侯爵令嬢の日常(3)
「そんなに緊張しなくていいよ。背筋を伸ばして、肩の力を抜いて。ゆっくり行こう」
「は、はい」
ユーロ侯爵家滞在3日目。昨日帰ってきたカチュアのお兄さん、ヴィクトールさんが遠乗りに連れて行ってくれると言うので、私は栗毛の馬に跨っている。
昨日のうちに一応練習はしたし、この子は賢いから勝手にお兄さんの馬について行く。何かあっても後ろのカチュアが助けてくれる・・・そう思ってもやっぱり身体が硬くなってしまう。
「カチュアの友達が来るなんて驚いたよ。こいつ人見知りだろ?」
「ええ、確かに・・・」
「そうだよ。ユイちゃんが話しかけてくれなかったら、一人も友達できなかったかも」
「まあ可哀想ではあるんだ。気軽に話せない家柄でもあるし、訓練ばかりで他の貴族の子と話が合わないだろうし。エルトリアの軍学校に行っても困ると思ってたんだ」
「強すぎるのは確かですね。あの学校で学べることは無いかもしれません」
「大丈夫だよ。ユイちゃんが魔術を教えてくれてるから」
「そうだ、魔術を使えるんだって?ポーラ少尉に勝ったって聞いたよ」
「はい。今朝やり返されたんですけど・・・」
ヴィクトールさんは私達の7歳年上で、既に一軍を率いる身であるという。家柄といい役職といい、本来なら気軽に話せる相手ではないはずだ。こうして話していると気さくなお兄さんなのだが、その肩幅と胸板が只物でないことを物語っている。
侯爵家が領有するユーロの町は幅の広い川の流域にあり、道中見てきた町に比べると緑が豊かなようだ。こうして少し街を外れると一面の田畑が広がっている。
「着いたよ。ここだ」
小高い丘から見下ろす街並み。傾きかけた陽を映す水面。幾重にも連なる石造りの城壁、その隙間から覗く生命の力に溢れた木々。足元を横切る色とりどりの蝶。しばらく私は言葉もなく立ち尽くしていた。
「カチュアが小さい頃、よく連れてきたんだ。エルトリアは自然豊かだから、あまり珍しくないかもしれないけど」
「いえ・・・」
美しい風景だが、確かに珍しいものではない。エルトリア国内で見た滝壺の町、断崖にしがみつく集落、森に飲み込まれた町、それらに比べれば平凡かもしれない。でも。
「私の夢は、この世界の隅々まで見て回ることです。見たこともない場所で、知らない物に触れてみたい。それが今日、一つ叶いました」
部屋に戻ったらこれを日記に記そう。絵を描いて、色を塗って。カチュアと一緒に描くのも面白いかもしれない。そう心に決めて帰り道を急いだ。
「ちょっと待って、どうしてそんな雑に塗っちゃうの!」
「雑なつもりはないんだけど・・・駄目だった?」
「川だって一色じゃないでしょ?建物を映してたり、波立ってたり。少しずつ細かく塗ろうよ」
「ごめん・・・じゃあこっち塗るよ・・・」
「ええ!?太陽ってそんな真っ黄色だった!?」
ところがカチュアの絵には心底驚いた。剣を握れば宙を舞う虫を断つほど精密なその手が、絵筆を持つとどうしてこうなってしまうのだろう。
その出来に私は頭を抱え、ヴィクトールさんは腹を抱えて悶絶してしまった・・・。




