弐拾四ノ巻 ~依頼 二
《 弐拾四ノ巻 》 依頼 二
交渉を失敗した俺は、これからの事をオバサン家の近くにある空き地で考えていた。勿論、瑞希ちゃんや鬼一爺さん達も一緒である。
因みに、この空き地は何処かの建設業者の資材置き場の様で、端にはコンクリートのドカン等が置かれている。パッと見は、ジャイアン・リサイタルが行われていそうな空き地だ。
俺は時計を確認する。今の時刻は11時半だ。近隣の家からは昼が近いという事もあるせいか、美味しそうな匂いが漂い始めていた。恐らく、昼食の調理をしているのだろう。
そんな周囲の変化に腹も反応しつつ、俺はオバサンに小声で話し掛けた。
「一つ聞きたいのですけど、そのインチキ霊能者が来るのは何時頃だと思いますか? 大体で構わないです」
(恐らくですが、昼の1時から1時半の間だと思います。その霊能者は昼一で来ると言っておりましたから)
「昼一か……」
俺がそう呟いたところで瑞希ちゃんは言う。
「日比野さん。その霊能者をこの間みたいにお札で退散させたらどうですか?」
「まぁ、それも候補には入れてあったんだが、あまり使いたくないなぁ。あのオジサンを見たら……」
俺は先程の狂ったようなオジサンの表情を思い出す。
恐らく、俺が霊能者を退散させても、あのオジサンは第二第三の霊能者に頼ることになるだろう。俺はそう考えていた。
何故ならば、今の現状を見つめる事が出来ていないからだ。それに洗脳と言っても差し支えないくらい霊能者に依存している。それでは根本的な解決にならないような気がしたので、俺は瑞希ちゃんの言う方法は取れずにいるのだった。
だが、俺一人だけがこんな事を考えていても先に進まない為、皆に俺の考えを言って意見を聞くことにした。
――「というのが俺の考えだが、皆はどう思う? 皆の意見も聞きたい」
俺の考えを聞いた瑞希ちゃんは、俺の右手を取ると感心したように頷き、そして言った。
「日比野さん……。そこまで考えていたんですね。軽率な事言ってスイマセンでした。私はそこまで気が回らなかったです」
「あ、謝らなくていいよ。唯単にそう思っただけだからさ。ハ、ハ、ハハ」
俺はやや苦笑いを浮かべながら言う。
だが、そこで俺はある異変に気がついた。隣に居る鬼一爺さんの様子が変だからである。
鬼一爺さんは、目を閉じながらプルプルと震えていた。まるで水戸黄門を見終えた時の様な感じだ。それと同時に非常に嫌な予感がした。
何かとんでもない事を言い出すかもしれない。そう考えながら俺は身構える。
(涼さんや、我は嬉しいぞ。漸くお主にも、世直しの気概ができてきたようじゃな)
しかし、意外と普通の反応だった。
思ったより普通だったので少し拍子抜けだ。
そんな事を考えながらも俺は皆に言う。
「まぁ、そういう可能性が高いって事だよ。で、そうなってくると霊能者の排除とオジサンの洗脳解除という、二つの問題に対処しなければならない。前者は俺が何とかするとしても、後者は俺には難しい。そこを皆に考えて貰いたいんだよ」
俺が話し終えると直ぐに瑞希ちゃんが意見する。
「それじゃ、オバサンの子供達に説得してもらうのはどうですか?」
「オバサンの子供か。オバサン、息子さん達は何処かに出かけているのですか?」
オバサンは暫く考える。
だが、良く分からないのか、やや俯きながら答える。
(スミマセン。霊能者の事ばかり考えていたものですから、すっかり失念しておりました。しかし、娘は部活動の準備をして朝方出掛けたので学校にいると思います。息子は恐らく家の中かと)
オバサンの話を聞き終えると空を見上げて俺は考える。
――子供達を使って説得したところであのオジサンは正気に戻らんやろうな。
だって、霊能者に依存しまくってるからなぁ。
オバサン自身が脱線したオジサンを説得して正気に戻すのが一番確立高いんだけど……。
かといって、オバサンの姿を見せるために俺がオジサンの霊力を操ったりすれば、今度は俺に依存してきそうだし。
ああ、何かいい方法はないかな。仕掛けが分かんない様にオジサンに見せる方法があればいいんだけど。
しょうがない、爺さんに聞いてみるか――
そう結論した俺は隣に浮かぶ鬼一爺さんに問い掛けた。
「ところで爺さん。オバサンの姿を見せる方法って、瑞希ちゃんにした様に霊力を操るしか方法はないのか?」
(フム、それを聞くという事は、お主は他人に術を行使する所を見られたくないのだな)
「ああ。それをやったら、あのオジサンは間違いなく俺を頼ってくるよ」
(まぁ、それ以外にとなると、ある術式の符術を使えば出来んこともないがの……)
と、鬼一爺さんは顎に手を当てて、やや渋い表情で言った。
見るからに何か問題のありそうな表情である。
だが、そうはいっても方法が知りたいので俺は尋ねた。
「なんか難しい顔してるところを見ると、結構、面倒なのか?」
(お主にこのあいだ教えた式の符術があったじゃろ。覚えておるか?)
「……ああ。直接、俺の血で書く術式のやつね。フゥゥ、アレを使うのか?」
俺は今の爺さんの話を聞き、ややげんなりとする。
(フォフォフォ、そうじゃ。それを使えば、離れた所からでもあの男に見せる事は可能じゃ。じゃが、この御仁の霊体を式を通して操らねばならんので大変じゃがの)
今、爺さんが言った式の符術というのは、障壁の符術の後に教えてもらった術だ。
内容としては、自分の霊力で分身を作り出す符術である。分身とはいっても俺の扱える術式は基本的なものなので、正直、微妙な分身だ。まぁ早い話が、その分身を自由自在に操る術なのだ。とはいっても色々と制約があるが……。
先ず、現段階の俺が式を飛ばせる範囲は、自分を中心に精々半径100mくらいだ。これ以上遠くだと式を操るのは今の俺では無理だ。そして、持続時間は10分程である。もっと修行を積めばそれらの数字も上がってくるが、今の俺ではそれが限界なのであった。
で、この式の符術。術自体は簡単な構成の術式なのだが、俺の血で直接符に術式を書かなければならないのだ。はっきり言って痛い術である。おまけに、式を使ってる間は意識をそちらに持っていかないといけない為に他の事はできない。しかも、結構疲れるし。
そういう理由から滅多なことが無い限り、できるだけ使いたくない術なのであった。
で、俺はゲンナリしているという訳である。
しかし、そんな俺に追い討ちをかけるかのように爺さんは言う。
(今のお主が使える術ではそれしかないの。まぁ、諦めてやってみるんじゃな。フォフォフォ)と。
それを聞き俺は大きく息を吐く。
すると、瑞希ちゃんが首を傾げて問い掛けてきた。
「日比野さん。お爺さんとどんな話をしたのですか?」
今の瑞希ちゃんには、爺さんの姿と声のどちらも見聞きする事はできない。勿論、爺さんが霊圧を下げているからだ。
その為、今の爺さんとの会話は、俺の独り言の様に見えただろう。
「ん? まぁ、今後の打ち合わせをね」
「それで、どうするんですか?」
瑞希ちゃんは身を乗り出して聞いてくる。
「そうだな。とりあえず、霊能者には退場してもらおうかな」と俺は言うとウインクをする。
「私も手伝います。何か出来ることないですか?」
瑞希ちゃんはそう言うなりパァっと笑顔になる。懲らしめる気満々だ。こわッ。
だが、そんな瑞希ちゃんを見るなり俺はある事を閃いた。
そして、顎に手を当て嫌らしい笑みを浮かべるのだった。
「クックックックッ」と。
俺の腹黒い笑みを見るなり、瑞希ちゃんは表情を引き攣らせながらも問い掛ける。
「ひ、日比野さん……い、一体、どうしたんですか?」
「いや、いい事を思い付いたんだよ。クックックッ。それじゃあ、瑞希ちゃんと鬼一爺さんにも手伝ってもらおうかな」
(なんじゃ、我もか?)
俺は瑞希ちゃんと鬼一爺さんに閃いた作戦を説明すると、霊能者が来るのを待つ為に俺達はオバサン家の付近へと移動を始めるのだった。
―― 一方 ――
先程、涼一を追い返した男は暗いリビングにいた。
10畳程の広さがある茶色いフローリングの部屋で、部屋の中央には灰色のソファと木製のローテーブルが置かれている。リビング真中の壁際には大きな液晶テレビが置かれており、今は昼過ぎのニュース番組が流れていた。
その反対正面の壁は外に面しており、大きなアルミサッシ窓が取り付けられている。だが、窓には分厚く青いカーテンが覆っている為、外の光が部屋に射し込む事は無い。
また、リビングは別段散らかっている様な感じはないが、カーテンを閉め切った状態で室内灯も点けてない為、この男の陰気な雰囲気も加わって非常にドンヨリとした暗い空間となっているのだった。
男は逸る気持ちを押えきれないのか、何処か落ち着かない様子である。俯きながらソファに座りソワソワとしている。手には黒い印鑑ケースを握り締めており、時折、リビングの壁に掛けられた時計に目をやるのだった。時計の針は1時20分を刻んでいた。
男は考える。もう直ぐで妻の霊を宿しておける仏像が手に入る、と。
だが、ここである事が男の脳裏を過ぎった。それは先程の涼一の事である。
そして男は、涼一の話をもう一度思い返したのだ。
――悪徳商法撲滅協会という所から来たと言っていたが、まさか岡田さんがそんな人間の筈がない。
私の為に親身になって一緒に悩んでくれて、彼は霊界にいる妻にも逢わせてくれた。
しかも、私以外にも沢山依頼人がいる中で、岡田さんは私を優先にしてくれたのだ。
自分にも家族があるだろうに、休みの日には妻との会話の架け橋になってくれた。
こんなに尽くしてくれた人がそんな人間の筈がない。
確かに妻と逢うにはお金がかかる。
しかし、この手の料金は何処を見ても同じ様な物だ。
別に岡田さんだけが高いと言うわけではない。
だが、そうやってお金を払い続けるのももう直ぐ終わりだ。
これからは妻の霊が常に一緒にいる事になる。
子供達も岡田さんに憑依した妻の言葉に驚いていた。
それが何よりの証拠だ。あの人は本物だ。本物の霊能者だ――
男は一瞬生まれた心の迷いを抑え込むかのように、自分にそう言い聞かせていた。
それから10分程経った頃、「ピンポーン」と玄関の呼び鈴が暗いリビング内に響き渡る。
男はその音を聞くなり即座に立ち上がると、目をギラつかせて玄関に移動する。
そして、鍵を解除して扉を開くのであった。
扉の向こうには、紺色のスーツに身を包んだ30代後半くらいの中肉中背の男がニコニコと佇んでいた。
赤く染めた若干短めの頭髪は整髪料を使い綺麗に整えられている。顔には丸い黒縁の眼鏡を掛けており、その奥には猫の様に細い目が確認出来る。右手には皮製の黒い手提げ鞄をもっており、営業マンといっても違和感の無い人物だ。
また、この男の最大の特徴はやや低い鼻の横にある大きな黒子だろう。この男に出会った人間は先ずそこに目が向かう。といっても過言ではないくらいに存在を主張しているのだった。
扉の向こうに居た人物が、自分の待ち侘びていた霊能者だと分かると男は笑顔になる。
そして口を開いた。
「お待ちしておりました。岡田さん」
「コンニチワ、その後もお元気そうで何よりです。ハハハハ」と岡田はテンション高く返事する。
男は岡田に向かい虚ろな笑顔を向けて言った。
「今日は依り代を購入する為の大切な日ですからね。いつもより元気にもなりますよ」
「そうですか、そうですか。なら、あまり待たせるのも悪いですな。では早速、商談に入らせて頂きましょうか『キャァァァァ』」
と岡田が言ったところで道路の方から悲鳴が聞こえてきた。
玄関先にいる岡田と男は悲鳴の聞こえる方向に視線を向ける。
すると、一人の少女が岡田達のいる玄関に向かい駆け込んで来たのだ。勿論、この少女は瑞希である。
瑞希は息も絶え絶えに一心不乱に二人に向かう。
そして、脅えた様に切羽詰った感じで岡田に言うのだった。
「た、助けて下さいッ。お、追われているんです」と。
岡田はそれを聞き若干どもりながらも答える。
「ど、どうしたんだい。お嬢ちゃん」
「実は、とんでもない者に追われているんです」
「「と、とんでもない者!?」」
男と岡田は身を乗り出して驚きながらハモる。
そんな二人を見て噴出しそうになる笑いを堪えながらも瑞希は演技する。
「ハ、ハイッ。実は……キャァァァ」
瑞希はそう叫ぶと、岡田の隣を信じられない物を見るかのように身体を震わせながら指差した。
二人は指し示す位置を恐る恐る確認する。
そして、驚愕するのだった。
「「ウワァァァァ」」と二人同時に。
二人の視線の先には、鬼一法眼が宙に浮いて佇んでいるのである。しかも、かなり厳つい表情で。
その見た目から感じる怒りの表情は、誰が見ても驚くであろう。何故ならば、目を引ん剥かせ口を大きく開く表情だからである。
男はその姿を見るなり腰を抜かして玄関の前にへたり込む。
岡田は直立不動で小刻みに震えていた。
鬼一法眼は岡田に睨みを利かせるとオドロオドロしく口を開く。
(貴様ぁぁ、霊能力者だなァァ! 神妙に致せェェ、この下郎ガァァァ!)
その発言を聞くなり、岡田は引き攣った表情で小刻みに震えながら口を開いた。
「ぼぼぼ、ぼ僕は、れれれ、れ霊能力者なんかじゃ、ななな、無いんだなぁ。ヒィッヒィィィィィィ」
と、山下清の様な発音で極度にどもりながら言うと、奇声を上げて一目散にこの場から走り去っていったのだった。
(待たぬかぁぁぁ、下郎ガァァァ)
鬼一法眼は即座にその男を追いかける。
瑞希と男はその様子を片や笑顔で、片や呆然としながら見送っていた。
二人の姿が見えなくなったところで、瑞希は男に話しかける。
「あのぉ、すみません。お取り込み中に、突然、駆け込んでしまって……」
へたり込む男はその声を聞き、ゆっくりと瑞希に振り向く。
そして、暫く間を空けた後に力なく返事をした。
「……いや、もういい……」
男がそう返事したところで、二階からドタドタと階段を降りる音が聞こえてきた。
玄関から一人の少年が現れる。
青いジャージ姿の短髪の子で、やや元気のない表情をしており、家の雰囲気もあってより一層そういった感じに見える少年であった。
その少年はやや驚いた表情で父に向かい問いかける。
「お父さん。今の騒ぎは、何?」と。
男は虚ろな表情を息子に向け答える。
「何でもない。さぁ、中に入ってなさい」
男はそう息子に告げると立ち上がり、今度は瑞希に向かい言った。
「さぁ、君ももう帰りなさい。さっきの化け物はもう何処かへ行った筈だ……」
男は力なくそう告げると、玄関扉を閉めカチャリと鍵を掛けた。
扉を閉めた男は呆然とした表情で前を見つめながら、ユラリユラリと、たどたどしい足取りでリビングへと戻ってゆく。
また、外ではバタンと閉まった玄関扉を暫くのあいだ、瑞希は寂しそうな表情で見つめているのだった。
―― その夜 ――
夕食を終えた男は、リビングのソファに腰掛けながら昼の出来事を思い浮かべていた。
岡田が鬼一法眼に脅されて口走った「僕は霊能者じゃない」という言葉をである。
それを思い返していた男は、大きな溜息を吐くと顔を両手で覆い、小さく嘆きの声を上げるのだった。
「う、嘘だ、嘘だ。お、岡田さんは本物の霊能者の筈だァァァ。ウッウッゥゥゥ」
この期に及んでも男は自分にそう言い聞かせていた。
嫌、言い聞かせるのではなく、騙されていたという現実から逃げようとしているだけなのかも知れない。そうしなければ狂ってしまいそうになる為、防衛本能としての行動なのだろう。
それから男は次第に嘆きの声からすすり泣く声に変わっていた。身体も亀の様に丸めて小刻みに震えている。
そして、リビング内には男のすすり泣く声だけが聞こえる為、明かりは点いてるが非常に暗い雰囲気が漂っているのだった。
だが、丁度その時、リビングのサッシ窓に「コンコン」と誰かがノックをした様な音が聞こえてくる。
身体を丸めていた男は、その音が聞こえてくると顔を上げて窓の方へ視線を向ける。
すると、また聞こえてきた。
「コンコン」
男は首を傾げながらサッシ窓の所へと移動する。
そして、窓を覆うカーテンを開いた。
すると、ガラス窓の向こうにある手摺りに、雀のような大きさの白い小鳥が止まってるのが男の目に飛び込んできた。
男は驚く。何故ならば近づいても逃げないからだ。
男は首を傾げつつも『夜にこんな鳥が来るなんて珍しいな』と思いながら窓を開く。
窓が開かれると、直ぐにその鳥は室内へと翼を広げて入ってきた。
男は突然家に入ってきた訪問客に、ややビックリしながらも笑顔で迎え入れた。何故かは分からないが、この小鳥からは懐かしい雰囲気を感じた為である。
その小鳥は室内をパタパタと暫く飛び回ると、液晶テレビの上に羽を休めるかのように止まる。
そして、ジッと男を見つめるのだった。
男は優しい笑顔を浮かべながらその小鳥を見る。
そうやって暫く見つめあっていると異変が起きた。
小鳥の姿がぼやけた様に不鮮明な感じになったからである。
それを見て男は目を擦る。
だが、その時!
ぼやけた白い小鳥が見覚えのある女性の姿へと変貌を遂げたのであった。
男は我が目を疑った。
目の前に居るのは自分が死に別れた妻に他ならないからである。
その姿を見るなり男は大粒の涙を流す。
そして、恐る恐る口を開くのだった。
「ゆ、ゆ、由美子。由美子だよな」と。
(はい、貴方。……ある方の力を借りて、少しの間だけ逢わせて貰える様になりました)
「あ、ある方? まぁいい、それは兎も角。お、俺はお前の言葉を聞くのが生きる希望になっているんだ。お願いだ、もう何処にも行かないでくれッ」
男は妻の霊に悲痛な表情で訴えかける。
しかし、妻の霊は強い口調で、そんな男を突き放すように言うのだった。
(貴方がそんな事でどうするのですか! シッカリしなさいッ。そんなだから、あんな悪徳商法に引っかかるのです。情けないッ)
「あッ悪徳商法?」
妻の口から飛び出た単語を聞くなり、ポカンとした表情で男は言う。
(まだ気付いてないのですか……。貴方が頼っていた男はインチキです。霊能者でも何でもありません。頭を冷やしなさいッ)
「で、でも、お前しか知らない事を知っていたぞ?」
男は居心地が悪そうに肩を窄めながら言った。
(あれは下調べさえ出来ていれば誰でも出来ます。貴方がこれから子供達をシッカリと育てていかないといけないのよ。分かってるのですか? おまけにその為の定期預金まで使おうとするなんて、ハァァ)
男は妻に攻め立てられ小さくなっていた。
この二人の構図は親に叱られる子供のような感じだ。
生前はカカア天下の関係だったようである。
「ゴ、ゴメンよ。寂しかったんだよ。これからはシッカリ前を向いて行くよ。だから、そんなに攻めないでくれよ」
と半ば言い訳がましい事をいいながら、男は平謝りをする。
(フゥゥ、兎に角。シッカリしなさいッ。話は出来ないけれど私は家族の直ぐ傍にいます。だから、私にあまり変な心配を掛けさせないで下さい。いいですね?)
「わ、分かった。そ、そうだよな、シッカリしなきゃいけないのに。お前の言うとおりだ。今まで俺はどうかしてたようだ」
妻の霊は、その返事を聞き笑顔になると、壁に掛けられた時計を確認する。
そして、夫に向かい寂しい表情で別れを告げるのだった。
(貴方……もう時間です。私はずっと家族を見守っているから、それだけは忘れないでね。そして子供達を宜しくお願いします)と。
「も、もう、お別れか? そうか……。だが、短い間だったけど、お前に会えてよかった。危うく道を踏み外すところだったよ。反省している。死んでまでお前に心配掛けさせてすまない」
男はやや切ない表情でそう返事する。
だが、その表情からは先程までの絶望に苛まされた雰囲気は消え去っていた。
(フフフ、それを聞いて安心しました。では貴方、私はいつも家族の傍にいるのだから忘れないで下さいね。そして、お身体を大切に……)
そう告げると共に、妻の霊はフッと消え、最初の白い小鳥に戻っていた。
そして、次の瞬間。その小鳥は翼を広げると開きっぱなしになっている窓から外に飛び立って行き、夜の闇の中へと消えていったのであった。
男は小鳥の飛んでゆく姿が見えなくなるまでずっと見つめ続け、一言こう呟いた。
「由美子、ありがとう」と――
妻の霊が消えて暫くすると、先程の騒がしいやりとりが聞こえたのか、2階にいる子供達がパジャマ姿でリビングに現れた。
そして、赤いパジャマを着た娘が、リビング真中で佇む父親を不審に思い問い掛ける。
「お父さん。誰か来てたの? 何か話し声が聞こえたけど」
男は晴れ晴れとした顔を子供達に向けると、穏やかな表情で話し出した。
「ああ、懐かしいお客さんだ。つい話し込んでしまったよ。そして、俺の目を覚ましてくれた」
娘は父の言葉を聞き、違和感を覚えた。
いつものドンヨリとした雰囲気の父ではないからだ。
其処には母が生きていた頃の父の姿があったからである。
「お父さん、どうしたの? ふ、雰囲気が変った。いや、戻ったというか……そんな感じがする」と娘。
「ああ、目が覚めた。と言っただろう。どうやら、お父さんは悪い夢にとらわれていたようだ」
「お父さん、誰が来てたの?」と、そんな父を見て息子が問い掛ける。
「ハハハハ、今日はもう遅い。明日の朝、話してあげよう。さぁ、お前達ももう寝なさい。明日はまた学校だろう?」
「「えぇ、何か気になるぅ」」
男が以前の穏やかな感情を取り戻すと同時に、家の中も少しづつではあるが元の明るさを取り戻し始めていた。
元通りとまではいかないかも知れないが、それに近い雰囲気になるだろう。
そう考えながら、由美子は優しい笑顔を浮かべて3人を暖かく見守っているのであった。
―― 涼一は ――
オバサン家の付近にある空き地から式を操る事10分。
飛ばした式は漸く、目で確認が出来るくらい自分の近くに戻ってきた。
そして、式である白い小鳥が俺の真上へ飛んできたと同時に、俺は意識を外して術を解く。
すると、小鳥は元の霊符へと変わり、俺の元へヒラヒラと舞い降りてくるのだった。
俺は舞い降りてくる式の符を手に取り、霊符入れに仕舞うと、鬼一爺さんに向かい言った。
「爺さん、依頼完了だ。まぁこれであの家はもう大丈夫だろ。インチキ霊能者に引っかかるなんて事はもう無い筈だ」
(じゃな。しかし、お主もだいぶ式を操るのが上達したの。フォフォフォ)
「そりゃ、あれだけ毎日キツイ練習を続けてたら上達もするよ。まぁ、それでもこの式の符術は結構疲れるけどね。ン?」
俺達がそんな話をしていると、オバサンの霊が俺達のところにやってきた。
そして、丁寧に頭を下げ礼を言うのだった。
(あの、今日は本当にありがとうございました。こんな言葉だけでは足りないくらいです)
「いや、別にいいですよ。まぁあまり気にしないで下さい。それにオバサンの家を見てたら、俺も物部市にいる家族の事思い出したし。偶には帰るかなぁ、なぁんて思ってしまいましたよ。ハハハ」
俺はやんわりとした言い方でオバサンにそう返事をした。
するとオバサンは笑顔で言う。
(ありがとうございます。日比野さんにもご家族がありますものね。表面上は普段通りでも、偶に顔を見せるだけで親は安心して喜ぶと思いますわよ)
「……そうですね。まぁ、12月に入った事だし、年末には家に帰省する事にしますよ」
(フフフ、その方が良いです。あ、それと、あのお嬢さんにも宜しく言っておいてください。お嬢さんにもお世話になりましたから)
オバサンは今はいない瑞希ちゃんの事を思いだし、そう告げる。
瑞希ちゃんは今、此処にはいない。理由は簡単だ。夜遅いからである。
その為、任務が終了次第、メールで報告する手筈になっている。しかも、絶対に忘れないようにと釘を刺されているのだ。
その言葉を聞き、瑞希ちゃんとのやりとりを思い返した俺は笑顔でオバサンに言った。
「勿論、言っておきますよ。忘れたりなんかしたら、後が大変そうなんで。ハハハ」
(そして、お爺さん。本当にどうもありがとうございました。これでもう安心です。もし、お爺さんに会えなかったら、と思うとゾッとしてしまいます)
オバサンはそう言うと鬼一爺さんに深く頭を下げた。
爺さんはニコヤカに言う。
(フォフォフォ、あの様子をみる限りじゃと、もう大丈夫じゃな。お主は安心して見守っておればよいじゃろ)
(はい、本当にありがとうございました)
オバサンはもう一度爺さんにお礼を言うと、今度は俺に顔を向ける。
そして、お別れの挨拶をするのだった。
(では、私は家族の下へと帰ります。日比野さんも、お元気で)
「さよなら、オバサン。オジサンはもう大丈夫だよ。オバサンも元気でね」
俺がそう告げると、オバサンは優しく微笑み返し夜空へと舞い上がった。
オバサンの去りゆく姿を暫くのあいだ見届けた俺は、爺さんに向かい言う。
「さて、それじゃあ俺達も帰るか。夜は何も食べてないから腹が減ったよ」
(じゃな。これにて一件落着じゃわい。フォフォフォ)
爺さんの陽気な返事を聞いた俺は、それを合図に空き地から道路に出る。夜空を見上げると三日月が宙に浮かんでいた。まるで空が俺達に向かい微笑みかけているような、そんな感じに見える。
そんな微笑ましい三日月を見た俺は視線を戻すと、やや軽い足取りで自分のアパートへと向かい歩を進めるのだった。