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霊異戦記  作者: 股切拳
第壱章  二律双生の門 
12/64

拾弐ノ巻 ~土蜘蛛 三



   【壱】



 鬼一爺さんから土蜘蛛退治の説明を受けた俺と浅野さんは、各々が別の仕事を与えられた。

 まず、俺は自分の血と墨汁を混ぜ合わせた墨を作り、墨壷にあるスポンジ部分にその合わせた墨を注入する。そして、沢山持ってきたやや太目の白い裁縫糸に墨壷を使い染み込ませるといった作業をしていた。

 それから浅野さんは、鬼一爺さんから、水と塩の割合が100:1の濃度の食塩水を5しょうと、重湯を茶碗5杯分程作ってくれと言われていた。良く分からないが、その食塩水の濃度に重湯を混ぜる事で土蜘蛛が寄って来るそうだ。

 浅野さんに頼んだ内容は元々爺さんの計画にはなかったそうで、ただ、こういう展開になってしまったので、よりやり易くする為に浅野さんにお願いしたとの事だ。

 因みに、その誘き寄せる餌を用意してなかった当初はどういう予定だったのか? と、俺は爺さんに訊いてみた。

 するとこんな答えが返ってきたのである。

『決まっておるじゃろう。お主が奴の餌として囮になる以外ないじゃろうが』と。

 鬼一爺さんがあまりにも簡単に言い切ったので、俺は「ふざけんなよ、クソジジイ」と憤慨した。

 この後は予想通り、鬼一爺さんも噛み付いてきて、俺との口喧嘩が始まったのである。

 浅野さんはその光景を見て少しあきれていたが……。

 それはさておき、話を戻すと、それらの用意が終わったら、罠を仕掛けて夜まで待つというのが大まかな流れだ。

 で、その罠を仕掛ける場所を探すのが、次の俺の仕事となるようである。

 鬼一爺さんは先程の作業を終えた俺に『土中にいる土蜘蛛の放つ負の波動を探してくれ』と言ってきた。『幽現なる体』の霊感力ならば、土蜘蛛の凡その位置が分かるかもしれないからだそうだ。

 土中にいる土蜘蛛の波動を探すのは俺もイマイチ自信がなかったが、とりあえずやる事にした。

 俺はいつもと同じ様に目を閉じると、霊魂が放つ波動を敏感に感じれるように意識を集中する。

 調べ始めてから30分程経過した頃だろうか。

 北の方角から、僅かではあるが何時もと違う負の霊波動を感じた為、とりあえずそれを鬼一爺さんに報告したのである。

 すると、鬼一爺さんは暫く思案顔でいたが意を決し、そこへ実際に行ってみる事になったのだ。

 浅野さんとはここで一旦、別行動となり、俺と鬼一爺さんは北の方角に山を進んで行く。

 北の方は木々が多く密集しており、かなり山中は薄暗く感じる。

 まさしく夜型の土蜘蛛の寝床としては最適な環境のような気がした。

 そして、進むにつれて何となくだが、先程の何とも言えない霊波動に近づいているのがハッキリと感じ取れるようになってきたのである。

 その為、俺はやや脅えながら周囲を見回し、歩を進めた。

 するとその道中、ある木の陰から奴の食べ残しであると思われる獣のミイラ化した死骸が目に飛び込んできたのだった。

 俺は思わずその場で立ち止まった。

「き、鬼一爺さん、アレ……」

『ムゥ……これは』

「この死骸は奴の仕業だろ? ならこの方角で間違いないよな。地面を良く見ると沢山の足跡が向こうに伸びてるし」

『そうじゃな……これ以上近づくと奴に我等の事が気付かれるやも知れぬ。とりあえず、場所は大体分かった。一旦戻ろうかの』

「ああ、俺の持つ魔除けの符に気付くからな。そうしよう」

 そして俺達は、またさっきの所にまで戻ったのである。


 俺達が戻ると、もう浅野さんがいた。浅野さんの足元には食塩水の入った青いポリ缶と重湯、そして、それらをあける桶が置かれていた。どうやら、鬼一爺さんにお願いされた物の用意は終わっているようだ。

 浅野さんは俺達の姿を見つけると、労いの言葉と共に成果を訊いてきた。

「オゥ、二人ともご苦労さん。で、どうだった。奴の足取りは掴めたか?」

「あ、どうもお疲れ様です。はい、奴の足跡は一応見つかりました。やはり、北の方角で間違いないですね」

「そうか。しかし、なんだな。兄ちゃんも色々大変だな。こんな奇妙な事に毎日毎日首を突っ込んでるなんて」

「ええ、全くです。俺、ついこの間まで普通に学生をしてたのに、何時の間にかX−FILEに携わってるなんて……トホホ」

 俺は今の状態を初めて人に同情されたので、口が良く動いた。

 多分、俺の境遇を知ってもらえた唯一の人だからだろう。

 因みにだが、浅野さんは口は悪いが話してみると意外といい人であった。

 こんな話し方になるのも刑事としての職業上仕方ないのかもしれない。

「まぁ、そういうな。これが終わったら、今度飲みに連れてってやるよ。しかし、世の中には俺のしらねぇ事がまだまだ沢山あるみてぇだな。職業柄、奇妙な凶悪犯罪とかはたまに経験するが、化け物は流石に専門外だからな」

 浅野さんは腕を組むと、首を上下に揺らしながら唸るようにそう言った。

 確かに浅野さんの言うとおりだ。

 俺自身もついこの間までは、幽霊や悪霊等といった単語を聞こうものなら、「居る訳ねぇだろ!」と笑い飛ばしてたクチだ。

 だが、そんな浅野さんを見ていて、ここで俺にある疑問が湧いたのである。

 それは何かというと、こんな不思議な事が頻繁に起きてるのになんで誰も知らないのだろう? という疑問だ。

 鬼一爺さんはその昔、京で陰陽師をしていたと言っていた。

 という事は、今現在もそういった事を生業なりわいとする人々が居るのだろうか? 俺にこんな考えが突如浮かんでくる。

 もしそうであるならば、これから先、そういった霊術を駆使して悪霊や物の怪に立ち向かう人々と、出会うことがある気がしたのである。

 ふと俺がそんな事を考えてると、鬼一爺さんの声が聞こえてきた。

『さて、それでは必要な物も揃った事じゃ。先程の足跡があった所までいこうかの』

 俺と浅野さんは荷物を互いに持ち合いながら、先程の所にまで進んで行く。

 その途中、浅野さんは俺に話しかけてきた。

「兄ちゃんの名前は日比野 涼一っていうんだったか?」

「はい、そうですが」

「じゃ、これからは涼一って呼ぶようにするよ。折角、名乗りあったんだ。何時までも『兄ちゃん』じゃなんだしな。ガハハハッ」

 浅野さんはそう言うと豪快に笑い出した。

 見た目と話し方、そして笑い方までこれほどピタリと一致する人も珍しい。

「ハ、ハハ、……どうぞ。お好きなように」

 俺はそんな浅野さんを見て、若干引きながらそう答えた。

「しかし、涼一。あの爺さんは一体何者だぁ? 何となくだが、幽霊とはいえ、凄い人物のような気がするぞ。妙なオーラを感じる」

 浅野さんは先頭を行く爺さんを見ながら、顎に手を当ててそう言った。

 それを聞き、俺も鬼一爺さんの後ろ姿を見る。当然、向こう側が透けて見えた。それだけだ。別に何も感じない。まぁ、浅野さんには何か感じたのだろう。

 そんな透ける爺さんを見ながら、俺は浅野さんに言った。

「その昔、京の都で陰陽師をしていたと言ってましたけど」

「ホォ、陰陽師ねぇ。一時、テレビでもブームになってたからな。その単語はエラくミーハーなものに感じるな」

 俺はそれを聞き、「確かに」と呟く。

「まぁでも、あの爺さんなら陰陽師と言っても、あんまり違和感はないけどな。ガハハハハッ」

 俺達がそんな他愛ない話をしながら進んでいると、さっき来た獣の死骸の転がる場所に辿り着いた。

 そして、鬼一爺さんも一旦ここで立ち止まり、俺達に振り向いたのである。

『それでは、早速、用意を始めようかの。涼一は先程説明した通りに始めるのじゃ。そして、浅野殿は塩水に重湯を混ぜた後は、涼一を手伝ってやってくれぬか』

「了解」

「わかったよ」

 鬼一爺さんの号令で俺達は作業に取り掛かった。

 俺は自分の隠れる為の結界をまず作ることから始めた。

 さっきの墨を染み込ませた糸を木々に張って直径4mほどの囲いを作り、その糸が通過した木々に霊籠の符を貼る。因みに糸は霊籠の符の『放』の術式部分に触れさせている。

 それを終えると、今度は結界の外にある浅野さんが作った土蜘蛛の餌を入れた桶を中心に、糸で直径5m程の円を描いた。

 そして、その円の中に霊籠の符と同じ術式を糸と墨を使って地面に描いたのである。

 因みにこれを『霊籠の陣』と呼ぶらしい。陣という名前に変わるのは単に規模の問題のようだ。

 で、それが完成したら、当然、次は俺の霊力を籠めなければならない。その為、いつもの要領で俺は霊力を籠めたのである。但し、量は符に籠める何倍もだが……。

 ちょうどこの作業をしているところで、浅野さんが感嘆の声を上げた。

「へぇ、なんとまぁ……。爺さんの話を聞いたときは眉唾もんかと思ってたが、実際目にしちまうと否定できねぇなぁ」

 浅野さんは腕を組みながらこの光景を眺めている。

 実は、高度に練り上げられた霊力は、常人にも目視可能だ。だから浅野さんにも糸を伝う霊力の流れが見える。

 そして、約20分程ぶっ続けで霊力を籠めていた俺は、終わると地面に腰を降ろし、大きく息を吐いたのであった。

 その後、ある程度呼吸が整えてから爺さんに次の指示を仰いだ。

「鬼一爺さん、とりあえず、言われたとおりにしたけど、この後はどうするんだ?」

『フム……では次じゃが。涼一、お主は土蜘蛛の位置が大体は分かるな?』

「ああ、大体はな。正確には無理だよ」

『いや、それでいいんじゃ。で、お主と浅野殿には土蜘蛛からやや離れた所にある周囲の木々に、魔除けの符を貼り付けていって欲しいんじゃ。土蜘蛛にはこの場所に来てもらわねば成らぬからの』

「なるほどね。そういうことか、分かったよ。こっちに誘き出すように反対側や左右の領域に貼っておけば良いんだろ?」

『そういう事じゃ。では頼むぞ。早くせねば日が暮れるからの』


 俺と浅野さんは爺さんから言われた通りに、沢山用意してきた魔除けの符を張り始めた。

 余談ではあるが、結構範囲が広い為、『しんどかった』ということを付け加えておく。

 なんとか夕暮れ前に、符を貼り終えることが出来た俺達は、結界の所に一旦戻り、鬼一爺さんに報告した。

「爺さん、符は貼り終わったぞ。これで終わりか?」

『ああ、とりあえず、これで準備は終わりじゃ。後は奴がココに来るのを待つだけじゃな。ところで浅野殿はどうする? もう後は我等で対応できる。無理して危険な事に付き合わぬでも良いのだぞ』

 浅野さんは鬼一爺さんの話を聞き、暫く考える。

 そしてある決意をしたのか、真剣な表情で答えたのである。

「俺は残ってこの結末を見させてもらう。俺は一応刑事だ。犯人は人ではないが、コイツは人を殺してる。だから最後を見届ける義務がある」

 先程までとは打って変わり、真剣な表情でそう言った浅野さんは凄く凛々しく見えた。

 やはり、長年刑事をやっているだけあって、ここぞという時の貫禄が俺には感じられたのである。

『フム……そうか。わかった。お主のその心意気あっぱれじゃ。では涼一、お主が浅野殿を土蜘蛛の危険から守るのじゃ。今は魔除けの符は使えぬからの』

「了解。でも、いいんですか浅野さん? かなり危なそうな化け物ですけど」

「フン、俺も一応刑事だ。体は鍛えてあるからな。こう見えても柔道4段だ。まぁ、あの化け物には意味がないかも知れんがな。ガハハハハハッ」

 すると浅野さんはさっきの調子に戻り、また豪快に笑うのだった。

 この人は結構肝っ玉が据わっているようだ。

 俺なら確実にトンズラしてるところである。

 まぁそれはともかく、これで準備も整ったので、俺達は夜に向けて静かに鋭気を養う事にしたのである。



   【弐】



 日が落ち、暗闇が周囲を支配する時間帯がやってきた。

 俺と浅野さんは結界の中で息を潜める。

 因みにこの結界、霊籠の符に籠めた霊力を少しずつ糸に流して、結界内のみ悪霊や物の怪にわからないよう隠行効果があるそうだ。

 しかし、それと同時に、こちらからの霊感知力も働かなくなる諸刃の結界のようである。鬼一爺さんがさっきそう言っていた。

 何かを得る為には何かを捨てなければならないという事なのだろう。

 だがとは言うものの、初めて使う結界術なので、その効果も俺としては爺さんを信じるしかない訳である。なので、少し不安であったのは言うまでもない。

 それはさておき、俺と浅野さんはやや硬い表情になりながら、5m程先に見える桶に注視しているところだ。

 俺はそこで携帯の時計を確認する。

 今はPM8時を過ぎたところだ。

 携帯は圏外になっている。こんな山の中だし当然だろう。

 と、そこで、ふと思い出したことがあった。

 確か昨日、瑞希ちゃんが帰り際に「日比野さんを元気付ける為に明日メールしますね」と言ってたのを。

 流石に今までそんな事を考える余裕など無かったので、スッカリ失念していたのである。

 だが、思い出したところで携帯は圏外だ。メールセンターに接続も出来ない。

(まぁいい、明日確認しよう。今はどうにもならない)

 俺はそう考え、また土蜘蛛へと意識を向かわせるのだった。

 そして、それから一時間が経過したころの事である。

 周囲に異変がに起きたのだ。

 先程まで聞こえていたふくろう等の夜行性の鳥の声が聞こえなくなり、異様な感じの静寂が辺りに漂っていたからである。

 今の俺には霊魂の波動は感じられないが、重苦しい雰囲気くらいは伝わってくる。

 隣に居る浅野さんに目を向けると、浅野さんも同じで何か得体の知れない緊迫感を感じ取っているようであった。

 そんな中、目の前にある桶の付近に、不気味に蠢く熊の様な大きさの何かがいるのを俺の目は捉えたのである。

 暗い夜の森に慣れた俺の目には、それがなんであるかハッキリと分かった。

 間違いなく奴である。そう……浅野さんの持っている写真に写っていた抜け殻と同じモノが俺の前にいたのだ。

 俺は生唾を飲み込む。

 そして隣の浅野さんを見た。

 浅野さんも土蜘蛛を視界に捉えており、信じられない物を見るかのように、大きく目を見開き、驚愕の表情を浮かべていた。

 どうやら、いよいよのようである。

 俺はそこで、鬼一爺さんに指示された内容を思い返した。

 鬼一爺さんはこう言っていた。


『涼一よ、この結界に潜み、奴が桶の汁をすすり始めて暫くしたら、この糸にお主の霊力を送り込み、地面に描かれた『霊籠の陣』を解放するのだ』と。


 俺は右手に持つその糸に目をやった。

 この糸は霊籠の陣の『放』の術式に伸びている。

 早い話が、ダイナマイトの導火線の様なものだ。

 そして、これに俺の霊力を送り込んで点火し、向こうに描かれた『霊籠の陣』の蓄積された霊力を解放して、土蜘蛛を葬るのである。

 俺は土蜘蛛を凝視しながら、起爆するタイミングを計った。

 土蜘蛛は今、桶の液体をすすろうとしている。

 その蜘蛛に似た醜悪な顔から、幾つかの触手の様なモノが桶に伸びてゆく。

 その姿は昔見た『風○谷のナ○シカ』に出て来たオウムの触手のようであった。

 正直、キモイ。サブイボもんである。

 ただでさえ虫嫌いな俺には目を逸らしたくなるような光景であった。

 俺が嫌悪感を全開にする中、奴はとうとう桶に触手をつけ、液体をすすり始めた。

 チューチューと吸い込んでいる音が聞こえてくる。

 この感じだと、土蜘蛛は桶の液体に気を許しているようだ。

 そう確信したところで、俺は隣にいる浅野さんと鬼一爺さんに目配せをする。

 そして、糸に俺の霊力を流し込み、霊籠の陣を発動させたのである。


【グキィィィィィィィ】


 土蜘蛛の悲鳴と共に、霊籠の陣から強烈な青白い光が円を描き発動する。

 陣が発動した途端、土蜘蛛は身体を仰け反らせて八本の足をバタつかせていた。

 相当、苦しいようである。

 そんな苦しそうな土蜘蛛を見て、うまくいったと安心していた俺はホッと一息ついた。

 だがしかし! そう簡単に事は進まないのであった。

 土蜘蛛がバタつかせた足が桶に命中し、それがひっくり返ってしまったのだ。

 そして悪い事に、桶に残っていた液体が霊籠の陣の上に降り掛かって墨を薄め、一箇所だけ霊力が放たれない所ができてしまったのである。

 生への執着を見せる土蜘蛛は当然そこへ飛び出してくる。

 そして、術は不完全なまま終わってしまったのである。

「な、なんで!?」

 気が動転した俺は、思わずそう呟いた。

 陣から飛び出した土蜘蛛はグッタリしているように見える。

 しかし、その土蜘蛛に直ぐ止めを刺さなければいけない俺は、次の行動が思い浮かばず、ただ焦っているだけだった。

 だがその時である。


【涼一! しっかりせいッ。今のうちに霊符を使って奴に攻撃するのじゃ。早くせねば奴は何処か雲隠れしてしまうぞ。お主しか奴に対抗する手段が無いんじゃぞ】


「ハッ!? そうだった」

 鬼一爺さんのその言葉で我を取り戻した俺は、ジャケットのポケットから霊籠の符を取り出す。そして、グッタリした土蜘蛛に符を投げつけたのである。

 土蜘蛛に命中はしたが、やはりそこ等へんの悪霊のようなわけにはいかなかった。

 まだ、ピンピンしている。おまけにグッタリしていたのも終わり、今度は俺に触手を伸ばして、威嚇し始めたのである。

 今の攻撃によって土蜘蛛は俺を敵と認識したようだ。

 そして、俺と土蜘蛛の睨み合いが始まった。

 ここ最近の悪霊退治以上の緊迫感が俺を襲う。

 なんといっても相手は巨大な蜘蛛の化け物だ。

 ビビるなという方が無理がある。

 タランチュラなんかこれと比べれば超可愛いもんだ。

 しかも見れば見るほど醜い怪物で、ハッキリ言ってコイツに食われて死ぬのだけはゴメンであった。

 俺は恐怖心と戦いながら、震える右手に霊符を持って攻撃のタイミングを窺う。

 だが、そうやって対峙している内に、俺の手持ちの符でコイツを倒せるのだろうか? という疑問が湧いてきたのである。

 何故ならば、先程の攻撃があまり効いて無い様に見えるからである。

 更に、霊符の枚数にも限りがある。残りは5枚程といったところだ。

 隠行結界のバッテリー代わりに何枚も使用したので、残りはそんなにないのである。

 俺の今使える術で一番威力のあるものは、毎朝修練を積んできた真言術『浄化の炎』だが、この術を発現させる為の霊力を練るには、今の俺には最短で1分ばかりの時間がいる。

 霊圧を上げている最中に、突然飛び掛られては対処の仕様が無いので、今はチョイスしにくいのである。

 だが、少しづつ霊圧を上げながらチャンスを窺い、飛び掛ってきた時は霊符で対処してかわすのは戦略として悪くは無い。そうやって、霊圧を少しづつ高めて浄化の炎を行使する以外、今の俺には方法が無いように思えた。

 その為、時間は掛かるがその戦法でいこうと考え、俺は土蜘蛛の出方を気にしながら己の霊圧を徐々に上げる事にしたのである。

 


   【参】



 鬼一法眼きいちほうげんと浅野は、土蜘蛛と涼一の対峙を緊迫した表情で息を殺し見守っていた。

 だが程なくして、土蜘蛛が先に動いたのだ。

 触手をくねらせて素早く前進し、涼一に襲い掛かってきたのである。

 涼一は霊符を投げつけ牽制し、何とか離れて難を逃れる。

 しかし、見ているものからすると非常に危なかしく、ハラハラさせる戦いであった。

「オイッ、爺さん。涼一の腰がえらい引けて見えるけど、大丈夫なのか? こんな化け物とやりあうのは初めてなんだろ。違うか?」

『確かにそうじゃ。今まで対峙した中で、恐らく一番強い相手じゃな。じゃが、涼一には今の手負いの土蜘蛛なら止めをさせる術を持っておる。後は涼一がそれに気づくかじゃ』

「なら、俺達が少しでも援護してやると涼一も助かるだろ。どうだ?」

 鬼一法眼は頭を振る。

『いや、今は不味い。奴が他に仲間がいると分かれば、多勢に無勢と判断し、逃げてしまうかもしれぬ。奴は幸いにも、涼一一人じゃと思っておる。じゃから襲い掛かろうとしておるのじゃからな』

「グッ、じゃあ俺達は、ただ見てるだけしか出来ないのか? あの調子じゃいずれやられちまうぜ」

 鬼一法眼は浅野の言葉を聞き、少し考える。

 そして、涼一を見た。

 二人がそんな話をしている間にも土蜘蛛は襲い掛かり、涼一は懸命に霊符を投げつけ、それをかわしていた。

 だが、今の土蜘蛛の触手攻撃で、涼一は肩を若干負傷した。

 痛みで顔をゆがめる涼一の痛々しい姿が二人の目に入ってくる。

 しかし、ここで鬼一法眼は、涼一が徐々に霊圧を上げている事に気が付いたのである。

 鬼一法眼はそこである事を閃いた。

『浅野殿、恐らく涼一は、己の使える一番強力な術で土蜘蛛を仕留めるつもりじゃ。その為の準備に入っておる。そこでお主に頼みたい事がある。我が合図したら、この木に貼り付けた符を石にくるみ、奴に投げつけて欲しいのじゃ』

 浅野は結界のバッテリーの役目を果たしている霊符に目を向ける。

「……ああ、分かった。で、どれでもいいのか? 糸の張った全ての木に符が貼り付けてあるが」

『構わぬ。どれでも良い。符に籠められた霊力に多少は奴も反応するじゃろうからの。それはともかく、我が合図したら結界をでて投げつけるのじゃ。浅野殿が奴の気を逸らせば、後は涼一が片付けてくれる。頼んだぞ』

 その言葉を聞き、浅野は真剣な表情になった。

 そして結界の外へと視線を向けたのである。



   【四】



(イッテェ、クソッ。肩を掠ったか……気持ちわりぃ触手を伸ばしやがって。休みたいところだが、霊力は練り続けないとコイツを仕留められない。後もう少しだ。もう少しで術を発動させられる霊圧になる。それまでは何とか逃げ回り、耐えるしかない。しかし、そうそう何時までも逃げられない。霊符の残りは2枚だけだ。これが尽きればもう牽制しながら逃げるなんて出来ない。落ち着け、落ち着くんだ。出来るものも出来なくなる)

 俺は自分にそう言い聞かせながら、目の前の土蜘蛛と己の霊力に意識を集中していた。

 そして、霊圧が術に必要なくらいに上がった頃、土蜘蛛はジャンプし俺目掛けて、今度は飛び掛ってきたのである。

 鋭い前足が俺の斜め上から降り注いでくる。

 俺はそれを、地面を横に転がりながら何とか避ける。

 そして、直ぐに体制を整えると霊符を奴に投げつけて牽制をしたのである。

(クッ……今のは危なかった。でも、ようやく霊圧は『浄化の炎』を発動させれるところまで上がったぞ。後は、何とか奴の気を逸らして、真言を唱え、術を放たなければ……ン?)

 するとその時だった。

 結界の中から、突然、浅野さんが勢いよく走り出てきたのである。

 そして、奴の後ろに回りこみ、何かを投げつけたのだった。

 土蜘蛛は後ろに注意がそれ、少しばかり動きが止まった。

 チャンスだ。

 そう思った俺は、早速、真言を唱えたのである。


 ――ノウモ・キリーク・カンマン・ア・ヴァータ――


 唱え終えると、右掌に見慣れた直径25cm程の青白い火球が生まれる。

 これで浄化の炎は完成した。後は、奴に放つのみ。

 そして俺は、注意が散漫になっている土蜘蛛目掛けて、この火球を遠慮なく放ったのであった。

 火球は土蜘蛛目掛けて一直線に飛んで行く。

 そして――


【グギィィィィィィィィィィヤァァァァァ】


 目標の土蜘蛛に命中すると火球が弾けて土蜘蛛の体に燃え広がり、奴の体を焼き尽くしていったのだ。

 その直後、土蜘蛛の何ともいえない悲鳴は断末魔の叫びとなって山中に響き渡り、この1500年前の途方も無い化け物は今この場で絶命したのだった。


 それから暫く燃え続けると火の手も治まりを見せ始める。

 完全に鎮火する頃には土蜘蛛だった物が、黒い物体となり其処に転がっていた。

 俺達は、暫し無言でそれを見つめる。

 と、そこで、鬼一爺さんが俺に労いの声をかけてきたのである。

『涼一、ようやった。これで、土蜘蛛は完全に死んだ。お主も幾多の悪霊との戦いで、大分戦況を冷静に見れるようになったの。まだまだ未熟じゃが、それでも今回のお主の判断は間違ってはおらぬぞ』

「そうかい、ありがとうさん。でも、今回は初めて死ぬかもって思ったよ。フゥゥ」 

 俺はマジでそう思ったので、今の言葉を吐くと同時に緊張の糸が切れ、地面にヘタリこんだのだった。

 そんな俺を見て浅野さんは口を開いた。

「ご苦労さん、涼一。中々凄いものを見させてもらったよ。それに殺人犯の最後を見る事ができたから、これで俺も安心して帰れるってもんだ。ガハハハハハッ」

 浅野さんはそう言うと最後は豪快に笑い出した。

 しかし、今回、土蜘蛛を仕留められたのは浅野さんが隙を作ってくれたからだ。

 残念ながら、自分ひとりの力ではない。

 そう思った俺は浅野さんに御礼を言ったのである。

「浅野さん……あの時、隙を作ってくれたお陰で倒せたようなもんです。ありがとうございました」

「あん? ああ、ありゃこの爺さんの指示だ。俺の判断じゃない。礼なら爺さんに言っときな」

「いや、それでも。浅野さんがあそこまでしてくれなければ倒せませんでしたよ。それに、やはり刑事なだけあってここぞという時の行動は凄いですよ。俺が浅野さんの立場ならトンズラしてます。確実に……」

「そんなに褒めても何も出てこんぞ。俺からすりゃ、お前の方が良くやってると思うがな。まぁいい。さて、これで終わりだろ。そろそろ山を降りようや。寒くてしょうがねぇ」

「そうですね。俺も早くこんな所から立ち去りたいし。爺さん、もういいんだろ?」

『ああ、もう終わりじゃ。そろそろ下山しようかの』――


 と、まぁこうして俺達は土蜘蛛退治を無事終えることができ、怪現象が続いたこの山にも平穏が訪れたのだった。

 今回、この浅野さんと俺達は知り合ったわけだが、当然、この事は秘密にしてもらわないと俺が困る為、山を降りる途中、浅野さんにはこの事を念押ししておいた。

 浅野さんも、その辺の事情は薄々分かってたようで快い返事をしてもらえた。

 そして、帰りは浅野さんの車に乗せてもらい送ってもらう事になったのである。

 その道中、中津市の市街地で屋台ラーメンを浅野さんの奢りで食べさせてもらった。

 ここまでしてもらって悪いと思ったが、浅野さん曰く、珍しい物を見せてくれたお礼だそうだ。

 その後、俺の住む学園町のアパートにまで送ってもらい、ここで浅野さんとはお別れしたのだった。

 俺達は一応最後に、連絡先等を交換した。

 浅野さんが、「また訳の分からん事があったら連絡する」と言った時は思わず苦笑いをしてしまったが……。

 まぁそれはさておき、部屋に着いた俺は荷物を机の上に降ろすと、テレビをつけ暫く寛いだ。

 するとそこで携帯からメールの着信音が流れてきたのだった。

 俺は携帯を手に取り、メールを確認した。

 すると、そこにはこう書かれていたのである。

「日比野さん、オハヨーございます。昨日、予定は無いと聞いたので提案させていただきマース。今日は天気もいいので一緒に外に出ませんか? 返事待ってマース。Am10時・着信……」

 俺はこのメールをボソボソと朗読した後、部屋の時計を見た。今の時間はPM11時30分だ。

 う〜ん不味いな。とりあえず、夜遅いけど連絡だけしておこう。

 そう思った俺は、瑞希ちゃんの携帯に謝罪文と明日なら大丈夫と書いたメールを返信した。

 その数分後、瑞希ちゃんから「じゃあ、明日また詳細をメールします。今夜はオヤスミナサイ」と書かれたメールが届いた。

 俺はそれを見た後、一息ついてからシャワーを浴び、寝る事にしたのである。

 疲れたと思いながら――

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