カラヤ村防衛戦(4)
食人鬼。見上げるような巨躯に分厚い筋肉の鎧、赤い表皮をもつこの妖魔は、文字通り人を喰らうこともあるという。知能はゴブリンよりもやや低いが見た目通り強靭な肉体を誇り、熟練の戦士でも一人で挑むのは危険とされている。
周囲を見渡すと人間もゴブリン達も、私と食人鬼を遠巻きにしている。
それもそうだ、先程の様子を見れば私に期待したくなるのもわかる。普通の人間が寄ってたかっても敵わない相手だということも。
「お、俺も・・・」
「ありがとう。でも、巻き込まれると思うから・・・」
ロット君が槍を手に進み出てくれたが、気持ちだけを受け取り下がってもらった。
「内なる生命の精霊よ、我は勝利を渇望する。来たりて仮初めの力を与えたまえ。【身体強化・腕力】・・・」
血濡れた女神像を両手でゆっくりと引きずり、私の身長ほどもある棍棒を手にした赤鬼と向き合う。邪悪な顔に浮かぶ頭の悪そうな笑いが無性に腹立たしいが、その油断は利用させてもらおう。
「んっ!」
軽く助走をつけ、女神像を振りかぶって斜め上から打ち下ろす。小柄な人間が振るう武器と甘く見ていたであろう、食人鬼は棍棒で軽く払おうとしたが、大質量の女神像はそれを弾き飛ばして顔面にめり込んだ。頬骨と鼻骨が砕け盛大に鼻血が噴き出したが、鬼は大きくのけ反り一歩後退しただけで踏みとどまる。
有効打ではあるが、この生命力は桁違いだ。それにもう油断は期待できない。黄色く濁った目で私を睨みつけ、獣の咆哮とともに棍棒を振りかざす。
重々しい轟音を立てて私の女神像と鬼の棍棒が激突した。抜け飛んだ台座が勢いよく転がって数匹のゴブリンを押し潰し、木片をまき散らして棍棒が折れ曲がる。青銅と樫の木が二度、三度、四度と打ち交わされ、美しい女神像であったものは無骨な金属棒と化してしまった。
「つっ・・・参ったな・・・」
私は小さく呟いた。打撃を交わすたび全身の関節がぎしぎしと軋む。筋力は魔術で強化されていても、それを支える骨や腱が耐えられないのだ。それに強化されているのは上半身だけで、土台となる下半身は貧弱なままだ。
生命力も違いすぎる。相手は打撃を何度か喰らっても骨折程度で済むだろうが、私があんな棍棒で殴られたら即死間違いなしだ。さらには【身体強化】の効果時間はもう半分以上過ぎている、おまけに・・・
食人鬼のすくい上げる一撃を受け止めた私は、10歩ほども飛ばされて背中から地面に叩きつけられ息が詰まった。
おまけにこれだ、体重差。同じように打撃を交わせば一方的に吹き飛ばされてしまう。咳き込みながら身体を起こし女神像を拾い上げたが、この人食いの化物を相手に勝ち目などない。味方の優位を感じ取ったか、取り巻くゴブリン達が武器を突き上げ囃し立てる。
「おねえちゃん、がんばれええ!!」
「がんばれええ!」
こちらにも上から声が降ってきた。シエロ君とクリアちゃんだ。横目で視線を送って頷くと、散々にひしゃげた不幸な女神像を一度足元に置いた。呼吸を整え、自分の身体に意識を集中させる。
私がここで負ければ、あの子達が無惨に殺され腸を喰われてしまう。もう出し惜しみはしない、これまで積み上げてきた全てを挙げてあの化物を討つ。
「内なる精霊、生命の根源たる者よ・・・」
それに私はまだ、切り札を残している。