放つのであった。

 だが、それだけである。

 笑みを浮かべた眩道斎の右手には透明の球体が握られている。

 どうやら霊珠の力を眩道斎が押さえつけたようであった。

「こんな下らん玩具おもちゃでは俺は倒せんぞ。クククッ。そして、正体を知られたからには生かしておく訳にはいかん」

 眩道斎の言葉を聞いた沙耶香は笑み浮かべる。

「こんな物で貴方を倒そうなんて思っていませんわ」

 微笑みを浮かべながらそう告げた沙耶香は、拳銃に似た物を懐から取り出して両手で構え、眩道斎の心臓辺りに狙いをつけるのであった。

 そして言った。

「動かないで下さい。この銃で撃たれれば、幾ら高い霊圧を練れる高位術者でも、ただではすみませんよ」

 銃を見た眩道斎の顔から笑みが消える。

 そして、恐ろしく鋭い殺気を沙耶香に放ちながら言うのであった。

「ほう、『閃光の矢』か。中々高価な物を持ってるじゃないか。さっきの霊珠は油断させる為の物という事か……。クククッまぁいい、撃つのなら撃ってみるがいい」

 だが、眩道斎はひるむ事無くそう言い放つと、コートのポケットに左手を入れる。

「う、動かないで! 撃ちますよ。脅しじゃありません」

 沙耶香は閃光の矢を見ても動じない眩道斎を見て、やや焦りながらも威嚇する。

 だが眩道斎は別段気にした様子も無く笑いながら言った。

「クククッ、殺す前に一つ良い事を教えてやろう。戦いの場に於いて非情に成れん奴は早死にする。クククッ、そして、こんな通路で接触を試みたという事は俺の退路を断つ為であろうが……お前の様な未熟者が俺を倒す事などできぬわッ! 死ぬがいいッ」

 そう言い放った眩道斎は左手に一枚の霊符を振りかざす。

 すると其処からドス黒い霧が噴出し始めるのだった。

 沙耶香は目の前から噴出す黒い霧に視界を妨げられ、たじろぐ。

 そして、眩道斎を見失った次の瞬間! 

 ゾクリッと鳥肌が立つような冷たい感覚を沙耶香は覚えた。

 それと同時に沙耶香の中にある何かが命の危険を知らせるのであった。

 沙耶香は無意識の内に踵を返し、慌てて後方へと全力で駆ける。

 黒い霧が漂う通路では眩道斎の不気味な笑い声が響いていた。

「ククククッ、中々良い勘をしているじゃないか、あの小娘。だが、この俺から逃げられると思うなよ」――

 

 ――立体駐車場の外に出た沙耶香は脇目も振らずに直ぐ近くにある薄暗い神社へと向かった。

 神社境内に逃げ込んだ沙耶香は、沢山ある大きな木々の一つに身を隠すとそれに背中を預けて寄りかかる。そして、息を潜めながら先程の優柔不断な自分の行動を呪うのであった。何故、あそこで直ぐに撃たなかったのか、と……。

 そう沙耶香が悔やんでいると、冷たい風が周囲の木々の間から吹き抜ける。その風に身を震わせながらも、この後の事を沙耶香は考えるのであった。どうやって切り抜けるかをである。沙耶香とて相手が霊術を駆使する殺し屋であるが故に、そう易々と逃げられるとは思っていないからだ。

 だがそこで、「バサッバサッ」と鳥が羽ばたく音が沙耶香の耳に聞こえてくるのであった。

 その羽ばたく音は徐々に沙耶香へと近付いてくる。

 不思議に思った沙耶香は音の聞こえる方向へ僅かに視線を向けた。

 すると、数羽の黒い奇妙なカラスが沙耶香の近くを飛んでいたのだ。奇妙といったのは目が赤く光っていたからである。また、カラスからあの男と同じ霊波を感じ取った沙耶香は、ブルッと身をすくませるのだった。

『このままでは見つかる』そう考えた沙耶香は、自分のいる場所から右斜め前方に佇む神殿へ隠れる事にした。そして、カラスに気付かれない様に細心の注意を払いながら、沙耶香はソッと移動を開始し始めるのであった――


 ――境内に入った眩道斎はカラスの式を数羽操りながら沙耶香の居場所を探していた。

 周囲の薄暗い状況と眩道斎の着ている衣服が黒一色で統一されている所為か、その様子は遠目から見ると闇が蠢いているように見える。

 そんな風に闇に溶け込みながら沙耶香を追う眩道斎は、ある場所で立ち止まった。そして、何処にいるとも分からない沙耶香に向かって、『境内隅々に響き渡れ』といわんばかりの大声で言うのであった。

【クククッ、オイ、女! お前がこの境内の何処かに居るのは分かっているぞッ。俺の式の目から逃げられると思うなよ。それと良い事を教えてやろう。もう、この神社境内には強力な人払いの結界を施してある。要するに誰もお前を助けには来ないという事だ。残念だったな、クククッ。ジワジワと追い詰めて始末してくれるわッ】

 大きな声でそう言い放った眩道斎は、目を見開き口元を大きく吊り上げた不気味な笑顔を浮かべる。その表情はもし此処に第3者が居るならば、寒気を覚えたであろう。そんな恐ろしく歪んだ笑みである。そして今の眩道斎からは、まるで狩を楽しむかの様な雰囲気さえ感じられるのであった。

 眩道斎は結界内をゆっくりと練り歩き、周囲を丹念に見回しながら沙耶香を探す。

 だがそこで、注連縄しめなわを巻かれた丸く大きな灰色の石が眩道斎の目に飛び込んできた。

 それを見た眩道斎は何かを閃くと同時にニヤリと笑う。

 眩道斎はその丸い石に近付き、巻かれた注連縄を切断して地面に両手をつく。

 そして目を閉じ瞑想を始めたのであった。



 ―― 一方その頃 ――



「日比野さん。今日はありがとうございました」

 玄関で靴を履いた瑞希ちゃんは、丁寧に頭を下げて俺に礼をする。

「ハハハ、いいよ、気にしないで。それに一応、これでも瑞希ちゃんの師匠だからね。頼りないかも知れないけどさ……ハ、ハハ」 

 と言った俺は、後頭部を掻きながら返事をした。最後の方は若干声が小さくなっていたが……。

 そんな俺を見た瑞希ちゃんはクスリと笑いながら言う。

「もう日比野さんたら。今日はその言葉を5回も聞きましたよ。いつも通りでお願いします。瑞希は何も気にしてないですもん」

「ゴメンね。俺も人に物を教えるなんて初めてだからさ。なんか緊張するんだよ」

 するとそこで、鬼一爺さんが陽気な口調で瑞希ちゃんに言う。

(フォフォフォ。色々と双方にとって勉強になったじゃろ。それと娘子よ、習った事は他言してはならぬぞい)

「もう、お爺さんまで。クスクス。それも今日、4回は聞きましたよ」

(フォフォフォ、そうじゃったかの)と鬼一爺さんはとぼけた表情で答える。

「そうですよ。エヘへ」

 瑞希ちゃんは鬼一爺さんにそう言うと、腕時計を確認した。

 そして、俺と爺さんに満面の笑顔を向けて元気よく言うのだった。

「それじゃあ私、そろそろ帰ります。また明日宜しくお願いしまーす」

「ハハハ、それじゃあ、また明日ね。瑞希ちゃ……ん……」

 と、俺が答えたその時だった! 

 非情にドス黒く強い負の波動を俺は一瞬感じ取ったのだ。

 それを感じると共に俺は鬼一爺さんに視線を向ける。

 すると、鬼一爺さんもその波動を感じたのか、物凄く険しい表情で西の方向を見詰めているのだった。

 そんな俺達の不自然な態度が気になったのか、瑞希ちゃんは首を傾げて問い掛けてくる。

「……あのぉ、どうかしたんですか? 今、日比野さんとお爺さん、すっごい深刻そうな顔をしてましたけど」

「ン? い、いや、何でもないよ。アハハ。それじゃあ、また明日ね。瑞希ちゃん」

「はい……。それでは、また明日お願いしまーす。ではッ」

 やや釈然としない言い方ではあったが、瑞希ちゃんは笑顔でそう答ると、玄関扉を開いて駅へと向かったのであった。

 瑞希ちゃんが居なくなった玄関の前で俺は鬼一爺さんに問い掛ける。

「オイッ鬼一爺さん。今なんか結構邪悪な感じの波動を感じたけど、何だよアレ?」

 すると爺さんは何時もの雰囲気とかなり違い、焦った様子で口を開いた。

(涼一、どうやら今の波動は、封じられた負の地脈を何者かが解放した所為じゃ。西の方で何かが起きておる)

 そんな焦った様子の爺さんを見た俺は、不安になりつつも尋ねる。

「負の地脈を開放しただってッ! なんでそんな事分かるんだよ?」

(今は然程に感じぬのが何よりの証拠じゃ。恐らく結界を張っておるのじゃろう。そんな事をするのは霊術を使える人間しかおらぬ)

 そこで爺さんは俺に鋭い視線を投げかけて言った。

(涼一、術具の用意を今直ぐにするのじゃ。急げッ)

「ヘッ、今から行くのか? こんなに寒いのに……」

 俺はあまり気乗りがしなかったので思わずそう呟く。

 それを聞くや否や、爺さんは憤怒の表情を俺に向けて言うのだった。

(馬鹿も〜ん。サッサとせんか! 早くせんと不味い事になるかも知れんのじゃ)

「わ、分かったよ。とりあえず落ち着いてくれ。何もそんなに怒る事ないだろ」

 俺はそう爺さんを宥めると、気が進まないながらも渋々準備に取り掛かるのであった。

 そして、準備も終わりに近付いたところで、鬼一爺さんは奇妙な事を言ってきた。

(涼一、『七曜の符』は勿論じゃが、念の為に布都御魂剣ふつのみたまのつるぎを封じた『送還の符』も持ってゆくのじゃ)

 今、爺さんが言った七曜の符とは、火界術・朱雀の法を使う為の霊符の事だ。

 しかし、それよりも俺は最後に言った爺さんの言葉に驚愕した。

 何故ならば、布都御魂剣ふつのみたまのつるぎはその特性上、あまりにも危険な為、誰も触れる事が無い様に封じたというのが俺の今までの解釈だったからである。

 その為、こう考えるのだった。何でそんな物が必要なんだ?と。

 俺は直ぐに爺さんに問い掛ける。

「き、鬼一爺さん。今、言ったのは一体どういう意味なんだ?」

(……今は時間がない。後で教える。兎も角、準備をして直ぐに向かうぞ。場所はお主も何となく分かるじゃろ)

「ああ、場所は何となくね。フゥゥ……それじゃ後でちゃんと教えて貰うからな、爺さん」

 俺は何処か釈然としないので納得はできなかったが、鬼一爺さんの焦った様子が気になった為、とりあえずそう返事をした。

 そして、言われた物を準備した俺はアパートを出ると、鬼一爺さんと共に負の波動を感じた中心街の方へ足早に移動を始めるのであった。



 ―― 一方 ――



 沙耶香は右手に持った破邪の符を正面から襲い掛かってくる悪霊に向けて力を解放する。

「ギャァァァァ」

 すると破邪の符から白い光が放たれ、襲い掛かってきた悪霊は消滅した。

 それを確認した沙耶香は直ぐに周囲を見回して警戒をする。

 何故ならば、先程から何処からとも無く悪霊が現れて襲い掛かってくるからである。沙耶香は20分程前から次々に襲いかかってくる悪霊達に手を焼いており、そんな行動をずっと強いられているのであった。

 だが、霊術を駆使し続けると言う事は、肉体にも当然影響がでてくる。沙耶香の息は荒くなっており、その表情からは今の状況の辛さが滲み出ていた。大量の冷たい汗が沙耶香の額から顎に向かって流れ落ちてゆく。そんな苦しい中、沙耶香は考えるのである。何故これ程の悪霊が襲い掛かってくるのかを……。

 もう沙耶香の元には閃光の矢という名の銃と、破邪の符が数枚しか残っていない。それらが尽きた暁には直接悪霊に肉弾戦を仕掛けるしか戦う方法は無いのである。そうなると万策が尽きたという形になる為、沙耶香は焦っていた。早く此処から逃げ出さなければ、と。

 しかし、それは途方も無く難しい事であった。何体もの悪霊と眩道斎が放った数体の式を掻い潜って行かねばならないからである。沙耶香の脳裏に『もう駄目かも知れない』という諦めにも似た感情が生まれてくる。だが、そんな弱気な気持ちを振り払うかの様に首を左右に振ると、涙ぐみながらも前を向くのであった。

 そんな心中穏やかでない沙耶香の目の前に、一羽のカラスがその時舞い降りてきた。

 カラスを見るなり沙耶香は、目を大きく見開きハッと息を飲み込む。

 次の瞬間! 

 カラスは沙耶香目掛けて低空飛行で突進して来たのであった。

 沙耶香は飛んでかわそうとするが、カラスの鋭いくちばしは、飛んで宙に浮く沙耶香の右足首を切裂いた。傷口からは少量の血が飛び散る。

 そして地面に着地した途端に、沙耶香はカラスから受けた傷の激痛でバランスを崩し、地面に倒れるのであった。沙耶香は苦悶の表情で右足首を押える。

 しかし、沙耶香がそうやってうずくまっている間に事態は最悪な状況へ変わりつつあった。

 沙耶香はやや開けた境内にて倒れている為、周囲をその他のカラスや悪霊達が囲っているからである。

 それを見た沙耶香は死を覚悟すると共に父と兄の顔を思い返し、心の中でこう呟いたのだった。

 お父様、お兄様……勝手な行動をしてゴメンナサイ、と。

 だがその時!

 沙耶香が死を覚悟したところで異変が起きる。

「ワアァァァギャァァァ」

 沙耶香の横から青白い大きな火球が二つ現れ、数体の悪霊と式であるカラスを焼き払ったのである。

 そして、更に何体かの悪霊が青白い光を放つ霊符で焼き払われると、其処から一人の人物が現れて沙耶香の元に駆け寄ってきたのであった。

 沙耶香は息を飲んでその人物を見詰めた。

 何故ならば沙耶香の良く知る人物だからである。

 その人物が自分の傍に来るなり、沙耶香はその人物の名前を思わず口にしたのだった。

「ひッ日比野さん! どうして此処にッ」

 そう、沙耶香を助けに来たのは勿論涼一である。

 だが今の沙耶香は変装をしている為、涼一は当然、沙耶香とは分からない。

 また、周囲の薄暗さもある所為で余計にそういった状況となっているのであった。

「ヘッ、何で俺の名前を知ってるの? って、今はそれどころじゃないッ」

 涼一は思わずそう呟く。

 周囲には沢山の悪霊が集まって来ており、今直ぐにでも襲い掛かろうとしていたからだ。

 その為、一刻も早く障壁を張らないといけないのである。

 周囲の状況を冷静に見据えた涼一は、直ぐに五行の符を取り出して障壁の符術を行使した。

 その瞬間、涼一を中心に青白い霊力の光線で紡がれた五芒星の結界が描かれる。

「「ギャァァァァァ」」

 と、そこで何体かの悪霊が涼一達に飛び掛って来ていたらしく、結界の霊力に当てられてそれらの悪霊は消滅をするのだった。 

 沙耶香は涼一の行使する見た事もない強力な結界術に目を奪われていた。

 その光景は足の痛みも一瞬忘れてしまうほどに沙耶香にとって衝撃的だったからである。

 そしてゴクリと生唾を飲み込むと、沙耶香は驚愕の表情で涼一に向かい言うのであった。

「日比野さん……貴方、一体何者……」と――

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