拾ノ巻 ~土蜘蛛 一
【 壱 】
今の時刻は午前3時45分。
俺は鬼一爺さんに起こされると、またいつもの様に、真言術の朝稽古へと向かった。
眠い目を擦りながら大きな欠伸をし、紺のジャージに着替えると、アパートの玄関扉を開いて、まだ真っ暗な外の世界に足を踏み入れた。
日が経つにつれて外の気温は下がってきており、段々と着る物も厚着になっていく。あと2週間もすれば、ジャージだけで出歩くのもままならなくなるだろう。
そんな先の事を考えながら、俺は高天智天満宮へと歩を進めた。
話は変わるが、大学の後期授業が始まったことでライフスタイルの変更をせざるをえなくなった俺は、鬼一爺さんに悪霊退治の方を暫く中止に出来ないかどうかを昨夜持ちかけてみた。
すると鬼一爺さんは、『悪霊退治にかまけて学業が疎かになるのは頂けない』と、一応の理解はしてくれた。が、しかし、中止にまでは流石に持ってはいけなかったのだ。
そんなわけで交渉の結果、今までより除霊件数を大幅に減らすという事で、なんとか合意に漕ぎ着けたのである。なかなか楽な日常は送れそうにない、今日この頃といったところだ。話を戻そう。
高天智天満宮へとやって来た俺は、いつも通りに裏山へと続く道へ向かった。
そして、裏山の入口と中腹辺りの木々に人払いの符を何枚か貼り付け、先に進んだのである。
以前、鬼一爺さんは人目に付かない策として、人払いの結界というものを俺に薦めてきたのだが、それがこの方法であった。で、この人払いの符だが……悪霊を寄せ付けないようにする魔除けの符の対極に位置する霊符で、術式も正反対の物である。この霊符は人間の恐怖心や嫌悪感を煽って近づけないように幻覚を与える効果がある為、山道の中腹と入口に張っておけば、先ず、普通の人間はこの領域に入ってこないそうだ。普通じゃない人間は分からないとは言っていたが……。
とまぁそんなわけで、ここ最近は人払いの符を張ってから、山頂での修行を行うようにしているのだ。今の所、誰も登ってきていない事を考えると効果はあるのだろう……多分……。
裏山の頂に到着した俺は、広場の中央へと行き、背筋を伸ばし深呼吸をする。
そして、ゆっくりと霊力を練り霊圧を徐々に上げていった。
因みにだが今日の修行は、いつもより高い霊圧で行う予定である。大分、術に慣れてきたので、難易度を1段階引き上げるというわけだ。
俺は独特なリズムで行う深呼吸を繰り返しながら、霊力の流れに意識を集中させる。そして、いつもよりも大きな霊力を練り上げた。
鬼一爺さんの声が聞こえてくる。
『ホォ……涼一もだいぶ様になってきたの。この調子じゃと【霊動の息】に頼らずに霊力を練り上げる日が来るのも、そう遠い日じゃないの』
今、爺さんが言った霊動の息というのは、霊力を練りやすくするための呼吸法の事である。
それはさておき、俺は目を閉じて、練り上げた霊力の流れを制御しながら右掌へと流れを変える。
そして、いつもの様に【浄化の炎】の真言を唱えた。
―― ノウモ・キリーク・カンマン・ア・ヴァータ ――
真言を唱え終えると、いつもより高い霊圧で創られた青き炎が掌から現れる。
直径20cm程の炎の玉で、今回は霊圧が高い為、いつもの2倍の大きさである。
俺はその光景を視界に納めると、次に霊力の放出量を調節する。
すると、炎が弱まってゆくのが分かる。丁度、ガスコンロを強火から弱火に調節したような感じだ。
それらの強くしたり弱くしたりと繰り返す行為を5分ほど続け、最後は自分の意思で霊力の供給を停止し、炎を消化したのだった。
俺は鬼一爺さんに感想を求めた。
「どう、爺さん? 術を発動させている間でも、大分、制御が出来るようになったよ。まぁ、霊力の練り上げる量はまだまだかも知れないけどね」
『イヤイヤ、それでも大したもんじゃ。確かに霊力を練る量はまだまだじゃが、術を習い始めてから二月経っておらぬ者が、それだけの事をやってのけるのを我は今まで見た事無い。まぁ、かといって慢心はイカンがの』
爺さんは嬉しそうにそう言うので、俺も少し気をよくした。
「へぇ、そうなんだ。ま、確かに慢心は怪我の元だしな。これからも精進するよ」
『そうじゃ。さて、まだ時間はある。続けるのじゃ』
「オウ」――
その後、術の修練を終えて部屋に帰った俺は、とりあえずシャワーを浴び、それから朝食の準備に取り掛かった。
最近の俺は、今までの不規則な生活から一定の生活リズムを保つようになった為、体の調子もすこぶるいい。その為、今まではインスタントで済ませた食事も、最近は身体の事を考えて、自らの手で作るようになってきたのだ。といっても、簡単な物しか作れないが……。
まぁそれはさておき、今日の朝食の献立は、目玉焼きとベーコンを焼いた物、そして食パンとインスタントのポタージュスープといった感じだ。
それらをローテーブルの上に広げた後、俺はテレビの電源を入れ、朝のニュースを見ながら食事を始めたのである。
だが食べ始めてから暫くすると、奇妙なニュースが俺の耳に入ってきたのであった。
ニュースの内容はこんな感じだ。
>朝7時のニュースです。
>昨日の明方G県 葦原市 水無原の山林で、死後半年以上は経つと見られるミイラ化した遺体が発見されました。
>遺体の発見現場は、県道402号線沿いの山林で、明方、付近を通りかかった近隣住民によって発見され、葦原警察署に通報された模様です。
>男性の身元は不明で、所持品等も現場には見当たら無いことから、葦原署は至急身元の確認を急ぐとしております。
>尚、遺体の状況や不自然な場所での発見という経緯もあり、葦原署は事件性も含め捜査を開始しているとの事です。
>それでは、次のニュースです……
奇妙と思ったのはミイラという部分であった。
何故なら、この地域は雨とかも多いので、県道沿いの山林でミイラというのが引っかかったのである。
「県道沿いの山林でミイラ化した遺体ねぇ……どう考えても死体遺棄って感じやんか。また、どこぞの自称・グルとか言う、イカレたアホな教祖の教えを実行した馬鹿がいるんじゃねぇの」
すると鬼一爺さんが首を傾げつつ訊いてきた。
『涼一、なんじゃ。そのグルちゅうのは?』
「ヘッ? グルか? グルっていうのは……」
俺は爺さんにそう聞かれ、どう説明したものか考える。
と、そこで、鬼一爺さんを見てある事に気が付いたのだった。
それは何かというと、今から10年近く前にミイラ化遺体事件で逮捕された某教団の某教祖に、鬼一爺さんは微妙に似ていたのだ。
しかも、思わず笑いがこぼれるくらいに。
「アハハハッ」
『なんじゃ、涼一。その不愉快な笑みは! 一体何じゃというのじゃ』
「ああ、ゴメンゴメン。いやぁ、世の中色んな事があるね。まぁいいや。ええと、グルっていうのは確かインドっていう国の言葉で指導者とか言う意味なんだけど……」
俺は鬼一爺さんに、そのミイラ化遺体事件とグルの説明をする。
すると突然、鬼一爺さんは憤慨したのであった。
『我は干からびた屍が生きてるなどという戯言など吐かぬわぁ!』っと。
おまけに『悪霊退治をまた復活させるぞ!』とか脅しも掛けてきたので、これ以上からかうのはやめる事にしたのである。
鬼一爺さんを怒らせるのはやめとこう。
そう思い、この話題は終了したのであった。
まぁ、今朝はこんな感じで過ごし、そして大学へと向かったのである。
【弐】
G県 葦原市 葦原警察署 刑事・生活安全課に浅野という中年の刑事がいる。
身長は170cmと男にしては低いが、体はゴツく、100kg級の柔道家の様な体型をしている。歳は40半ばといったところで、頭が丸坊主の一見すると堅気じゃない人間にも見える強面の刑事であった。
その浅野は、先程から署内の一室にある窓から外の景色を眺めていた。
部屋には他にも数人の者達がおり、忙しそうに事務作業に追われている。
浅野は外を暫く眺めた後、窓の近くにある事務机に座り大きく息を吐く。机の上には警察手帳や携帯電話、そして灰皿や書類等が乱雑に置かれている。浅野はそれらの書類に暫く目を通すと、椅子の背もたれにゆっくりと背中を預けた。そして、灰色の上着のポケットから煙草を取り出して火をつけたのである。
今、浅野は昨日発見された遺体の検死の結果を待っていた。
勿論、ニュースで報道もされていたミイラ遺体の検死結果を、である。
浅野は思う。昨日のミイラ遺体は一体誰なのだろう? と。
昨日発見されたミイラ遺体は今も鮮明に浅野の脳裏に焼きついており、その光景を思い返すたびに身震いするくらいであった。
何故ならば、今まで色んな遺体を見てきた浅野でさえも萎縮する程の異様な死に様だったからである。
実は昨日の現場検証で、遺体自らが県道から這うように山の中を移動しており、その道半ばで力尽きたようだ、と鑑識のほうから報告があったのだ。それも普通の死体なら話が分かるのだが、遺体は死後半年は経っているかもしれないミイラが、である。常識的に考えてありえないのだ。
また、そのミイラの状態も凄まじいものであった。
何しろ、遺体は壮絶な悲鳴を上げているかのように大きく口を開き、体は不自然に捻じれていたからである。
ミイラというだけでも不自然なのに、その状況からしてありえない事になっていた為、浅野は昨日から頭を悩ませているのだった。
するとそこへ、ファイルを持ったスーツ姿の男が小走りで浅野のところへやってきた。
歳は30くらいだろうか。丸眼鏡を掛けた中肉中背の平凡な雰囲気の男である。
その男は浅野の前に来ると、神妙な面持ちで口を開いた。
「浅野さん……検死の結果がでました。それと……とんでもない事実がわかりました」
「おう、小島。何だ、そのとんでもない事実ってのは?」
小島はファイルを浅野に手渡した。
「これが、検死報告書です。それから、とんでもない事実の方ですが……実は一昨日の夜から今朝に掛けて行方不明になっている考古学者の白川という男がいるのですが、その男とこのミイラ遺体は同一人物だという事です」
浅野は今の報告を聞き、顎が外れそうなほどに口を大きく開けて驚いた。
「はぁァァァ! な、なんだってぇ! じゃなにか? 一昨日まで生きていた男が、一晩でミイラ化してあの山林に居たという事か。そんな馬鹿な……ありえんぞ、そんな事」
「しかし、それがどうも事実のようで……気味の悪い話ですが」
浅野はすぐさまファイルを開いた。
まず一枚目の死体検案書から目を通し始めた。
浅野は気になっていた死因に真っ先に目がゆく。
そこには、直接の死因は胸に数箇所ある刺創による外傷性血気胸と見られる、と書かれていた。
「死因は胸の刺創か……。しかし、肝心のミイラ化した原因までは書いてないな。一応、異常死体になってはいるが……」
「浅野さん、自然界で人がミイラ化するには最低でも20日〜3ヶ月は掛かるそうです。ですが、それはあくまでも乾燥状況や気温等の好条件に恵まれた一部の場合に限りだそうです。特に、この日本のような湿潤の気候の下では、今回のような屋外においての完全な形でのミイラ化はありえないそうです。場所も雨ざらしの山林ですし、自然にミイラ化した線は消えますね。そもそも、仏さん自身が一昨日の昼までは生きていた確証もありますし。ですので、恐らく人為的にミイラ化したと考えるのが妥当だと思われます」
小島の意見を聞いた浅野は、机の上で頬肘を付くと、大きな溜息を吐きながら項垂れた。
「まったく……こんな田舎で何て厄介な事件だ。しかし、この犯人は頭がイカレてる。刺し殺したあとにわざわざミイラ化させるなんて正気を疑うぞ。変な猟奇殺人事件に発展なんかしないでくれよ、本当に……」
浅野はそこで立ち上がり、机の上の手帳や携帯電話を上着に仕舞い始めた。
「浅野さん、周囲の警戒と聞き込みに出かけますか?」
「ああ、部屋に篭ってると気分が悪いからな。外に行くよ」
「そうですか。ではご一緒しますよ」――
――ミイラ遺体が発見されてから5日後の話である。
G県葦原市に隣接するF県中津市との県境付近の山中で、奇妙な物が発見された。
それは昆虫の抜け殻のようなモノであった。
褐色の物体で、蝉の抜け殻のように背中からパックリと割れていた。
割れた殻の中には半透明のアンモニア臭がする粘液が付着しており、ややドロドロとした感じになっている。また、ボールのような丸く大きな腹部の両側面からは昆虫を思わせる長い足が八つ伸びており、頭部と思われる部分には鋏のような二つの牙が見える醜悪な口があった。そう……それはまるで、大きな蜘蛛を連想させる気味の悪い抜け殻なのであった。
しかし、問題はその大きさだ。その抜け殻は、この辺りに生息する熊、ツキノワグマと同じくらいの大きさなのである。
これを発見した人物はそのあまりの異様さから、すぐにその場を離れると、とりあえず葦原警察署に連絡を入れた。
そして、葦原署からその無線連絡を受けた浅野と小島は、現場へと車を走らせたのである。
二人は比較的近い場所にいた為、15分程で現場近くに到着した。
車から降りたところで、ややダルそうに浅野は呟いた。
「ったく……幾らなんでも、俺らが来る様な仕事じゃないだろ。猟友会の連中を寄越させりゃ良いのに」
「まぁまぁ、我々が一番近くにいたのですからしょうがないですよ。それに、ミイラ事件の進展が余り無い今は、少し息抜きが必要ですよ」
小島は浅野を宥めた。
「お前は、何でそう前向きなんだよ。ったく、まぁいい。で、無線じゃ、得体の知れない生物の抜け殻があるから見に来てくれって話だったか……何度考えても警察の仕事じゃないぞ。どうせ誰かの悪戯だろ」
「はい、署からの無線でそう入りましたね。ともかく、行ってみましょう。先程の無線連絡によると、あそこに見える県境の看板付近にある登山道を少し行った所だそうですよ」
小島はそう言って県名の掛かれた看板を指さした。
「やれやれ、じゃ行くか」――
二人はやや狭い登山道を黙々と進んでゆく。
山中は静かであった。時折、野鳥の鳴き声がどこからともなく聞こえるだけで、他に物音はあまりない。
そんな物静かな山中を100m程進んだところで、先頭を歩いていた小島は突然立ち止まったのである。
小島は目を見開き、ある方向を指さしながら驚きの声を上げた。
「あ、浅野さん! あ、あれを見てください!」
後ろにいた浅野はダルそうに小島の指先を追った。
そして浅野も驚愕したのだ。
「あん? って、な、なんだありゃ!」
二人は、その物体を見て驚愕した。
それは見た事も無い生物の抜け殻だったからである。
とりあえず、二人は恐る恐るその抜け殻に近寄った。
「あ、浅野さん……これはなんていう虫なんですか?」
「知るかッ! そんなの分かる訳ないだろ。お前こそ知らないのか?」
「知りませんよ、こんなの。でも、なんかこの殻、蜘蛛に似てますね。とりあえず写真を撮っておきます」
小島は中腰になると、眼鏡の眉間のフレームを中指で押し上げ、抜け殻を繁々と見つめる。
そして、ポケットからデジカメを取り出すと何枚かシャッターを切った。
「こんな馬鹿でかい蜘蛛がいたら、たまったもんじゃねぇよ。作り物じゃねぇのか?」
「でも……作り物にしてはやけに生々しいですね。ただ本物か? と言われると辛いですが……ン?」
と、そこで小島は、抜け殻から20m程後ろにある木陰に奇妙な物体が転がっているのを見つけたのであった。
「なんだ小島? なんか見つけたのか」
「浅野さん……アソコに見えるのって何ですかね?」
小島の視線の先を浅野も追う。
「ああん? て、なんだありゃ……とりあえず、行ってみるか」
二人は木陰にある物体に近づいた。
すると、なんとそこには、カモシカと猪の干からびた死骸が何体か転がっていたのである。
「浅野さん……これってミイラ化した死骸ですよね。こんな場所で、ここまで完全なミイラ化するなんてありえないですよ。これも念の為に写真を撮っておこう」
意外と冷静な小島はカモシカと猪の死骸をデジカメに何枚か収める。
だが、これを見た浅野は、今までのミイラ遺体事件とこれらの出来事が、何故かは分からないが無関係じゃなく思えたのだ。
そして、そう考えると共に、非常に嫌な予感が浅野の脳裏に過ぎったのであった。
「小島、さっきの抜け殻の所に戻るぞ」
「は、はい」
抜け殻の所に戻ったところで浅野は小島に言った。
「小島、この抜け殻の周囲を調べるんだ。これが本物なら、多分、何か痕跡がある筈だからな」
「た、確かに」
二人は抜け殻の周囲を隈なく調べる。
すると程なくして、小島がある痕跡を発見したのだった。
「浅野さん、来てください。この抜け殻から出たであろう粘液の付着した跡が、あちらの方向にずっと続いています」
小島はそう言ってF県側の方向を指差した。
「F県側か……。小島、お前はどう思う?」
「どう思うとは?」
「この抜け殻から出た生物の事だよ。なんかおかしいと思わないか? この間のミイラ事件から今まで何も分からず仕舞いだったが、今回ここに来てパズルのピースがはまったような気がするんだ」
「浅野さん、ミイラ事件にまで飛ぶのは考え過ぎじゃないですかね。それに、あの動物達の干からびた死骸も何かの偶然かも知れないですし」
浅野は溜息を吐くと、抜け殻を指差した。
「小島、これを見ろ。良く考えてみたら、こんな生物ありえないんだよ。それに、白川のミイラ化もありえない。あそこで転がる野生動物のミイラ化もありえない。でもな、有り得ないんじゃなくて、俺達が受け入れられないだけで、有り得るかもしれないんだ。そう考えると、この化け物が今回の一連の騒動の黒幕だとは思わないか?」
小島は浅野の熱い自論を聴き、暫く考える。
そして、今の現実問題を浅野に告げたのである。
「浅野さんの言いたい事は分かります。でも、報告書にそう書くのですか? 恐らく、誰も信じないと思いますよ。化け物を実際に見ない限りは……。それに、邪推すれば葦原署に連絡してきた人物の悪戯の線もあります。その場合はあの抜け殻は作り物という事になりますが」
「確かにな。報告書に書いても化け物を見ない限り信じてくれんだろう。そこが問題だ。まぁいい、一旦戻るぞ、小島」
「そうですね。一旦戻ってもっと煮詰めてみましょう」――
【参】
「日比野さーん」
夕暮れの学園町の歩道で、俺の苗字を呼ぶ、聞き覚えある女の子の声が後ろの方から聞こえてきた。
声の発生源を確認する為、俺は後ろを振り向く。
すると、思ったとおりの人物が小走りで、俺に近寄ってきたのだった。
「オゥ、瑞希ちゃん。今日も元気だねぇ」
「へへ、日比野さんは学校の帰りですか?」
「そうだけど、そういう瑞希ちゃんも学校の帰りだよね?」
俺は瑞希ちゃんの制服姿を見て、思わずそう言ってしまった。
「はい、そうです。今日は部活の帰りですけどね」
「へぇ、そうなんだ。瑞希ちゃんて部活何やってるの?」
「私、剣道部に入ってるんですよ」
「へぇ、剣道部かぁ。なるほどねぇ……ン、剣道?……」
俺は最近どこかで、この単語を聞いた気がした。が、気のせいだと思いそのまま流した。
仮に憶えていたとしても、多分、どうでもいいことなんだろう。
「日比野さん、明日から連休ですけど、何か予定とかあるんですか?」
「連休ねぇ、何しようかな。まぁ、とりあえず予定は未定という事で」
俺は特に何も無いので、そう答えておいた。
まぁ連休といっても、多分、術の修行に費やされる可能性が大だが……。
「へぇ、日比野さん未定なんですか。じゃ、日比野さんを元気付ける為に明日メールしますね」
瑞希ちゃんはそう言うと可愛らしい笑顔を俺に見せる。
「そいつは楽しみだなぁ。というか、俺ってそんなに元気ない様に見える?」
「そういう意味で言ったんじゃないですよ。あ、私、駅がコッチなのでここでお別れですね。それじゃ、さようならぁ日比野さん」
「じゃ、気を付けてね。さよなら」
瑞希ちゃんは元気よく俺に右手を振って、駅のある方向へと走っていった。
俺はその姿を見送った後、自分のアパートへと歩を進めたのである。
それから程なくして、自分の根城に帰宅した俺は、まず最初にテレビの電源を入れた。
因みにこれは鬼一爺さんの為である。
最近は、鬼一爺さんもニュースを見る様になり、色々と今の世の中に関心があるようだ。
おまけに、今の世を知るには『にゅうす』を見るのが一番いい、と自分で言う始末だからである。
まぁ爺さんなりに、今の世を勉強しようと思っているのだろう。
それはさておき、テレビをつけた俺は荷物を机の上に置くと、床に敷いた布団の上に寝転がり、暫く休む事にした。
横になっていると夕方六時のテレビニュースが流れてきた。
そして、冒頭の全国ニュースが終わると、次はF県のスタジオに切り替わり、凄く質素なスタジオで、凄く質素な男が、凄く質素にニュースを読むのだった。
>それでは、Fのスタジオから県内のニュースを続けます。
>今日、中津市の山林で鹿や猪等の干からびた死骸が多数発見されるという変わった現象が起き、県内の専門家が調査に入りました。
>現地を調査した専門家の話では、死後三ヶ月以上は経過しているものが殆どらしく、未だ原因は不明との事です。
>また、その当時の気象条件や餌となる山の食料事情等の調査を行い、より深い所まで原因を追究する方針との事です。
こんな感じのニュースが、沢山の干からびた猪やカモシカ等の映像と共に流れてきた。
俺は「ふぅん」という感じで聞いていたが、鬼一爺さんは信じられない物を見るかのようにその映像を見ていたのである。
そして、今のニュースが終わった後に、こう呟いたのだった。
――【……こ、これは……まさ…か……土蜘蛛の仕業か】と――