弐拾六ノ巻 ~憑き物 一
《 弐拾六ノ巻 》 憑き物
高天智市の中心市街地からやや離れた地域に、ヒッソリと佇む、とある廃屋での話である。
今は夜も深まり始める時刻。廃屋の真上からは、弱々しい月明かりが降り注ぐ夜の世界を創りだしており、辺りは不気味な光景となっていた。
周囲からはこの付近にいるであろう野良犬の吼える声と、時折吹き抜ける風の音が聞こえてくるだけである。また、上空を流れる雲が、僅かばかりの光を発する月を覆い隠す事がある為、非常にオドロオドロしく物悲しい雰囲気に包み込まれている所なのであった。
その廃屋は3階建ての鉄筋コンクリートで造られた建造物である。元は病院だったのか、玄関部分には診察案内の表示板等が埃まみれで乱雑に転がっていた。廃屋の白い外壁は所々が色褪せており、壁材や塗装が剥がれ落ち、幾つかの箇所は鉄筋が見えている所も確認出来る。また、廃屋の周囲には枯れた雑草やゴミ等で覆われた花壇があり、この廃墟に相応しい様相をしていた。
しかし、それらの廃屋の姿は、太陽が昇る日中なら確認出来るが今は夜である。その為、月明かりが照らし出す弱々しい光がそれらの全体像を薄気味悪く不鮮明に浮かび上がらせているのであった。
今此処に、そんな廃屋に向かう一台の黒いステーションワゴンタイプの車があった。その車は廃屋の付近にくると減速し入口手前で停車する。車のエンジン音が止まり、ライトが消えると、二人の人物が車から降りてきた。
車から降りてきたのは道間一樹と沙耶香の二人である。二人の吐く息は煙の様に白くなっており、その吐息が外の寒さを物語っていた。
また、二人は共に黒っぽい衣服に身を包んでおり、闇に溶け込むかのような出で立ちをしていた。何処かの組織の特殊部隊にも見える、物々しい感じの可動性に優れた服装である。
沙耶香は目の前に佇む不気味な廃屋へ視線を向ける。その様は、目を細めた鋭い眼差しとなっている為、廃屋に睨みを利かせているようである。廃屋を暫く眺めた沙耶香は周囲も見回す。すると、やや離れた所に、明かりのついた幾つかの民家が沙耶香の視界に入ってきた。それらの民家が離れた所にある所為か、廃屋のある此処だけが周囲の空間から切り離されたかの様に沙耶香の目には映るのであった。
沙耶香がそうやって周囲の夜景を見回していると、一樹は車の後ろにまわりハッチを開ける。其処には一抱えはありそうな木箱や細長い桐箱が置かれていた。
一樹はそれらの箱を確認すると、沙耶香に話しかける。
「沙耶香。お前は今日、どの除霊具を使うんだ?」
一樹の声を聞いた沙耶香は車の後ろへと移動する。
そして、ラゲッジに置かれた木箱を眺めながら言った。
「鎮守の森からの話では、悪霊の数が30体程いるという事ですので、私は破邪の符と霊撃鞭、そして念の為に護身結界を持って行こうと思います」
「そうか、では用意しとこう」
一樹は木箱の中から幾つかのケースを取り出すと沙耶香に渡す。
沙耶香はそれらを受け取ると、一樹の手元にある桐箱に視線を向けて言った。
「お兄様は、いつもと同じく霊刀・鵺と霊珠だけで修祓を行うのですか?」
沙耶香の問い掛けに一樹は軽く微笑むと、細長い桐箱の中から一振りの日本刀を取り出した。
一樹は手に持った刀を見つめながら言う。
「ああ、ずっとこのスタイルでやってきたからな。これが一番シックリくる」
「フフフ、同感です。私もこの霊撃鞭を使うスタイルが一番やり易いです」
「まぁな。でも油断はするなよ、沙耶香。慢心が一番危ないからな」
一樹はそこで真剣な表情になり忠告する。
「はい、分かっております。お兄様」
と、答えると沙耶香も真剣な表情になり頷く。
一樹はそんな沙耶香の返事を聞くと柔らかい表情になって、再び準備に取り掛かるのであった。
二人は各々の必要な道具類を馴れた手付きで身体に装備してゆく。
粗方準備の方も終わると一樹は車のハッチを閉めて沙耶香に言った。
「ああ、それと沙耶香、言い忘れた事がある。この廃屋は修祓後に取壊す事になっているが、あまり派手に暴れないでくれとのことだ。これを念頭に入れといてくれ」
「はい、分かりました。でも何故その様な事を鎮守の森は言ってくるのでしょう? こんなボロボロの廃屋なのに……」
沙耶香は眉間に皺を寄せて難しい表情をしながら聞く。
「さぁな。多分、解体業者を不審がらせない為だろう。まぁそれはさて置き、とりあえず人払いの結界を張るぞ」
「はい、お兄様」
二人は敷地内の周囲に、奇妙な形をした黒い小さな仏像を配置してゆくと、黒い糸を像から像へといった感じで這わせてゆく。それらを配置し終えると、一樹は右手に霊力を込めて像の一つに触れるのであった。
すると、その這わせた糸を伝い仄かに白い光が走ってゆく。その光が、全ての像に行き渡ると一瞬像が強く光り輝き、直ぐまた元の黒い像へと戻っていった。
一樹はそれを見届けると沙耶香に言う。
「よし、結界はこれで完了だ。それじゃ廃屋の中に行くぞ」
「はい、参りましょう」
二人は薄暗い月明かりの中を凛とした姿勢で廃屋の玄関へと歩を進める。
そして、玄関に辿り着いた二人は一旦立ち止まると、沙耶香が持つ懐中電灯の明かりを頼りに周囲を警戒しながら中へと進んで行くのであった。
廃屋の中は雑然とした雰囲気になっており、入ってすぐの受付があったと思われるホールにはボロボロのソファが埃にまみれて引っ繰り返っていた。また、朽ちて落ちたと思われる天井板が床に散らばっており、天井裏に施された電気配線や設備配管、そして通気ダクトといった物が剥き出しになっているのであった。
そんなボロボロのホールに二人は足を踏み入れると、直ぐに一樹が指示をする。
「悪霊の波動はこの奥にある部屋から感じる……。沙耶香、とりあえず其処から行くぞ」
一樹はそう言うと目の前にある両開きの扉を指差した。
沙耶香はそれに無言で頷き、腰に装備した霊撃鞭を手に取って何時でも振れるよう戦闘態勢に入る。
指示した一樹も腰に装備した霊刀を鞘から抜いた。仄かに白く光る美しい刀身が露になる。
一樹は刀を右手に持つと、左手で扉のノブに手を掛ける。そして、沙耶香に視線を送り無言で頷くと、それを合図とばかりにノブを回して扉を開くのであった。
扉の奥には、大きく口が裂け目を見開く醜悪な表情をした悪霊が4体宙に浮いており、扉が開くと同時に一樹と沙耶香に振り向く。
と、その時! 二人の姿を確認するや否や、悪霊達は大きく口を広げ一斉に襲い掛かってきたのだ。
沙耶香と一樹はそれを確認し冷静に身構える。
悪霊の一体は、先ず、沙耶香目掛けて斜め前から飛び掛ってきた。
沙耶香は冷静にそれを見据えると、右手から己の霊力を込めて鞭を素早く振るった。
霊力を通わせた鞭は白い光を発しながら蛇の姿の様に撓り、残像が見えるほどのスピードで悪霊に撃ち付けられる。
「ウギャァァァ!」
悪霊は霊力の篭った鞭をまともに受け、断末魔の声を上げると共に消滅した。
だが、それで終わりではない。直ぐにまた別の悪霊が今度は正面から襲い掛かってくる。
沙耶香はそれを予想していたのか、落ち着いて鞭を縦に振るう。
鞭が撓って床に当たり「バチンッ!」という鋭い打撃音が聞こえると共に、襲い掛かってきた悪霊は断末魔の声を上げる間もなく消滅した。
沙耶香は目の前の悪霊が消えるのを見届けると一樹の方へ視線を向ける。すると一樹の方は、悪霊2体を霊刀で既に斬り捨てた後であり、鞘に刀を仕舞っているところであった。
視線に気付いた一樹は穏やかな表情で力強く沙耶香に言った。
「さて、それじゃあ、この調子で建物内を修祓していくぞ」
「はい、お兄様」
沙耶香はそんな兄の言葉を聞き笑顔で答える。
そして、二人は此処で気を引き締め直すと、悪霊の徘徊する更に奥の闇へと足を踏み入れるのであった――
――それから2時間後。
二人は廃屋内の修祓も無事終えており、車の所にまで戻ってきていた。
沙耶香はやや草臥れたのか、左右の肩を回している。一樹は車のハッチを開けて自分達が装備していた道具等を丁寧に仕舞っていた。その後、全ての道具類を仕舞い終えた一樹は、軽く屈伸運動をして体を解す。そして、沙耶香に話しかけた。
「ふぅ、流石に疲れたな。30体近くも祓うとなると」
「フフフ、そうですね。でも、日中に行う修祓と比べると、衣服が動き易い分、夜の方がやり易いです」
「ハハハ、確かにそうだな。日中は滅多に修祓をする事がないが、神官服に着替えないといけないからなぁ」
一樹はそう言いながら今着ている自分の衣服を見回す。
「仕方ありませんわ、お兄様。それが鎮守の森のルールですから」
「そうだな。さて、それじゃあ戻ろうか、沙耶香」
「はい、もう用はありませんものね」
沙耶香はそう返事すると助手席のドアを開き車に乗り込む。
一樹も運転席に乗り込むとキーを回してエンジンをかける。
そして、暫く暖気をした後にこの薄気味悪い廃屋を後にしたのであった。
その帰りの車内……。
車のオーディオからは、落ち着いた曲調である洋楽のバラードがやや小さめの音量で流れており、疲れた二人の気分を幾分か和らげていた。
聞こえてくる音楽に耳を傾けながら、沙耶香は通り過ぎて行く夜の街並みを助手席の窓から無言で眺める。だが、そこでフト昨晩の父の話が頭を過ぎるのであった。
沙耶香はその話の中で疑問に思う部分があった為、運転する兄に向かい問い掛ける。
「お兄様、昨晩の話ですが……。お父様はああ言っておりましたが、お兄様はどう思われますか?」
「ン、暗殺阻止の話か?」
ハンドルを握る一樹は前を向いたまま答える。
「はい。お父様は、次に狙われるのは恐らく大沢伊知郎議員だと言っておりましたが、本当なのでしょうか?」
沙耶香は顎に右手を当てるとやや難しい表情でそう言った。
「まぁ、あの仕事は予想で行動するしか方法がないからな。父上も色んな所からの情報を精査した上での事だろう。それに今回は土御門の者も関わっている以上、かなり信憑性のある話だと思うぞ」
「それは私もそう思います。ただ気になるのが、その大沢議員がこのF県へ講演に来る日が一番呪殺される可能性が高いという話なのです。ですが、その理由をお父様は教えてくれませんでした。それが気になるのです」
沙耶香の疑問に一樹も少し唸り声を上げる。
「大沢議員が来るのは今月の24日と言ってたな。ウ〜ン、俺も事の深い部分までは分からんから何とも言えんが。恐らく、そこは機密事項なのだろう。父上の話を聞く限りでは、鎮守の森と政府関係者との間で複雑なやりとりが絡んでいる筈だからな」
「私はそこのところも疑問に思うのです。今まで鎮守の森は秘密結社の様な存在であった筈なのに、非公式とはいえ、どうして政府関係者が関わるようになったのでしょう……」
疑問が尽きないのか、沙耶香は眉間に皺を寄せて兄に意見を求める。
「まぁ俺には分からんが、色々と複雑な事情があるのだろう。父上もおいそれと話が出来ないほどのな」
「……そうですね」
とやや元気なく沙耶香は返事をした。
そんな沙耶香を一樹は不思議に思い問い掛ける。
「どうしたんだ一体? 沙耶香、お前らしくないぞ」
「何故かは分からないのですが、嫌な予感がするのです。漠然とではありますが……」
沙耶香は元気なくそう答えると、大きく息を吐く。
そして、窓に視線を向けて流れ行く景色を眺めるのだった。
「確かに気にはなるが、如何せん今は判断できる材料もない。それに今言った部分は、父上も俺達には話せない事情があるようだ。どうしようもないぞ」
「はい、分かっております。兎に角、お兄様も当日は何時もの修祓以上に気をつけた方が良いと思います。油断はしないでおきましょう」
「ああ、そうだな。それに相手は地脈を操る程の術者だ。相当に気を引き締めたほうがいいだろう」
一樹は真剣な表情でジッと前を見つめながらそう告げる。
「ええ……」
沙耶香は幾分か強い発音で返事をすると、目を閉じて口を噤んだ。
車内にはやや重苦しい感じの沈黙が漂い始める。だが、その時。そんな重苦しい雰囲気を打ち破るかのように軽快な感じの曲がスピーカーから聞こえてきた。その所為か、若干、車内も明るさを取り戻した様である。
そして、二人を乗せた車は月明かりで浮かび上がる学園町の中へと入ってゆくのであった。
―― 12月13日 G県 葦原市 ――
此処は葦原警察署。今は朝の9時頃である。
今日の葦原市は今年一番の冷え込みながらも、今は陽気な日の光に包み込まれていた。
また、仄かに暖かさを感じさせる優しい日光の熱が、辺りを覆いつくしていた霜を溶かしている為、所々から湯気が立っている様に見える。その為、若干霧がかった様な光景となっているのであった。
山や田畑が殆どを占める長閑なこの葦原市も12月に入ってからは人々が慌しく動く様が見られる。
葦原警察署内も例外ではなく各部署の人間達が、何時もより忙しそうに書類整理や電話応対等の作業に追われていた。刑事・生活安全課に所属する浅野健次郎もその一人であり、机にて書類整理をしている最中なのであった。浅野の座る机の上は沢山の書類で埋め尽くされており、浅野はやや気だるそうな仕草をしながら整理をしている。すると、丁度一つのファイル整理が終わったところで浅野の携帯が鳴り響くのであった。
浅野は一旦、作業を中断すると携帯のディスプレイを確認する。それから電話にでた。
「もしもし」
「兄さんかいッ?」
携帯の向こうからは、やや焦った様子の男の声が聞こえてきた。
その様子を怪訝に思った浅野は眉根を寄せ問い掛ける。
「ああ、俺だ。どうした、何かあったのか?」
「兄さん! 昨日から息子の様子がおかしいんだよ。何かに脅えたように震えてさッ! 時々、訳の分からない事を呟いて暴れるし、それからそれから……」
電話を掛けてきた男は気が動転しているのか、一気に捲くし立てる様に話し出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。少し落ち着くんだ。いきなりそんな風に話されたところで、何も分からんぞ」
事情の分からない浅野は相手に落ち着くよう諭すのだった。
それを聞いた男は、暫く間を空けてから話を始める。
「す、すまない兄さん。俺も気が動転してた」
「いや、構わん。それで一体何があったんだ?」
「実は、昨日の夜からなんだが、息子の様子が変なんだ」
「変? どんな風にだ」
と、そこで浅野は自分も落ち着くために、タバコをポケットから取り出すと火をつける。
「昨日の晩は、何時もより少し怒りっぽいというだけだったんだが、今朝になってからは何かに脅えたように部屋の隅っこで震えているんだよ。おまけに家族の顔を見るなり、訳の分からない事を言いながら怒り狂ったように暴れるんだ。こんな事初めてだよ。それで兄さんに連絡したのは、息子が変な薬とかに手を出したんじゃないかと思ったからなんだ。ど、どうすればいいんだ……兄さん?」
今の話を聞き終えた浅野は、室内の壁に掛けられた丸い時計を眺める。時刻は9時半を回ったところである。
浅野は時計を確認すると言った。
「お前の息子は高校生だったよな。ここ最近、何か様子がおかしかった事はないか? 例えば妙な連中とつるむ様になったとか、帰りがやたら遅くなる様になったとか。まぁそんな事を言い出したらきりがないが……どうなんだ?」
「それが至って普通なんだよ。今までと何も変わらない。それに今の時期は、来年のセンター試験に向けての受験勉強で忙しい筈だから、息子がそんな事をしている訳がないよ」
浅野は男の話に耳を傾けながらタバコの白い煙を口から勢い良く放出すると、短くなったタバコを灰皿に押し付けて火を消す。首を左右に振ってコキッコキッと鳴らした後、小さな溜息を吐いて言うのだった。
「フゥ……分かった。とりあえず、今からお前の家に向かうよ。それまで息子をちゃんと見張っていてくれ、いいな?」
「ああ、分かった。すまない、兄さん。突然、こんな事で電話してさ」
「それは気にするな。一応、生活安全課の仕事でもありそうだからな。それじゃ今から出るから、大体20分後くらいには着くだろう。待っててくれ」
浅野はそこで携帯を切ると席を立ち上がる。
そして、斜め前の机に座っている小島に向かい口を開いた。
「小島、ちょっと出てくるわ」
「ン、何かあったんですか?」と、やや怪訝な表情で小島は言う。
「ああ、ちょっと親戚の坊主が面倒な事になっているらしいんでな」
浅野はやや溜息混じりに言うと、小島は同情する様な眼差しを向ける。
「そうなのですか、分かりました。気をつけてお出かけ下さい」
「すまんな、暫く留守番を頼むわ」
小島にそう告げると、浅野はやや足早に葦原警察署を後にするのであった。
―― その夜、高天智市 ――
今の時刻は夜の9時。俺は今、自分の部屋で霊符作りに励んでいるところだ。
コタツの台の上には術式を描いたばかりの霊符が7枚並んでおり、今、乾かしているところである。まだかなり瑞々しい墨の色をしているので乾くには暫く時間がかかりそうな感じだ。
俺はとりあえず、次に描く符の段取りをすると斜め前に視線を移す。其処には鬼一爺さんが宙に浮かんでおり、今はテレビを観賞している真っ最中であった。
因みに今の時間帯は良く分からんバラエティー番組がやっており、爺さんはそれを見ている。時代劇やニュースにはまったかと思えば、今度はバラエティー番組だ。良く分からん爺さんである。その内、旅番組や健康番組も見るようになりそうな気がする。
そんな事を考えつつも、俺は鬼一爺さんに向かい言う。
「オイ、爺さん。一応、言われた通りに描いたけど、これでいいのかどうか確認してくれ」
(ン、終わったかの。どれどれ)
鬼一爺さんは俺の言葉を聞き此方に振り向くと、描かれたばかりの符を一つ一つジックリと確認していく。
そして、それらを念入りに確認し終えると笑顔で言うのだった。
(フム。間違いは無いぞい。それと涼一、覚えておくのじゃ。この7枚の符を用いる事によって浄化の炎を大きく進化させ、不浄を焼き尽くす火界術・朱雀の法となるのじゃからの)
「エッこの符がそうなの?」と、俺は目を見開く。
(……そういえば、言い忘れとったわい。すまんの。なにせ、複雑な術式の符が7枚もあるものじゃから、涼一にどうやって術式を覚えさせるかで我も悩んでたのじゃ。そこまで気がまわらんかったわい。フォフォフォ)
と、鬼一爺さんは額に手を当てる仕草をしながら言った。
絵的には『あ痛ー』といった感じである。
「ハハハッ、いいよ別に。火界術・朱雀の法か……。そういえば朱雀って四神とか呼ばれるものの一つだったっけか」
俺は腕を組み天井を見上げると、記憶を思い返しながらそう呟く。
(そうなんじゃが、五行の解釈では四神というよりも天の方角を司る五霊獣の一つじゃ。五霊獣全てを方角に当て嵌めると、東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武、そして中央の黄龍といった感じじゃな)
「へぇ〜、なるほどね。ところで、なんで朱雀なんて名前が術についてるんだ? 朱雀って鳥だよね」
俺がそう尋ねると鬼一爺さんはキョトンとした顔をする。
そして、大きく笑いながら言うのだった。
(フォフォフォフォフォ。お主、中々面白いことを聞くの。フォフォフォ)
「何だよ、その馬鹿にしたような笑いはッ」
俺はジジイの笑い方を見た瞬間、妙にムカついたのでそう言ってやった。
(いや、すまんの。悪気はないんじゃが、初めてそんな事を聞かれたもんじゃからの。許せ)
「で、なんで朱雀なんて名前がついてるんだ?」
と俺は憮然とした表情で爺さんにもう一度問い掛ける。
(おお、そうじゃったな。それで由来じゃが、術を放った時に燃え広がる炎の形が、鳥が羽を広げて飛ぶように見えるからそう名付けられただけじゃよ。別に深い理がある訳ではない。それに朱雀とは別名、火の鳥とも呼ばれておるからの。まぁそんなところじゃわい)
「フゥン、なるほどねぇ」と俺は顎に手を当て言う。
(この術を使える様になれば、お主が悪霊達に襲われても遅れを取る事はそうそうない筈じゃ。精進するんじゃな、涼一)
「ああ、勿論、努力するよ。俺も死にたくないからね。でも疲れたから、今はとりあえず小休止だ」
俺はそう答えると大きく伸びをして、後ろに勢いよく寝転がる。そして、大の字になった
と、その時。机の上で充電していた携帯から軽快なルパン3世のテーマが流れてきた。
俺は「誰だ一体?」と、小さく呟きながら机に移動すると携帯のディスプレイを確認する。
すると、浅野さんからであった。
なんだろう、一体? と、やや首を傾げつつも俺は電話にでる。
「もしもし」
「オウッ涼一か? 久しぶりだなッ。元気にしてたか」
電話にでると、以前、霧守高原で会ったときと変わらずに威勢の良い声が聞こえてくる。
俺はやや懐かしく思いながら返事をした。
「浅野さんも元気そうですね。ハハハ」
「ガハハハッ、まぁな。ところで、今、電話は大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ」
「そうか。それで話は変わるんだが……。明後日の日曜日、お前は何か予定があるのか?」
そこで浅野さんはやや固い声になり聞いてくる。
「日曜日ですか、ちょっと待ってて下さい」
何かあったのだろうか? と若干気になったが、今週の練習予定を調べる為に、俺は西田さんから貰った予定表を机の引き出しから取り出した。
そして、予定表を広げると浅野さんに言う。
「ウ〜ン。その日は一応、サークルの練習日になってますねぇ。ところで、何かあったのですか?」
俺の問い掛けに少し間を空けてから浅野さんは話し始める。
「ああ、少し奇妙な事があってな……。俺では手に負えんのだ」
「奇妙な事……ですか」
「まぁ電話で長々と話すのもなんだから手短に言う。俺の弟に大学受験を控えた高校生の息子がいるんだが、その息子の様子がちょっと、嫌、だいぶおかしいんだわ。何かに取り憑かれた様に呻いていてさ。まるで別人の様だったよ。まぁ、それでお前の所に電話したってわけだ」
「取り憑かれたッ?」
俺は思わず大きな声を上げる。
すると、鬼一爺さんも今の『取り憑かれた』という言葉に反応して、俺の近くに寄ってきた。
と、そこで浅野さんは言う。
「ああ、何て言うか……。昔見たエクソシストとか言う映画に似ている、と言った方が良いかも知れん。涼一が知ってるかどうかは分からんがな」
「アッその映画見た事ありますよ。悪魔祓いのやつですよね」
俺はそう答えると、以前、TUT○YAでレンタルしたのを思い返す。
確か、カラス神父というのがこの映画に於いて重要な部分にいたのを覚えている。でも最後がイマイチ良く分からん映画であった。
「おお、知ってるかッ。要するにあんな感じだ。で、日曜日は無理そうか? 出来れば涼一と爺さんに見て貰いたいんだが」
「ウ〜ン。まぁとりあえず、ちゃんとした理由さえ言えば、サークルの方は大丈夫だとは思うんですけど……」
俺はこの返事をする時に、当然、姫会長の鬼の様な形相が頭を過ぎった。それと同時に背筋に何か走る物があったのは言うまでもない。
だが、ちゃんとした理由さえ言えば大丈夫の筈だ。姫会長もそこまで極悪な夜叉ではない。筋が通ってさえいれば何も言わないだろう。しかし、そうでなかった場合……俺はムンクの『叫び』という絵画と同じポーズをとる事になるのは疑いようの無い事なのであった。
そんな最悪の状況を想定していると、浅野さんは懇願する様に俺に頼み込んでくる。
「そ、そうか。なら頼む。俺も日曜しか空きが無いんだよ。それに年末まで色々と忙しいからな」
俺は目を閉じて少し考えると浅野さんに言った。
「分かりました。とりあえず、サークルの方は何か理由をつけて休むようにします」
「悪いッ、涼一。仕事が終わったら、美味い物を沢山食わしてやるからな。ガハハハッ」
浅野さんは俺の返事を聞いて気が楽になったのか、以前の豪快な口調に戻っていた。
「それじゃあ今から期待しておきます。ハハハ」
俺も浅野さんに釣られて笑い始める。
ついでに『何を食わしてくれるんだろう?』と少しテンションも上がった。
そして、やや陽気な声色で浅野さんは言う。
「オウッ、期待しとけッ。それじゃ、日曜にお前のアパートまで迎えに行くよ。多分、朝10時前には着く筈だ」
「はい、了解しました。その日は、直ぐ出れる様に準備しておきますよ」
「それじゃ日曜日になッ」
と、浅野さんはそこで携帯を切った。
俺は今の話を暫く頭の中で整理すると鬼一爺さんに向かい言う。
「爺さん。今の電話は浅野さんからなんだけど憶えてるか?」
(おお、土蜘蛛の時の御仁じゃな。憶えておるぞい。で、何があったのじゃ?)
爺さんは先程から話の内容が気になっていたのか、早速聞いてきた。
「実は、浅野さんの親戚の息子が何かに取り憑かれたらしいんだよ。電話だったから詳しいところまでは分からないけどね。ただ、浅野さんの話す感じじゃ、かなり異様な事になっているようだ。少なくとも俺はそう感じたよ」
(憑き物か……面倒じゃな。涼一、憑き物を落とすには、それなりの準備をせねば成らぬ。霊力を直接使って力押しで祓うと、憑かれた本体の魂まで弱らせてしまうからの)
鬼一爺さんは俺の話を聞くと眉間に皺を寄せてそう告げる。その表情を見る限りでは、かなり面倒そうな印象を受けた。
俺は爺さんの説明を聞き不安になってきたので、すぐさま問い掛ける。
「えっ憑き物って面倒なの?」と。
(まぁのぅ。一旦、身体に悪霊が入り込んでしまうと出すのは大変なんじゃよ。兎も角、用意せねば成らぬ物を今から言う。それを書き記すのじゃ。それらを調達せねば成らぬからの)
「オ、オウッ、分かった」
俺は返事すると、メモ用紙を机の引き出しから取り出す。
そして、鬼一爺さんの言う準備する物を一つ一つ書き記してゆくのであった。